おはようございます。
昨日、上野の東京文化会館大ホールでおこなわれた「第50回 年忘れにっぽんの歌」の公開収録2日目にいってまいりました。
夢の夢のまた夢である、わたしの子どもの頃からの思い出がいっぱいのホールで、きよしさんの歌声を聴くことができ、胸がいっぱいです。
そして、予想もしないサプライズなこともありましたので、そのことは2つめの画像(スケジュール案内板)の画像のあとに書きますね。
先に、きよしさんは「箱根八里の半次郎」を颯爽と唄ってくださいました。
なんだか嬉しすぎて、せっかくこのホールで聴かせていただいたというのに、正直、他の方のときのように客観的に聴くことはできなかったのです。
でも、宙に浮いているかのように心地よく、夢み心地のわたしでした。
あっ、もちろん、”きよしコール”はいつものようにさせていただいたので、周囲のこの番組のファンの方に、“キマッてるわね~!”とお褒めの言葉をいただきました(喜)。
そりゃあ、18年分の年季が入っておりますもの(かなり自慢!)。
収録はほぼ定刻にスタートして、ほぼ3時間、セットの入れ替えや”CMタイム1分です”というようなタイムキーパーさんのお声が入ってのフリートーク(雑談)などが、こまかく入りましたが、休憩は入れずに順調に進んでいきました。
カメラの台数も大変なもので、わたしの目に入っただけでも客席側に大型カメラが4台、ハンディータイプのカメラが2台、ステージ上にこぶりなカメラが2台、ステージすぐ下にもこぶりなカメラが3台あったかと思います。
ホールは5階席まであり、収録で使用したのは4階席まですが、上階にもハンディータイプのカメラが設置されているのがみえたので、カメラの台数だけですでに驚いてしまいました。
わたし、この番組の公開収録に参加させていただくのは初めてのことだったのです。
当初は大晦日の生放送でしたから、紅白歌合戦”を観覧できなかったとしても、きよしさんの出演シーンはリアルタイムでみさせていただきたいわたしなので、当たる当たらない以前に、この番組の観覧にはご縁がなかったのですが、事前収録となった2年前から、もしチャンスがあればと思うようになりました。
今回、お誘いくださる方がいて(それも両日)、とてもとてもありがたかったのですが、出演者は公表されず、ということはもちろん、どちらの日にどなたが出演されるのかも、それこそきよしさんが出演されるのかもわからなかったのです。
わたしは両日とも仕事の予定がはいっていたのですが、いろいろやりくりすればどちらかの午後は空けられるかも!
ということで7日にかけて、6日や他の日に7日の仕事を寄せてなんとか参加できることになったのでした。
でも、きよしさんのご予定は?
そう、わからないままに6日を迎え、お友達のOさんから、”今日はきよし君の出演はないようですよ”とメールをいただいたのです。
昨日も、きよしさんがステージに登場されるまでは、ドキドキのわたしでした。
司会は徳光和夫さん、竹下景子さん、そして、番組と同じ生誕50年の中山秀征さんの3名でした。
まずは、番組のオープニング、中盤、そしてラストと、出演者が勢ぞろいしてのシーンを3パターン収録したのです。
ここで、初披露となるこの番組の歌「にっぽんの歌」が前説で紹介され、ダンサーさんと一緒にふりの練習をしてからの本番となりました。
番組の構成にあわせて勢ぞろいされる出演者の方が入れ替わっておりましたが、まず1パターンめで、出演者の皆様がステージ下手から出ていらしたのです。
いったん皆さんの動きが途切れたので、これで全員なのかしら?
と、ドキドキしたのです。
だって、きよしさんの姿がなかったから。
そうしたらまた数名の出演者の方があらわれたのですが、それでもきよしさんは登場されず(汗)...。
きよしさんは立ち位置が下手の端だったので、そのお隣となる水森かおりさんに続いて、ほぼ最後に登場されたのです。
きよしさんは、白地に金茶色(というのでしょうか)の袴をお召しになり、大晦日の雰囲気を醸し出されて(?)おりました。
この「にっぽんの歌」は、この番組の構成を担当されていた青島利幸さんが作詩され、北島三郎さんが作曲され(作曲家名は原譲二)、年明けて2018年1月1日(元旦ですね!)に発売されるそうです。
青島さんは青島幸男さんの息子さんで、お父様と同じ世界で活躍されてきたのですが、闘病されていて、先月2日に亡くなられ、この日は奥様がご家族と一緒に青島さんのお写真をお持ちになって来場されていることを徳光さんが紹介されました。
3パターンめの収録で、きよしさんはステージ袖へと戻られたのですが、北島さんが登場され、センターで皆さんと一緒に唄ってくださり、トークもされたのです。
前日も40名前後の出演者がいらして収録されたそうですので、その収録とあわせて、
司会の中山さんが、「部分部分、収録していますが、大晦日当日は”マジックのようにつながれてひとつの番組になっていますから、その点もお楽しみください」
とおっしゃっていましたが、セットやトーク、と、シーンほんとうにこまかく区切って収録されておりました。
なので、当日の歌唱順とはまったく異なると思われますが、この日歌唱された方とその歌唱曲を。
石川さゆり 「能登半島」
三山ひろし 「お岩木山」
水森かおり 「鳥取砂丘」
坂本冬美 「あばれ太鼓」
今陽子 「恋の季節」
氷川きよし 「箱根八里の半次郎」
梶光夫 「青春の城下町」
大月みやこ 「女の港」
加山雄三 SPメドレー「お嫁においで」「蒼い星くず」 「海 その愛」など
水森英夫 「たった二年と二ヶ月で」
三沢あけみ 「島のブルース」
山川豊 「アメリカ橋」
大野「真澄 「学生街の喫茶店」
丘みどり 「霧の川」
畠山みどり 「恋は神代の昔から」
石川ひとみ 「まちぶせ」
原田悠里 「津軽の花」
美川憲一 「さそり座の女」
市川由紀乃 「心かさねて」
増位山大志郎 「そんな夕子にほれました」
島津亜矢 「大器晩成」
五木ひろし 「よこはまたぞがれ」
長山洋子 「捨てられて」
新沼謙治 「嫁にこないか」
神野美伽 「男船」
前川清 「東京砂漠」
伍代夏子 「ひとり酒」
堀内孝雄 「愛しき日々」
小林幸子 「思い出酒」
庄野真夜 「飛んでイスタンブール」
山本譲二 「みちのくひとり旅」
五月みどり 「おひまなら来てね」
田川寿美 「女ひとり旅」
北山たけし 「男鹿半島」
瀬川瑛子 「命くれない」
千昌夫 「北国の春」
川中美幸 「ふたり酒」
※メモと記憶をたよりに書いてみましたので、加山さんのメドレー曲ふくめてうろ覚えな点、お許しくださいませ。
さて、上記の出演者名のなかに、前置きさせていただいたサプライズのヒントがございます。
もう、おわかりでしょうか?
そうなんです。
加山雄三さんのSPメドレーが終わると、きよしさんが「箱根八里の半次郎」を歌唱された衣裳のままでステージ上手側の司会者席に再登場。
なぜなのかしら?
とわくわくしていたら、恩師である水森英夫先生の話題に。
「レッスンの時は厳しいですが、ふだんは面白いことをおっしゃって笑わせてくださるんです。冗談(冗句)もお上手です。
先生は才能あふれる歌手でもいらっしゃったんです」
とのきよしさんの水森先生評。
徳光さんが、昭和52年、きよしさんが生まれた年に水森先生が歌手を引退されたことをインフォメーションされると、そのことにも縁を感じるとういようなことをおっしゃっておられました。
「たった二年と二ケ月で」を歌唱されたのですが、この曲は阿久悠さんが作詩され、水森先生が作曲されています。
水森先生は、唄いおえた感想を徳光さんにきかれると、
「あの~、氷川きよしがいたので緊張しました」
と、開口一番おっしゃいました(嬉)。
そして、
「本気になって弟子の前で唄ったことありませんでしたから」
と。
きよしさんは水森先生の歌唱の感想を徳光さんにたずねられると、
「いや~、やっぱり先生のお声っていいなーって、あの、生意気ですが、でもいいなあーって思いました。
しびれました」
と。
そんなきよしさんに、
「いや~、やっぱりプロ歌手っていうのはすごいものだなあと、瞬間芸術というか、ほんとうに思いました」
と、たくさんのプロ歌手を育てて世に送り出しておられる水森先生ですが、ひとりで舞台に立ち、その歌声だけで勝負する”プロ歌手”のすごさ、ひいては”氷川きよし”のすごさをそのようにおっしゃってくださり、
さらに、
「氷川きよしは、声がいいんです!
そして性格がストレートで、ウソがないんですよ。
彼は、これまでに、大きなウソってついたことないと思いますよ」
とおほめの言葉をくださいました。
きよしさんの照れくさそうながらも嬉しそうだったことったら!
がんばっておられるきよしさんにとって、最高にサプライズなご褒美になったのではないでしょうか。
※以上、駆け足でのご報告で失礼します。