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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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”茨城はいいとこだっぺ!”とノリノリのきよしさん。ザ・ヒロサワ・シティ会館でのコンサート夜の部でのこと。

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こんばんは。
なんだかんだの諸々が終わって脱力しています~。
机の横のラックには資料が山積みですが、片付ける以前に、今はさわる気持ちにもなりません(笑)。
ホッとしました~。

さて、4月24日、ザ・ヒロサワ・シティ会館(茨城県立県民文化センター)で開催されたきよしさんのコンサートの昼の部でのことを先の記事で書かせていただいていました。

イメージ 1


昼の部に参加してお帰りになるおともだちのSさんと待ち合わせてと昼の部のあと、一緒に食事をして楽しくお話しして、Sさんは駅へ、わたしはホールへと向かいました。
すでにあたりは暗くなっていて、雨足も強まっていましたが、またきよしさんにお逢いできると思うと、足どりも軽く、雨も少しも苦にならなかったのです~(嬉)。

「茨城は、ほんとにいいとこだっぺ!」
きよしさんは「ヨイトマケの唄」まで一気に7曲を歌唱されると、すっかりリラックスした様子でご挨拶されると、そうおっしゃいました。
旅番組(「旅の香り」)のロケなどで訪れて、そのときにはじめて”ほしいも”を召しあがったそうです。
「ほしいもっておいしいなあって感動しました。ヘルシーですし。丸いものもありますでしょう。
茨城でほしいも、初めて食べたんです。
じつは、今、(生産者の方とのご縁で実現したので)茨城県産ではないのですは、”きよしのほしいも”をグッズコーナーでも販売させていただいています。そのくらい、ほしいもが好きなんですよね」
とおっしゃると、雨のなか、来場してくださったお礼をあらためて言葉にされました。

きよしさん、歌はもちろんのこと、トークもノリノリです。
昼の部では、先日、「氷川きよし節」(文化放送)で、”花粉症の氷川きよしです”とご挨拶していらっしゃったことを思い出して、今年からほんとうに花粉症に? なんて少し思って...。
でも、先の記事にも書かせていただきましたが、ひと節、ひと節をたいせつにたいせつに歌唱され、高音部やロングトーンを、そのときならではの歌い方で響かせてくださっていたのです。
生身の人間ですから、いろいろな状況があると思いますが、ほんとうにどんなときも誠実な方と思わされた昼の部のきよしさんだったのです。


イメージ 2
※川沿いに歩いてホールに向かいました。


新曲を披露するコーナーで両A面の1曲「最上の船頭」を歌われると、司会の西寄ひがしさんも登場されてのトークとなりました。
「雨のなか、お越しくださってありがとうございます。
雨降って服が濡れたら、クリーニング代がかかって申し訳ないですね。
クリーニング代、西寄さんがだしてくださるそうですから」
ときよしさんが突然さらっとおっしゃったので、西寄さんはおおあわて(笑)。
ね、皆様、きよしさん、ノリノリでしょ(喜)。

あらためて20周年を迎えることができたお礼を言葉にされると、
「20年。
上をみたら、50年以上歌いつづけている先輩方もいらっしゃって。
自分はまだまだですけど。
でも、たかが20周年、されど20周年なんですよね。
デビューした当時は、”氷川きよし”がひとり歩きして、ついていくのが大変でした。
デビューして半年くらい経ったときだったかな。
俳優の友だちと原宿にいって、タクシーに乗ろうとして探していたんです。
名前はちょっといえませんけど、それまでは、友だちのほうは名前がしられているから、一緒にいると、友だちが”誰々さんよ”っていわれることもあったんですけど、そのときは、うしろをみたら”氷川きよしだ”って、100人くらいの人がついてきていて。
うわっ、すごい有名人になったんだって思って、とまったタクシーに逃げるように乗りました。

おかげさまで恵まれたスタートをきらせていただきましたが、それを保っていくのが大変でした。
でも、”氷川きよしは1年で消える”みたいなことをいわれたり、そういう番組もあったので、大変だけど、やっぱり、消えたくないって思いました。
苦しいときは、”がんばれ、がんばれ”っていわれることが、正直ストレスになることもありますが、歌を楽しみにしていただけることがなにより嬉しくて、今日まで歌ってくることができたと思っています」

きよしさんはこの20周年の感慨をそのようにお話しされると、
「一生懸命やらなくっちゃって思って、西さんと話していたら、話が長くなったんですよね。そうしたら、”話が長すい!って、前の席のかたにいわれて、ふたりともビビりましたね~」
と、折々に話されるエピソードを。
よっぽど衝撃的だったのでしょうね。
「あのあと、どんどん進行が早くなってね(笑)」
と西寄さんがおっしゃると、
「今なら、そういわれたら、”やめしょうか?”っていいます」
と、恋之介演じるお公家様の清麻呂さまふうの”やめましょうか?”のクールな響きに、”えーっ”と反響があると、
「いや、いわない、いわない~」
とあわてて訂正されたきよしさんでした(笑)。
もう、きよしさんたら、すねたり、甘えたり、忙しい方ですねっ!

でもきよしさんも、客席との飾らないやりとりを楽しまれていたようで、
「今、楽しんでいます。
ステージにたって歌っていて楽しいんですよ。
皆さんだって、人が苦しんでいるステージなんてみたくないでしょう」
とおっしゃって...。
その言葉にじんときたわたしです。


イメージ 4
※昼の部の開演前の画像です。
夜の部ではかなり雨が降っていましたが帰りはほぼやんでいたのです。


最前列の真ん中におすわりになっていたお客様と目があわれて、
「奥様、失礼ですけど、おいくつですか?」
とおたずねに。
80歳とのおこたえに、
「自分とあんまりかわりませんね」
ときよしさんがお答えになり、
「そうですね。40歳しかちがわない」
と西寄さんがおっしゃったので、もう~大爆笑(笑)。
その方は、テレビはきよしさんしかご覧にならないとのことで、そのことをおききになったきよしさんは、
「そうなんですか? でも他の方もみていただいて」
と。
すると、それでもきよしさんしかみないのだとその方がおっしゃったようで、
「がんこですね~」
嬉しそうにきよしさんがそうおっしゃると、
「いい方あるでしょ! 一途なんですよっ」
と西寄さんがフォローされたのです。
そんなきよしさんと西寄さんのやりとりをご覧になっているその方の様子に、
「かわいい~。つれて帰りたいっ!」
ときよしさんはおっしゃたのです。

下手に移動されると、白髪の女性に目をとめられて、
「奥様、白髪がおきれいですね~。自然がいちばんですね」
とそのかたのおぐしをおほめになりました。

と、夜の部なので小学生のお子さんも来場されていることに気づかれて、お声をかけたのです。
6歳、小学1年生ということでしたが、お近くにすわっておられる方に、”お父さんですか?”、”お母さんですか?”とおたずねになっていたら、およそお父様と思われる男性がその小学生の方のおじい様と判明。
お歳をうかがったら、45歳だったものですから、
「えっ、ちょっと、なんだべー」
ときよしさんは驚かれ(笑)、
西寄さんは、
「私と同じ年齢でお孫さんがいるんですね。なんだかショックです」
とおっしゃっていたかと思います。
おふたりのお気持ちわかる気がします。

ここで、チームHKの皆さんとーとダンサーのおふたりを紹介されたのですが、きよしさん自らが司会の西寄さんまで紹介されたのですが、きよしさんがダンサーのおふたりと、西寄さんを、ちゃん付けで紹介されたので、それをうけて、
西寄さんが、
「そしてきよしちゃん!」
とおっしゃったのです。
すると、きよしさんは、”
「はいっ! 歌のきよしちゃんです!」
とおこたえになると、
右手を挙げられて、
「歌いますっ!」
と勢いよくひとこと。
そして、
「このコンサートの主役はお客様です。
皆さんに幸せが訪れますように~」
と。
きよしさんのまごころあふれる言葉に大きな拍手がおこりました。

すっかりうちとけたところで、
「大丈夫」を歌ってくださいました。
場内はヒートアップして、ホールの気温も一気に上昇したようで、もう、熱くって、熱くって!!
汗がでてきたのです(嬉)。

きよしさんは、歌い終えると、
「最後は(大丈夫マークを)乳首からしました!」
と意気揚々とおっしゃったので、西寄さんまで
「水戸公園は乳首バージョンでした!」
ですって(笑)。

イメージ 3
※きよしさんが、あんまり”納豆、納豆”っておっしゃるから、
水戸駅での売店で急いで購入しました~。

熱唱がつづきました。
こんなときのきよしさんは、疲れるどころか歌うほどに声が伸びやかになり、いっそう鮮やかな響きを聴かせてくださるように感じられます。

迎えたラストトークでのこと。
「今日は、平日のお忙しいなか、雨でお足元の悪いなか、お越しくださったありがとうございました。
皆さん、チケットをわざわざあれしてくださったんでしょう?
ありがとうございます。
えっ? 暇だった?
そんなことないでしょう。
ほんとうは皆さんのお宅を1軒1軒うかがって歌わせていただけたらいいんですけど...。
すみません」

そして、
「22歳から目まぐるしく環境や状況がかわりましたけど、全国各地をまわらせていただいて、皆さんが楽しみに待っていてくださるから、今日までがんばってくることができました。
先ほど88歳の方がおられましたが、その方は20年前は68歳だったんですよね。
CDがこんなにあるっていってくださって...ずっと応援していただいて嬉しいですね。
ありがとうございます」
とおっしゃいました。

そこで、
「いよいよお別れの曲となります」
とのきよしさんの一声に、
”え~っ!”
という声が客席からどよめきのようにおこえると、
「ほんとに?
でも、おなかすいたでしょ? えっ、大丈夫ですか」
きよしさんは皆が、大丈夫マークを掲げるのをご覧になると、
「大丈夫をありがとうございます。
皆さん、お身体に気をつけてくださいね。
あとは車に気をつけてください。
自分は自転車によく乗るんですよ、スーパーに買い物にいったりしますから。
そのときも歩いているのとかわらないくらいゆっくり走ります。
前をみて、左右をみて、うしろをみて、上をみて、下をみて(笑)。
注意しているんですよ、倒れられないから。
両親を養わないといけないですからね~(笑)」
と。
プライベートでも、”氷川きよし”としての責任を全うするためにさまざまな配慮と努力をされているのですね。

「白雲の城」
を朗々と歌唱されると、きよしさんは奈落へと...。

”きよしコールがこだまするなか、アンコールの1曲目は「勝負の花道」です。
引き抜きの早変わりでは大歓声がおこって、最高の雰囲気になっていました。
きよしさんも名残惜しく思われたのでしょうか。
ここで、ふだんは「大丈夫」をプレゼトがわりにもう一度歌唱されることをサラッと説明されるだけですが、この日は、
「ここで本来は『きよしのズンドコ節』を歌ってお別れなのですが、今日はもう一度『大丈夫』を歌います。
いよいよ、ほんとうにお別れの時間が迫ってきました」
とおっしゃったので、名残惜しさがあふれてきて、
”えーっ!”、”いやだ~”の大ブーイングがおこりました。
そのときのきよしさんを、わたしはどう表現したらよいでしょう?
困ったような、照れくさいような、でも幸せそうな...。
そんないろんな思いがないまぜになったお顔で、
「また、夢で逢いましょう...。よかったら」
と。

きよしさんのあたたかな言葉と、いろんな思いがあふれたような笑顔に、わたしは胸がいっぱいになったのです。

きよしさん、今日、”幸せが訪れますように!”っていってくださったでしょう?
わたし、今、きよしさんのおかげで幸せに包まれていますよ~。
と、そんなあふれる思いを胸に、「大丈夫」、そして「きよしのズンドコ節」を、気づいたら、きよしさんに歌声にあわせて口ずさませていただいていました。


※駆け足での更新で失礼します。
仕事で書きどおして、水戸に行く日のお昼には、もう、一文字も書けない~と思うくらい疲れきってぬけがらのようになっていたのですが、書きだすと、こんなに書きたいことがわいてきて...。
書くことが好きなのかといわれたら、嫌いではないけど、好きだともいえません。

でも、わたしもまたきよしさんのように、自分の気持ちを言葉で言いあらわせなくて、いつも涙ぐんでいるような子どもでしたから。
書くことが生きるエネルギーになっているのかもしれません。

イメージ 5
※先の箱の中にミニわら納豆が入っていました。
かわいいでしょ!


明日は、日中仕事をして夕方から大宮ソニックシティにいってまいりますので、そのご報告をさせていただけたらと思っています。

そして、まだアップできていない沖縄の夜の部のご報告は、週末に(平成のうちに!)あらためて昼夜、ふりかえりながら記事を書きますね。



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