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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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「ニフェーデービル(ありがとう)」と、きよしさんは何度もおっしゃって沖縄への再来を約束されたのでした。

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皆さま、昨日、はじめての”美ら旅”から帰ってきました。
天候の影響もあって羽田空港に1時間ほど遅れての到着となりましたが、わくわくうずうずするような力がみなぎっていて...。
旅疲れがなかったわけではないのですが、それをおぎなって余りあるパワーを、沖縄から、そして、きよしさんはじめ長良グループの皆さまからいただいたのでした。

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16日に沖縄コンベンションセンターで開催された「長良グループ 演歌まつり2017 in 沖縄」では、オープニングから、きよしさんが
「ハイサイ グスーヨ、チューガナビラ? ニフェーデービル!!」
とご挨拶され、”通じましたか?”という問いかけに沖縄の皆さまから大きな拍手と、沖縄の言葉がかえってきたのです。
ちなみに、きよしさんのご挨拶は、”こんにちは 皆さん、ごきげんいかがですか? ありがとう!!”という意味なのだそうです。
この日、きよしさんは、何度”ニフェーデービル(ありがとう!!”とおっしゃったことでしょう。

2002年2月28日に沖縄の地(そのときは那覇市民会館大ホール)で、氷川きよし初の゛全国ツアー゛の初日を飾り、このホールでは2004年3月27日(翌28日と昼夜4公演を開催)にその年のオープニングをむかえています。
きよしさんはその話題になると、
「僕の原点です」
とおっしゃって感慨深い様子でした。
また、沖縄の魅力について司会の西寄ひがしさんに問われると、
「人間・氷川きよしに戻れる場所です。素直な気持ちになれるんです。
都会にいますと、こころが”これ”して、”あれ”しますでしょう。芸能界って厳しい競争の世界だから...。
でも沖縄にいると、こころの栄養をもらえて、感謝の気持ちがあふれてくるんです」
と、そこまでお話しされると嬉しそうに微笑まれ、
「それでねっ!」
と前置きされると、14日のある出来事をお話しされたのです。
「おととい(14日)から沖縄に来ているんですが、番組収録をしていて、1時間だけ空いたんです。
それで、僕、国際通りに行きたかったので、メイクさんやマネージャーさんと一緒に出かけたんですね。
そこでソーキそばが食べたくなって、ふらっとお店にはいってみたら80歳くらいのご夫婦がやっているお店だったんですけど、30分くらい待ってもできてこないんですね。
そのうち他のお客さんもはいってきたのに、まだできてこないんで、僕、心配になって厨房をのぞいてみたら、おふたりで大変そうだったので、それで”お手伝いしましょうか?”っていって、手伝わせていただくことになったんです。
おばあちゃんに、”お兄ちゃん、こっち(お皿)洗って”っていわれて」
と、そのときの様子を思いだして楽しくてたまらない様子のきよしさんだったのです。

すると、西寄さんが、
「そうなんですよ~。
マネージャーさんがその様子を動画で撮っていて(笑)。
”氷川きよしさんは歌手をやめて、沖縄でおソバ屋さんになるそうです”って、メールでおくってくれたんですよ」
と(笑)。

デビュー前の修行時のアルバイトで厨房で調理をされた経験もあるきよしさんですから、厨房をのぞいてみて、即座に”お手伝い゛が必要と見抜かれたのでしょうね。
それにしてもきよしさんは1時間という限られた時間のなか、お手伝いまでして、ソーキそばを召しあがることができたのでしょうか?
なんて、そのときのことを嬉しそうにお話しされているきよしさんには愚問でしたね、ごめんなさい。

そして、お店がそのような状況になったのには事情があったそうで、
「娘さんがいて、いつもは娘さんが中心になってお店をやっているんだけど、その日は子どもさんの運動会で休んでいたそうなんですよ」
と、きよしさんがおしえてくださいました。
きよしさんには忘れられない素敵なこころのふれあいとなった出来事だったのですね。

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※沖縄の県花でもある”デイゴの花”
今この時期が季節なのだそうです。

さて、話題はコンサートの1日前の15日にいったんもどります。
「長良グループ演歌まつり」も今年で10年めをむかえ、初の沖縄公演開催となったそうですが、その沖縄ツアーをもりあげるために、所属歌手の皆さんのファンクラブが共同で、2泊3日の沖縄ツアーが企画されたのです。
最小催行人数は200名ということでしたが、ふたをあけてみたら全国から361名の皆さまが参加されました。
コンサート前日に羽田空港、福岡空港、中部国際空港から沖縄へとやってきたのです。

その夜は出演者全員による”トークイベント”が宿泊先のホテル(沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ)で開催されました。
空港からホテルに移動するバスのなかで、下の画像右側の用紙が配布され、事前に”トークイベント”での質問が募集されたのです。

イベント終了後に撮影&握手会も開催されることになっていたのですが、どんなふうに進行するのかはその瞬間になってわかるというものでしたので、ほんとうに皆、ドキドキしていました。


イメージ 1
※右下のピンクのチケットに番号が書かれていますが、
この番号にどんな意味があるのか、最後の最後にわかったのです。


出発前に送られてきた”出発のご案内(旅のしおり)”のスケジュールに、トークイベントの座席と、コンサートの座席は当日抽選(お部屋ごと)と書かれていたのです。
下記の画像は終演後に廊下に置かれているものを写メしたのですが、こんなテーブルの上に、画像では見えにくいかもしれませんが、クリアボックスが置かれていて、そこに上記の茶封筒が縦にならんではいっていて、そこから封筒を1枚ひくのです。


イメージ 3

お部屋ごとの抽選になっているので、1名から最大8名まで列がわかれていました。
この封筒をひくのって、かなりドキドキする体験で、わたしは同室のOさんがくるまでなかをみることができずにいて、笑われてしまいました(笑)。

会場のニライカナイの間を後方の入り口から写メしたのが下記画像です。
10名着席できる円テーブルがたしか37台までならんでいました。
チケットにはテーブル番号のほかに1番から10番までの座席番号が書かれていて、そこに着席するのですが、その番号は真ん中くらいだったので、円テーブルの10名のなかでは後方の席になるなあなんて思って。わたしもOさんもそのときはその番号に大きな意味があることを知る由もなかったのです。


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司会は西寄ひがしさん。
下手から、はやぶさの皆さん、きよしさん、山川豊さん、田川寿美さん、水森かおりさん、岩佐美咲さんがならばれて、”トークイベント”がスタートしました。
いちばん多かった質問は、飛行機が苦手な山川さんが、沖縄までどうされたのかというものだったそうですが、その話題になると、皆さん一緒の飛行機で沖縄にいらっしゃり、なかでもきよしさんは、”ぼくが いるから大丈夫”とおっしゃっていたそうですが、
「きよしくんは、”僕がいるから大丈夫っていいながら、途中でみたら、ぐうぐう寝てました」
といわれてしまったのです(笑)。
でも、皆さまご一緒で山川さんはほんとうに安心だったようで、
「行きは一緒だったけど、返りはバラバラですからどうしようかと」
と、おっしゃっておりました。

次に読まれた質問は、”皆さんがシーサーだったらどんなシーサーに? 顔で身体で表現してください”というものでしたが、その質問者は、お孫さんが働いて貯めたお金でツアーに申し込んでくださったことも書き添えられていて、山川さんは西寄さんがそのくだりを読みあげたとき、その言葉をかみしめるようにうなずかれていたのです。
山川さんが、ビートたけしさんのネタである、”コマネチ”をアレンジして、”シーサー!”と驚きの一発芸を披露してくださり、大反響
他の歌手の皆さまは、山川さんにそこまでのことをされたらどうすれば? と思われたのではないでしょうか(笑)。
きよしさんは自分の番になると、右手でマイクをもったまま、左手だけで、コマネチポーズをされ、ドスのきいたお声で、”シーサー!”と(笑)。客席にどよめきがおこると、すっかり気をよくされた様子でリプレイの大サービスでした。

田川さん、はやぶさの皆さんもみごとに”シーサー”を表現されたのですが、水森さんは大思案。
こういうことってあとになればなるほどハードル高いですものね。
でも、そんな水森さんの様子に、いつもトークの打ち合わせをしていないとうかがってはいましたが、お題も事前にはしらされていないんだなあとあらためて思ったわたしでした。
水森さんは、後半、思いがけないところで驚きのパフォーマンスを披露してくださったのですが、ここでは、”どうしよう?”と思いうかばず、何度か西寄さんが助け舟をだされたのですが、”ごめんなさいっ!”ということで、岩佐さんとふたりでかわいい”シーサー”を披露してくださいました。
ちなみにきよしさんは、この記事のいちばん上の画像でお召しになっているかりゆしウェアにトークイベントでは薄いクリーム色のハーフパンツを着用されていたのです。

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※ホテルのお庭にいたシーサーです。

つづいての質問は、”雨男、晴れ男、雨女、晴れ女はぞれぞれどなた?”というようなものでした。
”晴れ男は誰?”というところでは、きよしさんがみずから手をあげられたのですが、雨男は山川さん、晴れ女は田川さん、雨女は水森さんというところにおちついたのです。

最後の質問は”おたがいの弱点をしっていますか?”というようなものだったかと思います。
田川さんはカエルが苦手だそうで、そのながれから、番組収録でニシキヘビを首にまくシーンを撮影したそうですが、岩佐さん、はやぶさんのヒカルさん、ショウヤさんは大丈夫でしたが、いつもクールなヤマトさんが、”どうしてもだめ”だったそうで、わたし、一気に親近感をいだいてしまいました(喜)。
そしてきよしさんが、「山川さんは高いところが苦手ですよね」とおっしゃると、山川さんはいかに高いところが苦手かをお話しされ、「でも、かおりちゃんは大丈夫ですよね。バンジージャンプをしたり」
とくるくると話題が展開したのです。
水森さんはキャンペーンでバンジージャンプに挑戦されたことをお話しされると、あの補助ベルトが足の付け根にくい込むのだとおっしゃり、
”ミーッって”と、おっしゃるたびに”コマネチ”ポーズをされたので、その大胆さに驚き、そして大爆笑となったのです。

トークはそのやりとりや加速する展開がほんとうに楽しかったのです。
そして、ご自身がお話しされていないときにも、トークにききいり、楽しそうなきよしさんに、ますます楽しくリラックスしてきて、沖縄に来ることができたんだなあとしみじみ感じたのでした。

いつかは来てみたかった沖縄。
きよしさんが唄われる「美ら旅」の歌詩の”憧れの島”に、きよしさんのおかげでくることができ、そして今、きよしさんと一緒にその地にいるんだなあとあらためて思ったら、あふれてきたのは感謝の思いでした。


そして、いよいよ撮影&握手会となったのです。
スタッフの方から、”握手は、歌手の皆さんのほうから皆さんのほうに来てくださいますから”というような説明があったのですが、どなたもその意味はこのときにはわからなかったのではないでしょうか。

この看板、先の記事にアップしたものとどこかが違っているのですが、おわかりですか?
そう、お部屋の名前が”美童の間”と書かれているのです。

撮影&握手会はトークイベントの会場である”ニライカナイの間”から1フロア下の2階の”美童の間”にグループごとに移動しておこなわれることになりました。

イメージ 7
※撮影&握手会は2階の”美童の間”でおこなわれました。
正直はじまるときは、この看板をみる余裕さえなかったわたしです。


お近くのかたがスタッフのかたになにかおたずねになると、スタッフのかたは”それはそのときのお楽しみですよ~”とだけおっしゃっているのがきこえてきたのです。

後方の37番テーブル(多分37番までだったと思います)のかたから順番に階下の゛美童の間゛に移動し、終わるとまた゛ニライカナイの間゛にもどりそれぞれのテーブルごとにお夕食をいただくというながれでした。
”どんなふうになるのかしら?”
とOさんと話してはドキドキがますばかり。

そこで、いよいよ
”それでは○番テーブルのかた”とスタッフのお声がかかって、廊下にでると、1番の方から1列にならんで移動するようにという説明があり、Oさんにつづいて階段をおりて会場へと移動したのです。
前のかたが部屋からでてくると、入れ替わりにスタッフに誘導されてその部屋にはいったのですが、そこには横1列に椅子がならべられていて、むかって右側から1番のかたが着席するようになっていました。
前方にはカメラマンさんがいらして、歌手の皆さんがわたしたちのうしろにたたれての撮影になるのだということが、このときようやく理解できたのです。
そこで今度はすわったときに左側から、西寄さんがいらしてご挨拶されてから、歌手の皆さまにお声をかけると、はやぶさのヤマトさんを先頭に皆さまが歩いてこられ、会釈しながらわたしたちの後ろにならんでいかれたのです。
ヤマトさんにつづいてヒカルさん、ショウヤさん、そしてつぎはきよしさん!
と、きよしさんが目の前で”あっ”とつまずかれそうになったようで、そのお顔が思いっきり眼前に(嬉!)。
”ようこそ”とはじけるような笑顔のきよしさんでした。
そこできよしさんが視界にはいらなくなったので、ほぼうしろにたってくださっているらしいことを感じたのですが、まさかぐるりと真後ろをふり返るわけにもいきません(汗)。
前を向いてカメラマンさんにすべをお委ねし、撮影に集中したのです。
”ハイ、シーサー!”
とかけ声をかけてくださり、3カット撮影したかと思うのですが、。もう、そんなことも思いだせないほど舞いあがっていたのです。
だって、うしろにきよしさんがたっておられると思うと、もうそれだけでどうしてよいのうわからないくらいドキドキしてしまって...。

撮影がOKとなると、西寄さんから順番にすわっているわたしたちの前にまわられて、今度は10番のかたのほうから歩きながら握手してくださったのです。
西寄さん、ヤマトさん、ショウヤさん、ヒカルさんとつづいて、お礼をおっしゃられたり、なにかしらことばもかけてくださっていたので、そのながれのなかで、きよしさんに
”おかげで沖縄にくることができました”
とお礼をもうしあげさせていただくことができたのです。
お隣のOさんが”一緒にきたんです”といい添えると、きよしさんはにっこり笑って、
「仲良しなんですね」
といってくださったので、ぼうっとした思いで、さらに山川さん、水森さん、岩佐さんと握手をさせていただいて、皆さまの笑顔と優しいことばがこころにしみたのでした。

イメージ 8
※このルーフの上あたりが2階になっていて、
白い柱と柱の間あたりが”美童の間”です。

ふたたび夕食をいただくために3階のニライカナイの間へともどると、まだこれからのかたたちもいらっしゃったのですが、終わってもどったテーブルからお食事スタートとなりました。
海の幸、山の幸たっぷりのお食事に、この日はワインもいただいて、テーブルの皆さまと楽しく語らったのです。

クリアボックスから座席券のはいった封筒を選んでそのテーブル&お席になったことを思うと、なにかしらのご縁を感じて、なんだかじんときていたのです。


このときの写真は昨日、帰りのバスのなかでいただきました。
台紙にのせて、ビニールをかけてくださっていますが、その写真をあらためてみて、うしろできよしさんが素敵な笑顔でいらしてくださっていたことをしって(もちろん他の皆さまも素敵な笑顔ですが)、嬉しくて涙がでそうになりました。

37組(だったと思います)を、あんなふうにまごころこめてお迎えしてくださり、あとでできあがった写真をみて、それぞれのかたがどんなに喜ぶだろうかと思われて、とびきりの笑顔をみせてくださっている皆さまに、ありがたさでいっぱいになりました。

そして、先の記事にアップしましたが、お夕食のあと、参加者プレゼントということで、全員の直筆サインがはいった、沖縄での「演歌まつり」のポスターをくださったのです。


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ここでいったんアップしますね。
これから夕方まで天王洲で仕事して、その足で「うたコン」の観覧にNHKホールにいってまいります。

「演歌まつりin 沖縄」の様子が書けずにごめんなさい。
別の記事で書かせていただければと思っています。
この記事を書き出すときに、わたしのいつものペースでは出かける時間までに書ききれないと思ったので、きよしさんがおソバ屋さんを手伝われたエピソードは早くお伝えしたくて、この記事の冒頭に前倒しで書かせていただきました。

今夜は「うたコン」のご報告になると思います。

またお逢いできますように!


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