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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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きよしさん...。 そんな思いで唄ってきてくださったのですね。きよしさんの言葉に胸がいっぱいになりました。 於・松戸・森のホール21

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「今年でツアー18年めになりますけれども、この会場では初年度にコンサートをさせていただいたんです。広い会場だなあって思って、とても緊張したことを覚えています。
(あの頃は)まだペンライトがなかったので、(客席の照明が消えると)会場が真っ暗で緊張しましたね~。
グッズ担当の方と相談してペンライトをつくっていただいてからは、ひとり、またひとりとペンライトの数がふえていって...。
(会場の暗闇のなかでペンライトの光が)蛍のお尻のように光って(笑)、あっ、僕を見守ってくださっているんだなって。

知り合いの方がコンサートにきてくださったときに、”きよしくんも素晴らしかったけど、お客様のペンライトが素晴らしかった。ファンの方達のあったかさを感じた”っていってくださることがあるんですよ(笑)。
僕、そういわれるとすごく誇らしいんですよ」

松戸・森のホール21でのコンサートの昼の部で、そんなふうにお話しされ、夜の部でも、あらためて照明が消えて真っ暗になった会場で緊張された思い出を言葉にされると、
「ひとつまたひとつとペンライトの数がふえていって...。
もちろん手をふってくださったり、拍手をしてくださることも嬉しんですけれども。
皆さんに励まされて、それが明日への活力になって、今日まで唄ってこられました」
と、お礼をおっしゃったきよしさんでした。

わたしは、きよしさんのペンライトへの思いをきいて、胸が熱くなって、こみあげるものがあったのです。
はっきり覚えてはいないのですが、HKペンライト第1号のピンクのハート型のペンライトは、中日劇場での初座長公演(2003年7月1日~25日)のころに発売されたのではないかと思います。
じつは、わたしはペンライトが発売されてもそんなにすぐには購入せず、また購入しても最初はあまりつかうことがなかったのです。
でも、後方席になったときや大ホールでのコンサートの折、きよしさんがペンライトを振っているファンの存在と思いを受けとめてくださっていることを感じる出来事が何度もあって。
いつしかペンライトはわたしにとって、きよしさんと交信する魔法のツールとなっていたのです(喜)div>


松戸・森のホール21でのコンサートは3年ぶり。
昼夜、熱唱は加速をまして、”氷川きよし”のどこからこれほどのパワーと、愛あふれる歌声が発せられるのだろうと、聴き惚れ、みとれるばかりのわたしでした。
1995席のチケットは昼の部は早々に完売し、夜の部にわずかな当日券がでたということで、入口に”チケット譲ってください”と書かれたボードをお持ちの方もおられた人気ぶりでした。
セットリスト、構成、衣裳は前回参加させていただいた2月1日&2日の中野サンプラザでのデビュー記念日コンサートと大きくかわるものはありません。
昼夜、「勝負の花道」のカップリング曲のチェンジがあり、昼の部は「俺ら江戸っ子 浅太郎」、夜の部は「恋次郎旅姿」を唄われ、アンコールでは、1曲目の「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」のあと、「勝負の花道」をもう一度唄ってくださいました。


では、以下は昼夜、おりまぜて印象にのこったことを書いていきますね。


イメージ 1
※松戸・森のホール21の宣伝画像です。


わたしは、昼の部のオープニングの「じょんがら挽歌」の鮮やかな”氷川節”に酔いしれておりました。
こぶし、ビブラート、うなりまじりのブレス...。
なんて鮮やかな”歌の技”でしょう。
そしてなによりもあの情熱をほとばしらせるような歌唱に、聴き惚れずにはいられないのです。
こころの奥にしまっていた深い後悔の念、そして、それ以上にまだ燃え残っている愛しい人への思いが、すべてをかき消してくれそうな吹雪の力を借りてとめようがなくあふれだし、また雪の白さ、冷たさに過去のものだといい聞かせる...。
そんなイメージがわくのです。

昼の部では、司会の西寄ひがしさんが13日の「うたコン」での熱唱を話題にされると、布施明さんとの「マイウェイ」に大絶賛の拍手がおこりました。
さらに西寄さんが、
「当日は私も2階席の端っこで、”ア、ヨイショ!”、”ハッ!”とかけ声をかけさせていただきました。」
とおっしゃると、またも大きな拍手がおこったのです。
全国、全世界の皆さんに、きよしさんの歌声と一緒に、かけ声も届いたのだなあと思って、嬉しくなりました。


そして、4月1日から放送される「ゲゲゲの鬼太郎」のオープニング曲を歌唱されることを西寄さんがインフォメーションされると、子どもの頃から大好きな鬼太郎のオープニングテーマを唄わせていただけることになった嬉しさを言葉にされると、
「皆さんもよくご存じのあの歌ですけどね」
と前置きされると、
「♪ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲー 朝は 寝床で グーグーグー
たのしいな たのしいな おばけにゃ学校も (しけんも なんにもない)」
と、唄ってくださったのでした(喜)。
※夜の部は( )の部分まで歌唱されました。

嬉しいっ、嬉しいっ、嬉しいっ!!!
そして、原曲のイメージをたいせつにされているのでしょうか。想像していたよりずっと大人っぽい歌声で、もう、はまりそうな予感がしてきたのです(嬉)。

ちなみにこの日、わたしは、きよしさんの「ゲゲゲの鬼太郎」のオープニング曲歌唱が嬉しくて、その思いをおつたえしてくて、鬼太郎のブーケを、お友だちのOさんと一緒に贈らせていただいておりました。


それはこちらでございます~。
かわいいでしょ!
イメージ 2
※ピンポンマムにはおとうさんの目玉のシール!


それでは昼の部のふれあいコーナーのおひとりめは3階席2列におすわりの方。三姉妹の年齢をあわせると”280歳”ということでした。
客席のマイクの電波状態が不安定だったようで、お話しされてもプツプツときれてしまって、いいなおしてくださってもききとれない部分があったのですが、
「電波状態がよくないときの携帯電話みたいですね~」
との西寄さんの言葉に、きよしさんがその様子を即座に再現してくださったので、場内大爆笑。
昼夜ともお席によって会話がききとれないこともあったのですが、きよしさんのおかげでかえってもりあがって笑いでいっぱいになったのです。

メッセージを書かれた三姉妹の真ん中の方だったでしょうか、”FCの2ショットに当たりたいです”とおっしゃると、
「当たるとかあるんですか?」
ときよしさん(汗)。
西寄さんが、当然というように、すかさず、
「はい」
とおっしゃると、
「なんでやねん!」
と驚かれた様子のきよしさんだったのです。
そして、そうであれば、いずれまたそのような機会をつくって、希望に応えていきたいと思われたこと言葉にされたのです。

またお姉さまでしたでしょうか。野田にお住まいということで、「大利根月夜」をきよしさんにリクエストされ、きよしさんが唄いだされると、
”あの、関宿に住んでいるんです”
とさらに補足されたので、きよしさんはいったん唄うのをおやめになり、その方のお話に耳を傾けてから、
「そうですか」
とおっしゃると、なんと、なんと、なんと、アカペラで1コーラス唄ってくださったのです(喜)。
素敵な素敵な歌声でした。

そして、おふたりめは1階席30列におすわりの方。
新潟から日帰りでいらしたということで、昼の部をご覧にられたらお帰りになるということでした。
”わが家では”ヨイショブーム”です”
とメッセージに書いてくださっていたのですが、朝の挨拶からのすべての家族のご挨拶が”ヨイショ!”で、小学2年生のお孫さんが、学校から帰ってきたときも、”ただいま”のかわりに”ヨイショ!”といっているときいて、場内大爆笑でした。


夜の部のふれあいコーナーのおひとりめは、2階3列におすわりの栃木からお越しの方。息子さんが車を運転してくださり来場されたのですが、この日は渋滞に巻きこまれてしまい3時間半かかったのだそうです。
お母さまが72歳、息子さんは44歳。
おふたりともお仕事がんばっておられるということでしたが、細かなことをきよしさんがうかがうと、またもマイクの音声が途切れてしまって(汗)。
きよしさんは、待ってましたとばかりに(?)、電波が不安定な携帯電話の通話を再現してくださったので、またまた大爆笑となったのです。
このときの話のながれで、
「一生懸命、今やれることをやって、お客様への感謝の思いを抱いて、”アレ”していきます(笑)。
そして平和でいたいですね。
やっぱり平和でないと唄えませんから。
僕、皆さんのこころの平和を願っています」
と結ばれたのです。

おふたりめは1階22列におすわりの田無からお越しの方。
「勝負の花道」のカップリング曲の「柔道」が大好きで、ご主人は黒帯。そして娘さんも柔道をされ、日本武道館での大会に出場され、ご自身は、”きよし君ファン17年・黒帯です”とおっしゃっていたかと思います。
きよしさんは、
「娘さん、柔道されるんですか。
うわあ、投げとばされたいですね~」
とひとこと(笑)。
そして、”柔道の思い出”についてという質問がかかれていたのですが、
「学校で柔道の授業があったんですけど、僕、苦手で。いつもおなかが痛くなって、逃げ出していたんです。
得手不得手がありますから...。
でも、今、歌の世界で柔道をやらせていただいているので、お許しいただけますでしょうか」
と、素敵な返答をされたきよしさんだったのです。

そして、娘さんがコンサートのチケットをプレゼントしてくださって初参加されたのが「きよしのズンドコ節」の発売日だった八王子市民会館でのコンサートで、以後、ずっとずっとファンであることをおつたえすると、
「コンサートにきていただいて、お金をつかっていただいて申し訳ないなって思っています。
だからその分、一生懸命唄わせていただいています」
と、申し訳なさそうにきよしさんがおっしゃると、
”お医者さんにいくよりいいです!”
とその方が即答されたので、大きな共感の拍手がおこりました。
ほんとうにそのとおり!
エステだって、きよしさんのコンサートに行くほうが効果大(10回分という説!)って皆さんいっておりますよ~。

きよしさんは、
「ありがとうございます。
皆さんにそういいっていただけると、励みになります」
と、嬉しそうだったのです。



イメージ 3
※鬼太郎のちゃんちゃんこ

夜の部でもオープニングからノリノリのきよしさん。
「お元気ですしたか? きーくんです」
ですって(笑)。
もう、甘えん坊さんすぎます!
でも、そんなきよしさんも、やっぱり許せちゃいますね。

夜の部のラストトークで、
「あらためて今日は日曜日でございます。
いろいろご予定があるなか、わざわざお越しくださってありがとうございました。
来年は節目の20周年です。
いよいよ20周年...。
楽しみと、やっぱり楽しみばかりではなくていろんな気持ちがあります。
これからどんなふうに歌の表現をしていったらいいのかとい悩むこともあります。
でも、”氷川きよし”らしく、皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに唄っていきたいです」
といったん結ばれると、

「僕も今年41になります。
信じられないですよ~。
今年になって、父に歯の治療をさせたくて、東京に呼んで4日間ほど生活していたんです。
父にうどんつくってあげたりして...。
そのなかで、1日1日、この一瞬一瞬に感謝してすごしていかなくてはいけない。
ひとりひとりの人をたいせつにできるような人間になりたいと思いました。
そんな思いをこめて、『男の絶唱』を唄わせていただきます」
と力強くおっしゃると、
「男の絶唱」を唄ってくださったのです。
圧巻の歌声に、自分の奥底から゛幸せ゛にじみ、次第にあふれて、包まれていくような思いがしたのでした。

そういえば昼の部ではこんな一幕もありました。
それはラストトークでのこと。
「3年ぶりということですが、3年て短いようで長いですね~。
皆さんにもいろんなことがあったと思います。
でもまたこうしてお会いできて、僕は幸せです。
今日は皆さんの応援がこころにしみて...。
涙がでます。
ありがとうございます。
来年は20周年となります。
僕も唄ったりしゃべったりしていますが、氷川きよしもどっか抜けてるけど、がんばってるから、わたしも明日からがんばろう、オレもがんばるぞっって、おひとりでも思ってくださる方がいたらという思いでいます」
きよしさんはそうおっしゃると深々とお辞儀をされました。
皆の拍手と歓声を受けとめるかのようにしばし頭をさげられたままでしたが、いよいよ頭をあげられると、客席にむかって右手をひらいて、゛ハッ!゛と(喜)。

なんてお茶目なんでしょう!
男らしくて、セクシーで、甘えん坊でお茶目。
加えて゛どっか抜けてる゛きよしさんにまたまた恋せずにはいられません。


※以上、駆け足での更新で失礼します。午前中までの仕事があり、昨夜は帰宅してからお昼前までそちらにかかっておりました。
そのためブログの更新が今になりましたが、これから仕事で出かけるので、今夜読み直し&修正をする予定です。
読みにくい点、お許しください。
また、月末までいよいよ仕事のラストスパートにはいります。

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