昨日、4月30日に浅草の木馬亭で開催された「西寄ひがしトークライブ~初~」、昼夜、参加させていただきました。
”1年分、笑いました~”と、終演後、お見送りしてくださった西寄さんに申しあげたのは、夜の部に一緒に参加したわたしの母。
みなで、思いきり笑って、そしてあふれる感動に涙がぽろぽろとこぼれたのです。
この日は90分間おひとりで語るというスタイルのトークライブでしたが、司会者として活躍されている西寄さんにとっても単独で90分間語るというのは初体験。
お客様に喜んでいただけるトークを90分つづけられるのだろうか?
と、司会者として20周年をむかえた西寄さんにとって、大きな挑戦だったそうです。
西寄さんのトークは語るほどになめらかに名調子になっていき、客席は笑いと涙であふれかえりました。
昼は2時間を、夜は2時間半を優に超えたのでした。
そして、昼の部の終演後、第2弾が8月12日に決定!
とのサプライズのおしらせがあり、嬉しさに号泣される西寄さんと一緒に万歳をして祝しました。
そして、昼の部の終演後、第2弾が8月12日に決定!
とのサプライズのおしらせがあり、嬉しさに号泣される西寄さんと一緒に万歳をして祝しました。
※朝の木馬亭
当日券を求めるかたの列ができていました。
この日のために半年前から準備をはじめたとおっしゃっていましたが、西寄さんのトークを、長良じゅん会長がお好きだったお寿司にたとえさせていただくなら、この日のためによりすぐった最高の”ネタ”の数々を、西寄さんはあざやかな手さばきで真心こめて握り、わたしたちに最高の状態で饗してくださったのだと、わたしは感じたのでした。
”歌謡ショーの司会”という仕事は誰にも譲りたくない。
それは生涯をかけての仕事。
だからこそさまざまな挑戦をして、”語りの可能性”を広げ、またそれを”司会”という仕事にフィードバックさせたい。
西寄さんは、そんなふうにおっしゃっていたかと思います。
そして、ライフワークとして、西寄がたり”(正式な表記は不明です。漢字になるかもしれませんのでその旨ご了解くださいませ)をつくっていくことを考えられたそうです。
西寄さんが敬愛する笑福亭鶴瓶師匠からアドバイスをうけてそろったネタはなんと126!
今回のトークライブでは、そのなかからスタッフとともに三分の一ほどにしぼりこみ、そのお題がステージ下手側のモニターに映しだされました。
客席からのリクエストに応えて、西寄さんかそのお題について語ってくださるというスタイルですすみました。
今回のトークライブでは、そのなかからスタッフとともに三分の一ほどにしぼりこみ、そのお題がステージ下手側のモニターに映しだされました。
客席からのリクエストに応えて、西寄さんかそのお題について語ってくださるというスタイルですすみました。
お客様から寄せられたメッセージや質問、エピソードも紹介され、客席と一体感がどんどんましていったのです。
わたしは、笑いと笑いの間隔がどんどん狭まっていって、西寄さんが”あっ!”と声をあげただけでも笑ってしまいそうな”笑いの飽和状態”のようになっておりました(笑)。
そこで”西寄がたり”の説明があり、第1回は”未来への「心の旅」”と、タイトルが紹介されたのです。
お正月に帰省された折、同級生のみなさんに了解をとられたそうですが、中学3年生のときの合唱コンクールのエピソードを中心に、中学3年生の”西くん”(西寄さんの本名ですね)、尾形大作さんの「無錫旅情」が”十八番”の担任の先生や個性あふれる同級生が大活躍。
やる気のなかった西くんのクラス(3年3組)のみんながさまざまな困難をのりこえて、心をひとつにしてコンクールでチューリップの「心の旅」を歌うのです。
西寄さんの向こうに、会ったことがないはずなのに、イキイキとみなの顔がうかび声が聞こえてきます。
夜の部には大分からご両親がお越しくださっていたので、折々に、”ねえ、かあちゃん”とおかあさまに向けて(ときにはお父さまにも)、語りかけておられましたが、”ほとんど実話”なのだそうです。
西寄さんには大親友のふたりがいるのですが、ふたりはクラスの”二大イケメン巨頭”。学校にいくのに、西寄さんの家に集合して3人で登校するのですが、7時45分に”西く~ん”と呼ばれてはじめて起きて支度をする日々で、歯を磨いて顔を洗うだけでなくお風呂にはいることも(笑)。
女子の人気を二分する”二大イケメン巨頭”のふたりを10~15分待たせていたのだそうですが、それには西寄さんには朝起きられない理由がちゃんとあったことを、わたしははじめてしりました。
それは、ラジオの深夜放送にハマっていて、”オールナイトニッポン”を聞いていたので、朝4時くらいに眠っていたからなのです。
そして、そのエピソードに、西寄さんが中学生のときから”語り”の魅力に魅せられていたのだなあと、嬉しく合点したのでした。
※左がこの日限定発売のステッカー。
右は宣伝用につくられたポストカードです。
下の名刺大のカードは座席の背に貼られた番号札です。
夜の部終演後は持ち帰りOKとのことでしたので記念にいただきました。
”未来への「心の旅」”で、西寄さんが子どもの頃から、演歌や歌謡曲がお好きだったということや、多分そうにちがいないと思ってはいたことでしたが、歌がお上手であることもしったのです。
歌が大好きな先生と、近所のスナック(”夜のヒットスタジオ”という店名だったそうです・笑)にいき、先生はもちろん「無錫旅情」、西寄さんは「兄弟船」をよく歌唱。
先生が歌うときには司会者のように、歌の紹介をしてもりあげていたそうで、語りのなかで、再現もしてくださり、大ウケでした。
先生が歌うときには司会者のように、歌の紹介をしてもりあげていたそうで、語りのなかで、再現もしてくださり、大ウケでした。
「土曜日の午後とか、学校が休みの日の夕方の早い時間に、地元のおばちゃんがやっているお店でうたって。
先生がコーラーおごってくれて。いい時代でした」
先生がコーラーおごってくれて。いい時代でした」
とおっしゃっていたかと思います。
深夜放送のことといい、”西寄ひがしは一日にしてならず”なのですね。
そして、そんな西寄さんをときには厳しさをもって育んでくださったご両親あってのことなのだなあとまた胸があつくなったのでした。
※昼の部終演後、突然モニターに!
西寄さんもこの瞬間までご存知なかったようで、感激して号泣。
スタッフのみなさんからの最高のプレゼントでした。
昼夜とも当日券も完売し満員御礼。
”西寄がたり”の第1回”未来への「心の旅」”を西寄さんが語り終えても、まだ感動の涙がとまりませんでした。
西寄さんも、先生が卒業の日に贈ってくださった”3つの心”について語っておられたとき、語りはよどむことはありませんでしたが、その目からは涙がとめどなくあふれていたのです。
西寄さんの語りの力のおかげで、わたしもまた自分自身の忘れていた中学生時代のことが思いだされ、もう思いだせないこともたくさんあるけれども、どれだけ多くの人のお世話になってきたのだろう。
出会った先生やお友だちのことがどんどん思いだされて、またまた涙がとまりませんでした。
前半のトークのときに、リクエストされた”付き人時代”というお題についてのトークで、西寄さんのヒストリーをうかがいしることになりました。
高校を卒業して音響会社に就職し、最初にコンサートツアーに同行させていただいたのは川中美幸さんのツアーだったそうです。
最初は会社の寮に住みながらアパートを探し、ようやく町田のアパートに引っ越したのだそうです。
そのことをご存知で気にかけてくださっていた川中さんが、”西くん、なにで寝てるの?”とお聞きになられ、とっさにウソのつけない西寄さんなので、まだ寝具の用意がなく洋服にくるまって眠っていることを答えたのだそうです。
すると翌日、都内の百貨店から大きな荷物が届いて。
なかには羽根布団一式がはいっていて、かかっていたのし紙に”引っ越し祝い 川中美幸”と書かれていたということでした。
今ももちろん西寄さんのことを応援してくださっているそうです。
そして、その後、西寄さんは、縁あって森進一さんの付き人になり、打ち上げかなにかで、スタッフのなかで一番年下だったので、幹事をまかされ、そこで会の進行をしていたところ、森さんが、西寄さんのセンスを見抜かれたのでしょうね、ご自身のコンサートの”司会をしてみないか”とすすめてくださったそうです。
でも、司会の勉強もなにもしたことがないし、とても無理と固辞した西寄さんに、
少し前まで司会をしていた綾小路きみまろさんになにか通じるものを感じたこと、
将来、マネージャー業をするにしても、司会を経験して舞台にたつものの気持ちを理解できることはきっとプラスになるはずとお話しくださり、
”若いうちはなんでもやってみたらいい”
と背中をおしてくださったのだそうです。
それで付き人をしながら司会をつとめることになり、ステージで司会者として楽団の紹介をしたら、ステージのうしろをまわって、着流しに着替える森さんの着付けをされたりと大忙し。
ちなみに西寄さんは帯を結ぶのはもちろん、衣裳用にアレンジされていない一般の着流しでも補正して着付けられる腕前だということでした。
さて、この画像、拡大できるかたはぜひ舞台上手側のテーブルに注目してくださいませ。
※夜の部、終演後の木馬亭。
☆がいっぱいついて見づらくて。ごめんなさい。
夜の部の終演後、一緒に参加させていただいた母がだいぶよくなったものの腰を痛めて治りきっていず、立っているのがつらい状態だったので、早めにお見送りの列に並ばせていただいたのです。
その際、室内も写メOKということでしたので、お見送りの列に並んだままあわてて撮りました。
そのためまだたくさんのかたがおられたので、☆をちりばめた画像になりましたが、雰囲気だけでもおつたえてきたらという思いでアップします。
2000年2月2日に”氷川きよし”がデビューし、全国コンサートツアーを準備しはじめたとき、それまでの演歌・歌謡曲の世界の司会者は年配のかたばかり。
そこで、”氷川きよし”と一緒に歩み、成長していくような司会者はいないだろうかと、若い司会者を探していることを西寄さんはしったのだそうです。
”氷川きよし”の司会者に、”西寄ひがし”をと、抜擢されたのは、長良会長だったそうです。
「長良会長に拾っていただきました」
昼の部ではオープニングで、夜の部では終演後に、長良会長への感謝の思いを言葉にされ、
舞台上手側におかれたテーブルの上の一輪の赤いバラは、長良会長に贈られるものなのだとお話しくださいました。
夜の部では、ひとことひとことを噛みしめての万感のトークでした。
恩を忘れることなく、新たな道をまた一歩前進した西寄さんの姿が、涙でぼやけてみえなくなりそうでした。
夜の部では”西寄がたり”の第1回”未来への「心の旅」”で、中学3年生のときの担任の先生がおっしゃった”3つの心”についてお聞きしていたので、あらためて、中学3年生西寄さんの心に、その先生が種を蒔いてくださっていたのだなあ。それを西寄さんがたいせつに育ててきたのだなあと感じて、またも涙があふれました。
人生は辛いこと、苦しいことのほうが多い。けれどもそのなかに本の少し、嬉しいことや楽しいことがある。
その嬉しいことや楽しいことが、苦しいこと、悲しいことを帳消しにしてくれる。
それが人生なのだと、卒業の日にお話しされたそうです。
そして、大切な“3つの心”として、
なにがあってもあきらめない心、弱いものを助ける心、そして、感謝を忘れない心を挙げられたのです。
きよしさんのヒストリーをトークされる際、“明日こそは、明日こそは”と力をこめておっしゃり、なかなかデビューがきまらず歌手になることをあきらめかけた日もあったのに、それを乗り越えて今日までがんばってこれらたんだから、大丈夫、なにもおそれるものなどないと、きよしさんを、そしてわたしたちをそのことばで心の底から励ましてくださったことがありました。
わたしは、あのときの西寄さんにどれほど勇気づけられたことでしょう。
そのときの思いを今もはっきりと思いだすのです。
今回のトークライブ開催にあたり、西寄さんはお世話になったかたにあらためてご連絡をとられたそうです。
司会者になり、この日まで司会の仕事をつづけてこられたことに感謝し、お礼を伝えることができるかたには伝えたいと強く思われたとおっしゃっていました。
わたしはステージのテーブルに飾られたバラをみつめて、長良会長のお心もまた感じていたのです。
長良会長はなによりも恩を、そしてひとの心を大切にされたかたでしたね。
5月2日は長良会長が旅立たれた日であることを西寄さんがあらためておっしゃり、「ただただ感謝の思いです」と涙されると、わたしも胸がいっぱいでした。
テーブルの上には、一輪挿しにさされた一輪の赤いバラ、ミネラルウォーターのペットボトル、時計、そしてマイクがおかれています。
時計はトークの時間配分をするためだったようですが、いい意味でほとんど機能していなかったようですし(喜)、ミネラルウォーターは昼夜とも口をきることさえされませんでした。
定員130名の会場で生声でトークされるたのですが、なぜマイクがおかれていたのかといえば、オープニングで「きよしのズンドコ節」のイントロがながれ、マイクをもって西寄さんが登場されたからなのです。
昼の部で、西寄さんは、”氷川きよし”との出逢いは”わが人生においての激震”だったとおっしゃっていました。
ライブの前夜、きよしさんはメールをくださったことをおしえてくださり、
きよしさんから西寄さん、
西寄さんから、きよしさん、
きよしさんから西寄さん、
西寄さんからきよしさん
と励ましと感謝の思いをやりとりされたことをお話しされたところで、一瞬沈黙(笑)。
「(そこまでのやりとりで、きよし君は)寝たんでしょう」
と、メールが2往復したところで途切れた理由をおっしゃったので大爆笑でした。
※列に並びながらデジカメを駆使して撮っていたら、
舞台の幕が閉まりました。
客席にはきよしさんのファンはもちろん水森かおりさんのファンのかたもおられましたが、お題のなかに”水森かおりさん”、”氷川きよしさん”もあったのに、昼夜とおして、昼の部で一度”氷川きよしさん”がリクエストされただけでした。
そのお題では、いい間違えのエピソード(アテント、柩など)披露してくださったのですが、きよしさんのお母さまのエピソードが心にのこりました。
コンサートで訪れた際、移動日でオフだった日に、きよしさんのお母さまが天神にある百貨店のジューススタンドのジュースがおいしいから、きよしさんはじめ西寄さんやスタッフのみなさんに飲んでほしいとおっしゃるので、みなさんでジュースを飲みにいったことがあったそうです。
”ピンポンパン”のお姉さんがかぶるような帽子(キャスケット帽でしょうか)をかぶった店員さんがジュースをつくってくださり、とてもおいしかったそうです。
西寄さんは、そのとき、きよしさんのお母さまが顔なじみ(なのでしょうね)の店員さんのところにいって、”あそこにいる方がわたしの息子です”と、おっしゃられるところをごらんになったのだそうです。
西寄さんは、そのとき、きよしさんのお母さまが顔なじみ(なのでしょうね)の店員さんのところにいって、”あそこにいる方がわたしの息子です”と、おっしゃられるところをごらんになったのだそうです。
そのことをきいて、わたしはじんときてしまいました。
ほんとうに心優しい素敵なお母さまですね。
そして、そんなお母さまの思いに応えて、ジュースバーにご一緒されるきよしさんの優しさにも心あたたかくなったのです。
トークに集中したかったので、終演後に記憶していたことをメモしただけでしたから、聞き間違い、記憶ちがいなど、ありましたら、ごめんなさい。
また、この記事に書ききれなかったエピソード、まだまだたくさんありますのでまたあらためて書かせていただければと思っています。
※以下は余談です。
先の画像からおわかりのように、わたし、朝のうちに木馬亭にいったのです。
また、この記事に書ききれなかったエピソード、まだまだたくさんありますのでまたあらためて書かせていただければと思っています。
先の画像からおわかりのように、わたし、朝のうちに木馬亭にいったのです。
※キャンディブーケ。
西寄さんに贈らせていただきました。
朝の弱いわたしですが、このブーケを開演前にお届けしたかったから。
お友だち4人が賛同してくださり、5名で贈らせていただきましたが、どうしても“いつも元気にスマイル、スマイル!”という西寄さんのトレードマークのようなその言葉を、テープのようにしてかけたいという思いがあり、直送せず自宅にいったん送ってもらうことにしたのです。
そして、待ち時間に木馬亭近くのお店で、“連獅子”の靴下をみつけました。
※木馬亭近くのお店でみつけた靴下です。
“連獅子”の靴下がめにはいるとすぐにきよしさんのお顔が浮かんで、即購入。
帰宅したら「きよしこの夜Vol.15のDVDが届いていました(喜)。
靴下を横に並べてみて、“いい感じ!”と、ひとりで大満足(笑)。
この靴下、きよしさんにプレゼントさせていただこうかしら?
帰宅したら「きよしこの夜Vol.15のDVDが届いていました(喜)。
靴下を横に並べてみて、“いい感じ!”と、ひとりで大満足(笑)。
この靴下、きよしさんにプレゼントさせていただこうかしら?