皆様、こんばんは。
山形からもどってきて、なかなかまとまらない原稿があって、今日のお昼頃、やっと、やっと、やっと!
という感じで、できあがったのです(汗)。
山形でのご報告が途中になっていて、心苦しく、そして、自分でももどかしい思いを抱いておりましたので、今は、嬉々としてPCにむかっています(嬉)。
きよしさんは、20日の盛岡市民文化ホールでのコンサートのあと、昨日は「生活笑百科」の収録のためにNHK大阪にいらっしゃることは、いち早く堺のお友だちのUさんからおしらせいただいていたのですが、そのまま大阪にとどまられて、今日は、ラジオ大阪さんの「ほんまもん! 原田年晴です」と、MBS「ミント!」に生出演されたそうですね。
明日は、まだ出演者は公表されていませんが、中野サンプラザで開催される「夏祭りにっぽんのうた」の公開収録にも出演されるでしょうか?
と、今日の大阪でも、生出演に加えて収録番組もおありだったかもしれませんし、公表されているスケジュールだけでもお忙しいきよしさんですね。
今日は、Uさんから画像を送っていただいて、今、ラジコのタイム&エリアフリーで、原田さんの番組を聴きながらこのブログ書いているところです。
さて、それでは時計の針を7月18日にもどして、そして、あのこころあたままる山形市民会館のホールに身をおいて、以下は書いてまいります。
山形公演は2年ぶりとのことでしたが、わたしは前回はうかがえなかったので、わたしは3年ぶり、そして2度めの山形ということになりました。
コンサートのセットリストは日本武道館での「デビュー20周年記念コンサート」直前の長良川国際会議場でのものとかわりませんが、「最上の船頭」は、地元での初披露ということで、「最上川舟歌」を加えての、SPバージョンでした(嬉)。
また、盛岡では、そのSPバージョンに加えて、「二度泣き橋」と「石割り桜」を歌唱されたそうで、きよしさんの東北の皆さんへの深い愛を感じて、じんときてしまいました。
※山形駅のホームでばったりお逢いしたNさんと、
前回うかがった山形牛の佐五郎さんでランチをご一緒しました。
昼の部で「ヨイトマケの唄」を歌唱されていて、後半でひと節、ひと節、涙声になって...。
それでも愛いっぱに歌いあげてくださいました。
ステージが暗転すると、照明がつくまでに少し間があったのではないかと思いますが、きよしさんは目元をおさえておられたでしょうか。
ステージが明るくなると、
「この歌を歌うと、両親が自分を一生懸命育ててくれて、その思いに応えようとして、こうして福岡から上京して今日までがんばってこられたんだなって思うんです」
とおっしゃいました。
そして、皆ががしんみりした思いになると、にっこりと微笑まれると、
「さっ! 気をとりなおして、素にもどりたいと思います」
と。
皆が笑顔になると、
「23歳からコンサートツアーをさせていただいてきましたが、山形は2年ぶり。
なんで2年ぶりになっちゃったんだろう?
もう、気になって、気になってね。
それで『最上の船頭』をつくったんです。
2年も空いたので、イラっとしてたんですよ~(笑)。
お昼は芋煮の里いもを4つ食べて、今ステージにたっています。
山形は、最高ですね」
そう、こころのうちを一気に言葉にされると、
「何、食べても、うめえなあ~」
と山形弁でおっしゃったので、大反響(嬉)。
さらに、
「震災で大変な思いをされた方は、その何十倍も幸せになる権利があると思っています。
今、歌っている『大丈夫』にもそういう思いをこめています」
と、きよしさんが「大丈夫」の話題をされたので、きっと嬉しくなってのことだと思うのですが、少々、笑い声がおこると、
「こっちゃ、真剣ですぜっ!」
とひとこと。
そして、
「”笑い飛ばせぬ悲しみも バネになれ”って歌ってますけど、最初は、”笑い飛ばそう悲しみは あの空へ”だったんです。それをね、どうしても笑い飛ばせない悲しみがあるんじゃないかって思ったから。直させてもらったんです」
と、「大丈夫」への思いをあらためてお話しされました。
そんなきよしさんの思いにまたじんときたのです。
デビュー時の思い出もお話しされました。
「22歳で『箱根八里の半次郎』でデビューさせていただいて、自分でいうのもなんですけど、おかげさまでヒットして。
それで応援してくださった皆さんに恩返しするためにも、もっとがんばらないといけないなって思ったんです。
そうしたら、次のステップ、次のステップ、また次のステップとずっとつづいて...。
今日まで歌ってきました」
※7月13日の「音楽の日」のきよしさん!
このラブリー感が最高に好きです~。
2年ぶりの山形、そして「デビュー20周年記念コンサート」以後、初のコンサート、すなわち25周年はもちろん、あらたな未来への第1歩のコンサートということで、オープニングトークから情熱あふれる歌唱と、激アツトークでもりあがったのです。
ステージが暗転して、つぎは「最上の船頭:を歌唱される段になると、司会の西寄ひがしさんが、スペシャルバージョンでおとどけすることを曲紹介で突然おっしゃったので、これからなにがおこるのか、ドキドキわくわく。
きよしさんの第一声を待ったのです。
聴こえてきたのは、「最上川舟歌」です。
地元の方たちは自然と手拍子をされ、口ずさまれていて、地元ならではの光景でした。
きよしさんの歌声が朗々とそしてあたたく響いて、聴き惚れるばかり...。
そこで、ステージにきよしさんが登場され、「最上の船頭」を歌われたのです。
歌い終えると、
「地元で歌うのっていいですね~。
地元で歌うのは初めてでしたから。
今日の日は一生忘れません」
とおっしゃったのです。
ここで司会の西寄さんもステージに登場され、
「いやあ、『最上川舟歌』を添えてのスペシャルバージョン、いいですね~。
これはきーさんのアイディアでしたけど」
と、話題をきよしさんにふられると、
「3日くらい前に、せっかく地元の山形で歌わせていただくので、なにかできないかなって思ったんですよ(喜)。
最上川には、旅番組とか、ロケでいってみたいですね。
皆さん、もしロケで自分とあったら、”あらっ!”っていってください。
そうしたら、”まあ”っていいますから(笑)」
とおっしゃり、
「せえの!」
と音頭をとられ、”あら!”とわたしたちがいうと、きよしさんは、嬉しそうに、”まあ”とお答えになり、予行練習までしてくださったのでした(笑)。
そして、7月11日&12日の武道館コンサートの話題になると、
「DVDもでると思いますが、様々な主人公を表現しているんです。七色の!
様々な世代の皆さんに歌をおとどけしていかないとならないから...。
これまで、”きよしちゃん”、”きよしくん”というキャラクターの自分を応援してきていただいてきましたが、42歳になりますから...。
これからひとりのアーティストとしてどうやっていったらいいのかなって思います」
きよしさんはそんなふうに今の思いをお話しされていたと思います。
まあ、”きよしくん”であろうと、”きよしちゃん”であろうと、”きーちゃん”であろうと、”きーさん”であろうと、呼び名なんてどうでもいいほどに、わたしには、これまでもこれからも最高のアーティスト。だって、そうでなかったら、こんなにもずっとずっと書きたいという思いにさせられるはずはないのですもの!
わたしは10代の頃に人生観が変わるほど大きな影響をうけたつかこうへいさんの言葉を、これまで、きよしさんをみていて、折々に思い出してきたのです。
つかさんの場合は演劇ですが、”舞台でテクニックなんてものは30分もしたら飽きられる。自分のそれまでの全人生をみせるのだ”と、20代そこそこの俳優さんを叱咤されたことを、のちに名優となられた方にうかがったことがあって、その言葉をきよしさんの生きざまに重ねて、ひばりさんのファンの方がひばりさんのすべてに魅せられていたこととも通じると感じたのでした。
きよしさんは、”これでよし”と守りにはいらず、これからも挑戦するのですね。
「あえて苦労の道を選びます。
足跡をいっぱいのこしていきたいんです」
ときっぱりとおっしゃって、そのまなざしに惚れ惚れとした思いでみとれたのです。
「こころはいつでも20歳でいたいですけど、からだは、さすがに...。
武道館も、さすがに足が痛くなりましたよ。
武道館て広いでしょう。そのなかを走りまわっていましたから。
それにたくさんの方(来賓)もお越しくださって、ありがたいですけど、気を遣って、くたびれますね~」
と本音をぽろん(汗)。
そして、
「翌日は『音楽の日』に生出演でしたけど、武道館をでたのが(夜の)11時くらいだったんですね。
最後に、セットをつくってくださった皆さんにもお礼をいいたかったので。
それで帰宅してから、武道館の映像をいれたDVDをみたんです。
前日はみる余裕がなかったので、自分では初めてみたわけですど、自分でいうのもなんですけど、きれいだなって思って(嬉)。
ね、誰もほめてくれないから自分でほめようと思って(笑)。
軽くお酒をいただいて。
太らないからハイボールを飲んでね。
そうしていたら朝4時になって。それで11時からリハーサルでした。
3時に『大丈夫』を歌うことになっていたんです。一緒に踊ってくださるMAXさんに”今日は何時にでるんですか?”ってきいたら、”3時からよ~”っておしえてくれて。
ださせていただいて感謝、感謝ですよ~」
わたしたちが、感動で眠れぬ夜をすごしていた12日の夜、きよしさんもそうして起きておられたのですね。
※武道館でのショットをここで1枚アップ。
もうっ、かっこよすぎっ!
昼の部のラストトークで、
「42歳になりますので、どうやってアーティストへなっていかれるのだろうかって考えます。
くそれはあえて苦難の道を選ぶことになりますけど」
先の話題をもう一度、そんなふうに言葉にされると、
「新しいことをやると、いろいろなことをいわれかもしれないけど、なにをいわれても、”うるせ~!”って(笑)。
これまでも、”ああそうですか”っていってるけど、でもこころのなかでは、”こんのやろう”って、思って、自分を励ましてきました(笑)。
どんなときも、大切なのは、皆さんに真っ直ぐに歌をお届けすしたいという思いです。
すべてはそのためです」
そうおっしゃり、
アンコールの「きよしのズンドコ節」では、下手で大きな投げキッスをされ、上手で、歌詩を”♪いつかかならず故郷へ”の”故郷”を”山形”にかえて歌われたので大喝采となりました。
※コンサートの翌日は最上川舟下りにいきました。
仙人堂の展示スペースに、きよしさんからの色紙が飾られています。
皆様、きよしさんのトーク、激アツでしょ?
コンサートが終わったあと、出待ちしていたお友だちと合流して山形の郷土料理をいただいて、ホテルに帰って...。
少しブログを書きだしたところで、これはまとまった時間がないと書ききれない~と思って、おしらせしたかったことだけ、先に記事に書かせていただいたのです。
以下は夜の部のことを、最上川舟下りの画像をまじえて書いていきますね。
「だだいま」
きよしさんがそうおっしゃると、
「おかえり~」
の大合唱がおこりました。
あたたかな歓迎にすっかり嬉しくなった様子のきよしさん、
「1年に一度はお邪魔したいですね~。
来年は必ず来ますから。
そのときも来てくれますか?」
と。
そこでたくさんの手があがると、
「ありがとうございます。
皆さんがチケットを”あれ”してくださって、お越しくださって。それが次につながるんです」
そうおっしゃるとあらためてお礼を言葉にされました。
そして、
「デビューしたばかりのころ、九州にキャンペーンにいったときのことを思い出しますね~。
当時は、”厳しめのおっちゃんの”マネージャーさんで、よく殴られていました。
そのマネージャーさんと、レコード店にいって、CDをおいてもらおうとお願いしたんですけど、”うちは演歌のCDはおかないから帰ってくれ”っていわれて。まあ、どこの誰かもしらないわけですけどね。でも、そんなふうにいわれるんだなって思って。
”このやろう”、”みてろよ”という思いが自分のなかにもわきましたね。
でも、今にして思うと、それがあって、がんばれたなあって、感謝しています」
きよしさんはそこまでお話しされると、山形でのキャンペーンを思い出され、
「山形にもキャンペーンで何度もきました~。
懐かしやなあ~」
と、すっかり山形弁になり、”あれ”も連発されて大ゴキゲンのご様子(嬉)。
そう思ってきよしさんをみつめていたら、
「あ~、山形に来て、いかった~!」
って、また山形弁(笑)。
また「最後と決めた女だから」で、
「皆さんには最後と決めた方はいらっしゃいますか?」とおたずねになり、
”きよしく~ん!”
という声がかえってくると、
「そんなこといってくださって...。
一銭もでませんよ。
でるのはオナラだけ」
と(笑)。
もう、答をわかってきいておられるんでしょ!
※義経丸の乗船所の最寄秋の高屋駅は縁結びステーションなんですって!
「最上の船頭」を”スペシャルバージョン”で歌唱されると、民謡の話題になり、
「民謡っていいですね~。
九州にも『黒田節』があります」
とおっしゃり、突然、「黒田節」を歌ってくださったのです。
すっかり聴き惚れていたら、後半、歌詩がおぼろになられて、
”にょん にょん にょん”と歌われたのです(笑)。
さらに、
「新相馬節」や、「花笠音頭」と曲名をおっしゃり、数フレーズ歌ってくださったのでした(喜)。
西寄さんをまじえてのトークでは、
「芋煮好き!
山形にくると、パックの芋煮買います。
肉もはいっていて、ちょっと様子が?
でも、おいしい~。
思い出しただけでもよだれがでてきちゃう。
今日は、里芋を4つと、サクランボ、あと、玉こんにゃくも食べました」
とのきよしさんのトークに、
「今日は丸いものばっかり食べてますね」
とおっしゃり、山形弁をまじえてお話しされると、
「訛っていると、大泉逸郎さんにみえてきますね~」
と、きよしさん。
そして、突然、
「♪なんでこんなにかわいいのかよ ”犬”という名の宝物~」
と、歌ってくださったのです(嬉)。
すかさず西寄さんが、
「今度、”犬”という歌だしてほしいですね」
と、皆の思いを代弁してくだしました(嬉)。
そして、ふたりのかわいい息子さんの話題になったのです。
「ココアは2歳のときに失明したんです。
先天的なものだということでしたけど、気づいてやれなくて、なんだか物につまづいたりして、おっちょこちょいな子だなって思っていたんです。
それで診察をうけて、病院の先生から電話があって、”失明しています”ってきいて。
コンビニの駐車場で号泣しました」
きよしさんがそうおっしゃると、
「そうでしたね。
そのときのこと、覚えています」
西寄さんもそのときのことが思い出された様子でそうおっしゃいました。
ご一緒ということはコンサートツアーで移動されていたときのことなのでしょうね。
先日、「ヒルナンデス!」に出演したミルクちゃんの、大活躍と、”綺麗”だったことを西寄さんが話題にされると、
「ふたりだと悲しい気持ちになるから、サポートメンバーとして、ミルクを飼いたいってマネージャーさんにいったんです。
ミルクは、ペットショップコジマで、もう5か月くらいで、値札が半額になっていたんですけど、この子がいいって思って。最初はブスだったんですよ。
でもね、愛情かけたら、ほんとうに綺麗になったんですよ」
そうお話しされていました。
※船でしかいかれない仙人堂。
神聖なものと思うのでお社の写真は控えますね。
ここでタマホームのCMの話題になるとその場で生CMをしてくださいました(嬉)。
最後のキメ台詞の”タマホーム!”をおっしゃると、その勢いで下手袖へと入っていってしまいました(笑)。
そして、もどられると、
「タマホーム!」
と、本邦初のズッコケバージョンまで披露(笑)。
この記事ではトーク中心に書いていますが、まごころいっぱいの情熱歌唱がつづいて...。
ただただ聴き惚れて、その幸せに身もこころもひたして、きよしさんの歌声に酔いしれたのです。
夜の部のアンコールでは、
「勝負の花道」で、華やかな早変わりで゛魅せて゛くださり、
「勝負の花道」で、華やかな早変わりで゛魅せて゛くださり、
”♪海路は亜細亜へ 世界へと~”
と、熱く熱くうたってくださると、ラストトーク。
来場のお礼を言葉にされると、突然、
「パンツのボタンがとれてしまったんですよ」
と(汗)。
「パンツのボタンがとれてしまったんですよ」
と(汗)。
”ね、どうしましょ、大丈夫かなあ”という様子で、あの素敵なお衣裳の上着を突然ウエストの上までめくられたのです。
いやん、そんなことして。
もう、おなかがみえちゃってます~。
きよしさんは、皆の反応に、゛ねえ゛という感じで、上着をさらにめくりあげたので、わたし、きゃあっ!と、声にだしてしまいました(汗)。
きっと黄色い悲鳴もあがっていたのではないかと思うのですが(笑)、
きよしさんは、その反応に、
「この下、なにもはいてないんです~」
と。
皆のこの日一番の(?)どよめきに、
「んなわけ、ないでしょっ!」
ですって(笑)。
「この下、なにもはいてないんです~」
と。
皆のこの日一番の(?)どよめきに、
「んなわけ、ないでしょっ!」
ですって(笑)。
※わき水で淹れてくださったコーヒーです。
まろやかでおいしかった~。
絶好調のきよしさんを、出待ちしてお見送りさせていただきました。
翌日は山形駅から在来線で新庄駅へ。
新庄駅から酒田駅行きのの在来線に乗り換えて、高屋駅へと向かいました。
途中、どしゃぶりだった区間もあって、お舟がでるだうかと心配が何度かよぎったのですが、高屋駅についてからは、晴れ間がでてきて、最高の舟下り日和になりました。
※仙人堂でいただいた芋煮とお蕎麦です。
手作りで”うめかったのよ~!”と山形弁でてしまいました。
というわけで、やっぱり、きよしさんのことを書かせいただくのは至福の時間です!
皆様、先の記事にコメントをありがとうございます。
これからのことは、もう少し考えて決めたいと思います。