Quantcast
Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

”ゲゲゲのきよし”は最高に素敵でしたね(喜)。 そして思いがけない「涙をこえて」の歌唱に思いかえすこともありました。

$
0
0
こんばんは。
「新・BS日本のうた」、ご覧になりましたか?
”ゲゲゲのきよし”さんはとても素敵でしたね。
「愛のメモリー」は録画をリピート、リピート、リピート(嬉)。
きよしさんの歌唱を聴いていたら、「愛のメモリー」がこの世に生まれ出たときにまとっていた新鮮な空気や輝きがよみがえってきて...。
わたしはこの名曲にもう一度、初めて出逢えように感じたのです。

そして前後しますが、チョー・ヨンピルさんの「想いで迷子」は、テレサ・テンさんの歌唱で聴いたことがありましたが、きよしさんが唄ってくださるとは思っていず、嬉しい驚きでした。
抑制のきいた唄いだしから、わくわくして耳を傾けたのです。
せつなさが高まって、しぼんで...。
うっとりしたのです。
スペシャルステージで米子出身の川中美幸さんが他界されたお母さまを偲ばれて、きよしさんが川中さんのお母さまの生前の言葉を代読され、川中さんは涙されていましたね。
川中さんのお母さまを描いた「おんなの一生~汗の花~」、とてもこころに響きました。

出演者の皆さんが登場し、川中さんの「ちょうちんの花」を唄われたのですが、リハーサルでそのような展開はななく、川中さんには本番までしらされていない”サプライズ演出”だったそうで、川中さんが、涙ながらにおっしゃったお礼の言葉に涙がこぼれました。
きよしさんが白いブーケを川中さんに贈られると、川中さんはにっこりと微笑まれ、その笑顔に胸がいっぱいになったのです。

皆で川中さんの背中を押しましょうということで歌唱された「涙をこえて」ではきよしさんが川中さんとともにセンターにたたれ、気持よさそうに歌唱されている姿にこころときめいたのです。
このコーナーで、きよしさんは、川中さんのお母さまの生前の言葉を代読されてから、ラストの「涙をこえて」まで、自分がくずれてはいけないという思いで、何度も涙をおしとどめている様子に、またじんときたのでした。

ラストはきよしさん。
「勝負の花道」を颯爽と、そして、思いっきりブレスして、大きくためて...。
きよしさんのこころそのもののような力強く明快な歌唱に胸のすく思いでエンディングをみさせていただきました。
素敵な番組でした。


最近のラジオ番組でとても感動したものがあり、あらためてその言葉をかみしめたいと思いまして、ラジオを再録したいと思っているのですが、いわゆるテープ起こしに、なかなか着手できずにいてごめんなさい。
先週の「サンデーおすぎ」(KBC放送)は、ラジコのエリアフリーでききましたが、おすぎさんとの会話で、きよしさんが、ご自身のことを、”僕”ではなく”自分”とおっしゃっているところに、デビュー時からお世話になっているおすぎさんときよしさんとの関係性がほの見えて...。
”なんか、いいなあ”と感じたのです。

以下は余談です。
ところで、「涙をこえて」を作詩されたかぜ耕士さんとは、当時の記事をお読みになられた方はご存じのことですが、このブログをとおして少なからずご縁があるのです。
かぜさんは永六輔さんのお弟子さんで、この曲が誕生したのも永さんがチャンスをくださったからなのだそうです。

以下は当時のブログを読んでくださっている方にはご存知の内容になりますが、
以前、「思い出のメロディー」のエンディングでこの曲が唄われたとき、「涙をこえて」の作詩をされたかぜ耕士さんのことをブログに書かせていただいたのですが、 その記事をお読みくださった、かぜさんのファンの方がコメントをくださいました。
そのコメントのおかげで、わたしがかぜさんのWEBラジオを聞こうとしてIDを取得しようとしたことで、かぜさんがこのブログをお読みくださり、
"氷川君絡みで書いて下さった記事を大層嬉しく読ませていただきました"
という書き出しのメールをくださったということがあったのです。

かぜさんは、きよしさんが「NHK歌謡コンサート」や「きよしとこの夜」で「涙をこえて」を唄われたことを、人づてにきいてご存じだったのですが、「思い出のメロディー」のエンディングできよしさんが皆さんと一緒に「涙をこえて」を唄われる様子を、
”氷川君がこの歌好きだ、と言ってくれてたらしいのは本当だったんだぁ、などとちょっとジーンとしながら”
ご覧になったのだそうです。

私はかぜさんからいただいたメールにとても感激して、ブログをお読みくださっている皆さんにもお伝えしたいと思い、かぜさんにその旨をお伝えしたところ、 
”お申し出の件、まったくかまいませんよ”
とすぐにお返事をいただいたのですが、そのメールにはまたまた驚くことが書かれていたのです。

2009年2月24日に松井由利夫先生の追悼の記事をこのブログに書かせていただいた折、きよしさんのデビューに関わった岡賢一プロデューサーのことも書かせていただいたことがあります、かぜさんは作詩を始められた頃、岡プロデューサーと一緒にお仕事をされていたのだそうです。
 
☆2009年2月24日に書いたブログです
 
岡プロデューサーは1960年代の中頃、ビートルズのコピーバンドとして知られていたクレイジービートルズという日本の最先端のグループを組んでいたこともあり、グループ・サウンズのザ・スコーピオンズのリーダーだった方。
その音楽性を見込まれて文化放送の中にあるJCM(ジャパン・セントラル・ミュージック)のディレクターになり、その頃、文化放送でアルバイトをしていたかぜさんと知り合われたのだそうです。

音楽制作ディレクターとなられた岡さんはグレープ、細川たかしさん、香西かおりさんらを発掘し、楽曲制作を手がけています。
そんな岡プロデューサーが、
”今度ねぇ、凄い力の新人を世に出すんだよ”
と、かぜさんに嬉しそうに語ってくれたことがあり、それがきよしさんのことだったのだそうです。

ですのでかぜさんはきよしさんのことをデビューの頃から注目され、デビュー曲の「箱根八里の半次郎」が売れた時には、岡プロデューサーのためにとても喜ばれたのだそうです。
”岡さんは演歌ドップリの人でないから氷川君の力がよく判ったのですねぇ”
そして、
”そんな訳で僕らはみんな糸をたぐり寄せるとどこかで交差し合っているものなのですね、きっと”
と書き添えられていました。
 
その時のブログにも書いたのですが、
ブログを始め、きよしさんのことを書かせていただいてきたおかげで小学生の頃にラジオの向こうで活躍されていた憧れの方にこのような形で再会でき、ブログを続けるようにと励ましていただいて...。
人生には何が起こるかわからないと思った出来事のひとつです。
 
このブログは一方通行で発信するだけでは、とても今日まで続けることはできませんでした。
記事をお読みくださる皆さまのおかげで今日まで続けてこられたのです。
あらためて、氷川きよしさんに、そして、ブログをお読みくださる皆さまに感謝したいと思いました。


アメブロでアーカイブ作業をしているので、いずれそちらでも振り返りますが、この記事の文末に、岡プロデューサーときよしさんの対談の一部をアップしますね。

音楽プロデューサーの岡賢一氏の「流行歌は人を救えるのか」(アミューズブックス)という著作の中に、きよしさんと岡さんの対談が掲載されていますが、その本のなかで、岡さんは「箱根八里の半次郎」が誕生するまでの経緯についても語られています。

岡さんはきよしさんの声が股旅モノに向いていると感じ、それまでの実体験をふまえたリサーチとカンで、きよしさんのデビュー曲は股旅モノで行くと提案し、決まったものの、まだスタッフの中には懐疑的な意見も多く、股旅をベースにしつつももっとわかりやすい現代的な内容の歌にしたほうがいいんじゃないかという意見が多かったこと。
けれども岡プロデューサーは股旅モノをやるなら、本物でなくてはだめだと思って、松井先生に作詞を依頼することにしたというようなことをお話しされています。

以下、岡プロデューサーときよしさんとの対談の一部です。
 岡 「(前略)歌詞は本物でなくちゃ人の心が掴めない。それで股旅モノといったらこの人、という松井由利夫先生に作詞をお願いすることにしたんです。でも松井先生に『誰が歌うの?』と聞かれても、氷川君だとは明かさなかった」

氷川「それはなぜですか?」

岡 「氷川君の年齢を言ったら、松井先生は『こんな難しい言葉は、彼には合わないだろうな』って考えて、本物の股旅モノはできないと思ったから。(後略)」

氷川「僕は岡さんのそんなお考えも知らずに、股旅モノで行くにしても、もっと自分らしく表現できるような方法はないかと思っていたんです」

 岡 「それで、あの『やだねったら、やだね』のフレーズが生まれたんだよね。若い歌手がマジに股旅モノを歌ったって窮屈なんじゃないかってスタッフは考えていて。それで悩んでいたら、水森先生から『やだねったら、やだね』のアイディアがポッと出た。それを松井先生が採用してくれたんだよね」

氷川「『やだねったら、やだね』を聞いた時、僕らしいなと思いました。若さがあって、あっけらかんとしていますしね。それに、誰もが口ずさめる言葉で、幅広い年齢の方に受け入れてもらえるんじゃないかと感じたんです」

お二人の対談はこの後、まだ続くのですが、世代を超えてコミットし、そのジェネレーションギャップから生まれるエネルギーを創作に向けていくことの素晴らしさをこの対談から感じました。
そして今、あらためて、このような経緯で、運命の縁の糸に結ばれて、きよしさんは松井先生にデビュー曲の詞を書いていただいたのだなあと思います。

松井先生ときよしさんの年齢差は52歳。生まれた時代が半世紀以上離れているのに、こうして出会うことができ、お互いの人生に大きく関わることができたということは、奇跡のような尊い縁なのでしょうね。

でも、きよしさんと松井先生との出会いのように劇的な出会いではなくても、私たちの日々の多くの方との出会いも、”縁の糸”で結ばれた尊いものなのでしょう。

そんなことをきよしさんにまた教えていただきました。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>