Quantcast
Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

「これから歌で全世界へ愛とこころをとどけていきたい」大好きな出雲で歌への決意を語った、われらが”きー”こと氷川きよしさん。もう~、なんでそんなにノリノリなのっ!

$
0
0
おはようございます。
皆様、昨夜はごめんなさい。
夏しゃぶしゃぶをいただく前に、すでに秋の名物の数々もだしてくださって、おいしさにお酒を飲み過ぎました(汗)。
そのあと、夏しゃぶしゃぶをいただいて、ふと時計をみたら3時近く経っていたのです。
帰宅したら、仕事の資料のメールがとどいていて、チェックして返信し、そのあとブログの画像の整理と、個人的に思い出のあるこのホールでのことを書いて過去の記事をチェックしていたら、旅疲れもあってか、バタンキュー。
昨日はぼうっとしたまま出雲市駅前から出雲空港行きのバスに乗ったのですが、バスを降りた途端、あるお方と目が合って、一気に目が覚めました(笑)。
”あるお方”なんてもったいぶって書いてみましたが、その方とはいつもコンサートのCD紹介の折、ポスターをもって登場される、売り出し中のデキる男、Nさん(と伏せるるまでもなく、西尾さんですね)だったのですもの!
どうして? 
だって今日はレコーディングとおっしゃっていたから、昨夜のうちに帰られたのではなかったのでしょうか?
わたしにしてみれば、予算の都合上、不承不承一番早い便にしていて、母に頼まれていたお菓子を買わなくてはということしか考えていなかったのでした(笑)。
じゃあ、もしかして? もしかして? もしかして?
いやん、もう~。
とひとりで勝手にあわててしまい、ドキドキがとまらないまま、キャリーを預ける長蛇の列にならんだのです(笑)。
この空港でのサプライズも、文末に少し書かせていただこうと思います。

一夜明けて気持ちもいくらか落ち着いて、今朝はすっきり!
そして、今日は”新・月刊氷川きよし゛の発売日ですね。
朝いちばんに「デイリースポーツ」さんを購入して、出雲空港で帰りがけにかった、”ばらパン”をいただいて、このブログを書きはじめています。
ちなみに目覚ましはきよしさんの「碧し」。
毎朝、きよしさんの歌声のおかげで、幸せな気持ちで目覚めさせていただくのです。

このホールでの思い出を少し書かせていただいて、ツアートラックの画像のあとから、8月12日の出雲市民会館でのコンサートのこと、書いてみようと思います。
前置きにしては長くなりそうなのですが、今回のコンサートで、きよしさんが40歳のバースデーコンサートの時の思いをお話しされていたので、ふりかえってみたくなったのです。
ごめんなさい。

思えば、はじめてこのホールを訪れたのは2013年9月24日のことでした。もう6年前のことになりますが「ごきげん歌謡笑劇団」(同時にラジオの「ごきげん歌に乾杯!」も)の公開収録があったのです。
きよしさんはお芝居では、”清太郎(きよたろう)さま”を演じておられました(喜)。

※その時のことを書いたこのブログの3つの記事、あとでよかったらお読みくださいね。

公開放送で島根県民会館を訪れてみて、ホールの収容人員や足の便もふくめて、島根県でのきよしさんのコンサートは従来どおり松江にある島根県民会館でおこなわれるのだろうなと思ったのです。
楽しかった収録とアットホームな雰囲気の会館から外にでる際、またうかがうことがあるかしら? と、ちょっぴり寂しさを感じたのですが、思いがけず、2017年9月6日、きよしさんの40歳のバースデーコンサートがおこなわれることになり、ふたたびうかがうことになったのでした。

その時の記事はこちらです。
きよしさんも今回、そのときのことを思い出されたとおっしゃっていたので、よかったらお読みくださいね。

そのときの内容を一部語ここに。
2017年9月6日、出雲市民会館でバースデーコンサートが開催され、きよしさんはこの日、40歳になりました。
「大変恐縮ですが、私、氷川きよしの生誕40周年コンサートをさせていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。1977年、昭和52年9月6日、母親に産み落としてもらって、ひとり息子としてすくすくと育ちました。生れた時の体重は3750グラム。母はとても大変だったそうです。18歳まで九州。博多で父と母の愛情をうけて成長した本名、山田清志でした」
司会の西寄ひがしさんの、”40歳の展望は?”との質問に、
「自然体がいいですね。自分がどう生きるかが大切。努力して、感謝の気持ちを忘れずに、誠実で謙虚でありたいです。
2000年2月2日に『箱根八里の半次郎』でデビューさせていただきました。
なんかしらいないですけど、ヒットして、なんかしらないですけど、応援していただいて...」
きよしさんは、デビューしてただただがむしゃらに一生懸命唄っていただけなのに、自分が夢にも思っていなかった大ヒットという状況、そして、たくさんのファンができたことへの驚きと感動を、照れくさそうに”なんかしらないですけど”という言葉であらわされたのです。
なぜヒットしたのだろう?自分のどこがいいと思ってくださっているのだろう?
きよしさんは、”氷川きよし”の爆発的な人気に慢心するどころか、そんな思いを抱かれていたのですね。
今、ふりかえって、きよしさんのお気持ちを勝手ながら想像して...。
そんなきよしさんだから、今の”氷川きよし”があるんだなあと、あらためて感じて胸ががいっぱいになったのです。

「ファンの皆さんと一緒に”氷川きよし”をつくってきました。
だから僕は、”氷川きよし”という城を守っていかないとなりません。
そして、”氷川きよし”という船を皆さんと一緒に漕げたら嬉しいです。
感謝の気持ちが大事ですね。感謝をしていたら、全部うまくいく。
あとは、”キライです~、好きです~”って(笑)、はっきり言える大人になりたいです」
とさらにお話ししてくださいました。

「最初の頃は衣裳のこともいろいろいわれました。演歌の世界で細身のスーツとか着ている人っていなかったから。意地悪いわれたり...。
でも、”ありがとうございます”って僕、いって、こころのなかでは、”ヘーン”って(笑)。そういう強さはもっていないとやっていかれない世界でしたからね」
その言葉に皆が大きくうなずくと、
「皆さん、愛しています」
と、きよしさんはひとことおっしゃったのです。

夜の部でのこと。「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」のイントロがなり、緞帳がスルスルとあがって、あがって? あがって???
緞帳は少しあがってはまた降り、またあがったと思ったら降りて...。
イントロもいったんやみましたが、
そこで、「申し訳ございません。ただ今、調整中でございます」と西寄さんの落ち着いた声がきこえてきました。
そして、さらに、「ご来場の皆さま、安心してください。皆さまにはきよしくんがついています」と。
きよしさんは以前からよく偶然はないとおっしゃいますが、ほんとうに、この緞帳の出来事が、人生を物語っているように思えたわたしです。
いつも緞帳は当たり前のようにあがって、気にもとめていませんが、それさえも当たり前ではなく、多くのスタッフさんが支えてくださってのことなのですよね。
そして、人間のすることですから、なにかが少しちがうこともあって...。
このときの緞帳の、行きつ戻りつしながらあがっていく様子に、おおげさでなく、”人生”を感じておりました。

「大変に恐縮ですが、今日9月6日は、私、”氷川きよし”の誕生日でございます」自分でいうのもなんですけど、”生誕記念コンサート”をさせていただけて感謝の気持ちでいっぱいです。以前、歌のお仕事(2013年9月24日『コロッケぱらだいす ごきげん歌謡笑劇団』の公開収録)でここには来させていただいたことがありますが、すぐ帰らないとならなかったので、また来たいと思っていたんです。
今日、40歳になりましたけど...。ずっと子どものままでいたいですね~。
でもいつまでも同じ場所にはいられないし、大人にならないといけないという思いもあります。
今日のこの時間は二度と戻らないから。皆さんとその二度と戻らない時間を一緒にすごさせていただいて、僕のこの40年の”出汁(だし)”を歌にこめて唄わせていただきます。
平和のために唄うことが僕の使命です。
20代のときは40歳になるなんて想像していなかったですね~。20代、30代はつらかったです。
まわりには、”恵まれているね”っていっていただいていましたが、僕自身はどういう振る舞いをすればいいのか探って...。探しながら、求めながら歌う僕を、応援してくださる皆さんが支えてくださって。
僕は皆さんが喜んでくださることをやっていきたいって思うようになりました。
これから自分らしくやらせていただいて、好きな、自分の好きな歌を唄わせていただきたいですね。
勝手に歌う歌が選ばれて、つくられてということも正直ありました。
30代最後の年に、ドラゴンボール(『限界突破×サバイバー』)と、『碧し』に出会えたことはありがたいことでした」

そうでした。
「限界突破×サバイバー」も「碧し」も、この2017年にリリースされたのでしたね。


イメージ 1


やっぱり思い返すと、じんとくるものがありました。
では、以下は8月12日のコンサートのことを。

「♪オオオオオ~、ウウ、ウォ~オオオオオ」
その姿はまだみえないのに、きよしさんの歌声が聴こえてきました。
そう、昼の部の「限界突破×サバイバー」でのこと。
センターステージ上段に登場される前に、きよしさんは、奈落の底ですでに歌いだされたのです。
きよしさんの歌声が聴こえてきた瞬間、バイオリンの後明さんが目を丸くされたあと、楽しそうに微笑まれる様子がたまたまわたしの目にはいったのです。
ドラムとエレキギターの音に突然歌いだしたくなった、きよしさんのこころのままの歌声は゛ソウル゛の響きにも似ていて、きよしさんの情熱の昂ぶりを感じて、身震いしながら、きよしさんが登場されるはずのステージ上段をみつめました。

いよいよ登場されたきよしさんは、「出雲ゥ! オーオーオーッ!」
と雄叫びのように叫ばれて、全身に紫の炎をまとっているかのようで...。
 指先から爪先まで髪のひとすじまでもがその歌声と一体になってしなっていたのです。
情熱のほとばしりを、放つように足を軽くその場で蹴り上げる仕草を目にしたときには、感動と興奮でわけがわからなくなって、なんですわってなくちゃいけないの? 立って一緒に踊りたい!と、その気持ちを抑えることに苦痛さえ感じたのでした(喜)。


「2年ぶりの出雲です。
気になってこの2年間、全然眠れませんでした(笑)」
と、「ヨイトマケの唄」を歌唱されたところでのオープニングトークで皆を笑わせてくださると、
「出雲は最高!
だって、拍手の数が全然違うもん」
と、感情がこもりすぎたのか、思わず声がひっくりかえってしまいました(笑)。

「お越しくださる皆さんのおかげです。
どなたもお越しくださらなかったらできませんから。
もちろん、おひとりでもいらしたら歌わせていただきます。
それが私の使命ですございます!」
と決意表明のようにおっしゃると、夏休みとあってお子さんが多数お越しくださっていることにきづかれ、
「あれ、何年生?
かわいい~、かわいいねえ。
つれて帰っていい?」
と(笑)。

そして20周年の感謝の思いを言葉にされると、
「2年前は自分の誕生日にここでコンサートをさせていただきました。
そのときもお越しくださった方?」
と客席に問われ、たくさんの手が挙がると、
「嬉しい~。
こころがつながってるんですねっ。
好きっ!」
と。”好きっ!”という優しい言葉の響きに、こころとろけたのです。

そして、離席されていた方がもどってこられると、
「よかった。どうされたかなって気になっていました。
皆さんは大丈夫ですか、便所!」
と、嬉々としておっしゃり、皆の”いやあーね、好きなんだから”というようなリアクションに、
「あっ、おトイレっていうのかな~(笑)」
って、もう確信犯のきよしさんでした(笑)。

そして、歌への思いを、
「歌がなかったら、自分、死んでましたね、きっと。
歌に出会って、歌があったおかげで励まされて、歌うようになってさらに歌に励まされて、今日までがんばってこられたから」
とお話しされました。
「メトロノーム」にはご自身が体験した思いがこめられていることを、こんなとき、いっそう感じます。

「最上の船頭」を歌唱されると、西寄さんをまじえてのトークコーナーに。
「昨日からこちらに来ていて。焼肉を食べました。
ええと、食べたのは肉とキムチと、肉?
脂身の少ないやつを(笑)」
と、その言葉をうけて、
「私をみて、脂身が少ないっていわないでくださいよ~」
と、西寄さん。
きよしさんは、お店の名前を確かめるようにしておしえてくださると、
「それで、お店に色紙も書いてきました。
20代の頃は人にみられることが苦手で、全国いろいろなところにいきましたけど、いつもコンビニで豆腐と納豆とサラダを買って、ホテルで食べていました。
今は、スタッフにおいしいところを探してもらって、その地のもの味わって楽しませていただいています」
と楽しそうに語ってくださいました。

そして、
「前回は40歳になった節目の年だったから、自分も40歳になったんだなあって色々考えさせられたことを思い出します。
だって、ワインだったら40年ものですよ、自分。
オープニングトークの際、客席にいらした92歳の”ニイタニ マツエ”さんとおっしゃる方と楽しく会話されていたので、それをうけて、
「マツエさんは92年ものですよ~」
と感慨深くおっしゃいました。

9月6日に大阪城ホールで開催される”デビュー20周年記念コンサート”の話題になり、”いくよ~”という客席からの声に、
「あっ、来(こ)らっしゃるんですか?
ありがとうございます。
気をつけてきてくださいね。くれぐれも挫折しないように」
きよしさんのそのひとことに、なぜ”挫折”なのかしら? と思っていたら、
「えっ? ああ、捻挫です」
と思いきりの言い間違えに大爆笑でした(笑)。

イメージ 2
※新発売のミラーと手提げを購入。
このミラー、かわいくて使いやすくて、予備にもうひとつほしくなりました。

ここで8月27日に発売される、「大丈夫/最上の船頭」のニューバージョン(D・E・F)のインフォメーションがありました。
Dタイプのカップリング曲の「あなたがいるから」について、
「すべての自分の思いを曲にしています」
とおっしゃると、突然、中森明菜さんのマネを披露され(喜)、
「小声なんですよね~」
とモノマネのポイントまで種明かし(笑)。

Eタイプのカップリング曲の「カシスソーダを飲みながら」については、
「ちょっとエッチなんですよ~。
”僕と一緒にチークダンスを踊りませんか”って誘うんです。
エロかわいい感じ?」
と。

そして、Fタイプのカップリング曲の「きよしの令和音頭」については、
歌い出しの”右を向いても左を見ても、そこに笑顔があるような そんな時代をつくりたい”にその思いが集約されているようで、
「新たな時代に、”きよしくん”は卒業して、40代は”きー”でいきたいですね(笑)。
心の扉をこじあける鍵(キー)。
全世界に愛とこころをとどけたいです」
とお話しされました。

と、ここでたまたま入ったお店のメニューに”カシスソーダ”があって、Tさんと迷わずオーダーしたのです。


イメージ 3
※カシスソーダってロマンチックな色ですね~。

アンコールの最後は、
「ズンドコ!」
タイトルコールをみずからされました。
そして、歌い終えると、
「夜の部、がんばります!
おたがいがんばりましょう!」
とおっしゃると、上手側に投げキッスをされたのです。

イメージ 4
※ミラーの反対側です。こちらもかわいいでしょ!


夜の部、じつは思いがけないアクシデントがあって泣く泣く途中入場することになってしまったのです。
なにがあるかわかりませんね。
でも、幸い、問題もスッキリ解決して何の心配もなくなったので、ホールにはいってきよしさんの歌声が聴こえてきたところで、スイッチを切り替えて楽しませていただきました。

「ヨイトマケの唄」を歌唱されると、暗転したステージでしばし”こころの態勢”を整えられると、来場のお礼を言葉にされました。
そして深くお辞儀をされてからお顔をゆっくりとあげられたときのこと。
きよしさんは、マイクを使うのを忘れているというより、声がとどかなくてもマイクを使わずに言いたいと思われた様子で、正面をむいて”ありがとうございます”とおっしゃり、頷くような仕草をされたのです。
とてもこころに沁みる振る舞いでした。

そして20周年の感謝の思いをお話しされると、
「自分でいうのもなんだけど、がんばってきたもん!」
と、突如、”甘えん坊モード”に(笑)。
そして、
「(歌手をめざしていた頃)アルバイト先のおばちゃんに、”演歌歌手なんてなかなかなれないよ。なるんだったら、パンチパーマにしないと”とか、いろいろいわれていましたね~。
でも、歌手になるって決めていたから、そういうこともたき火っていうんでしたっけ? 
”焚き木”ですか。ね、そういうものを(自分の気持ち次第で)全部エネルギーに変えられるんですよ。
苦しみや悲しみのすべてを喜びに変えていかれる。それが歌なんですよ」
と力をこめておっしゃたのです。

イメージ 5
※ミラーがとっても素敵でカワイイので、
わたし、大宣伝しちゃいます。


「さすらい慕情」に始まるさまざまな主人公を描いたオリジナル曲のコーナーでは、
「歌を歌うと、そのイメージでみられるんですよね」
とおっしゃると、ひとごとのように、
「まあ、おもしろい!」
とひとことおっしゃると、
「それが歌の武器!」と今度は自慢気なきよしさん。
もう、この時点でさまざまな主人公を演じわけておられたようですが(笑)、そんなきよしさんのトークにに皆、じっと聴きいっていたのす。
すると、
「このシーンとした感じが好きなんです。
こころがつながってる感じがします」
と。
きよしさん、なにがあっても、”こころがつながっている”こと、感じてくださっているんですね(嬉)。

「最上の船頭」を歌い終えると、
「40歳になってから、時間の経つのが早くなりますね~。
1日が1週間、あれ。それだと長くなっちゃう?
1週間が1日でいいのかな(笑)。
子供の頃は長かったですね~」
と。
ここで西寄さんとの中学時代の話題になると、
「中3の時は、あんまり学校にいってません。
修学旅行にもいってない」
とぽろんと。
西寄さんが、
「そんなことおっしゃるの初めてですね」
とおっしゃると、黙ってうなずかれたきよしさんでした。
はっきりとした言葉で書くことをここでは控えますが、クラスに意地悪するクラスメイトがいらした様子でした。

「だからジャンルって関係ない。
歌は自分を貫いて表現するためのものなんだって、16歳から歌いはじめて思うようになりましたから。
今日も、『限界突破×サバイバー』を歌ったときに、ご主人が石像のようになって、目が点ていうんですか? 漫画にたとえたら”ペケ”になっていましたけど(笑)。
歌詩がいいんですよ~。
”可能性のドアは(施錠)ロックされたまま やれやれ・・・今度も壁をブチ破る”ってね。
ほんとうにそうだなって思って。
ネガティブな歌詩は歌いたくないんです。やっぱり良い言葉を歌いたいんです。
言霊っていいますでしょう。
以前、さいたまスーパーアリーナでおこなわれたアニメロにださせていただいたときは、お客様が3万人もいて。
3万人の前にでたら、”うわーっ”てなって。
もう、”おうら~、行くぜ~って。
自分のスイッチが”男モード”になって、”ウォ~ラァーッ!!!”ってなりましたよね」
と、すっかりそのときの”男モード”を再現されているきよしさんに、笑いがおこると、
「おそれいりますぅ~」
と大江裕さんモードに(笑)。

イメージ 6
※ラジオでお話しされていた
きよしさん、お気に入りの
胡麻ドレッシングはこちらでしょうか?


9月6日に開催される大阪城ホールでの”デビュー20周年記念コンサート”の話題になると、セットリストに、西日本から以南の歌ををいれてくださることをおしえてくださいました。
「西日本(とそれ以南)の歌をいれようかと思って、『瀬戸内ブルース』とか『恋の瀬戸内』とか。
あっ、『恋の瀬戸内』は今回は歌いませんけど(笑)。
あとは、『大阪とんぼ』、歌います。
そう、島根の歌も歌いたいですけど、事務所の先輩の水森かおりさんに、先越されてしまったんですよね~」

そこで、西寄さんが、
「『恋の一畑鉄道』とかいかですか?あとは...」
と立て板に水のごとく、いくつかのタイトルを提案(笑)。

きよしさんは、水森さんの「ひとり薩摩路」にかけて、
「じゃあ、『ひとり出雲路』! ”路”は”ぢ”じゃなくて、”じ”ですよ」
とおっしゃっると、待っていたとばかりに、西寄さんと、”痔バナシ”を(笑)。

そして、バンドのチームHKの皆さんの紹介では、きよしさんの音頭でおひとりおひとりのお名前を呼ばせていただいたのですが、トランペットの長谷川さんの番になると、
「昨日、バースデーだったんですよ。それで皆でお祝いして」
とおっしゃり、昼の部での紹介では、何歳になったのか言い控えておられたきよしさんだったのですが、
「ね、若くみえますよね~。
やっぱり目標をもってがんばっていると、若くみえるんですね」
とヨイショしつつ、
「ね、〇〇歳にはみえないですよ~」
と、今のきよしさんと同じ年齢をぺらぺらと(汗)。
長谷川さんも逆襲にでて、
「31歳!」
とその場でおっしゃったのですが、
「えっ、31? そんなバカな~」
とバッサリ(笑)。
年齢なんか関係ないっていっておいて、いちばんこだわってるの、きよしさんじゃないかしら?
なんて~(笑)。

イメージ 7
※のどくろのお造りです。少し炙ってあっておいしかったです!


つづいて、ダンサーのおふたりを紹介されました。
タクミさんのお母さまが、一観客(とはいえタクミさんの第1のファンですよね)として、自費でチケットを購入され客席でご覧になられていることをこの日も話題にされ、
「先日、さくらんぼをいただいて、まだそのお礼もいってないんです。
おいしかったです」
とおっしゃると、西寄さんが、なぜか負けじと
「うちはシャンパンでした」
と(笑)。

先日の大分でのコンサートに西寄さんのお母さまがお越しくださったのですが、きよしさんになにかお土産をというので、シャンパンがお好きだということでその銘柄を電話でつたえたそうです。
「母に、”モエ”っていうのがいいみたいだよっていったんですけど、なかなかききとってもらえなくて、”ヒエ”とか、”ミエ”とか、”ムエ”とか何度もききかえされました(笑)」
と。
すると、
「なんでもいいんですよ。
メ〇〇〇〇とか(お子さま用の)はちょっとと思いますけど(笑)。
自分はセールで4500円くらいになることがあるので、そのときにまとめて買います。
お店で飲んだら2万円とかするをみると、イラーッとします」
とおっしゃっていました。

そして、ツバサさんは、今月、ご結婚されたそうで、そのことをきよしさんが紹介されたのに、
「まあ勝手に幸せになってください」
と、ヒガミモードで祝福されました(笑)。
そして、なんだか興がのったのでしょう。
山内惠介さんのマネを連発され、西寄さんに指摘されると、
「山内惠介で~す!」
と(笑)。
きよしさん、ほんとうに山内さんのことがお好きなんですね~。
さらに、
「いいんです!
人類は皆、兄弟!」
と。

そして、ラストトークではあらためて来場のお礼をおっしゃり、投げキッスを何度されたことでしょう(汗)。
また、「勝負の花道「」では間奏で、両手でハートをかたどって、投げてくださって、じんときました。



イメージ 8
※出雲大社の境内のうさぎさん。
きよしさんもこんなふうなハートをつくって
投げてくださいました~。



終演後のことは先の記事に書かせていただきましたが、刻一刻、青空がオレンジ色に染まり、美しい夕焼けになり、そして、月が輝く夜空へと。


思えばゆっくり目のお帰りだったなあと、今にして思います。
それでも米子の最終便には間に合わない時間ではなかったと思いますが、お盆のピーク時で、チケットの確保が難しかったのかもしれませんね。

長蛇の列にならんで無事にキャリーバッグを預けて、2階にあがってお土産を探していると、今度は西寄さんをおみかけして、さらに楽団の皆さんの姿もそこここに。
ということは、もう、きよしさんがいらっしゃることは、まちがいないんだ~と、ドキドキしながら、またまた長い保安検査の列にならんだのです。

すると、サングラスをかけたきよしさんがスタッフの方と数人で歩いてこられ、売店をまわっておられる様子がみえました。
多分、ファンの方はその場にいらしたとは思いますが、どなたもきよしさんを取り巻いたりせず、静かにみつめておられたようで、きよしさんが楽しそうにお買い物をしている姿に、わたしも保安検査の列に並んだままきよしさんをみつめていました。

搭乗開始を待っていたら、きよしさんの姿がめにはいりました。
あまりにステキなきよしさんですから、どこにいらしてもすぐにわかりますよね(嬉)。

搭乗案内にしたがって、ながれにそって乗り込んで...。
今回、数日前に旅程確認をして。
そのときに座席指定をしていなかったことに気づき、あわててパソコンでしたのですが、行きは残席わずかながらもスムーズにできたのですが、帰りは予約しているのに普通席がすべてうまっていて。結果、予約時に手違いがあり、クラスJに振り替えられていたのです。

そんな偶然が重なって。
そして、同じ機内に乗り合わせたことも初めてでしたので、わたしには夢のような宝物ののうな時間となりました。


イメージ 9
※駅前のホテルの窓から。左下が出雲市駅、
右上の赤丸で囲んでいるのが出雲市民会館です。


あっ、Nさんのステージでの楽しいリアクションのことを書けずにいましたので文末に。
コンサートでCDを紹介するコーナーがありますが、そこでパネル張りしたポスターをステージ上でお持ちになるNさん。
゛コンサートの記念にぜひCDをお持ち帰りください゛
というトークに加えて、
゛ポスターを持っているこの方お持ち帰りできません゛
とか、
゛このポスターが付いていますが、この方は付いてきません゛と、いじられていますが、いつもクール。
だって、知性派でデキる方なんですものね。
ところが昼の部でいつものように立ち去ろうとし西尾さんに、
「゛ズコッ!゛とか、なんかリアクションりないんでしょうかね。大阪人なのに!」
と。
突然の西寄さんの無茶ぶりに、カタマッてしまった西尾さんに、
「まあそういうキャラクターなんでしょう」
と、上から目線発言(笑)。
そうしたら、夜の部でみごとズツコケてくださった西尾さん!
チャーミングでした。
ボーカルの、われらが゛きー゛のもと、温かな家族のような絆が生まれていることを感じて嬉しくなりました。


きよしさんが、゛きよしくんを卒業゛とおっしゃっているのは、きよしさん自身が、゛こうあらねばならないと、自分自身を苦しくさせていた、きよしさん自身の゛きよしくんというイメージ゛であり、゛きよしくんというキャラクター゛のことで、゛もう、きよしくんと呼ばないで゛ということではないと思っています
名前は自然と付いてくるものですし、呼び名はおひとりおひとりのきよしさんとの絆から生まれたもの。
それぞれの呼び方があってよいと思いますし、きよしさんご自身も押しつけるつもりなどないことを、この話題をきくたびにわたしは感じるのです。




Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>