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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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この素敵なトークを書きとめずにブログを先に進められなくて! 田家秀樹さんの「J-POP TALKIN」(FM NACK5)でのインタビューは最高の贈り物でした。

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皆様。こんにちは。
ブログにも何度か書かせていただいていましたが、音楽評論家の田家秀樹さんの「J-POP TALKIN」(FM NACK5)でのきよしさんのインタビューが濃密であまりに素晴らしくて!

2週にわたって放送された番組ではトークを構成して田家さんがしなやかで鋭い考察を加えておられました。
そこにはこれまできよしさんを見つめ、その歌唱を聴かせていただき、折々のトークをきかせていただいて、きっとそうなんだろうなと思っていた様々なことがギュッと凝縮されているように、わたしには感じられて、楽屋裏まで見えてくるようでとても感動したのです。

再構成された番組はとても楽しくわかりやすいものでしたが、そんな話題を引き出されるなんて、おふたりの間にどんなトークが展開されていたんだろう? 
とわたしは興味深く思ったのです。
そうしたら番組HPでノーカット版をポッドキャストで公開してくださったので、もちろんきよしさんの肉声できくことにまさるものはないのですが、それでもその言葉を文字に書きとめたい! という強い強い思いがわきました。

仕事がたてこんで、テープ起こしがなかなか進まなかったのですが、これをまとめずしては先のブログが書けないというか、書きたくないと思ってしまったわたしでした。
仕事ではテープ起こしがそれほど好きではないわたしなのですが(汗)、この情熱はどこからわいてくるのでしょうね
(笑)/div>
ぜひぜひ肉声はもちろんのこと、文字でもお読みいただけたら嬉しいです。

☆こちらがポッドキャストのアドレスです。

そして、田家さんのインタビューがなぜこんなに濃密で素敵なものになったのかは、今さらながらですが、やっぱり田家さんのお人柄に尽きるなあと感じました。
きよしさんが、この人なら受けとめてくれる、話してみたいと思われたことが、あの熱いトークから感じられます。
田家さんにはまたぜひきよしさんのインタビューしていただきたいなあと思います。


イメージ 1
※そういえば4月26日の大宮ソニックシティでのコンサートに、
NACK5さんからお花が届いていました。


そして田家さんがご自身の4月29日のブログに、きよしさんのインタビューのことをこんなふうに書いておられました。
氷川きよしさん、初めてインタビューしました。
あの人の歌のうまさというか、説得力には以前から感心させられていて、いつかインタビューを、とお伝えしていたのがやっと実現したという感じですね。 
アルバム発売日、5月29日はひばりさんの81回目の誕生日、アルバムの中で「真っ赤な太陽」をカバーしてます。
去年の11月に出たアルバムではやはりひばりさんの「花笠道中」も歌ってます。
僕の中ではひばりさんつながり。 
とはいうものの番組が「J-POP TALKIN’」ですからね。
演歌系といわれる人の出演は初めてです。
お断りされるかなと思っていたんですけど、気さくにいろんな話をしてくれましたね。 
もとはポップスを歌っていたんで、自分の中に演歌の蓄積がない。
むしろ演歌を歌いだした時の方が大変だった、と言ってましたけどね。
彼の歌にあるガチンコ感というか、全力感というのはそこから来てるのかなとも思いました。 
小手先で歌っている感じがしない。
それがジャンルを超えるんだろうなとかね。
ファンの方からは、今ごろ何を、と言われそうな素朴な質問もいろいろしてしまいました。
いつもとは少し毛色の違うインタビューになったかもしれません。

※こちらが田家さんのブログのアドレスです。



イメージ 2

※まだ読み直しができていないの誤変換などお許しを。
そして、小見出しを付けたいと思いながら付けていないままアップしますが、話題の区切りになるかなと思ったところで行を1行ずつあけています。
また、印象にのこる言葉を太字にしてみました(スマホでは太字にならなくてごめんなさい)。


田家(以下T):というわけで氷川きよしさんをお迎えしています。こんばんは。
氷川(以下H):こんばんは。氷川きよしです。よろしくお願いします。
T:よろしくお願いしま~す。5月の29日!
H:はい。
T:来週?
H:そうですね。5月の29日は美空ひばりさんのお誕生日なんですよね。それで今回、アルバムの中にひばりさんの「真赤な太陽」をいれさせていただきました。
(僕の所属)レコード会社の日本コロムビアレコードの大先輩なので。常にひばりさんのことを感じながら歌っていけたらいいなっていう思いを込めて、アルバムでも歌わせていただきました。
T:そういうことががあって(5月の)29日にしたんですか?
K: たまたまなのか偶然なのか...。
T:それはいいですよね。
K:意味合いをひとつもたせていきたいなっていう思いもありますし。 

T:でも、この”新・演歌名曲コレクション”は7ですけれども。その前に”演歌名曲コレクション”が20枚あったわけでしょう。
K:そうですね。デビューから2年目の時、2001年からこのシリーズのアルバムが始まりまして。全12曲入りのフルアルバムで挑戦したんですね。23歳のときに。それでやっぱりスタッフの方も12曲入りのアルバムは大丈夫? 売れるかなあ? みたいに言われていたときがあって。スタッフの方も。
それで出した”演歌名曲コレクション”の”1”がたくさんの方に聴いていただけたみたいで。
そのときの1回目のアルバムにデビュー曲の「箱根八里の半次郎」と(2曲目のシングル曲の)「大井追っかけ音次郎」の”青春編”ていう詩が違うバージョンのものが入って出たんですよ。
それからずーっと皆さんのおかげでこのアルバムのシリーズが続いて。
1回、20で区切って、じゃあタイトルを変えようってことになったんですけど。結局、”新”て付けただけになりまして(笑)。でもその方がご年配の方とか安心して買えるでしょうっていうことになって、”新・演歌名曲コレクション”というシリーズになっておりまして。

T:この10年間、年に2枚アルバム出してるでしょう。
K: そうですね。おかげさまで。
T:それはもう始めたときからそういうサイクル?10年前に年2枚って決めたときに、これはもう続けていこうみたいなことがあったんですか。
K: いや、なんか...。もともとは”演歌名曲コレクション”があって、次の後半のアルバムはテーマを決めたアルバムだったんですよ。
(それが)最近はずっと”演歌名曲コレクション”が2枚ずつになっているので、けっこう正直大変ですね~。
T:大変でしょう(苦笑)。
K:はい。曲選びとか。
前半は懐メロをたくさん歌わせていただいて勉強させていただいたので。後半はだんだん新しい名曲をというかヒット曲を歌わせていただいているんですけど。
逆に演歌だけに限られるとだんだん曲がなくなってきますよね。だから”演歌名曲”というのを(タイトルから)なくしたいなっていうのもありますけど。
T:基本的にはなくしたい?
K: なくして。正直。はい。

T:このオリジナルの曲の選び方、進め方、つくり方とカバーの選び方っていうのは同じチームでやってらっしゃるんですか。
K:そうです。 
T:ずっと変わらずに?
K: いや、変わり...ました。基本的にスタッフの方が僕にどういう曲を歌いたいかっていうのをきいてきて。で、自分が感じたまんまをそのままインスピレーションで。
たとえばカバー曲であれば「みちづれ」は、僕、夢で「みちづれ」を口ずさんでいたんですよ。
”♪おまえとみちづれ~に~”って、パッと目が覚めて。(これは)「みちづれ」をアルバムにいれた方がいいのかなとか(笑)。
ほかは「酒よ」は吉(幾三)さんの名曲で、何度もお仕事でBSの番組とかでふたりで歌わせていただいたり。あと、昨年初めて、19年近く歌っていて初めて一緒にお食事をさせていただいて。吉さんの人柄というか。あれだけすごい方なのに、いばってないっていうか。いばってないっていうとちょっと失礼な言い方ですけどね。すごく気さくで。皆さん、ご存じの名曲である「酒よ」を勉強させていただきたいなっていう思いでいれさせていただきました。

T:なるほどね。オリジナルの話になるかな、カバーの話になるかなあと思いながら話を進めているんですが、カバーの方が思い入れがあるってことではないんでしょう?
K:そうですね(笑)。最近の感じとかで。自分が感じてっていう。
「歩」は僕のマネージャーさんに、”こういう北島(三郎)さんの名曲があるので、20周年にむけてのメッセージ性もあるので、ちょっとこの曲を覚えてみてご覧なさいよ”っていわれたので。
聴いて、覚えて、歌ってみました。
T:でも、そういうながれでいくと「霧の摩周湖」は大変だったんじゃないですか、歌が。
K:そうですね。音域もありますし、ワンハーフなんですけど全然短く感じなくてドラマチックで。
以前、布施さんと共演させていただいて、そのときは「マイウェイ」を歌わせてもらったんですけど。
布施さんの歌の世界ってすごく好きだなあって。
こういう路線で年齢を重ねていきたいなって思ったんですよ。
平尾昌晃先生には作品をいただいておりまして。シングルで「櫻」という曲で。そういう縁を感じて、「霧の摩周湖」を歌わせてもらったんです。
T:追悼の意味もこめて。
K:そうですね。

T:全曲のラインナップっていうのが決まっていくの(期間)が、まあ、半年しかないわけで。
どの辺で決まるんですか。
K: あのう...。何曲かレコーディングして、曲をいれるにあたって、似たようなものをいれないようにしたいっていうか。全然違う世界をいれたいんですよ。
同じテーマとかにしないで。
ずっと同じ色ばっかりになっちゃうんで、色の違う、なんか、僕のなかにいる何人もの人格みたいな? ものを歌で引き出していけたらいいなっていうか。
別に多重人格とかではないんですけど。ええ。
T:もちろん、もちろん(笑)。
K:いろんな角度からの思いを表現したいなっていうのがあって。オリジナルでは系統の全然違うものを(笑)歌わせていただいてまして。
T:まあ、そういうタイプの違ういろんな歌があるのが日本のこういう音楽の面白いところでもあるんでしょうし。
K:そうですね。

T:このオリジナルの曲っていうのは、これはそういうタイプの選び方のなかでは、やっぱり他にいれなかった曲みたいなものはあるんですか?
K:ああ、ありますね、はい。(小さな声で)あります。 
T:みんなで、”これにしよう”みたいなことで決めていくんだ。
K:そうですね。
T:その選び方っていうのはかなりシビアなんですか?
K:シビアですね。...かなり。
T:ハードルがあるんですか?
K:ありますね。
やっぱり、アルバムってシングルとちがって、すごくファンの方が楽しみにしていらっしゃって。値段もちょっと高額になるじゃないですか。ですからいろんな味が楽しめるっていうか。今、和食もあるけど洋食もあるっていうお店があるように。
そういったアルバムになるといいなってことがあって。
「きよしの人生太鼓」っていう曲は、村田英雄さんの「無法松の一生」の平成版の「無法松の一生」の氷川きよし版を歌いたいという思いで作家の先生につくっていただいて。
まったく真逆の世界が「咲いてロマンティカ」という曲で。歌謡ポップというか。
T:これ、つくっている人がどなただろうと思ったらAKB48とかいっぱいやっている人で。
K:そうなんですよ。僕よりまだお若い方で。36歳くらいの方で。何曲か僕の歌もつくってもらってるんですけど。なんかすごく...・
T:ああ、もう何曲かやってらっしゃるんだ。他の方たちは、わりとこうおなじみなっていう作家の方が並んでいる感じで。この人だけちょっと異色にみえたんで。それはその両面をやろうっていうことで。
K:そうですね。
T:この、”玄海育ち”とか、゛九州男児゛みたいな、それはご自分がそうだっていうこともあるんでしょうけど。
K:僕のなかにどっかに少しはあるんですね。DNAに。
T:ある?
K:なんか、負けん気とか。けんかっ早くて情けにもろいとか。ちょっと違うんじゃない?って思ったらガーっと大声でいっちゃったりとか、そういうとこはどっか九州人てあって。
負けん気が強いんですよね。それで”のぼせもん”でもありますし(笑)。 
T:のぼせもん(笑)。
K:のぼせもん。お祭り好きで。シャイなんだけど、目立ちがりやみたいな。そういのってなんかすごくわかるんです。
T:ご自分の子供の頃とか、そういう思春期に、小倉の祇園太鼓を経験したとか、お祭りにいったみたいなことはあるんですか。
K:いっさいないですね(笑)。
T:ない。
K:(笑)地域が違うんですよ。
T:ああ、そっかそっか。
K:僕は天神のほうで、福岡の。山笠の方は博多の方で。だからなんとなくその情景とか感じはわかってるんですけど、実際に自分が参加したりってことはなかったんですね。でもデビューしてから、歌手になって参加させてもらったことがあって。これが山笠なんだとか、これが小倉祇園の祭りなんだっていうのをデビューしてから知りましたね。
地元にいると意外と知らなかったりするんですよ。 
T:そうですよね。東京の人が東京タワーに上ったことがないみたいな。
K: そうです。そういう感じですよね。

T:でも共通するなにかがあるんだってことは自分でも確かめてる。
K: そうですね。絆、感じました。
T:それで、このなかのね、理想の男とかそういう生き様とか。ご自分のなかでは、これがオレの理想の生き方なんだとか、”氷川きよし”の生きざまはこうなんだみたいなものはあるんですか。
K:やっぱり、この曲のアタマの、”♪見栄も飾りも 男にゃいらぬ”っていうのがすごく好きで。見栄はってよく見せようとか、飾って大きく見せようっていうのは、ほんと、いらないなって。(人間て)どうしても大きく見せたいとか思うじゃないですか。だから、(「きよしの人生太鼓」の主人公の)そういうとこはすごく好きですね。
そういう人も好きですし、そいういう自分にもなりたいなって、なんか思いますよね。憧れでもありますし。
T:この生きざまって。
K:はい。
T:”氷川きよし”の生きざま。
K:はい。生きざま、ないですけどね、あんまり(苦笑)、そんなに。 
T:えっ、ないんだ。
K:ふふふ。人から見て、どういうふうに見えてるかわからないですけど。 

T:でも、コンサートをあれだけの本数やって。それで1日2本やるわけでしょう。
K:そうですね~。それはもう゛きまり゛ですね。 
T:あれはもう生きざまになってるんじゃないですか。
K:そうですか。でも鍛えられましたね。1日2回やるっていうのはどっかで演じないといけないのかなっていうのがあったし、2回目って。初めてのようなふりをする。でも、そうじゃないんだなて気づきましたし。来てくださるお客様は、初めての方もおられるので、一瞬一瞬が勝負なんだなと思いましたし。
やっぱり20代の時からツアーが始まって、恵まれた環境でしたけど。正直、大変でしたね。
T:(それはほんとうに)大変でしょうね。
K:はい。お客様にチケットをわざわざ買っていただいて。なんか24歳ぐらいでしたかね、ツアー始めたの。当時のほうがハードだったですよね。(ツアー初年度は)80か所160公演やって、(そのほかに)1年に2カ月、1か月ずつ劇場公演をやってたんで。
ほぼ、もう、”氷川きよし”でいることとか、”氷川きよし”はどういうふうになれば好かれるのかってことを考えてたんで。
だから40になって、ようやく自分を見つめられる時間ができて。
1曲、1曲、アルバムの作品にしても、自分のフィルターをとおして伝えたいことも伝えられるような状況をいただいているんだなって、感謝しているんですけれども。
T:本番が1日2回なわけですから。リハーサル、あるわけでしょう? 
K:はい。
T:朝、何時頃、会館、入るんですか?
K:意外と遅いんですけど、11時半ぐらいとかに。
T:本番は午後でしょ?
K:2時半。早い時は1時半の時もあって。夜が6時とかそのへんなんですけど。
T:11時半にはいってリハやる?
K:はい。全部通しではやらないので。気になる歌だけ、やって。
T:しかも生バンドなわけですよね。
K:そうですね。
T:あの人達もツアー一緒にまわるんでしょう?
K:まわってます。ずっと。 
T:総勢何人?
K:全部あわせて60人以上のスタッフですかね。 警備のスタッフをあわせて6、70人とか...80人くらいですかね。
ずいぶん多くの方に支えていただいていますね。
T:それの座長みたいなもの、でしょう?
K:そうですね。だから、絶対倒れられないので。19年やっていて、2度、僕、倒れたことがあって。風邪、ひいてしまって。ですから絶対そういうことがないようにって、こころがけているんです。
T:そういう、今おっしゃった、”氷川きよし”としての自分と、そうじゃない自分みたいなものってのは、まだどっかにあるんですか? その境い目がここだとか、どっかで切り替えないといけないとかっていう。
K:そうしていかなきゃ持たないなって思うんですよ。境い目って。
T:ああ~。
:でも、それはないですね。 
T:もう、なくなってる感じでしょう。
K:はい。
T:あったらそれだけのことはできないだろうなあっていうのがね。
K:でも、そういう時間もつくってあげねいと思ったときに、やっぱり海外に行って、ほんとうに”氷川きよし”っていうこと、知らないところに行って、”氷川きよし”の扱いをされないところに行ったほうがいいなと思って。
どっか甘えちゃったりするんで。”あっ、氷川さん”っていってもらうのはありがたいけど、そこに甘えたりする部分があったりするので。
アメリカとかに行ったりするとけっこう厳しいですよね。
T:厳しい?
K:英語もしゃべれないので、バカにされるっていうか(笑)。やっぱりこういう(自分て)ちっぽけなんだって思っちゃいましたよね。

T:なるほどね。
でもそういうアルバムのバリエーションでいうと、この「郷愁月夜」は母親。「君に逢いたい」は北海道のご当地ソングで歌謡ポップスみたいなもんでしょうし。「のんき節」は音頭ですし。「咲いてロマンティカ」は、これはおもしろい曲だなって思って。最後に「勝負の花道」でドーンと歌いあげているっていうバリエーション。
自分の歌い方のなかで、なんていうんでしょうね。曲にあわせて変えてるみたいなところってあるんでしょ、やっぱり。
K:ああ、、ありますね。やっぱり演歌の声の時とポップスの時の声を変えて? 変えたりとか意識的に変わりますよね。(ポップスの時は)オシャレにしたいと思っちゃうんで。なんか、こぶしをポップス向けに入れなくてもいいかなっていう。まずメッセージを伝えることが大切なので。
デビューした時はディレクターさんが、”ポップスの時もこぶしをまわせよ”っていうから、まわしてたんですけど、なんか違うんじゃないかなと思いながら(笑)歌ってたんですね。
でもそれ(こぶし)をとることによってストレートの自分の思いと、その詩の思いを重ねながら歌えるので。
そのきっかけをもらったのが、昨年の「ドラゴンボール超」の主題歌をつとめさせていただきまして。
T:作詩、森雪之丞。
K:そうです。森先生は僕、大好きな方のひとりで。
T:ああ、そうなの。
K:はい。だから昨年、森雪之丞先生と縁をつくらせていただいて。いろんなお話をさせていただいたりして。これからも長くいろいろ、ね、先生に”縁”したいなっていうふうに思いましたよね。
昨年、「限界突破×サバイバー」っていう曲を歌って。
自分のなかで、演歌歌手だからここまでやったらいけないかなあとか、演歌ファンの方がちょっと引いちゃうかなあとか。
”どこへ向かう氷川きよし?”っていうふうに思われちゃうかなあって思っていたんですけど、
T:あれ、いいですよ~。
K:あっ、ほんとですか? あれに挑戦したことで、あっ、こういうこともやっていきたいなって、なんか血が騒いだんですよ。”可能性のドア”ってまだまだあるのかなって。年齢にとらわれないで自分がやりたいんでって思えば、それ(に向かって)、突き進んで。それがセールスに結びつくかどうかわからないですけど。
T:(苦笑)。
K:あと、40(歳)で(人生80年)半分じゃないですか。挑戦して、自分のいろんな部分を歌で表現していくことが大切なのかなあっていうふうに思いましたね。
T:でもあの時に、”アニソンフェス”にも出ましたよね。あれはどうだったんですか。
K:楽しかったですね~。 お客さんがすごく熱いですね。
T:それも”氷川きよし”(が出る)って知らないで来ているお客さんも相当いたんでしょう。
K:そうです。シークレットだったんで。一瞬出た時、皆さんわからなかったじゃないですか、自分て。 
T:もう、全然、アニメっぽいかっこしてたんですよね。
K:はい。”ううん?”みたいな感じだったんですけど(笑)。
”氷川きよしで~す!”みたいな感じで。”みんなノッてる~?”みたいな感じでいったら、”わああ!~”ってなって。やっぱり3万人の方がいる空間て、変なパワーがありますね。
(しばし思いかえして)...。やっぱ、こう、人の力ってすごいなって、感じましたね~。
T:ご自身でいちばん大きいところっていうのは、それくらいのところで(これまで)やられてるんでしょう?
K:はい。いちばん大きいところは横浜アリーナですね。 
T:ああ、じゃあ3万人はいないか。でもそういう知らないところの方がそういうリアクションのインパクトがあるんでしょうね。
K:ありましたね~。 またやりたいと思ったんですけど。
T:でも、「限界突破×サバイバー」のなかのエネルギーと「きよしの人生太鼓」とか「勝負の花道」のエネルギーと変わらないんじゃないですかね。
K:そうですね~。基本、変わらないと思いますね。 ”うらああ~!”って感じですね。
T:それは歌っていても変わらない感じがしてる?
K:そうですね。基本、変わらないですけど、声の臭さとかっていうのは、やっぱりポップス系の時はとりますね。ちょっと臭さがないと、やっぱりサマにならないので、演歌って。 
T:臭ければ臭い方がいいみたいなところもあるでしょうしね。
K:そうですね。 (とここで、”♪見栄も飾りも男にゃいら~ぬ”と「きよし人生太鼓」の出だしを生声で、通常の”臭みありバージョン”と、”臭みwpとったバージョン”で歌われて、)、(臭みをとって歌うと)なんか”んっ?”ってなっちゃうんで。やっぱり歌い分けているんですよね。(だから)自然と歌うわけじゃない。
T:GReeeeNの「碧し」は歌いにくかった?
K:いえ、あれは歌いやすかったですね。僕、もともとポップス系から始まったので。なんか素に戻っているっていうか。いちばん原点に戻っているっちゃ戻ってるってことなのかなっていうふうに思っておりまして。 
T:なるほどね。
K:やっぱり喜ばれたいっていう思いで演歌を始めたので。どっかやっぱ難しいなって思いながら。
デビューの時もこぶしまわしたりするのって大変じゃないですか、(”♪ああ~”とこぶしをまわして) 研究して付けたものなので。
T:研究して付けた?
K:はい。まったくまわるタイプじゃなかったんで。 
T:はあ~。
K:皆さん、小さい時から演歌を聴いてたとか、両親が演歌を聴いてたとか、英才教育で民謡教室に行ってましたとかっていう方が多いんですけど。(僕には)それがないのがコンプレックスで。懐メロとかもわからない曲ばっかりだったんですよ。だから覚えるのに大変で。よくデビューの時は泣いていましたね。
T:泣いてた?
K:はい。”難しい~。人前で歌えない~っ゛て。
どういうふにして歌ったらいいんだろうって思って。ずーっと部屋にこもって(その曲を)聴いて覚えて、やってましたね~。 
T:ああ~。こぶしをまわすためのいちばんの、効果的な訓練てどんなものだったんですか?
K:訓練は...。真似てましたね。 
T:真似て?
K:(しばし熟考され)んー、モノマネですね。モノマネして、”真似る”を”学ぶ”にしてしまいましたね。そのきっかけはやっぱり鳥羽一郎さんの「兄弟船」ですね。「兄弟船」と出会って、真似してこぶしをまわしていました。
それから演歌でカラオケ大会とかオーディションにどれくらいまで行けるかって、挑戦してみて。
その時にNHKの勝ち抜きの番組で鳥羽一郎さんの歌を歌って、作曲家の、僕の歌の師匠の水森英夫先生にスカウトしてもらって。そこからいろいろ、もっと演歌っぽく歌うこととかを学ばせてもらって。発声も学ばせてもらいましたね。 
T:水森英夫さんが、”僕はビートルズが好きだったんだよ”っておっしゃってたことがありましたね。
K:ああ、そうなんですか。 
T:はい(笑)。
K:そういう世代ですもんね。 
T:僕と変わらないんですけど。だからあの人は幅の広さがひとすじの人じゃないところがありますよね。
K:そうですね。もともとご自身も歌謡曲でデビューされて。「たった二年と二ヶ月で」っていう。それで演歌を、天童よしみさんの作品とかをおつくりになられて。 

T:でも、今は、そういう冒頭で(アルバムからいずれは)”演歌をはずしたい”とおっしゃっていましたけど、自分が担っている、自分が(演歌を)支えているっていう自覚はおありでしょう?
K:えっ、僕ですか?
いや、ないんですよ~。もう、おこがましんですけど、そういう気持ちはないですね。 
なんか。
そうしてほしいと思ってくださる方もおられるんですけど。多分、その重圧に耐えられなくなっちゃうんで。支えているっていうよりも、僕は歌わせていただいてるって思っていて。演歌を。
だから何にも属さない人になりたいなと思うんですけど。
でも、日本人としてこの伝統ある”演歌”を歌わせていただいているのかなと。
T:ああ。
K:いい景色とか歌わせてもらってるんだなっていうふうに思っていますね。 
T:なるほどね。最初の”演歌名曲コレクション”のカバーの方の1曲目かな、「雪の渡り鳥」ってあったでしょう。
K:はい。そうです。あっ、よくご存じで。 
T:いや、まあ。あらためてこれだって思ったんですけど。あれは(選曲は)ご自分ではない?
K:そうですね。スタッフの方が”歌ってみなさい”って。それでその時は三波春夫さんがご病気されていたんです。入院されていらっしゃったんですけど、”氷川きよしが歌うんですけど、よろしいですか?”っておうかがいした時に、南先生が、”氷川君だったらいいよ”っていうふうに言ってくださって。カバーをさせてもらったのが「雪の渡り鳥」で。
カバーさせてもらったのがほんとうにありがたかったんですけど。 
T:でもその後の”股旅ソング”のあるひとつの象徴的な歌にもなってますね。
K:ですよね~。
(と、ここで、”♪ 合羽~からげて~”と生歌でひと節)。
T:僕、子どもの頃、歌ってましたよ。
K:ああ、そうなんですね。名曲ですもんね。 
T:はい。
K:スカッとしますよね。 
T:あの明るさ。
K:はい。あのスカッとした南先生のお声っていうのは誰にも真似できない、すごさがありますよね。歌わせていただいて、難しいな、おこがましいと思っちゃいましたね。あのヌケ感と、”♪あ~あ~”(とまたひと節)っていう、もう、心地いいじゃないですか。 
T:ええ~。
K:やっぱりすごいなって思いながら勉強させていただきました。 
T:これ、自分に合ってるって思ったことありましたか? こういうタイプの曲が。
K:思ってる時はありましたね。 
T:時はあった。
K:はい。ちょっと勘違いしてたかなって思うんですけど(笑)。 
T:今は?
K:今は、なんかやっぱりこう...。んー。勉強をさせてもらってるっていう立場で歌わせてもらってるんだなっていうふうに思ってるんで。
やっぱりご本人の歌が素晴らしいので。そこには勝てないので。やっぱり勉強なんだなってことで歌うことあるんですけど。
ですからやっぱりオリジナルでそういった”氷川きよし”ってものが表現できる曲に出会いたいなって思います。あくまでもカバーって勉強のものなんだってことを感じてます。 
T:あの「勝負の花道」のなかの”海路(みち)は亜細亜へ世界へと”っていうそういうスケールの大きさ? これはご自分のなかにはあるんですか?
K:憧れはありますね。東京オリンピックも近づいてきてるじゃないですか。日本の良さって日本語だと思うんですよね。日本語で歌うメロディーが亜細亜へ世界へ行くといいなっていうふうに思いますし、日本語のなかにも英語がはいってて。全世界に伝わるといいなって思うんですけど。
そのことを(強く)感じたのは、アニソンに挑戦したことですかね。
T:なるほどね。
K:ヨーロッパではすごくアニソンが人気で。海外の方も昨年のスーパーアリーナにもずいぶん来られていたってきいて。
やっぱりアニメってすごいところに広がっているんだなっていうふうに思いましたし。生きがいにしている方がたくさんいるんだなってことを感じましたね。
 
T:あの、座長公演の話をどっかのインタビューでされていたときに、洋モノのミュージカルをやりたいっておっしゃってませんでした?
K:(小声で)洋モノの? (通常のトーンで)まあ、やってみたいですよね。憧れますね。 
T:むこう(海外)のものを日本語でっていう。
K:いいですよね~。 
T:座長公演とは違う形っていうことなんですか。
K:そうですね。なんか普通のしゃべり言葉とかをそのままメロディーにのせてるんですかね。
(とここでまた即興生歌で)”♪僕らはだから生きてるんだよ~”みたいな。 
T:はいはい。
K:ストレートな思いが素敵だなって思いますし。時代劇は時代劇の素晴らしさがありますよね。様式美っていうか。こう来たらこう来るっていう。
10月にまた明治座で1か月の公演をさせていただくので。やっぱりそれぞれの良さがあるんですよね。 

T:やっぱりそういう意味では和と洋というですね。日本の大衆音楽のいちばん面白い形でもあるんでしょうから。
で、今回の最後に「真赤な太陽」が入っているわけですが。ひばりさんていうのは氷川さんにとってどういう人ですか?っていういきなり大きな。
前回のアルバムで「花笠道中」やってたのがそれがいいなと思って。あの歌、好きなんで。
K:僕も好きです。 
T:似合ってたなって思って。
K:ありがとうございます。 
そうですね。やっぱりひばりさん、いちばん会いたかった人ですね。息子さんの和也さんも、”会ってもらいたかった、きよし君に”っておっしゃってくださって。
すごく孤独でいらっしゃったと思うんですよ。日本の世界の歌姫で。やっぱりお酒をお飲みになられて。勝手な想像なんですけど、寂しさをまぎらわせて飲んでいらっしゃるのかなあって。もしご健在だったら電話があって、(ひばりさんの声マネで)”あんた、今、何してんの?”って、(僕が)、”はい、家にいます”って答えて、”ちょっといらっしゃい”って言っていただいたら、もう、すぐに行っていたなって。
”これ飲みさないよ”って言ってくださったり、いろいろ厳しくいってくださってたかなとか。”あそこの歌い方、おかしいわよ”とか。
そういう想像しちゃうんですよね~(笑)。
お会いしたかったな~って。
(ひばりさんをご存じの方たちから)男性っぽい方で、和也さんから”気のいい母ちゃんだたよ”とうかがったりしるすと、
だんだんイメージがふくらんできて。
トーク番組でも、楽しんでいらして。”ハハハーッ”て笑っていたり、コンサートのなかでも楽にしゃべってらっしゃるんですよね。
”あ、皆様、暑いわね”とかおっしゃって。それで歯に何か詰まってらっしゃったんですかね、しゃべっていて、チュッ、チュッってやってらっしゃるんですよ(笑)。
そういうところも自然体でいいなあって思いますよね~。
人間として素敵な方だったんだろうなって。
憧れと、お会いしたいなっていう気持ちがすごく強くあります。
T:あの方はもともと演歌の人だったわけじゃなくて、最初はジャズの方が近かった人ですからね。
K: ああ、そうなんですね。
T:途中から日本の人たちに喜んでもらうには、演歌・歌謡曲なんだっていうふに路線を変えていってる人なんで。
K:ああ、そうなんですね~。もう、何、歌っても天才的ですから。すごいなあ...。
T:まあ、そういう存在に(氷川さんも)なれるといいですね。
K:(笑)。ほんとに。 
ひばりさんは”男歌”を歌う時は男になって、”女歌”を歌う時は女になられて。その曲調によって全然違う人になられて。聴いていると(ひばりさんが)その人に見えてきちゃうじゃないですか、吸い込まれて。しかもひばりさんの人生を重ねて歌ってるんだなって感じがするんですよね。
ご自身の「悲しい酒」で、(特に)感じますね。

T:何度か、”勉強させてもらってる”、”歌わせてもらってる”っていう話がありましたけど。
これもアルバムを聴いていて思ったことで。
その、なんていうんでしょうね。毅然として歌に立ち向かっている感じがした。
K:あっ、自分が? ほんとですか。
T:小手先でごまかしていないっていう
K:そこにしか居場所がないっていうか。でも小手先で?
T:小手先で歌ってる感じがしなかったです。他の曲(僕が聴いた他のアルバム)もそうでしたけどね。
K:ほんとですかね。 
T:あの、下世話な言い方しちゃうと”歌がにやけてない”っていうか(笑)。
K:ありがとうございます。 
T:そういう歌謡曲の方、けっこういらっしゃるんで。
K:自分で自分のことを評価しているわけではないんですけど、真剣ではあるかなと。
真剣すぎてちょっと重くなったりすることあるんで...。
どこかやっぱり適当っぽいところもあったりしないといけないかなって思わせていただいたのが、「のんき節」って曲なんですけれども。 
T:これ、気持ちいいですもんね。楽しいですよね。
K:ありがとうございます。 

T:(ニューアルバムをひっさげての)のツアーが始まるので。ツアーに向けての話で終わりましょう。
K:そうですね。全国各地をこまかくまわらせていただいて。ずいぶん多くの方にお越しいただいています。
18年目になるんですけど、コンサートツアーも。大きなホールでやらせていただいていますけれども、やっぱり幅広い世代の皆さんに喜んでもらえるようないろいろ対応できるような作品を歌っていきたいなって。
ひとつの色だけじゃなくて、七色の出せるような歌手になっていけるように精進していきたいと思います。
T:身体に気をつけてツアーに向かってください。


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