「大丈夫、僕がいるから」
きよしさんがそうおっしゃると、客席からは、”きゃあっ!”という声と、”ヒュー! ヒュー!”という歓声があがりました。
福井フェニックスプラザでのコンサートの”ふれあいコーナー”(夜の部)でのこと。
おふたりめの当選者は昨年石川県野々市市で開催された「NHKのど自慢」に出場され、「セーラー服と機関銃」を歌唱された18歳の女性でした。
Bゾーンの上手寄りにおすわりのそのかたは、この春高校を卒業して大学に進学されるということでしたが、あの番組で、きよしさんにお会いし、その歌唱をお聴きになり、大ファンになられたのだそうです。
この日はおばあちゃまを誘っての来場でした。
きよしさんが将来の夢をおたずねになると、”舞台が大好きなので、舞台で活躍する女優さんになりたいです”とのお答えがかえってきたのです。
すると、即座に
「なれるよ」
と、きよしさんは満面の笑みで力強くおっしゃったのですが、”ただ好きなだけで、とんでもないです~”という様子の当選者のかたをさらにこんな言葉で励まされました。
「僕も演歌歌手になりたいっていったら、周りの人に鼻で笑われましたから。
それに見た目が演歌を唄う雰囲気じゃないっていわれて、パンチパーマにしなさいとかね」
きよしさんの”パンチパーマ”という言葉にドッと笑いがおこったのですが、なぜか皆の視線が等しく司会の西寄ひがしさんにそそがれたのす。
西寄さんはすぐに皆の熱い視線を感じられたようで、
「”パンチパーマ”ときいて、皆さま、私のほうをご覧になっていらっしゃいますが、私は、天然パーマでございますよ」
とおっしゃったので、さらにさらに大爆笑となったのです。
皆さま、もしきよしさんが”パンチパーマ”でデビューされていたら、いかがでした?
わたし?
もちろん皆さまと同じです(喜)。
”パンチパーマ”でも、”角刈り”でも”スキンヘッド”でも”金髪でも、その歌声とあたたかなハートに魅せられ、どんな髪型も素敵で愛しく思えたことでしょう。
と、余談になってしまいましたね。
ごめんなさい。
そんなふうに客席がわいたところで、
「唄ってみてくださいませんか」
と、きよしさんはそのかたにリクエストされたのですが、”ええっ! でも、いえ、それはぁ...どうしよう”と、突然の展開に、どうしたらお困りの様子。
そこで、きよしさんが、
「大丈夫、僕がついているから」
と力強くおっしゃったのでした。
すると客席からは、、”きゃあっ!”という声と、”ヒュー! ヒュー!”という歓声があがったのです。
そのかたは、「NHKのど自慢」で歌唱された「セーラー服と機関銃」を唄ってくださると、
「♪すご~~くいいですね~~ ありがとう~」
と、きよしさんは”ミュージカル”風に振り付きで唄われて、そのかたに感謝の思いをつたえられたのでした。
そして、そのかたのおばあちゃまが”きよしの愛の劇場”で、きよしさんの恋人役を演じてくださることになったのです。
70代とのことでしたが、どうみてもその当選者のおかあさまくらいに年齢にしかみえない若々しいおばあちゃまでしたが、最後に”はあ~ん”とセクシーなため息までいれてくださって、きよしさんを圧倒する大熱演!
客席は大いにわいたのでした。
そこで西寄さんが、
「○○○さん、おばあちゃんが女優になっちゃった!」
と絶賛され、おばあちゃまに感想をうかがうと、
”楽しかったので、もっとやりたかったです”とのこと。
当選者の方は、おばあちゃんの血筋をひいていらっしゃるのでしょう。
あんなに素敵な演技を即興でしてくださったおばあちゃまのお孫さんならまちがいなし!
がんばって、夢をかなえて舞台で活躍されることでしょう。
この福井フェニックス・プラザでのコンサートは3年ぶりということで、オープンにングから熱唱がつづいて、オープニングトークでは、来場への感謝とその熱い思いを言葉にされたのです。
そして、、
「今日は、感謝の思いをこめて、唄わせていただきますので、よろしくお願いいたします」
とおっしゃったとき、思いきり力をこめておっしゃったので頭がぶるるんとうごいて、その髪が一緒に大きく動いて乱れたのですが、きよしさんは少しも気にされずそのまま深々とお辞儀をされたのでした。
そんな様子に、その”髪”までが、きよしさんの熱い思いをつたえてくださっているのを感じて、微笑ましい思いにさせていただいたのです。
セットリストはわたしが前回参加させていただいた3月13日の相模女子大学グリーンホールでのコンサートでのものと同様でしたが、そのまごころあふれる歌唱に、聴き惚れておりました。
「おとこの詩」を歌唱され、いよいよ「男の絶唱」をこれから唄われるそのとき、
「”きよしくん、がんばって”っていっていただくと、僕、嬉しいです。
嬉しいんですけど、(それは正直)プレッシャーでもあります」
きよしさんは、そんなふうに心のうちを話しだされたのです。
「僕は博多で生まれ育って、そう、福岡ですから、福井とは(”福つながり”で)兄弟ですよ~。ねえ。
作曲家の水森英夫先生にスカウトしていただいて18歳で上京しました。
まずうどん屋で働いたんですが、1日でやめました。
東京弁に慣れなくて、うちとけられなかったんですね。
でも、これじゃダメだ。弱い自分に打ち勝たないとって思って」
と。
そして、その後は職場の方、お客様とよいコミュニケーションがとれるようになり、水森先生のレッスンをうけながらデビューを果たされたことをお話しされ、
「おかげさまで22歳で『箱根八里の半次郎』でデビューさせていただいて、自分でいうのもなんですけど、大ヒットになって。ほんとうにありがたいです。
僕、(ふりかえってみて)、これも自分でいうのもなんですけど、好青年だったと思うんですよ。
大人のいうことはちゃんときいていましたから。
あっちといわれれば、あっち、こっちといわれればこっち、そっちといわれればそっちって(笑)。
ちゃんといわれたとおりにしていましたからね」
わたしはきよしさんの言葉から、傍からは”輝かしく”、”華々しい”と思われてあり余るご自身の芸道17年が、ご自身にとっては地道な一歩一歩の積み重ねでしかないのだと思われていることを感じて、胸がじんときたのです。
出逢ったひとりひとりの思いをたいせつにうけとめて、”氷川きよし”がどれほどたくさんのかたの夢や思いを担っているのか、そのすべて受け入れて、あなたは今日まで歌い続けてこられたのですね。
そして、だからこそ、少しも慢心することなく、笑顔のかげで血のにじむような努力をつづけておられるのでしょう?
わたしは、感無量になっていました。
そんな思いで「男の絶唱」を聴かせていただき、ラストは「白雲の城」...。
2008年から8年を経て、このホールで、きよしさんの歌唱を聴かせていただいていることにさまざまな感慨がわきだしたのです。
そして、昼間、金沢に立ち寄って、目の当たりにした金沢城址の石垣も目の奥に鮮やかにうかんできて。
8年を経て、その歌唱を深め、究め、いっそう眩しく輝く”氷川きよし”を見つめていたら、涙があふれてきたのでした。
ああ、わたしは今、生きているんだなあ...。
このホールを訪れたあの日から今日まで、いろいろな出逢いも別れもあったけど、たくさんの人にお返ししきれないほどお世話になったなあ、そして優しくしていただいたなあ...。
なんてありがたい。
わたし、思うにまかせぬことばかりだけど、それでも、これまでなんて幸せな人生をおくらせていただいてきたんだろうとこころのそこから思ったのです。
きよしさんの歌声に、ふだんこころにまとっている鎧がとれたのでしょうか。
心の奥深くにしずめていた思いがどんどん解き放たれて、感動とともにあふれてきたのは、涙、涙、涙...。
そして、こころがとろけそうなほどにあたたかな感謝の思いでした。
アンコールの1曲めの「イヨマンテの夜」で、きよしさんがいっそう熱く激しい歌声を聴かせてくださると、のけぞるほどに圧倒された客席から歓声と、どよめき、そしてわれるような拍手がおこりました。
舞台が暗転すると一転して真っ赤な衣装からゴールドの衣装に早変わりされたきよしさんは晴れやかに「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」を語りかけるように唄われたのです。
ラストは、上手、下手、センターへと移動されて手を振ってくださり、”お元気で~”と声をなんどもおっしゃり、いよいよセンター階段をのぼろうとして、上手寄りに移動されると今いちどお辞儀をされたのですが、きよしさんがお顔をあげられると、ふたたび多くのかたが手をふられ、たくさんのお声がかって...。
そこできよしさんは1,2歩歩くと、いったん足をとめて、大きな投げキッスをしてくださったのでした。
そのキッスは少しもかっこつけてない武骨なものに感じられて...。
”もう! 僕の気持ちわかってるでしょ”とおっしゃっているように勝手ながら思えて(妄想です。ごめんなさい)、なんだかかあっと顔が赤くなってしまったのでした(汗)。
※ここまで駆け足での更新で失礼しました。
帰宅してからこのあとも仕事でバタバタしそうですが、昨日、このブログで”インスタグラム”的なことをするアイディアが突然うかびました!
どんなものになるのかな? と自分自身でわくわくしていますので、ちょっぴり期待していてくださいませ。
次回は4月にはいって「夜桜演歌まつり」の夜の部に参加させていただきます。
月末、きよしさんは神戸、岡山でコンサーを開催されますね。
参加される皆さま、最高に素敵な時間をおすごしくださいませ。
文末にコンサート会場で配布されていたキョードー北陸さんのフリーペーパー「KEP」の紹介をしますね。
”あの公演の人気の秘密をお客さんに聞いちゃいました!”というページに、立川談春さんとともに、きよしさんが紹介されていたのです。
”毎回、チケットが完売する公演の人気の秘密はどんなところにあるのか? 今回はそれをひもとくべく、チケットを購入したお客さんの”生の声”をご紹介!”
ということで3名のかたのメッセージが紹介されています。
上記の画像では読みにくいかと思いますjので、ここでも紹介しますね。
☆母親にプレゼントでチケットを買ったのですが、とても喜んで元気になって帰ってきました!
(新潟県・40代・女性)
☆歌はもちろんですが全てが最高! 舞台は豪華で素晴らしく毎回毎回大満足です。今回も衣装・舞台とも楽しみにしています。
(福井県60代・女性)
☆氷川きよしさん、魂の歌声素晴らしかったです。最高のパフォーマンスでした。感動をありがとうございました。
(富山県・30代・女性)
皆さま、全国各地、ファンの思いは同じと嬉しくなりますね。
書くタイミングが今になってしまいましたが、26日には「昭和の歌人たち」が放送されましたね。
帰宅して録画をしっかりみて、あらためて感動につつまれております。
きよしさんの「なみだ船」に録画でふたたびハートを射抜かれてしまいました(喜)!
「あの娘が泣いてる波止場」、「女の宿」の素晴らしさにもあらためてこころ惹かれて...。
録画をリピート、リピート、リピート! もう、エンドレスになって眠れなくなりそうになってしまったのです(汗)。
下記アドレス公開収録のことを書きとめたこのブログの記事です。
よろしければご覧くださいませ。
それではまたお逢いできますように。
さらに文末に先の記事のコメントへのお返事を書かせてください。
ゆりかもめさま
先の記事にコメントをありがとうございました。
宝物のように嬉しく読ませていただきました。
まだまだ寒い日がつづくようですので、御身たいせつになさってくださいね。
近田春夫さんの”氷川きよし考”、興味深くわたしも読みました。
以前から、いずれ記事にまとめて書いてみたいと思っているのですが、今回の”そろそろお気楽な歌も”には、”きよしのアロハオエ”という感じでのハワイアンテイストの歌を唄ってほしいと思っているわたしでしたので、狂喜乱舞してしまいました。
福井から帰宅したら都内も寒さがまたぶり返して凍るようですので、無理はせず、とにかくからだをあたためてすごすようにしますね。
おたがいにきよしさんとともに元気でがんばりましょう!
これからもよろしくお願いいたします。
春はもうそこまで来ていますね。