わたしが、氷川きよしさんの歌う「愛の讃歌」をはじめて聴いたのは、2011年8月26日、ザ・プリンスタワー東京で開催されたディナーショーの第2部でのことでした。
いつか、きよしさんが歌う「愛の讃歌」を聴いてみたいと思ってはいましたが、まさかその日に聴かせていただけるとは夢にも思っていないことでしたから、イントロが聴こえてきても、まだ、自分の耳を疑っていたのです。
「♪あなたの燃える手で 私をだきしめて
ただ二人だけで 生きていたいの...」
ああ、こんな日がくるなんて、思ってもみなかった...。
きよしさんのめくるめく歌唱に心ふるわせながら、子どもの頃に抱いた夢がかなったことに、また感動せずにはいられませんでした。
そのディナーショーでは、きよしさんにもう一度着ていただきたい衣裳ということで投票を募ったのですが、「愛の讃歌」を歌唱されたそのときは、第2位に選ばれた、「きよしこの夜Vol.5」で着用されたパープルのエンペラーの衣装をお召しになっていました。
☆以下2つの記事は、その時に書いたものです。
☆以下2つの記事は、その時に書いたものです。
さて、いずれ書いてみたいと思いながら、気持ちがまとまらずに書けないままでいたのですが、きよしさんが「新・演歌名曲コレクション-さすらい慕情-」に「愛の讃歌」を収録し、コトシノコンサートツアーでも歌ってくださってきたおかげで、わたしの気持ちもようやく落ちつき、まとまってきました。
それで、今夜は、どうして、子どもの頃の夢が叶ったということになったのかを、少し書いてみようと思います。
小学生のころでした。
一学年全員で学校から大型バスに乗り、日比谷にある日生劇場にいったのです。
今でも続いている、日生劇場に子どもたちを招待し、劇団四季の皆さんがミュージカルを上演する”ニッセイ名作劇場”という催しに参加したのでした。
小学生のわたしにとって、日比谷の街は外国の街のように思え、日生劇場の脇に停車したバスを降りて劇場へとクラスメイトたちと2列になって歩いていった記憶があるのです。
独特なフォルムが印象的なロビーに足を踏み入れると、スタンドに飾られたあまりにも美しい花々を目にして...。
これはなんだろう? と子ども心に思って足をとめて見入ったのでした。
そして、その花々が、越路吹雪さんに贈られたものであることを、おしえてくれたのは担任の先生で、
「○○ちゃん、今、この劇場は子どもたちの世界だけど、夜になると、とびきりのおしゃれをした大人たちがやってきて、日本で最高の歌手である、越路吹雪という人の歌を聴きにくるんだよ」
と。
わたしは、とびきりのおしゃれをした大人たちってどんな人かしら?
と、春だったのではないかと思うのですが、子どもなりに、毛皮をまとった女の人やシルクハットをかぶった男の人を想像して、ドキドキとしたのです。
先生は、さらに、
「○○ちゃんにも、そういう素敵な時間を楽しむ大人の女性になってほしいな」
といってくださったのですが、わたしのなかでは、その日みた素晴らしいミュージカルとともに、”越路吹雪”の存在がとても大きなものになったのです。
今にして思うと、わたしが日生劇場にいった時期、越路さんは毎年恒例のロングリサイタルを、夜、開催していたのですね。
今にして思うと、わたしが日生劇場にいった時期、越路さんは毎年恒例のロングリサイタルを、夜、開催していたのですね。
帰宅して、母にミュージカルの報告をしてから、
「おかあさん、越路吹雪ってどんな人なの?」
と聞き、はじめて「愛の讃歌」という歌のことも知ったのです。
吸いこまれそうなほどに魅惑的なホール、こんなにきれいなお花があるのだと見惚れた越路吹雪さんに贈られた花々...。
越路吹雪さんて、どんな人なんだろう?
どんな声で歌うのだろう?
気になって、気になって。
地元のレコード屋さんにいって、遂に越路吹雪さんのLPをみつけ、購入したのでした。
タイトルは、”越路吹雪 「愛の讃歌」を歌う”というものだったでしょうか。
期待でわくわくしながら、LPにプレイヤーの針をおとして...。
流れてきた声に聴き入ったのでした。
歌うというより、時に語っているかのような歌唱にびっくりして、大人になったら越路さんのリサイタルにいって、「愛の讃歌」を生で聴いてみたいと思うようになったのです。
でも越路さんは間もなく病気で他界されたので、子ども心に抱いた夢は永遠に叶わない夢になってしまいました。
「愛の讃歌」という歌は好きだけれども、どなたの歌唱を聴いても、そのたび、もう越路さんの歌唱を聴くことはできないのだと思ってしまい、どこかさびしく、そして物足りなさを感じるわたしだったのです。
だから、あの日、あまりにも予期せずきよしさんが「愛の讃歌」を歌ってくださるのだとわかったとき、なんといってよいのかわからないほどに動揺してしまいました。
きよしさんの歌う「愛の讃歌」を聴いているうちに、その歌声が心にしみわたっていくのを感じて...。
耳なじみのある歌なのに、初めて耳にするかのような新鮮さにあふれていて、なによりも誰よりも魅力的に思えたのです。
ああ、こんなに時間を経て、永遠に叶わないと思っていたわたしの夢を、きよしさんが叶えてくれたんだなあと思ったら、涙があふれてきました。
越路さんの歌う「愛の讃歌」の生歌唱を聴くこと以上に、自分がこの世でいちばん大好きな人の歌声で「愛の讃歌」を聴かせていただけたことで、夢は叶い、わたしは心の底から満たされたのです。
生きていると、こんな幸せがあるんだなあと、しみじみ思った瞬間でもありました。
その後もディナーショーで歌ってくださり、さらにアルバムに収録し、目下、コンサートで毎回歌っていただけて、わたし、そのたびに、”こんな幸せあるかしら?”という思いになり、きよしさんへの感謝の思いがわいてくるのです。
12月1日に「新・演歌名曲コレクション2~愛しのテキーロ/男花」がリリースされるので、間もなく、「愛の讃歌」をコンサートで歌ってくださるのは、またいつの日かということになるのではないかなと思い、「愛の讃歌」という歌にかかわる思い出を、このタイミングで書いてみたくなりました。
3日締切の仕事も今日のお昼前に仕上げることができたので、スッキリした気持ちで明日は山形にいってまいります。
それから12月3日は「日本作詩大賞」の発表で、「さすらい慕情」(仁井谷俊也先生)がノミネートされたそうですね。
おめでとうございます!
皆さま、きよしさんの歌う「マジンガーZ」や、ローカル電車の車内で、車内マイクロフォンを使って歌唱された「男花」、どちらも最高でしたね。
オーケストラ演奏による「箱根八里の半次郎」も素晴らしくて、仕事が煮詰まっているというのに、録画をリピート再生して何度も見ずにはいられませんでした。
以上、後半、めちゃめちゃ駆け足になってしまって失礼しました。
またお逢いできますように。