きよしさん、なぜそんなに唄えるの?
そして、とびきりの笑顔になれるの?
長良川国際会議場でのコンサートの夜の部でのこと。
オープニングの「じょんがら挽歌」からそのまごころいっぱいの歌唱に胸がいっぱいになっていました。
昼の部で突然、声がかすれるアクシデンドがあり、夜の部の開催はお医者様の判断を仰ぐことになったのですが、夜の部は4時半頃、早々に予定どおり開催とお知らせがあったのです。
きよしさんは、オープニンクトークで、昼の部に参加した方たちへのおわびをおっしゃると、
「昼の部のあと病院にいって、あれして(笑)よくなりました。
すごい回復力でしょ!
10代だから(笑)」
と、笑顔でおっしゃいました。
そして1曲1曲、力みなぎらせ、声高らかに唄ってくださり、唄うほどに圧倒されたのです。
そして、「霧の摩周湖」は、大事をとってセットリストにいれていなかったようでしたが、゛ふれあいコーナー゛につづいて、「勝負の花道」を唄われる段になると、ご自身から「霧の摩周湖」を唄うことを申し出られました。
心配される西寄さんに、きよしさんは、
「大丈夫ですよ~」
と優しく、けれどもきっぱりとそうおっしゃり、HKピュアリバーの皆さんが急ぎ準備され、きよしさんが唄いだされたのです。
その歌声がなんて美しく響いたことでしょう。
繊細で伸びやかなファルセットに、共鳴するようにこころが感動で震えたのです。
数時間前、突然の不調に見舞われたのですから、まだどこかに不安を抱えていたのではないかと思うのです。
でも、きよしさんは颯爽と、ときには果敢に1曲、また1曲と唄いあげて、わたしたちを驚かせ、感動させてくださいました。
昼の部でのリズム歌謡のコーナーで、「男花」、「咲いてロマンティカ」と唄われたきよしさん、お出迎えのボードに゛絶好調゛という文字が躍っているごとく、歌唱もさえわたっていたのです。
コーナーの3曲目の「酔わせてオルホ」では、後半のひと節ひと節を短めにきってブレスをされていましたが、あえてそういう唄い方にされているという印象で気にとめていませんでした。
でも、つづいて西城秀樹さんを偲んで「情熱の嵐」を唄いだされたところで、きよしさんの声がかすれてしまったのです。
突然のことに誰もが驚きましたが、誰よりも驚き動転していたのはきよしさんだったことでしょう。
何しろそれまでは、゛絶好調゛だったのですから。
「情熱の嵐」は、伴奏は最後まで演奏されましたが、きよしさんは、じっとたちつくされて...。
ステージが暗転するときよしさんは深々とお辞儀をされ、上手袖へともどっていかれ、゛機材調整゛ということで、司会の西寄ひがしさんが場をつながれることになったのです。
かなりの時間が経過して、きよしさんを心配する声もちらほら。
そんなときは、
「大丈夫、大丈夫! 大丈夫じゃなかったら中止になっています。
もう少しお待ちください。
安心していてください。
私がついてますよ~」
と笑顔でおっしゃったのです。
とはいえきよしさんの登場を待っていた時間は、心配な思いゆえに実際より長く感じたかもしれません。
きよしさんは「勝負の花道」のジャケットの衣裳にお召し換えされて登場。
おわびをあらためて言葉にされると、゛ふれあいコーナー゛を先にしましょうということに。
そこでのトークはあらためて書きますが、きよしさんはそんなコンディションのなか、
「勝負の花道」、
そして、そのカップリング曲の
「柔道」、「恋次郎旅姿」、「俺ら江戸ッ子浅太郎」を。
ラストは、着流し姿で、
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
を歌唱され、
ラストは「男の絶唱」を全身全霊で唄ってくださったのです。
それこそは魂の歌声!
テクニックを駆使しての限界ギリギリの発声、そしてそれらを補って余りあるきよしさんの誠実な振る舞いに胸がいっぱいになりました。
これまで3000公演近くコンサートをおこなってきて、このようなことは初めてと西寄さんがおっしゃっていました。
きよしさんも動揺を抱きながらも、
「僕も年ですね~」
と笑わせてくださる一幕も。
アンコールはレインボー柄の燕尾服に衣裳チェンジされ、
「皆さん、一緒に唄ってください!」
ときよしさんがおっしゃり、
「きよしのソーラン節」
「きよしのズンドコ節」
を皆で声をあわせて唄ったのです。
昼の部の終演後、マネージャーの上東さんが舞台の下手下にでてこられ、心配をかけてしまったこと、中断した分、お届けする曲数が少なくなってしまったことなど諸々のおわびをされました。
でも、突然ののどの不調に動転しながらも、きよしさんがどれほど誠心誠意歌唱されたかをおっしゃり、いつかこの日のお返しをしたいという思いも言葉にされました。
そして、このあと医師に、診察を受け、夜の部を開催するかの判断を仰ぐことを説明され、4時半に結果をアナウンスする旨の説明がありました。
わたしは近くのホテルにチェックインしてまたホールに戻ることにしましたが、チェックインの手続きをするのに自分の電話番号を書こうとしてアタマがまっ白に...。
そこではじめて自分もまた動転していることを気づいたのです。
4時半すぎにホールにいってみると、開催するとスタッフの方が告知されていて、胸を撫でおろしました。
でも、安堵と同時にやはりまだ不安も抱えながら幕があがるのを待ったのです。
ですので夜の部がはじまり、きよしさんの歌唱を聴くほどに安堵と感動が広がり、それにしてもなぜこれほどがんばることができるのだろうと、男気あふれる歌唱に聴き惚れ、そのたたずまいに見惚れたのでした。
不屈の魂。
そしてどんな苦境にあっても自分のことよりファンのことを思って行動されるきよしさんに、デビュー以来、今日まで、なぜ゛氷川きよし゛に、魅せられつづけているのか、その理由を再認識したのです。
※旅先でスマホからですが、早く様子をお伝えしたく、駆け足でこの記事を書いています。
゛ふれあいコーナー゛は昼夜とももりあがりましたので、その様子は帰宅してから書きますね。
そして、とびきりの笑顔になれるの?
長良川国際会議場でのコンサートの夜の部でのこと。
オープニングの「じょんがら挽歌」からそのまごころいっぱいの歌唱に胸がいっぱいになっていました。
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昼の部で突然、声がかすれるアクシデンドがあり、夜の部の開催はお医者様の判断を仰ぐことになったのですが、夜の部は4時半頃、早々に予定どおり開催とお知らせがあったのです。
きよしさんは、オープニンクトークで、昼の部に参加した方たちへのおわびをおっしゃると、
「昼の部のあと病院にいって、あれして(笑)よくなりました。
すごい回復力でしょ!
10代だから(笑)」
と、笑顔でおっしゃいました。
そして1曲1曲、力みなぎらせ、声高らかに唄ってくださり、唄うほどに圧倒されたのです。
そして、「霧の摩周湖」は、大事をとってセットリストにいれていなかったようでしたが、゛ふれあいコーナー゛につづいて、「勝負の花道」を唄われる段になると、ご自身から「霧の摩周湖」を唄うことを申し出られました。
心配される西寄さんに、きよしさんは、
「大丈夫ですよ~」
と優しく、けれどもきっぱりとそうおっしゃり、HKピュアリバーの皆さんが急ぎ準備され、きよしさんが唄いだされたのです。
その歌声がなんて美しく響いたことでしょう。
繊細で伸びやかなファルセットに、共鳴するようにこころが感動で震えたのです。
数時間前、突然の不調に見舞われたのですから、まだどこかに不安を抱えていたのではないかと思うのです。
でも、きよしさんは颯爽と、ときには果敢に1曲、また1曲と唄いあげて、わたしたちを驚かせ、感動させてくださいました。
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昼の部でのリズム歌謡のコーナーで、「男花」、「咲いてロマンティカ」と唄われたきよしさん、お出迎えのボードに゛絶好調゛という文字が躍っているごとく、歌唱もさえわたっていたのです。
コーナーの3曲目の「酔わせてオルホ」では、後半のひと節ひと節を短めにきってブレスをされていましたが、あえてそういう唄い方にされているという印象で気にとめていませんでした。
でも、つづいて西城秀樹さんを偲んで「情熱の嵐」を唄いだされたところで、きよしさんの声がかすれてしまったのです。
突然のことに誰もが驚きましたが、誰よりも驚き動転していたのはきよしさんだったことでしょう。
何しろそれまでは、゛絶好調゛だったのですから。
「情熱の嵐」は、伴奏は最後まで演奏されましたが、きよしさんは、じっとたちつくされて...。
ステージが暗転するときよしさんは深々とお辞儀をされ、上手袖へともどっていかれ、゛機材調整゛ということで、司会の西寄ひがしさんが場をつながれることになったのです。
かなりの時間が経過して、きよしさんを心配する声もちらほら。
そんなときは、
「大丈夫、大丈夫! 大丈夫じゃなかったら中止になっています。
もう少しお待ちください。
安心していてください。
私がついてますよ~」
と笑顔でおっしゃったのです。
とはいえきよしさんの登場を待っていた時間は、心配な思いゆえに実際より長く感じたかもしれません。
きよしさんは「勝負の花道」のジャケットの衣裳にお召し換えされて登場。
おわびをあらためて言葉にされると、゛ふれあいコーナー゛を先にしましょうということに。
そこでのトークはあらためて書きますが、きよしさんはそんなコンディションのなか、
「勝負の花道」、
そして、そのカップリング曲の
「柔道」、「恋次郎旅姿」、「俺ら江戸ッ子浅太郎」を。
ラストは、着流し姿で、
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
を歌唱され、
ラストは「男の絶唱」を全身全霊で唄ってくださったのです。
それこそは魂の歌声!
テクニックを駆使しての限界ギリギリの発声、そしてそれらを補って余りあるきよしさんの誠実な振る舞いに胸がいっぱいになりました。
これまで3000公演近くコンサートをおこなってきて、このようなことは初めてと西寄さんがおっしゃっていました。
きよしさんも動揺を抱きながらも、
「僕も年ですね~」
と笑わせてくださる一幕も。
アンコールはレインボー柄の燕尾服に衣裳チェンジされ、
「皆さん、一緒に唄ってください!」
ときよしさんがおっしゃり、
「きよしのソーラン節」
「きよしのズンドコ節」
を皆で声をあわせて唄ったのです。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
昼の部の終演後、マネージャーの上東さんが舞台の下手下にでてこられ、心配をかけてしまったこと、中断した分、お届けする曲数が少なくなってしまったことなど諸々のおわびをされました。
でも、突然ののどの不調に動転しながらも、きよしさんがどれほど誠心誠意歌唱されたかをおっしゃり、いつかこの日のお返しをしたいという思いも言葉にされました。
そして、このあと医師に、診察を受け、夜の部を開催するかの判断を仰ぐことを説明され、4時半に結果をアナウンスする旨の説明がありました。
わたしは近くのホテルにチェックインしてまたホールに戻ることにしましたが、チェックインの手続きをするのに自分の電話番号を書こうとしてアタマがまっ白に...。
そこではじめて自分もまた動転していることを気づいたのです。
4時半すぎにホールにいってみると、開催するとスタッフの方が告知されていて、胸を撫でおろしました。
でも、安堵と同時にやはりまだ不安も抱えながら幕があがるのを待ったのです。
ですので夜の部がはじまり、きよしさんの歌唱を聴くほどに安堵と感動が広がり、それにしてもなぜこれほどがんばることができるのだろうと、男気あふれる歌唱に聴き惚れ、そのたたずまいに見惚れたのでした。
不屈の魂。
そしてどんな苦境にあっても自分のことよりファンのことを思って行動されるきよしさんに、デビュー以来、今日まで、なぜ゛氷川きよし゛に、魅せられつづけているのか、その理由を再認識したのです。
※旅先でスマホからですが、早く様子をお伝えしたく、駆け足でこの記事を書いています。
゛ふれあいコーナー゛は昼夜とももりあがりましたので、その様子は帰宅してから書きますね。