「思いおこせば1か月半前。お芝居の稽古が始まって。
ひとりで練習して台詞を覚えていったのですが、大変だなあと思いました。
正直、つらいなって思ったこともあったんです。
でもそのつらさ、大変さを、皆さんが喜びに変えてくださいました」
いよいよ迎えた「氷川きよし特別公演」の”大千穐楽”で、「箱根八里の半次郎」まで唄いおえると、きよしさんはそうおっしゃったのです。
さらに、
「東京に上京して21年目。子供の頃は人前に出るのが苦手でした。
自分の思っていることをなかなか口に出せない僕でしたが、歌に出会って歌で思いを吐き出すことができることに幸せを感じています。
こうしてしゃべるより、歌で伝えていけばいいんだと、皆さんがおしえてくれました」
と。
わたしはその言葉に胸が熱くなり、涙があふれて...。
ファンとしてこんなにまで嬉しい言葉があるでしょうか。
きよしさんと、きよしさんを愛するすべてのファンとの深い深い心のつながりを感じて、奇跡を目の当たりにしたような思いになっておりました。
皆の思いはひとつ!
ここで、大きな大きな”きよしコール”がおこったのです。
あふれる感動をのせた”きよしコール”は勢いをまし、きよしさんはそのコールを心地よくあびておられるようでした。
そして、
「ありがとうございます。
皆さんの真心を忘れません。今、皆さんの真心を胸にいれました」
とことばをつがれたのです。
6月2日にスタートして、この日は昼夜2公演。夜の部で43公演めとなり、”大千穐楽”にふさわしい公演となりました。
司会の西寄ひがしさんが、
「今朝、きよしさんにお会いしたとき、なんとなく、”いつも通りにしよう”という思いを感じたんです」
とおっしゃっていましたが、まさに、きよしさんは心乱すことなく、第1部の「ねずみ小僧」でのきよしさんは、一瞬一瞬を愛おしむように、”次郎吉”と”ねずみ小僧”を演じられ、江戸の町(客席)を軽やかに駆けめぐり、二度めの”疾走”ではハイタッチの大サービスだったのです。
皆の、”この日のために用意されたアドリブ”もさく裂して、”きよし座長”がどれほど共演者の皆さんに愛されているかを感じておりました。
きよしさんは次郎吉では飄々としたムードを醸し出し、ねずみ小僧では静と動をみごとに調和させながら、甘いニヒルさを漂わせ、ついにフィナーレとなったのです。
”あっ、ねずみ小僧だ!”
と皆が見上げる屋根の上にすっくとたち、最後の台詞をおっしゃるところで、思わず涙でことばを詰まらせたきよしさんでした。
でも、それもほんの一瞬、すぐさま、”どこにでも、ねずみ小僧は参上しますぜ!”と最後の台詞をびしっときめて、大団円を迎えたのです。
そのとき、きよしさんがどんな思いでこの最後の舞台に臨まれていたのかを感じて、わたしには、「草笛の音次郎」の新歌舞伎座での千秋楽が思いだされたのでした。
中日劇場、新宿コマ劇場で1か月公演を開催し、年が明けての3公演め。いよいよ”音次郎”との別れに、”初座長”をみごとにつとめたきよしさんは、涙、涙、涙...。
そして、驚くことに共演者の皆さまもまた、涙、涙、涙となったあの日、わたしが感じたあたたかな思いと感動を、この日もまた感じていたのです。
2部の”氷川きよしコンサート 2017 in 明治座”でのオープニングトークでのこと。
きよしさんが「祝めでた」につづいて、「博多祇園山笠」を唄われると、拍手がなりやまなかったのです。
拍手をかみしめるように、何度もうなずくと、あらためて来場のお礼をおっしゃり、
「43公演。同じお芝居とステージではありますが、生身の人間がやっているので、その日の気持ちや体調は少しずつちがっていますが、そのときどきのお客様のお顔をみながら、楽しんでいただきたい、喜んでいただきたいと思ってやらせていただきました」
と、きよしさんは、すべては演者とお客様とが一緒に築きあげてきたものだと思っていることをことばにしてくださると、
「次郎吉とねずみ小僧に会えなくなるのがさびしい...。
また、会えるといいですね。
ねずみ小僧は皆さんのことを見守っています。
なにかありましたら、参上しますぜ!」
と。
そして、博多祇園山笠の祭装束をアレンジした衣裳の、長法被の下から見える締め込みは、最初、パッチがみえなかったのです(汗)。
えっ、まさか、パッチをはいていないの?
とお友達のKさんと顔を見あわせてドキドキッ!
「パッチを短くしてみました。”ミニパン”です(笑)。
まあ、ここまであげると」
きよしさんはそうおっしゃると、左のミニパンのほとんどない裾をひっぱりあげたものですから、”キャーッ!”という声が客席からわきおこったのです。
もう、きよしさんの術中にすっかりはまってしまったのですが(笑)、
「”ミニパン状態”です(笑)。
本当は、”締め込み”、やりたかったんです。
次回はぜひ!」
と、将来の”締め込み”披露を約束されたのでした。
きよしさんを送りだすと、西寄さんが登場。スポットライトをあびているにもかかわらず、暗闇のきよしさんを全員が目で追っている状況に、笑顔でしばしたたずんでおられたのです。
「わたしは明日もここ(明治座)に来ようかと、そんな気持ちです。
明日は大道具の撤収があるので、そこに参加しようかなという思いです」
と、大工の松五郎役でお芝居でも活躍された西寄さん、そんな思いになるなんて、舞台で”松五郎”を生きた証ですね。
そして、
「名残惜しいのですが、この時間を惜しみながら進行していくのも感慨深いものがあります」
と結ばれていました。
きよしさんが「愛燦燦」を唄われると、あふれる愛に包まれて、その心地よさにホッとしてわたしは涙がでたのです。
この6月の出来事が思いだされ、また、きよしさんがこの曲をコンサートで唄ってくださっていた15周年のころも思いだされて...。
どんなときも、わたしには”氷川きよし”の歌と、輝きがすぐ傍にあって、励まされてきたことをあらためて感じたのです。
西寄さんが、
「あらためて、千秋楽、おめでとう」
とおっしゃり、”せえの!”と、音頭をとってくださいました。
皆の、”おめでとう!!!”の大合唱に、
「♪ありがと~ございます~」
と、こぶしをまわして、きよしさんは答えてくださったのです。
「公演中、雨の日もありましたが、出待ちをしてくださって、ありがたかったです。
雨の降っている日も、傘ひとつささずに...。
その姿に励まされて、また明日がんばろうという思いになりました」
ときよしさんがおっしゃると、
「そうおっしゃるきよしさんもまた、雨のなか、(車の)窓を全開にして応えていたじゃないですか」
とすかさず西寄さん。
さらに、
「そんなきよしくんだから、きよしくんに会えば会うほど好きになります!」
と、皆の気持ちをストレートすぎるほどに代弁してくださったのです。
今回、絶好調だったきよしさん。そのことを西寄さんが話題にされると、
「体調も、メンタル的なものも、声も、今回はコンディションがよかったです。
16年前、はじめての座長公演のときは、皆さんにお金をちょうだいして大きな劇場で1か月やらせていただくことのプレッシャーで、高熱をだしました。
今回はあっとい間に感じられて、本当に5日間ぐらいしか経っていないような気がするんです」
と、そんなきよしさんに、
「本当ですか?
じゃあ明日からもう1か月やりましょうか」
と西寄さんがいってくださったのです。
まんざらでもない様子のきよしさんに、
「でも次の公演が控えていますからね」
との西寄さんのことばをうけて、
「そうですね~。また2年後にということに」
とおっしゃると、
「そのときも来てくれる方?」
と客席に問いかけられ、ほぼ全員に手が挙がると、さらに、
「約束してくれますか?」
と問われたのでした。
もちろんそこでは間違いなく全員の手が挙がっていたのではないかと思います(喜)。
ここで7月1日から「ラジオ深夜便」(NHK)で放送される「碧し(あおし)」の紹介もありました。
この素敵な曲のこと、あらためてじっくりブログでも書きたいと思っています。
2部のコンサートで、司会の西寄ひがしさんが、毎公演、きよしさんに託されたメッセーージを紹介され、こころにのこっているのですが、
”おひとりでも自分の歌を聴いてくださる方がいる限り、命ある限り唄っていきたい。自分自身の人生を歌に重ねて、自分らしく輝いて、終わりなき歌の道を邁進していきたい”
というような内容だったかと思います。
きよしさんは「男の絶唱」を歌唱される前のトークで、
「これから年末までがんばります。
他人と争うのではなく、自分自身との戦いです。いつも向上していきたいです」
とお話しされ、”「男の絶唱」!”と朗々とタイトルコールをされると、フルコーラス唄われたのです。
つづいての「白雲の城」の熱い思いがほとばしるあまりにも研ぎ澄まされた歌唱を、忘れることはできません。
”氷川きよし”の生き様、人生の重みをずっしりと感じて、また涙があふれたのです。
アンコールで「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」、「きよしのズンドコ節」を晴れやかにエネルギッシュに唄われると、幕がおりてきました。
ああ、この瞬間こそが43公演のフィナーレなんだなあとなんといったらよいのか説明する言葉をみつけられないような感動が押し寄せてきたのです。
感動にこころふるわせながら、”カーテンコール”を待ちました。
「きよしのねずみ小僧」のイントロがながれるなか、ふたたび緞帳があがると、そこには、総勢51名の役者さんが勢ぞろいされていたのです。
ステージ上には、今しがたコンサートをサポートしてくださったHKピュアリバ―の皆さんとダンサーさんもそのままステージにのこっておられ、西寄さんがメインキャストを紹介されていきました。
小雪役の工藤綾乃さんは今回が初舞台だったそうです。
「お客様にあたたかな声援をいただきました。ありがとうございます。初めての舞台が、氷川きよしさんの公演でよかったです」
と工藤さんがおっしゃれば、そば福というお蕎麦屋さんの女将を演じた竹内都子さんは、
「こんなに協力的なお客様は他ではみたことがありません。
氷川くんは毎日へとへとのはずなのに、日々元気になっていったんです。
(なぜなんだろうって驚いたのですが)
それはファンの皆さんが彼のパワーになっているんですね」
と、日々きよしさんをご覧になっての感慨をお話しくださいました。
やんぱち長屋の大家さん(幸兵衛)を演じた小宮孝泰さんは、客席のペンライトに大感激され、ご自身も体験してみたいとの申し出(笑)。
”ぜひどうぞ!”と、きよしさんと西寄さんにうながされ、客席からたくさんの拍手がおこると、小宮さんは、スタスタとステージの階段をのぼられて、いったん姿が消えたかと思うと、きよしさんのごとく、ステージ上段に姿をあらわし、皆のペライトがまたたくなか、降りてこられたのです。
「今月、コント赤信号のふたりは新橋演舞場にでているんですが、こっちの方がはるかに盛りあがっていました」
と(笑)。
つづいてきよしさんの初座長公演から出演し支えてくださってきた大信田礼子さん(穀物問屋・美濃屋の奥様・八重)が、
「きよしくんはすっかり大人になって、ちょっと色気が出てきましたね。母親のような気持ちで嬉しく思っています」
とおっしゃると、きよしさんがすかさず、”お姉ちゃんですよ”と。
すると、「機嫌の良い時は、お姉ちゃんだけど、そうでないときはお母さんなんです」と大信田さん。
きよしさんは、”そんなことないですよ~”とあたふたされている様子でした(笑)。
しっとりとして優しい大信田さんですから、きっと甘えたい気持ちのときは、”お母さん”なのではないかしら?
同じく初座長公演から悪役で大活躍の中田博久さん(副島佐平役)が
「こんなにも優しさと愛のあふれた公演はファンの皆さんのおかげだと思います」
とおっしゃると、
「いつも悪役なんですけど、いい方なんです」
ときよしさんがフォロー(笑)。
中田さんは、ぜひ次回は、良い人の役で呼んでいただきたい旨を”きよし座長”にお願いしたのでした。
そして、ねこ蔵ならぬ彦蔵親分役で毎公演、もりあげてくださった曾我廼家寛太郎さんが紹介されると、ひときわ大きな拍手と歓声がおこったのです。
やっぱりね、そうだろね!
皆が、あの大爆笑の演技と、日々のスリリングなアドリブに感動をいただいていたのですね。
「毎日、氷川さんの手相をみさせていただいていました(笑)。
喜劇の人間として幸せでした。今日は合言葉のところで、(今、浜町では”山”といったら”氷川”ですよと曾我廼家さんがおっしゃって)、わたしが、”山”っていったら、皆さんが”氷川”っていってくださっていただいて、嬉しかったです」
というようなことをおっしゃったかと思います。
すると、きよしさんが、
「(ふたりが絡むシーンを)どんなふうにしようか、師匠にいろいろと相談させていただいて、勉強になりました。ありがとうございました」
と。
そんなきよしさんに、曾我廼家さんは、”師匠はやめてや”と返答され、喜劇をますますもりあげたいという展開になると、
「喜劇、やります!」
と力強くおっしゃったきよしさんでした(喜)。
また前作につづいて出演された江藤潤さんは、今回は極悪非道な”内藤近江守”を熱演されましたが、毎回、舞台に登場される前に、今日は石を投げられましまいかと思っておられたそうです(笑)。
「前回の舞台のうちあげの席で、中村メイコさん(や勝野博さん)の励ましの言葉に感激して泣いていた氷川くんでしたが、今日も最後で少しだけ泣いていましたね。
自分の心に素直に涙をながせることは、とっても大事なことです」
とおっしゃってくださったのです。
その言葉に、
「お芝居や歌では自分の感情を出さないほうがいいといわれて。僕、泣かないようにって思って」
ときよしさんがおっしゃると、
「そんなことない。皆につたわっているでしょう。
人目をはばからず素直に涙をながせるって大事なことですよ。
皆さんあってのわたしたち。
そして、皆さんあっての氷川くんだと思います」
と、”こころに素直でいて大丈夫なんだよ、それが大事なことなんだよ”と、江藤さんはきよしさんの背中をおしてくださいました。
美濃屋のご主人(四郎兵衛)を演じた青山良彦さん、大久保伊織役の篠田三郎さん、お美弥役の星由里子さんが紹介されたのですが、なかでも篠田さんのことばがこころにのこったのです。
「氷川さんを1か月半、間近でみさせていただいて。
毎日、お芝居と歌のステージで、いったいどこで食事をしているんだろうというくらい休み時間がないのに、全身全霊でとりくむ姿に、ファンの皆さんの応援する気持ちがわかりました。
わたしも氷川さんのファンになりました」
と。
篠田さんの言葉に、わたしも篠田さんと同じ思いだったことを感じたのです。
デビューしたきよしさんをみつめているうち、あんなにがんばって大丈夫なんだろうかと、気になって気になって、気づいたらファンになっていたのですし、2002年に、大阪の新歌舞伎座のスタッフの皆さんが”きよし座長”のためにと奮闘する姿に、”氷川きよし”のすべては生きている伝説になると確信して、いつか”天晴れHK伝説”というタイトルで、きよしさんがくださった感動を書きとめたいと思わせていただいたのでした。
ここで西寄さんが、
「それでは、われらが氷川一座のきよし座長です!」
ときよしさんを紹介されると、きよしさんは客席に、そして共演者の皆さま、楽団の皆さま、ダンサーの皆さま、そして支えてくださったすべのスタッフの皆さまへの感謝を述べられました。
「稽古から1か月半。
皆さんと家族のようにすごさせていただきました。
お仕事なんですけど、でも皆さんが(お仕事を超えて)気持ちで演ってくださっていることを感じて。
こころって大切なんだってことをあらためて感じた1か月でした。
すごく楽しくて...。
すごく別れるのがさびしい...」
きよしさんはそこまでおっしゃると絶句され、その瞳から涙があふれだしたのです。
星さんがそっとハンカチで涙をふいてくださいました。
きよしさんは涙をこらえながら、
「これから、また皆さん、それぞれがんばっていらっしゃると思います。
どうぞお体に気をつけて、がんばってくださいね。
30代最後の年にこのような舞台で皆さんと共演させていただけて感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
そして、応援してくださったお客様、ほんとうにありがとうございました」
とおっしゃったのです。
ここで西寄さんが、
「この日いちばんの拍手を、きよし座長に!」
といってくださると、大きな拍手がまきおこったのです。
そして、
「最後は、きよし座長らしく、『きよしのズンドコ節』でお別れしましょう」
と。
そこで、少し小さな声で、きよしさんに、
「(歌にいって)大丈夫ですか?」
とおたずねになると、きよしさんは大きくうなずかれたので、
「それではタイトルコールからお願いします!」
と西寄さんがきよしさんにバトンをわたされると、
きよしさんは、思いきり大きな声で、
”「きよしのドドンパ」!”と(笑)。
大げさでなく、ドドーッと音をたてて笑いがおこったのです。
きよしさんたら、お茶目すぎます!
でも、同時にそんなきよしさんに頼もしさを感じて、さらにさらに嬉しさがあふれたのです。
「きよしのズンドコ節」、きよしさんがときおり、客席にマイクを向けられたので、客席に歌声がひろがって、皆で一緒に唄っていました。
”きよし座長”のくださった感動への感謝の思いがこもった歌声が明治座いっぱいに響いたのです。
舞台の上にはダブルキャストの子役さんも勢ぞろい。
西寄さんも、役者の皆さまも、HKピュアリバ―の皆さまも、ダンサーの皆さまも、笑顔、笑顔、笑顔...。
客席も笑顔の花が満開!
そのたくさんの輝く花々を、われらがきよし座長は誰よりも幸せそうにみつめておられたのでした。
終演後は出待ちをしました。
出待ちだけでもと早くからならんでおられた方が多数おられたのですが、腰をおろせるスペースに快くいれていただけて、わたしも出待ちに参加することができました。
出演者の皆さんがそれぞれお帰りになるのを見送らせていただいて...。
きよしさんをのせた車がいよいよ明治座さんをでられたのです。
久松警察署からも誘導にパトカーがきてくださって(なにしろきよしさんは署長さんですものね!)、きよしさんをのせた車は名残を惜しむかのようにゆっくりゆっくり走ってくださったのです。
手前に西寄さんがきよしさんをさえぎらないように、身を小さくして乗っておられるのがみえました。
9時30分ころでした。
きよしさんのお父様の”きよしのファンの皆さんのために晴れてほしい”との強力なお祈りのおかげでしょうね。
午後からはずっと雨が降らなかったのです。
笑顔でうなずきながら手をふるきよしさんの輝くような笑顔がこころにしみました。
こんなに素敵な人に出会て、ファンになることができて、今ここにいられて、わたしはなんて幸せなんだろう!
そんな思いで、帰途についたのです。
※以上、駆け足での更新で失礼します。
しばし3日締切の仕事に没頭しますので、次の更新は5日以降になりそうですが、日々、からだをいたわりつつ、仕事に没頭しておりますので、心配しないでくださいね。