12月21日、椿山荘で開催されたディナーショー・夜の部にいってまいりました。
どこからどんなふうに書いてみようかと画像を準備しながら少し考えてみたのですが、以下、画像をおりまぜながら、ながれにそって書いてみようと思います。
アルバム「新・演歌名曲コレクション2-愛しのテキーロ/男花-」の収録曲をBGMに、クリスマスのご馳走がはこばれてきたのですが、最初にはこばれてきた”前菜”のあまりのかわいらしさに、”かわいい~!”とわたしが大喜びしていたら、椿山荘のスタッフの方が、
”このメニューは氷川さんの考案なんですよ”と、いっそう嬉しくなることをおしえてくださいました。
それは”和前菜取り合わせ”で、和食をクリスマスツリーや雪の結晶、雪だるまに見立てたもので、柊まで飾られていて、夢いっぱいです。
※和前菜取り合わせ
ディナータイムが終わると、バンドのメンバーの皆さんがスタンバイされ、まもなく会場の照明が消え、ステージがパッとあかるくなり、きよしさんは歌いながらステージに登場。
しっとりと、バラード調で歌ってくだったのは「きよしの Merry X'mas」でした。
きよしさんのあたたかな歌声とともに、2015年のいろいろな思い出がうかんできたのです。
後半はスタンダード・バージョンにもどっての軽快な演奏にのせて、きよしさんも軽やかな”振りつき”で、楽しそうに歌ってくださいました。
オープニングでお召しになっていたのは、からし色の三つ揃いのスーツで蝶タイもとも布。ジャケットのヘチマ型のエリとシャツは黒、靴は黒のエナメルという、この日のために用意してくださった衣裳。
「氷川きよしの1年に1回のクリスマス・ディナーショーです。
今日はよそ行きな感じで、いつもと違う雰囲気でまいりたいと思います。えっ? そうなじゃいほうがいいですか?」
きよしさんは、思いっきり”よそ行き”な感じで(笑)、ご挨拶されたので、会場からはクスクスと笑いがおこっていました(笑)。
でも、きよしさんとしては、皆がドレスアップしているので、それに応えようとして、お気遣いくださったのでしょうね。
※メニューカードです。
続いて歌ってくださったのは、
「満天の瞳」、
そして、シャンソン風にアレンジされた「哀愁の湖」のコンサートバージョンでした。
きよしさんが舞台袖に戻られると、司会の西寄ひがしさんが登場。
今年1年のお礼をおっしゃったあと、、西寄さんも”よそ行き”を意識されつつ、やっぱり”ふだんどおり”がしっくりいくというところに落ち着いたのです(笑)。
11月に放送された「NHK歌謡コンサート」の”古賀メロディーの特集回”で、きよしさんは「湯の町エレジー」を歌われましたが、きよしさんの歌唱が大評判だったことをおしえてくださいました。
そして、そんな”古賀メロディー”をテーマに、歌ってくださることになったのです。
「誰か故郷を想わざる」、
「柔」、
「人生の並木路」、
「無法松の一生~度胸千両入り~」
と、こまやかで情感豊か、そしてなにより情熱的な歌唱がつづいて、きよしさんが「無法松の一生~度胸千両入り~」を歌いおえると、われるような拍手がおこって、ステージの照明がおちても、きよしさんは何度もお辞儀をされ、さらに、舞台袖にはいっていく際、暗闇のなかなのに、客席の拍手に応えてその場で手をふってくださって...。
その様子はシルエットでしかみえませんでしたが、わたしたちが、きよしさんの歌唱にどれほど感動しているのか、きよしさんに、精一杯の拍手で伝えることができたのかなと、わたしは感じて、幸せな思いになったのです。
前後しますが、このコーナーでのきよしさんの衣裳はネイビーに赤が織り込まれた変わり模様(植物モチーフ?)のジャケットに、シャツは白、パンツとカマーバンドは黒のサテンでした。ジャケットは照明の光線の加減で、ネイビーにも赤にも色調が変わるという凝った布地を使ってつくられているようでした。
※ステージの中央にツリーと、黒のソファが置かれていました。
きよしさんと入れかわって、登場された西寄さんは、2015年をふりかえって、3月、明治座での1カ月座長公演、9月に五反田ゆうぽうとホールで2000回公演を達成し、今年のコンサートツアーが今月、大阪フェスティバルホールで50日100公演までみごとに完走したことを紹介してくださいました。
そして、
「もともとはアルバムの収録曲だった『男花』を、全国のファンの皆様が、シングルカットへと導いてくださいました」
とあらためて紹介。
その言葉をうけて、きよしさんは、”オールブラック”のタキシードで登場されたのです。
スパンコールがきめ細かいからでしょうか? ヘチマカラーの黒いジャケットと、パンツ、蝶タイは、きよしさんが動くたびにしっとりと濡れたように光って、なんともそのきらめきが美しいのです。
パンツは両サイドに黒のサテンのラインテープが施され、カマーバンドも黒のサテン、靴も黒のエナメルでした。
”黒”をここまでスタイリッシュに着こなせるなんて!
と、惚れ惚れして、きよしさんをみつめたのです。
そう、その胸がドキドキしてしまうほどに素敵なそのタキシードで歌ってくださったのは、「男花」でした。
きよしさんが、「男花」への思いを、”ずっとあたためてきて、できることならシングルでだしてほしかった”と、コンサートで飾らずに話してくださったときのことや、ラジオ番組で、”テレビでも歌わせていただけたら”とお話しされたこと。
その後、皆がリクエストを送って、「NHK歌謡コンサート」で、まだ楽譜もできていなかったのに、何とか間に合わせて、当初、発表していた曲目を変更して、「男花」の歌唱が実現。
そして「愛しのテキーロ」と両A面として、シングルカットが決定して、リリースされると、オリコンシングルチャート総合で初登場2位を獲得したこと。
「男花」と出会ってからのさまざまな出来事が思いだされて、じんときてしまいました。
※メニューカードに書かれていたきよしさんからのメッセージです。
「来年は39歳になりますから、30代最後の年になるんですよ。
だから、僕、歌を楽しんで歌ってきたいですよね。
それが幸せに思いへと連鎖していったらといいなって思うんですよ」
きよしさんは、来年39歳になるので、30代のしめくくりの年として、楽しんで歌って、元気ですごしていきたいのだという思いを、さらにお話ししようとして、言葉が思いに追いつかなくなってしまったようで、
「元気で、あれして?あれが、あれして、ね(笑)」と。
さらに
「わかりますでしょう?
夫婦(めおと)のかたで、ご主人が、”おい、あれしとけ”っていっても、奥さんが”はい、わかりました”って。ね、そういうのっていいなって思うんですよね~。
そういえば、長良じゅん会長もね、お電話くださると、”おい、きよしか? 新曲のあれだけど、あれしといたから。じゃあな”っておっしゃって...。
でも、それで僕、わかったんですよ」
と、長良会長のべらんめえ口調まで再現してお話ししてくださいました。
そして、
「今日の10時に、”紅白歌合戦”で歌う曲が『男花』に決定したんです」
と報告してくださった、きよしさんは嬉しさいっぱいでした。
”知らざあ言って聞かせやしょう。弁天小僧菊之助たぁ おれのことだぁ~”と歌舞伎の「白波五人男」の名セリフを披露してくださると、
「年相応の歌手でいたいですよね。
20代の僕はもういないんですよ。30代前半の僕ももういない。
今、いるのは30代後半の僕だから...」
きよしさんは、力強くおっしゃると、
「それでいいのだ」
とひとこと(笑)。
そして「きよしこの夜Vol.15」の1日めが終わったあと、録画したDVDをひととおりみて、内容をチェックしたりテコ入れをしたりされたことをおしえてくださると、
「DVDの西さんをみていたら、誰かに似ているなって思ったんですけどね。
西さんが赤ちゃんにみえたんです(笑)」
とおっしゃいました。
そういえば少し前のコンサートでも西寄さんがお孫さん(赤ちゃん)に似ているという話題がでていましたが、赤ちゃんはみんな幸せそうなお顔をしていますから、そんな赤ちゃんに似ている西寄さんは、福顔”ということなのでしょう。
それから、翌朝(今朝22日)「あさイチ」で風邪予防の秘訣についてVTR出演されることをお話しくださり、ジュースには、小松菜、リンゴ、レモンを入れ、皮はもちろん、種も酵素があるので、そのままいれることをおしえてくださいました。
このあと
「愛しのテキーロ」を甘くセクシーに歌唱され、
先日の「きよしこの夜Vol.15」で1コーラス歌唱されて好評だった「雪が降る」を2コーラス歌ってくださいましたが、歌唱にはいる前に、雪の話題をされ、
「寒くなってきたので、そろそろ雪が降るんじゃないですか
以前、大雪が降って大変だったことがありましたね。
やっぱり(車の)タイヤには”ガネ”をつけとかないと...」
きよしさんはそういいかけて、
「”ガネ”はチェーンのことですよ。
とうちゃんがそういってましたから」
と。
そんなふうに素敵なほどに自然体のきよしさんに、
西寄さんが、”「雪が降る」を歌おうとしているときに、”とうちゃん”は似合わないんじゃないんですか?”
というようなアドバイスをされたのですが、
いいの、いいの、いいのです!
そんな自然体のきよしさんが、あんなにロマンチックに「愛しのテキーロ」と「雪が降る」を歌ってくださるから、素敵なんですもの。
だから、ますますときめいて、ますます惚れちゃう、困っちゃう...。
※メニューです。
”オールブラック”の衣裳での「愛しのテキーロ」もムーディーで、濡れたように光るスパンコールが、どこかなまめかしくて...。
聴きおえると、ほおっとため息がでたのでした。
きよしさんは、歌手である自分にとってマイクが剣で、衣裳は鎧であることを述べられると、衣裳さんにはいつもがんばって素敵な衣裳をつくっていただいているのだと、あらためて感謝の思いを言葉にされたのです。
きよしさんが衣裳チェンジのため、ステージ袖に戻られると、「望郷の月」のメロディーが奏でられ、西寄さんが”氷川きよし”のヒストリーを語りはじめ、
「歌手としてのいちばんの恩返しは、いい歌を歌うこと。
自分はいい歌を歌って、応援してくださるファンの皆様にお返ししたい。
今年1年は20周年を目標に歩んでまいりました。
20周年も皆様と笑顔で迎えたいというのが氷川きよしの願いでございます。
そして氷川きよしが20周年を迎える4年後、日本がオリンピックでわきたっているそのときに、日本を代表する歌手として氷川きよしに、歌でオリンピックをもりあげていただきたい。
それがファンの皆様の願いです。
2000年2月2日、氷川きよしは、男性演歌はやらないといわれた時代にデビューしました。
皆が日本の演歌の未来を氷川きよしに託したのです」
そこに、ベージュ系の色味の着物に白に金と黒で唐草が描かれた袴姿にお召し換えされたきよしさんが登場。
「箱根八里の半次郎~風雲編~」、
そして「大井追っかけ音次郎~青春編~」を2コーラスずつ歌ってくださり、あらためて詩を書いてくださた松井由利夫先生への思いをお話しされたのです。
「『箱根八里の半次郎~風雲編~』は、僕のはじめてのミニアルバム(『演歌名曲選/氷川きよし 箱根八里の半次郎~風雲編~』のためにつくっていただきました。
歌詩が違うので、そのときはとまどいもありましたけど。
あらためて歌ってみると、言葉あそびがあったり、素晴らしいんですよ。
松井先生はたくさんの詩を書いてくださいました。
これからもたいせつに歌わせていただきたいという思いでいます」
きよしさんはデビュー当時から今日までをふりかえって、松井先生との出会い、先生が”氷川きよし”のために残してくださった詩の大切や重みをずっしりと感じておられたのでがないでしょうか。
※レンコン饅頭 カニ生姜餡 星型パプリカ
「1年間、支えてくださって、見守ってくださって、僕の歌を聴いてくださって、ありがとうございました。
デビュー16年めの今年は、”20周年”という目標が、”ピシャーッ!”とありましたが、デビューの頃は、とにかく顔と名前を憶えていただだいて、歌を聴いて喜んでいただきたいという思いで、キャンペーンで全国各地をまわらせていただいて、その思いは、今もかわりません」
と、ひとことひとことかみしめながら言葉を発して...。
きよしさんは、初心を思い返し、それこそが自分の原点であり、その姿勢は少しもかわらず、揺らいでいないことを、自身で実感されているようだったのです。
最後の曲は「白雲の城」でした。
われをわすれるほどにその歌唱に惹きこまれ、きよしさんが歌いおえて、わきおこった万雷の拍手の音さえも、遠くの出来事のように感じられて...。
わやしは、きよしさんの輝きをぼうっとみつめながら、この”パチパチ”という音はどこから聞こえているのだろう?
と、頭の奥がしびれたようだったのです。
※デザートの”マロンのモンブラン クリスマスツリー仕立て”
きよしさんが舞台袖に戻られると、HKピュアリバーのリーダーの藤林さんを中心に、手拍子がおこって、”きよしコール”も次第にひろがっていったのです。
アンコールの1曲めは、「hug」(ハグ)でした。
なんて、なんてあたたかくて、やさしい歌声なのでしょう。
きよしさんの愛があふれだして広がって、その歌声が聴く人の心の扉をあけ、言葉が言葉以上のものになって心に、そして魂にしみいっていくのを感じていました。
衣裳は、先日放送された「日本有線大賞」で、「男花」を歌唱されたときにお召しになっていらした、鏡面のようなシルバー地に黒の斜め格子が描かれたジャケットに黒のサテン地のパンツという出で立ちで、その独特な輝きが氷の輝きにもみえたのです。
「hug」について、
「この曲には思い入れがあって。
プライベートで親しくさせていただいているTM NETWORKの木根(尚登)さんに、僕の思いを伝えて、つくっていただいた曲です。
演歌の五行詩では伝えきれない思いもありますから」
と、きよしさんはお話しされていました。
「hug」は、TM NETWORKの木根尚登さんにつくっていただいた“KIYOSHI”としては9年ぶりの新曲。
まだCD化されてはいませんが、今年、7月に舞浜アンフィシアターで開催された”KIYOSHI special concert 2015 ~KIYOSHI'S SUMMER~”で、披露してくださいました。
2年ほど前に、木根さんと電話をしていたときに、
”平和を歌って、人を包みこむような慈愛に満ちた曲、つくっていただけないでしょうか”と、お願いしたことから生まれた1曲であることを、そのときのコンサートでお話しくださっていたことや、2日めの夜の部に木根さんがお越しくださっていたことも思いだされて、あの夏の日がよみがえってきたのです。
※テーブルクロスのようにおいてありますが、これはお土産の枕カバーです。
「きよしのソーラン節」、
「きよしのズンドコ節」でフィナーレとなりました。
きよしさんは、最後のごあいさつをされると、椿山荘のステージには緞帳がないので、ご自身で舞台上手袖へとお帰りになられるのですが、
きよしさんはいよいよ上手に向かって歩こうとして、”どうしようか”というように、その場でもじもじされると、客席に向きなおって、
「帰りたくな~い!」
とひとことおっしゃいました。
もう、きよしさん、そんなこといわないでください。
せつなくなっちゃう。
愛しくなっちゃう。
そして、胸が痛くなっちゃうんだから...。
※とても使えませんが、Kさんと、”こんな感じになるのね”と枕にかけてみました。
来年は1月19日からコンサートツアースタートすることを、きよしさんご自身が話題にされ、
「コンサートは、この夜の部が今年最後ということになりますが、でも来年はもう19日からツアーがスタートするんですよね。
だから、1カ月しないうちに会えるんですよね」
とおっしゃっていたので、まるでわたしとKさんがふたりでしている会話みたいだと思って、Kさんと顔を見合わせたのです。
きよしさんも、私たちと同じように、会えない時間をさびしく思ってくださっているのかしら?
思ってくださっているのでしょうね。
そうでなければ、あんな言葉はでてこないだろうなあと思えて。
またじんときてしまったのでした。
きよしさんから歌のクリスマスプレゼントをいただいて、特別なものを求めるのではなく、自分が生きている日々のなかにある、ありがたさや、ささやかな幸せを見すごさずに生きていきたいと思わせていただきました。
明日から、26日までは怒涛の仕事ですが、ひとつひとつしっかりとがんばってまいります。
みなさまに、ささやかですがクリスマスプレゼントとお年玉を贈らせていただけたらと思っています。
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