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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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明治座で逢いましょう ~氷川きよしの夢舞台、華舞台~ (3)

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こんにちは。
先の記事で、「きよしのねずみ小僧」を、きよしさんがどんな振付で歌唱されるのかしら? とふくらむ期待を書かせていただきましたが、昨日、日本コロムビアさんのHPで、「きよしのねずみ小僧」のMVが公開されましたね。
もう、ご覧になりましたか?
この記事でも共有させていただきますね。
それにしてもびっくり仰天の”スーパー宙返りアクション”もあって、ますますわくわくドキドキしています。

29日に発売される「美空ひばりを歌い継ぐ 氷川きよし 映像集」は土日を挟むので、明日26日から受取可能と予約の際、山野楽器さんがおっしゃっていたので、早くみたい気持ちもあるのですが、29日に、30日にリリースされる「新・演歌名曲コレクション5-男の絶唱ー」と一緒に受け取りさせていただくことになりそうです。



5月23日のコラムで、西寄ひがしさんが、
”氷川きよし明治座公演”のお芝居のお稽古の真っ最中の稽古場は、和気あいあいと明るい雰囲気。
やはり座長であるきよしさんのお人柄が一座に出ているのでしょうと書いてくださっていますね。
そして第2部のコンサートについても、
”明治座ならではの構成になりそうでとても楽しみです。乞うご期待ですよ”
と書いておられます。
もう、果てしなく期待してしまいますね(喜)。



それでは、以下は時計を2004年にもどして、ふりかえっていきたいと思います。

2004年、「草笛の音次郎」を演じ納めたきよしさんは休むまもなく、テレビ、ラジオに出演され、再びコンサートツアーもスタートしました。
7月3日には銀座・三越の屋上でゆかたで「きよしのドドンパ」を踊る「ズンドコサンデーあっぱれきよし」(文化放送)の公開放送があり、櫓の上で浴衣姿のきよしさんが「きよしのドドンパ」を唄ってくださって、皆で櫓を囲んで踊るという楽しいイベントでした。
立っているだけでも汗が流れ出る炎天下の中、7月7日にリリースされる「番場の忠太郎」を櫓の上で、新曲のコスチュームであるダークグレー系のスーツ姿で披露してくださったきよしさんの姿は今でも忘れられません。
イベントの最後ではファンとのハイタッチ会となったのですが、ファン思いのきよしさんですから、ハイタッチでは終わらず、ひとりひとりと手を重ねてぎゅっと握ってくださったので、きよしさんには握手するより重労働になってしまったのではないかしらと思ったのです。
そして、この日、お母様が手術をされていて、きよしさんは心を痛めていらしたことをずっと後になってあるインタビュー記事を読んで知り、涙がとまりませんでした。
 
翌4日には八王子市民会館でコンサートを昼夜開催され、この時のことは以前、別の記事で書かせていただいておりますが、きよしさんのその目の前にはただ歌しかなかったというような命がけのステージを見せていただいたのです。そのエネルギッシュな歌声に、きよしさんが肉体に変調をきたしているなどとは夢にも思っていませんでした。
5日、渋谷公会堂でのコンサートはきよしさんが体調をくずされて延期になったのです。
きよしさんは7月7日が「番場の忠太郎」の発売日ということもあって、発売当日は新曲のプロモーションのために朝からテレビに出演されましたが、まだ無理をされている様子が残っているように見えました。
13日にはコンサート復帰。
27日には「NHK歌謡コンサート」に出演。
8月に入ると2日に「BS 熱唱心のうた」、7日に「思い出のメロディー」(ともにNHKホール)と続き、31日には銀座三越の屋上でファン感謝祭を開催しました。
 
9月6日は日本武道館でデビュー5周年と27歳のバースデーをお祝いしたのでした。
 
10月26日には、初めて名古屋の御園座でコンサートをされました。
名古屋では中日劇場さんとのご縁が深いきよしさんですが、御園座さんともここでご縁ができているのです。
そして30日には、故郷・福岡で開催された『とびうめ国文祭』のオープニングフェスティバルに参加。
きよしさんは開会式で「君が代」を歌ったそうです。皇太子様の前で歌ったきよしさん、とても緊張されたと語っておられました。
私は観に行かれませんでしたが、録画を見ました。
きよしさんが演じる旅人。荒野に現れ、羽織っていたコートを脱ぎ捨てて純白の衣装を着た天使のような姿に変身すると、そのままクレーンで宙に舞い上がって歌い始めるのです。”人生号”という船のキャプテンに扮したきよしさん、テーマソングの「人生号 Jinsei-GO!」を歌って、民衆と一緒に船出を祝うのです。ものすごい迫力でした。 きよしさんの無国籍、あるいはワールドワイドな魅力に酔いしれたのです。
この音楽劇は、プロのダンサーやパフォーマー、国内外の舞踊団や一般公募で選ばれた150名からなる“飛梅組”という劇団によって演じられました。劇団は半年間、稽古をして、きよしさんが皆さんに加わって3日間で仕上げたのだそうです。きよしさんは、
「みんなに助けられて、みんなのパワーに後押しされて頑張れた」と語っておられたそうです。
 
そして全国5000人握手会を行い、この年は48箇所104公演を終えたのです。
「きよしこの夜Vol.4」では、愛知万博のサポートソング「いつもみんなで手をつなごう」を披露されました。
 
さて2005年に入ると1月からコンサートツアーがスタート。
3月2日から、新宿コマ劇場で二度目の座長公演。「きよしの石松売り出す 初恋道中」が始まりました。
 
3月2日~3月28日 新宿コマ劇場 
氷川きよし 特別公演 「きよしの石松売り出す 初恋道中」 
 
この公演ではコマ友の会の会員のみ電話での受付をしたのですが、一般発売は前回(「草笛の音次郎」)の大混乱を避けるため、はがきによる抽選で発売となりました。
何と応募は約10万通だったそうです。
この公演のコンサートの時に、新御三家(郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さん)の歌のメドレーがあったのですが、きよしさんの歌う「情熱の嵐」があまりにも情熱的だったものですから、聴いていて、思わず ”はあぁぁーーっ!”とため息がもれ(ほとんど恍惚状態でした・笑)、エッ? と隣の席の方に驚かれてしまった私でした(汗)。
 
22年間、美空ひばりさんの公演の脚本・演出をされてきた沢島忠さんが、脚本を書き、演出してくださいました。前回演じた音次郎は架空の人物でしたが石松は歴史上の人物ということもあり、カツラをつけることになったのです。
高松あいさん演じるお糸との恋の物語も盛り込まれて、愛すべき石松が誕生したのでした。
 
 
 
きよしさんは、”バカでおっちょこちょいで情けがあるところが自分に似ている”という理由で、石松を演りたいと思われたそうです。
”心優しくて涙もろく、人情に厚いちょっといいやつという役どころを目ざして、自分なりの石松をつくりたい”とがんばり、さらには殺陣の先生に何度もくらいついて、石松の動きを自分のモノにしようとがんばっておられたそうです。
初日終了後の会見で、その出来栄えを50点と。
”これ(今日の出来栄え)で100点をつけたら自分のプライドが許さないから”とおっしゃったのだそうです。

この千秋楽の日(3月28日)からNHKで「きよしとこの夜」の放送がスタートしました。
 
コンサートツアーが再び始まり、5月4日には明治座では初めてのコンサートを開催。 
「氷川きよしコンサート in★明治座」というタイトルで昼夜2回公演でしたが大盛況だったのです。

15日には愛・地球博でコンサートが行われ、このコンサートのことはまだきちんと書けていず、心苦しいのですが、3000組(6000席)に応募総数13万通(26万人)の応募。
よく当たったものだと時が経つほどにその思いを強くしています。
会場のドームは、屋根はあるものの壁はなく、感覚としては野外のようなもので、“氷川きよしコンサート”として野外で行うのは、ほぼ初めてということで、きよしさんにとっても新鮮だったとのこと。
そのコンサートは「夢銀河」で幕開けとなったのですが、その選曲は、”万博というグローバルなイベントのイメージから、きよしさんがアイディアをだされたということをあとになってしったのです。

翌6月は、13日に「きよしとこの夜」の公開録画がNHKホールで行われ、いよいよ7月30日からは中日劇場で座長公演が開催されました。

7月30日~8月25日 中日劇場 
氷川きよし 特別公演 「きよしの石松売り出す 初恋道中」 
 
劇場パンフレットに掲載されている、きよしさんのメッセージがとても心に残るものでしたのでご紹介しておきますね。
 
いつもあたたかい応援をありがとうございます。
二年前の夏、この伝統ある中日劇場で劇場公演の初舞台を踏ませていただきました。汗と涙、そして熱い胸の高鳴りをまだ昨日のことのように思い出します。
帰ってきました。
再び、この舞台に立てることに心からの喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。
この二年間、たくさんの先輩に接し勉強させていただいた中で、「自分らしく自然体」であることは、人一倍努力した結果に得られる「余裕」であるということを学びました。
『きよしの森の石松売り出す 初恋道中』、さらに氷川きよしらしい石松を皆さまにご覧いただけるよう頑張ります。
何卒よろしくお願いいたします。

氷川きよし
 
私は、お盆の頃に中日劇場に観に行きましたが、きよしさんは絶好調に見えました。
「いつもみんなで手をつなごう」をフルコーラス歌われていたのですが、きよしさんの手話、それはそれは美しかったのです。できることなら、もう一度見たいと今でも思っています。
そして、「思い出のメロディー」には愛・地球博の会場から生中継で参加され、その時もお元気そうな様子でしたが、後半、暑さが厳しかったこともあったのでしょう。大きくコンディションをくずされることがあったそうで、後になってきよしさんご自身が「もう、歌手をやめることになるかもしれないと思う危機があったのです」とお話しされていたので、とても驚きました。
もちろんそのことをお話しされた時には、もう大丈夫と笑顔だったのですが、このブログを始めてから、ある日の公演で、きよしさんが、声が思うように出ず、舞台で土下座をされ、西寄さんが止める一幕があったと教えてくださった方がおられました。私はそのことを知って、泣きました。
あのいつも優しいきよしさんの歌への誠実さ、そしてプロとしての誇り高さを知って、感動せずにはいられませんでした。
と同時に1ヶ月間、渾身の舞台を繰り広げることの過酷さを知ったのでした。
 
翌月は地元福岡でバースデーコンサートの予定でしたが、台風のため延期になったことが思い出されます。
 
 
 
 
2006年に入って新歌舞伎座で座長公演。石松の演じ納めでした。
パンフレットは左上は新歌舞伎座、右上が新宿コマ劇場。中央が中日劇場のものです。


イメージ 1


2月1日~2月27日 新歌舞伎座 
氷川きよし 特別公演 「きよしの石松売り出す 初恋道中」 
私は、石松の演じ納めにこだわって千秋楽のみを観覧しました。
ファンクラブではとれなくて、新歌舞伎座友の会で何とかとっていただけたのです。
きよしさんの石松と別れがたい気持ちになりましたが、終演後の挨拶で、きよしさんは、ファンはもちろんのこと共演者やスタッフの皆さんにお礼をずっとおっしゃっていました。
そして1ヶ月間、家を留守にして、きよしさんのために大阪で活躍してくださったマネージャーの上東さんへの感謝の気持ちを「上東さんが、上東さんが」と何度も名前を出され、舞台で語っておられた姿が印象的でした。
きっと、感謝の気持ちがこみ上げてきて、どうにも抑えきれなかったのでしょうね。
かっこうをつけずに、そんなふうに心にわいた思いを言葉にされる、きよしさんのお人柄にふれ、またそんなきよしさんがそこまで感謝の念を抱かれるような共演者、スタッフに恵まれていることに、ファンとしても有り難さと幸せを感じた瞬間でした。
 

そしていよいよ3月15日に「一剣」をリリースされ、今年こそは日本レコード大賞をという意気込みをお話しされていました。
公演中にデビュー6周年を迎えたきよしさんは翌月リリースされる新曲「一剣」を新歌舞伎座の舞台で既に唄っておられたので、取材の記者の方に「一剣」の抱負を聞かれた時に、
「10周年に向けたスタートだと思ってます。初心に戻りながらも新しいものを吸収して皆さんに喜んでもらえるようにがんばります!」
そして恋愛についても聞かれ、
「恋愛も仕事も自分自身を持つことが大切。相手に求めるのではなく、自分が変わっていかなきゃ」
とお話しされたそうです。


以下の画像は千秋楽前夜の新歌舞伎座です。
 
 
そしてこちらは千秋楽当日の新歌舞伎座です。入り口左端に”本日千穐楽”というオレンジの垂れ幕がかかっていますね。
 
 
 
 
 
 
千秋楽の前日に大阪に行ったのですが、この時は友人のKさんと一緒でした。
久々の大阪を見て歩き、夕方、新歌舞伎座に行ってみると、ちょうど夜の部の公演を終えた、きよしさんに遭遇したのです。それで前夜から気持ちは最高潮に達していて、きよしさんが利用されている新歌舞伎座近くのホテルに泊まっていたのですが、ドキドキして何だかよく眠れませんでした。

この日の感想が当時の手帳に書きとめてあったので、手前味噌ではありますが、その一部を。
”声がのびやかで疲れをまったく感じさせず、千秋楽にふさわしい歌唱だった。花道での歌唱も素晴らしかった(この時は花道で歌う演出があったのです)。新御三家の歌もこれで聴き納めでしょうか? 
歌謡ショーが終わった後の出演者の方たちの千秋楽のあいさつまで、きよしさんは涙をこらえていた。
「ほんとうに男らしくなりましたね」とおっしゃった西寄さんに同感! 
前回のように「こんなに泣かれて、どうなってしまうのかしら?」なんていうことは、もうないのでしょう。
それだけ多くの修羅場を乗り越えてきたからこその成長であり、きよしさんは普通の人の数十年をこの数年で一気に駆け抜けてこられたに違いない。
私はそんなきよしさんにどんなにか励まされてきたことか。
あらためて、感謝を捧げようと思う。”
 

イメージ 2


きよしさんはwebで連載していた「オリコンスタイル」の”ドキュメント氷川きよし”で、新宿コマ劇場、中日劇場、新歌舞伎座での3公演をふりかえって、
「たくさんのみなさまにお越しいただき、応援していただいて感謝の気持ちでいっぱいです。
みなさま、本当にありがとうございました! 
自分からお願いして実現した『きよしの石松』でしたが、台詞、立ち回りと思った以上に大変でした。
昨年3月の新宿コマ劇場、8月の中日劇場、そして今回、新歌舞伎座と3劇場目。
公演中は苦しいときもありましたが、今回は石松最後の公演ということで、何かすうっと肩の力が抜けた感じがして本当に楽しんで演じることができました。
自分にとってはどの劇場での公演もひとつひとつ思い出があって、苦しさを乗り越えたからこそ得るものがあったのだと思います」
と語っておられたそうです。

毎公演、迫力あふれる演技を繰り広げておられたきよしさんは、ドンと膝をつくシーンのため膝にはあざができ、生傷も絶えなかったでそうで、まさに身体をはった命がけの公演でしたが、ライブならではのハプニングもおこったのです。
「オリコンスタイル」で紹介されていたエピソードのひとつですが、石松がお嬢さんにお寿司をすすめるシーンで、腰に巻いたお寿司の風呂敷包みを下ろそうとしたとき、うっかりしてボロッとお寿司をいくつか下に落としてしまったことがあったそうです。
それも、にぎり寿司なのになぜかゴトッという重たい音がして(笑)。 
それに気づいた観客が大爆笑するなか、きよしさんは、座長の貫禄で焦ることなく、
「あ・・・。少し減ってしまいましたが、お嬢さんどうぞ召し上がってください(笑)」とアドリブで乗りきって。
でも、結局こらえきれずに笑ってしまったきよしさんだったそうです(笑)。

どんなエピソードも、きくほどに、きよしさんらしいなあと思わせていただくわたし。
そうして17年が経ち、現在進行形!
こんなにもチャーミングな方に出逢えて、ファンになることができて、ほんとうに幸せです。


※次回はきよしさんが「一剣」で、日本レコード大賞を受賞されたこの2006年の思い出を、新宿コマ劇場でのみ開催された「きよしの一心太助」の公演の思い出とともに書いてみたいと思っています。



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