三が日もあっという間でした~。
今日からお仕事始めの方も多いかと思いますが、わたしは昨日から始動!
まだ3日なのに仕事か~なんて思いはどこかに吹き飛び、なんだかいろいろなことに前向きな思いがわいてきて...。
これは、もしかしたら? いえ、もしかしなくても(笑)、きよしさんのハッピーパワーの効果ですよね(嬉)。
きよしさんに、”ハッピーパワーをありがとう~!!!”と思いきり手をふりたいような新年を迎えさせていただいて、感謝です。
そして、昨日は帰宅してから、楽しみにしていた「演歌の花道2018」を録画でさっそくみたのです。
番組HPに歌唱される曲目の一部が公開されていて、そのなかに「玄海船歌」がありましたので、それはきよしさんが歌唱されると了解していましたが、それ以外にはどの曲を? と、他の詩ににしておりました。
だって、この番組では、毎年、きよしさんが何かしらのサプライズプレゼントをくださってきましたから。
さあ、そうしたら、そうしたら!
松山千春さんの「大空と大地の中で」を唄ってくださいましたね。
わたし、きよしさんには松山さんの曲で唄ってほしいなあと思うものが数曲あるのですが、その1曲でしたから、思いがけない選曲と、雄大であたたかな歌唱にとてもとても満たされたのです。
予告されていた、オリジナル曲の「玄海船歌」では、荒々しさのなかに、こころの傷を癒すをそっと癒すような優しさが感じられて、きよしさんの深まる歌唱に聴きほれ、すっかり満足していたのですが、なんともう1曲唄ってくださいましたね。
それは「奥飛騨慕情」!
きよしさんがアルバムでカバーしてくださってから、いっそう大好きになった曲ですが、もう、素晴らしかった~。
なんて繊細で鮮やかで、こころにしみる歌声なのでしょう。
そして、杉本るみさんのナレーションがドラマティックで、そうか、そういう色っぽい思い出も込められているのだなあ~とあらためて思って、ドキドキしたのです。
その歌唱は、「さざんかの宿」や「細雪」といった、艶歌(”つやうた”と五木ひろしさんがおっしゃっていました)で聴かせてくださった世界につらなるもに感じられて...。
せつなさをにじませながら情感豊かに唄われるきよしさんの成長に、あらためて感じ入ったわたしです。
きよしさん、素敵な素敵な歌のお年玉をありがとうございました。
そして、ブログに書いておりませんでしたが、大晦日に放送された「年忘れにっぽんの歌」での水森英夫先生の登場シーンを録画でみました。
きよしさんの「箱根八里の半次郎」の歌唱は午後4時台に放送されましたのでリアルタイムでみていたのですが、5時からは「NHK紅白歌合戦」の関連番組をみていたものですから。
「年忘れにっぽんの歌」は第50回ということで6時間の長時間放送となりましたので、事前に2日間にわたって公開収録を上野の東京文化会館でおこない、それをひとつの番組にまとめられたものでした。
わたしは12月7日におこなわれた2日めの収録を観覧させていただいたのですが、そのときは、どういった経緯できよしさんのお師匠さんである水森英夫先生が歌手としてステージに立たれたのかの説明はなされていたなかったのです。
なんと、美輪明宏さんからの熱烈リクエストに応えてのことだったのですね。
美輪さんがVTR出演され、水森先生への思いを語っておられ、生まれてはじめて自分からレコード店にいって購入したレコードが水森先生の「たった二年と二ヶ月で」だったことだったそうです。
”男らしくて凛として日本語がきれいで、声の発声もよくて、曲のあしらいも実にみごと”
と水森先生の歌唱を絶賛されていましたが、この称賛の言葉は、そのまま今のきよしさんに重なますよね。
きよしさんがデビューしてそれほど経っていなかったころ、たまたま当時つくっていた雑誌のために国会図書館に週一ペースで通っていたので、きよしさんのお師匠さんである水森先生がどんな歌声の持ち主だったのかしりたくて、国会図書館の視聴覚室で聴いたことがありました。
2000年には、まだYouTubeなど存在していませんでしたので、そんなふうにして聴くことしかできず、ヘッドホンの奥から聴こえてきた水森先生の高音の歌声に、当時のわたしは、きよしさんに重なるものを、正直感じとってはいなかったのです。
でも、その後、「たけしの誰でもピカソ」に美輪さんと一緒にゲスト出演されたおり、きよしさんの歌唱に、美輪さんが、”ある人が思いうかぶ”とおっしゃって、”ご存じないかもしれないけれど”と前置きされて、水森先生のことをお話しされたので、きよしさん、たけしさんはじめ、きよしさんのお師匠様が水森先生とご存じの皆さんはびっくり仰天(笑)。
美輪さんこそが、きよしさんのお師匠さまが水森先生とこのときまでご存じなかったのです。
美輪さんが今度はとても驚かれていましたが、水森先生が作曲家として活躍され、きよしさんのような歌手を育て世に送り出されていることをとても嬉しく思われていたようでした。
そのときの放送がいつごろのものか調べていたら、そのときの回を公開されている方がおられ共有を許可されていたので、こちらに。
きよしさんも、総集編で、”鳥肌がたった!”とおっしゃっていますね(笑)。
そして「年忘れにっぽんの歌」のなかでは逆に放送はされていませんでしたが、水森先生が40年ぶりに歌手としてステージに立たれるということで、すでにご自身の歌唱を終えていたきよしさんが応援のため、ふたたびステージに登場され、司会の徳光和夫さんもまじえてのトークがこころにのこるもでした。
そのときの観覧について書いた記事は下記アドレスでお読みいただけますが、文末にその部分をまとめてみますね。
加山雄三さんのSPメドレーが終わると、きよしさんが「箱根八里の半次郎」を歌唱された衣裳のままでステージ上手側の司会者席に再登場。なぜなのかしら?とわくわくしていたら、恩師である水森英夫先生がステージにあらわれ、先生の話題になったのです。きよしさんは、水森先生について、「レッスンの時は厳しいですが、ふだんは面白いことをおっしゃって笑わせてくださるんです。冗談(冗句)もお上手です。先生は才能あふれる歌手でもいらっしゃったんです」と紹介されると、徳光さんが、昭和52年、きよしさんが生まれた年に水森先生が歌手を引退されたことをインフォメーションされました。きよしさんは、”そのことにも縁を感じる”とういようなことをおっしゃっておられました。水森先生がこの日歌唱された「たった二年と二ヶ月で」は阿久悠さんが作詩され、水森先生が作曲されています。水森先生は、唄いおえた感想を徳光さんにきかれると、「あの~、氷川きよしがいたので緊張しました」と、開口一番おっしゃいました(嬉)。そして、「これまで本気になって弟子の前で唄ったことありませんでしたから」と。きよしさんは水森先生の歌唱の感想を徳光さんにたずねられると、「やっぱり先生のお声っていいなーって、あの、生意気ですが、でもいいなあーって思いました。しびれました」と。そんなきよしさんに、水森先生は、「いや~、やっぱりプロ歌手っていうのはすごいものだなあと、瞬間芸術というか、ほんとうに思いました」とおっしゃいました。たくさんのプロ歌手を育てて世に送り出しておられる水森先生ですが、ひとりで舞台に立ち、その歌声だけで勝負する”プロ歌手”のすごさ、ひいては”氷川きよし”のすごさをそのようにおっしゃってくださり、さらに、「氷川きよしは、声がいいんです!独特なこぶしがあって。そして性格がストレートで、ウソがないんですよ。彼は、これまでに、大きなウソってついたことないと思いますよ」とおほめの言葉をくださいました。お師匠様にほめていただいたきよしさんの照れくさそうながらも嬉しそうだったことったら!がんばっておられるきよしさんにとって、最高にサプライズなご褒美になったのではないでしょうか。
一緒に録画をみていて、はじめて水森先生の歌唱を聴いた母が、
”水森先生の歌声は、井上陽水さんと重なる。
歌声の奥にたくさんの宝石が輝いているのがうかぶ。
なんて素敵な声!”
と。
遅ればせながら、ここにひとり水森英夫ファンが誕生したようです。
これから先生も歌手として唄われる機会はそれほどないかもしれませんが、でもその素晴らしい先生の歌声のすべてがきよしさんはじめ手塩にかけて育てた弟子たちに伝授されているのですよね。
そして、先生がそのまま歌手活動をつづけておられ、歌手を育てるということをされていなかったらきよしさんとの出会いもなく、もちろん今回、「NHK紅白歌合戦」で熱唱された「きよしのズンドコ節」も生まれてはいなかったのかもしれません。
そう考えると、ほんとうに縁の不思議さ、ありがたさを感じますね。
さあ、皆様、今年は「勝負の花道」でもりあがりましょうね~。
ハッ!
1月6日の新年会のことは、無事終わったら、ご報告しますね。
わたしはこれから、明日締切の原稿の仕上げに入ります。