皆さま、こんばんは。
日本コロムビアさんのHPで、「博多祇園山笠」と「きよしのねずみ小僧」の試聴がはじまっていますね。
もう、お聴きになりましたか?
「きよしのねずみ小僧」はどんな振付で歌唱されるのかしら? と想像がふくらんでふくらんで...。
☆日本コロムビアHP
日々、痛ましい事件がおこって、やるせなさと憤りを感じています。
なぜそんなことに?
と、天にも自分にも問いかけては、答がみつからず心が痛むばかりです。
でも、だからこそ、このブログでは”きよしさんがくださった感動”や嬉しいこと、楽しいことをたくさんたくさん書きとめていきたいという思いがわいてきたのでした。
さて、それでは前回の記事につづいて、新宿コマ劇場での初座長公演からふりかえってみようと思います。
2003年10月2日からいよいよ新宿コマ劇場での座長公演がスタートしました。
2003年10月2日~10月28日 新宿コマ劇場
氷川きよし 颯爽公演 「草笛の音次郎」
この時を待っていた!
新宿コマ劇場初座長公演!!
きよしさんの人気はとどまることを知らず、この公演ではB席までもがすべて完売。
ファンクラブで申し込んでもチケットを入手できなかった方が多数出てしまったとうかがいました(私もそのひとりでした・涙)。
この時は枚数制限がなく、先に友の会の優先予約、その後、一般発売と他の公演同様、先着順での販売でした。
もう無理とあきらめていたら、その後、譲ってくださる方がいて一公演だけ観ることができたのです。
その時、たまたまお隣になった方から貴重なお話をうかがいました。
これまで書く機会もなかったのですが、当時の手帳に書きとめてありました。
その方はどうしてもチケットを取りたくてアルバイトの方を頼んで、並んでいただいてチケットを購入されたのですが、途中で差し入れをしたり何度か様子を見に来たそうで、詳しい状況を私に教えてくださったのです。
チケットの発売は9月1日だったのですが、3日前の8月28日には約80名の方が新宿コマ劇場に並んでいて、発売当日は朝4時の時点で150名、5時には300名、そして9時には1500名がチケットを購入するために並んだのだそうです。
さて、以下はきよしさんの新宿コマ劇場での公演パンフレットに掲載されたメッセージです。
いつもあたたかい応援をありがとうございます。7月に続き、またさらに大きな舞台に挑戦させていただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。初舞台の緊張と興奮が昨日のことのようですが、諸先輩方に見守られ、自分らしく伸び伸びと”草笛の音次郎”を演じることができました。芝居の上でのことなのか、それとも自分なのか・・・クライマックスでは熱い涙が次から次へとあふれ、「お芝居って楽しい!」と心から思うことができました。この経験は僕の一生の宝物です。今回もまだまだ未熟ですが、先輩方の胸をお借りして少しでも成長した”音次郎”をご覧いただけるよう頑張ります。また、歌手としての本業であるショーもますますパワーアップして楽しいものになりました。みなさまにもどんどん参加していただいて一緒に盛り上がりたいです。早いもので、明年はデビュー5周年を迎えます。思い返すと、いつも僕の目の前には一生懸命応援してくださるみなさまの笑顔がありました。その笑顔におこたえできるよう初心に戻って全力で頑張りますのでこれからも応援よろしくお願い申し上げます。氷川きよし
後日、うかがったことですが、この公演のある日、きよしさんが、お客さまをお見送りしたくて、エントランスの階上に突然姿を現したことがあったのだそうです。場内は騒然となり、きよしさんを一目見ようと皆、辺りにある上れるものに思わず上ってしまったということでした(笑)。
それはそうですよねー。私だって絶対にそうすると思います(笑)。
きよしさんは無事に全公演を終え、再び年末に向けてコンサートツアーをスタートさせたのです。
ちなみに以前、記事に書いた「レ・ミエン レビュー HIBARI 」には10月5日の11時からの昼の部を終えてから、出演されていましたし、休演日に九州地方で番組収録をされていたかと思います。
そして11月21日、倉敷市民会館で2003年のコンサートツアーを無事終え、次の年には新歌舞伎座での座長公演、とびうめ国文祭も待っていたのでした。
2004年1月31日~ 2月26日 新歌舞伎座
氷川きよし公演 「草笛の音次郎」
さて、怒涛のといっても大げさではない、"氷川きよしの2004年”。
1月31日から大阪の新歌舞伎座で座長公演がスタートしました。「草笛の音次郎」もいよいよ演じ納めです。
きよしさんがまさに体当たりで演じた音次郎、本当に魅力的な音次郎が表出したなあと感じたのです。お別れにはぜひ行きたいと思ったら、今回はファンクラブで千秋楽のチケットに当選できたのです。この時はクレジットカード会社でも取れたのでデビュー記念日の翌日2月3日にも観に行くことができたのですが、どちらもまったく同じ席になり、驚きました。
懐かしい新歌舞伎座のチケットとチケット入れです。
さて、右に写っているのは何だと思われますか?
終演後に千秋楽ということで出演者の皆さんがきよしさんのコンサート終演後まで残っておられて舞台に勢ぞろいされたのですが、その時にクラッカーをお持ちになったのです。
きよしさんにふれたものかは定かではありませんが、出演者の皆さんがきよしさんに向けられたクラッカーの中のテープを記念にいただいてきたのですが、ずっと缶の中に入れてあったので退色せず、今でも鮮やかです。
そしてもちろん、その思い出はもっともっと鮮やかなのです。
まず最初に、きよしさんの新歌舞伎座の劇場パンフレットに掲載されたメッセージを紹介しますね。
歌手・氷川きよしとして『白雲の城』にかけた二〇〇三年――どれだけたくさんのみなさまに応援し支えていただいているかを実感することができた一年でした。みなさまのまごころに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。『きよしのドドンパ』にかける二〇〇四年は――お陰さまをもちまして、デビュー五周年を迎えます。その開幕の二月。伝統あるこの新歌舞伎座でみなさまのもとからスタートすることができ、とても幸せです。ある先輩がおっしゃっていました。「お客さまによろこんでいただくことが私の使命」と。僕もその言葉を実践していけるよう頑張りたいと思います。この度の舞台も大先輩方の胸をお借りして、自分らしく全力でつとめさせていただきます。どうか思いっきり楽しんでいってください。一生懸命の音次郎をどうぞよろしくお願い申し上げます。氷川きよし
わたしはきよしさんがデビュー5周年目に突入された2月3日。
デビュー記念日の翌日に昨年末以来、訪れるのは二度目の新歌舞伎座に行ったのです。
大阪は日帰りできますので、夕方には京都の大学院で勉強している友人と食事をする予定も入れて忘れられない一日になったのです。
きよしさんが「玄海竜虎伝」を歌っておられた時、わたしはきっと恐ろしい形相できよしさんを見つめていたと思います。なぜなら、きよしさんの歌声を聴いていて、身を貫くようなこの歌声の持ち主は、本当にこの目の前にいる方なんだろうか? こんな声がこの世の中にあるのだろうか? この歌声がきよしさんの、というより人間の出せる声とは思えない! そんな思いでいっぱいになっていたのです。
その時の目もくらむような感動は、今もうまく言葉にできません。きよしさんの歌声が素晴らしいことは言うまでもないことですが、その歌声を何よりも愛さずにはいられない自分、そしてそんなにまで愛することができる、きよしさんに出会えた喜びを感じたのです。
それは2月3日のことでした。終演後には出入り口で、係の方が「きよし君からです!」と言いながら、ハウスの黒豆ココアを一人一人に手渡ししてくださって...。さすがは大阪だなあなんて感じたのです。
これは「草笛の音次郎」の劇場パンフレットです。左上が新宿コマ劇場、右上が新歌舞伎座、そして下中央が中日劇場のものです。
そしていよいよ2004年2月26日に「草笛の音次郎」は千秋楽を迎えたのです。
音次郎に息を吹き込み、血を通わせて大切に演じてきた、きよしさんですが、いよいよ音次郎ともお別れなのです。
この時、わたしの席の右は通路だったのですが、補助席が出ていたのです。それでその補助席に座られた方とお話ししたのですが、その方は前夜から新歌舞伎座の前に並んでそのチケットを入手されたということでした。
公演中、何度かそのようにしたのだとおっしゃるのですが、わたしの母よりずっと年上の方でしたので、そのバイタリティーに圧倒されてしまいました。
その方がおっしゃるには、きよしさんは新歌舞伎座近くのホテルに滞在されているので、夕食の行き帰りに新歌舞伎座の前を通られては、劇場の様子をご覧になられたのだそうです。
そして前日の舞台でも時折、涙されていて、千秋楽の当日は別れが辛かった様子で、劇場入りする時、いつもは車の窓を開けて挨拶されるのに、窓を開けていず、どうも泣いておられたということでした。
わたしは2月3日以来でしたので、きよしさんの近況をうかがって、きよしさんの心を思って、開演前から胸が熱くなっていたのですが、いざ舞台の幕が開くと、驚きの舞台を目にすることになったのでした。
きよしさんは、まさに音次郎と同化してしまったのでしょう。
初座長という大役をつとめた自分と、親分の名代をつとめた音次郎の思いが重なって、音次郎の台詞を言っていてもそれが自分自身の思い、すなわち今日、これでお別れになるのだというさみしさに、台詞を言っていて何度も泣いてしまうのでした。
そんなきよしさんを役者としてどう見るのか? ということはどうでもいいと私は感じたのです。というのもベテランの共演者の方までもが、一緒になって涙されていたからです。
座長のきよしさんが涙ながらに演じているということも驚くことかもしれませんが、共演者の方々までもが、演じていてもらい泣きされるなんて。
そんなこと見たことはもちろん、聞いたこともありませんでした。もちろんその後もありませんが(笑)。
でも、それこそが、氷川きよしの舞台、というより氷川きよしそのものなのだなあと感じ入ったのでした。
もちろん、今のきよしさんでしたら、その役になり切って、涙をぐっとこらえて、演じることでしょう。
でも、2004年のこの時の氷川きよしには、それこそがもっともふさわしい最上の演技だったのだと、そう私は思うのです。
きよしさんは、わたしに紛れもなく筋書きのない舞台の魅力を存分に味わわせてくださったのです。
2月3日のこの世ならぬ歌声といい、きよしさんの魅力の計り知れなさを感じたのでした。
涙、涙で、時には台詞が泣き声になってしまいながら、そして共演者の方と共に涙されながら、お別れの時間が刻一刻と近づき、最後は宴席になって。きよしさんはお酒をすすめられるのでしたね。
フィナーレは爽快で華やかなものでした。
そしてきよしさんが魂を込めて演じながら作り上げてきた、何とも魅力的な音次郎に出会えた幸せを感じながら、同時に演じ納めということでお別れになるさみしさを感じたのです。
きよしさんが2部のコンサートを熱唱で締めくくると、共演者の皆さんが私服で手にクラッカーを持って勢ぞろいされたのでした。
きよしさんは、その時はもうお泣きになりませんでした。
「涙も出尽くしました!」
そう笑顔でおっしゃったのです(笑)。
きよしさんらしい、明るく爽やかな千秋楽となりました。
終演後はきよしさんを見送るファンで新歌舞伎座横の沿道に長い長い列ができたのです。
きよしさんは皆に見送られながら、ゆっくりと新歌舞伎座を後にされたのでした。
1ヶ月公演を終えたきよしさんは、すぐに東京に戻られたそうです。
3月3日のひなまつりの日に現在の「きらめき歌謡ライブ」(NHKラジオ)の前身である「はつらつスタジオ505」にきよしさんが出演され、わたしもスタジオに観覧に行ったのでした。
※次回は2005年、「きよしの石松売り出す 初恋道中」以降を書いていきますね。