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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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「マクベス」を観てきました。横内正さん、最高です!

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昨日、三越劇場で「マクベス」を観てきました。
主演・演出は横内正さん。
横内さんはわたしが敬愛する蜷川幸雄さんと深い交流があり、、蜷川さんが演出されたシェイクスピア劇にも5作ほど出演され、いつかは”横内流マクベス”をとおっしゃっていた夢をかなえての舞台でした。

信頼の厚い俳優さんを集めての「マクベス」は、まさかの激しい戦闘シーンもあり、客席も舞台の一部に変え、観客を巻きこむ演出、英国の物語でありながら、和やアジアンテイストを融合させた衣裳やセットなどなど、蜷川さんに通じるものもあり、蜷川さんへのリスペクトをの思いも感じました。
まさに”YOKOUCHIマクベス”の誕生です。
横内さんはじめ、共演された俳優の皆さんの熱演に、こちらも胸熱くなりました。


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上演期間が4日間8ステージのスペシャル公演ですが、当日券があるそうですので、ぜひ!

出演は、田村亮さん、一色采子さん、松村雄基さん、崎本大海さん、加藤頼さん棚橋幸代さん、佐藤正宏さん、佐々木正洋さんといった実力派揃いです。


ところで、横内さんといえば、わたしたちにとっては、「銭形平次 ~きよしの平次 青春編~」で、きよしさんがお世話になったことが思い出されますね。

2011年6月の千穐楽について、わたしは、こんなふうに書いていました。
そして迎えた千秋楽。きよしさんは登場された時からすでに涙されていました。
最初の台詞を言おうとして、様々な思いが去来したのでしょうか。
母親役の大空真弓さんも涙でした。
そしてその二人のやりとりを見守る八五郎役の西山浩司さんも涙され、西山さんは思わず干してある洗濯物で涙をふかれていたのです。
”がんばれ、きよし、がんばれ、平次!”きよしさんの一挙手一投足に皆のそんな思いが向けられていたのではないかと思います。
西山さんが”最後の柿ですね”とアドリブでおっしゃると、きよしさんはまた涙でした。

けれども休憩を挟んで後半になると、きよしさんは俄然キリリとして平次を演じられたのです。
台詞はいっそう冴えて、見得も惚れ惚れするほどにキマるのでした。
私がとりわけ忘れられないのは、多くを学ばせていただいたに違いない横内正さんとの数々のシーンです。涙を見せず、澱みなく堂々と演じるきよしさんから、教えていただいたすべてを今日ここでお見せし、横内さんに感謝を表したい...。
横内さんへの深い敬愛の思いが、ひしひしと感じられて胸熱くなりました。
きよしさんほどの感性の持ち主ならば、横内さんの演技に底知れない奥深さを感じ畏敬の念を抱かれたのではないかと思うのです。


さて、明日17日はNHKホールで開催される「長良グループ 新春豪華歌の祭典」にいってまいります。
その一瞬に賭けて、写メがんばってみますね(嬉)。

文末に懐かしい画像を!

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それではまたお逢いできますように!

長良グループ新春豪華歌の祭典にいってきました。NHKホールは笑顔の花がいっぱいになりました。

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あ~、楽しかった!
と、まだ興奮さめやらず。

NHKホールで開催された「長良グループ 豪華歌の祭典」の夜の部にいってまいりました。
素晴らしい歌、そう、きっとこのときにしか聴けないであろう歌のオンパレードに、思い出のエピソードや楽しいトークに、事務所の歴史や、皆さんのヒストリーにまつわるエピソードをあらためてしって、感激ひとしおだったのです。

オープニングは、ステージに出演者の皆様が勢ぞろい。
下手からきよしさん、山川さん、田川さん、水森さんが並ばれて「ヤングマン」を振り付きで歌唱され、華やかな幕開けとなりました。
きよしさんはレモンイエローに、細かなラメが織り込まれた鮮やかでさわやかなスーツをお召しになっていました。靴も同色のエナメルで、シャツは白でした。

さて、先にNHKホールのロビーに飾られているお祝いのお花、すごいなあと見とれていたら、動画を撮っておられる方がいて、なるほどと、わたしもトライしてみました。
近くにいらした方たちが82個あるとおっしゃっていたのですが、動画をアップしてから数えてみたら、82個ありました。
皆さんの華々しいご活躍がどれほど多くの方たちに支えられているのかを感じてじんときますね。




「ヤングマン」を4人でフルコーラス歌唱されると、オープニングのご挨拶となりました。
司会は、西寄ひがしさんです。
まずはきよしさんからとなったのですが、
「今日はお寒い中、お忙しい中、ありがとうございます」
と来場のお礼をおっしゃって、
「長良まつり...」
と、このコンサートのタイトルをいいかけて、
「すいません、タイトルが覚えられなくて」
と、後方上部に掲げられた看板を振りむいて確認しかけてまた振り向かれると、
西寄さんが、
「どうぞ、どうぞ、ご覧になってください」
と(笑)。
「みてもいいですか?」
と客席にきよしさんがおうががいされると、大きな拍手が起こりました。
そこできよしさんは半身看板に向きなおられて、
「新春豪華歌の祭典!」
とおっしゃったのです。

そして、
「福岡、大阪とつづいて、今日の東京で最後です。
なんだかさびしいですね~」
とのきよしさんの言葉に、山川さんが、
「まだ沖縄がありますよ」
とフォローしてくださいました。

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※静かにみえますが、すぐ隣のCD即売所はごった返していました!


田川さんがご挨拶されたときに、皆さんもお話しされたのですが、その際、きよしさんが、”としみさんといおうとして、”としまさん”になってしまいそうになったそうで、
「すみません。”としみさん”といおうとして、”としま(年増)”さんって。あの口がすべって」
とおっしゃったので、大爆笑。
きよしさんは、”口が回らなくて”とおっしゃりたかったのだということは、田川さんはじめ了解しておりましたが、それにして、言い間違いすぎですよね(笑)。
ドツボにはまってしまったきよしさん。大好きな先輩方とご一緒でリラックスされていたのですね。

この日は2部構成で、第1部のメインは、これまでも大好評だった”シャッフルコーナー”でした。
持ち歌をとりかえっこして歌唱されるのですが、
山川さんが、
「それぞれの歌手のファンの方に失礼のないようにという思いで、練習を重ねて臨んでいるということを申しあげていきたいです」
というようなことを代表しておっしゃっていたかと思います。


この日の模様は、BS日テレで3月16日(土)午後7時から放送されますので、この画像のあとは、内容にふれるものになることをご了解くださいね。

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順番やそのときどきの皆さんの楽しいやりとりは、放送をみてのお楽しみとさせていただきたいと思いますが、
トップバッターは、田川さんで、山川さんの「夜桜」を歌唱されました。
いつも「夜桜演歌まつり」のエンディングで皆で歌わせてきていただいてきましたが、艶やかで素敵な「夜桜」でした。
もちろん、きよしさんのソロ歌唱で聴いてみたい思いは変わらずありますが、田川さんお「夜桜」にも聴き入りました。

この「夜桜」で山川さんが思い出されるのは、1992年の第43回紅白歌合戦。山川さんは前から6番目の歌唱でしたが、同日放送の「日本レコード大賞」にも出演されていたので、ギリギリになって、移動する車の中で着替えて、NHKホールに着いてから300メートル走ったそうです。
そして、ステージに着いたときには、イントロが奏でられていたということでした。
お兄様の鳥羽一郎さんも出場され、鳥羽さんは後半だったので、ギリギリまで、もし間に合わなかったら、”自分が歌う”と、待機してくださっていたことをあとできいて、ありがたさにじんときたそうです。
すごい秘話ですね。

そして、その秘話にはもうひとつ。
それは当時音響のお仕事をされていた西寄さんが、「日本レコード大賞」で山川さんが歌唱されていたとき、マイクの白いコードが山川さんの足に引っかからないように、加減してひっぱっていたのだそうです。
そのことをおききになった瞬間、
「どうして歌いにくいと思ったよ(笑)」
と山川さんがおっしゃったので大爆笑。
でも西寄さんは、
「赤い糸ではなく、白でしたが、でも、そのときから(ご縁に)結ばれていて、こうして司会をさせていただいていることに感動します」
というようなことをお話しされていたので、華やかな舞台裏でのエピソードに感動したわたしでした。

さて、きよしさんがカバーされた曲は、
水森さんの「東尋坊」
田川さんの「哀愁港」
山川さんの「途中下車」
でしたが、どの曲も、もう一度聴いてみたいと思わずにいられない素晴らしさ。
とりわけ女性陣の2曲での歌唱には惹きこまれました。

きよしさんは、高校生のとき、山川さんの「途中下車」を歌うコンクールがあって、テープに録音して応募されたことがあったそうです。
「高2のときでした。練習しながら、歌っている山川さんて優しい人なんだろうなあって、思っていました。
だからお会いして、やっぱり優しい方だなあって。
それで、(あのときは)歌を録音したテープを送って、見事に!
ダメでした。」
とおしゃったきよしさんに、
山川さんが、
「(そのとき)ダメだったから、今のきよしくんがいるんだよ」
といってくださいました。

きよしさんは、
「そのときのことがバネになりました」
とひとこと。
西寄さんの”白いご縁のコード”と同じで、遠く離れていたときからどこかでつながっていたということなのでしょうね。


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ちなみに先輩の皆様がカバーされたきよしさんの曲は、
山川さんが「箱根八里の半次郎」
田川さんが「虹色のバイヨン」
水森さんが「星空の秋子」
でした。

”♪一夜ひとよに 夢見ごろ”
のフレーズのあと、”きよし!”とコールがはいりますが、そこで”かおり”とコールがはいって、感激してくださった水森さんに、その部分だけプレイバックとなりました。
嬉しさにジャンプされ、”せっかくだから寿美さんも!”ということになり、田川さんもそのフレーズを歌われて、”寿美コール”がおこったのです。
山川さんは? という展開になると、
「僕はさっき(「箱根八里の半次郎」で)してもらったから、たまには西寄くんがいいんじゃない」
と提案。
そこで、西寄さんも、歌おうとして、一瞬調子っぱずれになったのですが、再トライして美声をきかせてくださり、”ひがしコール”。
楽しい展開でした。

このコーナーのトリも田川さんで、歌ってくださったのがきよしさんの「虹色のバイヨン」だったのです。
”シャッフルコーナー”では、どの曲も1コーラス歌唱でしたが、この曲だけ、田川さんが1コーラス歌われると、両サイドのイスにすわっていた皆さんもステージに進まれて、皆で「虹色のバイヨン」のサビのフレーズを歌唱されました。
4名の歌手の皆さんに、”バイバイバイヨン”とかけ声をかけさせていただいたコーナーのエンディング!
初めて聴かせていただいた先輩方の名曲のカバーでのきよしさんの素敵な歌唱を思い返して感動し、選曲にまつわるエピソードに胸熱くなって...。
先輩方のカバーの数々も素晴らしかったのです。
ほんとうに、なんて幸せな時間だったことでしょう。

つづいては”カラオケコーナー”ということでカラオケの名曲を男女2組にわかれて、
きよしさんと山川さんが吉幾三さんの「酒よ」、
田川さんと水森さんがテレサ・テンさんの「時の流れに身をまかせ」を歌唱されました。

第1部のラストは、東京公演だけのスペシャルゲストということで、グッチ裕三さんが登場。
スタイリスティックスの「愛がすべて」を歌唱されると、西寄さんを聞き手に、楽しいトークがはずみました。
長年親しくされている三宅裕司さんがつくってくださった新曲「最後のプロポーズ」を歌ってくださいました。
三宅さんの奥様の”天然抱腹エピソード”に、きよしさんとロケをご一緒したときのエピソードなど、もう、楽しお話しがとまりませんでした(嬉)。

ちょっぴりアブナイ発言もとびだしたので(笑)、
「放送されないかもね」
と(笑)。

ここで15分の休憩がありました。


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第2部は幕が開くとステージには、西寄さんと、山川さん、辰巳ゆうとさん。
”ふれあいコーナー”のスタートでした。
1階席は田川さん、
2階席は水森さん、
3階席にはきよしさんがスタンバイされていることを西寄さんがおっしゃったのです。

昭和の名曲を辰巳さんが歌唱されるなか、スタートしました。
あちこちで、フラッシュがまたたいて、なんだかドキドキ(嬉)。
きよしさんはブルーのツートンカラーのスーツにお召し替えされていました。

いよいよ、きよしさんが近づいてきてくださったので、もうドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ。
もう、ずっとドキドキがとまらなくなっていたのです。
そして、すぐ近くにきてくださって、そして通路側だったので目の前をとおってくださったので、まさに”シャッターチャンス!”だったのですが...。
みることで舞いあがって、デジカメまでもっていったのに、カメラをむける余裕がありませんでした(汗)。

写真の名手のI さんのご主人に終演後、”まあ、見るか撮るかのどちらかになるよね~”と優しく慰めていただきました。
いつも優しくて素敵なご主人の笑顔が、そのときはさらにさらに輝いてみえたことはいうまでもありません。
そう、これを”二兎を追う者は一兎をも得ず”というのでしょうね。
わたし、そういう意味では”見る”ほうは完璧かもしれません(笑)。
目をとじると、目の前を笑顔で歩いてきて、また通りすぎていくその様子がながれるように思い出されるのですもの!

ちなみに、ご主人はしっかりベストショットをおさめたそうで、あとで、そのベストショットをいただけるとのことで、すでに立ちなおっています(笑)。


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※ちなみにこのショットは最後の最後でデジカメで撮ったものです。
唯一、皆様におみせできるものとなりました(汗)。


もう、ドキドキの連続で熱がでそうになっていましたが(汗)、皆さんがルールを守って楽しく進行した”ふれあいコーナー”、最高に楽しかったのです。

このあと、それぞれの皆さんが代表曲や新曲を披露するコーナーとなり、
辰巳ゆうとさんが「下町純情」と3月17日にリリースされる新曲の「おとこの純情」を歌唱。

つづいて、きよしさんが、3月12日にリリースされる新曲「大丈夫」(ダブルA面のもう1曲は「最上の船頭」)の衣裳で登場されました。
「最上の船頭」を歌われると、西寄さんが登場して楽しいトークに。
2020年のオリンピックに向けて、”和の素晴らしさ”を伝えたいという思いで、「最上の船頭」と「大丈夫」のダブルA面の衣裳をともに着物にされたそうですが、
縞の着流しに市松模様の帯を粋に結ばれていました。
20周年を迎えた思いについて、
「あらためてファンの皆さんが、氷川きよしを歌手にしてくださったと思っています」
とお礼をおっしゃったあと、そう、結ばれたのです。

7月11、12日の日本武道館での”20周年記念コンサート”に加えて、バースデーである9月6日に追加公演をされることをあらためておしらせされると、
「皆さん、来てくださいますから~」
と自信なさげに(笑)。
もう、ここは、20周年なんですから、
”みんな来いよ~、待ってるかな”
というノリでよいのでは? と思うのですが、こんなところまで変わらないきよしさんですね(笑)。

ちなみに昨日、「最上の船頭」と「大丈夫」のPVの仮があがってきて、チェックされたそうですが、
「『最上の船頭』から『大丈夫』に、ちゃんとつながっているんですよ。面白いものになっていると思います」
と、ここは自信たっぷりのきよしさんでした(嬉)。

水森さん、田川さん、山川さんがそれぞれ歌唱されると、エンディングとなりました。
皆さん、勢ぞろいされて、
「川の流れのように」
を合唱です。
それぞれ数フレーズずつソロで歌われて、次第に皆の声が重なっていきました。

終演後は笑顔、笑顔、また笑顔。
ホールのエントランスに飾られているたくさんのお花もまた笑顔になっているように感じたのです。


※明日は日本歌謡大賞の発表&授賞式にいってまいります。

第1回 日本演歌歌謡大賞は氷川きよしさんに決定です! おめでとうございます。そして今日が新たな賞の出発式なのですね。

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栄えある第1回 日本演歌歌謡大賞は氷川きよしさんの「勝負の花道」に決定しました。
氷川きよし様、おめでとうございます!
一昨年、日本有線大賞が50年の歴史に幕を閉じて、新たに誕生したのがこの”日本演歌歌謡大賞”。
ですので、”日本有線大賞”の50年の歴史のなかで前人未到の大賞を9回受賞されているきよしさんにとっては、事実上のV10でもあるとうけとめております。
ほんとうに素晴らしい賞ですが、きよしさんは、応援してくださったファンの皆さん、リクエストしてくださった皆さんのおかげだと、何度も何度も”ありがとうございます”とお礼の言葉をおっしゃっていました。

今日のすべては3月24日(日)にBS11で午後7時から約2時間にわたって放送されますので、ぜひご覧くださいね。

芝のメルパルクホールでおこなわれた、日本演歌歌謡大賞の発表&授賞式に参加させていただきましたが、わたし、大げさでなく、きよしさんに”おめでとう!”を100回くらいいわせていただいたのではないかと思います(喜)。
だって、もう、嬉しくって、晴れがましくって、そして誇らしくって!

きよしさんは眩しいほどに輝いていて、みつめているだけでうっとりとして、頬がほてってきそうに...。
わたし、その素晴らしい歌唱と、鮮やかな振る舞い、そして楽しいトークに、心洗われる思いがしたのです。

きよしさんは純白に細かなラメ(スワロフスキーかもしれません)を散りばめたように織り込んだ三つ揃いのスーツをお召しになっていました。蝶タイもお靴もとも布でつくられていて、シャツは襟元のピンタックの部分にさり気なく細かなフリルがついていました。
きよしさんにあまりにもお似合いの衣裳にもため息がこぼれました。
大賞候補曲を歌唱される際は、皆様、メダルをかけておられたのですが、きよしさんの素敵な衣裳にはそのメダルがとりわけ映えていたのです。


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※窓口でいただいたカードです。


では、以下は観覧させていただいて印象にのこったこと、そして文末にちょっぴり余談を書かせていただこうと思います。
先に日本演歌歌謡大賞のHPです。

大賞候補となり金賞を受賞されたのは8名の歌手の皆様。
大月みやこさん、伍代夏子さん、氷川きよしさん、藤あや子さん、増位山太志郎さん、松原健之さん、水森かおりさん、山川豊さん(五十音順)。
また、奨励賞には辰巳ゆうとさん、松尾雄史さんのおふたり(五十音順)が選ばれていました。


「演歌歌謡大賞の道」でも司会をつとめられている小林奈々絵さんの司会進行でスタート。
金賞受賞者がを紹介し、それぞれに受賞曲への思い、大賞への抱負などうかがっていったのですが、このトークが番組のつづきのようでとても楽しいものでした。
最初に登場されたのは男性3名で下手から山川さん、増井さん、松原さんでした。
皆様、この場に立たせていただけたことが嬉しいとおっしゃっていて、でもできれば大賞をと、お三方こころを通わせてのトークになったのです。
松原さんが「花咲線~いま君に会いたい~」
増井山さんが「泣き虫」
山川さんが「今日という日に感謝して」
を歌唱されました。

つづいては登場されたのは女性3名。下手から藤さん、伍代さん、水森さんが並ばれたのですが、藤さん、伍代さんのお着物が素晴らしくて、そこにドレープを華麗に施した異国情緒漂うブルー系のドレスで水森さんが登場されたので、こういうことを目の保養というのだろうなと思って見とれておりました。
伍代さんがご自身の楽曲について、”何気なく愛しいひとの寝顔をみたときに幸せを感じるような思いが描かれていて”というようなことをお話しされると、水森さんが思わず、”いやん”と(笑)。
そんな水森さんに、伍代さんが、”そういう思いがそろそろしたいのね~”とおっしゃっていたでしょうか。
傍らで藤さんは満面の笑み。
そんなふうに楽しいトークが展開されたのです。

水森さんが「水に咲く花・支笏湖へ」
伍代さんが「宵待ち灯り」
藤さんが、「素肌」
を歌われました。

さあ、ここまでで8名の方が歌唱されましたので、のこるはあとおふたり!
そう、次に登場されたのは、われらが氷川きよしさんと、大月みやこさんでした。
大月さんは、”こうして歌仲間と舞台に立てることが嬉しい”と何度もおっしゃっていたのですが、後輩の皆さんを”歌仲間”と称されている大月さんをとても素敵だなあと感じたのです。
そして、わたしが申しあげるのも失礼かもしれませんが、でも可愛いなあって思ってしまって...。
ところで、大月さんがお話しされているときに、きっときよしさんはお隣でトークをきかれていて、次回のモノマネの参考にされているのでは? なんて勝手に想像していたのですが、どんぴしゃり!
「あのう、(大月さんの)マネしたくなってしまったんですけど...」
と前置きされて、大月大先輩のお隣で得意のモノマネを(笑)。
ある意味、氷川きよしの”モノマネヒストリー”においても、大きな歴史を刻んだ瞬間となったのではないでしょうか(嬉)。
それにしても、そんなことをさせていただけてしまうほど、大月さんが気さくな方で、きよしさんはじめ後輩の皆さんに優しく接してくださっていることも感じたのです。

きよしさんは、もちろん、「勝負の花道」
大月さんは、「母なる海よ」
を歌ってくださいました。

「勝負の花道」では、大歓声がおこって、かけ声も一糸乱れぬといってよいほどにピッタリきまっておりました(嬉)。
きよしさんのファンの皆さんも、きよしさんの歴史的な第1回の大賞受賞を信じて、その瞬間をお祝いしたいと全国から大集結していたようで、コンサート会場さながらの熱気に包まれたのです。


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つづいては奨励賞のおふたりが登場され、下手から、辰巳さん、松尾さん。
辰巳さんが「下町純情」
松尾さんが「さよならを嘘にかえて」
を歌唱されました。

ここで10分程度の休憩となりました。


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※入場時にパンフレットやおみやげをいただきました



休憩後は、新曲披露となりました。
小林アナウンサーが、”第2回の大賞候補となる曲ともいえますね”というような言葉を添えてくださっていましたが、ほんとうにそのとおりですね。
皆様、新曲のコスチュームなどにお召し替えされていて、またまた素敵でしたが、きよしさんは、縞模様のモダンな着流しに白と黒の市松模様の帯を粋にしめておられました。

歌ってくださったのは、金賞受賞の8名。
山川さんが「Love me tonaight」
増井山さんが「港です女です涙です」
大月さんが「海鳴りの駅」
松原さんが「最北シネマ」
藤さんが「秋田音頭」
水森さんが「高遠 さくら路」
伍代さんが「暁」
と歌唱され、ラストはきよしさん。
「大丈夫」
を歌唱されました。
もう~皆様も熱唱をうけて、きよしさんは、またまた熱いステージとなったのです。

そして、奨励賞のおふたりが歌唱。
辰巳さんが「おとこの純情」
松尾さんが「すず虫」
を歌われました。

ここでいよいよ第1回演歌歌謡大賞の発表ということで、舞台には金賞を受賞された8名の皆様が勢ぞろいされました。
きよしさんは、「大丈夫」を、コスチュームである着流しに着替えて歌唱されていましたが、受賞はやっぱりスーツのほうが。
でもお着換え間に合うのかしら? 
と、なんだかそこでもドキドキしたのです。
そうしたら、候補曲の「勝負の花道」でお召しになっていた、眩い白のスーツにお着換えされていたのです。

さあ、大賞は!
もう、ドキドキドキドキドキドキドキドキ、どなたか、わたしのドキドキをとめてください~。
とそんな思いで、でもきよしさんのお顔をじっとみつめて、そして、耳は小林アナウンサーのお声に集中!
小林アナウンサーは、
「第1回日本演歌歌謡大賞は、『勝負の花道』、氷川きよしさんです」
と発表されました。

会場がわあっとわいて、きよしさんは感激と嬉しさに一瞬息を呑まれたでしょうか。
そして、輝く笑顔で、
「ありがとうございます」
と何度もお礼をおっしゃり、お辞儀をされました。
金賞を受賞された歌手の皆様も、笑顔で拍手をきよしさんに贈ってくださり、夢のような幸せな空気に包まれたのです。

全国有線音楽放送協会の理事長の岩永浩美さんが、きよしさんに楯を授与され、ご挨拶されたのですが、
50年を区切りとした”日本有線大賞”が新たなステップへと進み、この日が”日本演歌歌謡大賞”の”出発式”とおっしゃった言葉がこころにのこりました。

そう、まさにこの日が出発式なんですね。
その言葉をききながら、いっそう大きくうなずかれているきよしさんをみつめながら、この賞がこれからどんどん大きな賞へと成長していってほしいと願ったのです。

きよしさんは、有線大賞のときからの思いをお話しされ、
「ファンの皆さんが1回1回リクエストしてくださったおかげの賞なので、ほんとうにありがたいです。
ご自宅に有線をひかれてリクエストしてくだる方もいらっしゃるころを、きいています。
だいじな時間をつかっていただいて...。
ありがたいです」
と、こちらは”おめでとう”を100回申しあげたとしたら、きよしさんは何度”ありがとうございます”と、お礼をおっしゃったことでしょう。
マイクをきよしさんにさしだしている小林アナウンサーが小柄な方なので、きよしさんがどんどん左に傾いてしまって(笑)。
山川さんが、”まっすぐ!”と、見かねてフォローされる一幕もありました。
そんな山川さんへの感謝もこめて、きよしさんは、
「ありがとうございます。ほんとうに、”今日という日に感謝して”これからも歌っていきたいです」
と、山川さんのノミネート曲のタイトルをもじっておっしゃったのです。

そして、いよいよ、「勝負の花道」をフルコーラス歌唱。
嬉しさいっぱいのきよしさん。
そして、そのうしろでは、皆さんが拍手を贈ってくださり、山川さんや、水森さんは一緒に口ずさんでくださっているのが目にはいって、じんときました。

歌い終えたそのときだったでしょうか。
バーン! 耳をつんざく音がして、ゴールドのテープが宙を舞いました。

キラキラ、ひらひらとテープが天から降ってきて...。
そのむこうにはきよしさんの笑顔がいっそう眩しく輝いていたのです。


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※降ってきたテープです。


お別れには奨励賞のおふたも加わって、手を振ってくださいました。
そのときに、先輩方も、きよしさんの新曲での振りである、”大丈夫”のサインをしてくださっていて、そのことにも幸せな思いになったのです。


※以下は余談です。
お友達のOさんがある朝、「日本演歌歌謡大賞への道」を見ていたら、3月18日の発表&授賞式の観覧チケットの先行発売のおしらせがながれたとメールをくださったのです。
”まだだれがでるかも発表されていないし、有料なんだけど、きっときよしくん出ると思うの”と、お電話までくださったのでした。
それで、わたしもそれならばとチケットを予約したのですが、引き換えてみて、とても良いお席で大満足だったのです。
そうしたら、その後、スポンサーさんがたくさんついてくださったのでしょうね。
候補作が決定したときに、招待制になったのです。
それで出演者の方たちのFCサイトなどで観覧募集をされることになったのですが、そのことをしらないうちに、Oさんから、”Sさんが問い合わせたら、お席はそのままで、チケット代は当日返金になるそうよ”とメールが。

わたしはなにがあったのかしら? と番組サイトをみて、その理由をしったのでした。
ほんとうにありたいあことです。
その後、事務局からわざわざその旨のお電話もあり、入口横の窓口で自分の座席番号が印刷された招待チケットに引き換えました。

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その際に手渡された封筒には、チケット代と発券の際にかかった手数料まではいっていて、さらにチョコレーとまでくださって、ありがたさでいっぱいになりました。
第1回ということでいろいろなご苦労があったのだと想像しますが、最初から最後まで気持ちよくおもてなししていただいて、さらにこのようなフォローまで。
素晴らしい方たちが運営スタッフとして活躍されて実現したのだという思いを強くしました。

そして、今日の収録もとても楽しいものでした。
ふだんの番組で司会をされている小林アナウンサーだからこその、親しさのなかにも鋭い考察やファンの声まで把握されているトークにも聞き入りました。
ほんとうに皆さんの歌をたいせつに聴いてくださっていることがつたわってくるトークに、何より歌手の皆さんが嬉しく思われていました。

※以上、2日間、駆け足での更新で失礼します。
数日ブログはお休みさせていただくことになりそうですが、週末には、きよしさんの「人生号」にまつわる思い出や、最近読んで感銘をうけた松任谷由実さんのトークなど、書いてみたいと思っています。

新曲「大丈夫」/「最上の船頭」のジャケットが公開されましたね(喜)。嬉しさに急ぎ記事更新します。

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皆様、こんにちは。
今日は、お昼すぎまで仕事をして、午後から映画会社にいき、夜はお芝居のレポートを書くため、三軒茶屋にいくことにしていたのですが、その仕度をしていたのです。
そこで、なにかの予感か、ふと気になって、日本コロムビアさんのHPをみてみたら、3月12日にリリースされる新曲「大丈夫」と「最上の船頭」とのジャケットが公開されていました(嬉)。

次の更新は週末の予定でおりましたが、嬉しさに、外出の仕度をしつつ、ジャケットの画像をアップしますね。

まずはAタイプ!
カップリング曲は、「越後の雪次郎」です。
いやん、このまなざしで見つめられたら、もう...。
ところで、こんな船頭さんがいたら、もうお船から降りたくなってしまいそうですね(汗)。


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「大丈夫/最上の船頭」Aタイプ 
カップリング曲は「越後の雪次郎」


こちらがBタイプです。
きゃっ、きよしさんがふたりも(嬉)。
カップリングの「惚れたがり」ってなんんだか意味深ではありませんか?
イメージを勝手にふくらませて、ドキドキしています(喜)。


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※「大丈夫/最上の船頭」Bタイプ
カップリング曲は「惚れたがり」


そして、こちらがCタイプ!
笑顔と大丈夫のサインがチャーミングなきよしさんですね。
カップリング曲の「きよしのよさこい鴎」も素敵な曲なんだろうなあって、もうタイトルでわかります(嬉)。


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※「大丈夫/最上の船頭」Cタイプ
カップリング曲は「きよしのよさこい鴎」



では、駆け足の更新で失礼します。
また週末にお会いできますように!

第40回 松尾芸能賞 優秀賞(歌謡)にきよしさんが選ばれました! そのニュースに”やっぱりね、そうだろね”とあることで(?)メールをお友達とやりとりしたのです(嬉)

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こんばんは。
きよしさんから、さきほど”きよメール”がとどいて(喜)。
きよしさんが第40回松尾芸能賞 優秀賞(歌謡)を受賞されたおしらせに嬉しさいっぱいです。

松尾芸能賞は、日本の伝統ある劇場芸能を振興し、独自の文化、芸能の保存および向上に貢献した方に贈られる芸能賞ですが、きよしさんは、2002年に第23回松尾芸能賞 新人賞(歌謡)を受賞されています。

今回の選考理由がHPに掲載されていますが、ああほんとうにそうだなあと感じ入り、”氷川きよし”の歩みを深くみつめ、評価してくださったことに感動しています。

2000年「箱根八里の半次郎」でデビュー以来、数多くのヒット曲を世に送り出し、発売したシングル盤CDは全てヒットチャート誌ベストテン入りのこの記録は、演歌・歌謡曲歌手では唯一人である。
毎年50回近くの全国コンサートツアーを開催し、全会場を満席にする人気を保持し、歌謡界のトップランナーとして走り続けている。
また、明治座での1ヶ月座長公演をつとめ、芝居と歌の公演を完売する力量を示している。

嬉しくて、なんどもなんども読み返しています。
そして、稀代の名プロデューサーであった長良じゅん会長が、”見てる人は見ている”とおっしゃっていた言葉もあらためて思い出されました。

そして、受賞の喜びを、きよしさんは、”きよメール”のなかにこのように書かれていました。
デビュー20周年に突入し、立て続けに大きな賞を頂いて(註・先に「日本演歌歌謡大賞」初代大賞受賞のお礼を書かれているのでそれをうけてのことです)、感謝の気持ちでいっぱいです。
今回の受賞は、特に「コンサートツアー」と「歌と芝居の劇場公演」を評価してくださってのことと伺いました。ともに、お客様あってのコンサートツアーであり、劇場公演ですので、皆様のおかげで頂戴することができた「優秀賞(歌謡)」でございます。
今年、「20周年大感謝祭!」と銘打ってのコンサートツアーも始まりましたし、5月には本当に久しぶりの新歌舞伎座でのお芝居と歌の公演があります。
一つ一つのステージを大切にして、皆様によろこんで頂けるよう、精一杯務めさせて頂きます。本当にありがとうございました!

松尾芸能賞HP


そう、そして、すでに、氷川きよし デビュー20周年記念 SPECIAL SITE はご覧になりましたか?
きよしさんへの応援メッセージを送ることもできますね。
まだの方はぜひチェックしてみてくださいね。


今日は、「氷川きよし節」(文化放送)で、3月12日にリリースされる「大丈夫/最上の船頭」(ダブル両A面)の「最上の船頭」がながれました。
嬉しいニュースに、2日つづけての新曲のオンエアに、幸せいっぱいです。

そして、こんなに嬉しいおしらせがつづくと、また急ぎ記事を更新せずにはいられませんね~。

もちろん仕事の方は大丈夫!
逆に力がわいて、集中力と決断力がまして、2か月かけて練ってきた企画にOKがでました。不思議ですね(喜)。
それを形にするのがまたまた大変なことになりそうですが、今年1年をかけて、がんばりたい”夢の仕事”でもあります。

では、このあと、またまた仕事がんばります!

そして、以下は思いっきりの余談になります。
お時間に余裕があり、かつわたしの”与太話”に、”つきあってみてもいいよ~”と思われた方のみ、お読みくださいませ~。

👌大丈夫👌OK👌大丈夫👌OK👌大丈夫👌OK👌
と前置きして(笑)。 
ちなみにこの(上記の)ラインフレーム、かわいいでしょ!

では、以下は”与太話の余談”になります~。
2月7日に東松山市民文化センターでおこなわれた「新・BS日本のうた」(3月3日放送)の公開収録に参加した帰りの電車のなかでのこと。
きよしさんが、3月28日に名古屋市公開堂で開催される「新・BS日本のうた」の公開収録に出演されることになっていて、”その観覧に当選できたら、日帰りで参加しましょうか?”と、その日の観覧にご一緒させていただいたOさんと話していたのです。
と、Oさんに、きよしさんがその公開収録に参加されなくなったというおしらせがいち早くあって。
NHKさんのHPをチェックしてみたら、
赤い文字で、”氷川きよしさんが出演される予定でしたが、出演者の都合により出演できなくなりました。”
と書かれていました。

NHKさんのイベント詳細HP

周囲にすわっていたお友達やお顔見知りの方も、そのおしらせに、”なぜかしら?”とざわざわ(汗)。
そうしたら、堺のUさんからもその旨のメールがとどいたのですが、皆さん、どちらかというと”心配気味”。

でも、HPをご覧になればおわかりいただけますが、あんなに堂々と書かれるということはなにかおめでたいことにちがいないと、わたし、すぐにピン!ときたのです(笑)。
公開収録日のその日(3月28日)でなければならないセレモニーとか、あとで、”ああそのためだったのか”と誰もが納得されるおめでたい場に列席されるためではないかと考えて。
その旨、お返事したのでした。

今後もこのようなことは他の方でもあるかもしれませんが、もしも、逆になにか困った理由(体調など諸々)で出演できなくなったとしたら、NHKさん側が出演者の方へ配慮され、”番組の編成(構成)上、他の回に出演していただくことになりました”とかあたりさわりのない文面にしてくださるのではないかと思うのです。

そうしたら、お友達のOさんは、”おめでたいこと。なるほど。そうよね! でも、それが何かが、今度は楽しみで気になる~”と(喜)。
なので、きよしさんのメールのあとの第1番のメールはOさんからで、松尾賞受賞。これね! それにしても41歳の若さで凄すぎる。嬉しい~”というものでした。

松尾賞のHPやきよしさんからのメールには授賞式の日取りは書かれていませんが、わたしがお仕事でデータベースなどをよく利用させていただいている"歌舞伎公式HP”のトピックスに、授賞式は3月28日(木)と公表されていました(嬉)。
”やっぱりね、そうだろうね”
とOさんはじめ堺のUさん、Kさんや、そのことを気にかけていたお友達に、”歌舞伎公式HP”のトピックスのアドレスをペーストしたメールを送ったことはいうまでもありません。

それにしても、なにかおめでたいことと思ったものの、こんなにも素晴らしい賞を受賞されるなんてそこまでは想像がおよびませんでした(喜)。

氷川きよし様
「日本演歌歌謡大賞」初代大賞につづいて、「松尾芸能賞」優秀賞(歌謡)受賞、おめでとうございます。
20周年にふさわしい栄誉は、あなたのたゆまぬ努力のたまものですね。
ファンとして、嬉しく、ほんとうに誇らしいです。

そして、ご自身の功績が認められての受賞なのに、わたしたちファンのおかげといつも感謝の思いを言葉にしてくださるあなたに、魅せられ、ついていかせていただきたいと、ファン20年目にしてますます強く思うのです。


こちらの”歌舞伎公式HP”にに開催予定日と会場が書かれています。

それでは、またお逢いできますように!

”夢の花道 晴舞台” きよしさんの”二分の一成人式”の10周年に思いを馳せて...。

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こんばんは。
仕事がいつになく忙しくなって、あさっては相模女子大学グリーンホールでのコンサートに昼夜参加させていただくので、週末もお休み返上で仕事を前倒してがんばっています~。

最近、きよしさんの10周年に思いを馳せて、あらためて10周年記念曲の「浪曲一代」を聴きかえして、松井由利夫先生が書いてくださった歌詩の深みそして重みを感じています。
最近は、10歳になると、"二分の一成人式”をされるご家庭もあるそうですが、まさに”氷川きよし”の二分の一成人式”だった10周年の記念曲の、「浪曲一代」。
1コーラス目の、
”芸の真髄(まこと)を 掴むまで 見てはならない 故郷(くに)の空”

2コーラス目の、
”上っ面では 判ったつもり、つもりじゃ通らぬ 芸の道”

と、今あらためて振り返ってみて、ほんとうに芸の道の深遠と、厳しさを説いていることをいっそう感じます。
それは20周年、そしてそれ以降の”氷川きよし”への餞の言葉でもあると思うのですが、1コーラス、2コーラスと味わって、いよいよ3コーラス目を聴くと、そのあたたかさな励ましに涙がでてきます。

「浪曲一代」 ※3コーラス目の歌詩
母の言葉が 今更沁みる
苦労はいつかは 根を下ろす
天晴一代 絆はひとつ
兄が合の手 弟が語る
義理と人情の 合わせ技
夢の花道 晴舞台


松井先生は2009年の2月19日に、そしてこの歌を一緒につくられたであろう、長良じゅん会長は2012年の5月に旅立たれましたが、10周年を迎えた”氷川きよし”にどれほどの信頼と期待を寄せ、その大いなる未来を思い描いたおられたかを、あらためて感じて、じんときます。
長良じゅん会長も松井先生も、氷川きよしの才能と可能性、そして未来にどれほど壮大な夢を託されていたのだろうかと、「浪曲一代」を、聴けば聴くほど感じるのです。

このことを松井先生が旅立たれた2月19日に書きたいという思いがありながら書けないままでおりましたので、このタイミングで、記事をアップすることにしました。
あの日からも、10年なのですね。

そして、以下は10周年の年である2009年9月30日にわたしが書いたこのブログの記事です。
あらためて読み返してみました。
最近、この数年にきよしさんのファンになられた方からのコメントもたくさんいただくようになりました。
今回、記事を読み返してみて、当時をご存じない皆様にお読みいただけたらと思ったのです。
よろしければ下記に転記しますね。
また、以前、お読みくださった方も言葉足らずでお恥ずかしい思いもあるのですが、よろしければ、お読みくださいませ。


【氷川きよし様 あの日、あなたは歌と心中するつもりだったのではありませんか 】
 記:2009年9月30日

きよしさんの10周年を振り返った時、さまざまな思い出が私の心の中でキラキラと輝いているのを感じます。中でも、私自身が忘れることのできない思い出は2004年7月4日の八王子市民会館でのコンサートの夜の部でのことです。
昼の部に参加した友人から、きよしさんが、あまりに声の調子が悪いので「声の機嫌が悪くて申し訳ありません」と言って、涙ぐむ一幕があったとメールをもらったので、きよしさんのことを案じながら、夜の部の幕が開くのを待っていました。
いざ幕が開くと、ファンの心配をよそに、きよしさんはよく歌えているように思いました。
でも、心なしか表情は時折、険しくも見えましたが、それはさすがに疲れているのだろうなと。
とはいえこれだけ歌えているのだもの、心配いらないんだよね。そんなふうな思いできよしさんを見つめていたのです。
その日のトーク、少しメモが残っていました。
「孤独な一人一人が、こうして集まってひとつになる素晴らしさ」
「僕は体ばかり大人になって、心は子供のまま成長していない、寂しい」
そんなことをきよしさんおっしゃっていました。

そしてふれあいコーナーで、5歳の女の子が「きよし君、大好き!」とかわいらしい声で言うと、きよしさんは「嬉しいなあー」と言った後、少し間を置いて「結婚しようか」と言ったのです。
すると場内のあちこちから”キーッ!”という声が聞こえてきて、5歳の女の子に言ったことなのにと、その声に思わず、きよしさんも笑ってしまい、和やかなムードになりました。
そして、きよしさんが袴姿で登場し、コンサートも終盤になり、その出来事は起こったのでした。
『玄海竜虎伝』を歌い終えた時のことでした。

私は今でもその時のきよしさんを忘れることができませんが、同時に、どう表現すればよいのか、書こうとして途方に暮れてもいます。
歌い終えたきよしさんは、心底ホッとし、頬が紅潮し愉悦の表情に見えました。
それは『玄海竜虎伝』という難曲を見事に歌い、無事ここまで歌い終えたのだという安堵ゆえだったのだと、翌日知ることになるわけですが、きよしさん「はあぁぁぁぁぁぁーー」と全身で深く息を吐き、一瞬、放心状態になった様子でした。
そして袴姿でしたが、そのままストンと両膝をついてしまったのでした。
でも、きよしさんは「ハハハハ、ハハハハ、ふふふふ」
と、そんな感じで、決して作り笑いではなく、こぼれ笑いといったら良いのでしょうか。
しばらく両膝をついた状態で笑っていました。
後で思えば、本当に立っているのもやっとの状態だったのでしょう。
私は、そんなきよしさんの様子に、よほど疲れているのだろうとは思いましたが、まさかきよしさんの肉体が極限状態になっているだなんて夢にも思いませんでした。
ノートを見ると、きよしさんはその後、ラストトークをし、ラストは『箱根八里の半次郎』を歌って幕が降りました。
そして、今回この記事を書くにあたってノートをよく読んでみたら、その後さらにアンコールで『純子の港町』と『大井追っかけ音次郎』を歌って下さっていたのでした。
きよしさんは、終演後、そのまま病院に駆け込まれたのだそうですが、それほどひどい状態だったなんて、間近で観ていたのに、まったく感じさせませんでした。
その証拠に、私のノートには”さて明日は渋谷です”と書いてありました。
今、こうしてあらためてその時の様子を思い返してみると、あの時、きよしさんはどんな思いで『玄海竜虎伝』を歌われたのかなあと考えます。
そして私には、きよしさんはあの日、歌と心中する覚悟だったのではないかなあという思いがわいてきて仕方がないのです。
もちろん、きよしさんは言葉でそんなことを考えていたりはしなかったでしょうけれども、多分、あとさきのことなど何も考えず、その瞬間、きよしさんには歌だけがあったのだと思うのです。
『玄海竜虎伝』を歌い上げた時のきよしさんの愉悦の表情や笑いは、”今、ここでこの歌を歌いきることができるのなら、僕はもう死んだっていい”そんな決死の思いをこめたまさに渾身の歌唱だったのではなかったのでしょうか。
私はそんなきよしさんの姿を思い浮かべると、きよしさんが「命をこめて、魂をこめて歌います」とおっしゃる言葉の重み、そして、10周年記念コンサートのタイトルを”歌・命”にされた、その決意に尚いっそう感動せずにはいられないのです。

その翌日5日、13時30分に渋谷公会堂(当時)でのコンサートの中止が発表されました。
(註・以後、一度たりともご自身の事情でコンサートを開催されなかったことはありません)。
きよしさんは医師に急性咽頭炎による発熱と脱水症状と診断され、1週間の療養が必要とのことでしたが、7日には、新曲『番場の忠太郎』の発売日だったこともあり、結局、「めざましテレビ」と「笑っていいとも!」に出演されたのです。
その日、テレビで見たきよしさんの様子はまだ本調子ではないことが一目でわかるものでした。

さて、では、それ以前、きよしさんはどれほどのハードスケジュールをこなしていたのでしょう?
公表されているものだけでも
6/27 コンサート 昼・夜(京都)
6/28 ラジオ番組 生出演(大阪)
6/29 歌謡コンサート(NHK)生出演
6/30 BS日本のうた収録(NHK函館)ワンマンショーで12曲歌唱
7/ 2 夏祭りにっぽんの歌(テレビ東京)生出演
7/ 3 銀座三越でのファンイベント
7/ 4 コンサート 昼・夜(八王子)
7/ 5 コンサート 昼・夜(渋谷)
という恐ろしくハードなものでした。

5日は13時30分に渋谷公会堂(当時)のコンサートの中止が決定になると、ファンクラブの方が、電話で、コンサート参加者の自宅に中止の旨、緊急連絡をしたのですが、電話口に出られた方の中には、ショックで泣き出される方、絶句される方、また”事務所はきよし君を働かせすぎなんじゃないんですか”と意見を言われた方もいらして、連絡の電話もなかなか進まなかったそうです(私は仕事でしたので、6時すぎに会場についてようやくそのことを知りました)。
私は八王子でのコンサートの前日の3日には、銀座三越の屋上で開催された「きよしのドドンパ」さあさみんなで夏祭り!~きよし君とドドンパを踊ろう!!~に一部・二部の両方に参加し、きよしさんのおかげで夢のような時間をすごさせていただいたのですが、炎天下、きよしさんは屋根も日除けもない櫓の上で、ゆかた姿で登場されました。
大宮さんの和太鼓に合わせて、きよしさんご自身が『きよしのドドンパ』を歌って下さり一緒に踊るというぜいたくな盆踊り大会となりました。
その後、きよしさんは黒(もしかしたらダークグレー)のスーツを着て、7日に発売される『番場の忠太郎』を披露して下さったのですが、その歌唱は、聴いている私に暑さを忘れさせるほど素晴らしかったです。
その姿に、きよしさんの歩む道は本当に華やかだけれども、何と険しく過酷な道なのだろうと思わずにはいられませんでした。
暑くないはずはないのに、一部も二部も暑さをものともしない見事な熱唱だったのです。
そしてファンとのハイタッチ会となり、本来は両手をお互いにパンとタッチするというものなのですが、きよしさんの人柄ですね。結局のところ両手のタッチでは終わらず、両手指の間に指を重ねてぎゅーっと握って下さるという大サービスとなったのでした(通常の舞台の上にテントをはられていたので、ここでは日差しは遮られていました)。
そんなことを炎天下で一部・二部と2回していたら、どれほどのエネルギーを使い消耗されることでしょう。
終始笑顔のきよしさんでしたが、少し心配にもなりました。

だいぶ後になってから、このイベントの日に、きよしさんのお母様が大変な手術をされたことを知りました。
きよしさんは肉体的な疲れもあったものの、その心労が大きかったのだと後に語られました。
私はそれを知って、涙がとまりませんでした。
きよしさんのおかげで、あんなに楽しくて、嬉しくて、幸せな時間を過ごさせていただいていたその時に、きよしさんの心中はお母様を思って、どんなにか心配だったことでしょう。
できることならお母様のそばについていたかったことでしょう。
それなのにイベントでは、早く切り上げようなどという発想はきよしさんにはまったくなく、ハイタッチが両手握手になってしまい、予定時間を随分超過してしまったのではないかと思います。
人はそれをプロと呼ぶのかもしれませんが、プロであっても人間です。
外見は繕えても、心は誰しも同じように脆く、傷つきやすいものなのだと思います。
顔で笑って、心で泣いて。
そんなきよしさんに接して、「きよしさんに、私は一生ついて行こう」そう思ったのでした。
そんな思い出のある『玄海竜虎伝』。
10周年コンサートで聴けるでしょうか?


それでは、またお逢いできますように!

新しい元号は”大丈夫”って、もう(笑)。 きよしさんがそうおっしゃるなら、皆で”大丈夫元年”にいたしましょう! 於・相模女子大学グリーンホール

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「ヨイトマケの唄」
を歌われていたときのことでした。
きよしさんの、切々と、そしてときにドラマティックな歌唱に、心揺さぶられて...。
涙が、あふれるというよりも、じゅーっとどこかからしみだしてくるように感じていて。
その涙がほほをつたっていったとき、きよしさんが、後半の数フレーズを噛みしめるようにして歌われて...。
ああ、きよしさんもまた、そのこころが震えているのだなあと、そう感じたら、わたしの涙は堰をきってながれだしたのです。

相模女子大学グリーンホールでのコンサート・昼の部でのことでした。
歌い終えると、暗転したステージの上のきよしさんは、しばし下を向かれていたでしょうか。
照明がついても、言葉がすぐにでてこない様子で、
「皆さん、こんにちは~」
と無理にいったご挨拶はハイトーンすぎてしまいました(汗)。
そこで、きよしさんは、
「すみません。歌に入りこんじゃって...」
と自戒するようにおっしゃると、
「皆さん、こんにちは~」
ともう一度ご挨拶されました。
そこまでに歌ってくださっためくるめく7曲の歌唱に酔いしれていた客席は、幸せな思いできよしさんのトークにききいったのです。

さて、
「新しい元号は何になるんでしょうね?」
と司会の西寄ひがしさんにきかれたきよしさん。
何を今さらとういように、しれっと
「大丈夫」
と答えたので、場内大爆笑となりました(笑)。
先日の「氷川きよし節」(文化放送)でも、期間限定で、”氷川大丈夫きよし”と、ミドルネームを入れて名乗られていましたが、もう、きよしさんは、今すべてが新曲一色(ダブルA面なのでここは二色といったほうがよいでしょうか)なのですね。
この元号のやりとりは、夜の部でのこと。
昼の部ではじめて、3月12日にリリースされる新曲は、もともとは「最上の船頭」1曲だったことをお話しされたのですが、その理由は、「大丈夫」をお聴きになったときに、
「20周年なので、皆さんと幸せをわかち合いたい」
という思いがわいたのだとお話しくださり、
夜の部では、「最上の船頭」の素晴らしさにふれたあとで、その素晴らしい曲にさらに「大丈夫」をリリースすることにした思いについて、
「20周年なので明るくいきたいし、5月に元号が変わりますから」
と。
きよしさんは時代の変化や、オリンピックの準備をしている今のなにか革新的な空気を感じとられたのだなあと感じ入っていたのですが、そこで冒頭の西寄さんの質問があり、きよしさんが、”大丈夫”と即答されたのでした(笑)。

そして、
「誰だってね、そんなに自分に自信のある人っていないと思うんです。みんな強がっているだけでしょう。
だから、”大丈夫”って励ませたらいいなって思ったんです。
(この曲を聴いたとき)久しぶりに氷川きよしらしい曲に出会えたなって。カッコいい曲もいいんですけど。
ちょっとダサ目というか(あか抜けないとか素朴とか気取らないという意味合いかと思います)。
でも、それがいいのよ~。
これまで様々な曲を歌ってきましたから。
でもやっぱり幅広い、”老若男女”の方にきいて」
と、きよしさんがおっしゃった瞬間、西寄さんが、
「あっ、いえたっ!」
と(笑)。
そう、ファーストコンサートツアー以来、どうしても”いえなかった(稀になんとかいえたこともあったかと思いますが・笑)、”老若男女”をすらっとおっしゃったので、西寄さんが思わずそう叫ばれたのです(笑)。
きよしさんは、
「さすがに僕だって20周年ですから」
と、ちょっと胸をはっておっしゃっていましたが(笑)、果たして次回はどうでしょう?


この日の構成やセットリストは2月2日の中野サンプラザホールでのコンサートと同様で、アンコールでも「大丈夫」をもう一度歌ってくださっていました。

そして、先におしらせですが、1月24日にウェスタ川越でコンサートを開催されましたが、その日の朝、訪れたあるお店で購入した干し芋がとてもおいしかったそうで。
なんと、そのお店で”きよしの干し芋”を販売してくださることがきまったのだそうです。
3月からの予定で、詳細はあらためて事務所のサイトやFCなどでおしらせくださるそうですから、干し芋がお好きな方はお楽しみに!
きよしさんのお墨付きの干し芋ですから、おいしいんでしょうね(嬉)。


また、この日、あくまでわたしがですが、驚いたことがありましたので先に。
ひとつめは、「冬のペガサス」を歌唱されるときの、髪の白いメッシュが、白い羽をのエクステだったこと。
皆様はご存じでした?
ステージの途中で、きよしさんが、”抜け毛をみつけた!”と、落ちていた白い羽を手にとり、スタッフの方が回収されたのです。
てっきりメッシュをいれているとばかり思っておりました。

そして、もうひとつは、2002年のコンサートツアーからお世話になっていて、この日まで存じあげていなかったのですが、パーカッションの大宮さんのロングヘア―は天然のウェーブなのだそうです。
ずっとパーマをかけていらっしゃるものと思っていたのですもの!
お隣にすわっていたKさんも驚いていましたので、まあ、わたしだけてはないのかなということで、ここに書かせていただくことにしました(嬉)。


イメージ 1


この日は昼夜とも、嬉しい賞の受賞をお祝いさせていただきました。
「日本演歌歌謡大賞」の初代大賞受賞、第40回 松尾芸能賞 優秀賞(歌謡)受賞についてはこのブログでも書かせていただいていますが、コンサート前日の2月26日には、第33回日本ゴールドディスク大賞が発表され、ベスト・演歌/歌謡曲アーティスト部門で受賞されたこともお祝いさせていただいたのです。

こちらがきよしさんの受賞コメントです。
おかげをもちまして、「ベスト・演歌/歌謡曲・アーティスト」を頂戴することができました。
応援してくださったファンの皆様、スタッフ、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいでございます。
2018年は「勝負の花道」という老若男女、全世代の方に向けての応援歌を歌わせていただき、カップリング曲には演歌だけでなく、ポップスなどクリスマスソングも収録しました。
これからも、ジャンルを超えて、様々な曲を歌わせていただきたいと思っています。
今年、デビュー20周年を迎え、新曲は「大丈夫」と「最上の船頭」の2曲です。
よい歌すぎて両A面となりました。
たくさんの方に聴いていただけたらうれしいです。
皆様、これからも応援を何卒よろしくお願い致します。(氷川きよし)

”よい歌すぎて両A面となりました。”の言葉が素敵ですね。

第33回日本ゴールドディスク大賞のHPはこちらです。



では、以下は昼夜の印象にのこったトークを書いてみようと思います。
きよしさんは、久しぶりのコンサートということで、前夜は11時半には就寝され、朝は早めに起床されたそうですが、ここのところはずっとレコーディングをされていたとお話しされていました。
ニューアルバムでしょうか?
新曲のカップリング曲もこれからなのに、アルバムへの期待もふくらんできて、わくわくしています(嬉)。

きよしさんは、「日本演歌歌謡大賞」の受賞について、
「皆さんがリクエストしてくださったおかげでいただける賞ですから、ほんとうに嬉しいんです。
嬉しいんですけど、自分がいただくのがなんだか申し訳ないような気もしていますが、やっぱり(賞をいただくことを)皆さんが喜んでくださることが嬉しいですよね」
とお話しされ、
「会場はメルパルクホールだったんですけど、当日はファンの皆さんがたくさん来てくださっていて、ありがたかったです」
とおっしゃると、
「当日、お越しくださった方?」
とおたずねくださいました。
たくさんの手が挙がると、
「ありがとうございます」
と会釈をされました。
きよしさんの”ちゃんとわかっていて、嬉しかったんだよ”という思いを感じて、わたしもまた嬉しくなりました。

受賞曲の「勝負の花道」について、Aタイプから I タイプまで9バージョンをリリースした話題をされると、
「バージョン違いをだしたのは『三味線旅がらす』からだったんですよね。
それから、皆さんもバージョン違いをだされるようになってきて。
ときよしさんがおっしゃると、
西寄さんが、
「そうですね。演歌の世界でペンライトをつくったのも氷川きよしさんが初じゃないかって、先日出演したラジオ番組でいわれましたよ」
と、”氷川きよし”がいろいろな意味でパイオニア的な存在であることをお話しされたのです。

その言葉をうけて、、
「ペンライトも、皆さんがお求めくださるおかげで、今日までつづいいてきているんですよ。
ね、ペンライトは、ファンの皆さんの”こころの灯り”だと思っています」
と、きよしさん。
なんだかじんときてしまいました。

そして、7月11日、12日の日本武道館での「20周年記念コンサート」と、9月6日の大阪城ホールでの追加公演のおしらせがありました。
そのなかで、日本武道館はすり鉢状なので、5周年のときのように全方向にするのか、ステージにバックをつくるのかというところから思案されていることをおしえてくださいました。
西寄さんでさえも、
「そこからなんですね」
と驚きをまじえておっしゃっていました。

そして、演奏のチームHKの皆さんをきよしさんと西寄さんおふたりで紹介されていたのですが、ドラムの松本直樹を紹介されたところで、昨年の「きよしこの夜 Vol.18」のうちあげの話題をされました。
「終わったあと、”うちあげをするからよかったらきてください”と声をかけて、自分の地元にきてもらったんです。
それで、ラーメン食べたくなって、深夜4時にラーメン食べにいったんですけど、松本さんは寝てました(笑)。
僕もそんな時間にラーメン食べるなんてことずっとなかったから、朝起きたら、おなかがパンパンでしたよね」
と。

そういえば夜の部でキーボードの方を紹介されたとき、ほんとうに腰の低い方という話題になり、その方がお辞儀をされるマネをされたきよしさん。
どんどんエスカレートして(笑)、キツツキのマネになってしまいました~。
もう、ほんとうはやりたくってしょうがなかったんでしょ!


前後しますが、昼の部の後半で、
「デビューのときは、20年も歌えるなんて思っていませんでした。
コンサートをやるようにって、23歳か24歳のときにいわれて。自分にはとても無理だと思ったんです。
歌は大好きですけど、子どもの頃から引っ込み思案で人前で話すのは苦手でしたから。
でも、逃げられない現実があって。
皆さんのおかげで勉強させていただいて、鍛えれました。
ありがたいです」
と、お話しされたきよしさんに、前方のお席の型が一生懸命お声をかけました。
きよしさんはお声の方に近寄ってお話をうかがうと、その方は週3日透析をしなければならず、とてもつらいけれども、透析している間はきよしさんのCDを聴くようにしたら、あっという間に終わるように感じられることを報告されていました。
きよしさんは、ご自身の歌がその方のお力になれていることに感じいっておられる様子でした。

いよいよ「白雲の城」を歌唱されるとき、
「皆さんの心のお城をつくりたいという思いで歌います」
とおっしゃったのです。

そして、夜の部では、20周年を迎えた思いを、オープニングトークで、
「自分でいうのもなんですけど、よく20年も歌ってこられたなって思います。
みなさんがいつも僕の曲を楽しみにしてくださってきたおかげです。
皆さんに喜んでいただきたいという思いで、ここまで歌ってこられました。
こどもの頃から、ひとに喜んでもらいたいと思っていました。
やっぱり嬉しいですよね。喜んでいただけるのって。
そういう思いが演歌と出会いにつながったのかなって思います」
と。

「最上の船頭」の紫色の着流し姿で登場されたきよしさんを、”色香ただよう”と表現された西寄さんに、
「”色香”ってなんですか?」
ときよしさん。
「色気を上品にいった言葉ですかね。なんか梅の香りとかしてきそうな」
とさらに西寄さんが補足されると、きよしさんは、
「今日はなにもつけてない。お風呂にはいっただけですよ~」
とお答えになったのですが、そこからなにやら挙動不審(笑)。
そう、くしゃみがでそうになったのです。
「大丈夫ですか?」
と気遣われる西寄さんに、
「なんか、このへんが。
すいません。今のところ大丈夫です」
とお返事されたものの、またまたくしゃみがでそうな様子で、皆、ハラハラ(笑)。
と、そこで、
「あっ、もう大丈夫、どっかにいきました」
とおっしゃったので、なんだかとてもホッとしたのでした(笑)。

第33回ゴールドディスク大賞の話題になると、
「皆さんに(CDを)お求めいただいているんだなって思って。そのことが励みになります。
今度はどんな曲をおとどけしよう、ジャケットはどんなものにしようと、楽しみになるんです」
とお話しされていました。

そしてラストトークでは、
「コンサートは久しぶだったので、すごく楽しみで。
昨日は11時半には寝て、爆睡しました(笑)。乾燥するのでニベアをぬって。朝は早めに起きたんです。
今日は昼、夜と歌ってきて。
歌を歌える喜びをかみしめています。
これまで様々なタイプの歌を歌ってきました。
日本の風景や日本人の心情が描かれた演歌はいいなあと思います。
でもこれからジャンルにとらわれず、自分のこころのなかにあるものを全部表現していきたいです。
ジャンルにも年齢にもこだわらないで。
こころはいつも26歳でいたいです」

そう、おっしゃって「白雲の城」を歌ってくださいました。


いよいよ、今週末から関東を離れてのコンサートがスタートしますね。

わたしは仕事が緩やかな時期と見込んで神戸に行くことにしていましたが、ありがたいことに前後に仕事が入ってきて。
結局、仕事持参のうえ、1泊して帰りの時間を早めることにはなりましたが、コンサートに参加し、神戸の懐かしい方にもお会いでき、4日の取材のお仕事もお断りせずにすみました。


さて、文末に昼の部でのことをもう少し。
「大丈夫」のふりについて、
「ご自分でお考えになったんですか?」
と、西寄さんがおききになると、
「はい」
と目を輝かせてお答えになったきよしさん。
「曲を聴いたときにバーッとイメージがわいたんです。
都はるみさん!」
とおっしゃると、ステージを縦横無尽に動きながら歌唱されるはるみさんのマネをされて、上手、そして下手にそれぞれ歌いながら駆け寄る仕草をされたのです。
場内大爆笑でした。

と、皆様、そこまではよかったのです。
きよしさんは、皆の反応にすっかり気をよくされたのでしょう。
「あとね、岸智恵子さんもはいってます」
と、おっしゃると下手寄りから、センターへ、ぴょんぴょんぴょんと、たとえていうなら、野生のカンガルーでしょうか?
岸千恵子さんとうかがって、ご自身の曲を、ねぶたの祭りのように跳ねながら踊る様子を、ずいぶん前にテレビでみた記憶がよみがえりました。

きよしさんは、岸さんのごとくすごい勢いで跳躍され、ときに片足をあげられたので、色香ただようお着物の裾がはだけておみ足が(汗)。
その美しいおみ足に゛キャー゛という嬌声がおこるなか、きよしさんはそのことを少しも意に介さずに、ぴょんぴょんぴょんとセンターに(笑)。
そこで、勢いよく正面を向かれたものですから、いや~ん、わたし、みえちゃいました(汗)。
思わず゛いや~ん゛と、声に出してしまったのはわたしばかりではなかったかと思うのですが、きよしさんはといえば、皆のリアクションに、
「うわっ、パンツみえたかな?」
と。
もう~!
みえたにきまってるでしょ。
せっかく゛色香ただよう゛って西寄さんにほめていただいたのに。

そこで、西寄さんが、フォローされようとして、
「みえとたとしても大丈夫!」
とおっしゃったあと、さらに
「中味がみえなければ大丈夫!」
とさらにひと言。
そうしたら大ブーイングがおこって。
あろうことかきよしさんにまで、
「西さん、仕事中なんですから!」
と冷たくいわれてしまいました(笑)。
もとはといえばきよしさんご自身が、原因なのに...。
でも、ありますよね、こういうとばっちりのような展開(笑)。

立つ瀬のない西寄さんは、
「申し訳ありません。今のは゛大丈夫゛じゃなかったですね」
としょんぼりされたのです。

西寄さん、いつもありがとうございます。
西寄さんが、きよしさんの20周年のお礼をおっしゃったあと、昼夜とも、
「今日まで応援してくださってきた皆様のどなたかおひとりでも欠けていても、今日の日を迎えられなかったと思います」
とおっしゃてくださった言葉がこころにしみました。

ファンへの最大の賛辞をありがとうございます。
多くのファンの方が西寄さんにそのようにいっていただけることに、感激されることでしょう。

神戸に来ています(喜)。

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こんばんは。
神戸に来ています。
神戸国際会館 こくさいホールでのコンサートの昼の部に参加して。
夜の部までの間、ひと休みしています。
コンサートは大入り満員で立ち見席まででていて、きよしさんも恐縮されながらも感激されていました。

わたしも昼の部はFCでは当たらなくてチケットぴあでなんとか3階席をゲットできたのです。

このホールは3階席からでも、オペラグラスなしでもきよしさんのお顔が目視できるのです。
そして3階席からすべてを見晴らすような眺めも、きよしさんもまた素敵だなあとしみじみ...。

素晴らしい熱唱!
そして、まごころあふれるあたたかくて楽しいコンサートでした。

イメージ 1


昨夜は深夜3時まで仕事をがんばって、ここまではと決めたところまでまとめるることができました。
もう、最後は意地でした~(汗)。

すこし眠って5時半に起き、諸々準備をして神戸へと。
まとまらない~と、もがいていたこの数日の苦しみから解放されて寝不足ですが、こころ軽やか。
できなかったら神戸行きはやっぱり見合わせるしかないかという思いがよぎった瞬間もありました。

そして、神戸までは爆睡していたので、あっという間に着きました(笑)。

今は、わたしがそのために神戸に住みたいといつも思わされる、にしむら珈琲さんで、コーヒーをいただいています。
六甲の宮水でいれるコーヒーは絶品!
お豆自体も美味しいのですが、自宅ではここまでの味はどうやっても出せないのです。

明日は早めに神戸をたつので、今日、懐かしい方のお店にうかがったり、三宮から元町へと商店街を歩いて、こうべを駆け足ながらも満喫させていただいたのです。
最高に楽しかったです。

さて、元町からホールヘと向かった際、こんなオブジェと飾りが!

イメージ 2


バックが神戸国際会館の建物なんです。
ちょっとセクシー?

では、夜の部にいってきます。

「皆さんがあったかくて。じーんときて。泣きそうになる...」 於・神戸国際会館 こくさいホール

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「神戸の皆さん、素晴らしいです。
関西魂を感じます。
皆さんがあったかくて。じーんときて。泣きそうになる...」
言葉をちょっぴり詰まらせてそうおっしゃったきよしさんのまごころを感じて。
わたしもまた泣きそうになりました。
神戸国際会館 こくさいホールでおこなわれたコンサートの夜の部のラストトークでのこと。
思いをそんなふうにお話しされたのは夜の部でしたが、昼の部からそのような思いを抱かれていたのでしょう。

きよしさんは、幸せそうに微笑まれると、
「これであさっての岡山のコンサート、がんばれますよ」
そうおっしゃり、さらに、
「皆さんも健康でいてくださいね。
わいもがんばるわぁ」
と堂に入った関西弁が飛び出したので、大爆笑となりました。

昼夜とも皆の熱い思いに応えるように、熱唱につぐ熱唱でした。
今回の構成のコンサートの関東以外での開催は初めてなので、きよしさんが衣装を変えて登場されるたびにどよめきや歓声、感嘆のため息がきこえてきて。
わたしもいっそう新鮮な思いで参加させていただいたのです。

さて、旅先でスマホでの更新ですが、昼の部のことを書いてみようと思います。
ちなみに、ご挨拶で、゛ロウニャクナンニョ゛が、今回はうまくいえませんでした(汗)。
ということは前回は、゛まぐれ゛だったのでしょうか?
なんて(笑)。

20周年のお礼を言葉にされると、
「20年、いろんな歌を歌ってきました。
あっという間でしたね~。
もう、思い残すことないですよ~」
と、しみじみとおっしゃいました。

そうおっしゃりたくなるほどに、今、満ち足りた思いでおられるのかなあと、勝手ながら思ったのです。

新曲を披露するコーナーで、
ダブルA面の1曲である「最上の船頭」を紫の着流し姿で歌唱されると、
「今日は皆さんにぜひご覧いただきたいものがあるんです。少々お待ちくださいませ」
と、急ぎ上手袖にもどられると、あるものを肩にかけ、あるものを手にもっておられました。
それは今日から発売のシャンパンゴールドの手さげバッグとポーチ。
きよしさんみずから宣伝されたものですから、その効果は絶大!
わたしが夜の部で入場した時には、手さげバッグは売り切れになっておりました。
用意していた数がすべて売れてしまったということで、完売ではないようですから、興味のある方は、今後のコンサートで入手できるのではないかと思います。

そして、3月12日にリリースされる「最上の船頭」と「大丈夫」のカップリング曲を紹介されまのですが、Aタイプのカップリング曲の「越後の雪次郎」は、股旅もの。
昼の部では、数フレーズを、夜の部では、歌い心地がよかったのでしょうか? もう少しでワンコーラス? というくらい、アカペラでたくさん歌ってくださいました。

Bタイプのカップリング曲の「惚れたがり」は、「きよしのズンドコ節」の頃にできていた曲なのだそうです。
「長良プロデューサーが、゛40くらいになったとき、歌えるだろう゛って、いっていたのを思い出して、入れさせていただきました」
と夜の部でお話しくださいました。

Cタイプのカップリング曲の「きよしのよさこい鴎」は、高知の方への思いを混めてつくられたそうですが、昼夜とも、大阪の曲をつくっていて、とてもよい曲であることをおしえてくださったのです。
思わずでてくる台詞までおっしゃってから、
「あっ、まだいったらいけないんだった」
とおっしゃってちたので、ここでは、゛よい曲゛だということのみ書くことにしました。

昼の部のラストトークで、こんなことをお話しされました。
「18歳で福岡・博多から上京して。アルバイトしながら水森英夫先生にレッスンをしていただいてデビューしました。
デビューする前はCDを1枚だすのが夢でした。
でも、CDをだしたら、今度はだすだけじゃすませられない。
ヒットさせないとならないんです。
1曲めの『箱根八里の半次郎』は皆さんのおかげでヒットしました。
そうしたら゛2曲めは大変だよ゛っていわれて。
でも、2曲めもOK。
そうすると゛3曲めか大変なんだよ゛っていわれて。
3曲めが゛ズンドコ節゛。
でも、また゛4曲めが大変なんだよ゛って。
それが『星空の秋子』で。
今度は゛5曲めが勝負なんだよ゛って。
5曲めは『白雲の城』。
次々に新しい曲をだして。胃が痛くなりました。
20代のときはとにかく多くの形に自分の歌をおとどけしたいという重いで無我夢中でした。
30代も一生懸命で...。
40代になって、またさらに勉強の日々ですね~」
きよしさんは、笑顔でそうおっしゃったのですが、わたしは胸がいっぱいになりました。
そして、゛氷川きよし゛というアーティストの深淵を垣間見たような気がしたのです。

そんな、ときにおおそれ多くもあるきよしさんですが、立ち見の方が多数おられることに気づかれると、着流しのまま、正座をして頭をさげられました。
そこで、西寄さんが、
「お着物がシワになりますよ」
ととどめようとされると、
「パンツがまる見え?」
と(笑)。
もう、確信犯?
もちろん正座したくらいでは見えませんよ、ね?


たのしかった昼の部のよいんをそのままに、夜の部のきよしさんは、さらにハイテンション。
オープニングから、
「これまで3000公演ちかくコンサートを初めてさせていただいていますが、今日が1番いいですね。
ほんまに! ほんまやで。
神戸、大好きなんです。海もあって上品な街でしょう。
僕も上品ですからあうんですよね」
とおっしゃったのですが、そのあと、
「イヒヒ匕匕」
と、上品とは真逆な笑いを(笑)。
こんなふうに書いていると、きよしさんのことがどんどん愛しくなってしまいます。

トークはつづいて。
「コンサートがあくと、さみしくなるんですよ。
今、やっぱりオレの居場所はここなんだって思います。
これまで30数枚、無器用ながらなんとかどうにか歌わせていただきました。
皆さんの代弁者のつもりで歌ってきました」
きよしさんが無器用だったら、自分はどうなっちゃったかしら?
と思いながらお話をきいていたのです。

そして、新曲の「大丈夫」のわだいになったときのこと。
「こどもの頃、よく母に゛大丈夫゛っていわれてたんですけど。どんなときにかっていうと、従姉妹のお姉ちゃんがおさがりを着せられて、僕はそれがイヤだったんです。
サンリオのキキララのとか。(女の子のだから)好か~んって。
そうすると母が゛大丈夫゛って。
゛おまえのことなんか誰も見とらん゛って(笑)」
きよしさんには申し訳ないですが、なんかかわいかったでしょうね、きっと。

そんなふうにお母さまとの゛大丈夫゛にまつわるエピソードをお話しくださると、
「゛大丈夫だよ゛って励ましたいですよね。やっぱり生きるということは不安と確信の鬩ぎ合いだと思いますから」
そんな思いを込めながらも、からりと晴れやかに歌唱されるのだから素敵なのですよね。
前日、川中美幸さんとたまたま会って。「゛きよしちゃんの声は底抜けに明るいの! それは他の人にはないものよ゛っていっていただいたんです。
そんなふうに思ってくださっているなんて、嬉しいですね」
と。

そして、いよいよのラストトークでは、新曲の衣装を着流しにされたことについての話題から、
「やっばり着物っていいなって思うんですよ。着物とかお茶とか素晴らしい日本の文化を海外の方に伝えたいですよね。
そして、日本人として、日本の音楽をとどけたいなって思います。
日本が世界と繋がっていったらいいなあって。
来年はオリンピックとパラリンピックが東京で開催されるので、日本のいいものを世界に発信できるチャンスですから。
日本人のプライドをもってこれからも歌っていきたいてす」
と結ばれました。

※急ぎスマホでの更新で失礼しました。
スマホでの更新はわたしの場合、肩がコリコリになってしまうのです~。

3/12にいよいよ「大丈夫」と、ダブルA面の「最上の船頭」が発売です。大ヒットの胸騒ぎがする今、わくわくしながらCD曲目リストを更新します。

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いよいよきよしさんのニューシングル「大丈夫」と「最上の船頭」の発売日3月12日が近づいてきました。
もうラジオなどでお聴きになりましたか?
コンサートではすでに「大丈夫」で大盛り上がりして、大ヒットの胸騒ぎでわくわくドキドキ!
わたし、きよしさんが、”「大丈夫」を聴いたとき、胸騒ぎがしたんです”とおっしゃった瞬間、きよしさんがそう感じたのなら、それはもうまちがいないでしょうと思ったのです。
きよしさんほどの感性の持ち主の方がそう感じられたのでしたら、その直感は何よりもたしかなことですものね(喜)。

あとは、たくさんの方におとどけできるよう、もう~~~、力の限り、リクエストをしまくりましょう!

あっ、今、ミッション名(大げさ・?)突然思いつきましたよっ!
”「大丈夫」・胸騒ぎ大作戦!”
というのははどうでしょう?
と、ミッション名だけが先にうかんでしまいましたので、なにをするかはこのあと考えることにしますので(笑)、
もし、この”ミッション”をきいてうかんだことがありましたら、アイディアをコメント欄にお書きくださると嬉しいです


さて、CDは、ダブルA面ということで、1枚にこの2曲、そしてカップリング曲と3曲はいっています。
きよしさん流に、具体的な収録曲を書きますと、

Aタイプは「大丈夫」 「最上の船頭」 「越後の雪次郎」
Bタイプは「大丈夫」 「最上の船頭」 「惚れたがり」
Cタイプは「大丈夫」 「最上の船頭」 「きよしのよさこい鴎」
ということになります~(嬉)。

では、このタイミングでCD曲目リストを更新しますね。
先日、きよしさんが今度のシングルについて、”33枚目のシングル”とおっしゃっていたので、日本コロムビアさんのHPをチェックしてみました。
そうしたら、2015年9月29日にリリースされたダブルA面の「愛しのテキーロ」と「男花」について、”第28・29弾“とカウントすることにされていたので、わたしの”手前ミソ”なこのリストもあらためさせていただきました。
そうなると、今回は”第33・34弾シングル”ということになりますね。


と、その前のちょっとひとりごとを。
4日は神戸から取材先に直行して。
帰宅してから、神戸に出かける前からとりかかっていた原稿にとりかかって、昨日の夕方までず~っとPCに向かっていました。
なぜそんなあわただしいことになったのかといいますと、締切が先方のチェックの都合ではやまってしまったのです(汗)。
朝からひたすらに原稿を書いては送り、”〇ページの分送ります”、”ありがとうございます。引き続き〇ページよろしくお願いします”というやりとりを編集さんとしながら、全部送りおわったときには外は暗くなっていました。
それから、別件のうちあわせのために新宿へ。
なんだか神戸ですごした時間とはまた違った濃密な時間(焦りました~)をすごしておりました。
ひと山越えて、また今日もこれから仕事して、夕方から「きらめき歌謡ライブ」の観覧にいってきます。

3月で番組終了ということで、今日、来週、再来週の3回は”さよならライブ”になるそうです。
今夜はその第一夜。
きよしさんは、来週、再来週はともにコンサート開催日なので出演がかないません。
そのため、昨日は岡山でコンサートを開催されましたが、今夜の”第一夜”に出演されることになったのでしょうね。
1か月前に久々にこの番組に出演されていましたが、その1か月後にまた出演、それも”さよならライブ”だなんて...。
前身の「はつらつスタジオ505」からの思い出がわたしなりにもありますので、さびしい思いですが、なんとか観覧に参加させていただけることになったので、しっかりこころにとどめてきたいと思います。

☆「きらめき歌謡ライブ」HP


ブログでもあらためて、この番組について書かせていただいた記事をピックアップして、振り返りをしたいと思います。
終了といえば、じつはこのYahoo!ブログについても急展開な発表が先週、ユーザーに対してありました。
そのことも皆さんにあらためておしらせしますね。


それでは、以下は2019年3月12日現在の、それもあくまでわたしのカウント方法によるCD曲目リストですが、KIYOSHIの楽曲もふくめてオリジナル&カバー曲をあわせると、532曲。
そのうちわけはオリジナル曲が287曲、カバー曲が245曲ということになりますでしょうか。


川きよし&KIYOSHI CD曲目リスト
アルバムのタイトルは紫色にしました。
シングルは第何弾という見出しを太字に、KIYOSHIの楽曲の見出しは緑色にしています。
タイトルの前の数字は曲目の通し番号、タイトルの後ろの数字は
( )がオリジナル曲、
〈  〉がカバー曲の通し番号です。

バージョン違いは赤字で表記しました。
また、先にシングルとして発売された後、アルバムに収録された曲はカウントせずにピンク色で表記しました。
2014年5月21日に発売された「氷川きよし昭和の演歌名曲集」に収録されたカバー曲がすべて新録音によるものだったことを受け、カバー曲の新録音したものについては通し番号のあとに2度目は※、3度めは※※※と
記させていただくことにしてみました。
また、「Kiyoshi  Special concert 2015 ~Kiyoshi's Summer~」の収録曲もカウントし、ライブ版ということで、数字のあとに、”Live Ver.”と付記しています。

◆2000年
2/2 シングル第1弾
 1 「箱根八里の半次郎」(1)
 2 「浅草人情」(2)

6/21 「股旅演歌名曲選/氷川きよし 箱根八里の半次郎~風雲編~」
 3 「箱根八里の半次郎~風雲編~」(3)
 4 「潮来笠」<1>
 5 「伊豆の佐太郎」<2>
 6 「旅笠道中」<3>
 7 「名月赤城山」<4>
 8 「旅鴉」<5>

10/21 「股旅演歌名曲選Ⅱ/氷川きよし 箱根八里の半次郎」
「箱根八里の半次郎」
 9 「赤城の子守唄」<6>
10 「勘太郎月夜唄」<7>
11 「妻恋道中」<8>
12 「一本刀土俵入り」<9>
13 「旅姿三人男」<10>


◆2001年
2/21 シングル第2弾
14 「大井追っかけ音次郎」(4)
15 「花の渡り鳥」(5)

6/21 「演歌名曲コレクション・大井追っかけ音次郎~青春編」
16 「大井追っかけ音次郎~青春編」(6)
17 「純子の港町」(7)
18 「北荒野」(8)
「花の渡り鳥」
「浅草人情」
「箱根八里の半次郎」
19 「雪の渡り鳥」<11>
20 「僕は泣いちっち」<12>
21 「雨に咲く花」<13>
22 「さすらい」<14>
23  「あの娘たずねて」<15>
24 「無法松の一生~度胸千両入り~」<16>

11/2 「大井追っかけ音次郎」
25 「月太郎笠」(9)
26 「近江の鯉太郎」(10)
27 「東京恋始発」(11)
28 「あのままあの娘とあれっきり」(12)
29 「霧笛の波止場」(13)

11/21 KIYOSHI シングル・1
30 「きよしこの夜」(14)
31 「キヨシこの夜~Angel of mine~」(15)
32 「Silent Night~きよしこの夜~」<17>


◆2002年
2/6 シングル第3弾
33 「きよしのズンドコ節」(16)
34 「送恋譜」(17)

5/22 「演歌名曲コレクション2 きよしのズンドコ節」
「きよしのズンドコ節」
「送恋譜」
35 「雪子の城下町」(18)
「大井追っかけ音次郎」
36 「風に散る花」(19)
「箱根八里の半次郎」
37 「花と竜」<18>
38 「別れの一本杉」<19>
39 「哀愁列車」<20>
40 「船方さんよ」<21>
41 「いっぽんどっこの唄」<22>
42 「ダイナマイトが百五十屯」<23>

8/21 シングル第4弾
43 「星空の秋子」(20)
44 「でんでん虫」(21)

11/20 「銀河」
「星空の秋子」
45 「ふるさと一番星」(22)
46 「流れ星」(23)
47 「北斗星」(24)
48 「星空のロマンス」(25)
49 「夢銀河」(26)
50 「星影のワルツ」<24>
51 「星のフラメンコ」<25>
52 「見上げてごらん夜の星を」<26>
53 「星屑の街」<27>
54 「夜空の星」<28>
55 「昴~すばる~」<29>


◆2003年
2/19 シングル第5弾
56 「白雲の城」(27)
57 「あの娘は行っちゃった」(28)

5/21 「演歌名曲コレクション3~白雲の城~」
「白雲の城」
58 「夕焼け波止場」(29)
59 「赤いシャツ着て」(30)
「あの娘は行っちゃった」
60 「さいはての陽子」(31)
「きよしのズンドコ節」
61 「あん時ゃどしゃぶり」<30>
62 「リンゴ村から」<31>
63 「チャンチキおけさ」<32>
64 「流転」<33>
65 「おんなの宿」<34>
66 「男の純情」<35>

10/1 KIYOSHI シングル・2
67 「ラブリィ(TAMAO&KIYOSHI)」(32)
68 「ラブリィ~KIYOSHI ONLY Ver.~」(33)
69 「誓い」(34)

11/19 「男気」
70 「詩吟・春望~白雲の城」(35)
71 「時代(とき)を駆ける男」(36)
72 「おやすみ夕子」(37)
73 「夢勝負」(38)
74 「北極光(オーロラ)」(39)
75 「玄海竜虎伝」(40)
76 「ああ上野駅」<36>
77 「東京の灯よいつまでも」<37>
78 「人生劇場」<38>
79 「赤い夕陽の故郷」<39>
80 「大利根月夜」<40>
81 「人生一路」<41>


◆2004年
1/21 シングル第6弾
82 「きよしのドドンパ」(41)
83 「ハマナス旅情」(42)

5/1 KIYOSHI シングル・3 福岡とびうめ国文祭 限定販売
84 「人生号 Jinsei-GO」(43)

6/9 KIYOSHI シングル・4
85 「evergreen(いのちの唄声)」(44)
86 「evergreen(いのちの唄声)feat.KIYOSHI」(45)

7/7 シングル第7弾
87 「番場の忠太郎」(46)
88 「人情取手宿」(47)

9/1 「演歌名曲コレクション4~番場の忠太郎~」
「番場の忠太郎」
89 「霧の中の愛子」(48)
90 「青龍」(49)
「ハマナス旅情」
「人情取手宿」
91 「東京夢の街」(50)
92 「赤い傘」(51)
「きよしのドドンパ」
93 「赤いランプの終列車」〈42〉
94 「東京花売娘」<43>
95 「おんな船頭唄」<44>
96 「銀座九丁目水の上」<45>
97 「小島通いの郵便船」<46>
98 「骨まで愛して」<47>
99 「高原列車は行く」<48>
100 「無情の夢」<49>
101 「湯島の白梅」<50>
102 「誰か故郷を想わざる」<51>


◆2005年
2/9 シングル第8弾
103 「初恋列車」(52)
104 「口笛の港」(53)

5/18 「演歌名曲コレクション5~初恋列車~」
「初恋列車」
105 「北行き最終便」(54)
106 「東京霧笛」(55)
「口笛の港」
107 「夏子の海峡」(56)
108 「いつもみんなで手をつなごう」(57)
109 「黒い花びら」<52>
110 「長崎の女(ひと)」<53>
111 「達者でナ」<54>
112 「街のサンドイッチマン」<55>
113 「東京ラプソディ<56>
114 「浅草パラダイス」<57>

7/6 シングル第9弾
115 「面影の都」(58)
116 「故郷はわが胸に」(59)

11/23 5/21 「演歌十二番勝負!~面影の都~」
「面影の都」
117 「波止場のマリー」(60)
118 「白虎(とら)」(61)
119 「キャラバン」(62)
120 「愛しき街角」(63)
「故郷はわが胸に」
121 「古城」<58>
122 「別れの波止場」<59>
123 「青い背広で」<60>
124 「落ち葉しぐれ」〈61>
125 「おーい中村君」<62>
126 「会津の小鉄」<63>
127 「面影の都~アルバムバージョン~」(64)


◆2006年
2/9 シングル第10弾
128 「一剣」(65)
129 「きよしの森の石松」(66)

6/28 「演歌名曲コレクション6~一剣~」
「一剣」
130 「玄海月夜」(67)
131 「朱雀」(68)
「きよしの森の石松」
132 「おもかげ峠」(69)
133 「君去りて今は」(70)
134 「柿の木坂の家」<64>
135 「お富さん」<65>
136 「人生の並木路」<66>
137 「丘を越えて」<67>
138 「裏町人生」<68>
139 「刃傷松の廊下」<69>

9/6 DVDシングル KIYOSHI
140 「未来」(71)
141 「belive~あきらめないで~」(72)


◆2007年
5/9 シングル第11弾&12弾 同時発売
142 「あばよ」(73)
143 「朝顔日記」(74)
144 「きよしのソーラン節」(75)
145 「希望という名の最終列車」(76)

6/28 「演歌名曲コレクション7~あばよ・きよしのソーラン節~」
「あばよ」
146 「扇」(77)
147 「きよしの一心太助」(78)
「希望という名の最終列車」
148 「玄武」(79)
「朝顔日記」
149 「陽春」(80)
「きよしのソーラン節」
150 「あばよ・アルバムバージョン」(81)
151 「憧れのハワイ航路」<70>
152 「若いお巡りさん」<71>
153 「皆の衆」<72>
154 「長崎の鐘」<73>
155 「かえり船」<74>
156 「東京の屋根の下」<75>
157 「旅の夜風」<76>
158 「黄昏のビギン」<77>
159 「夜霧のブルース」<78>
160 「大利根無情」<79>


◆2008年
5/9 シングル第13弾
161 「玄海船歌」(82)
162 「北愁」(83)

6/28 「演歌名曲コレクション8~玄海船歌~」
「玄海船歌」
163 「天竜しぐれ」(84)
164 「夜汽車」(85)
165 「杏の花咲く里」(86)
「北愁」
166 「祭り囃子」(87)
167 「涙を抱いた渡り鳥」<80>
168 「未練の波止場」<81>
169 「東京だョ おっ母さん」<82>
170 「アカシアの雨がやむとき」<83>
171 「石狩挽歌」<84>
172 「恋は神代の昔から」<85>

10/1 シングル第14弾

173 「哀愁の湖」(88)
174 「夕顔の女」(89)

12/10 「演歌名曲コレクション9~哀愁の湖」
「哀愁の湖」
175 「霧笛」(90)
「夕顔の女」
176 「上海エトランゼ」(91)
177 「風来抄」(92)
178「玄海船歌・大漁バージョン」(93)
179 「夕焼けとんび」<86>
180 「涙の酒」<87>
181 「月がとっても青いから」<88>
182 「ここに幸あり」<89>
183 「青春サイクリング」<90>
184 「おさらば故郷さん」<91>


◆2009年
2/4 シングル第15弾
185 「浪曲一代」(94)
186 「望郷の月」(95)

5/20 「演歌名曲コレクション10~浪曲一代~」
「浪曲一代」
187 「流氷の町」(96)
「望郷の月」
188 「砂山」(97)
189 「影ぼうし」(98)
190 「オロロン港」(99)
191 「湯の町エレジー」<92>
192 「蘇州夜曲」<93>
193 「国境の町」<94>
194 「東京ブギウギ」<95>
195 「北上夜曲」<96>
196 「小樽のひとよ」<97>

8/19 シングル第16弾
197 「ときめきのルンバ」(100)
198 「川千鳥」(101)
199 「ときめきのルンバ~情熱バージョン~」(102)

11/11 デビュー10周年記念特別限定盤
「浪曲一代」
200 「浪曲一代~セリフなしバージョン~」(103)
201 「浪曲一代~琴アレンジバージョン~」(104)


11/11 「演歌名曲コレクション11~ときめきのルンバ~」
「ときめきのルンバ」
202 「ふるさと夜汽車」(105)
「川千鳥」
203 「露草」(106)
204 「夜明け前」(107)
205 「かあさん日和」(108)
206 「影を慕いて」<98>
207 「どうせひろった恋だもの」<99>
208 「山の吊橋」<100>
209 「宗右衛門町ブルース」<101>
210 「あの娘が泣いてる波止場」<102>
211 「足手まとい」<103>


◆2010年
3/24 シングル第17弾
212 「三味線旅がらす」(109)
213 「心ころころ」(110)
214 「酒月夜」(111)

6/23 「演歌名曲コレクション12~三味線旅がらす~」
「三味線旅がらす」
215 「ガス燈(ライト)」(112)
216 「妹へ」(113)
217 「さすらい港町」(114)
218 「夢太鼓」(115)
219 「早春譜」(116)
220 「サーカスの唄」<104>
221 「踊子」<105>
222 「玄海ブルース」<106>
223 「東京流れ者」<107>
224 「ふるさとのはなしをしよう」<108>

225 「喜びも悲しみも幾歳月」<109>

8/25 シングル第18弾
226 「虹色のバイヨン」(119)
227 「きらめきのサンバ」(118)
228 「最終フェリーで着いた町」(119)

11/10 「演歌名曲コレクション13~虹色のバイヨン~」
「虹色のバイヨン」
229 「離郷しぐれ」(120)
230 「ゆびきり橋」(121)
231 「寒立馬」(122)
232 「港の花」(123)
233 「風の口笛」(124)
234 「夜がわらっている」<110>
235 「コーヒー・ルンバ」<111>
236 「上海帰りのリル」<112>
237 「白鷺三味線」<113>
238 「カスバの女」<114>
239 「北国の春」<115>


◆2011年
2/2 シングル第19弾
240 「あの娘と野菊と渡し舟」(125)
241 「ベイサイド・ブギ」(126)
242 「夜明けの十字路」(127) 

/1 「演歌名曲コレクション14~あの娘と野菊と渡し舟~」
「あの娘と野菊と渡し舟」
243 「きよしの銭形平次」(128)
244 「海沿いのふるさと」(129)
245 「今夜も片思い」(130)
246 「望郷しぶき」(131)
247 「なごりの波止場」(132)
248 「お月さん今晩は」<116>
249 「黒百合の歌」<117>
250 「東京五輪音頭」<118>
251 「九段の母」<119>
252 「青春の城下町」<120>
253 「ラブユー東京」<121>

/21 シングル第20弾
254 「情熱のマリアッチ」(133)
255 「浮雲道中」(134)
256 「冬の月」(135)

11/23「演歌名曲コレクション15~情熱のマリアッチ~」
「情熱のマリアッチ」
257 「冬ものがたり」(136)
258 「寒紅梅」(137)
259 「りんごの里から」(138)
260 「かずら橋旅唄」(139)
261 「獅子」(140)
262 「人生峠」<122>
263 「夜のプラットホーム」<123>
264 「有楽町で逢いましょう」<124>
265 「若いふたり」<125>
266 「港が見える丘」<126>
267 「越後獅子の唄」<127>


◆2012年
2/8 シングル第21弾
268 「櫻」(141)
269 「出発」(142)
270 「峠春秋」(143)

3/末 「KIYOSHI/カバーコレクション」
271 「なごり雪」<128>
272 「バラ色の雲」<129>
273 「もうひとつの土曜日」<130>
274 「異邦人」<131>
275 「最後の雨」<132>
276 「白いブランコ」<133>
277 「卒業写真」<134>
278 「涙をふいて」<135>
279 「恋の季節」<136>
280 「学生がの喫茶店」<137>
281 「悲しい色やね」<138>
282 「時代」<139>

6/13 「演歌名曲コレクション16~櫻~」
「櫻」
283 「一番星よ こんばんは」(144)
284 「回転木馬」(145)
285 「紅い落ち葉」(146)
286 「振り子」(147)
287 「残雪の町」(148)
288 「君は心の妻だから」<140>
289 「一杯のコーヒーから」<141>
290 「奥飛騨慕情」<142>
291 「錆びたナイフ」<143>
292 「ミヨちゃん」<144>
293 「王将」<145>

9/19シングル第22弾
294 「最後と決めた女だから」(149)
295 「夜霧のエアポート」(150)
296 「哀傷歌」(151)

11/21「演歌名曲コレクション17~最後と決めた女だから~」
「最後と決めた女だから」
297 「My love~もう一度だけ~」(152)
298 「ハロウィン音頭」(153)
299 「湯ヶ島慕情」(154)
300 「きよしの Merry X'nas」(155)
301 「雪月花」(156)
302 「あなたのブルース」<146>
303 「おやじの海」<147>
304 「花はおそかった」<148>
305 「出世街道」<149>
306 「バス・ストップ」<150>
307 「関東春雨傘」<151>


◆2013年
2/13 シングル第23弾
308 「しぐれの港」(157)
309 「きよしのニッポン音頭」(158)
310 「逢いたくてオホーツク」(159)

5/29「演歌名曲コレクション18~しぐれの港~」
「しぐれの港」
311 「浜町傾げ傘」(160)
312 「春嵐」(161)
313 「ほおずき」(162)
314 「惚れて一生」(163)
315 「幾千もの祈り」(164)
316 「ソーラン渡り鳥」<152>
317 「また逢う日まで」<153>
318 「母恋吹雪」<154>
319 「ふりむかないで」<155>
320 「白虎隊」<156>
321 「柔」<157>

8/28 シングル第24弾
322 「満天の瞳」(165)
323 「一陣の風」(166)
324 「雨降り坂道」(167)

11/20「演歌名曲コレクション19~満天の瞳~」
「満天の瞳」
325 「カラスの口紅」(168)
326 「月が笑ってる」(169)
327 「雨の湯の町」(170)
328 「粋な下町 恋の街」(171)
329 「さすらい北岬」(172)
330 「君こそわが命」<158>
331 「ふるさと忘れな草」<159>
332 「青い山脈」<160>
333 「今日でお別れ」<161>
334 「武田節」<162>
335 「港町十三番地」<163>


◆2014年
1/29 シングル第25弾
336 「大利根ながれ月」(173)
337 「七つ星」(174)
338 「ふるさとの風」(175)

5/21 「氷川きよしの昭和の演歌名曲集」
339 「無法松の一生~度胸千両入り~」<164>※
340 「船方さんよ」<165>※
341 「赤いランプの終列車」<166>※
342 「リンゴ村から」<167>※
343 「誰か故郷を想わざる」<168>※
344 「かえり船」<169>※
345 「涙を抱いた渡り鳥」<170>※
346 「若いお巡りさん」<171>※
347 「落ち葉しぐれ」<172>※
348 「東京ラプソディ」<173>※
349 「ふるさとのはなしをしよう」<174>※
350 「人生一路」<175>※

9/17 シングル第26弾
351 「ちょいときまぐれ渡り鳥」(176)
352 「明日への道」(177)
353 「男の航路」(178)
354 「伝言~メッセージ~」(179)

11/19 「演歌名曲コレクション20~ちょいときまぐれ渡り鳥~」
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
355 「原っぱパラダイス」(180)
356 「旅の酒」(181)
357 「湾岸列車」(182)
358 「一緒節」(183)
「大利根ながれ月」
359「 男の土俵」<176>
360 「東京ブルース<177>
361 「女のみち」<178>
362 「今は倖せかい」<179>
363 「月の法善寺横町」<180>
364 「愛燦燦」<181>


◆2015年
3/4 シングル第27弾
365 「さすらい慕情」(184)
366 「貝がら子守唄」(185)
367 「迷い子」(186)

7/8 「新・演歌名曲コレクション―さすらい慕情-」
368 「九州恋慕情」(187)
369 「石割り桜」(188)
370 「きよしの大江戸千両纏」(189)
371 「男花 (アルバムバージョン)」(190)
372 「ナツユキソウ」(191)
「さすらい慕情」
373 「兄弟船」<182>
374 「さざんかの宿」<183>
375 「沓掛時次郎」<184>
376 「リンゴ追分」<185>
377 「嫁に来ないか」<186>
378 「愛の讃歌」<187>
379 「遠めがね」(192)

9/29 シングル第28・29弾
380 「愛しのテキーロ」(193)
381 「男花」(194)
382 「あの娘の船はいつ帰る」(195)
383 「波止場のおんな」(196)
384 「北国夜行」(197)

12/1 「新・演歌名曲コレクション2―愛しのテキーロ/男花-」
「男花」
385 「御免」(198)
386 「昭和ノスタルジー」(199)
387 「戻り雨」(200)
388 「貴男がすべて・・・」(201)
「愛しのテキーロ」
389 「函館の女」<188>
390 「夢追い酒」<189>
391 「もう一度逢いたい・・・」<190>
392 「弁天小僧」<191>
393 「ひばりの佐渡情話」<192>
394 「素敵なバースディ」(202)


◆2016年
1/末 「Kiyoshi  Special concert 2015 ~Kiyoshi's Summer~」
395 「少年時代」<193>Live Ver.
396 「HOT LIMIT」」<194>Live Ver.
397 「シーズン・イン・ザ・サン」<195>Live Ver.
398 「あー夏休み」<196>Live Ver.
399 「イミテーション・ゴールド」<197>Live Ver.
400 「酒と泪と男と女」<198>Live Ver.
401 「あずさ2号」<199>Live Ver.
402 「渚のシンドバッド」<200>Live Ver.
403 「勝手にしやがれ」<201>Live Ver.
404 「情熱の嵐」<202>Live Ver.
405 「僕のジュリアーノ」<203>Live Ver.
406 「君がいるだけで」<204>Live Ver.
407 「LA・LA・LA LOVE SONG」<205>Live Ver.
408 「SWEET MEMORIES」<206>Live Ver.
409 「My Revolution」<207>Live Ver.
410 「星空のディスタンス」<208>Live Ver.
411 「I LOVE YOU」<209>Live Ver.
412 「WITHOUT YOU」<210>Live Ver.
413 「believe~あきらめないで~」(203)※Live Ver.
414 「「hug」(204)Live Ver.
415 「人生号 Jinsei-GO!」(205)※Live Ver.
416 「誓い」(206)※Live Ver.
417 「さすらい慕情」(207)※Live Ver.
418 「男花」(208)※Live Ver.

2/2 シングル第30弾
419 「みれん心」(209)
420 「瀬戸内ブルース」(210)
421 「きよしの数え唄」(211)
422 「東京音頭」<211>

6/14 「新・演歌名曲コレクション3―みれん心-」
423 「黒潮海流」(212)
424 「奥入瀬旅情」(213)
425 「おとこの街道」(214)
426 「きよしのへっちゃらマンボ」(215)
427 「二度泣き橋」(216)
 「みれん心」
428 「酒は涙か溜息か」<212>
429 「新妻鏡」<213> 
430 「次男坊鴉」<214> 
431 「スーダラ節」<215> 
432 「望郷酒場」<216> 
433 「流氷子守歌」<217> 

9/27 シングル30弾(ニューバージョン)
「みれん心」
434 「木曽路 着流し 気まま旅」(217)
435 「Jewel(ジュエル)」(218)
436 「おじいちゃんちへいこう」(219)

12/14 「新・演歌名曲コレクション4―きよしの日本全国 歌の渡り鳥-」
437 「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」(220)
438 「デカンショ港」(221)
439 「逢えてよかった」(222)
440 「おんなのとまり木」(223)
441 「おとこの詩(うた)」(224)
442 「みれん心」(アコースティック・バージョン feat.齋藤功)(225)
443 「三百六十五歩のマーチ」<218>
444 「アンコ椿は恋の花」<219>
445 「てなもんや三度笠」<220>
446 「ハイそれまでヨ」<221>
447 「大江戸出世小唄」<222>
448 「イヨマンテの夜」<223>
449 「君がいないクリスマス」(226)
450 「クリスマスがめぐるたび」(227)


◆2017年
3/7 シングル第31弾
451 「男の絶唱」(228)
452 「片惚れとんび」(229)
453 「そこまで春が・・・」(230)
454 「美(ちゅ)ら旅」(231)

5/30 「新・演歌名曲コレクション5―男の絶唱-」
455 「博多祇園山笠」(232)
456 「きよしのねずみ小僧」(233)
457 「初恋のポルカ」(234)
458 「きよしのスイスイマドロスさん」(235)
459 「恋の瀬戸内」(236)
460 「女の合鍵」(237)
461 「風の男(ひと)」(238)
「男の絶唱」
462 「なみだ船」<224>
463 「釜山港へ帰れ」<225>
464 「河内おとこ節」<226>
465 「祝い船」<227>
466 「白雲の城」 (再唄入れ Ver.) (239)

467 「ふるさと」(240)

9/5 シングル第31弾(ニューバージョン)
「男の絶唱」
468 「酒場のひとりごと」(241)
469 「芝浜恋女房」(242)
470 「片恋のサルサ」(243)

10/25 シングル(ドラゴンボール超×氷川きよし)
471 「限界×突破サバイバー」(244)

11/21 「新・演歌名曲コレクション6―碧し-」
472 「じょんがら挽歌」(245)
473 「新宿ブルームーン」(246)
474 「酔わせてオルホ」(247)
475 「川中島回想」(248)
476 「真昼の最終列車」(249)
477 「碧し」(250)
478 「北の螢」<228>
479 「おまえに惚れた」<229>
480 「時の流れに身をまかせ」<230>
481 「花笠道中」<231>
482 「炭鉱節」<232>
483 「人形の家」<233>
484 「男の絶唱」《新アレンジバージョン》(251)
485 「わたしのふるさと」(252)


◆2018年
1/30 シングル第32弾
486 「勝負の花道」(253)
487 「柔道」(254)
488 「恋次郎旅姿」(255)
489 「俺ら江戸っ子 浅太郎」(256)

5/29 「新・演歌名曲コレクション7―演歌の花道-」
490 「きよしの人生太鼓」(257)
491 「郷愁月夜」(258)
492 「君に逢いたい」(259)
493 「のんき節」(260)
494 「咲いてロマンティカ」(261)
「勝負の花道」
495 「みちづれ」<234>
496 「酒よ」<235>
497 「なみだの操」<236>
498 「歩」<237>
499 「霧の摩周湖」<238>
500 「真赤な太陽」<239>
501 「勝負の花道~音頭」(262)

8/21 シングル第32弾 (ニューバージョン)
「勝負の花道」
502 「男の峠」(263)
503 「幻(まぼろし)」(264)
504 「栄光のゴール」(265)
505 「勝負の花道~ビクトリー」(266)

10/2 「新・演歌名曲コレクション8―冬のペガサス-~勝負の花道オーケストラ」
506 「愛の翼」(267)
507 「お江戸のさのさ」(268)
508 「恋之介旅日記」(269)
509 「若松みなとのあばれん坊」(270)
510 「千秋万歳」(271)
511 「冬のペガサス」(272)
512 「勝負の花道〜オーケストラ」(273)
513 「おてもやん」<240>
514 「襟裳岬」<241>
515 「風雪ながれ旅」<242>
516 「ラヴ・イズ・オーヴァー」<243>
517 「.恋人よ」<244>
518 「ヨイトマケの唄」<245>
519 「銀座ロマンス」(274)

10/23 シングル(ゲゲゲの鬼太郎×氷川きよし)
520 「ゲゲゲの鬼太郎」(275)
521 「見えんけれども おるんだよ」(276)

11/27 シングル第32弾 (ニューバージョン)
「勝負の花道」
522 「君に逢いたいXmas 」(277)
523 「聖夜の奇跡」(278)
「勝負の花道~オーケストラ」
524 「SILENT NIGHT」(279)
525 「聖夜の奇跡(Jazz Ver.) 」(280)
「勝負の花道~オーケストラ」
526 「オモイデノカケラ」(281)
527 「聖夜の奇跡(クリスタル Ver.)」(282)
「勝負の花道~オーケストラ」


◆2019年
3/12 シングル第33・34弾
528 「大丈夫」(283)
529 「最上の船頭」(284)
530 「越後の雪次郎」(285)
531 「惚れたがり」(286)
532 「きよしのよさこい鴎」(287)

※2019年3月12日現在のリストです。
・2012年にファンクラブ通販限定発売された「KIYOSHI/カバーコレクション」のリリース日が不明です。3月末に受け取りましたので仮に”3/末”としてあります。
・同様に2016年に限定販売された「Kiyoshi  Special concert 2015 ~Kiyoshi's Summer~」についても”1/末”としています。
・※2017年5月29日にリリースされた「美空ひばりを歌い継ぐ 氷川きよし映像集」に収録されている「お祭りマンボ」を加えるか迷ったのですが、これまでにDVDシングルは加えていますが、”CD曲目リスト”ということで、DVDは今のところ加えておりません。
※「ゲゲゲの鬼太郎」のオープニング曲は”氷川きよしバージョン”とらえ、オリジナル曲としてカウントしました。
※「ゲゲゲの鬼太郎」とエンディング曲の「見えんけれども おるんだよ」のTVSIZEの計2曲はバージョン違いに入れるか迷いましたが、サイズ違いとうけとめてカウントしていません。

「きらめき歌謡ライブ」 さよならライブ 第1夜  きよしさん、とびっきりの「箱根八里の半次郎」をありがとう。

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こんばんは。
NHK放送センターの505スタジオでおこなわれた「きらめき歌謡ライブ」の公開放送に参加させていただきました。
今回は第522回。
この3月で番組が終了することになったそうです。
そのため、今日と、来週、再来週は”さよならライブ”と題して、番組ゆかりの歌手の皆さんが出演されることになりました。
きよしさんは、来週も再来週もコンサートの開催日なので、昨日は岡山市民会館でコンサートをおこなわれていましたが、今夜、出演されることになったのでしょう。
観覧の当選者数もこの3回については大盤振る舞いをされたそうで、この日も通常の1.5倍の数を当選にされたそうです。
そのため、スタジオにパイプ椅子がびっしり並んでいて、通路が狭くなっているので、休憩の際は、通路側の方はできればイスをたたんだいただきたい旨のお話がスタッフの方からありました。
そしてお化粧室(女性用です)も長蛇の列になったので、スタッフの誘導で、ふだんは観覧者がはいれないエリアのお化粧室に5人、または10人とまとまって移動することになって。
なんだか放送センターのなかを見学するような一幕もあったのです。
いずれもスタッフの皆さんのまごころによる異例づくめだったのでしょう。


イメージ 1
※スタジオ入口脇のホワイトボードです。
各スタジオ、使用番組名などが書き込まれているのです。


前身の「はつらつスタジオ505」が、2005年3月30日から「きらめき歌謡ライブ」としてスタート。初代の司会者は葛西聖司アナウンサーでしたね。
「きらめき歌謡ライブ」は14年。前身の「はつらつスタジオ505」からは33年つづいた長寿番組というお話がありました。

放送をお聴きになられた方にはご存じのことですが、番組の前半、きよしさんはネイビーに白のドットの三つ揃いのスーツで登場されました。襟は白のヘチマカラーで、シャツはピンタックフリルが施されたブラウスシャツでした。
歌ってくださったのは、「きよしのズンドコ節」でしたね。
新曲をこの番組で生歌披露する機会が多々あり、発売日当日に歌唱されたこともあったかと思うのですが、番組について徳田章アナウンサーがおたずねになると、
「お客さまとの距離が近いので反応がダイレクトにかえってきて。”この曲大丈夫かも”って思わせていただきました」
というようなおっしゃっていたかと思います。

後半は、ラストから2番目に登場されましたが、光沢のある白地にラインストーンをドット柄のように散りばめたスーツにお召し替えされていました。
2月のチャンネル銀河さんのきよしさんのデビュー20周年記念番組でのインタビューでお召しになっていたあの素敵なスーツです。
歌ってくださったのは、思い出の曲、デビュー曲の「箱根八里の半次郎」でしたね。
それもフルコーラス!
デビュー当時の初々しさそのままに、20年をかけて磨きあげ、培った歌唱と表現力にただただ聴き入っておりました。
歌唱される前に「はつらつスタジオ505」から昨年12月に他界されるまで番組の構成をされていた杉紀彦先生の思い出を話され、徳田アナウンサーが”今日もみてくれていますよ”とおっしゃると、”そうですね”とうなずかれたあと、きっと上のほうでみてくださっているはずとスタジオの天井をみあげたきよしさんに、みな、じんときたのです。
それにしても歌唱されていたときのきよしさんは、なんて幸せそうな笑顔だったことでしょう。
「はつらつスタジオ505」に、初めて出演されて、杉さんにお会いしたときの思い出もお話しされていましたね。
きよしさんは、次第に”杉先生”と、とても杉さんのことを慕うようになったそうですが、リハーサルで、客席のパイプ椅子におすわりになって、台本はできあがっていますが、実際に歌唱を聴いて、ナレーションで話す言葉を書き加えたりされていたこと、きよしさんのお話で初めてしりました。

お元気だったときは、放送中は、後方のブースで番組をご覧になられていたそうで、そのことをお友達にうかがって、ああそういえばと、番組が終了してスタジオを退出するわたしたちをブースの中から笑顔で見送ってくださっていた方のおひとりがそうだったことに気づいたのです。

他のベテラン歌手の皆さんも杉さんとの思い出がたくさんおありで、また人気歌手になっても、あのスペースでお客様の反応をダイレクトに感じて歌唱する空間を、どなたもとても大切に思われていることをあらためてしりました。





わたしがはじめて参加させていただいのは「はつらつスタジオ505」のときでした。
スタッフの方に誘導されて、放送センターのなかにはいっていって...。
足を踏み入れたその場所、スタジオ505は、高校の音楽室を巨大化させて印象で、ステージの高さが1メートルもなく、客席といえばパイプ椅子が並べられていたのです。
客席とステージの隔たりがほとんどないようなこんな空間できよしさんの歌を聴くことができることを想像して、夢み心地になったことが思い出されます。

そして、あるときは、きよしさんが歌い終えたところで休憩となったのですが、現在のようにササッと袖にもどることもなく、楽団の皆さんや、そのときの司会者の金子辰雄アナウンサーがスタスタとそのままステージから客席をとおって移動され、きよしさんは、なんとはなしに、”どなたが来てくださっているのかなあ?”という様子で客席を見わたされて...。
そうして、このことは以前もこのブログに書いたことがあったかと思いますが、あれ、きよしさん、客席をみてくださっているの? と思った瞬間、おめめがパチッ!とあったのですが、そこで目を伏せたのはきよしさんのほうでした(笑)。
まだKさんと知り合う前、お友達がひとりもいなかった頃のことでした。
きよしさんが、ときどき、本来は人前にでるのが苦手だとおっしゃっているのは、謙遜でも脚色でもなくてほんとうにそんなふうにシャイな方なのです。
わたしは、きよしさんがそうおっしゃるたびに、あのときの、あわてて恥ずかしそうに目を伏せたきよしさんを思い出すのです。



※駆け足での更新で失礼します。
あらためて番組の思い出をふりかえる機会をもちたいと思っています。
では、仕事にもどります~。

「ごごウタ」でいち早く、新曲「大丈夫」が本邦初生ウタ披露されて、最高でしたね(嬉)。

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皆様、こんばんは。
「ごごウタ」、ご覧になりましたか?
きよしさんが3月12日の発売に先駆けて新曲の「大丈夫」が初生披露してくださいましたね(嬉)。
登場されたときに縞模様のお着物をお召しになっていたので、これはもう「大丈夫」を歌ってくださるものと、期待しておりました。

あの軽快でちょっぴりコミカルな振りは、きよしさんが考案されたそうですが、最高に楽しいですよね。
初めてご覧になられた皆様はいかがでしたか?
一緒に踊りたくなってきませんか?
来週は東京、名古屋、大阪で新曲発売記念イベントを開催されますし、コンサートも名古屋のあとは、九州へと、いよいよ全国ツアー始動!
全国を駆け回るきよしさんに、熱いエールを送りましょうね。

あっ!
そして、そのご多忙なスケジュールのなか、12日は「うたコン」に生出演されますね。
”40年前のあの名曲”を歌唱される”ということですが、どの曲なんでしょう?
40年前というとは1980年代ということでしょうか。
わくわくします。
当日は観覧に当選できましたので、仕事を終えての駆け込み入場になりそうですが、参加させていただきます(嬉)。


さて、今日は、じつは観覧に参加させていただいておりました。
当初から仕事の用事は夕方からだったので、まだ出演者が発表されていない時点での申し込みをしていたのです。
日比谷のシアタークリエで「ヴォイサリオン」という舞台を午後7時から観ることになっていたので、スケジュール的には大丈夫だったのですが、やっぱり今回も当選できなくて、すっかりあきらめておりました。
ところが神戸から東京に帰ってくる途中で、急きょ行かれなくなった方が譲ってくださることになり、参加できることになったのです。
それで、忘れもしない新大阪で新幹線に乗り込みながら、やっぱり当選できなかったお友達に急ぎ電話したのでした。

開演前に、ふれあいホールの1階のエントランスで入場順をくじ引きで決めるのですが、BOXから順番に番号のついたプラスチックの札をひいていきます。

わたしが代表してひくことになったので、責任重大!
ドキドキしながら順番を待ちました。
前の前の方が70番台、次の方が30番台、さて、わたしは?
以前、170番台ということもありましたから、手にガラガラと札がふれて4枚くらいのカタマりリに指先が当たったので、”ええい、ままよ”という感じでそのなかの1枚を選んだのですが、パッと数字をみると3ケタ!
というこは100番台? 
と思ったら、係の方が”〇番です!”とひとケタの数字を読みあげました。
えっ? ひとケタ?
そう、最初のふたケタはゼロだったのです。
というわけで、ありがたいことにわたしのなかでは過去最高に早い順番での入場となりました。


係の方がマジックで、右上(白丸の部分)に入場順の数字、真ん中の丸囲みの数字は入場人数。下の数字は再度集合する時間を書き込んでくださいます。

イメージ 1
※〇囲みの2は、参加人数です。
右上の白丸部分に入場順が書き込まれています。


ふれあいホール内(1階のエントランスもふくまれます)の撮影が禁止になったので、モニターの出演者紹介を、前回からアップできなくなってごめんなさい。
外のモニター看板は撮影にトライしてみたものの、お天気がよかったので日差しが反射して写せなかったのでした。
そのため、今回は入場整理券の画像をアップさせていただくことにしました。

さて、ドキドキしながら入場をすませると、開演前に、ディレクターさんから、きよしさんが「大丈夫」を歌唱される旨のお知らせがありました。
それは皆でもりあげるため、オーケーサインと、三本締めの説明をされるためでしたので、皆で練習を一生懸命させていただいてわくわくしながら開演を待ちました。

わたし、今回は入場順が早かったので、前列にすわることができたのですが、そのおかげできよしさんのお姿をお近くで拝見させていただけることになり、なぜかきよしさんの足袋をはいた足元の美しさに目が釘付けになったのです。
とてもセクシーで...。
そうしたら、終演後、ご一緒したお友達のSさんも同じことをおっしゃったので、”わたしも!”と(嬉)。
きっと足袋職人の方にあつらえていただいたであろうその足袋、きゅうっと指先が上向きで、きよしさんのおみ足のフォルムの美しさがきわだっていて...。
まさに足先にまで色香ただよっていたのでした。

そして、そんなきよしさんがお着物の裾ををパタパタされたときには、思わず、”きゃー、やめて~”といってしまいましたが、帰宅して録画をみたら、テレビにもかなり映っていましたね(笑)。
もう、お茶目にもほどがあります~。
NHKさんの生放送であんなことされるなんて、確信犯なんでしょうか?
以前、「ときめきのルンバ」で、シャツの胸元を開ける演出をされていたことまで突然思いだされてきて...(汗)。
小堺一機さんと塚原愛アナウンサーには、”大丈夫じゃないですか~”といわれてしまっていましたが(笑)、ディレクターさんが掲示しているスケッチブックの”カンペ”にはそんな細かいまでは書かれていない様子でしたので、全部アドリブ&天然なのでしょうね~。
”ライブ感”いっぱいのこの番組はほんとうに楽しいですが、来年も続投が決定したとディレクターさんがおっしゃると拍手がおこっていました。
これからも、きよしさんにもどんどん出演していただきたいですね。


さあ、3月12日に新曲がいよいよ発売です。
いろんな意味で(?)期待がふくらむ新曲「大丈夫」そしてダブルA面の「最上の船頭」を応援していきましょうね。
そしてその日は「うたコン」生出演ですよ~。

”大丈夫! きよし胸騒ぎ大作戦”への投稿もありがとうございます。
内容は来週以降にまとめたいと思います。

明日の夜は、「第7回 全音楽界による音楽会」がサントリーホールで開催されますね。
仕事先からの駆け込み入場になりそうですが、参加させていただきます(嬉)。

こちらへのきよしさんの出演は3回目。
新曲を披露してくださるということですが、どちらの曲を?
ダブルA面にはそんな楽しみもありますね。

では明日は終演時間が遅いのですが、帰宅したらご報告させていただけたらと思っています。

そういえば神戸にいったのは先週の日曜日?
なんだか仕事がすごいことになっていたので、1カ月前にも感じられます~。
がんばって締切をクリアできた今、やっとこころの余裕ができて。
お仕事をいただけるありがたさとともに、またがんばろうという思いがわいています。

「第7回 全音楽界による音楽会」で、新曲「大丈夫」をフルオーケストラ伴奏で歌唱されたきよしさん。あふれる励ましのメッセージに胸熱くなりました。

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サントリーホールで昨夜開催された「第7回 全音楽界による音楽会」に参加させていただきました。
東日本大震災から8年。
このチャリティーコンサートは、様々な方の支援で開催されており、サントリーホールの大改修のため一昨年は開催をお休みしましたが昨年から再開しました。
サントリーホールさんはこの素晴らしいホールを、毎回、無償で貸し出してくださっているのだそうです。

きよしさんの出演は今回で3回目。
ボランティアの皆さんが運営され、出演者の皆さんも義援金を渡され、ノーギャラです。

今回はオープニングに黙祷をおこないました。
静まり返ったサントリーホールに身をおきながら、身もこころも静かにすると、さまざまな思いがよみがえってきたのです。

3月11日 午後2時46分に、それぞれの場所において黙祷をと、内閣府も呼びかけをされていますね。
あらためてその日、こころを同じくするみなさまとともに、黙祷したいと思います。

きよしさんはコンサートの後半に、純白にラメが織り込まれたスーツで登場され、「大丈夫」をフルコーラスで歌ってくださいました(喜)。
渡辺俊幸さんの指揮によるフルオーケストラの伴奏で、声高らかに歌唱されるきよしさんに、勇気100倍! 力がわいてきたのです。
三本締めには皆さん楽しそうに参加されていました。
クラシックのコンサートスタイルなので、前もって曲について説明が、きよしさんの「大丈夫」についてもなされなかったのですが、それでも、皆さんにつたわるものがあったのでしょう。
1番、2番、3番と進むうちに、どんどん三本締めの拍手の音が大きくなっていったのです。
きよしさんの、”なにがあっても、大丈夫だよ”というあふれるメッセージがつたわってきて、胸が熱くなりました。

司会の永井美奈子さんが、何組かずつ区切って出演者を紹介されたのですが、きよしさんを紹介されるときには、
「お待たせしました!」
とおっしゃり、たくさんのきよしさんのファンが来場されていることを受けとめてくださっていました。
さらに、
「今日のこの日に新曲を歌ってくださるお気持ちが嬉しいですね~」
とも。

そして歌い終えたあとには、
「氷川さんの歌って、すぐに覚えられますね~」
と感想をおっしゃってくださっていました。

露木茂さんとともに真心の司会をありがとうございました。

きよしさんのお召しになっていた衣裳はこちらです。
素敵ですね!

イメージ 1



入場時に義援金をお渡しして、チケットにハートのパンチ穴をあけていただきました。
わたしは、湯川れい子さんのところにお渡しして、握手をしていただいたのです。

イメージ 2
※中央下にハートが2つ!


トリは六本木男声合唱団ZIG-ZAGの皆さんでした。

歌い終えると、きよしさんはじめ出演者の皆さんがステージに勢ぞろいされ、この日集まった義援金の総額の発表がありました。
ボランティアの学生さんが数字を書いたボードをもって登場され1の位から発表していきました。
総額は、
16501048円でした。
すごい金額ですね。

今回は、支援させていただいている子どもさん達も来場され、がんばっている様子をつたえてくださり、その笑顔に嬉しく、励まされたのです。

来年の開催は3月11日とのことです。
世界に誇る名ホールであるサントリーホールで聴く皆さんの熱唱、熱演の素晴らしさはもちろんのこと、ホールの空気や、その空気感うけとめてのきよしさんの歌声にもまた格別な趣があります。

そういえば、ペンライトは”クラシックのホールなのでご理解ください”と前回から、使用しないことになったのです。
そう考えると、きよしさんが初めて出演されて「きよしのズンドコ節」を歌唱されたおりはペンライトOKでしたので、わたしも、まさかサントリーホールでペンライトを振ることがあるなんて! と嬉しい驚きがありましたが、それは最初にして最後の夢の体験となったようです。


こちらが入場時に配布されたプログラムです。
サントリーホールのロビーで写メしました。照明の感じまで味わっていただけたらと...。

イメージ 3
※プロブラムです。


こちらが裏面です。

イメージ 4
※プラグラムの裏面です。


以上駆け足での更新で失礼しました。
いよいよ新曲「大丈夫」とダブルA面の「最上の船頭」が3月12日に発売されます。
日本コロムビアさんのHPにそれぞれのPVが8日にアップされましたので、ここでも共有させていただこうと思います。

そして11日にサンシャインシティ 噴水広場でおこなわれるイベントにも参加させていただきたいと思っています。


こちらが「大丈夫」です。




こちらは「最上の船頭」です。



こちらがきよしさんからのメッセージです。
Cタイプのカップリング曲の「きよしのよさこい鴎」はロックテイストとお話しされていますね。
ますます楽しみ~! 11日のイベントで聴かせていただけること、期待しちゃいます!




それでは、またお逢いできますように!


本日、新曲「大丈夫/最上の船頭」発売です! 昨夜のサンシャインシティ 噴水広場での発売記念イベントは熱~くもり上がりました!

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皆様、こんばんは。
日付がかわって3月12日。
きょうは氷川きよしさんの新曲「大丈夫/最上の船頭」が発売日です。
おめでとう、おめでとう、おめでとう~!

20周年記念曲ということで、”いい歌すぎて”、「大丈夫」と「最上の船頭」の2曲をダブルのA面としてリリースしてくださいました。

氷川きよし様
20周年、そして新曲発売、おめでとうございます。

そして今夜は「うたコン」にも生出演されますね。
どの曲を? と期待でわくわくドキドキ!
夕方からNHKホールに観覧にまいりますので、また明日、ご報告させてくださいね。
では、以下は昨日のイベントのことを、記憶と書きなぐり状態(汗!)のメモを頼りにまとめてみようと思います。

昨日、サンシャインシティ 噴水広場で開催された発売記念イベントで、
「歌で、”大丈夫だよ”って優しく背中を押せるようなアーティストになりたいですね。
歌で悲しみも喜びに変えていきたいです。
20周年、悲しかったこと、苦たしかったこと、悔しかったこと、嬉しかったこと...。
今年は、そのすべての思いをこの『大丈夫』にこめて歌っていきます」
とおっしゃいました。
朝起きて、東日本大震災で被災をした方や亡くなられた方達を思って祈られたこともお話しされたのです。

きよしさんのそんな深く熱い思いをうかがってあらためて聴かせていただくと、ほんとうに胸がいっぱになります。
噴水広場に初お目見えの新曲の全身ボードには、”待望のいい歌が2曲完成したので、両A面で発売します!”
と書かれていますね。
この素敵なジャケ写の撮影は”美の門番”を自認される下村一喜さんです(嬉)。


イメージ 1
※新曲のボードです!
”待望のいい歌が2曲完成したので、両A面で発売します!”


開演は午後5時30分でしたが、ステージ前のスペースで観覧できる優先エリア入場は11時からの抽選でした。
抽選に参加していったん日比谷に移動して、用事をすませて夕方までに池袋にもどる予定にしたのですが、うちあわせの資料に手間どって、かなりのギリギリ到着(汗)。
抽選の順番がまわってくるまでに50分近くかかったでしょうか。
ふたつあった抽選ボックスを、片方のボックスのなかのくじのがわずかになってしまったそうで、わたしの数名前からふたつのボックスのくじをあわせてひとつのボックスからひくことになりました。
わたしの2人前の方は20番台をひかれていて、次の方は240番台(汗)を。
すごい落差が...。

ボックスのなかにのくじはそのとき並んでいた方の数からすると、20枚をきっていたかと思います。
当選した場合にいただけるチケットはまだ10枚以上テーブルに並んでいるのがみえました。
ということは倍率は約2倍?
さて、わたしがひいたくじの番号は?
188番でした(涙)。

残念ですが、当選できなかったときは、”プレミアムサイン会”にその分の運もまわしてください!”、”とかなり身勝手な願かけをしていましたので(笑)、気持ちを切り替えて、1階のタリーズでひとやすみしてから、日比谷へと向かったのです。


抽選の列に並びながら写メした画像です。
実際はこの次の画像のような明るさなのですが、巨大スクリーンをいれると、このようなモードになります。
でも、スケール感をおつたえできればと、アップすることにしますね。


イメージ 2
※午前11時半ころ。実際の明るさは下記の画像を参考にしてくださいませ~。


イメージ 3
※実際はこんなに明るいのです。


ふたたびサンシャインシティに到着したのは5時5分くらいでした。
もう~、ものすごくたくさんの方が集まっていて、どこにたとうか思案したのです。
上の階にのぼった方が見やすいのですが、会話の音声が一部ききとりづらかったことがあったので、ステージのある地下のフロアでスペースをみつけて。

ひと息ついたら、司会の西寄ひがしさんが登場されました。5時15分頃でしたでしょうか。
前説をもりこんだ楽しいトークに、”これからここにきよしさんをお迎えさせていただく”という思いが高まってきたのです。
そこで、
「皆さん、ここで朗報です!」
と西寄さん。
これからきよしさんが本番さながらの公開リハーサルをされる旨のおしらせがありました。
そして、ながれによってはそのまま本番に突入される可能性があることもお話しされると、一気にヒートアップして歓声がおこったのですが、絶妙なタイミングで、
「まだ出ません」
と西寄さんがおっしゃったので、大爆笑となりました。

その数分後、きよしさんがステージに登場されました。
お召しになっていたのは、「大丈夫」のコスチュームの縞模様のお着物でした。

公開リハーサルは「大丈夫」を2コーラスでした。
本番さながらにステージを縦横無尽に移動される歌唱に思いきりもり上がったのです。
”フリ”について簡単な説明があったような気はしますが(舞いあがっていて、記憶が曖昧です・汗)、練習もしていないのに、みごとにきまっておりました(喜)。

歌い終えると、
「これから、歌で、”大丈夫だよ”って優しく背中をおさせていただけるようなアーティストになりたいです。
歌で悲しみを喜びに変えていきたいですね」
とお話しされ、もともとは「最上の船頭」1曲を予定していたこと、そして、「大丈夫」」はだいぶ前にできあがっていた曲であることを説明されると、
「20周年をもり上げたいと思って、『大丈夫』もいれさせていただいて両A面シングル”ということになりました」
とおっしゃると、「大丈夫」について、”ズンドコ節の再来”と思われた理由をおしえてくださったのです。
「中野サンプラザでコンサートを2月1日と2日にさせていただいたときに、恩師の水森英夫先生が来てくださったんですけど、コンサートのあとで、”舞台で「大丈夫」を聴いたら、「(きよしの)ズンドコ節」がすごくおとなしく感じた。「大丈夫」、なかなかいいね~”っていってくださったんですよ」
と、水森先生の台詞はしっかり声マネしてお話しくださったのです(嬉)。

そして、
「20周年ですから、恩ある水森先生とタッグを組ませていただいた2曲です」
と結ばれたのですが、じつはここまでが公開リハーサルでお話しされたことだったと思います。


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※広場の前の柱です。


新曲記念イベントのオープニングは、
「きよしのズンドコ節」
でした。
大いにもり上がったところで、諸々のおしらせがありました。
デビュー20周年記念コンサートが日本武道館で7月11、12日に開催されるというおしらせについて、多くの方が、”いくよ~”という声をきよしさんにかえすと、
「えっ、ほんとうですか? こんなにたくさんの方が? じゃあチケット売り切れ? ラッキー!」
と(嬉)。
一般発売がまたこれからありますが、ファンクラブでは当選できなかった方も多数おられる(とくに12日の昼の部)ようですね。

そして、9月6日のバースデーに大阪城ホールで昼夜2回公演をされるおしらせでは、
「42歳!」
ご自身でおっしゃると、
「うわあ~」
と(笑)。
そして、
「ね、42歳になるんですよ。
自分の誕生日におこがましいんですけど。
広いホールで1万2千人は入れるんですよ。だから2回ということは2万4千人。
幕が開いたら親戚だけしか来てなくて4人だったらどうしよう?」
とおっしゃるきよしさんに、”いくよ~”という声、声、声。
きよしさんは笑顔でうなずかれると、
「ありがたいですね。
もう四六時中、コンサートのことを考えるようになるんです。
皆さんにわくわくドキドキしていただきたいですから」
と頼もし気におっしゃいました。
でも、そのあとで、
「皆さんに期待! しないで来てください」
と(笑)。
そういうところがきよしさんの素敵なところですよね(嬉)。
もう~、ますます期待していって、自分自身のこれまでの”期待マックス更新”ということになりそうです。

そして、映画「ボヘミアン・ラプソディ」をご覧になってほんとうに感激されたそうで、
「やっぱり、『ボヘミアン・ラプソディ』で”人生は勝利”なんだって思ったんですよ。
あの、そういうのなんていうんでしたっけ? 洗脳?」
と、西寄さんはじめ観客に問いかけたきよしさん。
もしかしたら、感化とおっしゃりたいのかしら?
そう思っていると、西寄さんが、
「”影響”ですか?」
とフォローを。
でも、きよしさんは、
「違う。ええと、洗脳じゃないんだけど...」
とおっしゃって、まだしっくりくる言葉を探しておられたので、
そこで、ようやく、”感化?”と、何名かが。
わたしもおこがましくも一緒にいわせていただいたのですが、
「そう、感化!」
スッキリした様子で、そうおっしゃると、
「『ボヘミアン・ラプソディ』に感化されて、そうありたいなって思ったんですけど。『大丈夫』の”笑い飛ばせぬ悲しみも バネになれ!”という歌詩は、自分自身の人生に勝利しようっていう思いがこめられた歌詩だなって思うんです。『大丈夫』のひとつひとつの歌詩が好きなんです。
皆さんを歌で励まして、一緒に人生に勝利したいです」
と、「大丈夫」への思いをお話しされたのです。

そして、
「んでもってねっ」
と、ご自身で話題を転換されると(笑)、
「『最上の船頭』があって、『大丈夫』が現実だとしたら、『最上の船頭』は非現実の世界。台詞があるんですけど、ひとり三役なんです。最初が船頭さん、2コーラス目が駆け落ちするお千のお父さん、3コーラス目が船に乗り合わせている鳥追い女。だから3コーラス目は女声あ(おんなごえ)にしています」
とおっしゃっていました。

「大丈夫」をフルコーラスで歌ってくださると、大もり上がりです。
2コーラス目の、”♪それが恋だよ”で、突然前方にポップアップされたので、もうびっくり!
心臓が飛び出るかと思ってしまいました(喜)。
きよしさんが縦横無尽にステージを駆け巡りながら歌唱されるので、あちこちで歓声が起こって、もう最高だったのです。

歌い終えて、”大丈夫!”というかけ声や、オーケーサインの話題になると、
西寄さんが、
「”大丈夫!”って生活のなかで使えますよね。
でも大丈夫じゃないときはどうしたら?」
とおたずねになると、
「そのときは、♪大丈夫じゃないっ!」
と、”字余り”で、歌われたので、大爆笑になりました。

と、このあたりで、”大スター!”というお声をかけたご主人がいらしたのですが、
「そんなことないです。普通の生活をしています~」
とおっしゃったきよしさん。
半身振り返って背中の大きなスクリーンをご覧になると、
「あら~、これ誰?」
と(笑)。
西寄さんが、
「誰っておたくでしょう?」
とあきれたようにおっしゃったのでさらに大爆笑(笑)。

ジャケ写を下村一喜さんが撮ってくださったことをお話しされると、
「下村先生に撮っていただいたんですけどね、先生はおだてるのが上手なんですっ!
”素敵!”
”ほんと素敵~!”って。
だから自分もその気になっちゃったんすよ~」
と楽しそうにおっしゃいました。


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※”きよ新聞”のなかの直筆メッセージです。


つづいては、カップリング曲の初生歌披露となりました。
きよしさんは、
「緊張しますね~」
とおっしゃっていましたが、A,B,Cタイプの順番で、
「越後の雪次郎」
「惚れたがり」
「きよしのよさこい鴎」
をワンコーラスずつ歌ってくださいました。

「惚れたがり」につては、「きよしのズンドコ節」のことにできていて、プロデューサーの長良じゅん会長(当時は社長)が、”40歳になったらこの曲は歌えるな”とおっしゃっていたエピソードもお話しくださり、「越後の雪次郎」については、デビューした年だったでしょうか、”十日町雪まつり”にゲスト出演されたことも。
歌の世界観がそれぞれちがっていて、味わい深い歌唱で、とくに「きよしのよさこい鴎」では自然と踊りたくなってしまったのです。

でも、完璧主義者のきよしさんですから、西寄さんが初生歌披露を終えた感想をおたずねになると、
「あっ、まだまだですね~。
レコーディングのあと歌いこんでないから」
と、あまりにも正直にお答えになっていました(笑)。
きよしさんはそんなふうにおっしゃっていましたが、素敵な歌唱だったのです。
でも、きよしさんがそうおっしゃるのですから、これからもっと素晴らしい歌唱を聴かせてくださるおつもりなのですね。
わくわくします(喜)。

そしてCDを包んでいるセロファンやアルバムの話題になると、
「アルバムがはいっている箱、うちの両親は全部捨ててたんですよ~。
そういうものだと思ってたみたいで。
なんで捨てたと~って。一生懸命つくっているのに。好か~ん!っていいました(笑)。
父は先日76歳になったんですけど、誕生日に何かプレゼントしたいと思って、なにが欲しいかきいたら、”何もいらん”っていわれて。
前に時計をプレゼントしたことがあるんです。3万円くらいの(笑)。
でも全然使わなくって、しまってあるから。きいてみたら、つかわないっていうので、西さんにさしあげました。
西さん、使ってます?」
と、きよしさんがおたずねになると、

「はい。使わせていただいています。
電池も2回交換しました。高級な時計をありがとうございます」
と、西寄さんはお答えになりました。
使わないままだと時計もかえっていたみますし、きっと素敵な時計なのでしょうね。

ここで「最上の船頭」を、歌ってくださったかと思います。
歌唱されるときはペンライトを持つので、メモをバッグにもどして、まだだしてを繰り返しているため、歌唱とトークのタイミングがあやふやでごめんなさい。
曲順は”大丈夫!”ですので!

歌い終えたとことろでこの日のお礼をあらためておっしゃると、
「歌だけは絶対にやめません。ずっと歌いつづけていきたいと思っています」
と、歌への思いを言葉にされました。
そして、本来はここでイベント終了の予定だったのですが、もう一度「大丈夫」を歌唱してくださることになったのです。
もちろんフルコーラスです。
人並の中で揺られるようにして、きよしさんと皆さんと一体になっているような思いになったのです。
そう、お祭りで皆で一緒に踊っているような、あるいは狭いライブハウスで踊っているような、そんな気にさせていたきました。
なんて、楽しくって、幸せなんでしょう!
ラストは、噴水が天井高く噴きあがったのです。
「皆さん、今日は平日のお忙しいお時間にお越しくださり、ありがとうございました。
悲しかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、嬉しかったこと...。20周年の思いをこの『大丈夫』に込めて歌っていきます」
そうおっしゃると、
拍手と歓声のなか、「大丈夫だよっ!」と声高らかに。
そして、上下左右、前後と、全方位のファンにあらためて手を振り、お辞儀をされ、お礼を言葉にされ、
「またお会いしましょう、THANK YOU(センキュー)!」
と。

そして、いよいよのお別れで、きよしさんは出入りするための扉の方へと歩いていかれたのですが、手前で足をとめて、そのまま、しばし皆の声援に応えてくださると、
「それじゃあ、また~」
と、扉の向こうへともどっていかれたのでした。


さあ、名古屋、大阪へとバトンをつなげて、発売週を過去最高にもり上げましょう!



イメージ 6
※こんなステッカーがあったら欲しいですね!
もう、あちこちに貼りたくなっちゃいます。



それでは、皆様、今夜は「うたコン」ですね。
皆でこころをひとつにして、今、最高に輝いているきよしさんを応援しましょう!

余談ですが、最上川で舟下りができるそうですね。
そこで「大丈夫」と「最上の船頭」をかけて舟下りしたいですね~。
先の話ですが、山形コンを申し込んでいるので、当選できたら、舟下りしようかしら?


新曲発売日に「うたコン」で「大丈夫」を生歌披露! まさかの「燃えろいい女」も男っぽくてセクシーで、もう、 最高、最高、最高!

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皆様、こんばんは~。
もう~、タイトルから暴走してしまってごめんなさい。
昨夜の「うたコン」、ご覧になりましたか?

と、その前に、これ以上ない嬉しいおしらせが飛び込んできましたよ!
なんとっ!
オリコンのシングルチャート総合(3月11日付 デイリー)で、「大丈夫/最上の船頭」」が第1位になりました。
最高のスタートをきった20周年記念曲が、多くの方のおこころにとどくように、わたしたちも力をあわせて、それぞれの場所でそれぞれのできる方法で応援しましょうね!
そして、
年末に、きよしさんが”ぶっちぎりの日本レコード大賞&紅白大トリ”というファンの夢を叶えてくださったそのときにこそ、応援されてきたどなたかおひとりが欠けてもいても、その夢は実現しなかったなあと、祝杯をあげましょう。

それでは、まず先に昨夜の皆様の感動は、NHKさんにぜひ送りましょう!
こちらをクリックするとメールフォームになります。

そして、今日は「月刊 氷川きよし」が掲載されるデイリースポーツ(毎月第2水曜日)の発売日です!

さて、昨夜はNNKホールに観覧にいってまいりました。
司会の谷原章介さんが、客席から見学されるという演出には驚きましたね。
そして、オープニングで登場されたときのきよしさんの衣裳の素敵さに、みなぎる気合を感じて、期待はマックス!
テーマは、”あれから40年! ! 歌のフルコース”ということで、事前に番組HPに、”氷川きよしが40年前のあの名曲を熱唱”とだけ、お知らせがありましたので、どの曲を? と、わくわくドキドキしておりました(嬉)。
そして、昨日は新曲「大丈夫/最上の船頭」の発売日でしたので、新曲も歌ってくださるのかしら?と、”ダブルドキドキ状態”だったのです。

でも、開演前の前説で、きよしさんの「大丈夫」での三本締めと、AKB48の皆さんの「恋するフォーチュンクッキー」のフリの練習をすることになったので、そこで、「大丈夫」を歌ってくださることがわかったのです。
それでドキドキは少しおさまったかと思ったら大間違い(汗)。
余裕ができた分まで、今度は”40年前のあの名曲”って? と、いっそうわくわくドキドキ。
なので、オープニングで登場されたきよしさんのあまりにも素敵な出で立ちに、期待はマックス状態になったのでした。

フリの練習終えると、いよいよ本番。ディレクターさんの”力をあわせてがんばりましょう!”という言葉に、一体感がいっそうましたのです。

番組の内容はご覧になった方にはご存じのことになりますが、
きよしさんが歌唱される前に、「君は薔薇より美しい」を歌唱される布施明さん、「セクシャルバイオレット No.1」を歌唱される桑名正博さんの映像がながれたので、そのたびに、えっ、この曲かしら? と、皆様もドキドキされましたでしょう?
わたしもです。
そうしたら、ツイストの「燃えろいい女」がながれて、これだ~!って思いました(嬉)。
男っぽくて、セクシーで、世良公則さんのオリジナル歌唱の魅力をそのままに、100パーセントの”氷川節”で歌唱され、もう~、とろけておりました。
歌唱の途中で、ハンディカメラをもったカメラマさんが至近距離できよしさんのお顔を撮っておられたので、帰宅してからの録画もとても楽しみしておりました。
それで、帰宅してさっそく録画をチェックしたのですが、ん、もうっ! とろけずにはいられませんでした~(嬉)。
永久保存版ですね。

そして「大丈夫」では最高にもり上がって完全燃焼。
なんだか満足しきってしまい、番組がそこでエンディングのような気分になってしまったほどでした(汗)。
大げさでなく、あれ、まだ伍代夏子さんが歌唱されてないけど? なんて思ってしまったのです(笑)。
次回はフルコーラスで、ぜひぜひ聴かせていただきたいですね。


では以下は終演後のことを。
放送が終了するとステージに出演者の皆さんが勢ぞろいされ、しばし客席に手を振ってくださっていました。
そして、司会の小郷知子アナウンサーと谷原さんがひと組ずつ”〇〇さん、ありがとうございました~”とおくっていかれたのですが、きよしさんの左隣にAKB48の指原莉乃さんがたたれたのです。
そのとき、きよしさんは指原さんに、番組のトークのなかで、”大丈夫!”と、リアクションにさっそくとりいれてくださったお礼をおっしゃっているのがわかりました。
というのも、きよしさんがオーケーサインをしたあとに、お辞儀をされると、指原さんが、”いえいえ”という感じで恐縮されていたからです。
わたしも、指原さんのリアクションに、ありがたさでいっぱいでしたから、律儀なきよしさんを見つめながら、”指原さん、ありがとう”とこころのなかで思ったのです。

そして、これは、流行るぞ~と確信したのです。


終演後の歌のプレゼントコーナーでは3人の方が歌唱されました。
この日の客席での観覧体験について、
「楽しかったです。ほんとうに贅沢な体験でしたし、いい勉強になりました。
それにしても綾小路ききまろさんが、女性ネタを話していたとき、バックが全員女性だったので大丈夫なのかって思いましたけど」
谷原さんはそこまでおっしゃると、小郷さんに、
「大丈夫!」
と。
すると、小郷さんも、
「大丈夫!」
とかえしてくださいました(喜)。
ねっ、もう、あっという間に周囲に伝染してますね(喜)。

さて、最初に登場されたのは、徳永ゆうきさん。
「西遊記」の猪八戒役を谷原さんが大絶賛。
徳永さんは役者としても、山田洋二監督にも認められて起用されるなど活躍されていますが、谷原さんがそのことにふれ、
「今度、共演しましょう」
と素敵なオファーをされていました。
「うたコン」には2回目の出演だったそうですが、この日はダンスやフリがあったので、リハーサルから汗だくでがんばておられ、
「汗だくで、僕だけ夕立でした。リハーサルから2,3キロやせたんじゃないかと思います」
と(笑)。
歌ってくださったのは、
「函館慕情」でした。

おふたりめは、どなただと思われます?
ヒントは、”この日の番組には出演されていなくて、女性で、きよしさんのレコード会社での後輩で、2月27日に出ニューした方”
です~。
そう、門松みゆきさんでした。
作詩家の藤竜之介先生の内弟子として10年修業されたそうですが、先生の方針で、お弟子さん達には携帯電話を持たせないことにしているので、門松さんも持たずにすごしていたそうです。
そのことだけうかがっても、修業の厳しさがつたわりますね。
そして、子どもの頃から憧れているのは、北島三郎さんとのこと。
歌唱されたのは、もちろんデビュー曲の、
「みちのく望郷歌」でした。

そして、この日のトリは?
そう、きよしさんでした。
「最上の船頭」のコスチュームの紫のお着物にお召し替えされていたのです。
谷原さんと小郷さんが、「燃えろいい女」をほめてくださると、
「いやあ、もう、緊張しました...。
ホッとなったら、別の自分になっていたなって。
やっぱり緊張しますね。別の自分になるのって」
とお話しされるきよしさんに、谷原さんはとても興味を持たれたようで、
「それはどういう感じなんですか?」
とおたずねになりました。
すると、
「歌では、歌の世界の主人公になるというか。
歌って3分間のお芝居(ドラマ)なんですよね」
ときよしさん。

さらに、
「じゃあ、演歌のときは?」
との谷原さんの質問に、
「あれも別の自分です(笑)。今、話しているのがほんとうの自分です」
とお答えになりました。

きよしさんの見事な歌唱の内幕に、すっかり興味を持たれた様子の谷原さんが、
「そのスイッチはどこにあるんですか?」
と質問されると、
「ここです!」
と腰のうしろあたりに手をあてたのです(笑)。
谷原さんは、目を輝かせてきよしさんの手をあてたところをのぞき込まれると、
「もう~、イヤモニ(受信器のことだと思います)じゃないですか~」
と、がっかりの様子された様子でした(笑)。

また客席からご覧になった感想を、
「ステージの端でみていても、氷川さんってかっこいいなあって思ってましたけど、客席から観たら、いっそうかっこいいなあって思いました」
と大絶賛。
その言葉に、
「自分で自分(のステージを)を観てみたいんですよね~。『満天の瞳』っていう曲のPVでそれをやってみましたけど、まあもちろん合成ですからね。
ほんとうにするには、幽体離脱でもしないとできない(笑)」

ここで、この日発売された新曲「大丈夫」と「最上の船頭」の紹介をされました。
番組で披露された「大丈夫」について、
「フリが激しめですね」
と司会のおふたりがおっしゃると、
「20周年の記念曲なので、明るく元気に。そして、フリは激しめで(笑)。
尻、振ってます(笑)」
ときよしさん。

さらに、7月11日&12日の日本武道館での「20周年記念コンサート」(2days 3公演)をされると、
「そんでもって!
9月6日の自分の誕生日の日に、その日42歳になるんですけど。
大阪城ホールで1日2回公演をさせていただきます。
1万2千の方が入れるホールなので、2回公演ということは2万4千人。
もしお越しいただけなかったらどうしよう?って。
あのう、来てくださいますか?」
ときよしさんがおっしゃると、
「もちろん!」
と谷原さん。
そこで、きよしさんが、
「チケットも買ってくださって?」
と(笑)。
すると、
おふたりが、
「当然です!」
とお答えになったので、
「すいません。それは冗談ですけどね」
と、きよしさんはおふたりの優しい対応に恐縮されておりました。

俳優としてこれまでたくさんの舞台に立たれてきた谷原さんには、様々な心配をされるきよしさんのお気持ちがよくおわかりになるのでしょう。
「ぜひ1万2千人で三本締めをして、お誕生日をお祝いしましょうよ。
そして、(その前の)武道館では、20周年を」
といってくださいました。

そして、これから歌ってくださる曲が「最上の船頭」であることをお話しされ、曲の説明をきよしさんがされると、
「また違う自分が、”あれ”しているわけですね」
と、谷原さんが”あれ”を発信(笑)。
きよしさんは、
「ありがとうございます。
”あれ”っていうのは、もともとは美川憲一さんなんですよ。
それに、事務所の会長が、”きよし、あれをあれして、あれしておけよ~”(会長のべらんめえ口調を再現されて)ってよくおしゃっていたんですけど。
それでも”あれ”がなにかちゃんとわかるんですよ。
だから、いいなあって思って。
ただ、テレビでは、”あれ”じゃわからいと思うので、なるべく使わないように気をつけてます」
とお答えに。
その回答に、
「(氷川さんの場合は)わかるんじゃないですか?」
と谷原さんがおっしゃると、きよしさんは、”そうかなあ”という様子で、すう~っと客席に視線をはしらせると、
「ん、ふふふふふっ」
ですって。
もう、そんな含み笑い、きよしさんたら、どこで覚えたんですかっ!
赤面しきりのわたしでした(汗)。

「最上の船頭」を2コーラス(1番と3番)鮮やかに情感豊かに歌ってくださいました。
ほんとうにこちらの曲も聴けば聴くほど好きになります!

いよいよのお別れでは、
緞帳が降りるなか、司会のおふたりと一緒に手を振ってくださると、
「来週も、来てくださいね!」
ときよしさん。
その言葉に、
「えっ、来週も来てくださるんですか?」
と谷原さんがおっしゃって、大爆笑(笑)。

谷原さん、きよしさんは、「うたコン」をとてもとても愛しているのです。
だから、ご自身が出演されてもされなくても、お客様に、番組の応援に来てほしいという思いで、そうおっしゃったのですよ~。
ね、皆様、そうでしょう?

明日は名古屋センチュリーホール 名古屋国際会議場でコンサートが開催されますね。
参加される皆様、きよしさんと素敵な時間をおすごしくださいませ。


さあ、こちらはわたしの第2のふるさと、堺東のヤマブキレコードさんの3月11日の店頭です。
ご主人が写メされた店頭の画像を、お友達のUさんが送ってくださいました。

今は駅前ビルのジョルノが立て替え中で、堺東銀座商店街で営業されていますが、きよしさんがデビューキャンペーン時代にお世話になって以来、奥様とご一緒に、ずっと熱く熱く応援してくださっているのです。
撮りたてホヤホヤの画像におふたりのきよしさんへの愛を感じてじんときました。


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※ご主人のディスプレイには限りないきよしさんへの愛を感じます!
ご主人、奥様、いつもありがとうございます~。

山吹レコードさんの詳細はこちらで!




さて、以下は余談です。
この日は観覧に当選できやのですが、自分自身の予定がはっきりしていなかったために、ひとり参加の予定になって、ちょっぴりさびしい思いでいたのです。
ところが、前日のサンシャインシティでのイベントの終演後、お友達のIさんとバッタリ!
I さんのご主人は写真の名手(プロ級です!)で、いつも素敵なお写真を撮ってくださっているのですが、先日の「新春豪華歌の祭典」でのベストショットをプレゼントしてくださるという約束を覚えていてくださって、その写真を預かってきているとのことでした。
それで、ご主人に直接お礼を申しあげたいという思いで、”明日の「うたコン」に、ご主人もいらっしゃいますか?”とうかがったところ、I さんのお友達が今回は落選だったので、お友達を誘うことにされご主人はお留守番とのこと。
それで、ご主人をお誘いさせていただいたのです。
入場時には、1枚のはがきで2名入場でき、一度に2枚4名ならびで座席券を引き換えることができるのですが、1枚(2名分)ずつで引き換えた方が良いお席になる確率が高いと思い、
皆さんに、”4名分での引き換えでよろしいのですか?”とうかがってみたのです。
でも、2名ずつ引き換えてどちらかだけ良いお席になったら、おたがい心が痛むから”とわたしと同意見でした。
それで4名分での引き換えをすることにしたのです。

引き換え口が4か所ほどあり、以前は係の方の誘導にしたがう方式でしたが、最近は自分でどこに進むか選べるようになったのです。
それで、右へ右へと進んで、最後の二又地点で、ここでも”右?”と少し迷って、ご主人のお顔をみると、すでにおみ足が右へ進もうとされていたので、そこで迷わず、右へ!
引き換えて渡された4枚つづりの引き換え件を受けとって、座席番号をみたのです。
そうしたら?
わたしは声が震えて、I ご夫妻とそのお友達のKさんに、座席券をみせながら、
「1階です、1階~!」
というのがやっとでした(喜)。

こんなこともあるのですね~。
でも、もともとはご主人が素敵なお写真をプレゼントしてくだろうとして、それを Iさんが会えるかどうかもわからないのに、早く渡したいとイベントにお持ちくださったところから始まって。
引き換えがだいぶ進んだところでしたので、4人一緒に並んでの座席となると順番的にも3階席になる可能性が高いのでは? と心配しましたが、”どんな席になっても4人でそろって観た方が楽しいでしょう”との皆様の思いがあって。
思いがけないサプライズで、1階席で観ることができたのでした。

当初の、ひとりさびしくの観覧が、楽しくて、素敵な観覧になりました。
I さんご夫妻とそのお友達のKさんに大感謝です。


「大丈夫/最上の船頭」がオリコン初登場第3位に! 素晴らしいっ! おめでとう、おめでとう、おめでとうございます!!

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皆様、こんばんは。
きよしさんの33枚目のシングル「大丈夫/最上の船頭」が、3月25日付のオリコンシングルチャート総合で第3位と発表になりましたね。

そして、発売初日(発売日前日の3月11日付)は総合で第1位でした(嬉)。
その第1位のおしらせに、きよしさんの20周年への熱い思いを感じて、じんときたのです。

20周年記念曲が素晴らしいスタートをきることができ、ほんとうに嬉しいですね。

新曲発売記念イベントも、東京、名古屋、大阪とバトンをつなげて、大阪のイベントも最高にもりあがったそうですね。

そして、22日には小田原ダイナシティでも開催されます。
詳細はこちらのHPで。


さあ、これからますます多くの方におとどけできるように、それぞれがそれぞれの場所でできる応援をしていきましょう!
たいせつな方に聴いていただいたり、テレビやラジオ番組にリクエストをしたり...。
そんな、ファンにしかできないまごころの応援には、マスコミの大宣伝も莫大な宣伝費も、やっぱりかなわないなあと、きよしさんのファンになって以来、思うようになり、20年イヤーを迎えた今、その思いはその確信となり、ますます強まっているのです。
きよしさんを応援するというミッションに、わたしが、”大丈夫・きよし胸騒ぎ大作戦”と勝手にネーミングしたように、皆様も何かネーミングをつけてみてはいかがでしょう?
素敵なネーミングがうかんだらぜひおしえてくださいね。

そして、これからブログでも皆さんともり上がっていきたいと思います~。
わたしたち、きよしさんのおかげで幸せな20周年イヤーをすごさせていただけて、最高ですね。

そして、きよしさんはといえば、
一昨日は鹿児島市民文化ホール、今日は、サザンクス築後でコンサートを開催されるので、九州に(喜)。
コンサートに参加される皆様、きよしさんと最高の時間をおすごしくださいませ~。
そして、新曲のオリコン初登場第3位を思いきりお祝いしてくださいね。


さて、以下は堺のお友だちのUさんが送ってくださった、3月16日に大阪のツイン21アトリウムで開催されたイベントの画像です。

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きよしさんが立たれるステージの後方に、大阪城がくっきり!
9月6日の大阪城ホールでのコンサートへの期待も高まりますね。

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開演のかなり前に写メされたそうですが、すでにファンの方でびっしりですね。

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昨年、桑名でのコンサートの翌日にこの会場でイベントが開催されたので、1泊して参加させていただいたことがあります。
ほんとうに素敵な会場で、きよしさんもノリノリ!
ステージからぴょ~んとおりてきてくださったときのドキドキ感は忘れません。


以上、嬉しさに駆け足での更新でした。

それでは、またお逢いできますように!

そして、皆様、このブログのことで、おしらせがあります。
明日には記事をアップしますので、お読みいただけますと、ありがたいです。



”そんな西寄さんだったから、どんなときもきよしさんを守ってくださることができたのですね” 「西寄ひがしトークライブツアー2019」千穐楽おめでとうございます!

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皆様、こんばんは。
今日は、「西寄ひがしトークライブツアー2019」の千穐楽にいってきました。
会場は5年前に初めてのトークライブを開催された浅草木馬亭。
ここでのライブは11回目ということで、舞台のミニテーブルに飾られた長良じゅん会長へ捧げる薔薇の数も11本になりました。

わたしは、当初、昼夜参加させていただく予定でしたが、四谷で取材のお仕事がはいってしまって...。
なんとか夜の部には間に合うということで胸をなでおろし、昼の部はお友だちのTさんにいっていただくことになったのです。
今日は、”西寄がたり”の新作を発表されるとうかがっていたので、参加できてよかった~という思いでいっぱいでした。

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※パンフレットの表紙です。


まずはフリートークからスタートです。
パンフレットを開けると、中にはネタのお品書きがあり、お客様のリクエストに応えながら進んでいきました。

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※ネタのお品書き。全部聴きたいんですけどねっ!

今回は、”人間ドック”、”まんじゅう食べたい”、富士理容室”、”京橋の女の子”、札幌行き快速エアポート”、水森かおりさん”、”氷川きよしさん”、”あなたに似ています”についてお話しくださったかと思います。
もちろんその話のなかで、同級生のことや、可愛くて仕方のないスタッフの”西尾クン”の話題も自然に飛び出して、あっという言う間に90分近く経っていたでしょうか。

昨日はサザンクス築後できよしさんがコンサートを開催されていたので、数名のスタッフと一緒に朝7時の飛行機で東京に戻られたそうですが、その際、早速に”やらかし”てしまったことまでお話しされました(笑)。
機内のドリンクサービスの折、眠っていた西寄さん。スタッフの皆さんと離れた座席だったので、目が覚めても、特にドリンクサービスがあった旨をおしらせするステッカーも貼られていなかったので、まだだと思っているうちに到着。
スタッフの皆さんに”ドリンクサービスあった?”ときくと、”あった”との答えに、おかしいなあと思っていたところ、羽田から、浅草まで電車で移動してきて、会場に到着して、そのステッカーがお尻についていたことに気づかれたそうです(笑)。
でもどうやったらお尻に?
さすがは西寄さんですね(笑)。

お題のリクエストのラストで”氷川きよしさん”がリクエストされると、ツアー中にきよしさんに素敵なリードディフューザーをいただいたことをお話しくださいました。
包装紙も素敵なので、帰宅してゆっくりときれいに開けたいと思われて大事に持ち帰ってきたそうです。
ところが、楽屋見舞いにきてくださった親友の方が気をきかせて、西寄さんが見やすいように楽屋に届けられていた贈り物の包装をといてくださった折、きよしさんからのプレゼントも開けて、”おしゃれなもの下さるファンの方がいるんだね”と(笑)。
そして、きよしさんといえば言い間違いですが、山川さんと会話をされていたときのこと。
共通のお知り合いの方が、足の手術をされてボルトをいれられたことを山川さんがおっしゃると、
”えっ、足にボトルをいれられたんですか?”
ときよしさん。
言い間違いに西寄さんはすぐに気づかれましたが、山川さんはそのことに気づかれないようで、
”そうなんだよ”
と。
そうしたら、さらに
”ボトル、何本いれたんですか?”
きよしさんが”ボトル”のままおたずねになると、
山川さんが、
”2本だって”
と(笑)。

またサザンクス築後でのコンサートで、会場がきよしさんのお母さまがたの祖父母の出身地の八女に近いことから、大好きだったおばあ様の思い出をお話しされて、亡くなられたときのことまで語られて、しんみりとしたムードになったそうです。
とそのとき、きよしさんは、おばあ様が柩にいれられて、というところを、おひつといってしまって、笑う展開になられたということでした。
もう~、それは、きよしさんが、おひつを柩といいまちがえたことを、西寄さんが何度もネタにされたので、”いいまちがえないように”と、構えてしまったからでしょ。
だから、わたしは、笑いませんよっ!

でも、これにはきよしさんへの1ミリの容赦もなく笑わせていただきました(笑)。
先週、新曲「大丈夫/最上の船頭」の発売記念イベントを名古屋で開催され、翌日は大阪でしたので、新幹線で移動されたときのこと。
きよしさんが窓側、西寄さんが通路側にすわっていたので、きよしさんは、車内販売でお求めになりたいものがあったそうで、
「西さん、踊り子さんが来たらよびとめてください」
と(笑)。
さすがの西寄さんも一瞬、”踊り子?”とまずご自身の耳を疑われたのではないでしょうか?
そして、
「それは売り子さん!」
と(笑)。

これがきよしさん以外の方のことだったら、西寄さん、”つくってませんか?”と疑ってしまいますが、きよしさんだったら、さもありなんと(笑)。
きゃっ、きよしさん、ごめんなさい~。
でも、ほんとなんでしょ?

そして、このフリートークの間に、ひとりのお客様の携帯電話が鳴りだしたのですが、その方も切り方がわからないようで、かといってでることもはばかられて...。
さらに、なかなか先方が電話をお切りにならなくて、もう大爆笑です。
「私が出ましょうか?」
といいながら、その独創的な着信メロディーに、
「今夜、夢できこえてきそうですね(笑)」
と西寄さん。
ようやくやんだと思ったら、またかかってきて(笑)。

名古屋公演では、われらが西尾クンが、オープニングのその瞬間、iPadを床に落とした音が鳴り響いたそうで、そのこともネタにされていましたが、この携帯電話も最高! 思いっきり笑いました(笑)。
西寄さんが、”タララララララ~ン”と着信メロディーにあわせて踊られた瞬間、わたしの前の方がお茶のはいったペットボトルを落とされたのですが、木馬亭は傾斜がついているので、そのまま、ステージの下までころころころっと、あっという間にころがっていって(笑)。
西寄さんからはその様子はみえなかったと思いますが、わたしはその様子にも大爆笑。
もう~、何もかもがおかしくって、おかしくって。おなかが痛くなるくらい大爆笑したのです(笑)。


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そして、後半は”西寄がたり”第6弾。
タイトルは、”付き人はつらいよ”でした。

”創作”なので、登場人物はすべて名前を少しずつ変えていますが、林さんは森さんのことというように、誰にでもすぐにわかるものでした。
音響の仕事をするために上京して3年。
”自分がほんとうにやりたいことは演歌・歌謡曲の仕事”なのだという確信をいだき、将来を嘱望されながらも大手音響会社を退職し、森進一さんの付き人になります。
そこでいろいろなことを学び、失敗もしたそうです。
でも、どんな時も一生懸命で、大失敗をしてしまった時には、土下座をして誠心誠意謝罪をする西寄さんに、森さんはじめ周囲の方たちは、厳しくも愛情をもって接してくださいました。
そのなかで、森さんは、会話のなかでの西寄さんの返しの面白さや、なにをしてもなぜか許してしまう人柄に、ひらめくものがあり、司会の勉強をさせてみようと思われたのです。
なんの経験もない20代の若者ですから、付き人の仕事をしながらの司会者修業となりましたが、ほんとうに日々無我夢中だったそうです。

でも、初めて司会の舞台にたつことになったとき、それまで親しくしていた楽団のメンバーと、皆で楽しく飲んで、遅い時間になったので西寄さんは付き人のお仕事もあり、朝が早いので先においとまして。
そのときに、なにかをとりにもどろうとされたのでしょうか。
とりわけ親しくされていたメンバーの方が、
「ああいうやつにかぎってすぐに調子にのるんだよ。今度会ったら、”師匠!”って呼んでやろうか」
というようなことをいっているのをきいてしまって...。
西寄さんもまだ若かったので、傷ついて、ひとりで泣いたそうです。
と思えば面と向かっては厳しいことばかりおっしゃってまったくほめてくださらない会社の上役のKさんや、コマ劇場の衣裳担当のI さん達が、かげでは、”西をよろしく”とスタッフの方に頭をさげられていたことを、あとで、スタッフの女性がおしえてくださったり...。
そして、そのすべてを森さん(役名は林さんです)が、すべてご存じで、”舞台にたつということはそういうことなんだ”とおっしゃるくだりには、きよしさんのこともうかんできて、じんときました。


「西寄がたり」を語り終えたあとのトークで、西寄さんは、あらためて今では事務所の上役のKさんも、コマ劇場の衣裳担当のIさんも他界されたことをお話しされ、すべての皆さんに感謝していることを言葉にされました。
そして、陰口をおっしゃった楽団の方も亡くなられたそうですが、その方が、あの時ああいってくれたから、いつでも自分を顧みることができ今日までこの仕事を続けてくることができたのだと、今では感謝しているのだそうです。

そして、
「いちばん辛かったのは26歳のときでした。
思うところがあって森さんのところを離れてひとりでやっていこうとしたんです。
でも、後ろ盾を失って、どうしようかと。
辛かったです」
西寄さんはそこまでおっしゃると、しばし絶句されて、次の言葉がでてきませんでした。

ある方のお名前をおっしゃろうとしているのだと、すぐにわかりました。
西寄さんの言葉を待ちました。
西寄さんは、涙がこぼれて...。
そして、
「長良じゅん会長が、”俺にまかせろ”といってくださって。
森さんの事務所にもきちんとお話ししてくれました」
というようなことをおっしゃったかと思います。

もう、わたしはといえば、ここから号泣していました。
初めて西寄さんをみたとき、”あの人、なに?”なんて思ってしまったわたしでしたが、まだ20代だった西寄さんは、すでに芸能界の荒波にもまれ、すべてを一度失うに等しい思いさえ経験されていたのですね。

そんな西寄さんだからこそ、きよしさんに寄り添い、支えてくださりながら共に成長し、ときには傘になり守ってきてくださったのだなあと思い...。
涙がとまりませんでした。


明日は、小田原ダイナシティで、新曲発売記念イベントが開催されますね。
わたしは仕事で参加できないのですが、参加されるお友だちのOさんに、わたしの分もと応援を託させていただきました。
終日、仕事をがんばって、土曜日は「NHKのど自慢」の予選会の観覧にいってまいります。

そして、Yahoo!ブログのことは、もう少し考えたいことがあるので、もう少し考えがかたまりましたら、またあらためて書くことにさせてください。
今月中にはと思っています。


※以下は以前、西寄さんのことを書かせていただいたこのブログ記事をピックアップ掲載しますね。
今では西寄さんをかけがえのない存在と思わせていただいていますし、語り手&エンターティナーとしての西寄ひがしさんのファンでもあります。
でも、きよしさんのファーストコンサートツアーの専属司会者としてステージに登場された西寄さんを目にしたときは、正直、”あの人、なに?”と思ったのです。
西寄さん自身がヘンだったわけではないのですが、わたしが演歌の世界をまったくしらなかったので通常のコンサートに司会者がつくこと自体に違和感を感じたのでした。
そのうえ、いまだにスモークがたかれても気づかないほどにきよしさんのことだけを見つめているわたしなので、ファーストコンサートツアーのときなどは、できるだけきよしさんだけをみていたい、きよしさんだけの歌やトークを聴きたいと思っていましたから。
そのため、これもまた失礼すぎることなのですが、伴奏もわずらしく感じていたほど。
さらに、勝手な”小姑根性”(なんて書いたら小姑のかたに失礼かもしれませんが)のような思いで、長良会長(当時は社長)やきよしさんを支えるスタッフの方をさえ、きよしさんのことを大事に考えてくれているのかしら? と、相当に斜にかまえてみつめていたのでした。
ですのできよしさんのコンサートやイベントでの西寄さんの司会者ぶりも、あくまできよしさんをみつめているそのフレームのなかに入ってくる西寄さんをみつめていたのであって、きよしさんのことだけで胸がいっぱいで西寄さんにほとんど向きあってはいなかったのです。
そして演歌歌手の専属司会者なるものを知らなかったわたしは、歌番組の司会者といえば高橋圭三さんや玉置宏さんのイメージしかなく、司会者というのは流暢にキマリ文句を話したりするものと思っていたので、西寄さんの司会者トークは少し頼りなく思えたのです。
また比較する確固とした存在をもたなかったかわりに、またとても失礼なことに、ステージのうえで一生懸命がんばっている西寄さんにこれといった期待をいだいてもいず、それどころか20代の西寄さんにとって司会という仕事は魅力があるのかしら? 西寄さん自身はこの仕事を来年もつづけたいと思っているのかしら?と、あくまできよしさんを見つめたときに視界にはいってくる余白のなかで(ほんとうに失礼で申し訳ないです)ぼんやりとみつめていたのでした。

そんなわたしが西寄さんの人柄を感じ、その存在を真っ向から受けとめるようになったのは2002年のツアーファイナルでのことでした。
その年は2月28日から、きよしさんのはじめてのコンサートツアー「氷川きよしコンサートツアー2002~30万人ふれあいの旅~」が沖縄県那覇市民会館大ホールからスタートし、西寄さんは専属司会者として、”氷川きよし”を支え、苦楽をともにされたのですが、わたしはといえば、ツアーの最後の最後になるまで、西寄さんのことをどこかうたがっていたというか、信用していなかったのです(もう、ほんとうに失礼すぎますね)。
ツアーファイナルとなった12月25日(水)に新歌舞伎座でおこなわれた”氷川きよし コンサート2002 ~きよしこの夜 in新歌舞伎座~”の夜の部でのこと。そのコンサートのことは以前、ブログにも書かせていただいたことがありますが、 2002年といえば、「きよしのズンドコ節」がリリースされ、きよしさんがNHKの朝の連続テレビドラマ小説「まんてん」に主人公の兄・英雄役で準レギュラー出演していた年でした。
2月6日に「きよしのズンドコ節」をリリースしてオリコンシングル総合チャート初登場5位。
8月2日には「星空の秋子」をリリースしオリコンシングル総合チャート初登場3位となりました。
9月3日からNHK連続テレビ小説「まんてん」が放送開始となり、NHK大阪放送局の制作だったので、きよしさんは収録のために東京と大阪を頻繁に行き来しながら、さらにコンサートツアーで全国をまわっていたのです。

12月25日の夜の部でアンコールの最後の1曲まで歌いおえると緞帳がスルスルとおりてきました。
ああ、これで無事にすべてのコンサートが終了したのだ。そう思っていたら、緞帳が3分の2ほど降りてきたところで再びあがっていったのです。
”エッ 何で? 緞帳が壊れちゃったのかしら?”とドキッとしたのですが、ステージには藤林さんはじめHKピュアリバーの皆さんが笑顔で演奏をされていて、きよしさんの笑顔も目に入り、司会の西寄さんも舞台に戻られていたのです。
80か所160公演(公式では70か所140公演)の最後ということでの粋な演出でした。
きよしさんはあらためて1年間の思いを語ってくださったのですが、さまざまな出来事が思い出されたのでしょう。コンサートの後半からアンコールまで涙されながらも気丈に歌っておられましたが、もう、涙、涙、涙...。言葉が何も出ず、しばらくその場で泣いておられたのです。
そんなきよしさんを西寄さんもバンドの皆さんもあたたかな笑顔で見つめておられたのですが、そこで 西寄さんが
「1年間、いろいろなことがありました。生身の人間ですから、正直、コンディションがよくない日もありました。それでも休むことなく、常に笑顔で心を込めて歌い続けてきたのです。
本当に立派です。お疲れ様でした」
というようなことをおっしゃると、
きよしさんは、
「僕だけじゃないです。西寄さんだって一緒にがんばってきてくださったんです」
と西寄さんを労われたのでした。
きよしさんの言葉に、西寄さんは、
「とんでもありません。私なんかたいしたことしていません」
と、おっしゃられたかと思います。
すると、きよしさんが少し強い語調で
「そんなことないです。本当にがんばってくださったんです。あの時、西寄さんだって...」
西寄さんには、きよしさんのその一言で思い出される出来事があったのでしょう。
一瞬絶句されて、そして話そうとしても、涙で何も言葉が出てこなくなってしまったのです。
西寄さんは、少し後ろを向かれ、そして、また何かを話そうとしたのですが、どうしても言葉にならず
「司会者なのに申し訳ありません。泣いてしまって申し訳ありません、申し訳ありません...」
と、やっとのことでおっしゃったのです。
場内にわれるような拍手が起こり、苦楽を共にされたきよしさんと西寄さんとの間に生まれた深い信頼に感動せずにはいられませんでした。
わたしは今も、この時の西寄さんは、これ以上ない最高の司会をされたと思っています。
ですのでこのことを書いても司会者として不名誉にはならないと思い、ここでも書かせていただくことにしましたが、わたしは、あのときの西寄さんの姿を見て、きよしさんは、なんという素晴らしい司会者に出会えたのだろうかと、心からその出会いに感謝したのです。

以後、遅ればせながら、西寄さんが、”氷川きよし”とともに歩み、その魅力を最大限につたえるために、どんな努力をされているのかを考えるようになりました。
そして、西寄さんが美声の持ち主であることや、急場をキレのあるトークでのりきる様子にようやく気づき、勝手ながら西寄さん自身が、”氷川きよし”の司会者としてのオリジナルスタイルを確立しようとしていることを感じるようになったのです。
うまくいえないのですが、いかにも司会者と皆が思うようなステロタイプな司会者トークではなく、もっとずっときよしさんのファンの心に深く近しく寄りそうトークをめざし、みずからの心からの言葉できよしさんのことを語ろうとされているのではないかなと。

と、ここまではきよしさんがデビュー10周年を迎える頃までのこと。
きよしさんが10周年を迎える頃、西寄さんは華々しい場では颯爽としたトークをきかせてくださり、またファンときよしさんとをつないでくださるときにはファンの目線で語られ、美声での名調子の口上もきかせてくださるようになり、司会者として”押しも押されぬ”存在になられていたと思います。
わたしはまさにその頃、このブログをはじめたのでした。
でも、いざブログできよしさんのことを書こうとしたとき、どんな距離感で書きとめていったらしっくりくるかしら?と、大げさでなく途方にくれたのです。
もちろん勝手にマイペースで書かせてはいただいてはいますが、ブログは自分だけの日記でもないし、きよしさんへの手紙でもありませんから、きよしさんとの”距離感”がつかめなければ、文体もスタイルもきよしさんの呼称さえさだまりません。
そんなわけで書きだしてからもまだまだ試行錯誤を重ねるようになったそのとき、わたしには西寄さんのきよしさんに対する”距離感”がとても気持ちのよいものに思え、大きな大きなヒントになったのでした。そして、ときどき、”氷川きよし”の魅力を語るのに、どんな言葉も似つかわしくなく感じられて、言葉が追いつかなくなることがあるのですが、そんなとき、西寄さんだったらどんな言葉で語ってくださるかしら? と思うようにもなったのです。

そんなわたしが、昨年からのトークライブのなかで、なるほどそうだったのかと思わせていただいたことが3つありました。
ひとつは西寄さんの司会者としてのヒストリー。
森進一さんの付き人をしていて、語りが面白いからとすすめられて付き人をしながら司会者をするようになったことをしり、司会者としての基礎をきっちり築かれていたにもかかわらず、それらを白紙にしたかのように、流暢なトークをある意味封印することになっても、お客さまに寄り添いそのペースにあわせた語りをされていたのだということを確信させていただきました。
ふたつめは、きよしさんとのトークについて、”メモリアルコンサート”ではうちあわせをしていないこと。
”周年コンサート”や”きよしこの夜”などではカメラがはいって映像化もするので、そういうときこそトークはうちあわせているのだと、わたしは思っていたのです。
でも、そういうときこそ、そのとき限りの構成や、そのときに初めて唄う曲もたくさんある状態なので、きよしさんの負担を少しでも軽くしたいと、トークはうちあわせなしで臨まれるということをうかがい、驚きました。
でも、それも西寄さんだからこそ、うちあわせなしでも、きよしさんから最高のトークをひきだしてくださるという信頼があってのことでしょう。
そして3つめは、先日の”トークライブ”でお話しくださったことでしたが、心がおれそうになるほど苦悩されていた西寄さんを長良会長が、そっと励ましてくださったこと。

西寄さんのお話をきいていて、長良会長は西寄さんを信頼して、そっと、でもしっかりと見守ってくださっていたことを感じたのです。
きよしさんが会長は歌のことでなにかをおっしゃったことはほとんどなかったとおっしゃっていたかと記憶しているのですが、西寄さんの司会についてもまたそうだったのですね。
西寄さんを信じて、黙って見守っていらした長良会長の大いなる愛を感じて、胸がじんときます。
そして、あらためて今の司会のスタイルは西寄さんが苦悩と努力のなかでつくりあげられたものであることを感じたのです。

2000年2月2日に”氷川きよし”がデビューし、全国コンサートツアーを準備しはじめたとき、それまでの演歌・歌謡曲の世界の司会者は年配の方ばかり。
そこで、”氷川きよし”と一緒に歩み、成長していくような司会者はいないだろうかと、若い司会者を探していることを西寄さんはしったのだそうです。
”氷川きよし”の司会者に、”西寄ひがし”をと、抜擢されたのは、長良会長。
西寄さんは、そのことを、
「長良会長に拾っていただきました」
と、トークライブのなかでおっしゃっていました。
 西寄さんは長良会長が心に蒔いてくださった種をずっとだいじに育ててきたのですね。
そして、心に種を蒔くということで、思い浮かんだのは西寄さんの中学の先生です。
浅草木馬亭での初のトークライブでの”西寄がたり”の第1回”未来への「心の旅」”で、西寄さんは、中学3年生のときの担任の先生がおっしゃった”3つの心”についてお話しされていました。
先生は、 人生は辛いこと、苦しいことのほうが多い。
けれどもそのなかにほんの少し、嬉しいことや楽しいことがある。
その少しの嬉しいことや楽しいことが、苦しいこと、悲しいことを帳消しにしてくれる。
それが人生なのだと、卒業の日にお話しされたそうです。
さらに、大切な“3つの心”として、なにがあってもあきらめない心、弱いものを助ける心、そして、感謝を忘れない心を挙げられたのだそうです。
そんな先生のおしえをずっと心にいだいて、”西寄がたり”としてまた多くの人につたえて、種を蒔かれていることをその語りをきいていて感じたのです。

わたしは、自分自身も苦しい思いをしていたある日のコンサートでの西寄さんのことを思いだすことがあります。
きよしさんのヒストリーをトークされる際、“明日こそは!”、”明日こそは!” と、拳を握り、一語、一語、力をこめて語っておられました。
その魂の叫びのような西寄さんの語りは、デビューがきまらず歌手になることをあきらめかけた日もあったのに、それから幾多の困難を乗り越えて今日までがんばってこれらたんだから大丈夫、なにもおそれるものなどないのだと、きよしさんを、そしてわたしたちをその言葉で心の底から励ましてくださったのでした。
わたしは、あのときの西寄さんにどれほど勇気づけられたことでしょう。
忘れることはできません。
きよしさんがいて、西寄さんがいて、わたしたちファンがいて。
わたしは西寄さんの真摯な生きざまに、ともに笑って泣いて、学び、いくつになっても夢をもち、成長していきたいと思わせていただくのです。

【記・2017年2月1日】
元記事はこちらです。

新宿から世界へ! 「NHKのど自慢」の予選会にいってきました。そして、バックステージツアーで入室したお部屋が、明日はきよしさんの楽屋なんですって~(嬉)。

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皆様、こんばんは。
今日は、「NHKのど自慢」の予選会の観覧にいってきました。
じつは、清水の舞台から飛び降りる覚悟で出場にも応募したのですが、1500名以上の方の応募があり、250組には選ばれませんでした。
エントリー曲は「櫻」だったのですが...。

会場は新宿文化センターで、本選の放送は、明日の午後0時15分からです。
日本全国のみならず、世界130か国に生放送されるそうで、司会の小田切千さんが、”新宿から世界へ!”とおっしゃった言葉に、わくわくしておりました。

以下は写メした画像をまじえながら、予選会で印象にのこったことを書きたいと思います。
先に、明日の楽しみのため、決定した出場者20組についてはふれることを控えますので、よろしくお願いします。

そして、予選会の観覧に参加したのは、鹿児島県日置市での「NHKのど自慢」以来なのですが、今回は、”舞台裏見学ツアー”に参加し、さらに、本番さながらのセットが組まれたステージに立って歌ってしまったのです。
そんなこんなも、書いてみようと思います。


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※新宿文化センターの正面に掲示されていました。


予選会は11時45分からスタートしました。
歌唱する曲のタイトルの五十音順に歌唱します。胸に歌唱順番の数字が書かれた名札を出場者の皆さんはつけておられます。
そして、上手側に20名ずつ招集され、順番にステージにあがって、上手側のイスに歌唱順にすわって移動するのです。
歌唱されている方の右後方に次に歌唱される方は立って待機されていてう、歌い終えた前の方からマイクを受けとったら、歌唱順と曲目だけおっしゃって、そこで生バンド演奏がスタートします。

ちなみにトップバッターの方は、「ああ上野駅」を歌われました。

”ありがとうございます”
という女性の声が”はいそこまで”の合図です。


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※ステージです。

舞台監督のKさんとディレクターさんが、とても楽しい方で、出場される皆さんの緊張をほぐしてくださいます。
”右をみて、左をみて、二コツ。これでもう親戚です。ここは身内の集まり。巨大なカラオケボックスですが、いるのは身内ばかりですよ~”というようなことをおっしゃって、笑わせながら、安心させてくださるのです。

さて、きよしさんの曲を歌唱されたのは、全部で、
歌唱順に書きだしますと、
「愛しのテキーロ」
「大井追っかけ音次郎」
「男の絶唱」
「きよしのズンドコ節」
「きよしのドドンパ」
「勝負の花道」
「白雲の城」
「虹色のバイヨン」
「箱根八里の半次郎」
の9曲、15名でした。

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※舞台裏見学ツアーの案内です。
ここで、わたしにとっては最高のサプライズがありました(嬉)。


「愛しのテキーロ」は軽やかなワンピースをまとった女性が歌われましたが、キーが高くて大変そうでした。
「大井追っかけ音次郎」は帽子がお似合いの男性が歌唱。
「男の絶唱」には4名が挑戦。男性2名、女性2名でした。
「きよしのズンドコ節」は3名の方が歌われました。
おひとり目はスーツをお召しになった青年で、素晴らしい美声。2人目は赤いコットンパンツがオシャレな男性。3人目は白衣を羽織った女性でした。
「きよしのドドンパ」、「勝負の花道」にはそれぞれご年配の男性が歌唱。
「白雲の城」はおふたりの方が歌われて。
おひとりは視覚障害をもつ青年で杖をついて登場されましたが、皆を圧倒するような素晴らしい声量。もうおひとりは高田純次さんのような素敵な方でした。
「虹色のバイヨン」と「箱根八里の半次郎」には共に女性の方がチャレンジされました。

以上15名。
明日はこのなかからどなたが出場されるでしょう?
放送をお楽しみに!

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※記念撮影コーナーです。

わたしが印象に残ったのは、黒衣を身にまとったジェンダーレスな方の歌唱。
その歌声をもっと聴いてみたいなあと思ったのです。
そして、ルイ・アームストロングばりの「素晴らしき人生(What a wonderful world)」もこころにしみました。
また、純烈の「プロポーズ」をグリーンの半被を羽織って歌唱された方からは、純烈の皆さんを応援したいという熱い思いがつたわってきて、じんときました。
オリジナル曲を公の場で歌唱することも応援する大きな力になるのだなあと感じたのです。


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※舞台裏見学ツアー参加チケット


今日ははじめて舞台裏見学ツアーに参加したのです。
1回30分、6~8名での開催でしたが、スタッフの方が4名ほどついてくださり、皆さん、NHKさんの人気番組の現場でバリバリ活躍されている方でした。
まずはスタッフが実際に仕事をしている中継車の中にいれていただき、見学させていただいたのですが、5台カメラのどの画像をチョイスするか瞬時に判断して切り替えていくのだそうです。
中継車は億単位の高価なものだそうですが、海外中継のときは、船に載せて何カ月もかけて運ぶということでした。

つづいては建物のなかにもどって、ステージを右手にみながら、楽屋へ。
音声ミキシングを体験することになりました。
案内されたのは、第〇楽屋(番号は伏せます)で入り口横の表示板には、”音声ミキシング体験コーナー”というようなことが書かれた用紙が仮りどめされていたのです。
と、その部屋に入る際、なぜか、スタッフのおひとりが、
「こちらです。この部屋は明日は氷川きよしさんの楽屋になります」
と、わたしに(嬉)。
皆さんにそうおっしゃっているのでしょうか? それともわたしの顔に”きよしファン”と書かれていたのでしょうか(笑)。
わたしが、”ええっ~”っと思いきり驚くと、スタッフの方は、仮りどめされていた”音声ミキシング体験コーナー”と書かれた用紙をぺらっとめくられて...。
するとその下には、”氷川きよし様”と書かれた用紙がきれいに貼られていたのです(嬉)。
もう~、嬉しい~、嬉しすぎます~。
なかに並べられているイスにすわって、ひとりずつ実際にレバーを上下させてて音声ミキシングを体験させていただくのですが、先に終わったわたしは、お友だちのHさんと、室内をキョロキョロ。
全身を映す大きな鏡が壁にあり、その周囲はカーテンで仕切れるようになっていました。そのときは、カーテンは全開状態で、見学ツアーの参加者が出入りするのでドアは開け放たれて、テーブルなど諸々の備品は壁際に寄せられていたのです。
入って左側の壁にドレッサーがしつらえられているのですが、さらにそちら側の壁には何枚もの鏡がセットされていて、左右にはいくつものライトがついていました。

Hさんに、
「明日は、この鏡の前にきよしさんが立たれるんですよね?」
というと、
Hさんは、”きゃあっ”とひとこと(笑)。
ふたりでドキドキしていたのです。
そんなわたしたちを笑顔でみつめてくださっていたスタッフさんに、
「音声ミキシング体験も楽しかったのですが、わたしたち氷川きよしさんの大ファンなので、明日、ここに氷川さんがと想像したら、それだけでドキドキしてしまって」
と正直に申しあげると、
「喜んでいただけてよかったです」
とのお返事が(喜)。

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※なかには、中継車の前で撮ってくださったスナップが。
素敵な記念になりました。


”第〇楽屋”をでて、ステージ下手へと移動しました。
おなじみのセットの裏側は、木肌をみせていて、下手側のテーブルには歌唱された楽譜が山積みになっていました。
楽譜の上には歌唱曲順の数字が書き込まれていて、スタッフの方によりますと、合格者が決定したら、その方たちが歌唱される楽曲の楽譜をピックアップして、楽団の方に渡されるのだそうです。
かなり後半の時間の見学ツアーだったので、そんな光景もみることができたのかもしれません。
そこをとおって、上手へと移動し、上手側からステージと客席をながめたのです。

そして、まさか、そのときは自分がそのステージにたつとは思っていませんでした。

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※新宿追分付近にある案内板です。


ツアーを終えて、客席にもどったところで、250組の歌唱が終了となりました。
4時半頃だったかと思います。
ここから1時間ほどをかけて明日の本選に出場する20組の審査が始まったのです。

ここでホールでは、希望者がその曲を歌唱するという”カラオケ大会”がはじまりました。
スタッフの方が、曲目をおっしゃって、”歌いたい方?”と客席におたずねになり、希望者はステージにあがっていくというもので、出場者も観覧者も一緒になってのステージはとても楽しいものでした。

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※カップヌードルで有名な日清食品のビル付近の案内板。


客席にふたたびすわったわたしは、”カラオケ大会”は関係ないものと思っていたのですが、皆さんの楽しい歌唱を聴いているうちになんだか自分も歌いたくなって...。

とある曲のときに、わたしはスタスタとステージへと歩きだしていたのです。

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※また案内板が!

その曲は「川の流れのように」でした。
集まったのは15名ほどだったでしょうか。
2本のマイクをバトンのように手渡しながら、数フレーズずつ歌っていくのですが、マイクを使っていないときも、その場で大きな声で皆で歌っています。
手をふって、ステージにたっている皆さんと視線をかわして...。
はじめて会った方たちばかりなのに、こころが通じあっているようで、こころ満たされたのです。
そして、ステージにたって客席をみると、なんて見晴らしがよいのでしょう。
1階席の隅々、それこそ最後列までくっきりとうかびあがるようにしてみえ、2階席にも、どんな方がすわっておられるのか、みてとれたのでした。

きよしさんから、こんなふうに客席がみえているのかしら?
と想像して...。
ドキドキとしたのです(嬉)。


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※いよいよあと150メートル!

わたしは、マイクをとおしてはどのフレーズを歌ったのでしょう?
じつはずっと一緒に歌っていたので、どのくだりかをよく思い出せないのです。
でも、たしか2番になってから6、7フレーズほど?
そう、初めてだったので、どこかくぎってマイクをわたしてよいのかわからなくて、だいぶ歌わせていただいたのです(汗)。
そのステージには、わたしが素敵だと思っていた黒衣の方も一緒で、その方が歌唱されたときには、とりわけ大きな拍手が起こっていました。
その方とも視線をかわして...。
やっぱりこころは一緒になっていたのです。

ああ、なんて幸せな瞬間だったことでしょう。

250組の皆さんの熱唱を聴かせていただけただけでも幸せなことでしたが、さらにサプライズが起こって...。
わたしにとっては夢のような素敵な体験させていただきました。

さあ、明日は本選ですね。
今からわくわくドキドキ!
そして、自分もたたせていただいたあのステージで、われらが氷川きよしさんの歌唱されるなんて!
どう説明してよいかわからないくらい、楽しみで心躍っているのです。

そして、あの第〇楽屋や、その楽屋からステージ裏、そしてステージへの道のりを想像して、またわくわくドキドキ!
また明日の夜、公開放送の観覧のご報告させてくださいね。

最高に楽しかった新宿での「NHKのど自慢」。 終演後や放送時のサプライズアクシデントから出待ちまで、もう~記憶の限り書かせていただきます(嬉)。 

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おはようございます。
昨日放送された「NHKのど自慢」、ご覧になりましたか?
トップバッターで「きよしのズンドコ節」を歌われた26歳の男性がチャンピオンになられて、最高でしたね!
予選会につづいて、観覧にも参加させていただきました(嬉)。

入場券の画像のあとから、
テレビに映らなかった放送中のドッキリシーン(もう、すべてはきよしさんのせいです・汗!)、楽しかった終演後のアトラクションでのこと、わたしとKさんにはサプライズとなった出待ちのこと、書いてみたいと思います。

前日の予選会での感動覚めやらず...。
昨日の朝は、わたしにしては珍しいことなのですが、目覚しが鳴るかなり前(ちなみにわたしの目覚ましはきよしさんの「碧し」です)に、目がぱっちり!
まだ暗いなか、出かける支度をして、ようやく外が明るくなったころに家をでて、会場の新宿文化センターに向かいました。
到着したのは7時を少しすぎたところだったと思いますが、会場の前にはかなりの方(150名くらい?)が並んでおられ、わたしはお友だちのHさんと合流させていただいて、引き換え開始を待ったのです。
晴れているとはいえ、気温は低く、手袋をもってきてよかったと思える肌寒さでした。

8時になった頃だったでしょうか、係の方の誘導で会場の中にいれてくださり、予定を10分早めて8時20分から座席指定券の引き換えをおこなう旨の説明がありました。
引き換え窓口は2か所あり、次々と引き換えが進んでいったのです。
新宿文化センターは2階席もありますので、どなたもできれば1階席にと思っていたかと思うのですが、かなりランダムだったようで、わたしの前後ですでに2階席になられた方がいらしたようでした。

わたしはといえば...。
幸運にも1階席にすわれることになりました(喜)。
前日の予選会ですわっていた座席からもとてもよくステージがみえたので、できればそのくらいのところで明日の予選会もみられないかしら?
と、ひそかに念じていたのですが、それよりも前の列になれて、嬉しい思いで、9時頃に到着予定で会場に向かっているKさんにメールしたのでした。

イメージ 1
※引き換えたチケットです。

今回、”新宿文化センター”開館40周年記念”ということでしたが、放送開始前の新宿区長さんのお話のなかで、
開館したその年に「NHKのど自慢」が開催され、今回はそれ以来で、40年ぶりの開催になったという説明があり、感慨深い思いになったのです。
ということは、きよしさんと同世代ということになりますものね。

終演後は、ゲストの平原綾香さんときよしさんは”歌のプレゼントコーナー”の準備でいったん舞台そでにもどられ、司会の小田切千さんが皆さんの健闘をねぎらわれました。
チャンピオンになられた方と優秀賞を受賞された方をステージにのこして、皆さんはステージ下手のイスに着席されると、小田切さんがまず優秀賞を受賞された方に、あらためてお話をうかがいました。
優秀賞に受賞された93歳の方は大正15年1月生まれだそうですが、3人のご兄弟も皆様お元気で、4人の年齢をあわせると355歳になるとおっしゃっていました。
そしてとてもチャーミングな方なので、小田切さんが
「年上の方に失礼かもしれませんが、かわいらしくていらっしゃる」
といいようなことをおっしゃると、
「93歳でかわいいっていわれて嬉しいです」
と、素敵な笑顔でおこたえになり、退出されたのです。

そして、チャンピオンの方おひとりになると、小田切さんが、
「今日いちばんの拍手をお願いします」
とおっしゃり、あらためてお話をうかがいました。
チャンピオンになられた方は、1コーラス歌唱されることになっていることを説明されると、
「トップバッターで、氷川さんがあちらにいらして、たくさんの氷川さんのファンの皆さんを前に歌うというのは、緊張されたでしょう?」
と小田切さんがおっしゃると、
「はい」
と大きくうなずかれたのですが
、でもそのあとに、
「(氷川さんと)ハグできてよかった~!」
と(喜)。
さらに、
「氷川さんのどんなところを見習っているのですか?」
との小田切さんからの質問に、
「こぶしまわしや声量であったり...。もう、見習うところばっかりです」
といおこたえになると、客席から拍手がおこりました。

そして、音楽教室の先生になるには試験があるのだそうですが、今年受験して合格したいとおっしゃったので、
「先生になってくださいっ!」
と小田切さんが力強く激励されると、
「なります!」
と小田切さん以上に力強くおっしゃってから、
「きよしのズンドコ節」
を歌唱されたのです。
力みなぎる素晴らしい歌声でした。
きっと素敵な先生になられるでしょうね。

そして、ここでこそっと裏話なのですが...。
この方がトップバッターで歌唱され、合格の鐘が鳴ったとき、きよしさんは嬉しさのあまり、マイクをもたずに駆け寄られて、あわててとりにもどらる様子が放送されていたと思います。
それほどに嬉しかったのだと、皆様、きよしさんの思いにじんときたことでしょう。
じつは、放送で映っていなかったので、ここで安心して書かせていたきますが、鐘が鳴った瞬間、きよしさんはたちあがられ、そのまま駆け寄ろうとされ、その場で、”やったー!”とばかりにピョーン!と勢いよく飛びあがられたのです(喜)。
なので、着流しの裾がバッと勢いよくはだけて、花のおみ足の太ももが(汗)。
Kさんと、きゃっ!と思わず声をそろえていってしまいました(笑)。
きよしさん、着流しをお召しになっているときは気をつけてくださいねっ。

わたし、上手側のカメラさんはきよしさんの様子をずっとおって、撮っておられたので、その様子が放送されてしまったのかしら? とヒヤッっとしたのです(笑)。
前日、中継車のなかを見学させていただいたのですが、そこで映しだされている5台のカメラの映像のどれを放送するか瞬時に判断してスイッチングされているスタッフの方のお顔がうかんだことはいうまでもありません(喜)。


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※昨日は東新宿駅から会場に向かいったのですが、そこにこんな案内がありました。


チャンピオンの方が「きよしのズンドコ節」を歌唱され、割れるような拍手のなか、退出されました。

「生放送は終わりましたが、まだまだつづきます!」
と小田切さんがおっしゃると、平原綾香さんが登場。
「おひさま~大切なあなたへ」
を歌ってくださいました。

歌い終えると小田切さんとのトークになり、客席から、”アヤ~!”とお声がかかると、
「今、”アヤ”ってきこえたっ。今日はきよしくんファンしか来ていないのかなって思ってました」
と平原さんがおっしゃったものですから、たくさんの”アヤコール”がおこったのです(喜)。

この日、平原さんの「ジュピター」をグレーのドレス(ネットで1980円だったそうですね)をお召しになって、おふたりで歌唱された方がいらっしゃいましたが、「ジュピター」を選曲される方はとても多いのですが、なかなか本選に出場できる方はいないのだそうです。
それは難易度がとても高いからだそうですが、そのことを小田切さんがお話しされると、
平原さんは、
「皆さんが(のど自慢で)たくさん歌ってくださる歌の歌い手さんは、やっぱりたくさん(番組に)たくさん出られるんでしょうか? あと、自分の曲を歌ってくださる方のうしろで歌うというようなのはだめなんでしょうか?」
というような質問をされたかと思うのですが、小田切さんはひとつめの質問には、そのようなことはもちろんあるとお答えになり、さらに、
「うしろで歌うということはないですけれども、ゲストの方の歌を歌っている方が歌詩を忘れてしまったようなときに、ゲストの方が横で一緒に歌うといようなことはありますね~」
と説明されたのです。
すると、平原さんは、
「忘れるっていうのもいいもんですね。ピンチがすごいチャンスになって」
とおっしゃっていました。

そして、チャンピオンになられた方について、
「トップバッターできよしくんが横にいて、前はきよしくんのファンの皆さんがいて、すごいプレッシャーだったと思います。
でもきよしくんのファンの皆さんはあったかいですから。
きよしくんて全然かわらないですよね。ファンの皆さんが応援したくなる気持ちがわかります」
と、ここまでおっしゃったタイミングでだったでしょうか?
ステージ上手から、幕でお身体を隠すようにして、きよしさんがお顔だけだされて、”うん、うん”と(笑)。
もう~大爆笑でした(笑)。

きよしさんのお顔だけのサプライズ登場に、
「今日、来たときに、きよしくんが、”僕たち、髪型かぶってるよね。アーヤは(本番で)髪型どうするの?”ってきかれたので、アップにするっていったら、”僕もアップにしようかな”っていって(笑)。
でも、こうやって」
と、平原さんが
「大丈夫」の出だしのフリをマネされて、
「こんなフリができるの、きよしくんだけだと思います」
このあたりで、再度、きよしさんが上手袖にお顔だけだされて会釈されたのです。
もう、お茶目すぎますねっ!

そして、平原さんからもう1曲プレゼントということで、
「ジュピター」を歌ってくださることに。
そのとき、舞台上手袖で、きよしさんが見守っておられたのでしょうか。
平原さんは上手袖にむかって目礼されました。
そこでイントロがなりだすと、深々とお辞儀をされ、歌いだされたその瞬間、厳かな空気がただよって、こころ洗われる思いになったのです。


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※あらためて3月24日に写メした画像です。


平原さんが、大きな拍手に包まれるなか、
「ありがとうございました。またお会いしましょう!」
とおっしゃって退出されると、
客席がざわざわ(喜)。
小田切さんはその空気を瞬時によみとられ、
「それでは、お呼びしましょう!」
とおっしゃいました。

きよしさんは、紫の着流し姿で登場され、
「最上の船頭」
を2コーラス歌ってくださいました。

小田切さんは、ステージに登場されるやいなや、
「20周年、おめでとうございます!」
と、お祝いの言葉をくださったのです。
きよしさんは、
「新宿のこの地でプロとして歌わせていただけることは、とても感慨深いんです。
18歳から22歳まで西新宿で暮らしていて、アルバイトをしながら修業していましたから」
としみじみとした面持ちでおっしゃいました。

前日の予選会に、きよしさんが足繁く通っていらしたラーメン屋さんのご家族の方が出場されていたことを小田切さんがお話しされました。
出場された250組の方のインタビューをされたそのなかでのことなので、とっさに店名がでてはこなかったのですが、きよしさんはすぐどのお店かおわかりになられたようでした。
「お母さんとその息子さんでラーメン屋さんをやっていて、その方は息子さんの奥さんそうでうすけど、お店はもうやっていないんだそうです」
と小田切さんがおっしゃると、
「いや~、泣いちゃう」
ときよしさんはひとこと。
そして、
「思い出深い場所がなくなると、泣いちゃう」
と、小さなお声で言葉を継がれたのです。

そして、その方にもお会いしたかったことをおっしゃると、
「みんな出させていただきたいですよね」
とのきよしさんの思いには、
「それは、時間の制約がありますからね~」
と、小田切さん。
その言葉に、小田切さんご自身がいつも予選会をご覧になって誰よりもそう思っておられるのだろうなあと感じたのです。

この日、風邪をひいてしまわれた方がおられたと思います。
ちあきなおみさんの「冬隣」を歌唱されましたが、予選会ではそれはそれは素敵な歌声でした。
だからこそ本選に出場となったわけですが、きよしさんのお知り合いの方の息子さんのお嫁さんだそうで、そのお知り合いの方から、”出場できることになったのに、風邪をひいて声がでない”とメールをいただいて。
きよしさんは、放送前に、その方にビタミンCをお渡ししたそうです。

そして、平原さんの話題になると、
「アーヤとは久しぶりの共演だったので楽しかったです。
以前、『きよしとこの夜』にでていただいて、UFOキャッチャーをやったりしたんですよ。
それからメールのやりとりをさせていただいていて。
性格がいいっ! 歌が(あんなに)上手なのに」
と、そんな人は他にはいないというくらいに力をこめてきよしさんがおっしゃると、
小田切さんが、
「氷川さんもそうじゃないですか」
と。
皆様、ほんとうに、そう~ですよねっ(笑)。
当のきよしさんはといえば、小田切さんにむかって照れ臭そうに会釈されたのです。

小田切さんがきよしさんの素敵な着流しを、
「紫一色ではなくて、グラデーションになっているんですね」
とほめてくださると、
紫と紺のグラデーションになっていること、帯と半襟がビーズになっていることを説明されました。

そして、20周年について小田切さんがおたずねになると、
「あっという間でしたね~」
きよしさんはそうおっしゃると、
「小田切さんはこの仕事につかれて何年ですか?
と質問されたのです。
小田切さんは平成6年に入局されたそうで、
「今年25年くらいにになると思います」
とお答えになりました。
小田切さんは「歌謡コンサート」(2006年~2013年)の司会をされていましたが、担当した当初は、番組においては先輩であるきよしさんにお世話になったことをお話しされ、きよしさんが、”とんでもありません”というようなやりとりをされていて、全力投球の小田切さんの司会に、一曲入魂の氷川きよしの歌唱...。
おふたりのその当時のことが思い出されてほっこりとした思いになったのです。

ここで、7月11日・12日(2日間3公演)の日本武道館でのコンサートと、9月6日(1日2公演)のおしらせを、きよしさんがされると、
「20周年、ますますもり上がりますね~」
と小田切さんがおっしゃいました。

きよしさんは、
「それこそね~。ずいぶん長く歌ってきました。
まだまだ駆け出し者です。
でも、自分でいうのもなんですけど、
がんばったなあって思うんです。
だからこれからは自然体で歌っていきたいなって思うんです」
と先に、”早かった”とおっしゃった思いと同時にそのような思いを抱いておられることをお話しされたのです。

小田切さんが、20周年以降にやりたいことをうかがうと、きよしさんはしばし熟考された様子で、
「今年は今年で精一杯」
ときよしさんはひとこと。
そして、
「1日1日、精一杯生きていますからね」
と、自分自身に確認するかのように、ひとことひとことをかみしめるようにおっしゃっていました。

そして、
「ちゃんと食べていますか?」
ときかれると、
「しっかり食べています。
でも、年齢的にダイエットもしています」
とのお答えでした。
小田切さんはきよしさんのお答えをきいて、ご自身は少し体重がふえて、ジャケットのボタンがきつくなっているのだとおっしゃっていたのです。

楽しいトークに皆が和気あいあいとなりました。
小田切さんは、きよしさんのファンのために、時間をいっぱいいっぱに使っていろいろなことをうかがってくださったことを感じて、じんときてしまったのです。

さあ、皆様、いよいよ最後にきよしさんが歌ってくださった曲は?
そう!
「きよしのズンドコ節」
でした(喜)。
2コーラス、下手、上手と移動してくださっての歌唱に、客席はわきにわきあがりました。

歌い終えると、
「今日は応援にきてくださって、ありがとうございました」
とていねいにお礼をおっしると、いよいよのお別れに、
「じゃあ、バイバイ!」
と軽やかに手をふられて舞台袖にもどられたのです。

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※会場付近の地図です。


終演後は、Kさんとランチをすることにしていました。
会場の建物に沿って出待ちをする方の長い列ができていて、すでに入る余地がみつからなくて。
それで、ランチをするお店のあるビル側に渡って、道路を挟んで反対側になる出待ちの列をながめていたのです。
そうしたらガードレールの前に立っている分にはかまわないとのことでしたので、そのままきよしさんの車を待ってみることにしたのです。
でも、当然ながらきよしさんは出待ちの列の方を向かれるであろうことを覚悟して。
せめて後ろ姿、それが無理でも車だけでもお見送りさせていただきたいという思いでいたのです。
そうしたら、こちら側にも、同じ思いの方がちらほら並ばれていました。

いよいよきよしさんを乗せた車が楽屋口からでてきました。
すごい声援がおこって...。
そして、やっぱりきよしさんは進行方向にかって左側の窓をあけて声援に応えているのが目にはいったのです。
車がもう少しちかづいてきたときに、こちら側(進行方向右側)のシールドを施された窓がしまっているのがみえました。
でも、お見送りできればそれでいいもの!
と思って、そのまま車をみつめていたのですが、たまたまわたしたちの反対側にトラックがとまっていて、そこだけ出待ちの列が途切れていたためでしょうか。
きよしさんは、こちら側にもファンがいることに気づかれて、わたしたちの目の前を通過されるときには右側の窓もあけてくださっていて、こちらにも手(うちわもだったと思います)をふってくださったのです(嬉)。

明かるかったので、くっきりはっきりその笑顔がみえたのですが、どうもきよしさんはお着換えはされていましたが、メイクを落とされていなかったのでは? と思うくらいとても艶やかで美しいお顔でした。

Kさんとわたしは、そのままきよしさんの車が見えなくなるまで見送らせていただいてから、ランチをするために移動したのでした。


※以上、書いてみたら長いものになりました。
アトラクションではいつもきよしさんのことだけ書かせていただきますが、今回は平原さんのお話されているときのにきよしさんが2度もお顔だけ登場されたので、そのこともおつたえしたいと思って、記憶を頼りに書いてみました。


最後に、記念にいただいた写真です。

イメージ 5
※舞台裏見学ツアーで撮っていただいた写真です。



それでは皆様、またお逢いできますように!
昨夜は「第1回 日本演歌歌謡大賞」の放送をみました。
公開収録に参加させていただいていましたが、放送でみると客観的にみることができて、みいってしまいました。

きよしさんが初代大賞を受賞されましたが、そのときの先輩や後輩の皆さんとのあたたかなやりとりにも、あらためてじんときました。


Yahoo!ブログサービス終了のお知らせです。

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皆様、こんばんは。
明日から4月ですね。そして、いよいよ新元号も発表されます。

新たな月、そして新たな年度を迎える前に、皆様におつたえしたいことがありました。
この記事のタイトルもどうしようかと迷いに迷って、シンプルなものにしたのです。
皆様に、どんなふうにおつたえしようか気持ちがさだまらずにギリギリになりましたが、じつは、わたしが利用しているこの”Yahoo!ブログ”が今年の年末、12月15日でサービスを終了することになったのです。
1か月ほど前だったでしょうか。
Yahoo!さんからおしらせがありました。

そして、多くのユーザーがいることを鑑み、記事の更新をする画面には常に下記のようなおしらせが表示されるようになりました。


イメージ 1


終了までのスケジュールは下記のようになるそうです。

イメージ 2



ブログのサービスは12月15日に終了となりますが、記事の投稿は8月31日までになるそうなので、その日が事実上の終了ということになるとうけとめています。

他社ブログへの移行の準備もしてくださるそうなので、これまでの記事自体は移行するこころづもりでいますが、正直なところ移行して以降、そちらでブログを書きつづけるかどうかは、まだきめかねています。

2008年9月3日にブログを開設して、まる11年が経ち、12年めに突入しました。
どこかで区切りをと、何度も迷いながら、今日までつづけてくることができたので、Yahoo!ブログのサービス終了を区切りとさせていただいてもよいのかなあという思いが強くあって...。

ブログをお読みくださっている皆様には、Yahoo!ブログのサービス終了自体を早めにおつたえしなければと考えながら、その後はどうするのかという自分の気持ちがさだまらずに今日まですごしてきました。

以下はさだまらないままに書きます。
まず、今の時点でまだどうするかきめかねているのですが、7月11日&12日の日本武道館でのきよしさんの20周年記念コンサートまでは、これまでと変わらず、Yahoo!ブログをつづけていきたいと思います。
そして、それ以降はどうするのか、具体的には9月以降ということになりますが、それまでの4カ月間に考えてみたいと思います。

ブログのこれまでの記事が読めなくなるのは、わたし自身もさびしいので他社ブログへの移行はしたいと考えています。
ただ、”他社ブログでまたブログを書きつづけていきます”とは、今の時点で申しあげられず、ごめんなさい。

そんな迷いながらのわたしですが4月は、2日の「うたコン」観覧にはじまって、沖縄にも茨城にもまいりますので、感動を余すことなく書いていきたいと思い、その前に、おしらせをさせていただかなければと、正直、悶々としていました。

ここまで書いて、なんだか少し気持ちが軽くなりました。
いずれにしてもYahoo!ブログでこうして皆様にお逢いできるのは8月いっぱいになることは変えられない現実なので、このブログをお読みくださっている皆様に周知するために、これからほぼ毎月末に、゛Yahoo!ブログサービス終了゛のニュースをおしらせをさせていただこうと思います。

そして、7月11日&12日の日本武道館での20周年記念コンサートの記事を書かせていただいてみたところで、ブログのその後をどうするのか、きめさせてください。

それまではこれまでと変わらず、ブログの記事を更新していきます。


皆様、今日までまる11年、ほんとうにありがとうございました。
あらためてふりかえると、このブログでは、きよしさんの30代の10年間の軌跡を書きとめてきたことにもなります。
きよしさんにも、わたしにも、そして皆さんにもいろいろなことがありましたね。

10年を超えて書きつづけることができるなんて、開設したときには思ってもみませんでした。
それは、ブログをお読みくださる皆様がいてくださったからです。
感謝の思いでいっぱいです。

ただ心苦しいことに、同じような思いを抱いてくださり、ひとことお礼をと勇気をもってお声をかけてくださる皆様には、自分がマルルであることを名乗らずにいる姿勢を貫かせていただいています。
そのことについてはほんとうにいつも申し訳ない思いでいます。

とてもていねいに、”マルルさんですか?”
とおたずねいただいたり、
”マルルさん?”
と笑顔で呼びかけられたとき、どなたも感じの良い方ばかりで、ふだんブログをお読みくださり、親しみをもってくださってのこととわかるだけに、
”いいえ”
とか、
”ひとちがいではありませんか?”と、こたえては、いつも複雑な思いになっています。

ところで、わたしがなぜそんなにまでしてシークレットを貫いているのかといいますと、
このブログでは、こころを素裸にして、きよしさんへの思いをできるかぎり正直に書いているので、とてもとても恥ずかしいという思いがあるのです。

それはわたしだけの思いですから、わたしはそんなことはないというブロガーの方もおられるでしょう。
ですが、わたしの場合はシークレットを貫かせていただかないと、あの方もこの方も、わたしがこんなことを書いたらどう思われるだろう? ヘンな人と思わたらどうしよう? と、恥ずかしさが足かせになって、かっこうつけたり取り繕うようになってブログに正直な思いを書きづらくなってしまうことを自覚しています。
それくらいこのブログでは正直な思いを書いています。

それがわたしの今日までつづけてきた挑戦でしたので、それを終了までつづけることができたら、それはわたしにとっての”奇跡”になるとおこがましくも思っています。
そして、それは、氷川きよしというアーティストの存在があり、皆さんと、皆で一緒につくりだすことができた”奇跡”になるとうけとめています。

どうかブログの終了までそっと見守っていただければと。
ブログが終了したあとでしたら、もしもお声をかけていただけたら、きちんと名乗ってお礼を申しあげたいと思っています。

4月2日の「うたコン」のご報告から書いていきたいと思っていますので、皆様、ひきつづきよろしくお願いいたします。

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