9月14日に越谷サンシティホールでおこなわれたコンサートの夜の部に参加させていただきました。
コンサートの内容は、その日のきよしさんの歌唱への感動を中心に先の記事に書いていますので、この記事では書ききれなかった”ふれあいコーナー”ときよしさんと司会の西寄ひがしさんのトークをメモをたよりに記憶のままに書いてみたいと思います。
その日、日刊スポーツに笹森文彦さんの「歌っていいな」の第100回にきよしさんが登場(過去にも登場されていますが)。そのことについて西寄さんがインフォメーションされると、
きよしさんは客席にむかって、
「みてよ~」
と(笑)。
そして、
「僕がいったこときいてよ~(読んでよ~)」と懇願され(?)、40歳になってますますの甘えんぼさんぶりを発揮されたのです(笑)。
そんなきよしさんのおかげでますますうちとけたムードになったとことで”ふれあいコーナー”はスタートしました。
おひとりめの当選者は1階23列におすわりの茨城からお越しの方。
きよしさんはステージに西寄さんとともに正座されて臨まれました。
きよ友さんとふたりでお越しになったということで、何年くらいのおつきあいなのかと西寄さんがおたずねになると、最初は7年とおこたえになったのですが、その後、
”10年だったかな。すいませ~ん、あがっちゃって”と。
わかります。
わたしもKさんと何年のおつきあい? ときかれたら、即答できないくらい(ドドンパ祭りのときなのですが)、当たり前になっているのですもの(笑)。
きよしさんはそんなおふたりのやりとりをご覧になって、
「僕、皆さんが僕を通じて知り合われて親しくされているのをみると、幸せな気持ちになって。
口のなかが甘くなるんですよ」
と。
そんなきよしさんに、それは”初恋のキスの味?”と西寄さんが問いかけると、
「それはレモンの味!」
と即答されたきよしさんでした。
FC限定の石垣島へ旅したDVDについてお書きになられていたのでその話題に。
「ファンの皆さんと一緒に旅しているようにと、つくらせていただいています。
でも、あのときは意外とゆっくりではなかったですね~。
撮影の前に台湾にいって1泊して、その足で石垣島にいきました。
僕のいとこのお姉ちゃんの一家がだんなさんのお仕事で台湾からミャンマーに転勤することになって。
台湾のときのように簡単にはいかれないので、台湾にいるうちに皆にあっておきたかったんです。
母の姉のこどもなんですけど、その子どもの”○ックン”がかわいくて。
僕、生まれたときからずっとしっているから、”きよし、きよし”っていってくれて、かわいいんですよ~」
と。
そして、ミャンマーのイメージを言葉で表現されたのですが、
“ええとイイン?”
西寄さんが、即座に”寺院”、
さらに、”オケサ”っていうんですか?”
には、”袈裟”でございます。”オケサ”は佐渡ですよ”と、同時通訳されたのです(笑)。
でも、通訳なくてもわたしたちにはちゃんとわかりますけれども。
そんなきよしさんに、
「あのときは台湾から石垣島にいらっしゃったんですよね。
でも意外と元気でしたよね~」
と西寄さんがおっしゃると、
「いや、疲れてました。
でも、西さんの顔見たら、元気出たんですよ」
と真顔できよしさんはお答えになったものですから、
「きよしさん、大好き!」
と西寄さんがひとことおっしゃったのです。
すると、
「僕も好きですよ。だって好きじゃないと一緒にできませんよ」
ときよしさんがお答えになって、皆、ほんわかした思いになったのです。
おふたりめの当選者は2階2列の方。
8月のお誕生日に93歳になられたということで、息子さんがメッセージを代筆されておりました。
きよしさんは、
「素晴らしい、表彰状をさしあげたいです」
とおっしゃり、さらに健康の秘訣をおたずねになったのですが、耳が遠いそうで、息子さんの説明に、
”わっかんないよ~”
とその方のお声がマイクをとおしてきこえてきて、場内大爆笑となりました。
質問は、”きよしくんはこんなおばあちゃんでも好きになってくれますか?”というものでした(喜)。
きよしさんは、うんうんとうなずいてきいていらしたので、きよしさんはどんなふうにお答えになるのかしら?
とわたし、ドキドキしていたのです。
「人間として大好きです」
きよしさんはゆっくりと大きな声でその方が聞きとれるようにおっしゃったのです。
そして、ちょっぴり照れくさそうに、
「恋愛感情も少しあります」
と。
そして、
「素敵な人っていくつになっても素敵じゃないですか」
とおっしゃたので、そんなきよしさんのまごころのこもった言葉と振る舞いに、素敵だなあと感じておりました。
縫物をされていて、つくったバッグを以前はマーケット(市民マーケットのようなところでしょうか)に出品されていたのですが、今はマーケットがなくなったそうで、バッグがたくさんたまっているのだそうです。
きよしさんは
「お手伝いさせていただきたいですね。お宅にうかがって、僕が家の前で売ってね」
とおっしゃっていました。
沖縄で空き時間に入ったおソバ屋さんで、急きょ厨房をお手伝いされたきよしさんですから、お近くだったら間違いなくそうされたでしょうね。
もし、そんなことになったら、バッグは何個あっても即完売ですよね(笑)。
また、「碧し」の話題になると、
「僕、GReeeeNさんに、レコーディングのときもお会いしてないんですよ。
GReeeeNさんのスタッフの方がレコーディングに立ち会われたので、実はこの方がGReeeeNさんじゃないのかなって思っていましたけど。
GReeeeNさんのコンサートって4万人もの人が集まって。
映像をながすんですよね。
僕、GReeeeNさんのこと、これまで存じていなくて、たくさん映像をみさせていただいて。
思想があるなって思いました。
それが若い人たちつたわって、とても支持されているんですね。
僕もそういうこころある歌をこれから唄っていきたいです」
とお話しされたのです。
そして、西寄さんのトークをうけて「風の男」から、「ちょいときまぐれ渡り鳥」までを唄われると、ラストトークとなりました。
きよしさんは、たいせつな思い出を語られたのです。
「皆さん、お元気でいてくださいね。もし、僕が皆さんのお近くだったら、健康管理とかしてさしあげたい思いです。
きよしさんは
「お手伝いさせていただきたいですね。お宅にうかがって、僕が家の前で売ってね」
とおっしゃっていました。
沖縄で空き時間に入ったおソバ屋さんで、急きょ厨房をお手伝いされたきよしさんですから、お近くだったら間違いなくそうされたでしょうね。
もし、そんなことになったら、バッグは何個あっても即完売ですよね(笑)。
「僕、GReeeeNさんに、レコーディングのときもお会いしてないんですよ。
GReeeeNさんのスタッフの方がレコーディングに立ち会われたので、実はこの方がGReeeeNさんじゃないのかなって思っていましたけど。
GReeeeNさんのコンサートって4万人もの人が集まって。
映像をながすんですよね。
僕、GReeeeNさんのこと、これまで存じていなくて、たくさん映像をみさせていただいて。
思想があるなって思いました。
それが若い人たちつたわって、とても支持されているんですね。
僕もそういうこころある歌をこれから唄っていきたいです」
とお話しされたのです。
きよしさんは、たいせつな思い出を語られたのです。
「皆さん、お元気でいてくださいね。もし、僕が皆さんのお近くだったら、健康管理とかしてさしあげたい思いです。
家の修理も!
僕、そういうの好きなんですよ。
高校を卒業してすぐに上京して、最初は西新宿の四畳ひと間のアパートに住んでいたんですけど、そのアパートの向かいの長屋に独り暮らしされていた○○○○○○○さんという方がよくしてくれました。
東京のおばあちゃんというか、おかあさんのような存在で、ある日も、電話がかかってきて、
”雨漏りしてるから来て!”っていわれて。
僕、釘や工具を持っていって、トタンの屋根のはがれたところを打ってなおしたんですよ。
そうしたら2階もっていわれて、いってなおしてあげたんですが、今度は床が抜けて(笑)。
僕、そういうの好きだったんです。
亡くなって4年とか5年になるのかな...。
そのおばちゃんが亡くなったときはガクンときましたね~。
”あんた、何、あの衣裳!”とかね、なんでも”ツケツケ”いってくれて(笑)。
大切な人が亡くなって、(たいせつな)居場所が(ひとつ)なくなったようで」
と。
「今日は僕の歌を真剣に聴いてくださって、嬉しかったです。
僕の励みになります」
と、あまりにもまっすぐなまなざしでおっしゃったのです。
三連休、わたしは仕事ですが、がんばります。
そして、きよしさんは来週は東北ツアーですね。
と、ごめんなさい。
「氷川きよし節」のこと、書けませんでした。次の記事で出雲後日談とともに欠きますね。