沖縄コンベンションセンター 劇場棟で開催された、「長良グループ・演歌まつりin 沖縄」に昼夜、参加させていただきました。
オープニングでは、「ハイサイおじさん」を出演者全員で歌唱!
きよしさんは、昨年の「年忘れにっぽんの歌」で初お目見えとなった鮮やかなピンク色のスーツをお召しになっていて、司会の西寄ひがしさんに、゛お花のようですね゛と、おほめいただくと、嬉しそうに、
「ハイビスカスですかね~」
とおっしゃって。
その笑顔は、今日、目にしたどんなハイビスカスよりも美しかったのです。
シャツは黒で、スーツのからだの中心に黒色をサーッと刷いたようなあの素敵なスーツと申しあげればおわかりいただけるでしょうか?
この日は、゛新曲披露コーナー゛で、「大丈夫」を、この曲のコスチュームのストライプの着流し姿で歌ってくださいましたが、わたし、今になって思ったことがありました。
あの着流しは、「きよしのズンドコ節」の衣裳をモチーフにされているのですね(喜)。
すでにそう思われた方もいらっしゃるかと思いますが、わたしは今日、ステージで歌唱されているきよしさんを見つめていて、ああ、きっとそうなんだと合点して...。
そう思ってみれば、きよしさんご自身が、゛ズンドコ節の再来゛、゛第2のズンドコ節゛と、新曲発売前後のコンサートでお話しされていましたものね。
この日は、夜の部で゛大丈夫゛は゛やだねったら やだね゛の反対語と説明してくださっていましたが、デビュー曲の「箱根八里の半次郎」とも、呼応するものをみいだされていらっしゃることもしりました。
きよしさんは「大丈夫」で、未来へつながるメッセージを歌唱されながら、そこに20年の集大成となる様々な思いを細部にまで、織りこまれているのでしょう。
そして、沖縄はきよしさんがファーストコンサートツアーの初日を開催された地(2002年2月28日・会場は那覇市民会館大ホール。きよしさんは24歳でした)。
この日は、何度も゛沖縄は自分の原点です゛とおっしゃっていました。
そんなこんなを思いながら、「大丈夫」を聴かせていただくと、感慨が押し寄せてきて。
ああ、20周年なのだと、胸がいっぱいになったのです。
コンサートが終わってホテルに一度戻って、お友だちのHさんと夜の国際通りを1時間ほど歩いて、お茶して。今、ホテルに帰ってきてひと休みしています。
旅先でスマホからなので、素晴らしかったコンサートのことは帰宅してからまたあらためて書きますね。
仕事が山積みなのですが、この感動を書かずには、そして、皆様にお伝えせずには、仕事も手につきませんので~(笑)。
山川豊さんに、20周年のお祝いの花束をいただいて、感無量のきよしさん。
山川さんのまごころのお言葉を、わたし、書きとめました(嬉)。
仕事の上での後輩というより、じつの弟のように思ってきてくださったそうです。
山川さんは、
「20周年、おめでとう。ほんとうによくがんばった! 20代のまだまだ遊びたいさかりに、仕事して、家に帰ったら寝るだけでまたすぐ仕事。ファンの皆さんに喜んでもらいたいといえ思いで、がんばったと思います」
とおっしゃいました。
皆様にもう少し待ってて詳しくお伝えできたらと思っています。
そして、山川さんはこの日、司会の西寄ひがしさんさえ、初めておききになったというエピソードをお話しくださっていました。
この日、゛沖縄の名曲メドレー゛のコーナーで、全員で「花~すべての人のこころに花を~」を歌唱されたのですが、きよしさんは、゛♪それが自然の歌なのさ こころのなかに こころのなかに 花を咲かそうよ゛をソロで歌われ、そのフレーズがとりわけわたしのこころにしみいったのです。
また、昼の部では、きよしさんが突然ステージから降りてこられた夢のようなサプライズもあって!
今もそのときのことを思いかえすと、感動で手がふるえる、わたしです(喜)。
と、書き出すと感動があれだしてきて、とまりませんね...。
文末に珍しいツーショット(?)を!
きよしさんのツアートラックと水森かおりさんのツアートラックが並んでいました~(喜)。
こちらはきよしさんのツアートラック!
この日は゛ラウンドコーナー゛で、写メOKでしたので、熱く熱く盛りあがりました。
そして、わたしはかなりがんばってシャッターもきりました(喜)。
そういえば、昼の部で、きよしさんは前夜、国際通りを歩かれていて、国際通りのCDショップが、きよしさんの新曲「大丈夫」と「最上の船頭」のポスターを貼ってくださっているのをご覧になられたことをお話しされていました~(嬉)。
それってこれですかね?
それでは、今夜はこのへんで。
おやすみなさい。
オープニングでは、「ハイサイおじさん」を出演者全員で歌唱!
きよしさんは、昨年の「年忘れにっぽんの歌」で初お目見えとなった鮮やかなピンク色のスーツをお召しになっていて、司会の西寄ひがしさんに、゛お花のようですね゛と、おほめいただくと、嬉しそうに、
「ハイビスカスですかね~」
とおっしゃって。
その笑顔は、今日、目にしたどんなハイビスカスよりも美しかったのです。
シャツは黒で、スーツのからだの中心に黒色をサーッと刷いたようなあの素敵なスーツと申しあげればおわかりいただけるでしょうか?
この日は、゛新曲披露コーナー゛で、「大丈夫」を、この曲のコスチュームのストライプの着流し姿で歌ってくださいましたが、わたし、今になって思ったことがありました。
あの着流しは、「きよしのズンドコ節」の衣裳をモチーフにされているのですね(喜)。
すでにそう思われた方もいらっしゃるかと思いますが、わたしは今日、ステージで歌唱されているきよしさんを見つめていて、ああ、きっとそうなんだと合点して...。
そう思ってみれば、きよしさんご自身が、゛ズンドコ節の再来゛、゛第2のズンドコ節゛と、新曲発売前後のコンサートでお話しされていましたものね。
この日は、夜の部で゛大丈夫゛は゛やだねったら やだね゛の反対語と説明してくださっていましたが、デビュー曲の「箱根八里の半次郎」とも、呼応するものをみいだされていらっしゃることもしりました。
きよしさんは「大丈夫」で、未来へつながるメッセージを歌唱されながら、そこに20年の集大成となる様々な思いを細部にまで、織りこまれているのでしょう。
そして、沖縄はきよしさんがファーストコンサートツアーの初日を開催された地(2002年2月28日・会場は那覇市民会館大ホール。きよしさんは24歳でした)。
この日は、何度も゛沖縄は自分の原点です゛とおっしゃっていました。
そんなこんなを思いながら、「大丈夫」を聴かせていただくと、感慨が押し寄せてきて。
ああ、20周年なのだと、胸がいっぱいになったのです。
コンサートが終わってホテルに一度戻って、お友だちのHさんと夜の国際通りを1時間ほど歩いて、お茶して。今、ホテルに帰ってきてひと休みしています。
旅先でスマホからなので、素晴らしかったコンサートのことは帰宅してからまたあらためて書きますね。
仕事が山積みなのですが、この感動を書かずには、そして、皆様にお伝えせずには、仕事も手につきませんので~(笑)。
山川豊さんに、20周年のお祝いの花束をいただいて、感無量のきよしさん。
山川さんのまごころのお言葉を、わたし、書きとめました(嬉)。
仕事の上での後輩というより、じつの弟のように思ってきてくださったそうです。
山川さんは、
「20周年、おめでとう。ほんとうによくがんばった! 20代のまだまだ遊びたいさかりに、仕事して、家に帰ったら寝るだけでまたすぐ仕事。ファンの皆さんに喜んでもらいたいといえ思いで、がんばったと思います」
とおっしゃいました。
皆様にもう少し待ってて詳しくお伝えできたらと思っています。
そして、山川さんはこの日、司会の西寄ひがしさんさえ、初めておききになったというエピソードをお話しくださっていました。
この日、゛沖縄の名曲メドレー゛のコーナーで、全員で「花~すべての人のこころに花を~」を歌唱されたのですが、きよしさんは、゛♪それが自然の歌なのさ こころのなかに こころのなかに 花を咲かそうよ゛をソロで歌われ、そのフレーズがとりわけわたしのこころにしみいったのです。
また、昼の部では、きよしさんが突然ステージから降りてこられた夢のようなサプライズもあって!
今もそのときのことを思いかえすと、感動で手がふるえる、わたしです(喜)。
と、書き出すと感動があれだしてきて、とまりませんね...。
文末に珍しいツーショット(?)を!
きよしさんのツアートラックと水森かおりさんのツアートラックが並んでいました~(喜)。
こちらはきよしさんのツアートラック!
この日は゛ラウンドコーナー゛で、写メOKでしたので、熱く熱く盛りあがりました。
そして、わたしはかなりがんばってシャッターもきりました(喜)。
そういえば、昼の部で、きよしさんは前夜、国際通りを歩かれていて、国際通りのCDショップが、きよしさんの新曲「大丈夫」と「最上の船頭」のポスターを貼ってくださっているのをご覧になられたことをお話しされていました~(嬉)。
それってこれですかね?
それでは、今夜はこのへんで。
おやすみなさい。