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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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「”あたしゃ、どうしたらいいんだよ”って、やけ酒のむこともありますよ~」 習志野文化ホールで心のうちをお話ししてくださったきよしさんでした。

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こんばんは。
あわただしくしていてごめんなさい。
先にいくつかおしらせしたいことがありますので、そのことを書いて、きよしさんのポスターの画像のあとから、4月9日の習志野文化ホールでのコンサートのこと、書いていこうと思います。

それにしても、今年のコンサートでは、オープニングの「冬のペガサス」から、もうその歌声に身も心も委ねて、ひたるような思いで聴き惚れるのです。
あの、のどの奥から、密やかに優しく、静かに揺らめきながら発せられるあまりに繊細で美しいビブラートに、清新な教会に身をおいて、讃美歌を聴いているような思いになって...。
ああ、今ここに天使が舞い降りてきても不思議ではないなあ、と思った瞬間、大きな翼を背に、マイクを持たない左手を美しくはためかせて歌唱するきよしさんこそが、わたしの大天使なのだと思わされるのです。

さて、昨日のニュースになりますが、NHKホールが改修工事をすることになり、来年2021年3月から翌2022年6月までの予定で休館することになったため、2021年の「NHK紅白歌合戦」は東京国際フォーラムで開催となえるそうですね。
となると、今のNHKホールでの「NHK紅白歌合戦」は今年末までということになり、いろいろなところで時代の節目というか、変化があるのだなあと思います。

きよしさんも、令和への改元を目前にして、新しい時代について、「新・月刊氷川きよし」(デイリースポーツ)で語っておられます。
「これから新しい時代を迎えます。
自分もデビュー20周年で、年齢も40代になりました。
新時代では、皆さんに育て上げていただいた氷川きよしという存在をより大きくするためにも、さまざまな可能性に挑戦していきたいですね。
具体的には、これまで一緒に積み上げてきたものを大切にしながら、シャンソンやジャズなど新しいジャンルの歌を歌いたいです。
さらにそのための衣装や演出などを考えてみたいです。聴くだけでなく同時に見ても楽しめる1つのショーとして、エンターティナーとして表現できるようなことも、より追求していきたいですね」
と。

ちなみに、すでに3号まで発刊されていますが、バックナンバーをお求めいただけますので、やっぱり欲しいと思われた方はこちらをチェックしてみてくださいませ~。

☆デイリースポーツさんHP


イメージ 1



この記事の冒頭に、「冬のペガサス」での感動を書かせていただきましたが、毎回、きよしさんの歌声が、自分の心とからだにしみこんでいくような、なにかあたたかいものに満たされていくような思いにさせていただくのです。
きよしさんののどのずっと奥底から、くゆらせるように発せられるあの密やかで優しいビブラートの響きは、勝手ながらわたしには、かつて Zepp Tokyoで聴かせていただいた「白雲の城」を思いだして...。
”氷川きよし”の歌はどこまで深まっていくのだろうかと、ゾクゾクするのです。

そして、最近のきよしさんの「恋人よ」に、惹きこまれています。
昨年の明治座さんでの座長公演のときから聴かせていただいていますが、今年になってますます”氷川きよし色”が深まっているように感じるのです。
わたしが書くのもおこがましいと思いつつも書かずにはいられない思いなのですが、五輪真弓さんの世界観を、氷川きよしにしかできない歌唱でみごとに表現されていて。
激しさと鋭さをましながら、どこかに静けさをたたえたきよしさんの歌唱は、こころに突き刺さってくるかのようで、聴いていて、ドキッとする瞬間があって...。

わたし、最高の20周年の歌の贈り物に幸せいっぱいにさせていただいています。

今年のコンサートのオープニングから怒涛のように7曲をご挨拶もトークもなしで披露される構成は、きよしさんの、歌ですべての思いを伝えたいという思いがあってのものだと思うのですが、歌が絶好調なときほど、そのあとのトークがはずみにはずむということに、習志野文化ホールでのコンサートで、今さらながら感じたのです。

「皆さん、春といえばなにを思いうかべますか?」
きよしさんは、昼の部のオープニングトークで、客席にそうおたずねになりました。
もちろん、わたしたちの答えは、桜、それも”櫻”でしたが、きよしさんは、
「そうですか~。僕は食べ物ですよね。タラの芽とか旬の野菜です。旬のものを身体が欲するんですよね」
とおっしゃっていました。

そこで、オリジナル曲を歌うコーナーになったのですが、
「ひとりで、二役、三役、四役と、いろいろな役になりきって歌わせていただいてきたと思います。
演じて歌ってはきましたが、でも、全部僕になるんですよね。
”たくさんのこれまで、どれも僕になるよ 今日までの全部連れて さあ行こう”(だったかと思います)
って。『碧し』の歌詩をそのままいわせていただきました(笑)」
と。


イメージ 3



そして、司会の西寄ひがしさんをまじえてのトークでは、
「ここまで一気に12曲を歌唱されて、お着換えもあって大変じゃないですか?」
との西寄さんの質問に、
「前半はバタバタしますね~。
一瞬でパンパン着替えて。
でも七色の自分を表現したいと思っているんですよ」
と、おっしゃると、左手をなびかせながら、
「ふあ~、ふあ~、ふあ~、ふあ~って感じで!」
とおっしゃったのです。

ここで、”きよしくん!”という声がおこると、
「41歳になって、”きよしくん”っていわれるのが、こころ痛くなってきますね」
と40代になっての葛藤を言葉にされました。
そういわれるのにふさわしい自分なのかという葛藤があるのでしょうね。

そして松尾芸能賞を受賞されたことを皆で祝福させていただくと、
「初座長公演のときは、立派な劇場で、自分になにができるんだろうって思って、逃げ出したい思いでした。
演技、それも時代劇なんてやったことありませんから。
自分なりに抱いていた路線とは違うような気がして、やらなくっちゃいけないんだろうかって思いました。
それで、カツラはかぶりたくないっていわせていただいて、そこはカツラなしで音次郎を演らせていただきましたけど。
”1日でチケットが売り切れたよ”って事務所の人にいわれても、正直、喜べなかったですよね。
はっきりいって、やめたいなって思っていました。
まあ、やめたい、やめたいって思いながら、たくさんのスタッフに支えられて、皆さんに背中をおしていただいて20年やってきたようなものかもしれませんね~。
今、たくさん、若手の男子がデビューしてがんばっているでしょう。
そろそろ自分はゆっくりさせていただいてもいいのかなって。
もう、はっきりいってくたびれましたっ!」
と本音炸裂(笑)。

そこまで本音をおっしゃったら、スッキリされたのでしょうね(笑)。
「はい。”氷川きよし業”を一生懸命やらせていただきたいと思います」
ですって!

そんなきよしさんに、
「とはいえ、5月の新歌舞伎座公演、7月の日本武道館、9月の大阪城ホールと、もう、予定がいっぱいですよっ!」
と西寄さんがおっしゃると、
「”そんと”ですね」
と。
一瞬、目が点になった客席に、
「”そうですね”、と”ほんとうですか”が一緒になって”そんとですね”になっちゃった(笑)」
と、おっしゃり、しばし、”そんとですね”を連発されたのです(笑)。

20周年についてあらためて西寄さんがうかがうと、
「20年、早いですね~。
”氷川きよし”にこの20年を捧げた感じがします。
歌は好きですが、やっぱり心休まることがないんですよ。
人にみられる仕事だとは思いますけど...。
突然、隣の人にパシャっと写真を撮られたり。
なにもいわれずにそんなことされたら、誰だっていやですよね。でも、こういう仕事しているからいい顔しなくちゃいけない。
だから、やけ酒飲んで、”あたしゃ、どうしたらいいんだよ”って(笑)」
と(汗)。

新時代の話題については、
「新しい時代には、皆さんの様々な個性が、花のように咲いていただきたいなって思います。
2000年にデビューしたとき、ボブカットで細身のスーツを着ましたけど、演歌歌手なんだからパンチパーマにしろっていう人もいて。
でも、自分らしくやりたいと思ったんです」
と、ここで、きよしさんはじめ皆の視線が西寄さんの髪に(汗)。
西寄さんは瞬時のその空気をキャッチされたようで、
「わたくしは天然ですよ!」
と(笑)。

イメージ 2


ラストトークでは、あらためて来場のお礼を言葉にされると、
「浮き沈みの激しい世界で、皆さんのおかげで20年歌わせていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
ようやくこの20周年で”氷川きよし”にしていただいたのかなって思います。
歌と出会って、歌で自分の存在や気持ちをわかってもらえるんだと思うようになりました。
プロ歌手になってからは皆さんのおかげですごく恵まれた環境にいさせていただいてきました。
これから、おこがましいのですが、社会に貢献できるような歌手になれたらと思っています」
とお話しされると、さらにこんなことを。
「今日は歌いながら、自分の思いを詩とメロディーにのせてつたえさせていただいて...。
皆さんと思いを確かめあうことができたかなって思います」

わたしは、きよしさんのその言葉にうっとりとしながら、”氷川きよし”のファンである幸せをかみしめたのです。


イメージ 4



夜の部は、さらに絶好調!
歌うほどに、その頬が紅潮し、瞳の輝きがまし、全身が歌そのものになり、しなやかに動く指先や、サラサラとながれる髪の毛先も音の波に揺れているように感じられたのです。

オープニングトークで20周年を迎えたお礼をおっしゃると、
「これまでいろいろな歌を歌ってきました。
歌手として、しゃれた言い方だと”アーティスト”ですかね。
けっして完璧ではなかったですが、いろいろなキャラクターを表現してがんばって歌ってきました。
でも20年経って、まだ未完成です。
ファンの皆さんが熱く応援してくださって、それにお応えしたいという思いだけでした。
愛する女性を探し求めて、出逢えないというストーリーが多いんです。主人公はいもしない女性を探すんですよ。
一途な思いで。
交通費もかかって大変ですよね。えっ、氷川きよしはそんなことはしませんよ(笑)。お金は貯めておきます。人生、なにがあるかわかりませんからね(笑)。
追い求めて、会えないところにロマンがあるんだと思います。
これから歌う『さすらい慕情』では、地の果てまでいくと歌っていますけど、地の果てって、地獄ですかね~。
『しぐれの港」では、わざわざ雨の日に港にいってね。クリーニング代もかかるし、なにも雨の日にいかなくってもと思いますけど、でも、だからロマンがあるんですね~。

と、これから歌う歌の”裏読み”を思いっきりしてくださったので、場内大爆笑です。
でもひとたび歌唱となると、一転してドラマティックな世界が繰り広げられ、さまざまざな主人公たちがステージに立ち現れ、忘我の時間となりました(喜)。

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3月12日にリリースされたダブルA面の「最上の船頭」を歌われると、
「この20年のなかで、もう、いいかなと思ったことも正直ありました。
でも、皆さんに背中を押していただいて、今日まで歌ってくことができました」

きよしさんは、そこまでおっしゃると、そんな感謝の思いを歌手としてこれからどうお返しできるだろうかと考えておられるのですね。
「やっぱりたいせつなものは、平和だと思います。
歌でそういうことも伝えていきたいですよね。
あまり、社会的なことはいわないほうがいいっていわれてきたっていうか、いうなっていわれてきましたけど。
でも、40代になって思ったことを、押しつけるのではないんですけど、言葉にして、確信をもっていえる大人になりたいと思うようになりました」

そんなふうにお話しされたきよしさんに、西寄さんが新元号の”令和”についてうかがうと、
「響きがきれいで、すごくいいなって思いました。
新しい時代は、多様性と寛容性をもった時代になってほしいですね。
これまで、なんで演歌を歌っているんだろうって思った時期もありましたが、最初はこの歌を歌うようにといわれたら、大人のいうことはちゃんときかなくちゃという思いでした。
小学校のときは自分が41歳まで生きられると思っていませんでしたよね」
と、おっしゃると、自分自身が何のために生まれてきたのだろう? と考えてみて、価値のない人間のように思えて、生まれてこなかったほうがよかったんじゃないだろうか? と葛藤していたことをお話しされたのです。
早熟な子ども?
いえ、子どもは言葉にできないだけど、そんなふうにいろいろなことを考えているものなのだと思います。
だから、”死にたい”と思ったり、みずから命を絶つ子どもたちの思いが痛いほどわかるのだときよしさんはおっしゃると、
「子どもたちに、命の尊さや”大丈夫なんだよ”という思いをつたえていきたいです。
なんで苦しい思いや悲しい思いをしてまで歌っているんだろうと思った時期もあって、お金なんかじゃなくて、気持ちが欲しいなって思うようになりました。
先日、母から電話がかかってきて、”今なにしてる?”っていわれて、”家にいる”っていったら、”20年がんばったんだから、ゆっくりしたらいいよ”っていわれて。
ああ、ファンの方のなかにもそう思ってくださっている方がおられるんんだろうなって思いました。
そんな母に、”娘がおったらよかった”っていわれて。”今頃、なんで?”って。
”(ここだけ女言葉で・笑)今さら娘になれないわよっ!”っていいましたけどね(笑)」
と、楽しそうに話しておられました。
そんなふうに思ったことをなんでもお話しできる素敵な関係が築かれているのでしょうね。

ラストトークでは、来場のお礼をおっしゃると、
「コンサートにお越しくださるということは、皆さんの時間をいただくことですから、それは命をお預かりしているに等しいことだと思っています。
皆さんが自分の歌を聴いてくださって、笑顔になってくださって、明日、少しでも元気にすごしていただたら、歌手冥利に尽きます。
帰り道に僕のことを思ってくださったら嬉しいですし、よかったらそのあとは夢でゆっくり逢いましょう。
コンサートは時間が限られますけど、夢でなら何時間でも逢えますからね(喜)」
と、幸せそうにおっしゃると、

「これからもいろいろな歌をおとどけしたいです。
今、”令和”の歌もお願いしてつくっていただいているんですよ~。『きよしの令和音頭』とかいいなって思っています。
自分は、皆さんが喜んでくださるなら、何にでもなるという思いでやってきました。
犬にでもなる。
猫にでもなる。
鳥にでもなる・
そういう思いで歌ってきました。
これから、皆さんにどんな氷川きよしをおみせしていこうかと、思っています」
と頼もしい言葉で結ばれました。


きよしさん、そんなあなただから、”氷川きよし”が、今、太陽よりもいっそう眩しく輝いて、夢をさししめす道しるべとなり、多くの方に勇気と希望をあたえることができるのでしょう。
今や日本のみならず今や世界中の人に愛されている”氷川きよし”は、これからますます多くの人を励まし、夢をあたえ、未来永劫愛されていくことでしょう。
おこがましくも、わたしそう確信したのです。



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