おはようございます。
いよいよ大阪行きの日がやってきました(喜)。
夜の部に間に合うようにゆっくりめの出発ですが、ツアーファイナル前夜を、大阪フェスティバルホールできよしさんと皆様とすごさせていただきます。
大阪に1泊して、明日は昼夜2公演讃歌させていただきますので、また現地からご報告させていただけたらと思っています。
と、そういえば昨日はそのために仕事、終日がんばれました~。
話し手と聴き手の、呼吸も心も一体になれた朱鷺にだけ生まれる感動をわたしもいただいたのです。
そして、仕事でバタバタしているわたしのもとに、大阪での、ニューアルバム「新・演歌名曲コレクション6-碧し-」売記念イベントの会場の様子が堺のUさんから!
会場のツイン21アトリウムは、借景まであって素敵なスペースですね。
できるなら前日から大阪にいって、イベントにも参加させていただきたかったですが、仕事でかなわず。
でもこころはいつも一緒ですもの!
父親が娘に゛プロ=職人゛になることの厳しさを説きながら、励ましたその言葉に、わたしは、きよしさんの苦闘がうかんだから...。
苦悩して、苦労をすればするほど、人の心がわかるようになり、゛心の歌゛が唄えるようになるのだという件をきいていたら、涙があふれてきたのです。
゛半分以上が実話゛とおっしゃっているのは、ストーリーや人物設定というよりも随所のモチーフに、西寄さんがご覧になってきた様々なエピソードが盛りこまれているのかもしれませんね。
西寄さんは夜の部で「父娘の演歌道」を語り終え、いったん舞台袖に戻られました。
ステージは暗転して、後方スクリーンに、物語をプレイバックするようなイメージフォトがエンドロールとして写し出される、゛終゛の一文字でしめくくられると、ステージの照明がつき、西寄さんが拍手に包まれて登場されたのですが、ご挨拶されるほどに涙が...。
あれほど涙された西寄さんをみたのは、わたしには、きよしさんのファーストコンサートツアーの最終公演、かつての新歌舞伎座のステージ以来のことでした。
2002年12月25日、司会者としてきよしさんと二人三脚で、ツアーをゴールインしたあの日のように、西寄さんのなかで、また新たななにかが大きく動きだしたのでしょうか。
ひとこと発して涙、ふたこと発してまた涙の西寄さんでしたが、森進一さんの付き人兼司会をされ、きよしさん、水森かおりさんはじめ事務所の皆様の司会をされるなかで感じていたことをお話しされたのです。
西寄さんはこれまでの司会者人生で、歌手の皆さんが、苦しいときにもファンの声援や応援に励まされて、力をみなぎらせる様を目の当たりにしたことがあったというようなことをおっしゃっていたかと思います。
歌手の皆さんも生身の人間ですから、体調が思わしくなく立っているのもやっとだったり、大きな悲しみに見舞われ気持ちがしずんでいることもあるかと思います。
それでもステージに立たなければならず、西寄さんはそんな歌手の皆さんを、司会者としてかける言葉もないままにステージに送り出されたこともおありだったのでしょう。
大丈夫だろうか?
と、ステージ袖で見守って...。
西寄さんは、歌手の方がファンの声援と拍手に包まれた瞬間、息を吹き返したように輝きを放ち歌唱されるという奇跡のような様を目の当たりにされたと、そういうことをおっしゃりたかったのかなと、西寄さんの言葉を反芻して、勝手ながら少し拡大解釈してこのようにうけとめさせていただいたのです。
なぜ、わたしがこのようなことを書いているかというと、西寄さんはあの日、ご自身でそのことを体感され、そのことを伝えようとされたのだと感じたから。でもこころはいつも一緒ですもの!
そして、堺東のヤマブキレコードさんのディスプレイ写真も、ご主人のご了解をえて、送ってくださいました。
※ご主人のハンパない”きよし愛”を感じて胸熱くなります。
文末に、22日に文化放送メディアプラスホールでおこなわれた西寄ひがしさんのトークライブでのことを。
西寄語り第4弾の「父娘の演歌道」をきいていて、わたしはとりわけ昼の部で、西寄さんは夜の部で大号泣したのです。
西寄語り第4弾の「父娘の演歌道」をきいていて、わたしはとりわけ昼の部で、西寄さんは夜の部で大号泣したのです。
苦悩して、苦労をすればするほど、人の心がわかるようになり、゛心の歌゛が唄えるようになるのだという件をきいていたら、涙があふれてきたのです。
゛半分以上が実話゛とおっしゃっているのは、ストーリーや人物設定というよりも随所のモチーフに、西寄さんがご覧になってきた様々なエピソードが盛りこまれているのかもしれませんね。
ステージは暗転して、後方スクリーンに、物語をプレイバックするようなイメージフォトがエンドロールとして写し出される、゛終゛の一文字でしめくくられると、ステージの照明がつき、西寄さんが拍手に包まれて登場されたのですが、ご挨拶されるほどに涙が...。
あれほど涙された西寄さんをみたのは、わたしには、きよしさんのファーストコンサートツアーの最終公演、かつての新歌舞伎座のステージ以来のことでした。
2002年12月25日、司会者としてきよしさんと二人三脚で、ツアーをゴールインしたあの日のように、西寄さんのなかで、また新たななにかが大きく動きだしたのでしょうか。
ひとこと発して涙、ふたこと発してまた涙の西寄さんでしたが、森進一さんの付き人兼司会をされ、きよしさん、水森かおりさんはじめ事務所の皆様の司会をされるなかで感じていたことをお話しされたのです。
西寄さんはこれまでの司会者人生で、歌手の皆さんが、苦しいときにもファンの声援や応援に励まされて、力をみなぎらせる様を目の当たりにしたことがあったというようなことをおっしゃっていたかと思います。
歌手の皆さんも生身の人間ですから、体調が思わしくなく立っているのもやっとだったり、大きな悲しみに見舞われ気持ちがしずんでいることもあるかと思います。
それでもステージに立たなければならず、西寄さんはそんな歌手の皆さんを、司会者としてかける言葉もないままにステージに送り出されたこともおありだったのでしょう。
大丈夫だろうか?
と、ステージ袖で見守って...。
西寄さんは、歌手の方がファンの声援と拍手に包まれた瞬間、息を吹き返したように輝きを放ち歌唱されるという奇跡のような様を目の当たりにされたと、そういうことをおっしゃりたかったのかなと、西寄さんの言葉を反芻して、勝手ながら少し拡大解釈してこのようにうけとめさせていただいたのです。
話し手と聴き手の、呼吸も心も一体になれた朱鷺にだけ生まれる感動をわたしもいただいたのです。