皆さま、こんばんは。
今夜も鹿児島ですごしています。
鹿児島県日置市・伊集院文化会館から生放送された「NHKのど自慢」、ご覧になりましたか?
新年度になって初の「NHKのど自慢」ということで、セットやオープニングの演出などがリニューアルされていましたね。
昨日の記事では、きよしさんの曲を歌唱されて合格されたかたについて書くのを控えましたが、養豚場を営む男性の「愛しのテキーロ」と、柔道をがんばっている中学生の女の子が歌ってくださった「白雲の城」、個性的で素敵。
男性のほうはだいぶあがってしまったと、終演後にもおっしゃっていましたが、きよしさんは、「愛しのテキーロ」を自分以外のかたに歌っていただくのを聞くのははじめてと、とてもとても喜ばれておられました。
終演後のアトラクションが終わり、出待ちをしてきよしさんをお見送りしたあと、鹿児島市内のホテルにもどって、仕事をしなくっちゃと、PCや資料の準備をしていたら、ふきつけるような激しい雨がふってきたのです。
少し前からの天気予報で、今日は雨模様になりそうと覚悟していたので、ホテルにもどるそのときまで傘をささずにすみ、鹿児島空港に到着して以後、気候もあたたかくとても快適にすごさせていただけたことに、あらためて感謝したのです。
※これから少し個人的な出来事を書きます。
アトラクション&出待ちのことは、”のど自慢の鐘の楽譜”の画像のあとに書いていきますね。
※今朝7時ころの会館前。
座席引換のための列ができていました。
9時から入場整理券を座席指定券と引き換えることになっていました。
鹿児島中央駅発5時55分の始発で出かけるつもりでしたが、挫折し、次の6時35分発(40分の間があきます)の電車に乗り、会場には7時半近くに到着したのですが、すでに長い列ができていたのです。
NHK鹿児島放送局の局長さんが放送前のご挨拶でおっしゃっていましたが、応募総数が1万4500通あり、当選枚数は500枚だったので、倍率は28倍だったそうです。
わたしは、結果がわかる前に飛行機やホテルの予約をしていたので、今さらながらヒヤリとしたのでした。
また、出場応募者は1075だったので、出場されたかたは50倍の競争率だったそうです。
座席引換を待っている間、地元・日置市在住のかたとお話がはずんで...。
そのかたも、きよしさんの大ファンで、わたしが東京から来たことがわかると、”座席指定券を引き換えたあと、11時の開場時間までどうされるのですか?”と遠慮がちにお聞きになられたのです。
駅前のレストランにでもいこうと思っていることを話すと、”これから用事があって道の駅までいくのだけど、その途中の桜が満開なので、よかったらご覧になりませんか?”とお誘いくださいました。
わたしが今日あったばかりなのによいのかしら? と,
とまどっていると、
”わたしの町の桜、ぜひみてほしいと思って。これもきよし君とのご縁のような気がして”
とのこと。
農家を営んでおられるその方が、桃の花を届けるために、今日もこれから道の駅にいくことになっているということでしたので、お言葉にあまえて、車に乗せていただきました。
会館から車で15分くらい走ったころでしょうか。
満開の桜がみえてきたと思ったら、桜、桜、桜...。
どこまでもつづくのでは? と錯覚しそうになるほどでした。
そのかたが「男花」のCD(「新・演歌名曲コレクション2」からでした)をかけてくださったので、きよしさんの歌声が心地よく響くのを聴きながらひたすらにみつめた、息を呑むほどに美しい桜は、凛として咲き誇っているような力強さを感じさせてくれたのです。
きよしさんが見せてくださった桜なんだなあ...。
わたしはしみじみとそう感じていたのです。
だって、きよしさんに出会わなかったら、この町にくる機会はなかったのではないかと思いますし、ましてや、同じファンだということでのご厚意だったのですもの。
ね、きよしさん、そう思っていいでしょう?
※実際に番組で使用していた鐘だそうです。
横に楽譜があるので、たたかせていただきました(喜)。
そのかたと、連絡先を交換していて、ふたりでびっくり!
それは、下の名前が字も読み方もまったく同じだったのです。
わたしの名前って、使う字が珍しいので、これまでにも出あったことってなかったのですが、そのかたもまったく同じ思い。
偶然といえばそれまでかもしれませんが、当のふたりはゾゾッとするほど感動し、ふたりで、きよしさんに感謝したのです。
出会いの不思議さをしみじみ感じるできごとはもうひとつあったのです。
昨日、予選会を観覧したあと、駅までの道を地元の高校生の女の子に聞いたところ、道を簡単に説明してくれると、”わたしも駅のほうにいきますから、ご一緒します”といって、15分ほどの道々、いろんな話をしたのです。
あとで思えば女優の堀北真希さんに似たかわいらしいかたでしたが、はじめたあったのに、年齢もだいぶ違うのに、なんだかまだまだ話していたい思いになって...。
駅に着いても、なんだか別れがたく、改札の前でたわいのない話をしたのでした。
”あの、じゃあ、いきますね。今日はどうもありがとう”
ひきとめても申し訳ないと思い、そういいました。
”明日の朝、会場に歩いていくとき、おしえていただいた近道からいきますね”
すると、
”わたし、道とか説明するの下手だから、大丈夫でしょうか...”
と。
わたしは、
”大丈夫。もし迷ったら、今日の道に戻るから”
といい、そのかたのうしろ姿をみおくって、翌日の心配までしていただいたこと。駅の改札は2階なのに、一緒に階段をのぼってきてくれていたことにも気づいて、ありがたさでいっぱいになりました。
※鐘の楽譜です。
番組の放送が終わると、小田切千アナウンサーが、”もっと、もっと~”、まだまだ~”と音頭をとってくださったので、きよしさんはじめステージの皆さんは大きく大きく手をふってくださって(笑)。
舞台監督さんともどもOKサインをだされると、限界まで手をふることになってしまったきよしさんは手をぶるぶるっとふるわせたのです(笑)。
どんなときも一生懸命すぎるきよしさんの様子に、客席から思わず笑いがこぼれていました。
放送終了後は、特別賞を受賞されらかたたちのそれぞれのお名前の紹介がありました。
10年前、17歳のときに、クラスメイト総勢30数名であのステージで「サウスポー」を歌い踊ったということで、そのときの担任の先生も応援に来場され、制服は当時のもので、サイズも大丈夫だなのだそうです。
”ずっと仲良しで、元気で、100歳になっても「サウスポー」を歌います”と約束してくださいました。
そして優勝された日置市役所の男性の「花」、わたしは前日、予選で聴かせていただいて、優勝されるとかそういうことはわかりませんでしたが、もう一度聴きたいと思っていた歌声でした。
優勝されたかたは、ワンコーラス歌うことになっているそうで、もう一度歌ってくださいましたが、”まだ優勝したなんて信じられません”っとおっしゃっていました。
放送でも紹介されていましたが、種子島のご出身で、高校を卒業されると熊本で大学生活を送り、社会人になって以後、日置市役所で働くことになったそうです。
今日は種子島からお母さまがお越しになっていました。
「生まれ育った種子島もよいところですが、日置市は自然に恵まれ、なにより”人がいい”」とおっしゃった言葉に、たった2日のことながら、わたしも大きくうなずきました。
「生まれ育った種子島もよいところですが、日置市は自然に恵まれ、なにより”人がいい”」とおっしゃった言葉に、たった2日のことながら、わたしも大きくうなずきました。
ゲストコーナーとなり、最初にMay J.さんが登場し、「木綿のハンカチーフ」と、「異邦人」を歌ってくださいました。
衣装は放送時に着用されていた軽やかで鮮やかなワンピース。
「NHKのど自慢」へのゲスト出演は今回で2回目。
「楽しくて楽しくてまたぜひ出たい。呼んでください」とおっしゃっていたのです。
「楽しくて楽しくてまたぜひ出たい。呼んでください」とおっしゃっていたのです。
4月20日の「うたコン」に出演されると、小田切アナウンサーからインフォメーションがありました。
つづいては、きよしさんの登場でした。
きよしさんは衣装をローズピンのスーツにチェンジされ、エリは黒のサテンのラウンドカラー、シャツは白、靴は黒のエナメルです。
歌ってくださったのは「箱根八里の半次郎」でした。
歌い終えると、小田切アナウンサーとトーク。
「愛しのテキーロ」を歌ってくださった男性に、
「リハーサルではバッチリでしたけど、本場もよかったです」と、選曲してくださった嬉しさを言葉にされ、お礼をおっしゃったのです。
「リハーサルではバッチリでしたけど、本場もよかったです」と、選曲してくださった嬉しさを言葉にされ、お礼をおっしゃったのです。
また、「白雲の城」を歌ってくださったかたは、現在13歳。柔道をがんばっていらっしゃるののこと。
きよしさんは、
「13歳だったら、僕の娘でもおかしくない年齢ですね~」
と。
そしてお手製のうちわについては、写真がずいぶん昔の、きよしさんが20代のときの写真であることを一応おっしゃっていました(笑)。
そのかたは、きよしさんの大ファンで、お部屋中きよしさんのポスターが貼り、”きよし部屋”とネーミングしていることを、小田切アナウンサーが紹介されると、
「そのポスターがはがされないよう、僕もこの世界でがんばろうという思いになります」
と、きよしさんはおっしゃり、
なかば唐突に(思えました・笑)、
「(僕に)技、やってみて」
とおっしゃったのです。
どうしたらいいのかな? と、とまどっているそのかたに、
「さわっていいよ」
ときよしさんはおっしゃって...。
”エイッ!”
と、声まではわたしには聞こえませんでしたが、きよしさんを背負い投げ(投げとばすまではしませんが)してくださり、きよしさんのからだが一瞬、宙にうきました(喜)。
小柄なかたなのに、ものすごい瞬発力だと感心せずにはいられませんでしたが、驚きつつも誰よりも嬉しそうなきよしさんでした。
そんな彼女の得意技は”大外刈”なのだと小田切アナウンサーがフォローされていたのです。
そんな彼女の得意技は”大外刈”なのだと小田切アナウンサーがフォローされていたのです。
そして、「皆さん、よろしかったら、”きよしコール”をお願いします」
と、きよしさんはひとことおっしゃってから、「きよしのズンドコ節」を歌ってくださいました。
ワンコーラスめは下手、2コーラスめは上手側へとぐっと移動してくださったので、下手寄りの席にすわっていたわたしは、さらにさらに夢見心地になったのです。
そして、”きよしさん、わたしを今日、この場にこさせてくださってほんとうにありがとうございます”と、心のなかでなんどもなんどもいわせていただいていました。
※伊集院文化会館の客席図です。
終演後は、その日知りあったかたが駅まで車で送ってくださると、わたしの席まで来てくださいました。
わたしが出待ちしようと思っていることを申しあげると、一緒に、初の“出待ち”をしてみたいということになり(喜)、駐車場のほうへ移動したのです。
係のかたがポールでくぎったスペースで待つようにと誘導してくださっていたので、そのまま楽しくお話ししながら、きよしさんを待っていました。
わたしが出待ちしようと思っていることを申しあげると、一緒に、初の“出待ち”をしてみたいということになり(喜)、駐車場のほうへ移動したのです。
係のかたがポールでくぎったスペースで待つようにと誘導してくださっていたので、そのまま楽しくお話ししながら、きよしさんを待っていました。
歓声がきこえてきたと思ったら、ブルーに白で”霧島”と書かれたバンが!
May J..さんの笑顔がみえました。
さらに待つこと数分。
さきほどの歓声の何倍も大きな声が聞こえてきて。
やはりブルーに”霧島”と書かれたブルーのバンがあ近づいてきました。
きよしさんは窓を開け、左右にいるファンを交互にみてくださったのです(嬉)。
そして、右折すると、”ああ~いっちゃった~”と周囲の皆がため息をついたのですが、わたしは走りゆく車の窓から気よしさんがさらに高く大きく手をふってくださっていることを見逃しませんでした。
あのときは夢中でしたので、今、思うと、恥ずかしいのですが、ものすごく大きな声で、
“みて~! あんなに大きく手をふってくれてるっ!!”
といってしまいました(汗)。
きよしさんは、手をギリギリまで上にのばして、見えなくなるまで、ずっとずっと手をふってくださっていたので、わたしはきよしさんのお気持ちがありがたくて、涙がでそうになりました。
すると、その日知りあったかた(もうお友達ですが)は、もう涙ぐんでおられたのです。
なんか、こんなところまで似てるみたい。
そう思ったら、笑いがこぼれてきたのです。
伊集院駅まで、車に乗せて送っていただき、お別れしました。
昨日はかわいい高校生のかたに、今日はきよしさんファンのかたに送っていただいて...。
はじめて訪れた町なのに深い深いご縁を感じたのです。
きよしさんがきっかけをつくってくださり、つないで結んでくださったご縁に、感謝し、そして感動せずにはいられませんでした。
※以上、とりとめなく思いのままに書いてみました。
今夜は仕事がんばって、明日は夕方まで鹿児島ですごさせていただきます。
きよしさんは明日は岩国でコンサートですね。
岩国にはいったことがないのですが、仕事でお世話になっている素敵なかたが岩国出身。
そのかたから岩国の魅力を聞いて、あこがれているので、いつか(やっぱりきよしさんのコンサートのときに)いってみたいです。
参加される皆様、最高に素敵なきよしさんと、素敵な時間をおすごしくださいませ。