昨日は、西寄ひがしさんのトークライブにいってまいりました。
会場は浅草の木馬亭。
昨年の4月30日に司会者生活20周年を記念して初ライブを開催されてから、この会場では3度目のライブとなりましたが、満員御礼!
昼夜ともチケットも完売となったそうです。
ステージ上のデスクに飾られているバラは大阪ABCホールでのライブをへて、4輪になっていました。
わたしは昼の部にうかがったのですが、
「わたくし、勘違いしておりませんっ!
わかってます。
でもちょっと勘違いしそうになっていたら、
スタッフは冷静です。
やっぱりすごいですね~」
西寄さんは、ここでひと呼吸おくと、
「氷川きよしさんの人気は。
って。
わかってますっ!」
とオープニングから自虐ネタを連発(笑)。
ネタのリスト(お品書き)から、35番の”西寄ひがみ”がオーダーされたときも、
「西寄ひがみをご存じの方?
氷川きよしさんのファンの方?」
と、どのあたりからの説明したらよいかと来場者の様子をうかがったおりも、
「そうですか。99%が氷川きよしさんのファンの方ですね」
とおっしゃった西寄さん(笑)。
でもね、西寄さん、わたしもわかってます。
今回のネタ帳をみて、西寄さんの自信をしっかり感じておりました。
それは、リストに、
”氷川きよしさん”と”水森かおりさん”がはいっていなかったから。
イエロー系のチェックのシャツに蝶タイをつけネイビーのカーディガンをはおっておられ、パンツは鮮やかなオレンジのコットンパンツ(でしょうか)、ネイビーのスニーカーという、ビタミンカラーをネイビーでまとめたさわやかスタイルの西寄さんでした。
”新春!ネタまつり”ということで、今回は”西寄語り”はなく、新春らしくイキの良いネタさばきを楽しむという趣向だったのですが、”ネタ”にはいる前にすでにロングトークでもりあがったのです。
何気ない日常の出来事も新鮮なまなざしでみつめたり、視点をかえると、発見で出会いがあり、それがささやかかもしれないけれど、喜びや楽しさにつながっていくのだということを西寄さんのトークから感じておりました。
だからこそ、
「わたくし、毎日がハッピー、ハッピー!」
との言葉が自然にとびだしてきたのでしょうね。
昨年のおおみそかに立ち寄ったATMで、20万円もの大金がはいったお財布がおきわすれられていて、交番に届けることになったり、高速道路で乗っていたタクシーがまさkの接触事故をおこしたためにパトカーに乗せてもらったり...。
そんなドラマティックな(?)出来事を臨場感あふれるトークでお話しくださるので、ハラハラしたり、ドキドキしながら大爆笑させていただいたのです。
そして、わたしが個人的に大笑いさせていただいたのは、”36番のメールで噛む”でした(笑)。
きちんとうっているはずなのに、あっと驚くおかしな変換になっていること、みなさんもありませんか?
「”感謝の気持ちでいっぱいです”と書いたつもりが、”感謝の気持ちでいっぱいぱい”ってなっていたり。
”またお越しください”が”またおこしてください”になっていて。
もう、送ったメールをもどしてもらえないでしょうかね(笑)」
と。
そして、昨年、きよしさんの「NHK紅白歌合戦」への出場が決定したニュースに、
きよしさんのマネージャーさんの上東さんにメールをおくった際も、
”上東さんもがんばってくださいね”と書くところを、”上東もがんばってください”と”呼び捨てでおくってしまったことに、あとで気づかれたということでした(笑)。
ちなみにわたしは、゛美空ひばり゛さんとうったつもりが、゛ミソラーメンひばりさん゛に(汗!)変換されたことがありました。
そんなこんなであっという間の120分!
思いきり笑わせていただいたのです。
ちなみにわたしは、゛美空ひばり゛さんとうったつもりが、゛ミソラーメンひばりさん゛に(汗!)変換されたことがありました。
そんなこんなであっという間の120分!
思いきり笑わせていただいたのです。
以下は個人的な思いですが、西寄さんがトークライブをはじめて開催されることをしったとき、西寄さんのことを書いてみたいという思いがわいたのです。
そして、なんどか書いてみたのですが、なかなか書き進めることができずにいました。
なにかが足りない? でもなにが?
それがわからないままにこうして1年ちかくの月日がたってしまったのですが、西寄さんの最後のトークで、核心といなのピースをいただいた思いになったのです。
西寄さんは、以前のトークライブで、、”氷川きよし”との出逢いは”わが人生においての激震”だったとおっしゃっていましたが、きよしさんの専属司会者となってから、これでいいのだろうかと司会者としての悩みや大きな葛藤があったのだそうです。
「悩み苦しみました。
きよしさんは大きな存在で、キラキラ輝くスーパースターですから。
そんな方の専属司会者としてどうやっていけばよいのだろうって。
きよしさんは、゛西さんらしくやってください゛といってくださいましたが、悩んで心が折れそうになることもありました」
西寄さんはそんなふうにその当時の思いを話しだされました。
きよしさんは、゛西さんらしくやってください゛といってくださいましたが、悩んで心が折れそうになることもありました」
西寄さんはそんなふうにその当時の思いを話しだされました。
きよしさんが2000年2月2日に”氷川きよし”がデビューし、全国コンサートツアーを準備しはじめたとき、それまでの演歌・歌謡曲の世界の司会者は年配の方ばかり。
長良会長(当時は社長)は、”氷川きよし”と一緒に歩み、成長していくような司会者はいないだろうかと、若い司会者を探され、”氷川きよし”の司会者に、”西寄ひがし”を抜擢されたのでしたね。
西寄さんはそのことを、
゛長良会長に拾っていただきました゛と折にふれておっしゃいますが、その後もその成長をあたたかなまなざしでみつめてくださっていたことを、あらためてこの日、お話しくださったエピソードから感じたのです。
「一番悩んでいたときのことです。新宿コマ劇場での1か月公演の中日にうちあげがあったんです。
そのとき、長良会長が、゛西寄、ちょっと来い゛と呼んでくださったんです。
隣には江原真二郎さんがいたのですが、江原さんに、゛西寄のこと、頼むな゛といってくださったんです」
長良会長は、
゛この世界は長くやってるといろんなことがあるでしょう゛
と江原さんに問われると、江原さんは深く同意されて。
゛でも、見てるやつは見てるんだよ゛と西寄さんに長良会長はおっしゃったそうです。
西寄さんは、゛だから余計なことを気にするな゛といってくださっているのだとその言葉に深く励まされたことをお話しくださいました。
「そのあと、飲みにつれていってくださって。仕事の話はいっさいせず、明け方5時まで飲んだんです。
それで、次の日のことでした。
長良会長が、なにか別のご用事があってコマ劇場にいらしたそうなんです。
そのことを音響さんがおしえてくれました」
長良会長はわざわざ屋根裏部屋にある音響室に立ち寄り、朝まで自分が飲みにつれていったので西寄さんがほとんど寝ていないことをお話しされ、
゛西寄は寝てなくて声がしんどいだろうから、マイクのボリュームをあげてエコーをかけてやってくれ゛と、お願いされたのだそうです。
西寄さんはそのことをお話しされながら、涙されていました。
西寄さんの語りの力を借りて、浅草の地に長良会長が舞い降りてきてくださったようにわたしには感じられてなりませんでした。
そして、長良会長の大きな愛を感じて。幸せにつつまれたのです。
まさに、゛幸せでいっぱいぱい゛のわたしです。
そして、゛西寄ひがし゛が、司会者としてのトークやスタイルをどのようにして西寄さんはそのことを、
゛長良会長に拾っていただきました゛と折にふれておっしゃいますが、その後もその成長をあたたかなまなざしでみつめてくださっていたことを、あらためてこの日、お話しくださったエピソードから感じたのです。
「一番悩んでいたときのことです。新宿コマ劇場での1か月公演の中日にうちあげがあったんです。
そのとき、長良会長が、゛西寄、ちょっと来い゛と呼んでくださったんです。
隣には江原真二郎さんがいたのですが、江原さんに、゛西寄のこと、頼むな゛といってくださったんです」
長良会長は、
゛この世界は長くやってるといろんなことがあるでしょう゛
と江原さんに問われると、江原さんは深く同意されて。
゛でも、見てるやつは見てるんだよ゛と西寄さんに長良会長はおっしゃったそうです。
西寄さんは、゛だから余計なことを気にするな゛といってくださっているのだとその言葉に深く励まされたことをお話しくださいました。
「そのあと、飲みにつれていってくださって。仕事の話はいっさいせず、明け方5時まで飲んだんです。
それで、次の日のことでした。
長良会長が、なにか別のご用事があってコマ劇場にいらしたそうなんです。
そのことを音響さんがおしえてくれました」
長良会長はわざわざ屋根裏部屋にある音響室に立ち寄り、朝まで自分が飲みにつれていったので西寄さんがほとんど寝ていないことをお話しされ、
゛西寄は寝てなくて声がしんどいだろうから、マイクのボリュームをあげてエコーをかけてやってくれ゛と、お願いされたのだそうです。
西寄さんはそのことをお話しされながら、涙されていました。
西寄さんの語りの力を借りて、浅草の地に長良会長が舞い降りてきてくださったようにわたしには感じられてなりませんでした。
そして、長良会長の大きな愛を感じて。幸せにつつまれたのです。
まさに、゛幸せでいっぱいぱい゛のわたしです。
つくりあげ、進化&深化させてきているのか、そのことを書くうえでのたりなかったピースを、わたしは西寄さんをとおして長良会長からいただいたのでした。