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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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今月に入ってお部屋のイメチェンしていました。

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5月後半、父が急に、”家のクロスを張替えたい”といいだして、見積もりをして、諸々の準備を進めて7月3日から1週間ほどかけて、クロス屋さんにお願いすることになったのです。
部屋の荷物を移動しなければならないので、腰を痛めていては無理と、あきらめていたのですが、最終日にしていただけるということで、少しずつ荷物を移動して備えたのです。

もともとは他の部屋同様、真っ白なクロスだったので、それ以外考えていなかったのですが、いざ張り替える段になって、クロス屋さんのアドバイスもあって、大きな方針変更をしたのです。

こちらが選んだクロスです。

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北欧のテキスタイルデザインで、ニッティポルク(NITTYPOLKU)という名前がついていて、草原の小道、ノラニンジン、クローバー、シダ、忘れな草が描かれています。
この機会に机とイスもチェンジし、荷物を大幅に減らしたいと思っているのですが...。

机とイスが届いて、セッティングしてから、他の家具をもとに戻すので、今はベッドと机だけ。
この空間で数日すごしてみると、このまま部屋から一時的に移した諸々を処分してしまいたいような思いがしてくるのです。

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※左下の黒いクマちゃんが以前もブログに登場したことがあります。
今はPCのスピーカーとしてわたしの傍にいてくれています。


これまでの真っ白なクロスからかなりのイメージチェンジとなりましたが、あたたかな色と、たくさんの植物に囲まれていると、それだけで力がわいてくるのです。

天井部分は白にしていただきました。
ここに仮置きしてあるPCと机が入ると一気に生活感がでてきますね(笑)。

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おかげさまで腰の痛みもかなりひいてきました。
クロスの張替え無事に終わったので、これからお部屋の模様替えをしつつ家具や物を戻していきます。

わたしにとって7月17日は早めの夏休みのようなものとうけとめておりまして...。
18日から後半戦のスタート、諸々パワー全開でがんばっていきたいと思っています。

そう、なぜ18日から後半戦がスタートかといいますと、
なんて、説明するまでもありませんね(笑)。

きよしさんが生放送される「うたコン」に出演され、なんと島津亜矢さんと”股旅演歌対決”されるのですもの。

ところで歌唱曲目のなかに「旅笠道中」がありましたが、きよしさんはその曲も唄ってくださるでしょうか。
とてもとても個人的なことですが、「旅笠道中」こそは、わたしが、”氷川きよし”のファンになった出逢いの曲なのですもの!
そして唄ってくださるのは2011年の「ファンクラブ限定コンサート以来ではないでしょうか。

当日はNHKホールに観覧にいってまいりますので、またご報告させてくださいね。


さて、2011年のFC限定コンサートの様子を、ブログで読み返していたら、あのときの感動が蘇ってきたのです。
よろしければ以下、ご報告の記事の部分をアップしますね。
(それでも長くてごめんなさい)。

8日、9日の2日間4公演の最後、きよしさんは勢いこんでお話をされました。
先月の最初の頃は、声が思うように出ずもどかしい思いをされたこともご自身の言葉で話してくださったのです。
私が参加したのは両日とも夜の部でしたが、演歌名曲コレクションの中から、”今、きよしさんがファンに贈りたい曲”の最後に、「いつもみんなで手をつなごう」を歌ってくださった時、歌詩のひとつひとつに心をふるわせ、涙で瞳をうるませながら、感極まって涙声になられもしましたが、それでも、明るくにこやかに歌ってくださったのでした。
「皆さん、よかったらお隣の方と手をつないでみてください」
歌う前に、きよしさんがそうおっしゃると、皆つないだ手をきよしさんに向けて掲げて振る仕草を自然としていました。その時に、”僕も手をつなぎますね”そんなふうにおっしゃったでしょうか。
きよしさん、私たちと同じようにマイクを持っていないほうの右手を掲げて振られたのです。
その時、不思議なことに、”あっ、きよしさんと手がつながった”と私は感じたのでした。きよしさんの身体はひとつですから、きよしさんと手をつなぐだなんて物理的には不可能なことなのですが、でもたしかに、そう感じたのでした。歌う前にきよしさんの手と、そして心ともつながっていたのだと、私は思うのです。そして、きよしさんご自身もそのことを感じてくださったからこそ、歌うほどに涙されたのではないかと想像するのです。

2000年6月21日に今回、きよしさんが歌ってくださった「旅笠道中」が収録されている 「股旅演歌名曲選 氷川きよし/箱根八里の半次郎」がリリースされています。きよしさんがデビューされた2月2日から半年もしないうちにリリースされているのですが、当時の私は会社勤めでしたので、思うように時間もなく、最初の頃はきよしさんにお会いする機会もなかったのです。
そしてテレビやラジオでその歌声を聴いて、素晴らしいなあ、がんばってほしいなあと、そんな気持ちを抱いていたのですが、このCDを手にして「旅笠道中」を聴いた時、この歌の舞台がどこなのかは知らないのですが、突然、子どもの頃、夏休みに家族で出かけた伊豆の山あい、そして木立ちの映像が浮かんで、木々の葉が揺れる音がし、土ぼこりの匂い、ほほを撫でる風を感じたのです。
自分に何が起こったんだろう?
そう思いました。
素晴らしいとか、感動したとか、そういう感情を軽々と超えて、名状しがたい思いでいっぱいになったのです。そしてその時から、きよしさんが私にとって、特別な存在になったのでした。
あえて言葉にするなら、”魂の歌手”と言ってもよいでしょうか。私の、まさに運命が決まった瞬間だったのです。
きっと皆さまにも、お一人お一人のきよしさんとの運命の出会いがおありかと思いますが、私はまさにその時だったのです。
それで、折りにふれ、今のきよしさんの歌う「旅笠道中」を聴いてみたいと願い続けてきたものですから、今回その夢がかなって、涙、涙となり、およそ冷静さを欠いてしまったのでした。
きよしさんが今日までずっと歌ってきてくださったことに感謝したことは言うまでもありませんが、私もそれなりにいろんなことがあったけれども、それでもがんばって生きてこれてよかった。そのおかげでこんなに幸せな思いをすることができたなんて、本当によかった。
きよしさんから、「お疲れさま! よくがんばったね」とご褒美をいただいたかのような気持ちになったのです。きよしさんをずっと応援してこられている皆さまは、私のようなお気持ちになられたことがおありなのではないかと思います。
きよしさんは、9日の夜の部のラストで、やはり自分の言葉で言っておかなくちゃと思ってくださったのでしょうか...。きよしさんにしては勢いこんで早口で、被災地にいらしたことを、”内緒だけど”と何度かことわりながら、お話ししてくださったのでした。
そして、
「僕も皆さんと同じです。苦しんだり、悩んだりすることもありますし、病気をすることもあります。でも決して一人ではありませんし、苦しんだり悩んだりしたら、それ以上に嬉しいことがありますね。
僕は歌を通じて皆さんとつながることができることを知りました。ありがとうございます。
これからも氷川きよしと、氷川きよしファンクラブをよろしくお願いします」
そうおっしゃって深々と会釈をされたのでした。
シリアスになりすぎてはという思いもあったのでしょう。あのリーゼントをアレンジしたヘア(今週の「女性自身」に載っています)のポップさ。そして「陽春」をアカペラ&生声で披露してくださった後、マジシャン風のコスチュームの帽子を取ると、白い小鳥がきよしさんの頭の上に乗っていたのでした。
きよしさんは場内のどよめきに、”えへへへ!”という感じで愉快そうにされていました(笑)。
コンサート途中のトークでも、小島よしおさんの真似をして”そんなの関係ねぇ!”と、きよしさんはおっしゃって、さらに物まねがとまらなくなると、西寄さんもなぜか”コマネチ”を披露してくださったりという一幕もありましたし、西寄さんが赤いふんどしをお召しになってのお誕生祝いのコーナーも場内大爆笑だったのです。 
 私はこうして数日が経ってみて、何だか、きよしさんのお心を感じたのです。もちろん私の勝手な想像でしかありませんが、
”歌への思い、ファンへの思いは熱く深く、切ないほど...。
僕のその心のうちをあなたには知っていてほしいけれど、でも、少しも悲しまないで、そして心配しないで。
あなたには幸せであってほしい。だからどうかいつも笑顔でいてください”
 きよしさんの真心と愛のこもった歌声。そして汗と涙と笑いいっぱいのステージを見ていて、そんなきよしさんの思いが感じられたのでした。

9日夜の部は4公演の最後ということで、6時からスタートしたのですが終演は9時近くになっていました。
きよしさんは心のままに歌い、そしてお話しされたのです。
そんなきよしさんの様子から、その場(2200人収容ですので)にいらっしゃれない全国のファンの皆さま、そして被災地でがんばっておられる方たちのことを心においていらっしゃるように感じられたのです。
というのも8日夜の部でもそうでしたが、ご近所の方に
「氷川がどうかお元気でと。よろしくお伝えください」
とおっしゃって、場内は和やかな雰囲気になったのですが、きよしさんはそんなふうに、ご自身の思いや言葉が、ファンからまたファンへ、心ある方からまた心ある方へと伝わっていくのだと思っていらっしゃる様子ですものね。
私自身もまた、きよしさんの応援をさせていただく中で、ああ、本当なんだ、伝わるのだと思わせていただいてきたのです。
ありがたいことです。
 
「最初ファンクラブは10人の方が集まってくださってスタートしました。
10人が100人、100人が1000人、1000人が1万人、1万人が2万人(現在の会員数は多少の欠番があるとしても60000人くらいでしょうか)と、こうして多くの方に応援していただけるなんて、夢のようです」
初めて単独コンサートを開催した中野サンプラザは歌手・氷川きよしの原点。その舞台に立って、感慨深く思われたのでしょうか。
そのようなことをお話しされたのです。
そして、
「心はつながっています。離れてもいても距離なんか関係ないんです」
そんなふうにもおっしゃっていました。
 
今月23日にリリースされるアルバム「演歌名曲コレクション15~情熱のマリアッチ~」への思いをお話ししてくださり、「寒紅梅」はきよしさんご自身の中にわきあがった言葉がモノローグとして入るそうで、そのナレーションを披露してくださり、そしてアカペラで歌ってくださったのです。
”一人じゃない”というきよしさんの熱い思いに、じんときてしまいました。
岡山にコンサートでいらしていた時に朝ジョギングをしていて、思い立って、ディレクターさんに電話をかけて、アルバムの内容について感じていること、迷っていることなどお話しされたのだそうです。
朝8時過ぎのこと。お隣には西寄さんがいらしたそうです。
”もっとこんな思いををのせた歌を作ってほしい。自分の今の心を表現したい。伝えたい”
そのようなことを話しているうちに、泣いてしまったそうです。
きよしさんの熱い思いを受けてディレクターさんはもちろん、作詩・作曲の先生方にも思いを伝えさせていただいたのでしょう。
アルバムには制作に携わったすべての皆さまの真心と愛が込められているのでしょうね。

終演後に西寄さんがマイクでお話しされていたら、突然きよしさんが!
「皆さん、今日はありがとうございました。お気をつけてお帰りください。どうぞお元気で、お元気でいらしてくださいね。お元気で。お元気で!」
まさかきよしさんがお話されるとは思っていませんので、すぐには気付かない方も多々おられ、
あれ? きよしさん?
”もう、出てきてくれればいいのにねー”
とどなたかがおっしゃると、
”そうよねー”
と皆で顔を見合わせてうなずき合いました。
ほんと、家族みたいですねっ。
 

2011年の思い出もこうして読み返してみると、色鮮やかに記憶がよみがえってきて...。あらためてこのコンサートのDVDを見たくなりますね。



今宵、あなたとテキーラ? MAYAKOTTOのライブにいってきました。

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「今宵、あなたとテキーラ?」
みつめていると吸い込まれそう...。

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このきれいなピンク色のカクテルは”マリア・テレサ”。
テキーラをベースにライムジュースとクランベリージュースを加えてあります。
”テキーラ”といえば、「愛しのテキーロ」を唄うきよしさんのことがうかんできてしまいますね。


昨夜は MAYACOTTO(マヤコット)のライブを聴きに四谷三丁目のメビウスにいってきました。
以前、まほろ座でのライブにうかがって、またぜひと思っていたのです。
前回同様仲良し3人での参加でしたので、早めに待ち合わせてお茶してからうかがったのですが、もう~、”ねずみ小僧、プレイバック!”状態になっておりました(嬉)。
あまりにも魅力的だった”きよし・ねずみ小僧”に、また逢いたくなってしまった3人でした。
そういえば、千穐楽できよしさんが、”ねずみ小僧はずっと皆”さんのことを見守っている”といってくださっていたことが思いだされて...。

なんだかこの気持ち、うまくいえないのですが、
”ねずみ小僧”でないきよしさんに逢うことを想像したら、ドキドキしてきたのです。
だって、ねずみ小僧は”氷川きよし”のなかに息づいているんですものね。

と、まさに”ねずみ小僧ロス”状態のわたし、話が脱線してしまってごめんなさい。


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MAYAKOTTO(マヤコット)は、矢島眞さんが率いるバンドで、
コンサートできよしさんを演奏でサポートしてくださっているHKピュアリバ―のメンバーである柿沼寿枝さんがパーカッション&ボーカルとして参加されています。
ハワイアンと矢島さんのオリジナル曲を聴かせてくださいましたが、この日はギタリストの方が骨折されてお休みとのおしらせがありました。
まだ腰が完治していないわたしには、いっそう他人事とは思えなかったです。

だから”本日の出演者”のシートは一部折りたたんであったのですね。
ちなみにマヤコットさんのスペルは、”MAYAKOTTO”ですが、もしやギターの方がいらっしゃらないので、この日は”MAYACOTTO”に?

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下記の動画は、まほろ座でのものですが、楽しい雰囲気がつたわるのではないかと思い、アップしますね。



ハワイアンの音色に癒されて、腰の痛みがさらに軽くなっていくような気持ちになりました。
密な空間で、たっぷりと音楽を堪能させていただいていたら、この日はお客様としていらしていたフラダンサーの方が、すぐ目の前で数曲踊ってくださって、わたしはその黒髪と指先の美しさにうっとりとしたのです。


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矢島さんに、”女王様”なんて紹介された柿沼さんはボーカルにパーカッションに大活躍。
その歌声に花々に囲まれているような幸せな思いにさせていただいて...。
ある曲では胸が痛くなるようなせつなさでいっぱいになったのです。

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※アルバム 「MAYAKOTTO BEST」

矢島さんのウクレレのお弟子さんもいらしていて、おなじみの曲でのかけ声もキマッていました。
最後の曲では皆で手をつないで心をひとつにして...。
楽しい夜をすごさせていただいたのです。

駅で一緒になった方たちに、”ウクレレ、一緒に習いませんか?”なんて嬉しいお誘いまでいただきましたが、ウクレレはもちろん、いつかフラを踊ってみたいです。
そのころには、きよしさんが、ハワイアンソングをオリジナルでつくってくださっているでしょうか。


※明日はいよいよ机がとどきます。
すでに今までの机はひきとっていただいて机なしの今、実はワゴンにPCを仮置きして、クッションをしいた踏み台にすわってキーボードをうっているので、そろそろお尻が痛くなってきました(笑)。


きよしさんが「第49回 思い出のメロディー」の司会に! 有働さん、よろしくお願いいたします(喜)。

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今、NHKホールに向かっています。
お昼前に届いた郵便物に、゛第49回 思い出のメロディー゛の当選ハガキが
ありました(嬉)。
応募総数が3万8千通を超えていたそうで、よかった~と安堵し、あらためてきよしさんはきっと出演!
でもどの曲を?
なんて思ったらドキドキしてきたのです。

でもそのドキドキを遥かに超えるニュースが届きました!

なんと、なんと、きよしさんが司会をつとめられるのですね。
それも、有働由美子さんと(喜)。

http://www4.nhk.or.jp/omoide/

これからホールで心いっぱいの応援をしてまいります。

「悪いヤツ、”悪きよし”ですね」ときよしさん(笑)。終演後は”あの歌”を唄ってくださいました。

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昨夜の「うたコン」、ご覧になりましたか?
テーマは”暑さ吹き飛ぶ! 愛と人情名曲集”ということで、オープニングは”股旅もの”のお芝居”でしたね。
きよしさんは、里見浩太朗さんと島津亜矢さんと共演され、事情があっての”悪役”に挑戦。
ダークサイドな魅力を漂わせつつ、結局は悪に徹しきれない”氷川のきよし”を人情味いっぱいに演じてくださっていました。
そして「大利根無情」の突きぬける高音の爽快な響きと、味わいの増すこぶしまわしに聴き惚れたのです。

個人的にとても期待していた「旅笠道中」は里見さんが唱いだされたので、きよしさんの歌唱ではないんだなあと思いつつ、きよしさんをみると、マイクを使わずに一緒に唄っておられたので、そのことだけで満足しておりました。
ところが、2コーラスめでは島津さんも加わって3人で唄ってくださるという嬉しすぎる展開に、わたしは大感激したのです。

亜矢さん演じる”亜矢姫さま”と兄弟であることがわかったあとの、きよしさんと島津さんの笑いをこらえての演技も最高(笑)。
大好きだった「ごきげん歌謡笑劇団」を思いださずにはいられませんでした。
「新・BS日本のうた」でもお芝居仕立ての回がありますが、時代劇を身近なものに感じさせてくださる好企画ですよね。ぜひ、第2弾を期待したいと思います。

そういえば、お芝居のなかに、「大井追っかけ音次郎」、「ちょいときまぐれ渡り鳥」、「箱根八里の半次郎」と、きよしさんのヒット曲名が飛びだしましたね(嬉)。
そのことも嬉しいことでしたが、里見さんが「ちょいときまぐれ渡り鳥」とおっしゃったとき、きよしさんが恐縮されて思わず里見さげておられる様子に、じんときてしまいました。
それにしても、どうしていつもそんなふうに素敵な振る舞いがごく自然にできるのかしら? とあらためてきよしさんの心映えそのもののようなその振る舞いを美しいと感じたのです。


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※NHKで会見をされたそうですね。

そう、”振る舞い”という言葉をここで使ったのは、番組の後半、フォーマル感あふれる黒の三つ揃いのスーツに着替えられたきよしさんが「第49回 思い出のメロディー」の司会者として有働さんとともに登場され、そのときに、司会者として”大人の振る舞い”ができたらとおっしゃっていたから。
先の記事にも書きましたが、”夏の紅白歌合戦”ともいわれる番組の司会をつとめらるなんて、ファンとして嬉しく誇らしい思いでいっぱいです。
8月5日午後7時30分から生放送! 
楽しみですね。

こちらの記事が会見の詳細がわかりやすいかなと思います。
よろしければチェックしてみてくださいませ。


番組のラストはエレファントカシマシの「風と共に」。
素敵な歌、そして感動的な歌唱でしたね。
放送終了後、あらためて出演者の皆さんがステージに並ばれると、大きな拍手がおこりました。
そして司会者の谷原章介さんと小郷知子アナウンサーがおひとりずつ紹介されながらお見送りをされ、きよしさんはここではトップバッターでした。

終演後は”歌の”プレゼントコーナー”。
ここでのトップバッターは島津亜矢さん。「心」を唄ってくださいました。
子供の頃から、時代劇を見て、里見さんに憧れていたそうで、そんな里見さんと同じステージに立っていることが、夢のようで信じられず、ぽかんとしてしまったのだそうです。
23日に放送される「新・BS日本のうた」は、”永久保存版! 亜矢の2番勝負第2弾”で、亜矢さんの歌唱を堪能したい方はお見逃しなく。

そしておふたり目は羽山みずきさん。
番組では、「旅の夜風」を中澤卓也さんと唄っておられましたが、映画をみてイメージを広げるなど準備をされて臨んだ成果でしょうか。中澤さんを見つめていたらドキドキしてしまったのだそうです。
そんな羽山さんに、谷原さんが、”うん、うん”と愛しそうに相づちをうたれていました。
羽山さんは、「雪んこ風唄」を歌唱されたのですが、”雪んこ”って子供の姿をした雪の精のことなのだそうです。
ロマンチックですね。

さあ、そして羽山さんをお見送りして、場内の照明がおちると、どこからともなく、”きよしく~ん!”という声、声、声。
「なんですか? まだ何もいってませんよ」
とおっしゃる谷原さんにうなずく小郷さん(笑)。
その言葉を合図に(?)、一気にペンライトがまたたいたので、
「それでは皆さんで呼んでいただけますか」
と。
今思いかえしても、音頭をとったわけではなかったような気がするのですが、でも音頭をとっていただいたとしか思えないほど一糸乱れずに、きよしさんの名前を呼んだのでした(笑)。

きよしさんは、「第49回 思い出のメロディー」の紹介をされるためにお召し替えされた黒のスーツでの登場でした。
そういえば、きよしさんが番組のなかでこのあの黒のスーツ着替えて待機席に着席されたとき、その後、「第49回 思い出のメロディー」の番宣をされるとは思っていなかったので、もしかしたら「碧し」を唄ってくださるのかしら? と勝手な期待をしてしまったのです。

谷原さんは、オープニングの股旅もののお芝居を話題にされ、
「子分を引き連れた悪いヤツでしたね。氷川さんもああいうダークサイドな役もできるのですね」
と、そこは役者さんの目線でほめてくださったのです。
きよしさんは、「”悪きよし”ですね」とおっしゃると、
「先月は1か月公演をしていまして。ねずみ小僧を演らせていただいたんです。
ねずも小僧って、”チャッ、チャッ、チャッて早いんですよ。
でも初めてのことを経験させていただくと勉強になりますから、とにかく一生懸命やらせていただくことが大事だなって思いました」
と座長公演を振り返られました。

話題が「第49回 思い出のメロディー」の司会のことになると、
「お話をいただいた時は、僕でいいのかなって思いました」
ときよしさんはおっしゃったのです。
そんなきよしさんに、”そんな謙遜されて”というリアクションの谷原さんと小郷さんでしたが、ここで谷原さんが
「昨年の司会は萩本欽一さんですよ」
とおっしゃると、
「プレッシャーかけないでください」
ときよしさん(笑)。

歌手の皆さんが歌いやすいように、そのために歌唱曲や歌手の皆さんのことをしっかり勉強して準備しておき、時には自分を抑えて、司会者に徹しようと考えていることをお話しくださったのです。
谷原さんが、優等生的決意のきよしさんに、ソツがないだけでなく、そこに”抜け”のようなものがあってもよいのではないかというようなことをおっしゃると、
きよしさんは、力強く”だすから!”とおっしゃって(笑)。
”ですから”といいなおしてそこは有働さんがフォローしてくださるはずと言葉にされてから、
「がんばります」
と結ばれたのでした。

さあ、そこで唄ってくださったのは、もちろんあの曲!
そう、「男の絶唱」でした。
スーツ姿で歌唱される「男の絶唱」に、ひたすらに惹きこまれたのです。


終演後はお友達のサポートのおかげで、出待ちもさせていただくことができました。
きよしさんはVネックの白いTシャツをお召しになって、うちわを振っておられたでしょうか。
その優しい笑顔ばかりをみつめていたので、細部を見る余裕がなかったわたしです(汗)。

明日は川口総合文化センター リリアでコンサート(昼夜2回公演)ですね。
わたしは夜の部に参加させていただきます。

”コンサーツアー再開”ということで、どんな構成になっているのでしょう?
歌唱は、今夜の「男の絶唱」を聴かせていただいて、明日、”氷川節”を堪能させていただけることが楽しみで、嬉しくって、わくわくもドキドキも加速するばかり。

もう、わたし、どうしましょ?


”氷川きよし コンサートツアー2017” 後半戦が川口からスタート! 愛あふれる歌声とトーク、そしてキレッキレのダンスに大感動でした。

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「名残惜しいのですが、次の曲でお別れとなりました」
きよしさんがそうおっしゃると、
”えええ~!!!”
と客席から名残りを惜しむ大きな声があがったのです。
すると、きよしさんが、ちょっぴりはにかんで、
「おなか、すいたでしょ?」
と、客席にむかって優しくおっしゃったものですから、その一言にこころがほっこりとして、なんだかなにも言葉が出なくなってしまいました。

「これから新曲の『男の絶唱』を唄います。
年末までこの曲でがんばっていきます。
年末のいろいろなテレビ番組に出られるのかなあと思ったりすることもありますが、
真面目にやっていくのがいちばんですね」
きよしさんは、そんなこころの内を言葉にされ、さらにプライベートでも、やっぱり自分らしく真面目にやっていきたいということをおっしゃろうとして、思いに言葉が追いつかなくなって、
「日々の生活もね、真面目にいきたいですね。
あれがあれして...あれなんですけどね」
と笑顔でおっしゃたきよしさん。
”あれ”がつたわるって思って安心しきっておっしゃってくださっているのですよね?
わたしが知る限りでは過去最多の”あれ”を連発されたきよしさんが愛しくなってしまったわたしでしたが、そこでさらに、
「ね~、あれしてね」
と大真面目な面持ちで言葉を継がれたので、もう、さらにさらに、こころとろけておりました。

きよしさんはそこで、うって変わって、太く雄々しい声で、”「男の絶唱」!”とタイトルコールをされて、「男の絶唱」をフルコーラス唄ってくださったのです。
下手で1番を唄われ、上手に移動して2番を歌唱されていたきよしさん、歌声が途切れることはありませんでしたが、間奏で絶句され、歌唱の部分ではこころを奮い立たせ、声をふりしぼって唄われたました。
”氷川きよしの絶唱”に、胸が熱くなり、センターでの3番を歌うきよしさんの歌声をひたるようにして聴き、きよしさんのまなざしの奥のこころをみつめて...。
ただ、ただ、感動しておりました。


昨日、川口総合文化センターリリア 大ホールで開催されたコンサートの夜の部に参加させていただきました。
この日は、”氷川きよしコンサートツアー2017 ~日本全国 歌の渡り鳥2~」の後半戦のスタートということで、きよしさんの歌声は唄うほどに情熱があふれ、トークはノンストップ!、そしてキレッキレのダンスに客席はどよめいたのです。

冒頭にラストトークを書かせていただきましたが、このトークの前にこんなこころの内をお話ししてくださっていたのです。
「おかげさまでデビューして18年目になりました。
ありがとうございます。
といっても、まだまだ修業の身、駆け出し者です」
きよしさんはそこまでおっしゃると、宙を仰ぎ見るような仕草をされてから
「そりゃあ、正直、ああ~大変だなって思う時、多々あります...。
正直...、多々! あります。
でも、皆さんのお顔を見ると、笑顔を見ると、がんばらなくちゃという思いになって、今日まで唄ってくることができました。
年末まで歩みをとめずにまいります」

と、そんな思いを語られたあと、来場のご挨拶をされ、冒頭のトークへと展開していったのでした。

最初にセットリスト、衣裳ですが、また次の記事であらためて書きますが、前半と大きくは変わっていません。
6月3日にリリースされた「新・演歌名曲コレクション5-男の絶唱-」に収録されている曲をいれてくださり、
”みれんシリーズ”を歌唱されたあと、ニューアルバムのオリジナル曲から、
「恋の瀬戸内」と「きよしのスイスイマドロスさん」を唄ってくださったのですが、入念な振りとかけ声の練習を、”きよし先生”がレクチャーにして”くださり、もりあがりました。
また、”ふれあいコーナー”のあとに歌唱された曲は「ふるさと」でした。
そして、コンサートの終盤、紫の着物と文様の入った白袴で登場されて1曲めに歌唱されてきた「おとこの詩」にかわって、「博多祇園山笠」を唄ってくださいました。

きよしさんのトークも絶好調!
司会の西寄ひがしさんが、
「コンサート久しぶりですから、いろいろお話ししたいことがあるんですね」
と、思わず本音トークになるほどでした。

そして、「ラジオ深夜便のうた」のインフォメーションの際、
”唄って~”の大合唱に、
「今日は注文が多いですね(笑)」
なんておっしゃりながらも、アカペラで唄ってくださったのです。

前日に生出演された「うたコン」の話題になると、当日リハーサルで、3人でお稽古されて本番に臨まれたということでした。
そして、番組でも紹介されましたが、「第49回  思い出のメロディー」の司会者をつとめられることを西寄さんがインフォメーションしてくださると、
「『第49回 思い出のメロディー』、司会をつとめます氷川きよしです」
と、見事な司会者トークを披露してくださったのです。

そして、
「楽しみたいです」
とおっしゃると、もうひとりの司会者である有働由美子アナウンサーが、お忙しいなか、明治座での公演ににお越しくださったことをお話しされたのです。
西寄さんが、
「もう一度、タイトルコールをお願いできますか」
とうながしてくださったので、
きよしさんは、ますますとおるお声で、颯爽とタイトルコールをされ、
「それでは唄っていただきましょう。山本リンダさん、『狙い撃ち』です!」と曲紹介まで(笑)。
余裕のきよしさんと思いきや、
「当日、観覧に来る方?」
と挙手を求められ、客席を見渡しながら、
「僕、勝手にファンの皆さんのことを家族と思わせていただいていて。
だから、応援に来てくださっていると安心してがんぱれるんです。
嬉しいんです」
と、そこまでおっしゃると、
「だから、来てよ~」
と。
もう、本年ポロポロ状態のきよしさんでした(笑)。
客席からクスクス笑いがきこえてくると、
きよしさんは、
「来てよ~」
ともう一度。
もう、そんなにいわなくっても行きますってば!
それに、全国のファンがテレビの前で応援してますよ!
ね、皆さま。

そして西寄さんが、阿久悠さんの特集コーナーもあるとの話題をされると、
「僕にもあるんです」
と、阿久先生に「でんでん虫」を書いていただいたことを、自慢気におっしゃられたきよしさんでした。
そして、突然の客席からのリクエストに、出だしを唄ってくださいました(嬉)。

と、きよしさんがパンツのウエストを引き上げたので、場内に笑いがこぼれたのです。
すると、
「少しやせたんですよ。
今はおなかに線が入ってます。
こういう時に脱ぎたいですよね。
明治座の時は肥えてましたから」
と(笑)。
西寄さんはきよしさんのおなかをご覧になったそうで、
「縦に線が入ってるんですよ」
とおっしゃったのです。

わあ、そのうち見せてくだるのでしょうか?
なんて、期待したりして(喜)。


※ここでいったんアップして、ふれあいコーナーやあらためてのセットリストは、今夜書きますね。
わたし、きよしさんの歌のパワーをいただいて、力みなぎっています。
今日は終日、仕事、がんばってまいります。

ジャンプビクトリーカーニバル2017 in 幕張メッセに来ています。

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ジャンプビクトリーカーニバル2017 in
幕張メッセに来ています。

きよしさんが、゛ドラゴンボール スペシャルライブ゛をおこなうジャンプ スーパートレジャーステージの長イスに座っています。

入場時にパスポートおみやげをいただいて、スタッフのみなさんに、
゛いってらっしゃいませ!゛と送り出していただきました。

こちらはパスポート!
会場内では首にかけることに。

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きよしさんのステージは14時40分から。
なんだかドキドキしますね。

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他の方のステージやイベントを楽しんでいます。

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それでは今夜また!

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もう、きよしさんのハート泥棒! ”ジャンプビクトリーカーニバル2017”での初ライブで、その歌唱にクラクラッ! 最高でした。

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"♪yeah~ u-whoo wow wow wow wow"
えっ、どこからそんな声が?
あまりにも美しく、カーン!と突きぬけるようなきよしさんの発する高音の烈しい響きにドキッとさせられ、そして一瞬にしてこころうばわれて...。

「限界突破×サバイバー」のフルサイズバージョンで、2コーラス目を唄いおえたところでだったでしょうか?
きよしさんがひときわ大きく呼吸されたので、いっそう惹きこまれてきよしさんの一声をまった直後のことでした。

からだの力がぬけて、こころもからだもしびれてしまって。
そしててハートを...。
もう、きよしさんのハート泥棒!

きよしさんは唄いおえると、
「ふーっ、緊張したっ!
疲れた~!」
と(笑)。

昨日、幕張メッセでおこなわれた「ジャンプビクトリーカーニバル2017」にいってまいりました。
”ジャンプスーパートレジャーステージ”で、きよしさんが゛ドラゴンボール スペシャルライブ゛を開催されたので、初体験ながら参加させていただいたのです。

階上の出口付近からみた会場には、13時現在、こんなにたくさんの人! 赤い丸で囲んだ付近に”ジャンプスーパートレジャーステージ”がありました。雑誌を購入して応募する招待制で、東京会場(幕張メッセ)と、大阪会場(29日にインテックス大阪で開催)、抽選で各1万6千500人ずつ+7月に入ってからのWeb応募による招待者が集まる大イベントなので、どんなふうになるのか想像もつきませんでした。

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ステージでは10時からゲームイベントがスタートしていったのですが、きよしさんのライブの時間が近づくにつれて、長イスは満席で、ステージコーナーを仕切るサークルの周囲には何重ものの人垣ができていました。

ちなみに午前中のイベント中はこんな感じでした。

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観覧の長イスですがセンター5列目くらいまでの前方席は子どもさんと引率父兄の方の優先エリアになっていましたが、イスとイスの間のスペースがゆったりしていたので、とても見やすかったです。

定刻まぎわにになると、
女性MCの方から、事前に、”イス席の人は立たずに、また応援グッズは胸の高さでお願いします”という簡単なお願いがあり、
いよいよきよしさんが登場されました。

どんな衣装で登場されるのかしら? とかなり期待していたのですが、
白のVネックのTシャツに黒のレザーテイストのライダースベスト、膝小僧が見える黒のショートパンツ(コットン)、素足に黒のデッキシューズという出で立ちで期待を遥かに超えて、もう最高に素敵!
髪も黒髪で、角度によって、「一剣」のころのアンシンメトリーな髪型をを彷彿させるスッキリとしたスタイルでした。

きよしさんは、オープニングのご挨拶がわりに、「限界突破×サバイバー」(テレビサイズ)を歌唱されると、前列に多数集まってくれた子供達に、
「僕も子供の頃があったんだよ。
みんな、悟空のように面白いことをいって笑わせたり、強いこころをもっていってね」
と話しかけながら、
汗がとまらなかったようで、そのときマイクをもっていなかった左手の汗をパンツにあてておさえておられたのです。


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「僕、何気なく緊張してるんです。
もう、緊張して口の中がパサパサです(笑)」
とおっしゃると、MCの方が「少年ジャンプ」の話題をなげかけてくださったので、
「子供のころからジャンプを父ととり合いになりながら読んでいたので、『ドラゴンボール』の主題歌のお話をいただいたときはすごくうれしかったです」
とお話しされました。
そして「ドラゴンボールZ」の最初のオープニングテーマ曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」が大好きで唄っておられたことから、
「今日は唄います。皆さんも一緒に唄ってください!」
と客席に語りかけると、
「CHA-LA HEAD-CHA-LA」を唄ってくださったのです。
きよしさんと客席が一体になっておおいに盛り上あがりました(嬉)。

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そして、「きよしのズンドコ節」を唄ってくださったのですが、唄われる前に、”ぜひかけ声をかけてください”とおっしゃっていたので、皆、はりきっての”きよしコール”。
他のイベントスペースには、どんなふうに”きよしコール”が響いたのか、抜け出してきいてみたい思いになったわたしでした。


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ここで、多くの皆さまがこの日、期待していたのではないかと思うのですが、
「限界突破×サバイバー」のフルサイズバージョンの配信が決定(近日中ということです)したことおMCの方がおしらせくださり、本邦初披露となりました。

前列の方が”CDは出ないの?”とおたずねになったようで、
「CDはないんですよ」
ときよしさんがお答えになると、”CD欲しい~”の多数の声が(喜)。
きよしさんは客席の熱い反応に、
「みんなにそんなに思っていただいているんだったら、CDあれしたいですね」
と(笑)。
そしていよいよ歌唱に臨まれるそのとき、
「もし間違えたら、もう1回唄わせてください」
と前置きされると、イントロにあわせてその全身で激しくリズムを刻まれると、唄い出されたのでした。

と、ここでこの記事の冒頭へとつながっていきます。

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唄いおえると、
「ふーっ、緊張したっ!
疲れた~!」
と、その歌唱にきよしさんご自身も満足されて(わたしは感動のあまりふぬけになっておりました・汗)いるように感じられたのです。

大きな拍手が起こると、
「皆さん、最高です!
またこういう機会があったら楽しみましょう!」

とここで、後方スクリーンに「男の絶唱」のジャケ写が映しだされ、今この曲でがんばっていることをMCの方が紹介してくださいました。

きよしさんは”ありがとうございます”と一礼されると、あらためて、
「このようなイベントへの参加は初めてだったので、本当は皆さんをもっと盛りあげるようなことができたらよかったのですが、自分のことで精一杯ですみませんでした」
と、おっしゃったのです。
もう、きよしさんたら、歌でこれだけ盛りあげてくださったのに、それ以上をご自身が求めておられるのですね。

終演後、皆の目はハート、ハート、ハート!
素敵な出で立ちと、その出で立ちの何倍も素敵な歌唱にこころとろけていたのです。

来週は大阪ですね!

※きよしさんのライブ中は撮影不可でしたので、一般人公開画像をアップしています。
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昨夜は家族のお誕生日会でしたので、レストランで食事をして、帰宅して写真の整理をしていたら、平尾昌晃先生の訃報がとどきました。
いつもお元気な様子でしたので、すぐには平尾先生のことだと思えなかったのです。
歌手をめざして、高校時代に先生のスクールのテストをうけ合格したもののレッスンに通うことは諸事情でかなわなかったそうですが、思えばその時から先生とのご縁が細く長くつづいていて...。
”氷川きよし”という歌手になってから、「櫻」、そして「出発」という素晴らしい作品をつくっていただきました。
そして、その作品づくりのなかでもきよしさんのこころにのこるアドバイスをくださったこと、のちにきよしさんがお話しされていましたが、同じ番組に出演されたときには、いつも、きよしさんをただただ笑顔でみつめてくださっていたことが思いだされます。
ご自身のヒット曲「ミヨちゃん」を、”氷川君にぜひ唄ってほしい”と、きよしさんをご指名くださったこともありましたね。

先生への感謝の思いがあらためて深まります。
平尾先生のご冥福をお祈りいたします。



※以下は余談というか、この2日間のわたしの近況のようなものを少し書かせてくださいね。

前日は早朝からある新聞社につめて仕事して、その足で世田谷パブリックシアターに野村萬斎さんの「子午線の祀りを観にいってきました。
そのお芝居のためにオフにしていたところ、仕事の依頼をいただいたので、夕方までならとおうけしたのですが、5時には終わらず、劇場にギリギリの入場となったのですが、いってみて上演時間が休憩をいれて4時間時間弱としったのです。
期待をはるかに超える素晴らしい舞台でしたが、帰宅したのは日付が変わる5分前。
そのまま諸々準備をして眠り、幕張メッセへと向かったのでした。

昨日は母と甥っ子とそのお母さん(義妹)のお誕生日会でした。
ある駅からレストランまでタクシーで15分ほどなのですが、その近隣地区の夏のイベントの影響で40分強タクシー待ちをすることに(汗)。
幕張メッセまでの行き来をなんとかクリアできたのですが、最後の最後が難関でした。
まだ大通りに出てタクシーを探すことは難しかったので、家族に連絡してひたすら待って、20分ほど遅れたものの、無事に参加できたのです。
待っているとき、正直、厳しかったのですが、でも、10日ほど前だったら長時間手すりに寄りかかって立っているなんてとても無理だったので、どこかで少しやすんでレストランをあきらめて家に直帰せざるをえなかったかもしれないなあと、タクシーを待ちながら自分の回復ぶりを実感していたのです。
まあ、そんな状態だったら、幕張メッセにいかれなかったかもしれませんね(笑)。



今日は西寄ひがしさんのトークライブにいってまいります。

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おはようございます。
おかげさまであわただしい日々が戻ってきて、仕事であたふたしておりました。

今日は、浅草の木馬亭で開催される西寄ひがしさんのトークライブにいってまいります。
今回はなんと Vol.5!
チケットは昼夜とも完売になりましたが、当日券がですそうですね。

わたしは前回の明治安田生命ホールでのトークライブは、年に一度、ゴールデンウィークに集まる用事と重なってしまい、遅れての参加になってしまったのですが、今回は昨夜まで仕事をがんばって、今日は終日オフにすることができました(嬉)。
今日は雑事を忘れ去り、こころゆくまで楽しませていただきたいと思っています。


そして、この日までに19日の川口でのコンサートの”ふれあいコーナー”のご報告を書きたいと思っていたのですが、書けないままでごめんなさい。
セットリストと衣装はまとめておりましたので、先にアップしますね。

今夜はトークライブのご報告をさせていただいて、明日以降、楽しかった川口でのコンサートの゛トーク゛を中心にした記事を書かせてくださいね。

では、以下は先日のセットリストです。
”氷川きよしコンサートツアー2017 ~日本全国 歌の渡り鳥2~」 
於・川口総合文化センターリリア 大ホール(7月19日 夜の部)

◆オープニング
衣装はスカイブルーに日本地図があしらわれた着流し
「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」
~オープニングトーク~
「東京五輪音頭」
「東京音頭」

◆衣装は白地に黒でボタニカル調模様が描かれたフロックコート(ロング丈のジャケット)に黒のサテンのパンツ、靴は黒のエナメルです。
~みれんシリーズ~
「みれん心」
「しぐれの港」
「最後と決めた女だから」

~昭和の名曲コーナー~
「なみだ船」
「アンコ椿は恋の花」
「ハイそれまでヨ」
「三百六十五歩のマーチ」

~ニューアルバム「新・演歌名曲コレクション5-男の絶唱-」から~
「きよしのスイスイマドロスさん」
「恋の瀬戸内」

~ふれあいコーナー~
「ふるさと」

◆衣装を総ヒョウ柄のスーツにチェンジ(リズム歌謡の”スターリリーズ”)
「ときめきのルンバ」
「虹色のバイヨン」
「情熱のマリアッチ」

◆衣装は紫に文様の入った白袴
「博多祇園山笠」
「箱根八里の半次郎」
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
~ラストトーク~
「男の絶唱」
「白雲の城」

◆衣装は羽根飾りのついた真紅の衣装にロングマント
~アンコール~
「イヨマンテの夜」
*深紅の衣装を引き抜いてゴールドの衣装に早変わり
「きよしのソーラン節」
「きよしのズンドコ節」

以上24曲になりますでしょうか。
”みれんシリーズ”から”ふるさと”まで、衣裳替えはなく、きよしさんはステージに出ずっぱりでした。
合間にトークをされ、「でんでん虫」や「碧し」のアカペラ歌唱も飛び出して、歌とトークで休みなく盛りあげてくださったのです。


※それではまた今夜お逢いできますように!
都内は雨模様ですが、お昼前にはやむという予報です(喜)。


”人は縁、出会いは人生の宝” 「西寄ひがしトークライブVol.5」は大盛況でした。

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皆さま、こんばんは。
日付が変わっての更新です。

昨日、浅草・木馬亭で開催された「西寄ひがしトークライブ Vol.5」にいってまいりました。
番外編を入れると7回め。大阪での開催を含めると8回めということになるでしょうか。

入口をはいってすぐのところに、徳光和夫さんからのお花が飾られていました。

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※バックのポスターは永井龍雲さん。
意識せずに写っていたのですが、
jこちらで8月25~27日の3days公演を開催されるそうです。


徳光さんは、5月に明治安田生命ホールで開催されたライブにお越しくださいましたし、西寄さんをご自身のラジオ番組に招いてくださるなど、西寄さんに期待を寄せて下さり、応援してくださっていますね。

今回は昼夜さんかさせていただいたのですが、昼の部には宮本隆治さんがお越しくださっていて、オープニングで西寄さんはいつも以上に緊張されていたのだそうです。
もちろんみている私たちにはそのようなことは感じさせず、謂われてみれば今日はずいぶん額に汗をかかれているなあと感じたくらいで(笑)、そのノンストップトークにひきこまれていきました。

昼の部では、オーバーオールの裾をいい感じにロールアップさせ、赤いアロハシャツをお召しになり、靴もハイビスカス模様が描かれた赤いスリッポンと、気合がはいっていたのですが.どうも着にくかったようで、夜の部ではお召し替えされていました。
でも西寄さんのオーバーオール姿、”カワイイッ!”と好評だったのです。

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このメニューをもとに話はどんどん広がって加速して...。
「ええと、何の話(お題)でしたっけ?」
と客席におたずねになること、2度や3度ではおさまらず(笑)、
「もう2度くらい循環してやっと戻ってまいりました」
とおっしゃっていたのです。


この日は冒頭に、笑福亭鶴瓶師匠との素敵なエピソードをお話しくださり、エンディングでは、司会者の道をひらいてくださった森進一さん、゛氷川きよし゛の司会者に抜擢し、その成長を見守ってくださった長良じゅん会長への感謝の思いを語られました。


そして、あるドキュメンタリー番組で、森さんの付き人兼司会者として奮闘していた22歳の西寄さんの仕事ぶりを紹介したことがあったそうで、録画してあったものを編集して上映してくださったのです。

スラリとした細身の22歳の西寄さんはまだ少年のようでした。

その誠意ある熱心な仕事ぶりに、たくさんの出会い、そして人生の転機、チャンスがあったけれど、今の西寄さんがあるのは、日々の努力なんだなあと、わたしは思って、胸が熱くなりました。

早くお伝えしたかったので駆け足での更新ですがいったんアップしますね。
詳しくは次の記事で書きますね。

”すべては感謝! 出逢った人に感謝です” 心あたたまる西寄さんのトークにわたしもがんばるぞという思いにさせていただきました。 

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あれ? どこかで会ったことがあるような...。
舞台後方の壁に映し出された青年の顔をみてまずそう思ったのです。
スラリとしてまっすぐなまなざし...。
迫るテレビカメラにどこかしら伏し目がちな様子はデビュー当時のきよしさんを思わせるものでした。

それは「日曜ビッグスペシャル」(テレビ東京)という番組(「日曜ビッグバラエティ」の前身)の新人マネージャー(付き人)を特集したもので、その映像をみているうちに、その青年こそが22歳の西寄ひがしさんであることがわかりました。

7月26日に浅草・木馬亭でおこなわれた「西寄ひがしトークライブ Vol.5」で、立ちっぱなしのノンストップトークを繰り広げたあと、あらためて来場のお礼をおっしゃると、出会ったすべての人への感謝の思いを述べ、とりわけ司会者への道をきりひらき、見守り、育ててくださったふたりの恩人、森進一さん、所属事務所の長良じゅん会長へ、深い感謝を捧げたのです。

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VOL..1のときは1本だった深紅のバラが5本になっていました。
いずれはこのテーブルにおけないほどのバラを飾ることになるのでしょうね。


高校を卒業して大分から上京し音響会社に就職した西寄さんは、縁あって森進一さんの付き人になったのですが、年末の忘年会をいちばん新人の西寄さんがセッティングすることになり、そこで進行役もつとめるのですが、そこで森さんに、”面白い”とほめていただいたこと、これまでのトークライブでうかがっていました。
森さんは、それまで森さんのコンサートの司会をつとめていた綾小路きみまろさんに似た何かを西寄さんに感じるとまでいってくださり、”司会をしてみないか”と”いってくださったのです。
自分に司会という大役ができるだろうかと迷っていた西寄さんに、森さんは、
「将来マネージャーとしてやっていくにしても、歌手の気持ちがより理解できるようになるから」
と背中をおしてくださったということでした。

付き人を3年、司会者の仕事もさせていただいた時期が3年半。
森さんには6年半お世話になり、次第に森さんのコンサートと重ならないときに、他の司会を頼まれるようになり、そのなかで、きよしさんの”チャレンジステージ”の司会のお仕事をさせていただいたということでした。
きよしさんが全国コンサートツアーをおこなうにあたって、長良会長は、ベテランの司会者でなく、きよしさんと一緒に学んで成長していける年の近い司会者を求めていたことと、西寄さん自身も何か”氷川きよし”に運命ていきなものを感じたのでしょう。
すべてを長良会長がまとめてくださり、西寄さんは、”氷川きよし”のファーストコンサートツアーの専属司会者となったのだそうです。

西寄さんがいつもこころに思っているのは、
森さんの、
「間違えることは誰にだってある。
僕だっていまだにあるよ。
間違えたときには謝ることがだいじだ。すぐに謝ること。
それと、この世界では自分で決められることはなにひとつない。
すべてはお客様が決めてくださる。
自分でなにかをしようとした人はたいてい失敗してる」
という言葉。
そして、
長良会長の、
「見てるやつは見てる。小さいことは気にするな」
という言葉。

西寄さんはそのことをお話しされると、あらためて、
「すべてがつながって。
絹糸のように紡がれて、年齢を重ねていったときに、予想どおりの1枚の布になってきたなと思えるようにがんばっていきたいです。
すべては感謝!
出逢った皆さんに感謝です」
とトークライブを結ばれたのです。

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※このバッジ、かわいいでしょ!


「日曜ビッグスペシャル」の貴重な映像は、これまで西寄さんが保管されていたVHSテープをディスクにおとしての上映でしたが、司会と付き人を兼任される西寄さんの仕事ぶりを、”コマネズミのように”と評していて。
ほんとうに目のまわるような忙しさだったのですが、その仕事ぶりはみごとなものでした。
たとえば、森さんが真っ白なタキシードにお着換えされてから靴をはかれるとき、西寄さんが靴ベラを持って森さんは立ったまま靴をはいていたのですが、それには理由があって、かがんでパンツに皴ができてはいけないからなのだそうで、お客様には皴ひとつない美しい衣装をご覧いただくという心遣いだということでした。

そして、ある年、森さんが新宿コマ劇場で1か月公演をされるという時に、西寄さんは森さんに宿題をだされたそうです。
それは歌謡ショーの中盤で歌唱する「襟裳岬」の曲紹介を46公演すべて変えてほしいというもの。
それは大阪の梅田コマ劇場にも引き継がれて、毎夜、ホテルのメモ用紙に書いては、それを覚えて眠ったそうですが、中日(なかび)には困ってしまって、
”名曲中の名曲です。なにもいうことはございません”
とおっしゃったら、森さんに、それが”いちばんよかった”といわれた笑い話にされていましたが、ものすごい試練だったのだと思います。

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※チラシがこんなふうに五つ並ぶとカワイイですね!


森さんにお世話になった6年半、ご家族の皆さまとの思い出も少しお話しされていました。
奥様だった昌子さんにもとてもよくしていただいたそうで、
運転手担当の方と西寄さんに、””いつもパパのためにありがとう”とおっしゃって、春夏秋冬、シーズンごとにお洋服を一式プレゼントしてくださったのだそうです。
そして、いつでも出勤(出動)できるように、森さんのお宅の近くのアパートの住んでいたので、お子さんの幼稚園のお迎えをすることもあって、今やONE OK ROCK(ワン オクロック)のボーカルとして活躍しているタカこと森内貴寛さんは一番上の息子さんなのですが、その方ををよくお迎えにいって、帰る道々、悪いことばかりおしえてしまったそうで(笑)、
”誰からそんなことおそわったの?”
と昌子さんにいわれると、
”西のお兄ちゃん!”
なんてやりとりがよくあったということでした。

また森さんの座長公演に杉田かおるさんが出演された折、稽古のときから、
”西君てわたしの凄いタイプなの”
とおっしゃっていて、ある時、
”今夜ふたりだけで食事しない?”
と誘われたのだそうです。
そこは真面目な西寄さん、森さんに、”どうしたらいいでしょう?”と報告&相談すると、
”面白いよ、いってきなさい”とおっしゃり、さらに、
”俺たち、陰で見てるから”と(笑)。

それでお食事をご一緒して、鍋を楽しくいただいたのだそうですが、
後日、杉田さんがトーク番組に出演された折、西寄さんは大阪のホテルでご覧になっていて。
”どんなタイプが好きなんですか?””
と問われた杉田さんが、
「わたし、すっごい不細工な人が好きなんです。野生のゴリラのみたいな毛むくじゃらで...」
とおっしゃるのをきいて、西寄さんは大げさでなく、ショックのあまりベッドからころげおちてしまったそうです(笑)。

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※木馬亭の正面に飾られたポスターには直筆メッセージが。


メニューをもとに繰り広げられたトークは、西寄さんの語り口も大きな魅力なので、とても文字に表現しきれませんが、こころに残ったエピソードをここまで書きとめてみました。


昼夜ともオープニングで、笑福亭鶴瓶師匠の話題をされていました。
ファンになって、鶴瓶さんの落語やトークを聴きにいくようになって26年とおっしゃっていたので、上京して間もなくということになるでしょうか。
「思っていれば、願っていれば叶うんですね。
そのことを口に出していうことも大切ですね」
と前置きされ、先日、世田谷パブリックシアターでの鶴瓶さんのライブにうかがった際、おわって1階にあるプロントでアイスコーヒー(Lサイズと申告・笑)を飲んで、余韻にひたっていたら、鶴瓶さんのマネージャーさんが西寄さんに気づかれて、
”まだ鶴瓶いますから、会っていってください”
と声をかけてくださったのだそうです。
なぜマネージャーさんが西寄さんをご存じだったかのかは、皆さま、ピンときたのではないかと思うのですが、きよしさんが鶴瓶さんのラジオ番組に招かれた際、西寄さんを誘ってくださり、一緒に出演されたので、覚えていてくださったのです。

それでホールにもどると、ファンの方の列ができていて、サインをしたりご挨拶をされていたのですが、鶴瓶さんが、西寄さんに気づかれると、
”西寄か、待っとれよ”
と声をかけてくださり、みると、西寄さんが2日前に来場された折、鶴瓶さんにお手紙と共に贈ったスカーフをしてくださっていたのだそうです。
数日間公演があるので、西寄さんはできる限り通われていたのですね。
西寄さんは、マネージャーさんとお顔見知りになっても、”鶴瓶さんの一ファンでありたい”、そのことをだいじにしたいという思いから、小さなイスを持って当日券の列に並ぶ、そんな自分がまた好きなのだとお話しされていました。

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※先の記事にもアップしていますが、今回のメニュー表です。


鶴瓶さんはそのスカーフをとても気に入ってくださったそうで、手紙のこともふくめてあらためてお礼をおっしゃると、お食事にお誘いくださったそうです
銀座アスターにお連れ下さり、西寄さんはあがってしまってビールを6本(夜の部では10本と・笑)飲まれたということでした。
そして、”電話番号交換しよう!”と鶴瓶さんがおっしゃってくださり、交換されたそうです。
「だからといって私から電話をかけるなんてことありませんけれでも、嬉しかったです」
とおっしゃり、そこで、トークネタに転じたのです。

あるCMでお世話になっている方を、食事に誘われて、
”電話番号をおしえてあるでしょう。(今使っている番号とあっているかどうか)見せて”
というようなことを鶴瓶さんがおっしゃると、その方は携帯をみせることを固辞されたのでそうです。
それで、無理やり見ると、登録されてはいたのですが、"団子(ダンゴ)”と(笑)。
わけを聞くと、携帯をなくした時に、実名で登録していると迷惑がかかるといけないと教えられてそのようにしているということがわかるのですが、
”それにしてもなんで、”団子”なんだ”
と怒ったのだそうです(笑)。
でもそのことをお話しされると、鶴瓶さんは西寄さんに、
”ちゃんと”団子”って登録しておけよ”
といわれて、鶴瓶さんがじっと見ているので、その場では言われたとおり”団子”と入力し、あとで”師匠”と変えたということでした。

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※次回のトークライブが決定!


文末はきよしさんの話題を。
以前、鶴瓶さんが「笑っていいとも!」に出演されていたとき、アルタの近くにある角座で落語の勉強会のようなライブをされていたのですが、いきたかったのにチケットがどうしてもとれなくて、あきらめきれずにアルタ近くにいて、”今日は残念だったけど”という思いで角座に移動するためにアルタから出てきた鶴瓶さんをお見送りしていたのだそうです。
と、そのとき、きよしさんから着信。
”西さん、今なにしてますか?”
といわれて、
”(ある方の)成功をお祈りしています”
と答えると(笑)、
きよしさんは、お友達からそのイベントのチケットがとれたからと誘われて、西寄さんが大ファンだということをご存じなので、もう1枚なんとかならないかきいてもらったところ何とかとれたので、そのチケットを受けとるためにあと5分くらいで角座につくところだということをおっしゃったのだそうです。
一度はあきらめていたライブをみられることはもちろん、そのあまりに絶妙なイミングに、夢のようだと思ったそうです。

きよしさんの話題はごく自然にとびだしてきますが、
99歳のおばあちゃんが亡くなった日、西寄さんはきよしさんのツアーで秋田にいたそうです。
きよしさんはお堀の睡蓮を見るのがお好きだそうで、朝、一緒にお散歩されていたのですが、そのときに、
「西さんの99歳のおばあちゃんは元気ですか?」
ときよしさんがおたずねになったので、
「はい」
と西寄さんは答え、おばあちゃんのことを思いうかべたのですが、その日、亡くなられ、連絡がきた時に、きよしさんを通して、知らせてくれたと思われたということでした。


そして、その朝の散歩でのエピソードもこころにのこるものでした。
きよしさんのツアートラックをながめていた地元のおばあちゃまが、きよしさんに、
”氷川きよしが来ているんだね”
とおっしゃったそうです。
それで、きよしさんが、
「そうですね」
と答えて、さらに、
「僕、似てるでしょ?」
とおっしゃると、そのおばあちゃま、
”全然似てないっ!”
とおっしゃったのだそうです(笑)。

いつでもどこでもチャーミングで西寄さん思いのきよしさんですね。


今回、22歳の西寄さんの仕事ぶりや、森さんとのエピソードをうかがって、あらためて、西寄さんが、”氷川きよし”の司会者として、それまで構築したスタイルをリセットして”ゼロ”からオリジナルのスタイルを築かれてきたことを思い、胸が熱くなりました。


皆さま、それぞれの場でできること、がんばっていきたいですね。
西寄さんのおっしゃるとおり、
”思っていれば、願っていれば必ず叶う”と信じて。

わたしが思いだすのは、かつてお世話になった方が、
”思い続けること、願い続けることも才能だよ、結果はあとからついてくる”
といってくださったこと。

それではまたお逢いできますように!
明日はオフなので、新宿の沖縄フェスティバルにいってまいります。

”共に生きていきましょう!”と、きよしさんが書かれた言葉をみつめて、心のそこから深くうなずいたわたしでした。

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みなさま、こんばんは。
「第49回 思い出のメロディー」の番宣、ご覧になりましたか?
番組の合間にながれているようですが、わたしは今日、たまたま目にして、8月5日のきよしさんの司会がいっそう楽しみになってきています。

きよしさんは明日は長崎ブリックホールでコンサートを開催されますね。
今夜は長崎にいらっしゃるのでしょうか?
以前、そのホールにはうかがったことがあるのですが、「三味線旅がらす」をリリースしたころだったので、コンサートのなかで「心ころころ」を唄ってくださっていて...。
不思議なもので、ホール近くのとんぼ玉工房で購入した、ころころした”とんぼ玉”をみるたびに、そのときのことと、「心ころころ」を思い出すのです。
お友達のOさんが熊本で開催されるFCの”2ショット&握手会”に参加されるので、わたしまで今からドキドキしています。


さて、先週は嬉しいおしらせがたくさん届きましたね。
すでにご存じのことになるかとは思いますが、ブログには今日はじめて書きます。

最初の嬉しいおしらせは、
9月5日(きよしさんのバースデイブですね!)に、「男の絶唱」の新タイプ3種が発売決定!
カップリング曲とジャケット写真が異なる3タイプで、
Dタイプは「酒場のひとりごと」(作詩:かず翼/作曲:桧原さとし/編曲:石倉重信)
Eタイプは「芝浜恋女房」(作詩:朝倉翔/作曲:宮下健治・編曲:前田俊明)
Fタイプは「片恋のサルサ」(作詩・作曲:伊藤薫/編曲丸山雅仁)

「片恋のサルサ」ってどんな曲なのかしら? それも伊藤薫先生がつくってくださったなんて、わくわくしますし、
「芝浜恋女房」の詩は「御免」を書いてくださった朝倉翔先生ですね。
そちらも期待がふくらみますし、「酒場のひとりごと」はお酒が似合うお年頃のきよしさんの歌唱が楽しみ! 
といいつつ、「ねずみ小僧」での酔っぱらった治郎吉を思い出してしまったりして(笑)。

40歳のバースデーを目前にしてのリリースを心待ちにしつつ、「男の絶唱」で、きよしさんが年末に大きな大きな大輪の花を咲かせてくださることを願わずにはいられません。
皆さま、応援、がんばりましょう!

CDを”あれする”ことも大きな応援ですが、リクエストもきっときっと大きな力になりますね。
と、ここで
”文章を書くのが苦手なの~”と思われた皆さま。
ご自身がいただくメールやお手紙を思いおこしてくださいませ。
必ずしも美文のメールやお手紙がこころにのこっているわけではなく、拙かったり、ぶっきらぼらぼうでも、なにか心がつたわっ記憶にのこっているメールやお手紙あるので?
そう、自分の言葉で書くことがいちばん!
それぞれの場所から、皆でこころをひとつにして、きよしさんの応援をしていきたいですね。
皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。


そして、毎年、きよしさんとわたしたちファンにとっての12月のスペシャルイベントである”きよしこの夜”が、
12月13、14日の2日間、4公演開催と決定しましたね。
”Vol.17”という数字をみつめて、今年は17回目になるのだなあと感慨深い思いになりなした。
”氷川きよし”のその年の集大成と、新しい年、さらには未来への可能性を披露してくださってきたとうけとめて...。
きよしさんに出逢ってから、このコンサートで1年を振り返り、新たな年を夢みつつ迎えさせていただいてきました。
まさに”氷川きよし”の歴史を感じます。


29日に大阪インテックスで開催された「ジャンプ ビクトリーカーニバル」でのきよしさんのライブも大成功だったそうですね。
参加された堺のお友達から、開場前の熱気あふれる画像をいただいて...。
大阪に思いを馳せておりました。
Vジャンプのビクトリーさんのツイッターにこんなことが。
ブログにうめ込めなかったので、以下、アドレスとともにアップしますね。
#ジャンバル 大阪、これから最後のステージです!
東京も大阪も、氷川きよしさんが歌う『限界突破×サバイバー』、最高でした!
氷川さん、ありがとうございました!/ビクトリー
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いやん、素敵な笑顔...。
ステージでのシックなスーツ姿も、カジュアルな装いも素敵なんですもの。
もし、そのまなざしでみつめられたら、アイスクリームのようにとろけてしまいそうです。


さて、このブログのタイトルにさせていただいたのは、7月19日に川口総合文化センターリリア 大ホールでコンサートを開催されましたが、夜の部での”ふれあいコーナー”で当選された方の色紙に、きよしさんが書かれた言葉。
”共に生きていきましょう!”
というその言葉は、”ふれあいコーナー”で当選された方がいただいた色紙に書かれていたものでした。
”きよし 愛の劇場”で名演技できよしさんをも感動させた方に、終演後ロビーで遭遇したおり、色紙をみせてくださり、その言葉と、きよしさんらしい優しい筆致がこころにのこりました。

遅くなりましたが、”ふれあいコーナー”でこころののこったエピソードを書きとめておきたかったので、文末に。
おひとりめの当選者は1階席28列目の方。
地元の方で、ホールまで自転車で15分のところにお住まいで、きよしさんの歌唱を聴く前に、「旅の香り」での人柄に惚れてしまったそうです。
8月25日の神宮球場での始球式のことを書いてくださっていて、その話題になると、
「ピッチング練習のときはすごく楽しくて、”全然、楽勝!”って思っていたんですよ。
でも、本番になったら、いろんな悪いアレがわいてきて...。
見栄とか、よく見せようという気持ちがでてきたんですよ。
いろんな人が見ているなあとか」
と、とてもとても緊張されたことをお話しくださったのです。

そして、「旅の香り」の話題から、他界された野際陽子さんの思い出をお話しされました。
撮影中はもちろんカメラのまわっていない時の野際さんもとても素敵で優しい方だったそうで、先日、娘さんにお悔やみのお電話をされ、あらためてご挨拶にいかせていただきたいとおつたえされたそうです。
先日の「氷川きよし節」でも、野際さんの存在はきよしさんのこころに永遠にのこっているとおっしゃっていましたね。
きよしさんのその言葉に、わたしにもこみあげるものがありました。
「旅の香り」はほんとうに楽しくて、素敵な番組で、”氷川きよし”の魅力を存分にひきだしてくださっていたなああらためてと思うのです。

そしておふたりめの当選者は2席から。
八街市からお越しの方でした。
ご主人がこの日、70歳のバースデーで、お名前は”清”と一字で”きよし”さん。
結婚43年を迎えますます仲良しご夫婦の様子。
ご主人は70歳を機にお仕事を退職されたので、これからはもっとたくさん奥様ときよしさんのコンサートにお越しくださることができるということでした。
きよしさんが、
「これからの夢はなんですか?」
とおたずねになると、”写真が趣味なので、いろいろなものを撮って、コンテストに入賞したい”です”とのお答えに、
「写真展をされる時は誘ってください」
ときよしさんからラブコールがありました(嬉)。
ますます”写真熱”が高まりそうですね。
昨年の始球式でもきよしさんの雄姿を撮影され、アルバムにしてきよしさんにプレゼントされ、今年もまた撮影してくださるということで、きよしさんはとても楽しみにされておられる様子でした。

ここで、司会の西寄ひがしさんが、
「恒例の”メロドラマ”をすることになっているので、奥様をお借りしてよろしいいでしょうか?」
と、西寄さんが、ご主人におうかがいをして、”きよし 愛の劇場”のスタートとなりました。
「ふたりの”キヨシ”に挟まれて、どちらかを選べない...。八街のピーナッツのように」
と名調子の西寄さんの即興ナレーションに奥様の演技にも熱がはいって...。
最後の甘いため息の色っぽさに、きよしさんは、”オオッ!”とのけぞるほどに感激されておりました。

「ふるさと」を熱唱されると、衣裳をヒョウ柄のスーツにチェンジされたきよしさん、
「ときめきのルンバ」
「虹色のバイヨン」
「情熱のマリアッチ」
の”スターシリーズ”3曲で情熱歌唱と、”もしかしてこのまま踊りだしちゃうの?”と思わせるようなキレッキレの振りで客席をどよめかせてくださったのです。

アンコールでの「イヨマンテの夜」は圧巻、気合がはいりすぎて、歌唱していて何度か両の眼をカッと見開いたきよしさん、その勢いで”超絶ロングトーン”をさらに力強く聴かせてくださったのでした。

別れ際に、
「また、今夜、夢で逢いましょう」
と優しくおっしゃると、あとは何度も力をこめて「お元気で~!」と手をふってくださっていました。

”氷川きよしコンサートツアー2017 ~日本全国 歌の渡り鳥2~”の後半戦は最高のスタートをきったのです。


※皆さま、川口でのご報告が今になってごめんなさい。
諸々、わたしも熱くがんばっていけそうなほどに、身体が楽になってきました~。
またお逢いできますように。

「第49回 思い出のメロディー」が

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「第49回 思い出のメロディー」がいよいよあさって8月5日になりました(喜)。
きよしさんの有働由美子アナウンサーとの司会、とてもとても楽しみですね。

きよしさんは今日は熊本ですね。
朝起きる前から? ドキドキしているわたしに、すでに熊本に到着しているお友達のOさんから、熊本の朝の風景の写メがとどきました。
きれいな空、そして快晴です。

1日には携帯サイトの”きよしコレクション”に宮崎へ移動する際(昨日2日は宮崎市民文化ホールで昼夜コンサート)に、遭遇した”鳳凰雲”の画像をアップしてくださっていました。
きよしさんは、よほどわたしたちファンにその画像を”早く見せたい!”と思ってくださったのでしょうか。
1日は同日中に記2つの記事がアップされていて、きよしさんのおこころを感じたのです。

”鳳凰雲”の、なんて勇壮で美しいこと!
見惚れるばかりのわたし、見るほどにこころが晴れやかになって、むくむく力がわいてくるのです。


話題はふたたび「「第49回 思い出のメロディー」のことにもどりますが、
昨日の「氷川きよし節」(文化放送)で、”緊張します~”とおっしゃるきよしさんに、寺島尚正アナウンサーが、素晴らしいアドバイスと励まし、そして、”きよし君なら大丈夫”と太鼓判を押してくださっていました。
寺島さんは、6月の明治座さんでの座長公演できよしさんが一日警察署長をつとめられた日(6月21日午前の部)に観覧にお越しくださり、きよしさんと久松警察署長さんとのやりとりをご覧になっていたそうで、
”いい味だしてましたから。有働さんを警察署長さんだと思えばいいんですよ”
とおっしゃり、生放送ということについても、
「生放送は流れていくだけですから~」
と(笑)。
数々の経験を積まれたプロフェッショナルな寺島さんの言葉は、ほんとうにしみます。

寺島さんのその言葉に、わたしの尊敬する映画監督の方が、
「緊張するのはいいんですよ。緊張するからこそ、普段できないこと、普段以上のものができるんです。
いけないのは、あがってしまうことです」
とおっしゃっていた言葉が思い出されたのでした。


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ご出演の皆さまは、番組HPによりますと、
【司会】氷川きよし 有働由美子

【出演】浅丘ルリ子 あみん 石川さゆり 石野真子 市川由紀乃 伊藤咲子 伊東ゆかり 丘みどり 小林旭 五月みどり 島津亜矢 菅原都々子 園まり 高橋真梨子 天童よしみ 中尾ミエ 西田敏行 倍賞千恵子 ビリー・バンバン 福田こうへい 辺見マリ マヒナスターズ 水森かおり 三山ひろし 森進一 山内恵介 山田姉妹 山本リンダ 石坂浩二 加藤一二三 春風亭昇太 

【演奏】三原綱木とザ・ニューブリード,東京放送管弦楽団



さあ、ここで、これまでのきよしさんの「思い出のメロディー」への出演のヒストリーをふり返ってみましょう。
2000年2月2日にデビューされたきよしさんは、2002年の第34回に初めて出演されたのでしたね。


第34回 「無法松の一生」(2002年のこの回に初出演)
 
第35回 「別れの一本杉」
 
第36回 「G.I ブルース」 
      「ダイアナ」(平尾昌晃さん、尾藤イサオさん、ささきいさおさん、飯田久彦さんと)
      「星屑の町」
 
第37回 「世界の国からこんにちは」 
       ※中日劇場で座長公演中のため、愛・地球博会場より生中継でした。 
第38回 「上を向いて歩こう」
 
第39回 「ああ上野駅」
      「ドント節」(橋幸夫さん、奥村チヨさん、坂本冬美さんと)
 
第40回 「星のフラメンコ」
      「無法松の一生~度胸千両入り~」 (村田英雄さんのVTRとのコラボレーション)
      ※この年は松坂慶子さん、阿部渉アナウンサーと共にきよしさんが司会を務められましたね。
 
第41回  「長崎の鐘」
            「星屑の町」
 
第42回  「ああ 上野駅」
 
第43回 「きよしのズンドコ節」
       ※東日本大震災での原発事故による東京電力管内の電力不足に対する節電のため、NHK大阪            
       ホールからの中継でしたね。
 
第44回 「青い山脈」
 
第45回 「かえり船」
      ※田端義夫さんの映像とのコラボ、素晴らしかったですね。テレビでは田端さんの映像と歌声が流れ            
      ていた1コーラス目、向かい合う形でステージにお立ちになったきよしさんは、テレビには映ってい            
      ませんでしたが、マイクを使わずに、その場で田端さんに合わせて1コーラス目を唄っておられた姿        
      が思い浮かびます。

第46回 「長崎の鐘」
      ※長崎から中継の予定でしたが悪天候で飛行機が欠航。NHKホールからとなりましたが、素晴らしい    
      歌唱でしたね。

第47回 「上を向いて歩こう」

第48回 「見上げてごらん夜の星を」
      ※他界された永六輔さんの映像を背に登場、第1部のトリでした。


さあ、今年第49回は司会をつとめられるきよしさん。どんな曲を唄ってくださるのでしょうか。


ところで、2004年の第36回では、「G.I ブルース」と「ダイアナ」を平尾昌晃さん、尾藤イサオさん、ささきいさおさん、飯田久彦さんと歌唱されていました。
一世を風靡した皆さまにまだ初々しい”平成のスター”であるきよしさんが加わって、とても素敵なステージだったことが思い出されます。

なぜこのことを書くかといいますと、
昨日は仕事で浅草に午後からずっとつめていたのですが、浅草公会堂の前をとおると、平尾先生の手形に供花があるのに気づきました。

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先日の西寄ひがしさんのトークライブで、「思い出のウェスタンカーニバル」で、西寄さんが、テープの投げ方など
前説的なことを担当されたエピソードをお話しくださっていました。
西寄さんは最初だけの登場の予定だったのですが、平尾先生が、
「君、面白いね。僕のコーナーには一緒に出てよ」
とお声をかけてくださり、先生のコーナーに出させていただいたということでした。
とても気さくで優しい方だったと西寄さんも先生のことを偲ばれていたのです。


それでは皆さま、8月5日はNHKホールのきよしさんに、熱い熱いエールを贈りましょう!

終演後はこのブログでも語りあいたうですね。

”司会は氷川”「第49回 思い出のメロディー」が今夜7時30分から生放送されます。 NHKホールのきよしさんに真心のエールを贈りましょう!

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おはようございます。
いよいよこの日がやってきました!
今夜7時30分から「第49回 思い出のメロディー」が生放送されますね。
新聞のテレビ欄にも番組紹介のトップに”司会は氷川”と書かれていました。
数々の大舞台を経験されてきたきよしさんの素敵な司会ぶりを思い描いて心躍りつつ、心優しいきよしさんの今のお気持ちを想像すると...、一緒にドキドキしてきますね。

そして、司会はもちろんのこと、歌手として唄ってくださる「一本の鉛筆」の歌唱を、今、熱く、熱く期待しているわたしです。
8月6日の前夜に、きよしさんが「一本の鉛筆」を唄ってくださることの深い深い意味をわたしなりに感じて、胸熱くなります。
この曲を作った方達の思い、そして魂を込めて歌唱された美空ひばりさんの思い、それらをすべて受けとめ、平和を祈りながら今夜、きよしさんは歌唱されるのですね。


昨日は、きよしさんから、”きよメール”が届いて、その思いをつたえてくださいましたね。
すでにお読みになられているとは思いますが、あらためてその一部分を。
あす、5日(土)19:30~22:00 NHK「思い出のメロディー」で9年ぶりに司会をつとめさせて頂きます。
40歳を前にして、このような大役を頂き、今、大変緊張しています。
 歌は、美空ひばりさんの「一本の鉛筆」を歌わせて頂きます。
先日、広島にお邪魔して、原爆ドームや平和記念公園、資料館に行かせて頂きました。
被爆体験を直接伺い、平和の大切さをあらためて実感致しました。
そのVTRとともに「一本の鉛筆」をお届け致します。
皆様、ぜひ、ご覧ください。

今年は、「男の絶唱」という素晴らしい曲を頂き、年末には必ずよい結果で締めくくりたいと決意しております。
皆様、絶大なる応援を頂き、本当にありがとうございます。

いつでも初心で誠実で、大舞台ではわたしたちにはそんなふうには見えなくても、思いっきり緊張してしまうという、そんなきよしさんだから素晴らしい歌が唄え、こころに残る素敵なトークができるのだろうなとあらためて思います。

NHKホールに観覧にいってきますので、会場の様子など、わたしの思い、また次の記事で書かせてくださいね。


そして、皆さま、番組をご覧になった感動は、ぜひぜひNHKさんに送りましょう!

メールの方はこちらクリック!
(24時間受け付けています)

ハガキの方は
〒150-8001
NHK放送センター 「第49回思い出のメロディー」行
※住所は不要なので、宛名はこれだけで大丈夫です。

電話(有料)&FAXでも受け付けていますので、お手数ですがそちらの概要は下記で確認してくださいね。
☆電話

☆FAX



「一本の鉛筆」は、昭和49年8月9日の第1回広島平和音楽祭のために書き下ろされ、美空ひばりさんが歌唱された曲。
その音楽祭の総合演出をされた松山善三さんが詩を書かれ、佐藤勝さんが作曲されました。
今年、東京ドームで開催されたひばりさんの生誕80周年のチャリティーコンサートで、そのヒストリーが紹介された中であらためて知ったエピソードがありました。

猛暑だったその日、ディレクターさんがひばりさんをリハーサルをするために冷房付きの控室に案内されたところ、ひばりさんは、”広島の人たちはもっと暑(熱)かったはずよね”とおっしゃって、ステージのかたわらにいらしたのだそうです。
そして、ひばりさんのこの曲への思い、平和への思いはとても深いものだったのでしょう。
他界される前年、病をおして、第15回のこの音楽祭に2度めの出演を果たされました。
今回、記録を調べてみたら、その時は歩くのがやっとの状態で、出番の合間は楽屋に用意されたベッドで点滴を打ちながらの出演でしたが、終演後、”来てよかった”とおっしゃられたということでした。


文末にその歌詩を。
「一本の鉛筆」
作詩:松山善三  作曲:佐藤勝

あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい

一本の鉛筆があれば
私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと私は書く

 あなたに愛をおくりたい
あなたに夢をおくりたい
あなたに春をおくりたい
あなたに世界をおくりたい

一枚のザラ紙があれば
私は子供が欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたをかえしてと私は書く

一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと私は書く


※皆さま、歌詩をあらためて読んで胸がもういっぱいです。
きよしさんの歌唱を心静かにして聴かせていただきたいと思っています。

 

”それではまた来週!” 「思い出のメロディー」終演後のセレモニーで大役を見事につとめた、われらが”氷川きよし”はそう言ったのです。

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「それではまた来週!」
この日の来場と応援のお礼をおっしゃったきよしさんから、そんな言葉が飛び出して...。
それは、2時間30分の生放送で素晴らしい司会と、「一本の鉛筆」のみごとな歌唱が、きよしさんにとってとても満足のいくものであり、達成感とみなぎる自信、そして深く安堵されていることを感じさせるものでした。
そして、今はただただこころからこの日のすべてに感動されているその思いがつたわってきて、わたしもまたいっそうの感動に包まれたのです。
「第49回 思い出のメロディー」の終演後のセレモニーでのことでした。


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※入場時に配布されたパンフレット

皆さま、「第49回 思い出のメロディー」、ご覧になりましたか?
10代、20代、30代のきよしさんの映像が映しだされるなか、オープニングのご挨拶を堂々とされて、惚れ惚れしました。
そして、「一本の鉛筆」の歌唱には、自分が今どこにいるのかも忘れるほどに惹きこまれ、きよしさんと一体になっているような思いになって聴き惚れていたのです。
後半ではきよしさんの発する歌詩のひとこと、ひとことが胸に突き刺さるように、わたしのこころに入り込んできました。
歌の力、そして、氷川きよしの歌の力、魂の輝きを感じて...。
ああ、わたし、なんて幸せなんだろう!
あんなにまで素晴らしい歌を唄ってくださる、”氷川きよし”という歌手に出会て、ファンになれた幸せを噛みしめていたのです。
きよしさんに出逢って以後、ファンとしてたくさんの同じ時間を共有させていただいてきて、今またこれほどの感動を味わわせていただいたことに、深い深い感謝の思いがあふれて、とめようのないわたしでした。


放送された番組の内容はご存じのことになるかと思うので、以下は開演前、終演後のセレモニー、そしてほとんどステージ下手の司会者席にいらして、出演者の皆さまの歌唱に聴きいり、楽しそうに一緒に口ずさんでいらしたきよしさんでしたので、カメラに映っていなかったときの様子など、チケットの画像のあとから、こころのままにに書いてみますね。

その前に書いておきたい嬉しいサプライズは、”長良さん”と、長良会長のお名前が、小林旭さんの会話のなかで飛び出したことでした。
きよしさんが「きよしのズンドコ節」をリリースされる前に、「アキラのズンドコ節」を歌唱されている小林さんに、会長はきよしさんの歌が入ったテープを添えてご挨拶されたのでしょうね。
NHKさんとしてはドッキリ(NG?)発言なのかもしれませんが(汗!)、マイトガイの小林さんだからこそのサプライズ発言に、”長良さん”と、会長のお名前が世界中にながれたことが、わたしには嬉しくてなりませんでした。

そして、HKピュアリバ―できよしさんのコンサートをサポートしてくださっているトランぺッターの小松悠人さんが楽団に加わって2時間半の番組を支えてくださっていて、そのことも嬉しいことで、ついつい見つめてしまったのです。


ここで、先に、番組をご覧になった感動は、ぜひぜひNHKさんに送りましょう!
メールの方はこちらクリック!
(24時間受け付けています)

ハガキの方は
〒150-8001 NHK放送センター 「第49回思い出のメロディー」行
※住所は不要なので、宛名はこれだけで大丈夫です。

電話(有料)&FAXでも受け付けていますので、お手数ですがそちらの概要は下記で確認してくださいね。
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※暑さ覚悟で、それなりの準備をしていったのですが、
ホールのロビーに並ばせてくださったので快適でした。

いよいよ残すところ1曲となったときの、きよしさんの言葉が忘れられません。
オープニングの第一声から堂々と澱みない、けれどもまごころのこもった言葉で番組を有働由美子アナウンサーとともに進行してきたきよしさんに見惚れ、ファンとして誇らしい思いでいっぱいになっていました。

きよしさんは、そこでこんなふうにおっしゃっていましたね。

今夜、皆さんの歌を聴かせていただいて昭和の歌ってやっぱりすごいとあらためて思いました。
大スターの先輩方が今も尚輝き続けているその隣には必ず素晴らしい歌があって。
それを聴いた皆さんも、きっと元気や勇気をもらってきたのではないでしょうか。
今年、僕も40歳。
これからも皆さんの人生を支える歌を、夢を込め、祈りを込め、時には涙を添えて唄っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

※上記は録画を見直しての聞き書きのため、文字の表記は異なるかもしれないこと、ご了承くださいね。

放送開始前のディレクターさんの前説のときに、
”終演後はセレモニーがあるので、すぐにお帰りにならないでください”
とご案内がありました。

番組のトリである森進一さんが「北の蛍」を歌唱されると、出演者の皆さんがステージに集まって終了となったのですが、観覧しているわたしたちには、どこで放送が終わったのかわからず、まだエンディング中なのかなと思っていたのです。
すると、有働さんが、「終わりですっ!」とおっしゃったので、客席はもちろんステージからも笑いがこぼれました。
生放送で時間いっぱいいっぱいだったのでしょうか。

わたし、この日、きよしさんが森進一さんが「襟裳岬」を歌唱された際の曲紹介をされるのを聴いて、きよしさんのコンサートの司会をされている西寄ひがしさんは、どんなお気持ちでお聞きになっていらっしゃるだろう? と勝手ながら想像してじんときてしまいました。
西寄さんは森さんのすすめで司会者としての人生を歩むことになり、森さんにたくさんのことを教えていただいた後、きよしさんをツアー初年度から司会者として支えてくださっていることを、そのトークライブでうかがっていたのでそのことが思い出されたのです。

そして先に一部分を聞き書きさせていただいたきよしさんのご挨拶に感無量になっていたわたしでしたが、そのあときよしさんは、トリの森さんの「北の蛍」の曲紹介で「第49回思い出のメロディー」をドラマティックにしめくくられましたね。
その瞬間、まぶしいほどの笑顔のきよしさんがステージいたのです。
そして、森さんと合唱団の皆さんにスポットがあたり、舞台下手の司会者席が暗転すると、有働さんにつづいて、きよしさんも舞台袖へともどっていこうとされたときのこと。
もうほとんどシルエットでしかみえませんでしたが、ちょっぴり前屈みになって歩くきよしさんが、大きくひと呼吸されたのです。
きよしさんの、全力を尽くしたあとの緊張がとけた瞬間を目の当たりにして、わたしは安堵と嬉しさがこみ上げてくるのを感じながら、森さんの歌声に聴き入ったのでした。

終演後のセレモニーでは、あらためて来場のお礼をおっしゃり、たくさんの歓声と拍手に、手を振りながら、きよしさんは、
「それではまた来週!」
と声高らかにおっしゃり、大役を果たされ、今はただただこころからこの日のすべてに感動されているその思いがつたわってきたのです。
そして、菅原都々子さんが8月6日のお誕生日で90歳になることを皆でお祝いしましょうということになりました。菅原さんは、今日唄えたのはきよしさんが支えてくださっていたからとこのときもお礼をおっしゃっておられ、その謙虚さとともに、美しい方だなあとわたしはみつめておりました。
有働さんが、きよしさんに、「皆さんで”おめでとう”を言いましょう。じゃあ、”せえの”でいきましょう。氷川さん音頭とってください」とうながしてくださると、
きよしさんは、「菅原先生、90歳のお誕生日」
とおっしゃって、そこで一区切りされたので、”せえの”はなかったのですが、さすがはきよしさん、そこは以心伝心ですね(嬉)、
”おめでとう!!!”と3000人が一糸乱れず大合唱したのです。
大きな拍手がおこって、菅原さんはていねいにお辞儀をされました。

そこで、有働さんが苦笑まじりに、
「”せえの”忘れてましたよ。でも皆さんがちゃんとくみとってくださって」
とおっしゃっていたのです(笑)。
わたしはそんな有働さんに、そこが、”氷川きよし”の言葉を超えた力なのですよと、こころのなかで思って幸せな思いになっておりました。

そして有働さんがこの日のきよしさんの司会ぶりを褒めてくださると、
「有働さんがフォローしてくださったおかげです」
ときよしさんはあらためて有働さんにお礼をおっしゃったのです。
すると、
「なにをおっしゃいますか。40歳になられるんですから」
と有働さんがそんなようなことをおっしゃると、きよしさんは、大きな声で、
「いや~~~~」
とさまざまな感慨をこめておっしゃると、
「40歳。自分らしく輝いていたいです」
と結ばれました。
出演者の皆さまを有働さんとともにお見送りされると、客席に向きなおって、大きく手を振り、お辞儀を何度もされながら、舞台下手袖へときよしさんはもどっていかれたのです。

イメージ 3
※伊藤咲子さんが「ひまわり娘」を歌唱されたときに振ったひまわりです。
ホールに入ると座席の上に白いビニール袋が置かれていて中にひまわりが2輪!

開演10分前くらいでしたでしょうか。
ディレクターさんがステージに登場し、前説がスタートしました。
そして、5分ほど前になったところで、司会の有働さんときよしさんが登場されたのです。
袴姿のきよしさんにわあっと歓声がおこりました。
和服姿の有働さんも素敵というか、洋装のときよりかわいらしく思えたのです。
きよしさんの、「緊張します~。有働さんが頼りです」の言葉に、
「何をおっしゃいますか。来月40歳になるんでなるんですからっ!」
と有働さんは叱咤激励してくださったのです。
でも、きよしさんが
「緊張して、今から口のなかがパサパサなちゃって...」
とおっしゃったので、緊張しないように、そうしてご自身をリラックスさせておられるように感じて、ホッとしたのです。
でも出演者の皆さまのお名前を読みあげて、あと3分というような状況になり、場内が静まり、皆の視線がきよしさんと有働さんに集中すると、きよしさんがマイクを持っていない右手を胸に押し当てる仕草を何度かされたので、客席から、声援と拍手がおこりました。
3分前!
緞帳があがるとそこには出演者の皆さまがせい揃い。
有働さんが、
「今ここが日本でいちばん華やかな場所、パワースポットになっていると思います」
とおっしゃると、
きよしさんは振り返って出演者皆さんに会釈され、
「お世話になります。前を失礼します」
とおっしゃりながらステージ中央に進まれたのです。

1分30秒前!
きよしさんが、
「わくわくしてきました」
とおっしゃると、
「それはよかった! 10時までそのまま突っ走っていきましょう!!」
といってくださったところで、

スタート!
あの冒頭のきよしさんの映像がながれるなかのトークで「第49回 思い出のメロディー」がスタートしたのでした。

テレビに映っていない時も、ステージの司会者席におられることが多く、有働さんた出演者の皆さまと歓談されている様子や、多くの場合、歌唱に合わせてご自身もその歌を口ずさんでおられたので、その様子も見させていただき、きよしさんのお気持ちをダイレクトに感じながらの2時間30分でした。

第2部でお召し物をドレスにされた有働さんが、きよしさんの鮮やかなスカイブルーのスーツをおほめになると、
「もう、なにかわたしにもいって!」
ときよしさんにおっしゃると、
「有働さんはスタイルがよくていらっしゃるから。
そのう、黒はボディラインが強調されて」
と一生懸命おっしゃると、
「きよしさんたらっ!」
と、いつでも直球ストレートなきよしさんの言葉に、有働さんは照れくさそうにされながらも満足されていたのです。
だって、有働さん、素敵でしたものね。

有働さん、ほんとうにお世話になりました。
2時間30分の中でただ一度、きよしさんがただ一度言葉を継ごうとしてほんの一瞬、一呼吸ほどの゛間゛のあったときがあったかと思います。
それは感極まっての゛間゛でしたが、もし、そうでなかったら代わってすぐに言葉を継ごうと、さっときよしさんのお顔をごらんになり瞬時に感極まってのことと合点されてスッと身をひかれた有働さんのおどろくほどみごとな反射神経やこまやかで優しい心づかいも忘れられません。
多くのきよしさんのファンが、有働さんへの感謝の思いでいっぱいだと思います。
ありがとうございました。






広島では、虹もきよしさんを迎えてくれたのですね。

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こんばんは。
「第49回 思い出のメロディー」の感動をよみがえらせつつ、数日間を仕事がんばりながらすごしておりました。

8日の゛きよしさメガネ゛をみたら、
゛虹が迎えてくれました。゛
と、広島上野学園ホールでのコンサートのため、広島入りされた際、飛行機の窓から虹が見えたこと、おしらせくださっていましたね。
雲がたくさんあるのに鮮やかな虹!
そうなんだ~と嬉しくなりました。
わたしが申しあげるのもおこがましいので、先の記事に書けなかったのですが、きよしさんの「一本の鉛筆」のあの素晴らしい歌唱に、゛広島゛はどんなふうにきよしさんを迎えてくださるのだろう?
と、わたし、期待していたのです。

そして、お友だちのOさんが、放送前日の読売新聞の記事を送ってくださったのですが、とても感動的な内容でしたので、ここでもふれさせていただきたいと思いました。

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※8月4日 読売新聞 朝刊




北生大介チーフ・プロデューサーは、きよしさんの司会起用について、
゛前回司会を務めた時は30歳で、どこか、かわいらしい雰囲気があった。
40歳になる今年は、地に足の着いた歌手の風格が漂う。
2度目の司会を、大歌手として成長するきっかけにしてほしい゛
とおっしゃり、゛氷川きよし゛に絶大なる期待を寄せてくださっていることに感激したのです。
そして、この記事を拝読したのは放送日の翌朝だったので、前夜の、誠実であたたかで、堂々とした゛氷川きよし゛だからこその司会を思い浮かべて、じんときたのです。

デビュー前に縁あってその存在を知り、失礼ながら、大丈夫なのかしら?と気になって気になって...。
いつの間にかファンになり、意識しないうちに、゛氷川きよし゛はわたしにとっての運命の歌手であり、唯一無二のそんざいになっていたのでした。
出会って18年目の今また、「一本の鉛筆」の歌唱に、この世ならぬ感動をいただいて、人の世になぜ歌が生まれたのかをおしえていただいた思いになりました。


一昨日は「プレイヤー」というお芝居を渋谷のシアターコクーンで観てきましたが、とても面白く刺激的なお芝居で、観終わってわたしの中にも創作意欲があることを自覚させていただき、はりきっています。
そのパワーがブログにも活かせたらと(嬉)。


そして、もう日付がかわったので今日のことになりますが、宇治文化センターでおこなわれるコンサートにいってまいります。

宇治文化センターでのコンサートには以前一度参加して、とても個人的なことながら忘れられない思い出があるので、申し込んでいました。
まさかその後、同じ月に新歌舞伎座でコンサートが開催されるとは夢にも思わなかったので、そちらに行かれることになった時、どうしようかしら? と迷ったのです。
でも腰の回復も順調で、痛みを感じることがほとんどなくなり、早めの開演で日帰りできるので、思いきって出かけることに(喜)。
無理せずマイペースで京都旅いってまいります。


暑いっ! でもきよしさんの歌声と情熱はそれ以上に”熱かった”のです。 3年ぶりに宇治へいってきました。

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「あのう...、ここで『ふるさと』を唄わせていただくことになっているんですけれども、でも、『一本の鉛筆』、唄いたいですね。
ね、僕、唄いたいです」
きよしさんはそうおっしゃると、HKピュアリバーのリーダーの藤林さんに様子をうかがい、即OKの返事があったのではなかったかと思います。

「広島では唄わせていただいたんです。
この時期に唄わせていただこうということで。
でも今日は唄うことになっていなかったんです。
でも、やっぱり...。
だって、さっきから皆さん、『一本の鉛筆」よかったよっていってくださって、ボードにも『一本の鉛筆』って書いてくださってるから。
今日は、10日でしょ?
この京都(の回)までってことで、いいですかね?
僕、やっぱり唄いたいから」
きよしさんは、原爆忌の8月6日、9日の中日である8日のコンサートで、平和への祈りをこめて「一本の鉛筆」を唄われたことを説明されながら、そんなふうにおっしゃいました。
その間、1分もなかったかと思うのですが、スタッフからもゴーサインが出たようで、
「音響さんも大丈夫ですか?」
と、確認されると、
「すいません、急に」
と静かに微笑まれ、イントロを待ったのです。

宇治市文化センターで開催されたコンサートの昼の部の”ふれあいコーナー”の直後でのことでした。

きよしさんの「一本の鉛筆」をまた聴かせていただけるとは夢にも思っていませんでしたので、こころの準備が、スタッフの皆さんよりも遅かったわたしでした。
イントロで、耳を澄ませて、そしてこころを済ませて、きよしさんの歌声を待ったのです。

あらゆるものを抱きしめるようなあたたかで力強い歌声に、これが”愛”なんだとわたしは、きよしさんの大いなる愛を感じて...。
涙が呼吸をするようにじわじわっとあふれてきたのです。
その歌声に、癒され、励まされながら、
”ゆっくりでもずっと一緒に歩いていこうね”
という、きよしさんのメッセージを勝手ながら感じて、胸熱くなっていました。

きよしさんが唄いおえると舞台は暗転したのですが、しばらく照明がつきませんでした。
鳴りやまないわれるような拍手に、まっくらなステージの上できよし何度も何度も会釈しているきよしさんの姿がシルエットになってみえたのです。
鳴りやまない拍手のなか、
「♪ふるさ~とは」
ときよしさんが「ふるさと」をアカペラで唄い出されると、拍手はピタリとやみ、その歌声に皆は聴き入ったのでした。



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※日差しの強さ、感じていただけますでしょうか?

先に、司会の西寄ひがしさんが、5日に放送された「第49回 思い出のメロディー」での素晴らしい司会と「一本の鉛筆」の歌唱を称賛されると、客席から大きな拍手と”最高!”、”よかったよ~!”!と、多くの歓声がおこったのです。
きよしさんは、司会について、
「有働由美子さんと一緒で楽しかったです。
司会の方って、西さんもそうですけど、すごいですね~。メインの方をたてられて。
前日、1日リハーサルをしたんですけど、本番では台本にないことをお話しされるので、(その道の)専門ではないですから、とっさんになんて言ったらいいのかあわてることもありました(笑)」
とお話しされたのですが、
とてもそんなふうにはみえなかったきよしさんの堂々とした司会ぶりに、西寄さんも、放送終了後の有働さんのように”なにをおっしゃいますか”と、いってくださったのです。
すると、少し照れくさそうに、
「僕、気が弱いから。基本。
でも、気の弱い自分でもがんばれるんだっていうところをみていただけたらという思いでやらせていただきました。
皆さんも病気とか、いろんな困難を乗り越えてがんばりましょう!」
と皆を励ましてくださったのです。

そして、
「広島に行かせていただいて、平和ほど大切なものはないと強く思いました。
僕は政治の専門家ではないので、政治的なことはいえませんが、個人として、戦争は悪だと思いました。
僕もいたらないこと、足りないこと、いっぱいありますが、お互いのことを尊敬して認めて許しあっていかなければ戦争はなくならない。
おたがいわかりあって。ね、裸になってっ!」
と、ここで客席から”沈黙”という名の声(笑)。
きよしさんは、その空気を感じて、
「心をねっ!」
と結ばれたのでした。

そのながれで”ふれあいコーナー”になり、この記事の冒頭に書かせていただいた「一本の鉛筆」への歌唱へと展開していったのです。

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「一本の鉛筆」の歌唱は、昼の部のみでしたので、ブログに書くにあたって、夜の部のみ参加の皆さまのお気持ちを考えて、どうしようかな? と少し思案したのです。
でも、きよしさんがどれほど、いつでもこころで唄っているのかを感じる出来事に、わたしには思えましたので、そのことから書かせていただくことにしました。

このホールでのコンサートは3年ぶりでしたが、前回は、日本武道館での15周年記念コンサートを終えて、きよしさんがコンサートスターの後半をスタートさせる第1日目ということで、参加させていただいたのです。



昨夜は11時半頃帰宅したのですが、早朝に出発しての゛宇治一日旅゛でしたので、お風呂に入って(汗だくの一日でもありました・笑)、ホッとしたら心地よい眠気が...。
そのまま眠って朝、画像の整理をしてからブログを書き出しました。
「第49回 思い出のメロディー」にまつわるエピソード、9月5日にリリースされる「男の絶唱」のニューバージョン3タイプのカップリング曲の紹介、盛りあがりすぎた(笑)゛ふれあいコーナー゛のことなど、書きたいことがあまりにたくさん!!

今日は山の日で祝日ですが、仕事で出かけることになっていて。
支度するもろもろ含めて家を出る時間から逆算すると、とても書ききれないので、衣裳とセットリストをまとめていった?アップして、続きはまた今夜書きますね。

前回、わたしは川口総合文化センターリリア 大ホールでのコンサート(7月19日 夜の部)に参加させていただきましたが、その回を基準にするとセットリストと衣装が一部チェンジしていました。

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※ドッキン―ン! もうびっくりしました(嬉)。
ホール上手外の廊下にこんな風景が。

◆オープニング
衣装は白地に五輪の色の吹き流しが描かれた着流し。
「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」
~オープニングトーク~
「東京五輪音頭」
「東京音頭」

◆衣装はアクアブルーのロング丈のジャケットの三つ揃いのスーツ。靴も同色系のエナメルです。
~男心、女心を描いたシリーズ~
「みれん心」
「あの娘と野菊と渡し舟」
「さすらい慕情」

~昭和の名曲コーナー~
「なみだ船」
「てなもんや三度笠」
「河内おとこ節」

~ニューアルバム「新・演歌名曲コレクション5-男の絶唱-」から~
「恋の瀬戸内」
「きよしのスイスイマドロスさん」

~ふれあいコーナー~
「ふるさと」

◆衣装を総ヒョウ柄のスーツにチェンジ(リズム歌謡の”スターリリーズ”)
「満天の瞳」
「虹色のバイヨン」
「情熱のマリアッチ」

◆衣装は紫の着物に文様の入った白袴
「博多祇園山笠」
「箱根八里の半次郎」
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
~ラストトーク~
「男の絶唱」
「白雲の城」

◆衣装は羽根飾りのついた真紅の衣装にロングマント
~アンコール~
「イヨマンテの夜」
*深紅の衣装を引き抜いてゴールドの衣装に早変わり
「きよしのソーラン節」
「きよしのズンドコ節」

以上、


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※窓から外をのぞくと、こんな感じ(喜)。ホールの建物に寄せて駐車していたのですね。

帰りは在来線で宇治から京都へ新幹線に乗り換えたのですが、発車2分前くらいにその在来線に乗り込んで発車を待っていたら、なんとなく見たことのあるようなお顔が?

そう、よく見たら、゛見たような゛どころではありません(笑)。
それはHKピュアリバーの皆さまだったのです。
みるみる空席がうまって。
在来線ですが、ふたり掛けのイスでしたので、わたしの隣は空席でした。

ドアが閉まって電車が動き出すと、エレベーター付近にHKピュアリバーの女性陣の姿が。
するとメンバーのどなたかが、
゛あいつらなにやってんだ(笑)゛
と(笑)。
まだまだ新幹線の便がたくさんあるので、次の列車でも間に合うのだと思うのですが、このどなたかのひと言に、家族みたいに仲良しなんだなあと、嬉しくなってしまいました。

通勤帰りの方や旅行中の外国人の型も乗っている各駅停車の在来線でしたが、わたしにはコンサートの続きのように思えて、幸せな思いがまたもあふれてきたのです。

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「来月は2度めの成人式を迎えさせていただきます(笑)。今の”氷川きよし”がいちばんいいといっていただけるよう精進していきたいです」

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「僕はなにをしたらいいんでしょう...」
突然まきおこった大きな大きな”きよしコール”に、きよしさんは目を真ん丸にしておっしゃいました。
そして、
「イェーイ!」
とひとこと(笑)。
こだまのようにかえってきた皆の声に、
「イェーイ!」
ともう一度おっしゃり、客席のいっそう大きな”イェーイ!”の声に、大きくうなずかれたのです。

宇治市文化センターでのコンサート、夜の部でのことでした。

「福岡・博多から18歳で歌手をめざして上京しました。
作曲家の水森英夫先生にスカウトしていただいたんです。
アルバイトをしながら先生にレッスンをしていただいて3年半でデビューしました。
最初は3年で結果を出す。出せなかったら演歌はあきらめようと思っていました。
師匠の水森英夫先生にも申し訳ないですからね」
と、きよしさんはデビューまでのことを話題にされ、
「今年18年目に突入させていただきました。
浮き沈みの激しい芸能界ですが、やっぱり長くやりたいじゃないですか。
そして、長く愛されたいですよね...。
来月40歳になります。
いや~、ね~~(しばし熟考されて)、
マイペースで...、
僕のペースでやらせていただいて。
それに皆さん、ついてきていただきたいと思います」

その言葉に思わずわたしは大きくうなずいて、きよしさんの大いなる決意とうけとめさせていただいたのです。

3年ぶり2度目の宇治市文化センターでのコンサートでしたが、きよしさんはこの日、昼の部が開催される前に宇治の街を歩かれたそうで、
「お抹茶をいただきました。
歴史があって品のある街ですね」
とお話しされ、夜の部では、そんな品のある街に皆さんにお集まりいただいた今の気持ちは、
「英語でいえば”アメージング”!”」
なんておっしゃっていたのです。


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※ガラス張りの壁に貼られていたきよしさんのポスターにも、メッセージが書きこまれていました。


先の記事で、昼の部のことを中心にセットリストを添えて書かせていただきましたので、この記事ではトークを中心に昼夜おりまぜて書いてみたいと思います。

「来月2回めの成人式を迎えさせていただきます」
昼の部のオープニングトークのなかでそんなふうに大人っぽくご挨拶されたのですがが、「みれん心」を歌唱されるためにステージの階段をおりてこられた時、最後に1段を、ぴょんっ!とジャンプして着地すると、”ね、ね、見てっ!”というように客席をみつめたきよしさんのまなざしは、まるで小さな男の子のようで(笑)。
客席からもくすくす笑いがおこりました。

8月5日に生放送された「第49回 思い出のメロディー」でのきよしさんの活躍について、
「素晴らしい歌と司会をありがとうございました!」
と司会の西寄ひがしさんがおっしゃると、大きな拍手と、”最高っ!”、”よかった~!”というたくさんの声が客席からきこえてきたのです。
が、きよしさんはといえば、アクアブルーのロング丈のジャケットに三つ揃いのスーツ(12日に放送された「夏祭りにっぽんの歌」でお召しになっていたものかと思います)の、パンツをキュッキュとひきあげていたのです(笑)。
きよしさんは、大まじめな様子で、
「ズボンがずり落ちそうになって...。そのままだとパンツ一丁になっちゃうから(汗)」
とおしゃると、番組でのことをお話しくださいました。

「司会をさせていただいて勉強になりました。
40歳の記念になりますね。以前は30歳に突入したときにやらせていただきましたが、石像のようにじっとしていて、緊張して、松坂慶子さんのうしろにいさせていただきながら司会をさせていただいていたという記憶があります。
今回は有働由美子さんとでしたが、楽しかったです。
でも有働さんをみていて、司会の方って、西寄さんもそうですけど、メインの方をたてられてすごいなって思いました。
オープニングで、(センターに立たれている)小林旭さんと森進一さんの前に立たせていただきましたが、リハーサルのとき、おふたりの前に立つなんて失礼で、とてもできないって思って、
”私はできないです”ってNHKのスタッフの方に僕、いったんです。
でも”そういうわけにはいかない”っていわれたので、小林さんに、
”隠すようになってすみません”
っていったら、
”どんどん隠してよ。君がどんどんしゃべってよ”
っていってくださったんですよ。
怖い方なのかなって思っていたんですけど、とてもやさしい方なんですね~。

前日、1日かけてリハーサルをしましたけど、本番では台本にないことも皆さんおっしゃるので、僕、専門ではないので、どうお答えしたらいいのかなって、緊張しました。
僕、気が弱いから、基本。
でも(そんな)気の弱い自分でもがんばれるっていうところを、皆さんに見ていただけたらという思いでやらせていただいていました。
だから皆さんも、病気とかいろいろな困難を一緒に乗りこえてがんばりましょう」
とおっしゃっていたのです。


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※先の画像をもう少しひいて写メしたもの。スタッフさんのセンスと真心を感じました。


そして、広島でのコンサートで、きよしさんが番組のオープニングのトークに込めた思いをお話しされたそうで、参加されたお友だちがおしえてくれたのですが、それは、宇治でのコンサートでの夜の部でお話しされたこととつながっているように勝手ながら感じられたので、ここでふれさせていただきたいと思います。
まずはオープニングの言葉をもう一度ここで。
こんばんは。氷川きよしです。
僕は今年40歳になります。
この年になってあらためて思うのは、本当に歌は人生を支えてくれるということです。
先の見えなかった10代。
なりふり構わずがんばった20代。
そして少しずつ自分の進むべき道が見えてききた30代。
その時々の自分を歌が支えてくれました。
今夜はそんな歌の持つ力を、ご一緒させていただく大先輩と共にお届けします。
それではまいりましょう。
「第49回思い出のメロディー」!

上記枠内は録画を聞き書きしたものなので、表記は正確でないかもしれないこと、ご了解くださいね。
きよしさんは、このオープニングの言葉について、
「18年間歌わせていただいて、過去のVTRがながれましたけど、自分のそれまで歩んできた歌手人生。
それは一見華やかに見えて、幸せでいいねって思う人もいると思うんですけどね。
僕にとっては、悔しかったり苦しかったこともあって。
もう、死ねほど辛いこととかもあって...。
そういうこともあっての18年間だったから、あの日を迎えられたことにいろんな思いがあったんです。
だから、ファンのみなさまとともにこの歌の道を歩んでこられたという、僕の思いもこめたオープニングの言葉でした」
と広島でのコンサートでお話しされたいたのだそうです。

宇治でのコンサートの昼の部のラストトークで、
「よく18歳で出てきたな~って思います。よく生きてこられたなって。
皆さん、お子さんを18歳で東京に送りだせますか?
ね。
ひとりっきりでしたから、話す人がいなくて。
新聞の勧誘にきたお兄さんを家にあげて、1時間くらい話したこともありました(笑)。
僕が自分のこと、いろいろ話したあとで、お兄さんに新聞とってくださいっていわれたけど、新聞をとるお金の余裕がなかったですけどね。
食べるもの大変だっかたから、ご馳走してくれる人についていったりもして...。
今思うと、よくそんなことしたなって。
意外としっかりしていたんでしょうね~(笑)」
と、きよしさんはセルフフォローされていましたけど(笑)、
”この人は邪まな人じゃない”というような、人を見る目があったのでしょうね。

「なんか、すぐデビューしてちやほやされてって思われる人もいるみたいですけど、そんなことありませんでした。
ファンの皆さんに育てていただいた18年。
世間様にも育てていただきました。
今が一番いいって思っていただける”氷川きよし”でいたいと思いますので、そのために精進していきたいです」
と思いを言葉にされ、

夜の部では、
「(「第49回 思い出のメロディー」のオープニングで)過去の映像が映りましたけど、
あの日の僕はいない。
今の僕しかいない。
そして、未来の僕が待っている!」
と力強くおっしゃったいました。

わたしのなかでここに書かせていただいたきよしさんが発信された言葉と歌唱がすべてつながって、さらに大きな感動となっていきました。

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昼夜とも、9月5日(きよしさんのバースデイブですね!)に、リリースされる「男の絶唱」のニューバージョンのおしらせとともに、音源をながしてくださっていました。
ジャケットはまだ公開されていませんが、蓮の花をあしらっていて、前回の3タイプとまた趣がちがうものになっていることをインフォメーションされ、
Dタイプの「酒場のひとりごと」は、とくに3コーラス目の歌詩がお好きで、亡くなった友達のことを偲ぶ展開もあるようで、きよしさんの年下のお友達のなかに肺ガンで23歳で亡くなった方がおられることをお話しされ、
「子どもが奥さんのおなかにいたのに、子どもの顔をみることができなかったんです」
とおっしゃり、皆がしんみりしたところで、
「奥さんも大変だろうなって心配に思っていたんです。
でも離婚したそうですけど」
いってから、”あらら?という様子のきよしさんの”正直トーク”に、なんとも”説明しがたい白っぽい空気がただよったのですが、いろいろご事情があったのでしょうね。

Eタイプは「芝浜恋女房」は古典落語の名作である「芝浜」をモチーフにした作品。「御免」を彷彿させる粋な歌唱に早くフルコーラス聴きたくなりました。

そして、Fタイプの「片恋のサルサ」では、”激しめのステップ”を西寄さんともども披露してくださり(喜)、夜の部では、
「大人の恋の世界なんですよ~。
好きになった人にはパートナーがいたんですという僕の...もはいっていて」
と笑顔でおっしゃたきよしさん、もうっ、きよしさん、その”...”はなんでしょう?
なにかおっしゃったのだと思いますが、聞きとれなくて。
いずれお話ししてくださいますね。
きよしさんは夜の部では、そこまでおっしゃると、
「『男の絶唱』は1年かけて唄うげき歌でしたね」
と結ばれたのでした。

以上、駆け足できよしさんのトークを中心に書いてみました。
゛ふれあいコーナー゛のこと、書けませんでしたので、次の記事で、前回、初めて宇治市文化センターて開催されたコンサートで、わたしにどんな思い出があったのかと一緒に、そして「夏祭り日本の歌」のこともを書いてみたいと思います。

大きな一歩でした!

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こんばんは。
ブログの更新ができずにごめんなさい。
宇治文化センターでのコンサートになぜ行きたいと思ったのかを、”ふれあいコーナー”のご報告とともに書いてみたいと書きだしています。
そして、そのことをふり返っているうちに、このブログを開設したのが2008年9月3日だと気づき、まもなく丸9年となり、いよいよ10年目に突入することを自覚して...。
いろいろな思いがわきあがっています。

いつもお返事が書けずに申し訳ないですが、哀愁さん、きよ美さん、ゆうさん、ゆりかもめさんには開設当初からお読みいただき、励ましていただいてきましたが、もうこんなに時が経ったのですね。

それからまた多くの皆さまにお読みいただき、真心のコメントを今日までいただいて...。
あらためてありがたさでいっぱいです。
そんな感慨もふくめて次の記事を書いてみようと思っています。

大阪行きが近づいてきて、あらためて手帳をみたら、8月23日からあれこれと予定がつまっていることを確認して、習志野のコンサートの日にちを勘違いしていることに気づいてあわてたりもしました(汗)。

そんな折、はじめての”きよ友茶話会”のおしらせが昨日とどいて。
どんな会になるのかしら?
と、とても興味がわいたのです。
その日はすでに夕方に仕事が入っていますが、それまでには余裕があるので、電話予約にトライしたところ、チケットとれたのです(喜)。
おしらせからは受付期間が長い印象だったので、抽選なのかしら? と思っていたのですが先着順だったようですね。
諸々、嬉しい予定がふえて、忙しさも幸せに感じられ、仕事も集中してがんばれそうです。


そして、今日はわたしにとっての大きな一歩を踏み出した日になりました。
それは6月7日に駅で転倒して以来、外出中に杖を使っていたのですが、今日は思いきって家を出てから帰宅するまで終日杖を使わずに仕事もこなすことができたのです。
しばらくは折り畳み式の杖をバッグにしのばせての外出になりそうですが、ゆっくり、ゆっくり回復していることに、自信がもてるようになりました。

きよしさんの歌とがんばりに癒され、パワーをいただき、家族や友人、周囲の方、行く先々で出会った方、そしてブログをお読みくださっている皆さまに励ましていただいたおかげで、前向きな気持ちで、あせらずにすごしてくることができました。

あらためて、皆さまにもお礼申しあげます。
ありがとうございました。

きよしさんのお誕生日企画については、このような状況でしたので、形を変えて企画していることがあります。
そちらもまた近々に書かせていただきたいと思っていますが、まずは宇治への思いを書きますね(嬉)。

そして、明日は、東京でのFCツーショット&握手会ですね。
ご参加される皆さま、きよしさんと素敵な時間をおすごしくださいね。


「男の絶唱」リクエスト大作戦! 

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皆さま、こんばんは。
明日は、「歌う!SHOW学校」が放送されますね。
歌が上手な素敵な転校生の名は、”氷川きよし君”!
楽しみですね。
番組HP(下記アドレス)に素敵な画像や動画もアップしていますね。


5月11日に千歳市の北ガスホールで開催された公開収録に参加させていただき、ブログに下記の記事を2つアップしていますので、よろしければご覧くださいませ。


明日は、「男の絶唱」の購入者プレミアムイベント(大阪会場)が開催されますが、つづいて新歌舞伎座での初コンサート、25日は神宮球場での始球式と、9月5日の「男の絶唱」ニューバージョン発売に向けて大忙しのきよしさんですね(喜)。
きよしさんが大忙しということは、もちろんファンであるわたしたちも大忙し!
というわけで、お盆休みも返上して仕事を進めてきたのでした。

この記事に書かせていただいたタイトルですが、きよしさんのバーステープレゼントに代えての企画を考えています。
6月にケガをして以来、体調がベストではなかったので、昨年から、きよしさんの40歳のバースデーに、”氷川きよしマガジン”のようなものを皆さんとつくりたいと構想していた企画は難しそうだなあと考えているなかで、思いついたことでした。
そして、思っていたより回復が順調なので、上記に加えて、バースデー当日の出雲市民会館でのコンサートに参加させていただく際には、皆さまからのメッセージをお預かりして、絵本のような形(どこかで”マガジン”への未練が・笑)にしてお届けしたいと思っています。
その2つの詳細は週末にアップできたらと思っていますので、よろしくお願いいたします。

”氷川きよしマガジン”も気力・体力ともにベストな時に、ぜひつくってみたいと思っていますので、そちらもその折はご協力いただけると幸せです。


※こちらはJR宇治駅前のポストです!


さあ、そして、まとめかけていた8月10日に宇治市文化センターでおこなわれたコンサートの”ふれあいコーナー”のでことをここで書きますね。
そして、そのあと、ちょっとひとりごとを書きますので、よろしければ最後までお読みいただけると嬉しいです。


昼の部のおひとりめは萱島からお越しの方。いつも一緒にお越しになっているお姉さまが背骨を骨折されて療養中のため、この日はおひとりでの参加でした。
お姉さまは86歳。良くなったらまた一緒にコンサートにいらっしゃることを楽しみにされているとのこと。
そして、先日の「思い出のメロディー」の司会と、「一本の鉛筆」にとても感動されたことを書いてくださっていて、そのメッセージを西寄さんが読みあげると、きよしさんはその場で正座され三つ指をついてお辞儀をされました。
そして、いちばん下の6歳になるお孫さんがきよしさんの「満天の瞳」が大好きなのですが、シドニー在住なので、1年に一度帰国されるのだそうです。 

また、地元宇治市からいらした方は85歳。息子さんとそのお嫁さんと一緒に来場され、お嫁さんがメッセージを書いて投函してくださったということでした。
きよしさんとのトークのなかで、昨年、24歳のお孫さんを亡くされた悲しみをのりこえて、からにも障害があるとおっしゃっていましたが、”コンサートにいかれますように”と祈っていたのだそうです。
この方はこの日、”ありがとうございます”と何度おっしゃっていたでしょうか。
元気の秘訣をきよしさんがおたずねになると、
”感謝です。そして祈ること”
とおっしゃっていたかと思います。
「きよし 愛の劇場」でも大活躍され、感激され、こちらまでじんときて幸せな思いにさせていただきました。



そして夜の部では、木津川市からいらした12歳(小学6年生)の女の子がひとりめの当選者でした。
おばあちゃんと親戚の方と一緒にお越しになったそうですが、少年少女合唱団にはいっていて、コンサートの翌日に大きな舞台で歌うことになっているそうで、”どうやったら緊張しないで歌えますか?”とメッセージ用紙に書かれていました。
きよしさんは西寄さんが質問を代読されている横で、うんうんとうなずくと、
「緊張していいんですよ。人間だから」
とまずひとことおっしゃったのです。
そして、
「とにかく一生懸命やっていれば、”ノノカちゃん”も輝くんじゃないかな」
と励まされ、どんな曲を歌うのかおたずねになったのです。
「フェイス」と、「ひまわりの約束」というお答えがかえってくると、
「ちょっと歌ってみたら?」
と、きよしさんはリクエストされたのです。
すると”ノノカちゃん”は「ひまわりの約束」を素敵なソプラノで歌ってくれたのです。
「いいよ、繊細な感じがして。
”ノノカちゃん、”明日は楽しんで歌ってね。
僕がこころの中についているから。ひとりじゃないんだっていう気持ちでやってくれる?」
と励まされたのでした。
突然のリクエストにこたえて、美しい歌声を披露してくださった”ノノカちゃん”ですから、きよしさんのまごころの励ましをいただいて、さらに素敵な歌声を大きくの方に聴かせてくださったことでしょうね。

そしておふたりめの当選者は滋賀県の近江からお越しの87歳の方。
”いつも、きよしくんのおかげで自転車で飛んで歩いています”とメッセージに書いてくださっていました。
看板屋さんをご主人と営まれていたのですが、早くにご主人を亡くされ、その後、息子さんが継いでくださっているそうで、看板談義でももりあがったのです。
そして、きよしさんとのトークのなかで、元気の秘訣について、きよしさんのコンサートにいったりテレビやDVDをみることだとおっしゃたあと、
”不幸はいろいろありまけど、それを忘れてしもて、アホがアホになっていつも笑顔でいること。
そして感謝を忘れたらあきません”
と。
わたしにはその言葉がこころにしみました。
こちらの方も「きよし 愛の劇場」で名女優さんに変身され、会場をわかせてくださったのです。

以上、遅くなりましたが、トークコーナーでこころに残ったこと書いてみました。


以下はこの画像のあとに、ひとりごととして、前回、宇治市文化センターでのコンサートに参加したときの思いを書いてみたいと思ってまとめていたのですが、思っていたより時間がかかりそうで、明日の準備もしなければならないので、ここでいったんアップしますね。




新歌舞伎座でのコンサートのご報告の方が先になるかもしれませんが、思いをまとめつつ書いてみたいことですので、もう少しお時間くださいね。

そしてお誕生日企画の詳細も週末にはアップしますので、ご参加よろしくお願いいたしします。
明後日は大阪へいってまいります。

新歌舞伎座へいってまいります。 更新中に「男の絶唱」の発売記念イベントのおしらせとジャケ写がアップされました(嬉)

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こんばんは。
仕事でバタバタしていたら日付がかわって8月23日。
昨夜の「歌う!SHOW学校」、ご覧になりましたか?
出演者の皆さまの熱演&熱唱、楽しくって、素晴らしかったですね。
公開収録に参加させていただいてはいましたが、放送であらためて、きよしさんの歌唱にとりわけ惹きこまれ、オリジナルより1音高いハイキーの「哀愁列車」は放送でも聴いても、最高!
「男の絶唱」の颯爽として素敵でした。

さあ、わたし、今日は新歌舞伎座へいってまいります。
かつてなんばにあった新歌舞伎座にいったのは、2002年のクリスマスに「きよしこの夜 i n 新歌舞伎座」を観にいったのが最初でした。
正直、大阪に新歌舞伎座があるということもそのときはじめてしったのです。
その後、「草笛の音次郎」、「きよしの森の石松」と2度の座長公演にうかがったのですが、老朽化もあって2009年6月に閉館して、翌2010年9月に現在の上本町YUFURAにオープンしたのでした。

移転後の新歌舞伎座でのきよしさんの公演は今回がはじめてになるので、どんなものになるのかわくわくしているのですが、先日の宇治市文化センターでのコンサートでも、この日限りの新歌舞伎座ならではのコンサートになることをおしらせくださり、きよしさん自身もとても楽しみにされている様子でした。

ファンクラブでの抽選に昼夜とも落選してしまい、一度はあきらめたのですが、昼夜の1枚は譲ってくださる方がいて、もう1枚は一般電話予約の日に仕事先に移動しながら腰痛をこらえて何度もリダイヤルして、なんとかチケットがとれ、昼夜参加できることになったのです。

ちなみに昼夜のいずれかはこのお席。
チケットをご覧くださいませ。

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”3階立見X列”と印刷されてますでしょ。
そう、昼夜いずれかは立見なのですが、それでも電話がやっとつながってとれたので、嬉しくって!
そして、腰が回復しなければ立見はとても無理なので、あきらめることになるかもしれないと覚悟していましたが、なんとかがんばれそうです。
でも、昼夜いずれかは1階席でみることができるので、どうか心配しないでくださいね。



そして、以下はとりとめのないひとりごとですが、お読みいただけたら嬉しいです。
2014年10月21日に宇治市文化センターではじめたおこなわれたきよしさんのコンサートは、その月の7日、8日の両日、日本武道館で”デビュー15周年記念コンサート”を大成功に終わらて以来初ということで、20周へ年の船出ともいうべき力みなぎるものになりました。
熱唱&”ハッピートーク”で、昼の部が感動のうちに幕を閉じ、迎えた夜の部では客席にびっくりするくらいのたくさんのボードが揺らめいていて...。
きよしさんはひとつひとつをじっくりと、嬉しそうにご覧になっていて、いつも台湾からお越しくださっているファンの方にもすぐに気づかれお礼をおっしゃられると、その流れで、日本の魅力をもっともっと知っていただきたいというような話題になったのです。
「6年後にオリンピックもありますから」
とおっしゃるのを横でお聞きになっていらした西寄さんが、
”東京オリンピックで、”氷川きよし”の音頭が聴きたいですよね”
というようなことを客席に問われると、大きな賛同の拍手と歓声が響いたのです。
「嬉しいですね。ありがたいですね。僕も元気でがんばりたいです。
皆さんも命を大切にして、元気でいてくださいね。
命はどんな宇宙の財宝より尊いものですから。命あることに感謝して、僕はいつも笑顔でいたいです。
人を憎んだり、恨んだりなんてしたくありません。
そういう思いもすべて喜びに変えて、生きていきたいです。
これまでの人生で、僕、恨んだり、憎んだりしたことありませんよ。 
大事な人生のなかで(これからも)恨んだり、憎んだりなんてしません。
感謝です」
 
このとき、わたしは、きよしさんの唄ってくださる「愛燦燦」で感じていたことを、きよしさんがすべて言葉にして語ってくださっているように感じて、涙がこぼれそうになりました。
わたしは狭量なので、正直をいえばまだまだ許せないことを抱えて生きています。
ときにそのことを思い返してまだ涙が出てしまうような自分がまた許せなくて...。
でもこの日、昼夜、聴かせていただいたきよしさんの「愛燦燦」の歌唱と、唄い終えてのこのときの言葉に、
今日、許せなくてもいいじゃない。
明日も許せなくたっていい。
いつなのかはわからないけど、いつか、きよしさんのような境地になりたい。
それがたとえ遠い未来になってしまったとしても、いつかそうなれればいいんだよね。
きよしさんの、このときの言葉を聞いていて、そう思うことができたら不思議と心が晴れやかになれたのでした。
 
あれから2年以上が経った今、わたし、一点の曇もないのです。
あの日、宇治の地で自問自答していたわたしでしたが、今は、ただ晴れやかな思いしかありません。
宇治文化センターで3年ぶり2度めのコンサートを開催されるおしらせがきたとき、あの日、宇治で抱いた、あの時のわたしにとってはかなり前向きな思いがよみがえり、あらためて”氷川きよし”の歌唱と存在、その輝きが、すべてを洗い流してくださったことを感じたのです。
それで、今年、もう一度宇治の地で、きよしさんの歌声を聴かせていただきくなり、コンサートに申し込んだのでした。

このことを皆さまにお伝えしたいと思ったのですが、なかなか思いがまとまらなくて今日までお時間いただきました。
ごめんなさい。

以下は2014年のコンサートのブログに書いた記事をもとにふり返ってみますね。
 
 

「あのブルーのセーターを着た、あの時が、氷川きよしの誕生でしたね」
2014年10月21日に宇治市文化センターで開催されたコンサートの夜の部で、15周年を記念して開催された衣裳展の話題になると、きよしさんはそうおっしゃいました。
選び抜かれた約80着の衣裳は、どの衣裳も素晴らしいけれど、そこに事務所のオーディションで、長良会長(当時は社長)の前で、水森英夫先生のギター伴奏で「雪の渡り鳥」などの懐メロを数曲唄われたときにお召しになっていたセーターを飾られていたことに、司会の西寄ひがしさんが、”ああこれが氷川きよしなのだ”と感動されたことをお話しされて。
その言葉を受けてのことだったのですが、あのロイヤルブルーのセーターに、白いGパンをはいていらしたのだそうです。このときのきよしさんの言葉が、心に深くしみいったのです。

長良会長ときよしさんが初めて会ったのは1999年2月25日のことだったそうです。
それはのちのインタビューで長良会長ご自身が、
”忘れもしません。1999年2月25日。私が初めてきよしと会った時、着ていた洋服は青いセーターだった。後から聞いた話ですが、あのセーターは私と会うために、なけなしのカネをはたいて買ったそうです。”
とお話しされていました。
わたしは、2004年に銀座三越で開催された「氷川きよし デビュー5周年記念感謝展」でこのセーターを拝見して、当時でさえそのセーターを大切に持っていらした、きよしさんの真心に感動したのですが、それからさらに10年を経ているのです。
長良会長に初めて会った日、氷川きよしがこの世に生まれる最初の一歩を歩み出したその瞬間に、きよしさんがお召しになっていたセーターですから、氷川きよしとしての”最初の衣裳”が、このセーターなのですね。
 
10月7日、8日の両日、日本武道館で”デビュー15周年記念コンサート”を開催し、大成功に終わらせたきよしさん。
この日のコンサートはそれ以来初といことで、20周へ年の船出ともいうべき力みなぎるものになったのです。
夜の部で「伝言~メッセージ~」を、
”♪あなたに伝えたい「愛してる」”
とせつなさを募らせながら、しっとりと唄ってくださったきよしさんの歌唱に、われを忘れて、ふうとため息がこぼれたのです。
きよしさんもその余韻に身をひたしておられる様子でしたが、余韻が引いていくと、照れ臭そうに笑って、
「すごくあったかくて、唄っていて胸がきゅっとくる歌ですね。
でも、僕、唄っていて恥ずかしいんですよ。
子どもの頃から、両親の前で、”好きだ”とか”愛してる”とか恥ずかしくて唄えなかったんですけど。
そういうことって、大人になっても変わりませんね。
恥ずかしい…」
自分の心情をダイレクトに吐露するようなポップスを唄うことが恥ずかしくて、それで演歌の道を選んだのだということまで、おっしゃってから、ほんと、今日は困っちゃったなあというふうに苦笑されたのでした。
 
きよしさん、あんなにロマンチックに唄ってくださったのに、唄っていてそんなに恥ずかしかったの?
そんなこと言われたら、わたし...。

以前、”女性の皆さんは男性のどんなところに惚れるんですか?”と、ある日の“ふれあいコーナー”で、きよしさんが客席におたずねになったことがありましたが、
きよしさん、こんなときなんですよ。
ね、皆さま。
誰か、きよしさんにおしえてさしあげてくださらないかしら?
なんて(笑)。
  
オープニングトークで、
「前日から緊張していました。
今日は朝6時に起きて、飛行機で、あっ! じゃなくて、新幹線に乗ってきました。
久々に京都駅に降り立ったという気がして、京都の雰囲気を感じて、やっぱりいいなあと思いましたけど、これから紅葉の季節ですよね。
紅葉がアレして...」
と、すでにお得意の(?)”アレ”が飛び出したのでした(笑)。
 
「今年は年の初めから、15周年記念コンサートのことを考えてやってきたので、終わって、正直、抜け殻になっているような感じでしたが、宇治に来て、皆さんに元気をいただきました。
いつも自分は力不足で、ほんとうに何もできないですけれども...」
そうおっしゃるきよしさんに、客席から大きな拍手と歓声が起こったのです。
するときよしさんは笑顔で大きくうなずかれて、
「新たなスタート、明日への道という感じですね。
皆さんに喜んでいただきたいという思いで唄ってきましたから、これからも皆さんに喜んでいただけるような、心の奥底に届く歌を唄っていきたいと思います」
と力強くおっしゃってくださいました。
  
”ふれあいコーナー”で、武道館でのコンサートの大成功を称えてくださったかたが、”そのあと、休むことができましたか?”と質問を添えてくださっていたので、きよしさんは釣りにいった話をしてくださいました。
「コンサートが終わったあと、釣りに行きました。
東京の海ですが、友人7人を誘って漁船に乗って。
魚がいっぱい釣れたんです。6時からスタートして午後1時まででしたけど、スタートして2時間経っても、僕だけ何も釣れなかったんです。
それで場所を代わってもらったんですけど、僕は釣れなくて、僕がいた場所に移った友人が釣れたんです。
そこまで自分だけ釣れないと、正直気分はよくないですよね。
でもそのときは、僕が企画して皆を誘ったので、ぐっとその気持ちを抑えて笑顔でいたんです。
皆も、”もう少ししたら釣れるよー”って言ってくれていたんです。
そうしたら、”キターッ!”て、やっとなったんです。
でも、隣の友人の釣竿に引っかかっただけだったんです。
サバ、タイ、シイラといった魚がたくさん釣れたので、それを焼いて食べて。
おいしかったです」
 
ふだん忙しくされているきよしさん、日の光や潮風を思い切り浴びてみたかったそうで、自ら企画&セッティングして、職種も様々なお友達を招待されたのだそうです。
西寄さんに、たくさんのお魚が釣れた様子などの写メをきよしさんが送られたということでしたが、きよしさんが一匹も釣れなかったことは、この話題になるまでご存知なかったそうです(笑)。
”いいじゃないですか。コンサートのネタになったんですから”
西寄さんが即座にフォローしてくださいました。
そうですね、ひとりだけお魚が釣れなかったきよしさん、どんな様子だったのかしら? と想像して、愛しくなってしまいます。
きよしさんは、”無職37歳になって”お休みすることができたとおっしゃっていましたが、そんな思いになるほどリラックス&リセットすることができたのでしょうね。

そういえば夜の部ではこんなこともありました。
“この秋に何をたべたいですか?”という話題になると、
“きよしくん!”という声が(汗)。
すかさず西寄さんが、
「きよしは食べられません。
食べちゃいたいというお気持ちはわかりますが(笑)。
氷川きよしは皆のものでございます」
と(笑)。
ところが横で聞いていらしたきよしさんは、
「ありがたいですね。
僕なんかで良かったら食べていただいてもいいんですけど」
と申し訳なさそうにおっしゃったのです。
そして、
「デビューして15年。
皆さんが作ってくださった道です。
これからも皆さんに僕の歌を聴いて楽しんでいただけたらと思います」
と結ばれたのでした。

昼夜とも“きよしコール”が起こり、昼の部ではその場で一回転!
新曲「ちょいときまぐれ渡り鳥」への思いを言葉にされ、
「僕は富士山のような人になりたいと思うんです。富士山のように寛大で、何でも受け止められるような人に。
そんな人になりたいという思いを込めて『ちょいときまぐれ渡り鳥』を唄っています。
年末までこの歌でがんばります。
皆さん、応援よろしくお願いします」
きよしさんは、そうおっしゃって、深々と頭を下げられたのでした。

アンコールで「陽春」を、唄われたあと、「きよしのソーラン節」をワンコーラス歌唱したところでストップして、新曲「ちょいときまぐれ渡り鳥」を披露するという構成ですが、久々のコンサートということで、昼の部ではツーコーラス歌唱するつもりだったきよしさん、そのことを言葉にされながら苦笑されていました。
そして、夜の部でも、
「コンサートは久しぶりなので、ああ、そうかこういう流れだったなとか、ところどころ思ったりしておりました(笑)」
とおっしゃっていました。
わたしは、そんなきよしさんの様子に、どれほど日本武道館でのデビュー15周年記念コンサートに全身全霊をかたむけ、そのすべてを込められていたのか、そしてそのコンサートを大成功に終えたあと、しばしひとりの人間に戻ってリラックスされたのかを感じたのでした。


さらにとりとめなく書きますと、
15周年では、山野楽器さんが銀座本店の正面にきよしさんのジャケットを飾ってくださっていました。
 
掲載期間の後半に写メするつもりでいたのですが、
夜間にしか見に行かれず撮影環境がよくなかったので、
これはコロムビアさんの画像です。
 
 
ちなみにこちらは10周年。

11月6日の「月刊・氷川きよし」(デイリースポーツ)に、15周年記念コンサートを紙上再現してくださったのですがそのなかで、
「ファンの方に支えていただいて今がある。携わる皆さんに支えていただいて今日がある。
1人の力では何もできない。多くの方が氷川きよしを支えてくださっている。
感謝の気持ちでいっぱいです。これまでを振り返っても、思い出はファンの皆さんとのことです。
どんな時も僕を見守ってくださり、僕の歌を愛してくださり。だからここまで歌ってこられたのです」
ときよしさんの心境が書かれていました。 
何度も何度も読み返しては胸熱くなり、その言葉を、そして込められた思いを抱きしめたくなったのです。
 
きよしさんのデビュー15周年記念コンサートが大晴天&大成功に終わって、わたしもひとりのファンとしていろいろな思いを抱きました。

もともと富山旅行を予定していたので、10月28日に高岡市民会館で開催されるコンサートを申し込んでいたのですが、そのあと、宇治市文化センターでのコンサート(10月21日開催)のご案内をいただいて、15周年記念コンサートを終えたきよしさんが、新たな第1歩を踏み出されるその日に居合わさせていただいて、きよしさんの雄姿をこの目で見たいという思いがわいて...。
”京都なら日帰りできる”ということを、自分への言い訳(?)にして、前後の仕事を繰り合わせて参加させていただいたのです。

久々のコンサートに緊張されているとおっしゃるきよしさんでしたが、ひとまわりもふたまわりも包容力が増していることを感じて、ファンとしてその雄姿が誇らしく、そして幸せを感じたのでした。
そのことはレポートに書かせていただきましたが、それからまた、きよしさんのことを考えて...。
 
15周年ということでわたしが言いたいことは、ある意味、この一言に尽きるかもしれないと思ったのです。
それは、わたしは”氷川きよし”になれないということ。
きよしさんの肉体にわたしの魂が宿ったとしても、わたしは”氷川きよし”に絶対になれなかったということ。
あの肉体に、あの魂が宿ったからこそ、“氷川きよし”が、この世に生まれ、今日もまぶしいほどに輝いていてくださるのだということを。
今さらと思われるかもしれませんが、でも、あらためて、そうはっきりと思ったのです。
 
デビューする前は、歌手を夢見るひとりの青年だったきよしさん。
苦労と挫折を重ねて、長良じゅん会長(当時は社長)と出会ってデビューした途端に大ブレーク。
長良会長は、”売れるか、まったくダメかのどちらかだと思った”と、のちの取材でおっしゃっていましたがキャンペーンが始まると前代未聞の大反響になり、名付け親の北野武監督は、”こんなに早く売れた人、見たことない”と語っておられました。
ほんとうにそうですよね。

そんな”氷川きよし”について、きよしさんご自身も、ラジオ番組で(その後は折々に)、
「一気に走り出した”氷川きよし”に追いつけないと感じたこともあった」
とお話ししてくださったことがありましたが、その後1日も休むことなくひたむきに努力され、いつしかぴったりと追いつき、今は真の意味で一心同体でいらっしゃることを、ファンとして感じています。 
 
これまで、わたしは、ほんとうに、きよしさんのことを、見て、見て、見て...。
見つめさせていただいてきました。
その歌を聴いて、聴いて、聴いて...。
 
と、こうして書いていて思い起こされるのは2004年の夏のこと。
炎天下のなか、銀座三越の屋上で開催されたイベントでのこと。
屋根のない櫓の上でスーツで新曲の「番場の忠太郎」を歌唱されたきよしさんの姿が鮮やかにうかびます。
デビュー以来、加速をますハードスケジュールの日々。
けれども疲れも暑さも微塵も感じていないかのような堂々とした歌唱を披露され、ハイタッチ会となったのですが”ハイタッチ”のはずが、きよしさんがひとりひとりの手を握ってくださったので、握手以上に素敵な体験になり、時間もその分相当に押してしまったようでした。
あとになって、その日、お母さまが大変な手術をされ、きよしさんが大きな心労を抱えていらしたことを知らされたとき、わたしは涙がとまりませんでした。
ああ、この人に一生ついて行こう。
心の底からそう思った瞬間でした。 
 
そしてその翌日に開催された八王子市民会館でのコンサートの夜の部でのきよしさんのことも、忘れることはできません。
そのときのコンサートの最後の曲だった「玄海竜虎伝」まで唄い終えると、きよしさんは袴姿のままステージに両膝をついてしまいました。
でも少しも揺るぎのない見事な歌唱でしたし、きよしさんは笑っておられ、そのあともアンコール曲を唄われて幕が降りたので、その身に起こっていた異変を、きよしさんはわたしたちに気取らせもしなかったのです。
わたしは、そのときのきよしさんの体調が極限状態にあり、命がけの歌唱だったことを、翌日の渋谷公会堂でのコンサートが延期になって、初めて知りました。
 
ほんとうに、真にプロフェッショナルであるということはなんて厳しく壮絶なものなのでしょう。
それにしても、あの内気で心優しいきよしさんが、どうしてそこまでがんばれるのでしょう?
きよしさんを何が支えているのでしょう?
わたしは、ずっとずっと考えていました。

そのことは少し前の記事に書かせていただきましたが、
それは”愛”にほかならないのだと、きよしさんを見つめていて、いつしか感じるようになったのです。
自分を愛してくれる人たちに喜んでほしい、笑っていてほしい。
自分のことで絶対に心配をかけたくない。
その思いが、 きよしさんを支えているのではないかと。
そしてその思いこそが”愛”なのではないかと。
きよしさんに確かめるすべはありませんが、でもそうなのではないかなと感じているのです。
 
 
「日々感謝して、1人1人の方を大切にできる人に成長したい。
歌で伝えていくことが一番大切だと思います。
この命ある限り歌っていきたい」
10月31日におこなわれたニューアルバム「演歌名曲コレクション20~ちょいときまぐれ渡り鳥~」のリリース取材会でのきよしさんの言葉。
11月1日の日刊スポーツに掲載されていました。
その取材会の報告記事には、
「つらい思いもしましたけど、ずっと見てくれている人たちはわかってくれているんだなって、感謝しました」
 というきよしさんの真心こもった言葉も、きちんと載せてくださっていました。
わたしはこの言葉を目にして、取材会に参加された記者の方たちにも、きよしさんの思いがしっかりと伝わっていることを感じたのです。
そして、その思いをその記事を読むであろう、きよしさんのファンに、できる限りダイレクトに伝えてあげたいと思ってくださったであろうことも。
そのときは新聞を抱きしめました。
そして、これこそが”氷川きよし”の真骨頂であることを再認識したのです。
きよしさんはデビューする前から、出会った人たちに誠心誠意を尽くして接し、ひとり、またひとりと、その歌声と笑顔を届けてきたのでした。
どんなにスターになってもひとりの人間であることを大切にしてきた、きよしさん。
その生き方はこれからも揺らぐことはないのでしょう。


※とりとめないままで申し訳ないのですが、自分では思いを言葉に出せて安堵ています。
2014年に抱いていた、悲しみも苦しみも、大きな恨みも、もう、きれいさっぱりありません。
それは”氷川きよし”の歌の力のおかげにほかなりません。
そして、「男の絶唱」を聴くほどに、泥に咲く睡蓮のように、すべてを喜びに変えて、感謝して生きていこいうという思いにさせていただいているのです。

皆さま、このブログを更新中に、日本コロムビアさんのHPで、「男の絶唱」の発売記念イベントのおしらせと、ジャケ写がアップされていました。
睡蓮があしらわれていて、素敵ですね。


こちらがDタイプで、カップリング曲は「酒場のひとりごと」です。

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こちらがEタイプでカップリング曲は「芝浜恋女房」です。

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こちらがFタイプで、カップリング曲は「片恋のサルサ」です。

イメージ 4


そして発売記念イベントは、
9月5日(火) 東京  池袋サンシャインシティ 噴水広場

9月8日(金)  名古屋 アスナル金山

9月10日(日) 大阪  もりのみやキューズモールBASE1F BASEパーク

の3か所で開催され、東京は15時から1回のみ。名古屋、大阪は2回開催されます。

詳細は、日本コロムビアさんのHPで確認してみてくださいね。

5日がイベントということは、9月の「うたコン」には何日に出演してくださのでしょう?
また予定がひとつ決まって、忙しい嬉しさです。



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