きよしさんのニューアルバム「新・演歌名曲コレクション9-大丈夫/最上の船頭-」が6月3日のオリコンデイリーアルバムランキング 総合で 第1位になりましたね!
最高のスタートを皆できることができました~(喜)。
氷川きよし様
皆様、
おめでとうございます。
この勢いにのって、20周年をますますもりあげていきましょう!
ステキなアルバムにひたすら聴き入っております。
うーんとうなったり、ニマニマしたり、わたし、おかしな人になっておりますでしょうか(笑)
DVDでは「大阪とんぼ」で大爆笑し、「雨とルージュ」ではうっとり...。
さて、今回収録されているカバー曲の「命くれない」のこと、ブログに書きたいと思っていたのですが、今になってしまってごめんなさい。
今回、ある方に、「命くれない」が遂に聴けるという喜びとともに、その理由を話したところ、
”なんで「命くれない」がはいるのかなって思ったんだけど、なるほど~”
といわれたので、そうか、あらためてブログにも書いてみたいと思ったのです。
2007年6月の新宿コマ劇場でのことでした。
きよしさんは、6月1日か新宿コマ劇場では三度目の座長公演をおこなっていて、お芝居の演目は「きよしの一心太助」。
ある日の第2部のコンサートのなかで、デビュー前にキャンペーンで全国をまわったエピソードをお話ししてくださったのです。
とりわけ金沢での思い出は、その後、何度かお話しされていらっしゃるので、ご存じの皆様も多いかと思いますし、このブログでもかつて書かせていただいていますが。
スーパーの横の小さな小屋のような所の前で歌っていたときのこと。
最初は10人ほどの方が聴いてくださっていたのだそうです。
当時のきよしさんがキャンペーンでは歌うのは最大5曲。
「箱根八里の半次郎」、
「浅草人情」、
「兄弟船」、
「命くれない」、
そして再び「箱根八里の半次郎」
という曲順だったそうです。
そのキャンペーンでは、歌っている間に1人減り、2人減り...。
最後にひとりだけのこったのですが、その方も申し訳なさそうに立ち去り、ついにどなたもいなくなってしまったそうです。
きよしさんは、この世界でこれからやっていかれるのだろうかと落胆されたそうで、
「その時のさびしい気持ちを今でも思い出すことがあるんです」
そうおっしゃると、「命くれない」をワンフレーズ、ツーフレーズ、と場内の反応をみてとりながらアカペラで歌ってくださいました。
その何とも感動的な歌声、そして金沢でのきよしさんの思いが伝わってきて、わたしは涙がどーっとあふれたのです。
このコンサートのアンコールのラストは「箱根八里の半次郎」だったのですが、この日、きよしさんは、歌唱されていて、涙、涙となってしまい、何度も何度も絶句されて歌えなくなってしまったのです。
デビューキャンペーンのことをお話しされて胸に去来するさまざまな思いがあったのだろうかと勝手ながらきよしさんのお気持ちを想像して、わたしもまた涙したのでした。
ずいぶんあとになって、金沢でのキャンペーンのときは、風邪気味で体調も万全ではなかったことをお話しされたことがあって。
わたしは、当初から数年間、このエピソードを語られたときに、風邪気味であることを言い訳にしなかったことに感じ入ったのです。
5月31日(金)の「氷川きよし節」(文化放送)で、
デビューしたときはキャラクターもゼロから。
友人の皆さんに、”キャラがみえない”といわれたそうで、
「黙り込んで緊張して...。
”氷川きよし像”をつくらなくちゃいけないのかなって思って。
歌の主人公に徹して。曲にあわせて発言もつくってやっていこうって思ったんです。
これまでいろんな主人公を演じられて楽しいです。
色んな色をだしながら、エンターテインメントをやっていきたいと思います」
とおっしゃっていたかと思います。
ますます素敵な20周年になっていますね。
わくわく、ドキドキです。
※ご報告が遅くなりましたが、ブログ終了までに、検索しにくい過去の記事をPB掲載していこうと思います。
まずは2008年からはじめました。
転載する方法にしたら簡単でしたので、毎日少しずつ転載していきますので、よろしかったら、お読みくださいませ。