こんばんは。
深夜の更新です。
昨日はお昼を岐阜駅近くのお店でいただいてゆっくり帰るつもりでしたが、台風の影響でもし新幹線が途中でとまるようなことがあってはとランチはまたの機会とキャンセルさせていただき、予定を早めて、午後4時頃には帰宅したのです。
雨はパラパラという感じでも風もまだ弱く、順調に帰宅できました。
皆様、これからの台風の動きに注意して、どうか安全な行動をとってくださいね。
被害が最小であってほしいと願うばかりです。
そして、一夜明けて、あらためて、”氷川きよし”という歌手になぜこれまで惹かれ、魅せられつづけてきたのかを再認識させていただいたのです。
夜の部で唄ってくださった「きよしの人生太鼓」を聴いていて、
”命まるごと 謳おうじゃないか”という歌詩にこの日も大きく共感し、”氷川きよし”の生きざまそのものだなあと感じておりました。
命、命、命...。
ああ、なんて、ありがたい。
きよしさんの、昼の部での身を削るような全身全霊の歌唱をわたしは生涯忘れないでしょう。
そして、苦しさに耐えがたいとき、絶望しそうになったとき、きよしさんのあの歌唱が、きっとわたしを支えてくださることでしょう。
話題が前後しますが、岐阜に出発するのに、前日まで仕事でバタバタしていたので、出発する日の朝、少し早起きして準備しはじめたのですが、、着る洋服や、持っていくものがきめられないほどに、アタマガ仕事疲れして、へとへとになっていたのです。
ですので、昨日は帰宅してから、少しのんびりして、夕方から「明日へつなげるコンサート in 名取」をみて、早めに食事をして...。
Kさんはじめ、メールのお返事ができていなかったお友達にメールをおくって、早めに眠ったのです。
それでこんな時間に起きだして、仕事を少しして、ブログを書きはじめている次第です。
「明日へつなげるコンサート in 名取」でのきよしさんの歌唱は素晴らしいものでしたね。
聴く人のこころの奥底に光をさしかけ、その祈りのような思いがしみこむように広がっていくようなあの歌声!
あたたかな優しさと同時に神々しさを感じておりました。
公開収録に参加させていただいておりましたので、そのときの様子はこちらからお読みいただけますが、きよしさんが唄ってくださった「奇跡~大きな愛のように~」には、放送で聴いてまた感動を新たにさせていただいたのです。
”氷川きよし”と同じ時代に生きていることの幸せを感じずにはいられませんでした。
☆公開収録の様子はこちらからお読みいただけます。
開演前に小松宏司アナウンサーがお話しくださったきよしさんのエピソードも書きとめていますので、よろしかったらお読みくださいませ。
そして、先の記事で27日に長良川国際会議場でおこなわれたきよしさんのコンサートの様子を書かせていただきました。。
コメントをお寄せくださった皆様、ありがとうございます。
ここ数年を思いかえしてみれば、活躍されている歌手の方が体調やのどの不調でコンサートを延期されたり、休養されたということ多々ありますが、きよしさんの場合はお医者様に診察し処置をしていただいて、夜の部の開催にゴーサインがで、さらにその歌声を聴かせていただいて、大丈夫と思ったので、ブログでは深くふれずにおこうかとも思ったのです。
でも、お友だちのKさんはじめ、わたしが親しくさせていただいている方たちが、すでのSNSを通して、昼の部の様子をしっていて...。
わたしは、そのような状況をうけて、気休めやきれいごとではなく、そのときの状況や自分の心境をできるだけ正直に書くことで、、お読みくださる皆さまが各々に感じとり、判断をしてくださる材料になればという思いで書くことにしたのでした。
長良川国際委会議場はきよしさんにとって特別な場所のひとつ。
長良じゅん会長がこちらのご出身で芸能プロダクションで働くようになってから、お仕事でのお名前を、”長良川のように純粋に”tという思いで、”長良じゅん”と”されたそうですね。
長良会長は、きよしさんこのホールでコンサートを開催される折にお越しくださると、楽屋ではお酒をたしまれていたそうで、不慮の事故で他界されてからは、長良会長が好んでおられたお酒を用意して、会長がいつもすわっておられたところに手向けておられるのだと、きよしさんがこれまでのコンサートの折にお話しくださっていました。
この日も昼夜とも会長への思いをお話しくださっていました。
そんなきよしさんにとって特別な場所でおこったアクシデント。
それは長良会長の親心なのかなあと勝手ながら思っています。
もちろんなにごともなくいつでもベストコンディションでいられたらそれ以上に素晴らしいことはありません。
でもきよしさんといえども生身の人間。
これから年末に向かってますます大きなお仕事がつづいて、いよいよ20周年目に突入するというこの時期に、この場所でおこったアクシデントにはこ、これから10年、20年、”氷川きよし”がいっそう高く羽ばたくために、なにが大切なのかという”気づき”へとつながるのではないかと、勝手ながら感じていましす。
皆様、つぎは神宮球場での始球式が7月31日にあり、きよしさんは歌唱してくださいますね。
皆でこころをあわせて、きよしさんにエールを贈っていきましょう。
それがきっときっとなによりのパワーになるのだと思います。
では、以下はトークと”ふれあいコーナー”を中心に書こうと思います。
わたしもここから4日間は、怒涛の仕事の日々なので、今書かせていただいて、仕事に集中しようというこころづもりなので、心配しないでくださいね。
※”絶好調”の文字が躍っていて、きよしさんの思いがつたわってきますね!
さて、昼の部で”機材の調整”のためしばし中断したあとで登場されたきよしさんは、「勝負の花道」の光沢のあるグレーのロング丈のスーツにお召し替えされて登場されました。
「お待たせして申し訳ございませんでした」
とおっしゃって深くお辞儀をされたかと思います。
司会の西寄ひがしさんが、
「”ふれあいコーナー”からまいりましょうか?」
とおっしゃるとうなずかれたきよしさん。
皆もきよしさんの笑顔にホッとしたのです。
おひとりめの当選者は1階23列におすわりの下呂温泉から3名でお越しになった方でした。
わたし、当選された方とお席が近かったので、自分が当たったわけではないのに、なんだかとってもドキドキしたのです(嬉)。
水害で道路が分断してこの日のコンサートに来ることが危ぶまれたのですが、ボランティアの方たちの力もあって、道路が早く復旧できて来場することがかなったということでした。
”今日、ここに来ることができたのは多くの方のおかげです”
とおっしゃっていたのです。
下呂温泉のお湯は透明とうかがったきよしさん。
「僕、透明なお湯が好きなんですよ。いってみたいですね~」
と。
ぜひ、下呂温泉でもコンサートを開催していただきたいですね。
当選者のお孫さんのおひとりは5歳ですが、きよしさんの「男花」が大好きで、「限界突破×サバイバー」もお気に入り。先日に「FNSうたの夏まつり」もご覧になっていたそうで、きよしさんはとても嬉しそうでした。
おふたりめの当選者は2階席1列におすわりの方。
名古屋市からお越しでファン歴19年ということでした。
名古屋のチャンスセンターで宝くじを購入したので、”当たるようにパワーをください”と書いておられて(笑)。
きよしさんは、「ハッ! ヨイショッ!」とパワーをおくられたのです。
西寄さんが、
「当たったらどうされますか?」
とおたずねになると、
”当たったらきよしくんを追っかけて前後くをまわりたいです!”
と即答。
きよしさんは、恐縮された面持ちで、、
「貯金しておいてください」
とおっしゃったのです。
そして、8月18日に放送される「思い出のメロディー」のおしらせを西寄さんがされると、
「まごころこめて、一生懸命やらせていただきたいと思います」
と決意を言葉にされると、そのながれで、
「勝負の花道」
を明るく唄ってくださったのです。
そして、
「カップリング曲も、ABC、すべて唄います」
と、西寄さんのナレーションがすかさずはいって、
カップリング曲である、
「柔道」
「恋次郎旅姿」
「俺ら江戸っ子浅太郎」
を1コーラスずつ唄ってくださいました。
ここでバンドのメンバー紹介がはいると、薄い黄色(レモンイエロー)の着流し姿できよしさんは登場され、
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
を歌唱され、ラストトークに。
「今日はほんとうに申し訳ございませんでした」
とおっしゃり深々と頭をさげられたのです。
「急なのどの不調で僕も動転していますが、でも、へのかっぱです!
今日は、(ここまで)まごころをお届けしたいという思いで歌わせていただきました」
と、その思いを言葉にされると、
「僕も年ですね~」
と、感慨深げにひとこと。
でもなんだかその言葉に気持ちがほっこりして、少し笑いもおこったのです。
きよしさんは、さらに、
「暑い日がつづきますが、僕も身体に気をつけてがんばります!
いよいよ20周年が近づいてきました。
事務所の会長がこちらの出身で、事務所の名前も”長良プロダクション”。
会長にスカウトしていただいて(歌手になることができ)、(こうしてコンサートで)毎年この会館に来られることが、すごく幸せです」
とおっしゃり、いよいよラストの曲である、「男の絶唱」を唄ってくださったのでした。
テクニックを駆使して、ファルセットもみごとに響かせ、もてる力のすべてをだしきっての”全身全霊”の歌唱にふるえがとまりませんでした。
どうして、ここまでがんばれるんだろう。
わたしには”氷川きよし”がこれまででいちばん大きくみえた瞬間でした。
つぎはアンコールでしたが、”アンコールを求めることが申し訳ない思いでいっぱいになったのです。
それは皆同じ思いだったようで、拍手が鳴り響いて幕がおりると、”きよしコール”も手拍子もきこえてきませんでした。
でも、ふたたび幕があくと、レインボー柄の衣裳に着替えたきよしさんがステージ中央にたっておられ、
「暑い中、お時間をいただいてしまい、申し訳ありませんでした。もっといろいろな歌をお届けしたかったのですが...。
申し訳ありません。
最後は『きよしのソーラン節』と『きよしのズンドコ節』です。
皆さん、一緒に唄ってください」
と、きよしさんがおっしゃると、「きよしのソーラン節」のイントロがながれだしたのです。
きよしさんと1689名の観客との大合唱となり、お別れの際、きよしさんはステージ階段をのぼられず、
ステージ上にとどまって、手を振り、お辞儀をされていました。
そんな振る舞いにも、きよしさんの思いを感じて...。
そして、昼の部の幕が万雷の拍手におくられて、降りたことに安堵したのです。
※忘れられない思い出になりました。
夜の部は、ほぼ定刻にスタートしたでしょうか。
わたしは4時45分頃ホールにいって夜の部の開催を確認すると、ホテルにもどって、着替えることにしたのです。
今の思いをこめて白に着替えたいという思いになって...。
朝、着るものがうかばなくてとりあえず持ってきた白のワンピースに着替えて、会場へと向かいました。
「じょんがら挽歌」のイントロが奏でられたので、息をのむ思いであがっていく幕をみつめていると、きよしさんが白地の着物に紫の袴をお召しになって登場されました。
オープニングから、
「じょんがら挽歌」
「一剣」
「箱根八里の半次郎」
と一気に歌唱されると、来場のお礼と、昼の部にもお越しになった人が多数おられることを確認されると、
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
昼の部のあと、病院にいって、あれして(笑)。もう、大丈夫です」
とおっしゃると、
「白雲の城」
を唄ってくださいました。
力技の歌唱!
きよしさんを支えてくださる楽団の皆さん、音響の皆さんの思いも感じて、胸熱くなったのです。
リズム歌謡のコーナーでは、
「男花」
「咲いてロマンティカ」
「酔わせてオルホ」
を鮮やかに歌唱されると、つづいては、
「真赤な太陽」
でした。
ここで、HKピュアリバ―の皆さんによるインストロメンタル演奏、つづいてグッズ紹介とつづいたところで、グレーのロング丈のスーツにお召し替えされたきよしさんが登場。
西寄さんとのトークでもりあがったのです。
「第50回 思い出のメロディー」の話題になると、
「今年は収録なので、いくらか気が楽です。
昨年は生放送だったので、緊張してマイクが震えてました」
とのきよしさんの言葉に、西寄さんがそんなふうには少しもみえず、とても素晴らしかったことを称賛。
共感の拍手がおこると、
「皆様!」
と大きな声できよしさんはおっしゃると、オープニングから、ご自身が映り、大御所の大先輩が並ばれているその前でということで、どれほど緊張されたのかを、゛もう、きいてよ!゛という様子で捲し立てられたのでした(笑)。
そして、居住まいをただされると、
「感謝しながらまごころで。
その瞬間瞬間を一生懸命、できる限りやらせていただきたいです。
放送当日は群馬でコンサートをしているので、収録だとご存じない方は、゛氷川きよしがふたりいる゛
と思われるかもしれませんね(笑)。
まあ、自分がふたりいたらいいなって思いますけど」
と。
歌唱される曲目はきまっているそうで、
「ええと、僕が唄う曲は、もう発表されてるんですか?」
とおたずねに。
すると、
゛まだ!゛
と多くの方がお答えになりました。
もう、皆様、正直すぎますっ!
なんて(笑)。
そして、昨日放送された「明日につながるコンサート」のインフォメーションを西寄さんがされると、
「被災された場所へもいって、お話うかがったんです。
一度ホールにいってから、タクシーでちゃっと(笑)。
実際に自分の目でみないと。
ウソになっちゃうと思って。
目でみて、感じて...。
そのなかで自分になにができるかと考えるんですよね」
と。
また、25日に収録されたばかりの「夏祭りにっぽんの歌」が8月4日に放送されることを西寄さんがおしらせされると、事務所の先輩もご一緒だったそうでそのながれで五反田のゆうぽうとが会場だったとき、山川さんがカレーを食べにつれていってくださったエピソードをきよしさんがお話しされると、この日の楽屋でのメニューにカレーがあったことを西寄さんが話題にされました。
すると、
「声帯が不調で病院に行っていたので食べられなかったんですよ。
でも、よくなったでしょ!
すごい回復力!
10代だからあ~」
ときよしさん。
その屈託ない様子にホッとして、そしていじらしさを感じてしまいました。
すると、西寄さんが、
「皆さ~ん、ここは拍手するところですよ~」
とおっしゃられたので、ようやく嬉しさと安堵の思いのこもった拍手がおこりました(喜)。
おふたりめの当選者は1階25列におすわりの岐阜市内からお越しの82歳の方。
健康のためにご自身で考案された体操をきよしさんに伝授してくださいました(喜)。
「記念にきよしさんとひと節いかがですか?」
と西寄さんのお誘いで、「きよしのズンドコ節」を一緒に。
最初はなかなかあわなかったのですが、次第にうちとけて。
優しいお声にきよしさんは、
「○○子さんの膝枕で眠りたい~。一晩中!」
とおっしゃったのです(嬉)。
このながれで、
「勝負の花道」を唄われることになっていたようですが、先の記事に書かせていただいたように、きよしさんが「霧の摩周湖」を唄うことを申し出られて。
弾むトークとその申し出に、きよしさんの復調をいっそう感じて幸せな思いになりました。
「霧の摩周湖」
「勝負の花道」。
そして、カップリング曲の、
「柔道」
「恋次郎旅姿」
「俺ら江戸っ子 浅太郎」
を歌唱され、見事だったのです。
薄い黄色(レモンイエロー)の着流しにお召しかえされて、
「きよしの人生太鼓」
「ちよいときまぐれ渡り鳥」
そして、
「男の絶唱」
まで朗々と唄われました。
アンコールはレインボー柄の衣裳で、
「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」
「きよしのソーラン節」
とつづいて、
「きよしのズンドコ節」
でフィナーレとなりました。
そのようなコンデイションなのに、昼の部では15曲半(「情熱の嵐を」含む)。
夜の部では19曲を熱唱されたのです。
わたしは、昼の部、夜の部をとおして、
゛氷川きよし゛の、歌手としての底力、人としてのまごころと深い愛を感じて感無量になったのでした。
「第50回 思い出のメロディー」の話題になると、
「今年は収録なので、いくらか気が楽です。
昨年は生放送だったので、緊張してマイクが震えてました」
とのきよしさんの言葉に、西寄さんがそんなふうには少しもみえず、とても素晴らしかったことを称賛。
共感の拍手がおこると、
「皆様!」
と大きな声できよしさんはおっしゃると、オープニングから、ご自身が映り、大御所の大先輩が並ばれているその前でということで、どれほど緊張されたのかを、゛もう、きいてよ!゛という様子で捲し立てられたのでした(笑)。
そして、居住まいをただされると、
「感謝しながらまごころで。
その瞬間瞬間を一生懸命、できる限りやらせていただきたいです。
放送当日は群馬でコンサートをしているので、収録だとご存じない方は、゛氷川きよしがふたりいる゛
と思われるかもしれませんね(笑)。
まあ、自分がふたりいたらいいなって思いますけど」
と。
歌唱される曲目はきまっているそうで、
「ええと、僕が唄う曲は、もう発表されてるんですか?」
とおたずねに。
すると、
゛まだ!゛
と多くの方がお答えになりました。
もう、皆様、正直すぎますっ!
なんて(笑)。
そして、昨日放送された「明日につながるコンサート」のインフォメーションを西寄さんがされると、
「被災された場所へもいって、お話うかがったんです。
一度ホールにいってから、タクシーでちゃっと(笑)。
実際に自分の目でみないと。
ウソになっちゃうと思って。
目でみて、感じて...。
そのなかで自分になにができるかと考えるんですよね」
と。
また、25日に収録されたばかりの「夏祭りにっぽんの歌」が8月4日に放送されることを西寄さんがおしらせされると、事務所の先輩もご一緒だったそうでそのながれで五反田のゆうぽうとが会場だったとき、山川さんがカレーを食べにつれていってくださったエピソードをきよしさんがお話しされると、この日の楽屋でのメニューにカレーがあったことを西寄さんが話題にされました。
すると、
「声帯が不調で病院に行っていたので食べられなかったんですよ。
でも、よくなったでしょ!
すごい回復力!
10代だからあ~」
ときよしさん。
その屈託ない様子にホッとして、そしていじらしさを感じてしまいました。
すると、西寄さんが、
「皆さ~ん、ここは拍手するところですよ~」
とおっしゃられたので、ようやく嬉しさと安堵の思いのこもった拍手がおこりました(喜)。
゛ふれあいコーナー゛となり、おひとりめは2階3列におすわりの滋賀県長浜市からお越しの方。
きよしさんと同じ年の方で、お母様をつれて車でお越しになったということでした。
コンサートで全国各地を訪れているきよしさんに、゛おススメのB級グルメを教えてください゛との質問でした。
いろいろ考えた結果、゛あんかけスパゲッティー゛と、ちょっと高級ですが゛ひつまぶし゛をおススメに。
きよしさんと同じ年の方で、お母様をつれて車でお越しになったということでした。
コンサートで全国各地を訪れているきよしさんに、゛おススメのB級グルメを教えてください゛との質問でした。
いろいろ考えた結果、゛あんかけスパゲッティー゛と、ちょっと高級ですが゛ひつまぶし゛をおススメに。
おふたりめの当選者は1階25列におすわりの岐阜市内からお越しの82歳の方。
健康のためにご自身で考案された体操をきよしさんに伝授してくださいました(喜)。
「記念にきよしさんとひと節いかがですか?」
と西寄さんのお誘いで、「きよしのズンドコ節」を一緒に。
最初はなかなかあわなかったのですが、次第にうちとけて。
優しいお声にきよしさんは、
「○○子さんの膝枕で眠りたい~。一晩中!」
とおっしゃったのです(嬉)。
このながれで、
「勝負の花道」を唄われることになっていたようですが、先の記事に書かせていただいたように、きよしさんが「霧の摩周湖」を唄うことを申し出られて。
弾むトークとその申し出に、きよしさんの復調をいっそう感じて幸せな思いになりました。
「霧の摩周湖」
「勝負の花道」。
そして、カップリング曲の、
「柔道」
「恋次郎旅姿」
「俺ら江戸っ子 浅太郎」
を歌唱され、見事だったのです。
薄い黄色(レモンイエロー)の着流しにお召しかえされて、
「きよしの人生太鼓」
「ちよいときまぐれ渡り鳥」
そして、
「男の絶唱」
まで朗々と唄われました。
アンコールはレインボー柄の衣裳で、
「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」
「きよしのソーラン節」
とつづいて、
「きよしのズンドコ節」
でフィナーレとなりました。
そのようなコンデイションなのに、昼の部では15曲半(「情熱の嵐を」含む)。
夜の部では19曲を熱唱されたのです。
わたしは、昼の部、夜の部をとおして、
゛氷川きよし゛の、歌手としての底力、人としてのまごころと深い愛を感じて感無量になったのでした。
※岐阜駅のホームからの風景。きっとまた来ますね!
終演後の出待ちのこと、先の記事にも書かせていただきましたが、ファンの列にかえしてくださったきよしさんのあたたかなまなざしに、
゛心配かけてごめんね。もう大丈夫だから゛
という思いを感じて...。
胸がいっぱいになり、あふれる幸せに包まれたのでした。
以上、駆け足の更新でごめんなさい。
今日から数日間はひたすら仕事がんばります!
皆様、またお逢いできますように。
゛心配かけてごめんね。もう大丈夫だから゛
という思いを感じて...。
胸がいっぱいになり、あふれる幸せに包まれたのでした。
以上、駆け足の更新でごめんなさい。
今日から数日間はひたすら仕事がんばります!
皆様、またお逢いできますように。