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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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”歌と出逢って。皆さんに出逢って...。氷川きよしの居場所をみつけられた気がしています” 1年ぶりの仙台でのコンサートでのきよしさんの言葉にしらずと目頭が熱くなりました。

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「僕のふるさとは九州・博多ですが、歌手になってからはコンサートの、皆さんと一緒にすごす゛この時゛がふるさとだと思うようになりました。
歌と出逢って。
皆さんに出逢って...。
氷川きよしの居場所をみつけられた気がしています」
きよしさんの言葉をきいていたらしらずと目頭が熱くなったのです。
仙台サンプラザホールでのコンサート、夜の部のことでした。

きよしさんはそうおっしゃるとステージ上手寄りにおかれたソファにすわって、「わたしのふるさと」を唄ってくださったのです。
昼の部でこの曲を唄われていたときに、次第に涙声になっておられたきよしさんは、間奏のあとの最後の2フレーズを、たちあがってステージセンターに移動されて歌唱されたのですが、夜の部もそうでした。


こんにちは。
明日はニューアルバム「新・演歌名曲コレクション7-勝負の花道-」の発売前日ということで、新橋SL広場で午後7時から発売記念イベントが開催されますね。
天気予報も、現段階で傘マークが消え、曇マークになっています(嬉)。
東京、名古屋、大阪と応援のバトンをつなげて、感動を全国、世界へとひろがっていきますように!
明日は高田文夫さん、夏木ゆたかさんのラジオ番組に生出演され、イベント開催というスケジュールのようですね。
わくわくしています。

ただわたし、明日は、仕事の繰り合わせが難しそうで...。
午後、銀座の山野楽器さんでアルバムを受けとったら、都内のスタジオに移動して仕事に専念。
もし間に合わないときは、渡り鳥のごとくSL広場に、こころを飛ばして一緒に応援したいと思います。

そして、堺のUさんからおしらせいただいた「J-POP TALKIN'」(NACK5)でのきよしさんのインタビューが興味深くて。
音楽評論家の田家秀樹さんの考察はしなやかで鋭く、共感しました。
来週も登場されるそうなので、少し前の京都、大阪での番組や、週末の倉富あき子さんの番組はじめ地元九州での番組などなど。
最近のきよしさんが出演されたラジオ番組を後日ふりかえってみたいと思っています。

さて、先の記事に西城秀樹さんを悼んで「情熱の嵐」を熱唱されたことを書かせていただいていますが、わたし、気が遠くなりそうなほどに感動したのです。
そして、昼夜とも昨年の明治座さんでの座長公演で共演させていただいた星由里子さんへの思いも語られ、夜の部では、そのながれであまりにも正直な思いを言葉にされたのでした。
そのことはこの記事のなかで書いていきますが、きよしさんはデビュー以来、ずっとそんな思いを抱えていたのでしょう。
それでも、応援し、待っているファンがいるから今日までがんばってきてくださったのですね。
わたしは、きよしさんの言葉に胸が痛くなり、いろいろな思いがわきました。
きよしさんにどんな言葉をかけたらいいんだろう...。
そんな迷いを孕んだ思いもわいてきて。
このブログも書きはじめて10年目にはいり、β版移行の前にアーカイブ作業をしてみようかと考えていたので、きよしさんへの答えをその作業のなかで探してみようと思います。
アーカイブ作業のことは今週あらためておしらせしますね。

そして、コンサートのご報告の前に、「ミュージックフェア」(2004年5月8日放送)で共演されたときの映像をYouTubeで公開されていらっしゃる方がおられましたので、よろしかったらこちらからどうそ。
最後にふたりで「情熱の嵐」をデュエットされています。
悲しいお別れがやってくる日のことなど思いもしなかった、このときの楽しかった思い出がよみがえりますね。





さて、それでは以下は昨日、仙台サンプラザホールでおこなわれたコンサートのことをながれにそって書いてみようと思います。
今年は10月に明治座さんで1か月座長公演をおこなうので、東北でのコンサートはこの日の仙台のみということで東北各地の方が多数お越しになっていて、約1900席の会場は昼夜とも全席完売、大入満員だったのです。
「宮城、いいところ! 仙台、最高!」
と昼の部で開口一番におっしゃったきよしさんでした。

グリーンのマタドール(闘牛士)を想起させる衣裳で「男花」からスタートする”リズム歌謡”のコーナーで、「男花」でまとっていたローブを脱ぎ捨て、2曲目の「咲いてロマンティカ」を唄われますが、きよしさんはローブが一瞬スムーズに脱げなかったのですが、あとで、脱ぐことを一瞬忘れてしまったのだとおっしゃっていたのです。
そう、それはきっと、3曲目に「酔わせてオルホ」を歌唱されたあとに、西城秀樹さんへの追悼と思いを込めたメッセージと「情熱の嵐」を唄われることになっていたからなのでしょう。

きよしさんはコーナーの3曲目の「酔わせてオルホ」をステージ上手側で唄いおえると、ステージセンターにもどられ居住まいを正され、
「僕も大変に影響をうけた西城秀樹さんがお亡くなりになられました。
とても悲しいです。
西城さんのリズム歌謡は僕も大好きです。
西城さんは素晴らしい歌を遺してくださいました。
勉強して、これからも唄い継いでいきたいです」
と昼夜ともおっしゃいました。
そして、昼の部では、”西城さんのように多くの方に愛される歌手に僕もなりたいと思います”と、決意にも満ちた思いを言葉にされていたのです。

 「情熱の嵐」のイントロがながれだすと、その音に身をまかせるようにして全身でリズムをとりなかをら唄い出されたのです。
めくるめく氷川節のその向こうに在りし日の西城さんの歌声が、姿が、そしてその情熱あふれる魂が、よみがえり、仄みえて...。
わたしは感動にふるえて気が多くなりそうでした。

わたしの主観かもしれませんが、夜の部では水中を泳ぐ魚のようにしなやかさをまし、後半は西城さんが同化されているのでは? と思うほどにキレッキレのセクシーでスタイリッシュな振り付けが激しさをましたのです。
そんなきよしさんを目の当たりにして、わたしは以前共演したときに、西城さんは”氷川くんと唄うと今の(時代の)曲に聴こえる”と、きよしさんの歌唱を絶賛してくださったことが思い出されて...。
その時代の空気、観客の完成までもが今のわたしたちの歓声と重なって響くように感じたのです。
2コーラス唄いおえると、”♪イェ~、イェイ イェイ、イェイ イェ~~!”とさらに唄われて...。
”西城さんに届け”というきよしさんの叫びのような思いを感じて、胸がギュッとつまるような思いになったのです。
忘れ得ぬ感動でした。
すでに以前からだったのかもしれませんが、このコーナーでは登場されたときから少し長めになった前髪を垂らして、そしてかなり明るい茶色になった髪がファサッファサと軽やかに舞うように揺れたのです。


イメージ 1
※全身ボードです。

「東北大好き! がんばっぺ!」
きよしさんは「勝負の花道」を唄われると、司会の西寄ひがしさんをまじえてのオープニングトークでご挨拶されると、嬉しそうにそうおっしゃり、仙台にも1年に一度といわずもっと来たいのだという思いを言葉にされたのです。
夜の部ではその思いがいっそう高まったようで、
「東北に来たいですよね。僕、スケジュールがあけば、無理くりいきますよ~」
とおっしゃられたので、嬉しさいっぱいの拍手がおこりました。
石巻にお友だちがおられこともお話しされ、”一緒にがんばっぺ!”と東北の方たちを励まされていましたが、そう、前後しますが、わたしはこの日のきよしさんが歌唱された「白雲の城」にも深く静かに感じ入っていたのです。
きよしさんは22日の新会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)でのコンサートのために熊本を訪れた折、熊本城をご覧になられたそうで、より深まる思いがあったのでしょうか。
これまで何度も聴かせていただいている曲で、折々に感動をいただいてきましたが、あらためてその世界を体感して、無常を感じて寒々としたのでした。
奇しくもこの日の”ふれあいコーナー”で「白雲の城」にまつわる質問があり、興味深いお答をきかせていただいているので、そこでまたふれますね。

西寄さんが、きよしさんの西城さんへの思い、そして「情熱の嵐」の素晴らしさをあらためて言葉にされると、
「訃報がつづきまして...。昨年6月に1か月間明治座さんで共演された星由里子さんが亡くなられました」
と星さんのことを話題にされると、きよしさんは、
「すごく残念です。星さんには煮物をいただいたり。公演が終わったあとも食べ物をいただいたりしていたんです。あのときももしかしたら体調がよくないのにがんばってくださっていたのかなって思って...。
僕、なにもできなくて...。
舞台稽古からずっと一緒ですから、(共演する皆さんと)家族みたいになってくるんですよね。
星さんのこころに感謝して、この芸道、芸能の道を歩んでいかないといけないなって思います」
と、語っておられました。

そして、夜の部ではさらに、
「お世話になった先輩方の思いを感じながら、命ある限り唄っていかないといけないのかなって思いますけど...。
正直、やめたいと思うことも...ありますね~。
20周年を機にちょっとやめたいかなって思ったり...。
でも応援してくださる皆さんがいらっしゃると、がんばろうという気持ちになれるんですよね」
きよしさんは笑顔になってそうおっしゃると、
「でも休みたいような...」
とまたひとこと(笑)。
本音の本音が飛び出して...。
もう、きよしさんたら、またまたそんなことを。
でもそんな思いがうかぶことも人間だからあって当然ですよね。
こうしてこそっと言葉にだせるのだから深刻な思いではないとわかっていても、わたし、あなたのそんな言葉に胸がつぶれそうになるのです。

以前、10周年のときの思いを語られていましたね。
皆におめでとうっていっていただいたけれど、嬉しさよりいつまでがんばればいいんだろうと思われたと。

きよしさん、新しい冒険の旅に備えて、氷川きよし号だって、ときには港に停泊してもいいんじゃないかしら。
そう思っています。
でもあなたが走りつづけるなら、わたしもまた走りつづけるのみ!
あなたのこころのままに。
それがファンのいちばんの幸せなのですもの。

この日のきよしさんの歌声には迷いも澱みもなく、それこそ一点の曇も感じられないみごとなものでしたが、そんなきよしさんのこころもまた揺れることもあって。ふだんは押しとどめているそんな思いをふと口にだしてくださったのだなあと感じて...。
変な意味ではなくて、こころからありがとうと抱きしめたくなったのです。


イメージ 2
※満員御礼のボードがありました。


10月の座長公演の話題になると、きよしさんは、
「昨年に引き続きやらせていただきます。
ほんとうは10年に1度くらいがいいかなって思うんですけど(笑)。
1カ月公演は体力的にも精神的にも大変で、2回公演のときは、意識が遠のいて、”自分て誰だったっけ?”って思ったりして(笑)。
でも、皆さんが応援してくださるから、僕、がんばれるんですよ。
だからぜひいらしてくださいね。
チケットも高額で申し訳ないです。
まあ、僕が決めたわけではないんですけどね」
と。
そこで西寄さんが、どんな演目かを質問されると、
「ええと、僕が演じるのは旅役者の...、なんでしたっけ?」
ときよしさん。
「『母をたずねて珍道中 お役者恋之助旅日記』!」
と西寄さんが演目のタイトルを大きな声で西寄さんがよみあげると、きよしさんが、
「ああそうでしたか」
とおっしゃったものですから、
「おたくが座長でいらっしゃいますよ」
と冷たく西寄さんがおっしゃったので、大爆笑(笑)。

そしてニューアルバムの紹介をされたのです。
「勝負の花道~音頭」では、きよしさんがアカペラで、
「♪トトントトン トトントトン 走~り、だしたあら~ トトントトン...」
と唄われ、西寄さんが踊ってくださったのですが、昼夜ともそのうち、”メロディーをなぞるようにして、”トトントトントン トトントトンと唄われ、ノリがよくてノンストップ状態になってしまったので(笑)、
「誰かとめてくださいっ!」
と西寄さんがおっしゃったので、きよしさんは唄うのをやめたのです(笑)。
もう、ずっと唄っていてほしかったのにっ!

また、前の日から仙台入りされていたようで、朝、鬼太郎のガチャガチャをみつけて、きよしさんがトライしたそうです。
「僕、鬼太郎のガチャガチャに400円もつかっちゃって!」
とおっしゃるきよしさんを、
「でも、すごいんですよ。だってひとつめに出たのは?」
と西寄さんがフォローされると、一転、嬉々として、
「はい。ぬりかべ。2回目はええと、なんでしたっけ臭いの。あっねずみ男ね。おならが黄色くて臭いんですよね。でも嗅いでみたいけど(笑)」
とニオイフェチ的発言をされ、
「3回目が目玉おやじが出て。
それで次は鬼太郎が出てほしいなあって思ったら、鬼太郎がでてきたんです」
ときよしさん。
そのガチャガチャは全4種類だそうで、4回のトライでコンプリートされるなんて、きよしさん、すごいですね。

昼の部の”ふれあいコーナー”のおひとりめは2階席におすわりの15歳の女子高生。好きな女性アーティストはリトルグリーモンスターだそうで、おばあちゃんとおばさんと一緒に会津からお越しくださったということでした。
昨年のFC限定コンサートのDVDで、「限界突破×サバイバー」と「碧し」を歌唱されているきよしさんをご覧になって、大ファンになられたそうです。
質問用紙には、”いつもかっこよいのはどうしてですか? これからも素敵でいてください”と書かれていたので、客席から、ヒューヒューと冷やかしの声があがったので、きよしさんは照れくさそうにV(サインをされました(笑)。
そして、素敵なメッセージに嬉しくなったきよしさん、
「じゃあ、唄いましょうか。ね? 『限界突破×サバイバー』と『碧し』、どっちがいい?」
とおっしゃったのです。
すかさず西寄さんがどちらの曲もPCにカラオケがはいっていることを確認されると、
”「限界突破×サバイバー」”とのお答えがあり、スタッフが急きょ準備をすることになりました。
きよしさんは、
「1コーラス、2コーラス、2ハーフ、どれがいい?」
と問われ、
「料金はどれも同じです」
との西寄さんの言葉に、
「無料です!」
ときよしさん(笑)。

準備にまだ時間がかかるということで、先に次の方のメッセージを読むことになりました。
3階席におすわりで仙台市からお越しの89歳の方。
年に一度仙台でのコンサートいらっしゃるそうで、昨年は1階の前のほうの席だったそうです。
きよしさんが、
「遠くからすみませ~ん」
とおっしゃると、”いえ、仙台市です”とおっしゃったので、場内大爆笑。
きよしさんはずっこけて、ロング丈のジャケットの裾が両肩にかかり、きよしさんはお気づきではなかったのですが、ショート丈の不思議なシルエットに(笑)。
西寄さんが気づかれて整えてくださいました。
一緒に「きよしのズンドコ節」を唄ってくださることになり、きよしさんがイントロを最初の最初から口三味線で奏でてくださり、西寄さんに、
「えっ、そこからですか?」
といわれても、どこ吹く風でイントロに集中されていたきよしさんだったのです。
スローテンポでたっぷりとした歌唱でしたが、おきれいなお声!
そして、ひと区切りついたものの、さらにつづけようとひと呼吸おいて、きよしさんが、「♪位向こう横丁の」と唄いだされると、その方が、”ありがとうございました”と絶妙なタイミングでおっしゃったので、西寄さんが、”進行上手でいらっしゃる”と絶賛。
そして”来年もコンサートに来たいです”とおっしゃるその方に、きよしさんが萌え~。
「○○○さん、かわいいっ! 僕、大ファンになりました。ありがとう~」
とおっしゃったのです。

ここで、準備が整ったということで、テレビサイズの「限界突破×サバイバー」を熱唱してくださったのでした。
もう、最高!!!
熱い歌唱でした。
これからますますさまざまな入口から”氷川きよしワールド”に、新しいファンの皆さんがいらしてくださることでしょう。


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※会場のそこここにきよしさんのポスター!
笑顔のきよしさんがお出迎えしてくださっていました。



”ふれあいコーナー”がもりあがりにもりあがったところで、「勝負の花道」のカップリング曲「俺ら江戸っ子 浅太郎」と「柔道」を唄われると、ふるさとへの思いを言葉にされ、
「コンサートで皆さんとすごすこの場所が僕のふるさとです」
と前置きされ、ソファにすわって唄いだされたのですが、後半は涙があふれて...。涙声になりそうになるのをこらえて唄ってくださっていました。
「♪君がえがく夢 誰とつながり 美しく強く 輝けよと願う ここがわたしのふるさと ああ、ふるさと」
と唄われたとjころで、きよしさんはスッとソファから立ち上がり、ステージ中央に進まれて最後の2フレーズを歌唱されたのです。
夜の部でのことはこの記事の冒頭に書かせていただきましたが、昼の部で、そのこころのままに、最後はソファーからたちあがって、ステージセンターにたって歌唱されたきよしさんに、東北の皆さんへの深く熱い思いを感じて、胸がいっぱいになりました。

きよしさんは、ラストトークで来場のお礼をおっしゃると、
「僕も自分なりに精一杯やっていきますので、皆さんもどうかお身体に気をつけて!」
と、励ましてくださったのです。


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※駐車場の屋上にツアートラックを発見!

夜の部で、ニューアルバムの紹介をされていて、この日、唄ってくださる「郷愁月夜」の話題になると、さだまさしさんが、仙台銘菓の萩の月をさしいれてくださったことをお話しされたのです。
「月といえば、さだまさしさんから、萩の月、いただいたんですよ。さださんは、”生さだ(今夜も生でさだまさし)”の放送があるので宮城に来ていらっしゃるんです。3箱もいただいて。ありがたいですね。
そう、『郷愁月夜』は萩の月を唄ってものなんですよ。だから仙台の歌ですよ~」
と、思いついたようにきよしさん(笑)。
初耳です(笑)。
そこから一気に収録曲のタイトルをおっしゃると、昼の部に引き続き、「勝負の花道~音頭」は、アカペラで太鼓の音までいれて唄ってくださり、西寄さんが踊ってくださったのですが、やっぱり心地よくってとまりません(笑)。
「誰かとめてください~」
と西寄さんがおっしゃって、ストップしたのです。

ここで、アルバムをよろしくとおっしゃろうとして、”アバルム”になってしまったきよしさん。いいなおしたら、さらに、”アブラム”に(笑)。
西寄さんに、「あぶらげじゃないんですから」
といわれると、
「すみませ~ん。ええとニューアルバムの発売は5月29日。”ゴー肉(ニク)”の日です!」
とまとめてくださいました。

さて夜の部の”ふれあいコーナー”のおひとりめの当選者は、3階席におすわりの仙台市内の方。ご主人と一緒に来場されたということでした。
「寄り添い合って何年ですか?」
とのきよしさんの問に、あと数年で50年とのお答え。
さらに、
「仲が良いほうですか?」
との質問には、”良い方だと思います”とのお返事がかえってきたのです。
メッセージに”今日は忘れられない日になります。なぜなら初めて生のきよしさんに会う日だからです”というようなことが書かれていました。
デビュー当時からきよしさんのことをしっていたのですが、”茶髪にピアスなんて無理!”と思われたままで(笑)、昨年闘病されていたときに、YouTubeで日本有線大賞でのきよしさんをご覧になってファンになられたのだそうです。
”見向きもしなかった18年を悔いています”とおっしゃっていました。
質問用紙には、”「白雲の城」をどんな唄っているときはどんな心情ですか?”と書かれていたかと思います。
きよしさんは少し考えてから、
「別に」
とひとこと(笑)。
「沢尻エリカさんじゃないんですから」
との西寄さんのリアクションに、
「どこをどうしようかということは考えていないですね~」
としみじみときよしさんがおっしゃったので、
「無心でということなんでしょうね」
と西寄さんがまとめてくださいました。

”無心”...。
誰にでもできることではありませんが、そんなきよしさんの歌唱だから、聴くほどにこころ洗われる思いにしてくださるのでしょう。

その方はいくつかの病をかかえていらっしゃるそうで、この日もご主人に付き添ってきていただいたそうで、ご主人も少しだけお話しされました。
おふたりにはお子さんが4人いらっしゃり、お孫さんが11人ということで、毎年にぎやかなお正月をすごされていることをお話しくださったのです。

きよしさんは質問用紙にじっとみつめて、ご夫妻のご苗字を確認されると、
「○○さんご夫妻がますます幸せでありますように。○○○さんにパワー贈ります」
とおっしゃり、3階席のその方にむかって、
「ハッ!、ヨイショ!」
と元気玉を贈られたのでした。

つづいての当選者は2階席におすわりの中学1年生の男の子でした。茨城からお母さんとそのご親戚と一緒にいらしたそうで、
”僕もきよしさんのような、皆に笑顔を届けられるような歌手になりたいです。どうやったらなれますか?”と、質問を書かれていました。
きよしさんは、笑顔で、
「ええと...、簡単になれます!」
とまずお答えになったのです。
ええっ、ほんと? という客席の反応もキャッチされたようで、
「なりたいって思って、努力して感謝しつづけていたらなれるんじゃないかと思います」
と、さらに力強くおっしゃいました。
わたしは、以前、”夢を持ち続けるのも才能”といってくださった方のことを思いだしたのです。
きよしさんの発する言葉はほんとうに宝石のようですね。
こうしてブログを書くことでメモをもとにつないでいくと、その美しさにあらためて感動するのです。
だからこのブログもやめられないのでしょう。

そして、一緒に「きよしのズンドコ節」を唄いましょうということになったのですが、なぜかご家族の方たちが、”やめておけ~”と(笑)。
でも、きよしさんが、やっぱりイントロを口三味線で奏でられ、その男の子の歌唱がスタートしたのでした。マイペースなテンポと音程で唄われる様子に客席がざわつくと、
「いいのよ~」
ときよしさん。
そして、部分一緒に唄われる、今度は”♪向こう横丁の~”あとも一緒に唄われたのです。
その男の子に、
「個性的でよかったよ。
いい歌だった!」
ときよしさんがおっしゃったので、そのあたたかさ、優しさに涙がでそうになりました。


このあと、かねふくさんの明太子の話題を西寄さんがされると、”明太マヨ”の”CMソングを唄ってくださり、その勢いで、黒豆ココア、ムヒ、日本赤十字社、チオビタドリンク、ハートフォード生命、チャーミーリブ、ブルーダイヤと一気にナマCMメドレーをしてくださいました(喜)。

きよしさんは夜の部のラストで、
「おかげさまで、今年デビュー19年目に突入しました。
来年の20周年で20歳になって、やっとスタートという気持ちです」
とおっしゃっていたのです。
そして、
「東北の皆さんのおこころに届くような歌を唄っていきたいと思います。どうぞ皆さん、お元気で」
と結ばれたのです。

こちらは萩の月。
新幹線のなかでいただきました。

イメージ 5
※新幹線の車中で写メしたので色調がオレンジがかっていてごめんなさい。


終演後は仙台駅に向かいました。
余裕があるはずの時間でしたが、実際はかなりギリギリになってしまったのです。
それで、終演後の時間から考えてきよしさんはもっとあとの新幹線に乗られるのだろうとホームに行くと、キャッ、きよしさんがすでにホームにいらっしゃったのです。
ステージでみるより、ずっと髪の色が明るい茶色でした。

きよしさんたちが乗車される車両より少し前の車両の席をとっていたのですが、そこでお友だちのTさんやHさんがのりあわせていて。
今回、一緒にいくはずだったKさんがお家の事情で参加できなくなり、ひとり参加だったので、帰りはお話しもたくさんできて、にぎやかでした。
わたしは、途中駅で下車するので、皆さんを見送ったあと、ダメモトでと、そのままホームにのこって、きよしさんの車両が目の前にくるのを待ったのです。
ホームの柱にさえぎられて、きよしさんの車両の様子がみえなかったので、きよしさんがどのあたりにすわっておられるかわからなかったのです。
すると、その車両が目の前にきたのですが、発車前に、ホームでお見送りしていた方たちの様子を驚いてご覧になっていたようで、そのままブラインドをあけておられる方がちらほら。
ホームにひとり立ち尽くしていたわたしは、あいているブラインドにきよしさんの姿を探しましたが、笑顔の見知らぬ人たちばかり。
その方たちは一様にわたしもきよしさんのファンなのだろうなと合点され、笑顔で手をふってくださる方まで(汗)。わたしもその方たちに会釈しながら、きよしさんはもしかしたら反対側の席か、もう発車したのでブラインドをおろされたのだろうと思ったのです。
そうしたらその瞬間、きよしさんの姿が!
きよしさんはブラインドをさげずに、まだホームの様子をきにかけてくださっていたのです(喜)。
わたしは、思わず”あっ!”と声をだしていたのではないかと思います(汗)。
昨年の「きよしこの夜」の大きな赤いバッグをもっていたことが幸いしたのでしょう。
きよしさんは気づいてくださり、左手をあげてくださったのです(嬉)。
そう、それなりのスピードがでていたので、手を振る余裕はなかったのですが、幸せな時間でした。

そして、この日の素晴らしい歌唱とパフォーマンス、そしてまごころの言葉とともに、きよしさんの優しいまなざしがこころにのこったのです。


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