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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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氷川きよしが今宵歌う、極上のラブソングこそは”永遠の愛の歌” 「NHK歌謡コンサート」の観覧にいってまいります。

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こんばんは。
昨夜、きよしさんのCD曲目リストを更新しました。
わたしのカウント方法での曲数ですが、1月末に届いたFC限定の「Kiyoshi  Special concert 2015 ~Kiyoshi's Summer~」(CD)に収録されている24曲をそれぞれライブ版として、通し番号のあとに”Live Ver.”と付記していれたところ、新曲「みれん心」とカップリング曲3曲までで、オリジナルもカバーもそれぞれ211曲、合計422曲となりました。
”422”という膨大な数字にあらためて驚かずにはいられません。

今夜、きよしさんは「NHK歌謡コンサート」に生出演されますね。
絶好調の新曲「みれん心」の生放送での初歌唱に期待でドキドキしていますが、バレンタインデーがちかいからでしょうか? 今回のテーマは”愛の告白 ラブソング集”。
極上のラブソングを特集。
スペシャルゲストの田中麗奈さんが朗読する愛の告白で名曲がつづられていくそうですが、トップバッターはなんと、きよしさんなんですね。
そして、歌ってくださる曲が「君こそわが命」。
番組HPに歌唱曲が公表されたそのときから、胸がいっぱいのわたしです。
今夜は、NHKホールでの観覧に参加させていただきますので、またご報告をさせていただければと思っています。

きよしさんは、師匠の水森英夫先生のお宅にうかがって、レッスンをうけてから生放送に臨まれると、先日のイベントでおっしゃっていましたね。
その際、自分で自分の背中(後ろ姿)はみえないから、迷ったとき、悩んだときに師匠がいてくれることのありがたさについてもあらためてお話しされていましたが、今夜の歌唱を誰よりも楽しみにされているのは、長良じゅん会長なのだろうなあと、勝手ながら想像しています。

この機会に、過去にこのブログで書かせていただいた3つの記事の部分を、この記事でアップさせていただこうと思います。
「君こそわが命」については、これまでに折々に書かせていただいていますが、あまりにも”思い入れ”があり、ほんとうに、わたしの人生においての、たいせつな曲なのです。

そして、以下にアップする記事を整理していたら、「君こそわが命」は長良じゅん会長にとってはもちろんのこと、”氷川きよし”にとっても運命の1曲であるのではないかという思いを強くし、また今や、この”永遠のラブソング”自身が、”氷川きよし”にこそ歌ってほしいと望んでいることを、これもまた勝手ながらですが、感じています。


それではさかのぼって、過去にアップした3つの記事から...。

【コンサートで】
2010年6月29日の渋谷C.C.Lemonホールでのコンサートでのこと。
その年のツアーでは、”演歌名曲コレクション・リクエストコーナー”という企画がありましたが、その日、きよしさんは水原弘さんの「君こそわが命」を歌ってくださったのです。
その前日のコンサートで「黒い花びら」を聴かせていただき、「黒い花びら」がこんなに素晴らしいのなら、30代になったきよしさんの歌う「君こそわが命」は、どんなに素晴らしいものだろう。アルバムに入っていないので、このコーナーでの歌唱はなくても、また聴きたいなあ。でもいつ聴けるのかなあ...。と、そんなことを考えたのでした。
だからまさかその翌日に「君こそわが命」を歌ってくださるなんて! きよしさんにありがたさでいっぱいの私でした。
 

※以下はそのときにアップした記事です。参考までに記事のアドレスも付記しておきますね。

私が最後にきよしさんの歌う「君こそわが命」を聴いたのは2006年の11月29,30日の両日、新宿厚生年金会館で開催された、ファンクラブ限定のデビュー7周年記念コンサートでだったと思います。その前は2002年のきよしこの夜 Vol.2で歌ってくださっていて、ビデオやDVDで聴くことができますが。
私は実は皆さんに参加していただいて、「演歌名曲コレクション」の中からコンサートできよしさんに歌ってほしい曲の投票をできたらいいなあと少し考えたのですが、その時にアルバムには入っていないけれども、私は1曲というのなら「君こそわが命」しかないんだけどなあ、なんて一人で思っていたのです。
2002年のファーストコンサートツアーの時、毎回、きよしさんが水原弘さんのことをお話しするコーナーがあったのです。
正確なやりとりではないかもしれませんが
西寄さんが「でもきよし君はこの世界に入るまで水原弘さんのこと、ご存知なかったでしょう?」
というようなことをおっしゃると
「いいえ、知ってます」
と答え、お父さまが水原弘さんがお好きで、お風呂でよく歌っていたので、よく知っているのだというようなお話をされるのです。
そして、「君こそわが命」の出だしをきよしさんが歌ってくださるのです。
♪あなたをほんとは さがしてた 汚れ汚れて 傷ついて 死ぬまで逢えぬと 思っていたが
たしかここまでだったかと思います。
ここまで歌うと、西寄さんが
「ストップ! 今日はここまでです」
と止めていらしたので、”今日は”ということはいつかフルコーラス歌ってくださるのかしら? それはいつ? と思っていたものです。
水原弘さんの熱烈なファンだった私の母は、一緒にコンサートに行って、そのコーナーでのやりとりを見て、
「長良社長(今は会長)のお気持ちがうれしい。水原弘は幸せだったんだなとあらためて思えたよ。そしてきっと水原さんは自分が長良社長にお世話になってご恩が返せなかった分、天国から氷川きよし君を応援してくれていると、今日、感じたわ」
と、とてもこのコーナーに感動していたことが思い出されます。
1年間、毎回毎回、必ずこのやりとりをされていたことと思います。そして満を持して年末の「きよしこの夜 Vol.2」で解禁ということで、歌ってくださったのでした。
この時は、心がふるえて、涙がぼろっぼろっとこぼれました。
ただただ純粋にその歌声に感動しましたし、まだファーストコンサートツアーを終えた年でしたので、まだまだ少年のような面立ちのきよしさんの底知れぬ歌唱力に、この方はこれからどれほどの高みに登られるのだろうと、氷川きよしという類まれな歌手と出会えたことに、興奮してカーッとからだが熱くなるのがわかりました。


【「NHK歌謡コンサート」で】
2012年6月12日のこと。
5月3日に長良じゅん会長が不慮の事故で旅立たれ、心に深い悲しみをかかえての歌唱でした。

※以下はそのときにアップした記事です。参考までに記事のアドレスも付記しておきますね。

NHKホールで、氷川きよしさんが歌う「君こそわが命」を聴かせていただきました。
皆さま、「NHK歌謡コンサート」の放送をご覧になりましたでしょうか? 
センター階段の上にスッと立たれた凛としたきよしさんの立ち姿にすでにうっとりさせられてしまいました。
ひと節、ひと節にきよしさんのあたたかな心が感じられて、その豊かな歌声にその真摯なまなざしに、切なくなるほど感動したのです。
CDでオリジナルの水原弘さんが歌われたものはもちろん、美空ひばりさんやフランク永井さんをはじめ名だたる歌手の方がカバーされたものも何曲か聴いたことがありますが、この日のきよしさんの「君こそわが命」を聴いて、いいなあ、好きだなあと思ったのでした。
「君こそわが命」をきよしさんが歌われるのを聴いたのは初めてではありませんでしたが、これまで私が聴かせていただいた中で、もっとも魅力を感じたのです。
そして不思議なことに、そんなきよしさんの歌声を聴いていたら、私の遠い日の記憶がよみがえってきたのでした。
小学生の頃だったでしょうか。
母と一緒に何かの歌番組を見ていた時でした。
「水原弘というすごい歌手がいたんだよ。一時期は低迷したけど『君こそわが命』という歌で復活して、”奇跡のカムバック”と言われたんだけど、その後からだを壊して若くして亡くなったの。
『君こそわが命』という歌はね、プロの歌手の人でもよほど自信がないと歌えない難しい歌なんだよ」
と、私に水原弘という歌手の存在を母が教えてくれたのでした。
母がそんなに大好きだった水原弘という人はどんな歌手なんだろう? 「君こそわが命」ってどんな歌? ”奇跡のカムバック”って? そんなことを子ども心に思ったその日のことが、突然思い出されたのです。
あの遠い日には、将来その「君こそわが命」を、私が氷川きよしという歌手に出会い、自分がいちばん好きなそのきよしさんのカバーで聴かせていただけるなんてもちろん思ってもみなかったのですが、きよしさんのおかげで、歌に描かれた主人公の心を感じることができたのです。
どれほど時が経っても少しも色褪せることのない真実の愛、永遠の愛が「君こそわが命」という歌に宿っているのですね。
そういえば終演後の”歌のプレゼントコーナー”で、きよしさんは「君こそわが命」について、
「歌の命を感じました」とおっしゃっていました。
きよしさんは歌に宿っている命の輝き、ぬくもりを感じながら歌ってくださったのですね。
歌の命。その歌を作り、愛した人たちの命もまた歌の中で共に生きているのでしょう。
そしてその歌に共鳴する魂を持つ歌手が歌った時、それらの命がきらきらと輝き出すのではないでしょうか。
きよしさんのその言葉からそんなことが想像されて、またじんときてしまった私でした。

さて、今回のオープニングは西郷輝彦さんで「君だけを」を歌われ、きよしさんは次に登場されましたが、私、今回の観覧は3階席からでしたので、ふだんは見えにくいものまでしっかり見えてしまったのです(喜)。
西郷さんがワンコーラス目を歌い終えられたくらいのところで、舞台の遥か後方を下手からセンターへと進む2つのシルエットが目に入りました。後からついていらしたスラリとしたシルエットがきよしさんだとすぐに気づいたので、そのまま様子を見つめていたのです。
センターの階段には裏側にもステップが付いているようでしたが、きよしさんはセンターのステップの後ろ側に立つと、肩を前後左右に少し動かされていました。そして首を左にくっと曲げられて深呼吸をされたかと思ったら、ステップをサッと数段軽やかに昇られてセンター階段の上にスタンバイされ、西郷さんの歌に微動だにせず聴き入っておられる様子でした。
まだテレビは西郷さんだけを映している時でしたので、きよしさんにはスポットライトもあたってはいませんでしたが、静かに前方を見据えたそのたたずまいに、これから聴かせていただく「君こそわが命」を思って、息を呑んだのです。
私はこの時、自分の視界に入った一連のきよしさんの所作に、きよしさんの緊張感と同時に決して揺らぐことのない歌への思い、そしてそれゆえの余裕をさえ感じ、頼もしく思えたのでした。
西郷さんが歌い終えると、きよしさんが映し出されましたが、皆さんもご覧になられたように素敵な笑顔でしたものね。すばらしい集中力です。


【長良じゅん会長の訃報に】
長良会長ときよしさんが初めて会ったのは1999年2月25日のことだったそうです。
長良会長の語録を書かせていただいた記事もありますので、よろしければお読みくださいませ。

ちなみに、この画像は”チャレンジステージ”がおわったあとの長良会長ときよしさんとの楽屋でのショットです。

イメージ 1


※以下は当時アップした記事です。 参考までに記事のアドレスも付記しておきますね。

それはのちのインタビューで長良会長ご自身が、
『忘れもしません。1999年2月25日。私が初めてきよしと会った時、着ていた洋服は青いセーターだった。後から聞いた話ですが、あのセーターは私と会うために、なけなしのカネをはたいて買ったそうです。』
とお話しされていました。
そのインタビューは「サンデー毎日 2005年3月27日号」の”ファンも知らなかった 氷川きよしが大泣きした夜”というタイトルの記事で、村田久美記者によるものです。
充実した内容で掲載当時とても印象に残っていたので、今回その掲載誌を読み返してみたのです。

とりわけ印象に残っている談話のいつくかを書きとめてみました。
☆スターを育てることについて
スターを見つけだして育てる。私も芸能界で何十年と歌手のマネジメントを手がけてきましたが、素質を見抜くのはとても難しい。
でもスター性を持っている人と出会うと、ある主のオーラというか”匂い”を感じる。
独自の感覚なんですが、きよしと初めて会った時、"目”に強烈なエネルギーを感じた。うそがない、正直な男だと。それが歌に表れていて、汚れがまったくない。
そのへんが"匂い”だったのかもしれません。

☆「箱根八里の半次郎」のデビューキャンペーン
「箱根八里の半次郎」でデビューする前、CDは売らずに、店頭で1曲歌うだけ。それを徹底させたのです。
彼にしてみれば長い下積みを経て、ようやく決まった晴れの舞台。
なのに、股旅姿で歌うのは、正直しんどかったと思う。でも私はあえてこう言った。
「きよし、笑われれば笑われるほど、世間の皆さまに認知されて、売れるんだよ。だから私のやることを信じてついておいで」
歌手を売り出すのは大きな賭けで、失敗すればリスクも大きい。
私が水原弘(故人)のマネージャーをしていた頃、1967年に「君こそわが命」という歌で、カムバックを果たした時の手法と同じです。
当時、水原を支えてくれた世代なら、氷川を受け入れてくれるに違いない、という勝算はありました。
99年暮れにJR巣鴨駅前にある小劇場に、飛び入りで出演をさせてもらった。客層はおじいちゃん、おばあちゃんばかりが100人ほどいたと思う。「箱根八里の半次郎」を1曲歌わせてもらったんです。そうしたら、拍手喝采で大喜びしてくれた。
その光景を見て、
「これはいけるぞ」と手ごたえを感じました。年配の方には支持されると確信しました。
あとは、若い世代にどういう形で浸透させられるか。
たしか浅草のレコード店での出来事でしたが、若い茶髪の20代前半くらいの女の子が、きよしを指して「何あれ、バカみたい」と笑い転げた。
その声を聞いて「勝った」と思った。
ふつうにこぶしを利かせて歌っていたのでは、誰も振り向いてくれませんからね。
「何あれ」と、言ったのは、興味を抱いてくれた証拠でもあるんです。

☆プロ歌手とは
うわべで歌う歌手は大勢いる。きよしにはそうなってほしくはない。
私が思うプロ歌手とは、
(1)歌うこと、聞くことの両方で音に対して勘が良い。
(2)詩を理解して、自分らしさを表現できる力がある。
(3)自分の置かれている状況を判断して、周囲への気配りができる。
この3点です。
よく歌舞伎の世界では、役者が素晴らしい演技をすることを「腹に芝居を落としている」と、言います。
歌の世界に置き換えるなら「腹に歌心を落としている」と、なるでしょう。
きよしにお願いしたいのは、いつまでもプロ歌手としての姿勢を貫いてもらいたい、ただそれだけです。

2004年、猛暑と忙しさから体調を崩し、コンサートを延期することになったことがありましたね。
その時、長良会長は、きよしさんに雨宿りしているキリンの写真のコピーを渡されたのです。
このエピソードは、きよしさんご自身も語っておられたことがあるのでご存知の方も多いかと思いますが、そのことについて長良会長はこのようにお話しされています。
『きよしは責任感の強い男だから背負い込んでしまう。
だから、「焦ってはいけないよ」という意味をこめて、1枚の写真のコピーを渡しました。
(中略)
謎かけでもあるがどういう反応が返ってくるかでその成長の度合いもわかる。
その写真は「1頭のキリンが、草原の中に1本だけ生えている大きな木の下で、雨宿りをしている」。
そんな素敵な光景なんです。
「きよし、これはキリンが雨宿りしている写真だ。デビューしてから走り続けているんだから、たまには雨宿りする時だってあるよ」
と励ました。
(中略)
非凡な才能を持つ少年のことを”麒麟児”といいますし、字は違いますが”騏麟も老いぬれば駑馬に劣る”ということわざ(註:「戦国策」斉策から。すぐれた人も年老いると働きが劣り、凡人に及ばなくなることのたとえ)がある。
自分を麒麟児と思って高慢になるか、今の人気はいずれは老いる時もあると、自分を戒め精進するか――。
それは本人の受け止め方次第です。
でも、私はきよしを信じています。』

そして恋愛のことについてもお話しされていました。
『人間だから、人を好きになるのは当たり前ですし、それを抑えようなどということは私はしませんよ。
人を好きにならなかったら、うわべだけの歌になってしまうし、芝居もできない。
願わくば、本当にいい人を好きになってもらいたいね。
どちらかと言えば、相手に惚れられるよりも、きよしが惚れて苦しむほうがいい歌が歌える(笑)。
本人とそんな話をしたことはありますよ。親子みたいに何でも話し合う仲ですからね』
と。

そういえば、きよしさんが「一剣」を歌い始めて少したったころ、長良会長が刀のレプリカと小さな合掌造りの古民家のオルゴールをプレゼントされたことがあったそうで、その贈り物については、きよしさんが、
『「一剣」を歌っていても、その詩の世界とはまたく違う都会生活を送っている。
だから、この刀を見て、日本の武道の美しさと精神を忘れないように。
そして古民家を見て、日本のふるさとの美しさとそれを思う気持ちを忘れないように』
長良会長のそんな思いが込められた贈り物だったと、語っておられましたね。


それでは皆様、また今夜、お逢いできますように。



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