Quantcast
Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

「氷川きよし特別公演いよいよ明日、初日を迎えます。今日はきよしさんからメールがとどきましたね。

$
0
0
みなさま、こんばんは。
明日はいよいよ「氷川きよし特別公演」の初日ですね。
今日は、きよしさんから、わくわくするようなメールがとどいて、そのメールは、
”準備万端整いました。皆さま、明治座でお待ちしております。”
と結ばれていました。
素晴らしいスタッフ、共演者に恵まれて、最高の座組ができているのだなあとその文面から感じて、期待がふくらみます。

そしてニューアルバム「新・演歌名曲コレクション5-男の絶唱-」は5月29日付のオリコンCDアルバムランキング総合で第3位になりましたね。
これからますます多くの方に聴いていただき、そのおこころに、”氷川きよし”の歌声とまごころがとどくことを願わずにはいられません。
明治座さんでもアルバムのなかからも唄ってくださるそうですので、そのことも楽しみです。

イメージ 1

メールには、お芝居について、
”2年前よりも、芝居もコンサートも自分自身も楽しめているなと思います。それがお客様に伝わって、さらに楽しんでいただけたらうれしいです。 
芝居のほうは、アドリブのようなおもしろい場面がたくさんあります。日を追うごとに、僕も含めて役者の皆さんがエスカレートするのではないかと思います()
何度も足を運んでくださるお客様には、そこも楽しみにしていただきたいです。”
と書いてくださっていましたね。

わたしは明日はお昼すぎか夕方まで仕事なのですが、3日の夜の部にお友だちのKさんと参加します(嬉)。
赤坂にいるので、夜の部終演後の出待ちにうかがいたいという誘惑もあるのですが、明日取材して仕上げる原稿の締切が5日と超急ぎなのです(汗)。
3日の観覧のご報告をこころおきなくさせていただくためにも、明日は帰宅したら前倒しで原稿づくりをすることに決めました。

少し前からきよしさんの座長公演をふりかえってきましたが、明治座さんでの初めての公演のときは、このブログを書いていましたので、あらためて読み返してみたのです。
たとえ書きとめなくても、きよしさんが生みだす感動は、深く濃く鮮やかに魂に刻まれていますが、でも書きとめたことでよみがえる様々なこともあって。
書きつづけることができて、よかったなあと思ったのです。

コンサートツアー3年目に狭山市市民会館で開催されたコンサート・夜の部に参加した帰り、最寄り駅のホームで電車を待っていたときのことでした。
ふと反対側のホームをみると、平日でしたので仕事帰りの方が多数電車を0待っているのですが、照明の光源が低く薄暗いホームには疲れきって能面のように無表情な人ばかり...。
わたしもぼんやりその様子をながめていたのですが、そこに、ひとり、またひとり、笑顔の人がホームの列に加わってきたのです。
笑顔の人たちはイキイキと輝いて、まるでお花が咲きだしたかのように思えて、わたしは目をみはったのでした。
そして、少しずつふえていく、そのお花のような人たちが、きよしさんのコンサートに参加されていた人であることに、ようやく気づいたのでした。

そのときのわたしには、その光景が魔法や、奇跡を目の当たりにした思いで、今でもそのときの驚きと感動を忘れることはできません。
よく、天国と地獄はともに存在しているといわれますが、ほんとうにそうなんだなあと感じて、あんなに人間性のかけらも感じられなかった無機質な空間が、笑顔で輝く人たちでいっぱいになっていくのをながめながら、こころの底からきよしさんに呼びかけていたのです。

そして、もしわたしがビデオカメラだったら、この風景を焼きつけて、きよしさんにみてほしい。
ハードスケジュールのなか、どんなときも笑顔でがんばっておられるきよしさんに、そのときの感動の光景をみていただきたい。
と、その感動と思いが、このブログを書こうと思った原動力でした。

写真や映像にはそのときの空気まで映っていると感じることが多いですが、そのときどきのこころの動きは、やはり書きとめることでよみがえるものもあり、わたしには意味あることに思えて、書きつづけることが今日までできてよかったと、感謝しています。

そして個人的な思いですが、つたない文章で筆の乱れもそのままに、まぎれもなく自分自身の魂の日記になっていることを感じて、まだまだ書いてみたいという思いを強くすることができました。

ブログをお読みくださっている皆さま、ほんとうにありがとうございます。

ここであらためてお礼をいわせてください。


それでは以下は、「明治座で逢いましょう ~氷川きよしの夢舞台 華舞台~」のしめくくりとなります。
先の記事では、2013年3月の、”明治座創業140周年記念のファイナル”である「氷川きよし特別公演 銭形平次~きよしの平次 立志編~/氷川きよしコンサート2013 in 明治座」の前楽の夜の部でのことを書かせていただきました。
きよしさんは、千秋楽前夜の”前楽”で、
「今日は帰りたくない~」
とつぶやかれたかと思ったら、
「今日は12時を越すぞ~!」
と突然、客席に呼びかけられたのでした。
客席から、賛同の声と拍手がおこると、
「それは無理だ~!」
と司会の西寄ひがしさんがこれ以上ない絶妙なタイミングでおっしゃったのでした(笑)。
そんな思いを胸に一夜をすごして迎えた千秋楽。
思いだすのは、コンサートでの西寄さんとのやりとりです。

きよしさんな、ステージでお隣に立っておられる西寄さんの横顔をちらとご覧になると、
「あなた、泣いてるよね?」
とお聞きになったのです。
そう、西寄さんは、静かに静かにお泣きになっていたのでした。
きよしさんは小さくうなずくと、
「この方がそばにいて、一番(僕を)見ているから」
とそこまでおっしゃると、ともに涙されたのでした。


イメージ 3

 
われらが”きよし平次”は颯爽と舞台に登場されましたが、きよしさんと共演者の皆さんのまるで家族のような心のつながりを感じさせていただいて、 同じ場所にとどまってはいられないとわかっているのに、名残惜しくさびしい気持ちが押し寄せてきたのです。
八五郎とのシーンで、八五郎が”ずっと兄貴って呼びますよ”とおっしゃって、じんときてしまったのですが、きよしさんは涙が止まらなくなってしまって、八五郎役の松井天斗さんが二度も手ぬぐいできよしさんの涙を拭いてくださいました。
大目付役の勝野洋さんに、”何から何までありがとう存じました”とお礼を申し上げるシーンでは、ご自身の思いと重なるものがあったのでしょうか? 涙声になりながらの渾身の台詞に聞き惚れ、瞳からあふれる涙に見惚れていたのです。
私はきよしさんの心が平次の心とぴったりと重なりひとつになって、次第に輝き出していくのを感じて、胸熱くなっていったのですが、とりわけ平次のお母さん役の音無美紀子さんは、きよしさんが演技をしやすいように、きよしさんを丸ごと受け止めて、終始全体のペースを整えてくださっているように私には感じられて。
音無さんをあらためて素晴らしい女優さんだと思い、そんな素晴らしい方がきよしさんを支えて盛り立ててくださっていることにも感謝し、感動していました。
 
狂言回しという重要な役割で、この舞台を牽引してくださった西寄ひがしさんが演じた耳寄堂の耳助さんも忘れることはできません。明瞭でユーモラスいっぱいの語りに、”猥雑さ”をブレンドさせて、物見高い江戸の人々のざわめきが聞こえてくるようでした。
西寄さんがお芝居にも出演してくださって、きよしさんはどれほど励まされ、何より心強かったことでしょう。
西寄さんの名語りと熱演に、勝手ながらそんなことを思ったのです。
 
きよしさんが植木屋さんに怒られて、”優しくないっ!”とおっしゃった後、腕に唇を押しつけて、”プーッ!”とオナラの音をさせるシーンがありますが、この日は最後ということで10連発以上の大盤振る舞いされ(笑)、そのシーンの後で、きよしさんとやりとりのある音無さんが、待ちくたびれて”腰が痛くなっちゃったよ”とアドリブの台詞をおっしゃると、
「プップ、プップいわせて、ごめんよ」
と、さらなるアドリブで返されてから”大丈夫でしたか?” というように音無さんを見つめてさり気なくいたわられていました。そんなお2人のやりとりに大いに笑わせていただきながら、その温かさにじんときました。  
きよしさんは共演者の皆さんに支え盛り立てていただきながら、見事に最後まで平次を演じ切り、”平次コール”に見送られて43公演の幕を閉じたのでした。
 
 
休憩を挟んで「氷川きよしコンサート 2013 in 明治座」の幕があくと、西寄さんが、
「皆さまの愛に包まれるような千秋楽公演。ファンの皆さまも、おめでとうございます」
とご挨拶されました。

きよしさんはあらためて、1カ月間、見守り、応援してくださったことへの感謝の気持ちとお礼を述べられ、明治座にお越しになることができなくても、きよしさんのことを思ってくださったそのお気持ちがどれほど嬉しかったのかということもまた語られたのでした。

西寄さんが、千秋楽を迎えた今のお気持ちを聞いてくださると、
「やっぱり肩の力が抜けますね。公演期間中は絶対に病気もできないし、どこかピリピリと張りつめるものがありました。
明日は脱力して抜け殻になるかもしれないけど(笑)。
また次のステップに進んでいきたいと思います」
ときよしさんはお答えになりました。
すると、
「きよしの銭形平次は日本1!」
西寄さんがそうおっしゃってくださり、その言葉をうけとめて、
「自分にしかできないことがきっとあるという思いで、自分らしく演らせていただきました。
西寄さんより年下だから、エラそうに思われるかもしれないけど、
西寄さん、偉いよ! 
司会もあるのにお芝居もされて、素晴らしかったです」
きよしさんは逆にそのような言葉で西寄さんを賞賛され、その日のお芝居を振り返られたのです。
 
「共演させていただくと家族みたいになるんです。
僕はすごく気持ちが入ってしまうのですが、皆さんおひとりおひとり感じ方が違うので、何で泣くんだって思う方もいらっしゃると思います。
でも僕は自分の気持ちを大切にしていきたいし、きちんと演じることも大切ですが、それにプラスα、やっぱり気持ちが大切だと思いました。
苦労して努力して積み重ねたものがあるからこそご覧くださった方に感動していただけるのかなと思いました。
簡単にすんなりできてしまったら、それだけで終わってしまいますよね、きっと」
きよしさんは、”自分のことは、自分では評価できないですけど”と前置きされて、そのようにおっしゃって、さらにその日、きよしさんとバトルを繰り広げる岡まゆみさんが、キティちゃんのお人形の下に、”千秋楽ありがとう”(とおっしゃっていたかと思います)と書かれた紙を置かれていて、きよしさんはそれを見て、泣けてきてしまったことをお話ししてくださったのでした。
 
きよしさんは千秋楽の前夜、強くならないと芸能界では生き残っていかれないという思いをお話しされましたが、さらにこんなふうにおっしゃっていたのです。
「芸能界はほんとうに厳しい競争の世界です。
優しさも愛も大事だけど、でも強くないとやっていけません。
でも、ほんとうは弱いんですよ。
僕が一番弱いんですよ...。
だから強くならないと...」
そして、
「自分自身の心と戦っていきたいですね」
と。
あらためて心の内を言葉にしてくださったきよしさんに、またもというより、前夜の何倍もの切なさでいっぱいになりました。

そんなあなただから、愛さずにはいられないのです。
そして、ささやかでも応援させていただきたいという気持ちにさせていただいているのです。
 
わたし、前楽のご報告で書きかけてみて、やっぱり書かなかったことがありました。
デビューして14年。
華やかに見える世界ほどその陰で渦巻いている美しくないものも多いのではないかと思います。
そうであれば、きよしさんほどの感受性の持ち主なら、ご自身のことではなくても、これまでに見たくないものを目にしたり、聞きたくないものを耳にすることもあったかもしれませんね。
でも、わたしはどんなときも、きよしさんからはそんな”ロー”なエネルギーを感じたことは一度たりともありませんでした。
これまでもコンサートで、きよしさんが”芸能界は厳しい競争の世界ですから”と、おっしゃると、笑いが起こることがあったかと思いますが、そのたびに私はきよしさんてすごいなあと感じていました。
ファンに、そんな”ロー”な諸々ときよしさんが、それほどまでに無縁に思われている証しですものね。
私は、そんな時、氷川きよしが、常に自分自身と戦っていらっしゃることを心から誇りに思うのです。
 


さあ、そして2015年3月、きよしさんは明治座さんで3度目の公演が開催。 
「氷川きよし特別公演 め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~/氷川きよしコンサート 2015 in明治座」というタイトルで、きよしさんは火消しの辰五郎を演じられました。
江戸を守り、人々を救いたいという思いから、火消しという命がけの仕事を志し、日々奮闘しながら成長していく辰五郎にをイキイキと演じるきよしさんに、魅せられたのです。


イメージ 2

明治座さんでの公演は2年ぶり3回目となりますが、前2回と異なり、今回はお芝居に中休憩がなく90分間の通し上演。
30分間の休憩があり、コンサートは75分間という構成になっていました。
第1部のお芝居、「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏」は90分の通し上演でしたが、きよしさんが演じる辰五郎は正義感が強くて曲がったことが大嫌い。ちょっとおっちょこちょいで向こう見ずなところもありますが、何より人情家で心優しい青年。人間模様が何層にも織り込まれ、一緒に悩み、葛藤しながら、成長していく、”きよし・辰五郎”を見守り、応援していくうちに、自分自身も励まされたのです。
舞台のセットもぜいたくなほどに転換していき、火事場のシーンの迫力は想像を超えるものでした。

脚本・演出の市川正さんが、公演パンフレットに、
”何時の時代でも防災は命がけの作業です。現代でも消防士は火災は言うに及ばず、地震、台風、事故、遭難といった場に我が身を顧みず危険に身をさらします。その尊い姿に頭が下がります。
我らが氷川きよしさんがそのめ組の火消し、辰五郎を、文字通り命をかけて演じます。どうか皆様惜しみない拍手で後押しのほどよろしく御願い申し上げます。”
と書いてくださっていました。

イメージ 5


この公演での歌唱は絶好調!
初日から、”歌唱が素晴らしすぎる~”参加された方から、おしらせがあり、このときは2日目に参加させていただいたのですが、そのめくるめく歌唱に惹きこまれたわたしでした。
思えば、年明けてから、この公演までの間に、のちに公表されましたが、のどのメンテナンスをされていたのですね。

わたしは、そのときの感動をこんなふうに書いています。
「情熱のマリアッチ」を歌唱されたときのことでした。
甘く、切なく、そして激しいその歌声に、がっしりと心を惹きつけられてしまいましたが、きよしさんはそのまま、
「♪マリアッチ~~~」
とロングトーンを続けられて...。
もう、きよしさんと一緒にジェットコースター状態(?)になったのです。
強く、遠く、また強くと、まさに超絶ロングトーンでしたが、そのときのきよしさんの左手にわたしの目は釘付けになりました。
親指と中指で、何かをスーッとひっぱって伸ばすような仕草を数度されたあと、その2本の指先をくっつける用にして円を描きながら、そのまま高くくるくると回されたのです。
そのロングトーンの圧倒的な響きに聴き惚れながら、きよしさんの音を操っているかのような美しいその仕草にも見惚れたのでした。

イメージ 4

明治座の三田芳裕社長が、公演パンフレットの挨拶文のなかで、
”デビュー十六周年を迎えられた氷川さん。いつも変わらず真摯に歌に取り組まれる姿勢、観る人の心を温かくする”人柄”こそ、氷川さんの魅力であると思います。
幅広い年代を魅了するその姿を、どうぞごゆっくりご鑑賞ください。”
と書いてくださっていて、ああ、ほんとうにそのとおりと感じ入りました。

この公演のときは、12日に、きよしさんが、1日消防署長をつとめられるというイベントがありました。
昼の部の公演が終わったあと、ステージ上で日本橋消防署長さんより、きよしさんに一日消防署長の委嘱状が交付されたのですが、
署長さんに、
「私より署長らしいですね」
とほめていただいた、きよしさんだったのです。

劇場をきよし署長の号令で避難訓練をかねて退出。
明治座さんの前で消火活動のデモンストレーションがおこなわれるときいていましたが、そのとに出るとすでに何重もの人垣ができていました。
事前に知らされていなかったのですが、そこにきよしさんがいらっしゃるとのこと。
あわてて、後から列につきましたが、劇場エントランスの扉近くの、ちょうどワイドショーのムービーカメラマンのかたたちの横のスペースに立つことができ、私服に着替えた西寄さんも近くで見学されていたのです。
劇場前にきよしさんが登場され、最初は生声で号令をかけたりするシチュエーションが何度かあり、そのたびに、きよしさんの生の声の美しさにうっとり。
その後、マイクをつかってご挨拶され、梯子車にものぼられたのです。
四方から大きな“きよしコール”も起こって盛り上がりは最高潮。イベントが終わると、きよしさん、とてもとても嬉しかったのでしょう。エントランス近くの見学の列の前方に、白手袋をされた手を差し出してくださいました。
前列の方の何人かの手をふれたところで(わたしは前列ではありませんでした)、きゃあっ!と人が押し寄せそうになって、スタツフのかたが止めてくださいましたが、それでもきよしさんは名残惜しそうに、手を振られて…。
ドアの向こうに入られる間際に、両手で投げキッスをしてくださったのです(嬉)。
もう、その場にいた皆(ここはわたしもです・笑)は、とろけてしまいました。

イメージ 6


29日、千秋楽を迎えましたが、東京は朝から晴れていて、まさに”きよし晴れ”。
桜も、きよしさんの千秋楽をお祝いしてくれるかのように、咲きだした、劇場地元の甘酒横丁では”桜まつり”が開催されていました。

この日の第1部のお芝居の舞台上での共演者のかたとのやりとりのなかで、
”1カ月どうもありがとうございました”、
”1カ月お世話になりました”
というような感謝の言葉を、きよしさんは自然にまじえておっしゃったのです。
その言葉に共演者のかたのほうが思わず涙ぐまれると、きよしさんは優しく微笑み返しをされ、座長としての貫禄を感じさせられました。

2部のコンサートで、きよしさんいわく”辰っちゃんの歌”である「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」を歌う際、きよしさんのうしろに纏と鳶口をもったかたが4名いらして歌唱に合わせて纏をふったり、鳶口を鮮やかに回したりしてくださいます。
きよしさんは歌唱される前に、後方にいらっしゃるそのかたたちのほうを左右それぞれに半身振り返って右手、左手を高く掲げられるのですが、わたしが、この日すわっていた座席から、きよしさんが半身振り返り、片手をかかげたときに、纏を持ったかたの目を見つめて、”ありがとう”とおっしゃったのが見えたのです。
ステージの上と、そのかたたちが立っておられるステージ上段まで距離があるのですが、その纏を持たれたかたは、きよしさんに応えてうなづき、”ありがとうございます”とおっしゃった様子でした(口の動きだけしか見えませんので・笑)。
数々の名シーンに加えて、わたしにはその様子が忘れられないシーンのひとつとなりました。

2部でのコンサートでのことでした。
「皆さん、1か月劇場にお越しくださり、応援してくださり、ありがとうございます。
またお越しになれなくても、全国、世界中からも僕を見守ってくださり、ほんとうにありがとうございました。
今日、お越しになれなかったかたもいらっしゃると思いますが、どうかよろしくお伝えください。
日々、辰五郎も少しずつ成長して...。
もう、辰五郎に会えないと思うとさびしいですね~」
感慨深気にそうおっしゃったあと、
「またいつか、どこかで会えたらいいなと思います」
とおっしゃいました。

そして、”昭和の名曲コーナー”のラスト曲「無法松の一生~度胸千両入~」を歌い終え、舞台袖に戻られると、西寄さんが、1カ月43公演を振り返って、
「わたくし、ずっと見させていただいてきて、氷川きよしは日本一幸せな座長だなと思いました。
そして15年ご一緒させていただいておりますが、
きよし君のことが年々好きになります。
今日は皆さんに盛り上げていただいて、有終の美を飾りましょう」
とご挨拶されたのです。

きよしさんはコンサートのなかで、
「ここまで1カ月、多くの皆さまにお越しいただき、全国のファンの皆さんにも応援していただき、見守っていただきました。
おかげで日々健康で、今日までやってこられました。
舞台裏ではマネージャーさんはじめたくさんの、何百人ものスタッフが動いてくださって僕を支えてくださいました。
ありがたいですね。
これまでの明治座さんでの2回の公演もほんとうに楽しかったのですが、今回はそれ以上に楽しいものでした。
(いろいろな場で活躍されている)共演者の皆さんが、それぞれの花を舞台で咲かせていらっしゃる様子に、僕も僕らしくやらせていただこうとと思わせていただきました」
と、おっしゃると、あらためて西寄さんのほうに向き直り、
「西寄さん、よくやってくれました。ありがとうございます」
とお礼をおっしゃったのです。
西寄さんは、”とんでもありません”というふうにかぶり(頭)をふられてから、
「楽屋の雰囲気も、客席の雰囲気も、すべてはきよし君が作ってくださっているんです」
と。

きよしさんは、あらためて辰五郎について、
「辰五郎は正義感が強くて、江戸っ子気質で。情熱的なんですけど、さっぱりしているところがあって、大好きですね。
僕は博多の人間ですけど、博多の人って、気が荒いけど慈悲深いところもあって。『無法松の一生』という歌からもおわかりいただけると思いますけど。
だから似ているんですよね。
お芝居のとき、勝野さんに”真っ直ぐに生きていっておくんなせえよ”といっていただくシーンがありますが、セリフって、命に入ってくるというか。
心の深い部分に入ってくるんですよね。
そして自分の、素の山田清志になったときにも、またその言葉が入ってくるんです」
とお話しくださいました。

コンサートも終盤に近づいたところで、西寄さんに、
「言い残したことはありますか?」と問われたきよしさん、
「言い残したことは~...あります!」
としばし逡巡されてから、
「今日で43公演、多くのかたにお越しいただきましたが、そのなかにはお年寄りのかたもいらっしゃって、杖をついて階段を昇り降りをされて。
ありがとうございました。
僕に、(お手紙ででしょうか、少し聞き取りにくかったのですが)
そのようなお年寄りの姿を何人も目にしたり、お隣でペンライトをふって、応援しているかたが93歳と聞いて、氷川きよしはそういうパワーを人に与えているんだと驚き、感動したと、教えてくださったかたがいて。
あらためて、そんな皆さんの思いにこれから、お応えしていかれたらと思わせていただきました」
とおっしゃったのです。

着流しにお召しかえされて、「箱根八里の半次郎」、「大井追っかけ音次郎」を歌唱されると、ラストトークに。
「人生というのは、どなたもそうだと思いますが、分岐点がありますね。
僕は18歳のときに水森英夫先生にスカウトしていただいて、状況して3年半アルバイトをしながらレッスンをしていただきました。
なかなか東京弁になじめませんでした(笑)。
デビュー曲の『箱根八里の半次郎』に、”廻し合羽も三年がらす”と、”おっ母すまねえ 顔さえ出せぬ”という歌詩がありますが、そのときの自分と重なったんですよね。
分岐点はいくつもありましたが、歌手になって、デビュー曲がヒットして、ファンの皆さんが応援してくださって...。
多くのかたが手をさしのべてくださいました。
人の心は時とともに移りかわりますが、そのなかで、これまで応援していただいて...。
ありがたいですね。
人の心って移りゆくものでしょう?」
きよしさんの言葉に、
”変わらん!”っといかめしい形相でおっしゃられたかたがいらしたそうで、
「”変わらん!”って、そんな怒っていわなくっても」
怒られてしょぼんとしながらも、嬉しそうなきよしさんでしたが、もしかしたら、そんなふうに、皆に”わたしたちは違うよ”って怒ってほしかったのかもしれませんね。
なんだかそんな気がしたのです。
ここで、そんなきよしさんの思いに応えるように、そして千秋楽を祝させていただきたくて待ちきれなかったとういように、大きな”きよしコール”が起こりました。
長い、長い”きよしコール”でした。
「嬉しいですね~。盛りあげてくださって。ありがとうございます」

尚もやまない”きよしコール”でしたが、きよしさんが少し大きな声で、
「ありがとうございます」
とお礼をおっしゃると、コールは静まり、きよしさんの言葉を待ちました。
ここで、”辰っちゃんの歌”への思いをお話しされて、「め組の辰五郎~きよしの大江戸千両纏~」、「ちょいときまぐれ渡り鳥」と歌ってくださり、いよいよラストの「白雲の城」を歌うため、ステージ中央のステップの中段に移動されました。

きよしさん、
人間はひとりひとり、とてもはかない存在だけど、そしてこの今、抱きしめるようにして味わっているあなたがくださった感動だって、目に見えないし、さわることもできないけれど、でも、わたし、生きていて、こんなに幸せで嬉しいことがあるんだって、今心から思っているから、この感動はきっと、この宇宙のどこかにちゃんと伝わっているはずだって思えたの。
それこそが、もしかしたら”永遠”というもの?
その答えは今はわからないけれど、
いつか、あなたの歌唱がわたしにそのことを教えてくださいますね。
勝手ながら、そんな思いでいっぱいになっていたのです。

アンコールの「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」を熱唱されると、明治座1カ月、43公演の幕が、われるような拍手と声援に送られて、おりたのでした。

幕がおりても、客席の照明はつきませんでした。
一瞬、それぞれがその感動を胸にしまいこむかのように、シーンとしたかと思うと、
”きよし!”、
”きよし!”
とコールする声が広がっていきました。
大きな”きよしコール”が響くなか、「きよしのズンドコ節」のイントロが流れてきたかと思うと、ふたたび舞台の幕があがり、そこには出演者の皆さんが私服姿で勢揃いされていたのです。

お芝居では講釈師・不動軒天山役でも大活躍された、司会の西寄さんの進行で、出演者の皆さまがご挨拶されていきました。
そのとき、め組の頭(かしら)・鉄造役の勝野洋さんはこんなふうにお話しされていたのです。
「め組の鉄造です。
(生後)2カ月の猫に”鉄造”と名前をつけました(笑)。
芝居のなかで、”若い(わけえ)の、そのまま、真っ直ぐに生きていってくだせえよ”というセリフを1カ月いっていましたが、自分ではまっすぐに生きているつもりだったけれど、ほんとうにそうだろうか? 
あらためて自分でもそう生きていかないといけないという気持ちにさせていただきました。
氷川さんはほんとうに純粋な人ですね~。
セリフをいうときって、お互いの目を見ていいますけれども、氷川さんは目で伝えてくる。
それは役者の鑑っていうか、人間の鑑だと思いました」

他の共演者の皆さまのお言葉はこのブログの記事にもまとめています。
よろしければご覧くださいませ。

西寄さんに、
「われらが氷川きよし座長です」
と、あらためて、紹介されたきよしさん、
「稽古のときから今日まで、あっという間でした。
正直、体力的には大変なときもありました。
20代のときは、時代劇って難しいなって敬遠していたところがありましたが、勉強すればするほど好きになって、今では大好きです。
もし、明治座さんでまた公演をやらせていただけたら、全員、今回と同じメンバーでと思っています。
いかがでしょうか?」
きよしさんが、共演者の皆さんに問いかけるようにそうおっしゃると、どなたからも笑顔が返ってきました。
”もう一度共演したい”
という言葉こそ、役者さんにとって最大の賛辞だと、きよしさんはご存知だったでしょうか?
いえ、そんなことよりなにより、その言葉に込められたきよしさんの感謝の思いと感動に、ステージに立たれていたすべてのかたの心がまた感動でふるえたのだと思うのです。
メイコさんが何か、きよしさんにおっしゃったでしょうか?
きよしさんは、照れ臭そうに、
「僕、人見知りなんで、なつくまで時間がかかるんです」
と、おっしゃいました(笑)。

そこで、エンディングの「きよしのズンドコ節」のメロディーが流れ、きよしさんが、“ありがとうございました~”と、今一度お礼をおっしゃると、いよいよ、明治座1カ月43公演の幕がおりたのでした。


イメージ 7


終演後、劇場の外へ出ると雨が降っていましたが、明治座さんの周りには三重、四重の人垣ができていました。
千秋楽のチケットはとれなかったけれども、1カ月座長公演を終えたきよしさんをお見送りしたいと、たくさんのかたが集まっていたのです。
わたしも、その人垣のうしろで、きよしさんのお帰りを待たせていただきました。

共演者の皆さまをお見送りされていたのでしょうか。
きよしさんの車は皆さんがお帰りになられたあとに、出てこらえたかと思います。
このとき、鮮やかなスカイブルーのジャケットをお召しになられていて、きよしさんの幸せそうな輝くような笑顔、そして優しく深いまなざしに吸い込まれそうな思いがしたのです。
その月のFC会報で昨年の「NHK紅白歌合戦」が終わって帰宅される際、新年だからとお着物に着替えていらしたことをお写真付きでおしえてくださっていますが、ふとそのことが思い出されて...。
コンサートのなかで、”20周年へのあらたな船出”とおっしゃっていたので、その晴れの船出に、きよしさんがあえて、大好きな”ブルー”を身にまとわれたように、勝手ながら感じたのでした。

文末に、お母さまのエピソードを。
この公演にご両親を招かれたきよしさんでしたが、帰宅されてから電話があったのだそうです。
「2日後に、母から電話があって、
”きよし、どげんしてあげなセリフ覚えたと?”
って聞かれました(笑)。
”スターみたいに見えたと”
っていうので、
”そおお~?”っていったら(笑)、
”氷川きよしって雰囲気ば、つくっとったっちゃろ”
って。
僕、”そおお~? 普通だけど~”って答えました(笑)」
と。
そう話しながら、嬉しそうなきよしさん。
お母さま、チャーミングすぎますっ!
かわいらしいお母さまに、いつでもそういうかわいらしさを持っていたいなって思わせていただきます。

それでは皆さま、まもなく、日付がかわって6月2日になります~。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>