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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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”いざ令和!” めでためでたの「うたコン」を大満喫させていただきました。

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今夜の「うたコン」、ご覧になりましたか?
テーマは、「いざ”令和”! はじまりの歌」でしたが、オープニングから井上芳雄さんと島津亜矢さんが歌われた「YAH YAH YAH」で赤いチーフを振って華やかな幕開け。
と、そのとき、イエローの衣裳を身にまとったきよしさんが、下手前方のドアからサーッと客席前方に歩いてこられたのです。
きゃっ、やっぱりやっぱり客席で歌ってくださるのね(嬉)。
と、一気にテンションがあがって、体温まで上昇したように感じられたのです。
それにしてもきよしさんの「だまって俺について来い」は、最高に楽しくて、励ましの思いにみちた歌唱でしたね。
植木等さんの笑顔までうかんできたのです。
かごにはいった゛真っ白なおもち゛を、Juiceの皆さんが景気よくまいてくださったので、客席はわきにわいて(嬉)、きよしさんがこちらに来てくださらないかしら?
と、わたし、もう、めくるめく思いになりました。
帰宅して録画をチェックしましたが、ライブ感あふれる映像は、ホールとはまたちがった感動があって、楽しめたのです。
クレーンカメラを駆使して至近距離で撮影した効果なのでしょうね。


イメージ 1
※チーフは記念にお持ち帰りくださいとのこと。
そして、テープはたくさんゲットできた方がくださいました。
さて、゛おもち゛は?


事前に番組HPに、”前向きソングで氷川もちまき”とおしらせがあったので、どんなサプライズ演出になるのかしら? と期待していたのです(喜)。
出かけるとき、母に、
”さすがに網はもっていけないけど、もしものときはうちわで叩いておとしてとろうかしら? でもそんなときにかぎってそのあさましい姿がテレビに映ったりして(汗)。どうしよう~”
と話すと、
”まあ、そんな心配をするためには前の席にならないとダメなんじゃないの?”
と冷静な答えが(汗)。

この日は観覧に当たらなかったのですが、お友達のOさんとHさんがお誘いくださって3人で参加したのです。
ドキドキしながらOさんが座席指定券を引きかえてくださったのですが、なんと1階席に(嬉)。
がぜん、おもちをゲットする可能性がでてきたのでした(笑)。
もう~、わたし、おもちのことしか考えていなかったみたいで恥ずかしいですね(汗)。
もちろん、きよしさんが歌唱される”前向きソング”って、どんな曲なのかしら? 「大丈夫」も前向きソングにはいるので、もしかしたら? と、あれこれ想像しては、ドキドキしていたのです(嬉)。

前説の折、おもちについては、実際には透明の袋に入った白いマシュマロであることがしらされました。
そして、
「その場では食べないで、お持ち帰りくださいね」
と(笑)。
そして、ゴールデンボンバーの皆さんが、ある曲(曲名はしらされていませんでした・笑)を歌唱される際に、ボードが座席におかれている方は、ホイッスルの合図でそのボードを45度くらいの傾斜をつけて掲げることに。
実際に掲げてのチェックがおこなわれて、ここでも”ある文字”になるとしか説明されなかたのですが、実際にチェックしてみたら、細かな調整が必要になり、こちらの方は、赤ではなく白、こちらの方は白ではなく赤と、ボードを交換して、またチェックされていて、あれ、間に合うのかしら? とちょっと緊迫した空気になったのです。
生放送では、みごと、”令和”になっていましたね。


きよしさんは、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんとスピッツの「空も飛べるはず」を歌唱されましたが、優しくてあたたかなハーモニーを響かせてくださり、さわやかで素敵な風がただよってくるようでしたね。

鬼龍院さんがご自身のブログで、きよしさんとのコラボの感動をこんなふうに書いてくださっていました。
氷川きよしさん、一緒に歌って頂きありがとうございます!
氷川さんとスピッツさんの空も飛べるはずをテレビでデュエットできるなんて何年前からでも思いもよらぬ有難きできごと…!
人生、少しの先も読めないですね(^-^)

鬼龍院さんの感動がつたわってきて、じんときてしまいます。
゛こちらこそ、ありがとね゛って、抱きしめたくなっちゃいますね(嬉)。
そんな鬼龍院さんの思いを感じながら、あらためて録画をみてみたくなりました。

さて、ところでわたしにとって一大事の゛おもち゛のゲットはどうなったかといいますと...。
残念ながらかないませんでした(涙)。
でも、きよしさんが歌唱されれいるときには、演出の意図など知る由もありませんから、こっちにもきてくださらないかしら? と、わくわくドキドキして、テンションマックス! そして、こころ躍ったのです(喜)。



さて以下は終演後の歌のプレゼントコーナーのことを。
終演後、出演者の皆さんがステージに勢ぞろいされて、皆で拍手を贈らせていただき一組ずつ、下手から退出されました。

すべての皆さんをお送りすると、司会の谷原章介さんと小郷知子アナウンサーが、この日から放送時間が30分遅くなったことについて、あらためてお話しされ、
”終演後の歌のプレゼントはどうしましょうか? 皆さん、お帰りの時間がありますから”
というような会話が展開されたのです(笑)。
そして、
「でも、もちろあん、やります!」
とおっしゃり、まずは井上芳雄さんをお呼びしたのです。

そんなやりとりをうけての登場でしたので、
「あの、やらしてください」
と、井上さんは開口一番おっしゃったのです(笑)。
今回の井上さんの島津亜矢さん、丘みどりさんとの共演はそれぞれ、素晴らしいものでしたね。
丘さんとのミュージカル仕立ての演出もロマンチックで素敵でしたが、すべて当日リハーサル。
それも、現在、日比谷のシアタークリエで、主演作の「十二番目の天使」を上演されていて、昼の部公演を終えてからだったそうですから、スーパーマンですね。
島津さんとのコラボには、
「島津さんの歌声が突き刺さって、血がダラダラながれています」
と(笑)。
そして、島津さんが、”演歌怪獣”という異名があることを谷原さんが話題にされると、
「僕も、”ミュージカル怪獣”になりたいですね。プリンスじゃなくて」
というようなことをおっしゃっていました。
歌ってくださったのは、「十二番目の天使」のラストで歌唱されているという、「白いボール 青い空へ」でした。
井上さんの朗々としながらも軽やかで希望に満ちた歌声がNHKホールにみちていきました。
生きる希望を失った主人公が再生していく物語ですが、その主人公の思いが深くつたわってきたのです。

井上さんをお見送りすると、しばし沈黙が...。
そこで、谷原さんが、
「あれ、皆さん、いつものないですね?」
と(笑)。
そうしたら小郷さんが、
「まだおしらせしていなかったからじゃないですか?」
とおっしゃって、番組の放送時間が30分遅くなったことから、今回から歌のプレゼントコーナーで歌ってくださる方がおふたりになったことを説明されたのです。
えっ、じゃあ、あとひとりだけ?
と思った瞬間、谷原さんの言葉の意味がわかって(笑)、もちろん皆さんにもわかって、一気にペンライトが点灯して、またたいたのです。

「じゃあ、皆さんで、せえの!」
と谷原さんと小郷さんが一緒におっしゃたでしょうか。
”きよしく~ん!”
と。
ところが、どなたもでていらっしゃらなくて(汗)。

どうしちゃったのかしら?
と思ったそのときに、ようやく、
「あっ、いいんですか?」
と、遠慮がちにきよしさんが、遠慮がちに(笑)後半でお召しになっていたブルーのスーツ姿で登場されたのです(嬉)。

さっそく、”もちまき”の話題になると、
「そうですね、もちじゃなくて、マシュマロだったんですけど。
もう、皆さんの目が真剣で、怖かったですね(笑)。”こっちによこせ!”っていってるみたいで」
とおっしゃっていました。

谷原さんが、お疲れになったのではというようなことを問われると、
「全然!」
とハイテンションでおこたえになったのですが、
「でもお忙しいでしょう」
との言葉には、
「まっ、そこそこ忙しくさせていただいています」
と余裕の発言をされ、さらに、
「アルバイトしてます~」
と(笑)。
谷原さんが、
「何のアルバイトをされているんですか?」
ときいてくださると、
「うそ、うそ、うそ~」
とおこたえに(笑)。

きよしさん、ノリノリですねっ(喜)。
パティシエのアルバイトは?
と、おっしゃった谷原さんに、゛それへはちょっと゛という感じでおこたえになり、
「接客業好きなんです。
実際にデビューする前、飲食店でアルバイトしてましたからね~」
と。
そして、
「すいません、いらん話をして」
ときよしさん。
その言葉をうけて、
「じゃあ、”いる話”をお願いします」
と谷原さんがフォローしてくださったのです。。

そこで、5月の大阪新歌舞伎座の座長公演、7月11&12日の日本武道館での20周年記念コンサート。そして9月6日の42歳のお誕生日に大阪城ホールでコンサートを開催されるおしらせをされ、
「健康に気をつけて。僕もいい年にですから」
とおっしゃったきよしさんに、客席から、たくさんの”大丈夫コール”がおこりました。

そして、
「元号も令和にかわりましたから」
ときよしさんがいいかけると、谷原さんが、”まだかわったわけでは”と小声でフォローしてくださったので、
「あっ、まだかわってないんですよね」
と、きよしさん。
でも、そうおっしゃったお気持ち、この日の「うたコン」をご覧になった方なら皆おわかりになることでしょう。
もう、改元したかのようなおめでたさでしたものね(嬉)。

きよしさんは、皆のそんな思いを感じてくださったかのようにさらに晴れやかな笑顔で、
「新しい年になって、みんなでハッピーになれたらいいなって思います」
とおっしゃいました。

そこで、ゴールデンボンバーの皆さんに対抗してというわけではないのですが、「令和音頭」があってもいいのでは? という話題になりました。
改元までまだ1か月あるので、今からつくったら間に合いますよね。
きよしさんも、”作家の先生にお願いしようかな”なんておっしゃっていましたが(笑)、得意の即興でつくってくださらないかしら? 
なって思ってしまったわたしです。

あの夜空の星を散りばめたような素敵なブルーのスーツで歌ってくださったのは、もちろん!
「大丈夫」
でした。

縦横無尽にステージを移動しての歌唱に客席がもりあがったのです。
緞帳がおりてきて、そのお姿が見えなくなっても、
まだ、「お元気で!」
とおっしゃるきよしさんのお声がきこえていました(喜)。

今日はとても冷え込んでいたのですが、原宿までの帰り道は、こころもからだもぽっかぽか。
冷たい風が心地よく感じたのでした。

さて、明日はオリンパスヒール八王子でのコンサートに参加させていただきます。
明日は、帰宅してから、やらなくてはならない仕事があるので、ご報告はあさってになりそうですが、またjコンサートの様子を書かせていただきたいです。


オリンパスホール八王子で! ”きよしのほしいも”からサブちゃんのお花、そして、思いがけずいただいた昨夜の「うたコン」のもちまきの”おもち”まで(嬉)。急ぎ画像だけお届けします~。

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皆様、こんばんは。
オリンパスホール八王子で開催されたきよしさんのコンサートに参加させていただきました。
今夜は仕事の仕上げがあるので、コンサートのご報告は明日の午後にさせていただけたらと思っていたのですが、その前におつたえしたいことがたくさんできて、インスタもどきで画像だけでもアップしたくなったのです。

コンサートの構成は、わたしが前回参加させていただいた神戸国際ホールと同様ですが、歌唱が絶好調。
びっくりするほどの声量に圧倒されぱなしのわたしでした。

そして、もう~、きよしさんのトークがとまりません(汗)。
情熱トークに、桃色トークに爆笑トーク!
わたし、そんなとき、メモをとるのは大変ですが、でもとっても幸せな気持ちになるのです。
ところで、昼の部で、きよしさんが、「令和音頭」を即興でつくってくださったのですが、
「ずいぶんテキトーな歌ですね」
と西寄さんがバッサリ!
ひどい! 
せっかく皆が喜ぶと思って挑戦してくださったのに。

また、北山たけしさんが来場してくださっていて、皆に紹介され、新曲のタイトルをおたずねになりました。
新曲のタイトルは「兄弟連歌」(きょうだいれんか)だそうで、”兄弟ゲンカはありませんよ”と(笑)。
そんなさりげない心遣いが、なによりの返礼になるのだろうなと、感心したのです。
北島さんの地元の八王子ということで、ロビーには贈られたお花が飾られていました。

と、書きだすとわたしもとまらなくなりそうですので、このへんで画像を(笑)。


まずは、”きよしのほしいも”がグッズ売り場に並んでいました。
100グラム、700円です。
帰宅していただきましたが、やわらかくっておいしいです~。
さすがはきよしさんのお墨付きですね。

イメージ 1



つづいて、北島三郎さんからのお花です。
山野楽器さん、美川憲一さんからのお花も飾られていました。

イメージ 2



つづいては、直筆メッセージが書き込まれた全身ボードです。

イメージ 4


ホールのはいっているビルのなかのお寿司屋さん。
”氷川きよし 特別セット”って惹かれますね。

イメージ 3



大人気のシャンパンゴールドのバッグを購入しました。
制作スタッフの方に、縫製や細部にまで気を配ってつくってほしいとこだわってできあがった商品なので思い入れが強いのだそうです。
「しっかりしたものにしてほしいっていって。家で、自分が縫いました」
と(笑)。
皆から、”それはないでしょう”というリアクションがあると、
「こころはそれくらいのつもりでできあがった商品です」
と大真面目におっしゃったかと思ったら、フリンジのことを、
「お毛々もついてます」
ですって(笑)。

でも、わたし、そんなふうに笑いながらも、すっかり”お毛々”がきにいって、帰り道、Kさんはじめ、ばったりお会いしてご一緒させていただいたNさんにも”お毛々”を連発させていただいて(汗)。
”いやあね~”というおふたりの反応に、わたし、きよしさんが嬉しくなってしまうお気持ちがわかるような気がしたのです。(喜)。


イメージ 5
※バッグの部分と、お毛々を写メ!



そして、そのNさんから、前日の「うたコン」で、実物を目にすることさえできなかった、きよしさんのもちまきのときに、まかれた”おもち(マシュマロ)”をいただきました。
”列に並ぶ前に、マルルさん、あんなにほしいっていってたから”
とおっしゃって。夢のようでした。

なんでも、自然とお膝に4個ほどおちてきたのだそうです。


イメージ 6
※「うたコン」のもちまきの際に、まかれた”おもち(マシュマロ)”です。


皆様、今夜は駆け足で失礼します。

先の記事へのコメントをありがとうございます。
あらためてお返事を記事のなかで書かせていただけたらと思っています。

”みてって? じゃあ、穴が開くまでみますっ! いいの~?”そんなきよしさんにわたしメロメロです~。於・オリンパスホール八王子

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「えっ、何?
えっ、こっちみてください?」
きよしさんはそうおっしゃって、お声のする方に近寄られると、
「じゃあ、ずっとみますよ。
穴があくまでみます!」
と勢いよく。
そして、
「いいの~?」
と語尾をあげる博多弁で優しくおっしゃったのです。
もう、そんなきよしさんに、わたしメロメロです~。

なんて、締切明けなので、舞いあがっていてごめんなさい。
昨日のオリンパスホール八王子での昼の部でのことでした(嬉)。


皆様、こんにちは。
ようやく朝イチ締切の原稿を終えて脱力...。
昨日、八王子へ向かう前に仕上げるつもりで進めていましたが、追い込まれないとエンジンがかからなくて...。
思えば小学生のときから宿題でもなんでもずっとそうでした。
という、ことは一生ここのまま? いや、なんとかしたいものです(汗)。

かなりこころのタガがはずれてはおりますが、これから、昨日のオリンパスホール八王子でのコンサートのこと、感動が渦巻いている今、メモを頼りにながれに沿って書いてみたいと思います。
それにして、「うたコン」のおもちをいただけて、夢じゃないのよね? と...。
くださったお友達のNさんが背中に翼のある天使さまにみえたのです。

さて、まずは、きよしさんがメッセージを書いてくださったボード、昨日より鮮明に撮れた画像をアップします。
拡大できる方はトライしてみてくださいませ。


イメージ 1



先の記事にも書かせていただきましたが、セットリストや衣裳、構成は3月3日の神戸国際会館でのものとかわりません。アンコールも、「勝負の花道」を歌唱されたあと、「大丈夫」をもう一度フルコーラス歌ってくださり、フィナーレは「きよしのズンドコ節」でした。

でも、でもね!
もう~、声量がものすごかったのです(嬉)。
わたし、きよしさんの気合に圧倒されっぱなしでした。
そして、トークも、もうとまりません。
”20周年大感謝祭”というツアータイトル以上に、深い感謝と熱い感動を胸に歌ってくださっていることをあらためて実感して、胸が熱くなりました。

さて、以下はトークを中心に書いてみます。
「冬のペガサス」で幕開けし、「ヨイトマケの唄」まで、全12曲を怒涛のように歌われると、オープニングのご挨拶になりました。
そのなかで、20周年を迎えたお礼をおっしゃると、
「思い返せば、2000年の2月2日に22歳でデビューして、皆さんと”氷川きよし”をつくってきました。
皆さんのご期待にお応えしたいという思いで、がむしゃらにがんばって...。
これまで”氷川きよし”のためにという生き方をしてきたと思います。
その”氷川きよし”の19年間を凝縮したものをご覧いただきたいという思いでつくっているのが、今回のコンサートです」
と、ここで、
「今日は北山たけしさんが来場してくださっているんですよ。
どちらに?」
とおたずねに。
そして、
「ご紹介しても?」
とうかがい了解をいただけたのでしょう。

「どちらですか?」
とおたずねになると、北山さんは1階の最後列のうしろに簡易イスをおいてすわっておられたようでしたが、その場で立って会釈されました。
きよしさんは、
「お忙しいのに、ありがとうございます。今日は北島先生からもお花をいただきまして。ありがとうございます。
北山さんはほんとうに優しくいい方で、お兄ちゃんみたいなんです。デビューは? 2004年ですか。
(芸能界では)僕のほうが先輩ということにはなるんですけど、でもお兄ちゃんみたいに思わせていただいています。あの、新曲のタイトルは?」
とおたずねになり、兄弟連歌」という曲名を紹介されました。
なるほどそのようなまごころの心遣いがいちばんのお礼になるのでしょうね。


イメージ 2
※エントランスに飾られていました。


今は演歌歌謡曲を歌うたくさんの男性歌手の方が育ってきていて、事務所の辰巳ゆうとさんも活躍していることについて、
「がんばってくれているから、僕はそろそろ卒業して? って思ったりして(笑)」
ときよしさんがおっしゃると、最前列の方がおっしゃった言葉に耳を傾けられて、
「今、前の方に、”やめられるわけないでしょ~”っていわれちゃった(喜)」
と、嬉しさを隠しきれない様子だったのです。
もう、皆に、そういってもらいたくて、卒業なんておっしゃったんでしょ、甘えんぼなんだからっ!

と、ここで、客席から、”こっちみて~!”の声がきこえてきました。
きよしさんは、
「えっ、何?」
と、お声のする方に近寄られると、
「じゃあ、ずっとみますよ。
穴があくまでみます!」
と勢いよく。
そして、
「いいの~?」
と語尾をあげる博多弁で優しくおっしゃったのです。

そして、つづいてのコーナーで”男ごころ”を歌った歌を歌唱されるのでそのことについて、
「これまで様々な歌を歌って、その歌の主人公を演じてきました。
ほんとうにいろいろな主人公を演じてきたなあって思います。
愛しい女性を追い求めて日本全国を北から南まで追いかけていくんですけど、出逢えない。
どれだけ探すんだろうって思いますよね。
交通費もかかりますし。
自分だったら追いかけません(喜)」
と(笑)。

そして、「最上の船頭」を歌われたあとの、司会の西寄ひがしさんをまじえてのトークで、新曲の「大丈夫/最上の船頭」がオリコンチャート総合で初登場第3、演歌歌謡曲部門では2週連続第1位と絶好調なスタートをきっておられることを西寄さんがおしらせされると、
「できあがった作品を皆さんが楽しみにしてくださっていることを感じて、嬉しいです。
皆さんが楽しみにしてくださっていることが僕の生き甲斐ですから」
そうお話しされました。

また、前夜の「うたコン」の話題になると、
「♪ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい 俺もないけど心配すんな」
と数フレーズ歌ってくださると、
「いやあ、テレビには慣れないですよね~。
いまだにどのカメラをみていいのかわからないし、カメラをみると、みる人には自分がみているようにみえるんだと思いますけど、(自分にしたら)カメラをみても、人じゃないから...。
やっぱり、コンサートがいいんですね~。
自分でいうのもなんですけど、(自分のことを)好きできてくださってるじゃないですか。
ね~っ、自分でいうのもなんですけどね(笑)。
でも、嫌いだったらこないでしょう?」
と、きよしさん。
そっ、きよしさん、今さら気づいたんですか?
もう、おっしゃるそのとおりでございます~。

そしてダブルA面の「最上の船頭」と「大丈夫」のコスチュームを着物にしたことについて、
「オリンピックやパラリンピックが開催されることになって、日本が世界中から注目されていると思うんです。
そんなときに、日本の良さをつたえたいと思って。
それで、着物がいいなって。
日本のいいものっていろいろありますよね。
着物もそうですけど、敬語も。
英語には敬語ってないでしょう」
と、ここで、最近レッスンをうけていらっしゃる英会話を西寄にお相手していただいて披露されました。
きよしさんは音感も耳も超人的ですから、きっと美しい英語をお話しされるようになって、またその影響で日本にも磨きがかかるのだろうなと、わたし思います。

西寄さんが、この話題をうけて、
「オリンピックのなにかの場でぜひ、”氷川きよし”に歌っていただきたいですよね」
と客席に問いかけると、大きな拍手がおこりました。
きよしさんは、すっかり気をよくされて、
「元号が変わりますから、”令和音頭”があってもいいですよね」
というようなことをおっしゃると、
「♪令和の 令和の 令和の~ 令和あああ~ 音頭~」
と即興で歌ってくださいました(嬉)。
待ってました!
と嬉しくなったのですが、
「まあ~、ずいぶんテキトーな歌ですねっ!」
と西寄さんがバッサリ。
ひどいっ!
でもおかげで大爆笑でした。

ニューアルバムに、急きょ、「きよしの令和音頭:つくっていれてくださらないかしら。
令和の音読みを”麗”と”日本”に置き換えて、副題を”麗しの日本”なんてどうかしら?
もう、期待がふくらみます。

そして、あらためて20周年について、
「たくさんのお仕事をさせていただいて、ありがたかったですけど、でもどこか自分の意思でなくて。
でもそういう運命になったんだなって思って。
いただいたお仕事を一生懸命やってきました。
だから、これからは自分で好きだと思えることもやりたいですよね」
とお話しされました。


イメージ 3


ラストトークはそのお話のつづきだったでしょうか。
「自分とちがうキャラクターの歌を歌うことが多くて。
そのギャップの辛さっていうのがありましたよね。
そういえば、よく歌っているときとしゃべっているときのギャップがあるっていわれるんですけど(笑)。
でも、これからも様々な主人公を歌っていきたいです。
20年経つといろんなことが思い出されますね。
20代と30代の前半はよく泣いていました。最近も年のせいか涙もろくなってよく泣きますけどね(笑)。
福岡に仕事でいって、自宅ですごして、移動する日にジャンタクが迎えにきてくれるんです。
メイクさんとかスタッフが先に乗っているんですけど、母がひとりで見送ってくれるんですよ。父はそういうことしないんですけど。
それで、手をふっている母がひとりでポツンと立っている姿をみて、号泣してしまうんですよ。
子どもの頃はみんな年とらなくて、変わらないって思ってましたけど。
自分が41歳になって、そうしたらまわりも年とるんですよね。
そういう思いも歌で表現していかれたらって思います。
苦しさも、さみしさも、全部、歌で喜びに変えられるんですよね。
歌はそれが素晴らしいと思います
皆さんに背中をおしていただいてやってこられましたけど。、20年やってきて、ほんとうによかったと思います」
と結ばれて、
「白雲の城」
を歌唱されたのです。


※と、ここまで昼の部でのこころにのこったことをトーク中心に書いてみました。
夜の部ではさらにさらに熱く語っておられ、ご自身で、”コンサートで、トークショーじゃないのにこんな自分の話していていいんですか?”と西寄さんにおたずねになる一幕も(笑)。
じっくり書きたいので、次の記事で夜の部のことをあらためて書かせていただけたらと思います。



世界一幸せなファンと思わせていただいた八王子の夜! きよしさん、真心の歌声とトークをありがとう。

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「歌の道を皆さんによって歩ませていただきました」
きよしさんはそうおっしゃると、
「ほんとうですよ」
とひとこと。
そして客席からきこえてきたいくつかのお声に、
「えっ? なんですか? なんでもいってください。”ばかやろう!”っていっていただいても。自分、けっこう心強いんで」
と。
でも、そんなふうにおっしゃたそばから、”きよし~!”と男性の太いお声が響くと、
「うわっ、よかった。”ばかやろう!”っていわれるのかと思った(笑)」
と胸をなでおろされたのでした(笑)。
そして、
「浮き沈みの激しい芸能界では、鉄のこころにならないとと思うことがあります。
これから、一喜一憂せずに、歌手として確信をもって歌っていきたいと思います」

オリンパスホール八王子での夜の部のオープニングトークはそんなふうに始まったかと思います。

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※このマーク、ポップで気にいってしまいました。
ステッカーとか、いろいろつくってくださらないかしら?


「さすらい慕情」ではじまる、”男ごころを歌ったオリジナル曲のコーナーでは、
「これまでいろいろな作品、様々なタイプの作品を歌わせていただいてきました。
ひとりひとりの主人公になりきって、衣裳もいろいろ考えて、歌のキャラクターづくりをしましたね~。
コスチュームによって歌のイメージも変わりますから。
なかでも男ごごろを歌った歌を数多く歌ってきました。愛する女性を探し求めて、いつまでどこまで探せばいいんだろうって(笑)。
あの娘を探して北から南、結局みつからないんですよね~。
これから歌う『さすらい慕情』は、1番で博多にいって、2番ではどこにいくんでしたっけ?
3番は鹿児島か」
とおっしゃいました。
゛長崎!゛
と、わたしも皆様と一緒にいわせていただきましたが、
きよしさんは、
「長崎でしたっけ?」
と、まだピンとこない様子(汗)。
わたし、きよしさんに聴こえるはずもないのに、
゛だって、♪眼鏡橋から異人館~゛じゃない?゛
と思わず歌ってしまい、Kさんに驚かれてしまいました(笑)。
゛ま、いっか゛
という様子できよしさんは微笑まれると、一曲入魂の歌唱がつづきました。

ところでわたし今年になって、とりわけ「しぐれの港」を聴いていると、今まで以上にうっとりするのです。
哀愁が深まり、包容力がまして、よい意味での男臭さが広がるのを感じて...。
きよしさんの歌唱には、年齢を重ねたからというだけでは答えにならないほどの奥行きと深みがましていると思うのです。

きっとそれは、きよしさんが、日々、歌に向き合い、その世界を掘り下げる努力をされているからなのだと想像します。
そして、もし、あらためて、そういう観点で1曲1曲を聴いていったとしたら、きよしさんは、間違いなくどの曲も歌うほどに進化&深化させていらっしゃるよですもの!
ほんとうに素晴らしいことです。

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※先にアップしたキーホルダーの表側は、
きよしさんの笑顔が!

司会の西寄ひがしさんがこの日、きよしさんとの思い出を語っておられました。
ファーストコンサートツアーで北海道でコンサートを開催されたとき、きよしさんが客席をご覧になって号泣されたことがあったのです。
そのことをご存じの方もおられると思いますが、いちばん前の席に、その年に亡くなられたおじいさまにそっくりな方がすわっておられて...。
きよしさんはおじいさまのことが思いだされて涙をとめることができなかったのです。
その一方で、ある年の福岡サンパレスでの昼の部のコンサートで。
きよしさんは客席のお母さまをみつめて涙ぐんでおられたそうです。
でも、コンサートが終わったあと、お母さまがお越しになるのは夜の部だったそうで、
「それではきよしさんがお母さんだと思っていたのは一体どなただったのでしょう」
と、おっしゃると、場内大爆笑となりました(笑)。

きよしさんを司会者として今日までみつめてきて、どんなときも一曲入魂で、そのとき持てるすべてを出しきって歌うきよしさんに、みていることしたできない自分をもどかしく思っったことも多々あったそうです。
「氷川きよしは喜び、悲しみ...人生を歌ってきました。
大げさでなく、命を削るようにして歌っているのをはたでみつめることしかできず、もどかしく思ったこともありました。
歌うと胸をえぐられる感動を与えてくださいます。
そしてあの優しさ...。
以前、長崎にコンサートでお邪魔したとき、きよしさんとふたりで長崎の街をウォーキングしたことがあります。
途中でカステラ屋さんをみつけて、お店にはいると、きよしさんは、これはマネージャーさん、これはバンドの方、こっちはスタッフにと、カステラをお求めになって、気づいたら、ふたりで両手に紙袋をもつことになってしまいました。
それで、ウォーキングをつづけられなくなって、タクシーでホテルにもどることにしたんです。
なんの運動にもなりませんでした(笑)。
でも、そういう方なんです」
と。
そして、先日のご自身のトークライブでもネタにされていた、イベントのために名古屋から大阪に新幹線で移動される際、車内の売り子さんのことを、踊り子さんときよしさんが言い間違えたことまで披露されたのです(笑)。

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西寄さんのトークを、お着換え中におききになっていたようで、お召し替えされて登場されたきよしさんは、
「”踊り子さん”なんて、言いましたっけ?」
と(笑)。
「はいっ!」
と西寄さんに断言されると、
「そうですか~? 忘れました」
ときよしさん(笑)。
ほとんどの方が、きよしさんなら”さもありなん”というムードに不承不承(ふしょうぶしょう)そうおっしゃったのでしょうか。
そんなきよしさんに、
「きよしさんのいい間違えって、イヤじゃないんですよ。期待しちゃう!」
と西寄さんはおっしゃったのです。

と、そこで子ども時代の話題になって、
「子どものころ、母と買い物にいって、他の人の買い物カゴなのに、自分ちのだと思って、そのなかのあるものを手に取って、”なんでこれ買うと?”っていったら、よその人に、”それはうちのですっ!”ってすごい剣幕でいわれて、衝撃でしたね~」
と。
そういうことありますよね。そ
して、子どもだからなにも言い返せないだけにこころにずっとのこるのでしょうね。

また、新元号の話題になって、きよしさんが、”令和”を書くジェスチャーをされると、
「ぜひ、書で書いていただきたいですね。きよしさん、字がお上手だから」
と西寄さんがひとこと。
きよしさんは、「週刊女性」さんの取材で、書を書かれたことをおしえてくださいました。
ぜひ会報や携帯サイトにも、それぞれのバージョンでお書きになって載せてくださらないかしら?
と期待をふくらませたのです。

そして、その書の話題から、
「母は字がきれいなんですよ。母と字も性格も似てるんです。
しゃべり方も一緒ですよね」
きよしさんが西寄さんに同意を求められると、
「そうですね。ほんとうにそっくりですよ~。
メル友ですし、電話でも週に2、3回お話しさせていただくんです。
いつも、”血圧はどげんですか?”って最初におっしゃるんですよ(笑)」

きよしさんは、楽しそうに西寄さんのお話をおききになられると、
「40歳すぎて、今頃になってね、母に、”ごめんね。子供産みきらんで。もうひとり産んでおけばよかった。きよしひとりに負担かけて”っていうんですよ」
としんみりとお話しされました。

「母も小柄ですし、会うたびに小さくなっている気がします。
ほんとうに1日生きているそのことが、奇跡だと思います。
命はどんな財宝でも買うことができませんから。
1日生きているそのことが宝です。
だから、明日なにがあっても悔いがのこらない思いで、今日も歌っています」
とおっしゃったのです。

そして、松尾芸能賞を受賞された話題を西寄さんがされると、
「厳粛な雰囲気で、皆さん、セレブリティーな方ばかりで。
そこで、思いきり、”ズンドコ節”を歌ったら、シーンとして(笑)。
それで、なんだかゾクゾクしてね~。
なんていうんですか? うーん...。
自分、かわってるんですよ(笑)。
だから(その雰囲気も)楽しかったです!」
と。

そして、
「見て下さっている方がおられるんだと思って、ほんとうに嬉しかったです。
振り返ると、
(咳払いをされて・笑)
ファンの皆さんが応援してくださったから歌ってくることができたんです。
座長公演も大きな劇場でやらせていただいてきましたが、あんまり男臭いのは苦手なんです。
立ち回りとか、闘うのとか、ストレスになって、うつ病になっちゃう。
初めての公演でも、なにか自分の考えている路線とちがうような気がして、あのときは、”カツラはかぶりたくない”といわせていただきました」
きよしさんにはたくさんの思い出がよみがえってきたのでしょう。

「22歳でデビューさせていただきましたけど、そのときはテレビに出たいっていうより、皆さんに歌で喜んでいただきたいという思いでした。
歌手をめざしたきっかけも、年配の方の前で歌わせていただいて喜んでいただいたことでしたから。
あのとき、生まれてきてよかった。生きてきてよかったと思ったんです。
人前に出るのは今でもほんとうのことをいえば苦手です。
子どものころは母のスカートのうしろの隠れて、”すかん、すかん”っていってました。
自分の気持ちをうまくいいあらわせなくて、言葉がでてこなくて悔しい思いがあったんです。
でも、歌だったらつたえられるって、あるとき思ったんです。

さびしい思いも苦しい思いも無駄にならないんですよね。
それをバネにして生きていかれますから。
やっぱり命ある限り生きていかないと。
(みずから)死んではいけないって思います。
ニュースをみても、若い人の自殺が報じられると、こころが痛みます。
自分になにかできないかって思って。
そういう思いも歌で歌って、社会のお役にたてる歌手になれたらって思います。
(そんなことを考えるのも)年ですかね~。
あと、だいぶ余裕ができてきたんでしょうね~」
と、感慨深げにおっしゃったのです。

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ラストトークでは、両A面シングル「大丈夫/最上の船頭」について、
「師匠の水森英夫先生が、
”おまえは俺の弟子だから、20周年は一緒にやろう”っていってくださったんです。
そして、
”30周年のときは俺も年齢を重ねていて、できるかわからないから”
っておっしゃって。
そんなことをいう年齢になったのかなって思いました。
それで、『最上の船頭』をつくってくださったんです。
そこに、20周年だからと、水森先生がつくってくださって以前レコーディングはしていた『大丈夫』があったと思って。それを一緒にだしたらどうかってことになったんですよ」
と、先生とのエピソードをお話しくださいました。

きよしさんは、”ディズニーランド”を思い描いて今回のコンサートを構成してくださったそうですが、素晴らしい歌、そして夢のなかにいるようなステージ。
それに加えて、こんなにも熱い胸のうちをお話しくださって、胸がいっぱいです。

”きよしさん、20周年、おめでとうございます!”
と、この日、あらためて、こころの底から嬉しさと感動と、感謝の思いがわいてきました。


※以上、駆け足で、こころにのこったトーク中心に書いてみました。
メモも(自分の文字なのに判読できないものが多々あって(汗)、記憶を頼りに書きましたので、また思いだしたことなどありましたが、これからの記事のなかで書きますね。

そういえば、2月2日のコンサートに水森先生がお越しくださって、「大丈夫」について、”「大丈夫」を聴いたら「きよしのズンドコ節」が地味に感じたよ。「大丈夫」、いいね~”といってくださったこと、先日のコンサートでお話しくださっていましたね。

「大丈夫/最上の船頭」はリリースした途端に猛ダッシュで、素晴らしいですね。
最高のスタートをきることができました。
皆様、これからますます多くの方にとどけていきましょう!


「多くのファンの方が支えてくださり、ごく普通の青年を”氷川きよし”という大きな存在に育て上げていただきました」 そんなあなたの言葉に、わたし胸がいっぱいなんです。昨日は習志野文化ホールにいってきました

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「多くのファンの方に支えていただき、ごく普通の青年を”氷川きよし”という大きな存在に育て上げていただいたと思います」
きよしさんは、今日発売のデイリースポーツの「新・月刊氷川きよし」のなかでそんなふうに語っておられます。
この言葉は、つい先日も、ゲスト出演された地元のラジオ局の番組をきいていて耳にして...。
わたしは胸がいっぱになったのです。

そして、”氷川きよし”と、山田清志という方が、きっとそういう人なのだろうとずっと思ってはきましたが、ほんとうにそうなんだなあと思って、感動があふれてきたのでした。

今日の”氷川きよし”があるのは、まぎれもなく、きよしさん自身が血のにじむような努力をつづけて、天賦の才能を磨きあげてこられたからこそなのに、きよしさんは、やっぱり、自分が才能があったからとか、自分ががんばったからとは思わない(もちろん少しは思われてるでしょうけど・喜)のですね。
それどころか、20周年を迎えた今でも、
もし皆さんに、自分が才能があると思っていただけるとしたら、それは、自分の歌唱に涙をこぼして感動されてそのことに気づかせてくださった地元のお年寄りの方がいて、”歌手にならないか”とスカウトしてくださった水森先生のおかげ。
20年、ずっと第一線を走り続けてこられたのも、男性演歌歌手は”冬の時代”だったあのときに、デビューさせてくださった長良じゅん会長の恩に報いるため、自分のために動いてくださっているすべての方に結果をだすことで恩返しをしたいという一念から。
また、わたしがいうまでもありませんが、ご両親が見守りおうえんしてくださっていたから。
そして、どんなときも笑顔でいられたのは、笑顔で自分を迎えてくれるファンの方たちのおかげ。
きよしさんのそんな思いをあらためて感じて...。

思い返せば、どんなときも一生懸命で、そんなにまで全力投球されて大丈夫なのかしら? と感動しながらも申し訳ない思いにさえなって...。
これだけみつめさせていただいてきても、”このくらいでいいよね”というような”力加減”をされたことをみたことがありません。
ほんとうに一度たりとも。
それどころか、どうして、そんなにまでがんばれるのかしら?と、思わされたことばかりでした。
その誠実さと心優しさがすべてなのかなと、あらためてわたしは思うのです。

そして、そんなきよしさんの歌う歌だからこそ、聴く人のこころの奥底にとどくのでしょうね。
冒頭に引用させていただいたきよしさんの言葉は、2月1日&2日の中野サンプラザホールでの、”ファンの皆さんに歌手にしていただいた”という思いをさらに掘り下げてのものだと思うのですが、わたしには20周年を迎えて、きよしさんからいただいた歌の贈り物とともに、心に深く刻まれるもので、きよしさんからのこれ以上ない贈り物とうけとめて、耳奥にラジオで聴いたきよしさんの言葉をよみがえらせては、幸せな思いになるのです。


わたしは、今朝、朝イチでデイリースポーツを購入して、記事を何度も読み返して、昨日の習志野文化ホールでのまごころあふれる魂の歌声と、熱くこころのうちを語ってくださったトークを思いうかべたのです。


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※習志野文化ホールのロビーで。


きよしさんは、全身を音に委ねて、指先もつま先も、それこそ髪の1本1本はもちろんそのまつ毛さえもが、感動にうち震えているようにわたしには感じられて、
”今、歌うことが幸せです” 
”20周年を迎えられて嬉しい”
”ありがとう~”
そんなこころの声が、その歌声から聴こえてくるようでした。

きよしさんは歌が絶好調だと、トークもはずむのでしょうね。
「きよしの令和音頭」も、つくってくださるようで、そのお話もこそっとしてくださっていました(喜)。
そんな、素敵で楽しいトークをできる限りメモに書きとめたのですが、昨夜は帰宅してからも仕事が山積みで、今日もお昼前に出かけなければならず、記事に書きために十分な時間がとれなくて、ごめんなさい。

それで先に、「新・月刊氷川きよし」のことを書かせていただくことにしましたが、ここで語っておられることは、最近、わたしが深く感動したことですし、昨日、コンサートでお話しされたことと深く呼応するものですので、ぜひお読みいただけたらと思ってのことです。

ですので、習志野文化ホールでのコサートのご報告は、今夜、あらためて書かせてくださいませ。

きよしさんは、「新・月刊氷川きよし」で、
「これから新しい時代(令和)を迎えます。
自分もデビュー20周年で年齢も40代になりました。新時代では、皆さんに育て上げていただいた”氷川きよし”という存在をより大きくするためにも、さまざまな可能性に挑戦していきたいです」
と頼もしく語っておられます。
まだ今日、発売中なので、内容にふれるのはこのくらいにしておきますが、具体的にはどうしたいかも、語っておられます。

そのことは、次の記事で、きよしさんのコンサートでのトークと重ねあわせながら書かせていただけたらと。


※あわただしくて、ごめんなさい。
でも、風邪もやっと治って、元気に仕事しています!

「”あたしゃ、どうしたらいいんだよ”って、やけ酒のむこともありますよ~」 習志野文化ホールで心のうちをお話ししてくださったきよしさんでした。

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こんばんは。
あわただしくしていてごめんなさい。
先にいくつかおしらせしたいことがありますので、そのことを書いて、きよしさんのポスターの画像のあとから、4月9日の習志野文化ホールでのコンサートのこと、書いていこうと思います。

それにしても、今年のコンサートでは、オープニングの「冬のペガサス」から、もうその歌声に身も心も委ねて、ひたるような思いで聴き惚れるのです。
あの、のどの奥から、密やかに優しく、静かに揺らめきながら発せられるあまりに繊細で美しいビブラートに、清新な教会に身をおいて、讃美歌を聴いているような思いになって...。
ああ、今ここに天使が舞い降りてきても不思議ではないなあ、と思った瞬間、大きな翼を背に、マイクを持たない左手を美しくはためかせて歌唱するきよしさんこそが、わたしの大天使なのだと思わされるのです。

さて、昨日のニュースになりますが、NHKホールが改修工事をすることになり、来年2021年3月から翌2022年6月までの予定で休館することになったため、2021年の「NHK紅白歌合戦」は東京国際フォーラムで開催となえるそうですね。
となると、今のNHKホールでの「NHK紅白歌合戦」は今年末までということになり、いろいろなところで時代の節目というか、変化があるのだなあと思います。

きよしさんも、令和への改元を目前にして、新しい時代について、「新・月刊氷川きよし」(デイリースポーツ)で語っておられます。
「これから新しい時代を迎えます。
自分もデビュー20周年で、年齢も40代になりました。
新時代では、皆さんに育て上げていただいた氷川きよしという存在をより大きくするためにも、さまざまな可能性に挑戦していきたいですね。
具体的には、これまで一緒に積み上げてきたものを大切にしながら、シャンソンやジャズなど新しいジャンルの歌を歌いたいです。
さらにそのための衣装や演出などを考えてみたいです。聴くだけでなく同時に見ても楽しめる1つのショーとして、エンターティナーとして表現できるようなことも、より追求していきたいですね」
と。

ちなみに、すでに3号まで発刊されていますが、バックナンバーをお求めいただけますので、やっぱり欲しいと思われた方はこちらをチェックしてみてくださいませ~。

☆デイリースポーツさんHP


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この記事の冒頭に、「冬のペガサス」での感動を書かせていただきましたが、毎回、きよしさんの歌声が、自分の心とからだにしみこんでいくような、なにかあたたかいものに満たされていくような思いにさせていただくのです。
きよしさんののどのずっと奥底から、くゆらせるように発せられるあの密やかで優しいビブラートの響きは、勝手ながらわたしには、かつて Zepp Tokyoで聴かせていただいた「白雲の城」を思いだして...。
”氷川きよし”の歌はどこまで深まっていくのだろうかと、ゾクゾクするのです。

そして、最近のきよしさんの「恋人よ」に、惹きこまれています。
昨年の明治座さんでの座長公演のときから聴かせていただいていますが、今年になってますます”氷川きよし色”が深まっているように感じるのです。
わたしが書くのもおこがましいと思いつつも書かずにはいられない思いなのですが、五輪真弓さんの世界観を、氷川きよしにしかできない歌唱でみごとに表現されていて。
激しさと鋭さをましながら、どこかに静けさをたたえたきよしさんの歌唱は、こころに突き刺さってくるかのようで、聴いていて、ドキッとする瞬間があって...。

わたし、最高の20周年の歌の贈り物に幸せいっぱいにさせていただいています。

今年のコンサートのオープニングから怒涛のように7曲をご挨拶もトークもなしで披露される構成は、きよしさんの、歌ですべての思いを伝えたいという思いがあってのものだと思うのですが、歌が絶好調なときほど、そのあとのトークがはずみにはずむということに、習志野文化ホールでのコンサートで、今さらながら感じたのです。

「皆さん、春といえばなにを思いうかべますか?」
きよしさんは、昼の部のオープニングトークで、客席にそうおたずねになりました。
もちろん、わたしたちの答えは、桜、それも”櫻”でしたが、きよしさんは、
「そうですか~。僕は食べ物ですよね。タラの芽とか旬の野菜です。旬のものを身体が欲するんですよね」
とおっしゃっていました。

そこで、オリジナル曲を歌うコーナーになったのですが、
「ひとりで、二役、三役、四役と、いろいろな役になりきって歌わせていただいてきたと思います。
演じて歌ってはきましたが、でも、全部僕になるんですよね。
”たくさんのこれまで、どれも僕になるよ 今日までの全部連れて さあ行こう”(だったかと思います)
って。『碧し』の歌詩をそのままいわせていただきました(笑)」
と。


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そして、司会の西寄ひがしさんをまじえてのトークでは、
「ここまで一気に12曲を歌唱されて、お着換えもあって大変じゃないですか?」
との西寄さんの質問に、
「前半はバタバタしますね~。
一瞬でパンパン着替えて。
でも七色の自分を表現したいと思っているんですよ」
と、おっしゃると、左手をなびかせながら、
「ふあ~、ふあ~、ふあ~、ふあ~って感じで!」
とおっしゃったのです。

ここで、”きよしくん!”という声がおこると、
「41歳になって、”きよしくん”っていわれるのが、こころ痛くなってきますね」
と40代になっての葛藤を言葉にされました。
そういわれるのにふさわしい自分なのかという葛藤があるのでしょうね。

そして松尾芸能賞を受賞されたことを皆で祝福させていただくと、
「初座長公演のときは、立派な劇場で、自分になにができるんだろうって思って、逃げ出したい思いでした。
演技、それも時代劇なんてやったことありませんから。
自分なりに抱いていた路線とは違うような気がして、やらなくっちゃいけないんだろうかって思いました。
それで、カツラはかぶりたくないっていわせていただいて、そこはカツラなしで音次郎を演らせていただきましたけど。
”1日でチケットが売り切れたよ”って事務所の人にいわれても、正直、喜べなかったですよね。
はっきりいって、やめたいなって思っていました。
まあ、やめたい、やめたいって思いながら、たくさんのスタッフに支えられて、皆さんに背中をおしていただいて20年やってきたようなものかもしれませんね~。
今、たくさん、若手の男子がデビューしてがんばっているでしょう。
そろそろ自分はゆっくりさせていただいてもいいのかなって。
もう、はっきりいってくたびれましたっ!」
と本音炸裂(笑)。

そこまで本音をおっしゃったら、スッキリされたのでしょうね(笑)。
「はい。”氷川きよし業”を一生懸命やらせていただきたいと思います」
ですって!

そんなきよしさんに、
「とはいえ、5月の新歌舞伎座公演、7月の日本武道館、9月の大阪城ホールと、もう、予定がいっぱいですよっ!」
と西寄さんがおっしゃると、
「”そんと”ですね」
と。
一瞬、目が点になった客席に、
「”そうですね”、と”ほんとうですか”が一緒になって”そんとですね”になっちゃった(笑)」
と、おっしゃり、しばし、”そんとですね”を連発されたのです(笑)。

20周年についてあらためて西寄さんがうかがうと、
「20年、早いですね~。
”氷川きよし”にこの20年を捧げた感じがします。
歌は好きですが、やっぱり心休まることがないんですよ。
人にみられる仕事だとは思いますけど...。
突然、隣の人にパシャっと写真を撮られたり。
なにもいわれずにそんなことされたら、誰だっていやですよね。でも、こういう仕事しているからいい顔しなくちゃいけない。
だから、やけ酒飲んで、”あたしゃ、どうしたらいいんだよ”って(笑)」
と(汗)。

新時代の話題については、
「新しい時代には、皆さんの様々な個性が、花のように咲いていただきたいなって思います。
2000年にデビューしたとき、ボブカットで細身のスーツを着ましたけど、演歌歌手なんだからパンチパーマにしろっていう人もいて。
でも、自分らしくやりたいと思ったんです」
と、ここで、きよしさんはじめ皆の視線が西寄さんの髪に(汗)。
西寄さんは瞬時のその空気をキャッチされたようで、
「わたくしは天然ですよ!」
と(笑)。

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ラストトークでは、あらためて来場のお礼を言葉にされると、
「浮き沈みの激しい世界で、皆さんのおかげで20年歌わせていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
ようやくこの20周年で”氷川きよし”にしていただいたのかなって思います。
歌と出会って、歌で自分の存在や気持ちをわかってもらえるんだと思うようになりました。
プロ歌手になってからは皆さんのおかげですごく恵まれた環境にいさせていただいてきました。
これから、おこがましいのですが、社会に貢献できるような歌手になれたらと思っています」
とお話しされると、さらにこんなことを。
「今日は歌いながら、自分の思いを詩とメロディーにのせてつたえさせていただいて...。
皆さんと思いを確かめあうことができたかなって思います」

わたしは、きよしさんのその言葉にうっとりとしながら、”氷川きよし”のファンである幸せをかみしめたのです。


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夜の部は、さらに絶好調!
歌うほどに、その頬が紅潮し、瞳の輝きがまし、全身が歌そのものになり、しなやかに動く指先や、サラサラとながれる髪の毛先も音の波に揺れているように感じられたのです。

オープニングトークで20周年を迎えたお礼をおっしゃると、
「これまでいろいろな歌を歌ってきました。
歌手として、しゃれた言い方だと”アーティスト”ですかね。
けっして完璧ではなかったですが、いろいろなキャラクターを表現してがんばって歌ってきました。
でも20年経って、まだ未完成です。
ファンの皆さんが熱く応援してくださって、それにお応えしたいという思いだけでした。
愛する女性を探し求めて、出逢えないというストーリーが多いんです。主人公はいもしない女性を探すんですよ。
一途な思いで。
交通費もかかって大変ですよね。えっ、氷川きよしはそんなことはしませんよ(笑)。お金は貯めておきます。人生、なにがあるかわかりませんからね(笑)。
追い求めて、会えないところにロマンがあるんだと思います。
これから歌う『さすらい慕情』では、地の果てまでいくと歌っていますけど、地の果てって、地獄ですかね~。
『しぐれの港」では、わざわざ雨の日に港にいってね。クリーニング代もかかるし、なにも雨の日にいかなくってもと思いますけど、でも、だからロマンがあるんですね~。

と、これから歌う歌の”裏読み”を思いっきりしてくださったので、場内大爆笑です。
でもひとたび歌唱となると、一転してドラマティックな世界が繰り広げられ、さまざまざな主人公たちがステージに立ち現れ、忘我の時間となりました(喜)。

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3月12日にリリースされたダブルA面の「最上の船頭」を歌われると、
「この20年のなかで、もう、いいかなと思ったことも正直ありました。
でも、皆さんに背中を押していただいて、今日まで歌ってくことができました」

きよしさんは、そこまでおっしゃると、そんな感謝の思いを歌手としてこれからどうお返しできるだろうかと考えておられるのですね。
「やっぱりたいせつなものは、平和だと思います。
歌でそういうことも伝えていきたいですよね。
あまり、社会的なことはいわないほうがいいっていわれてきたっていうか、いうなっていわれてきましたけど。
でも、40代になって思ったことを、押しつけるのではないんですけど、言葉にして、確信をもっていえる大人になりたいと思うようになりました」

そんなふうにお話しされたきよしさんに、西寄さんが新元号の”令和”についてうかがうと、
「響きがきれいで、すごくいいなって思いました。
新しい時代は、多様性と寛容性をもった時代になってほしいですね。
これまで、なんで演歌を歌っているんだろうって思った時期もありましたが、最初はこの歌を歌うようにといわれたら、大人のいうことはちゃんときかなくちゃという思いでした。
小学校のときは自分が41歳まで生きられると思っていませんでしたよね」
と、おっしゃると、自分自身が何のために生まれてきたのだろう? と考えてみて、価値のない人間のように思えて、生まれてこなかったほうがよかったんじゃないだろうか? と葛藤していたことをお話しされたのです。
早熟な子ども?
いえ、子どもは言葉にできないだけど、そんなふうにいろいろなことを考えているものなのだと思います。
だから、”死にたい”と思ったり、みずから命を絶つ子どもたちの思いが痛いほどわかるのだときよしさんはおっしゃると、
「子どもたちに、命の尊さや”大丈夫なんだよ”という思いをつたえていきたいです。
なんで苦しい思いや悲しい思いをしてまで歌っているんだろうと思った時期もあって、お金なんかじゃなくて、気持ちが欲しいなって思うようになりました。
先日、母から電話がかかってきて、”今なにしてる?”っていわれて、”家にいる”っていったら、”20年がんばったんだから、ゆっくりしたらいいよ”っていわれて。
ああ、ファンの方のなかにもそう思ってくださっている方がおられるんんだろうなって思いました。
そんな母に、”娘がおったらよかった”っていわれて。”今頃、なんで?”って。
”(ここだけ女言葉で・笑)今さら娘になれないわよっ!”っていいましたけどね(笑)」
と、楽しそうに話しておられました。
そんなふうに思ったことをなんでもお話しできる素敵な関係が築かれているのでしょうね。

ラストトークでは、来場のお礼をおっしゃると、
「コンサートにお越しくださるということは、皆さんの時間をいただくことですから、それは命をお預かりしているに等しいことだと思っています。
皆さんが自分の歌を聴いてくださって、笑顔になってくださって、明日、少しでも元気にすごしていただたら、歌手冥利に尽きます。
帰り道に僕のことを思ってくださったら嬉しいですし、よかったらそのあとは夢でゆっくり逢いましょう。
コンサートは時間が限られますけど、夢でなら何時間でも逢えますからね(喜)」
と、幸せそうにおっしゃると、

「これからもいろいろな歌をおとどけしたいです。
今、”令和”の歌もお願いしてつくっていただいているんですよ~。『きよしの令和音頭』とかいいなって思っています。
自分は、皆さんが喜んでくださるなら、何にでもなるという思いでやってきました。
犬にでもなる。
猫にでもなる。
鳥にでもなる・
そういう思いで歌ってきました。
これから、皆さんにどんな氷川きよしをおみせしていこうかと、思っています」
と頼もしい言葉で結ばれました。


きよしさん、そんなあなただから、”氷川きよし”が、今、太陽よりもいっそう眩しく輝いて、夢をさししめす道しるべとなり、多くの方に勇気と希望をあたえることができるのでしょう。
今や日本のみならず今や世界中の人に愛されている”氷川きよし”は、これからますます多くの人を励まし、夢をあたえ、未来永劫愛されていくことでしょう。
おこがましくも、わたしそう確信したのです。


「えっ、あたす?」って、きよしさんの番でしょ! 20回を迎えた「夜桜演歌まつり」は楽しい歌の宴になりました。

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「えっ、あたす?」
きよしさんはご自身をゆびさされ、曲振りをされようとした司会の西寄ひがしさんのお顔をみてたしかめられました。
って、もう~、あなたが歌う番にきまってるでしょっ!
「第20回 長良グループ 夜桜演歌まつり」での終盤、”新曲”披露コーナー”でのこと。
下手の西寄さん側から、きよしさん、山川豊さん、田川寿美さん、水森かおりさんの順番でおたちになり、それぞれの近況報告をされながら、楽しい会話がもりあがったあとでした。
お茶目すぎるきよしさんに、場内大爆笑になったのです。
でもいざきよしさんが「大丈夫」を歌唱されると、客席は大コーフン! 熱くもりあがりました。

先に、おしらせですが、このコンサートは5月1日に歌謡ポップスチャンネルさんで放送されるそうです。
詳しくはこちらで確認してみてくださいね。

☆歌謡ポップスチャンネルHP



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※あら? ウルトラマンのプレートが!


こんばんは。
杉並公会堂で開催された「長良グループ 夜桜演歌まつり」の夜の部にいってまいりました。
2000年3月24日に赤羽会館(北区)で開催され、昨日2019年4月11日日の杉並公会堂で20回。
いよいよ足立区、世田谷区、豊島区の3区をのこすのみとなりました。

日本人の心の歌である演歌を、23区の津々浦々に届け、開催する区のお役にたちたいと、入場料や、出演者のかたが私物やノベルティーグッズを提供してのチャリティーオークション(オークションのほうは現在はおこなっていません)での収益金を開催区に寄付されてきました。

きよしさんは、デビューした翌月の2000年3月24日に赤羽会館(北区)で開催された第1回から出演されてきたので、まさに”氷川きよし”の歩みとかさなるイベントにも思えます。
プロデュースされた長良じゅん会長は、゛氷川きよし゛に、演歌歌謡曲の未来を託し、その将来を担う歌手に育ってほしいという思いが強くあり、このイベントを企画されたのではないかと、そんな気がするのです。


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※左下のピグモンが映っていなくてごめんなさい。
寒風が激しくて、数枚写メして建物に駆け込んでしまいました(汗)。
興味のある方はこちらでご覧くださいませ~。


オープニング前のこと。立ち位置を確認されていたのか、緞帳に、出演者の皆さんらしきシルエットが映っていたのです。
うしろの方が、”あれ、きよしくんじゃない?”なんておっしゃったので、わくわくドキドキ。
そのまま客席の照明がきえて、緞帳が開くのかと思っていたら、シルエットは散り散りになったので、そのシルエットが出演者の皆さんだっかどうか真偽のほどは定かではありませんが、それでも、こころ躍ったことはいうまでもありません(喜)。

そこで、いよいよ客席の照明がきえて...。
タイトルコールとともに、緞帳が開くと、出演者の皆さんが勢ぞろい。
「東京ブギウギ」を全員で歌っての幕開けとなり、華やかな宴のはじまりとなったのです。
きよしさんは、昨年の大みそかに生放送された「 もうすぐ本番! 平成最後の紅白歌合戦」でお召しになっていた、”ひとり紅白歌合戦”のような赤と白のツートンカラーのスーツ姿でした。

上手から、
岩佐美咲さん、椎名佐千子さん、水森かおりさん、田川寿美さん、藤野とし恵さん、山川豊さん、氷川きよしさん、はやぶさのおふたり(ヒカルさん、ヤマトさん)、辰巳ゆうとさん。
そのさらに下手に司会の西寄さんがたっておられました。
この日のゲストは、グッチ裕三さんと山本リンダさんで、おふたりとも3年ぶりのゲスト出演ということでした。

下手の辰巳さんから、西寄さんが紹介されると紹介された歌手の方がその場でトークされ、皆さんもそこに加わるという和気あいあいとした展開となったのですが、リラックスしすぎて、迷走しきり(笑)。
耐えかねて、山川さんが、
「どうしたんだよ、夜はみんな、おかしいよ」
と(笑)。

そんな山川さんは、黙って楽屋ですわったおられると、用心棒のような強面にみえるのだと裕三さんがギャグにしておっしゃっていましたが、スキのない身のこなしといい、想像つきますよね。
でも、リンダさんと出演者の皆さんが町内会の盆踊り大会よろしくバックダンサーをつとめられたコーナーでの、はじけた山川さんの様子に、
「山川さんて、気さくな方なんですねっ!」
リンダさんは嬉しそうにそうおっしゃっていました。
というわけでふだんはダンディな山川さんもおおいに楽しまれていたのです。

話題が前後しますが、きよしさんは、このコーナーで、辰巳さんが昨年の日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞されたことを西寄さんがあらためて紹介されると、きよしさんもトークに参入。
辰巳さんが受賞された瞬間、ご自身もレコード大賞候補として出演されていたので、楽屋のモニターでその瞬間をご覧になり、嬉しさに号泣されたことをお話しされました。
楽屋にもどってきた辰巳さんを号泣しながら抱きしめて、辰巳さんも号泣していたそうです。
「ゆうとくんは13歳のときに事務所のオーディションにあれしてね、かおりさんとゲストででていたんだけど、あのこ絶対いいねってふたりでいっていて。
長良会長に、”あのこいいですね”っていったら、”そうだろ~。おまえ、見る目、あるな”っていわれましたもん」
と。
辰巳さんは4月から「26時の歌謡曲主義」の水曜日のパーソナリティーをつとめられていますが、4月10日のゲストはきよしさんでした(嬉)。
その話題は後半のコーナーでお話しされていたのでそちらに書きますね。

つづいて、はやぶさが紹介されて、びっくりするほどに大声援がおこると、
「すごい声援! 声援くださると嬉しいですよね~。”声援”!”千円”じゃないですよ(笑)」
ときよしさん。
狙ってますね、きよしさん。よしっ、座布団1枚(笑)。
だって、皆さん爆笑されてましたから~。

そしてご自身の番になり、西寄さんがデビュー20周年を祝してくださると、ていねいに20周年のお礼をおっしゃいました。
そして、
「デビューしたときから(今日まで)20回出させていただいています。
このコンサートは山川さんのデビュー曲の『夜桜』があったからはじまったものなんですよね」
といいかけたところで、水森さんはじめ先輩方から、”デビュー曲は「函館本線」でしょ!”っとものいいがあって、
きよしさんはといえば、”あれ? わかっているのに、なんでそんなふうにいっちゃったんだろ?”という様子だったので(笑)、わたしは笑いがとまらなくなってしまったのです(笑)。
きよしさんは、
「デビュー曲の『函館本線』があったから、それで『夜桜』という曲ができて、それでこのコンサートもはじまったんですね~」
と、笑いをかみころしておっしゃいました(笑)。

きよしさんが、20年歌ってきて、
「くたびれました~」
とおっしゃると、お隣の山川さんと藤野さんが厳しいお顔になられて、”そんなこというのはまだまだ早いっ”と一喝されてしまいました(笑)。
それはそうですよね。だっておふたりはそれぞれ、山川さんがデビュー38周年、藤野さんがデビュー55周年なんですもの。

でも、きよしさん、やっと、”くたびれた”とか”疲れた”って口にだしてくださるようになったのですね。
きよしさんだって生身の人間ですものね。
それなのにこれまでずっと、いつでもスーパーマンであるかのようにふるまってくださるきよしさんに、こころが痛むこともありましたから。
きよしさんが、”くたびれました”とおっしゃるたびに、自然体な様子になんだかホッとして幸せな思いになるのです。

ここで”代表作コーナー”となりました。
辰巳さんが、「下町純情」
水森さんが、「鳥取砂丘」
山川さんが、「アメリカ橋」
藤野さんが、「重友一代」
きよしさんが、「きよしのズンドコ節」
岩佐さんが、「無人駅」
椎名さんが、「ソーラン鴎唄」
田川さんが、「花になれ」
を歌唱され、
コーナーのラストは、
はやぶささんの「蜘蛛男のダンス」
でした。


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※ロビーには、この10倍ほどのお花が飾られていました。
5月にきよしさんがお世話になる新歌舞伎座をクローズアップ!

つづいてゲストコーナーになり、
グッチ裕三さんが登場され、西寄さんとトーク合戦をされてもりあげてくださいました。
グッチさんは学生のアマチュアバンドからそのままプロになって今年40周年を迎えられたそうです。
この日歌ってくださったのは、
「君の瞳に恋してる」
「最後のプロポーズ」
でした。
グッチさんが歌い終えると、出演者が勢ぞろいされ、グッチさんに感謝の拍手を贈られたのです。
このときうかがったことですが、グッチさんがボクシングの練習にふさわしい曲(ジェイムス・ブラウンの曲など)をセレクトしたCDを山川さんにプレゼントされたそうですが、ボクシングの練習をするときに、音楽はとてもだいじなもので、そのお礼をおっしゃいました。
そして、山川さんが所属されているボクシングジムの選手の方もそのCDを聴きながら練習に励まれ、たくさんのチャンピオンが育っていることを報告され、グッチさんも驚かれていたのです。

グッチさんをお見送りされると、出演者の皆さんはそのままステージにのこって、つづいてのゲストのリンダさんをお迎えしました。
と、ここで、この日ならではのスペシャル企画として、リンダさんにレクチャーしていただき、出演者の皆さんとわたしたち観客も一緒に「狙いうち」の振りにチャレンジすることになったのです。
レクチャーでノリノリだったのはなんと山川さんでした(嬉)。
リンダさんのレクチャーが具体的でとてもわかりやすいので、わたしたちもノリノリ気分になったのですが、そこでスタート!
いざ始まったら、リンダさんの後方誰よりもノリノリだった方は?
そう~、われらが氷川きよしさんだったのです(嬉)。
ステップも軽やかに、腰もキマッて、もうっ、最高!
ノリノリすぎて、2コーラス目まではその場でステップを踏まれていたかと思うのですが、3コーラス目ではリンダさんにあわせてきよしさんが思わず下手側に勢いよく動いてしまったので、ヒカルさんとこっつんこ!
あわてて、そのお隣のヤマトさん、辰巳さんが、きよしさんにあわせて左右に動こうとされたので、もうダマダマになってしまいました~(笑)。
その様子を、西寄さんが、
「うしろの”町内会の皆さん”、すごいことになっていましたね~」
と(笑)。
すっかりもりあがったところで町内会の皆さん、いえ、出演者の皆さんが退出されると、リンダさんは、
「狂わせたいの」、「燃えつきそう」、「どうにもとまらない」
をメドレーで歌ってくださいました。

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※ホールの廊下にこんな素敵なオブジェがありました。


後半は最新曲を披露するコーナーで2組にわかれての進行となりました。
最初のグループは、下手から辰巳さん、はやぶささん、岩佐さん、椎名さん、藤野さんがステージに登場されて、それぞれの活動をお話しされました。
ステージ後方のスクリーンがおりてきて、皆さんのPVを上映しながらの歌唱でした。
辰巳さんが、「おとこの純情」
はやぶささんが、「恋の隅田川」
岩佐さんが、「恋の終わり三軒茶屋」
椎名さんが、「漁火街道」
藤野さんが、「水無し川」
を歌われました。

ここで、辰巳さんがこの4月からパーソナリティー(水曜日担当)をつとめらている「26時の歌謡曲主義」(東海ラジオ 4月10日放送)にきよしさんがゲスト出演してくださった話題をされていました。
この日も、きよしさんを彷彿させる辰巳さんのトークに、西寄さんが、
「氷川きよしさんに話し方も似てきましたね~。
やっぱり、憧れているから?
とおたずねになると、
「はい。それに映像もみて勉強させていただいていますから」
とのお答え。
わたし、話し方というよい、そういう大真面目なところこそが似ているなあと思って、愉快な気持ちになったのです。
そして、もうひとつのレギュラー番組の話題になると、
「毎週木曜日、時間は夕方5時15分から、あっ、終わっちゃった(汗)」
とこの日が木曜日だったので、あわてて思いっきり素でおっしゃったので、西寄さんが爆笑しながら、
「”来週、聴いてくださいね”っていえばいいのに。ほとんど素でしたよ」
とおっしゃいました。
ね、そんなところも似てますでしょ?

さらに、
「おふたりで会話が成立したんですか?」
との西寄さんの斜に構えたはずの質問にも、
「あのう、ギリギリ」
と即答されると、
「ラジオって密室じゃないですか。
そこで、目の前に憧れの氷川先輩がいらっしゃるので、もう頭が真っ白になりそうでした」
と大真面目に(嬉)。
もう、きよしさんと重なってしまいます。
そんなところ、似てますね~。

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※そのときのツーショット!

後半のグループは、
下手から、きよしさん、田川さん、山川さん、水森さんの順番でステージに並ばれました。きよしさんは「大丈夫」のコスチュームの縞模様のお着物にお召し替えされていました。

きよしさんが紹介されると、男性の太いお声で”きよしく~ん!”と声がかかりました。
すると、
「うわっ、目が覚めたっ!」
とおっしゃったので、西寄さんに、
「今まで寝てたんですか?」
とツッコまれてしまいました(笑)。
5月の新歌舞伎座さんでの座長公演の話題になると、新人時代に山川さんと田川さんが出演されていた新宿コマ劇場の舞台にたたせていただいたことをお話しされたのです。
そして、7月11&12日の日本武道館、9月6日のバースデーに大阪城ホールでのコンサートを開催される旨のおしらせを西寄さんがされると、
「広いホールでしかできない豪華な仕掛けを考えています。
あれして、これして、これをあれして、ねっ」
と。
また大きなホールで公演されることへのプレッシャーには、
「今のこの一瞬がたいせつなんですよね。
だから、そういう感謝の気持ちをもって、大阪城ホールでのコンサートも、楽しんでやらせていただけたらと思っています」

と、ここで皆さんに、”ところで何歳に?”と問われて、
「12歳!」
と即答されたきよしさん、大ブーイングがおこったことはいうまでもありません(笑)。

水森さんの新曲の「高遠さくら路」にちなんで、桜の三大名所は? という話題になると、きよしさんが、自信満々で挙手されて、
「偕楽園!」
とおっしゃると、
「それは庭園ですよ」
と、西寄さんは優しくフォローされたのですが、客席も先輩方も大ブーイング(笑)。
きよしさんはすっかりいじけて、
「だって、わかんないもん! しらないもん!」
と(笑)。
もう~、先輩方とご一緒のときはいつまでも甘えん坊のきよしさんですねっ!
たしかに、きよしさんとしては、もりあげようとしてがんばってくださったのですものね。

このタイミングで水森さんが美しいドレスのおしりを気にされていたと思ったら、
「あっ、安全ピンがついてる」
とおっしゃって、その安全ピンをはずして、右手に。
そんな水森さんに、
「はずしてしまって大丈夫なんですか?  どこかがはずれたりしませんか? それだったらスタッフの方、ピンをうけとるトレーをください」
と西寄さんがおっしゃったかと思います。

そうしたら水森さんが、
「パンツ一丁になっちゃったらどうしよう?」
とおっしゃったものですから、山川さんが、
「そんなこといわないの!」
と一喝(笑)。

そして、田川さんがトークされているときに、きよしさんが横でなにやらこそこそされていたのでしょうか。
わたしにははっきりわからず、もしかしたらまだ行動には移していらっしゃらなかったのかもしれませんが、田川さんは、きよしさんのなにかを仕掛けてきそうな空気を察知されたのでしょう。
「なに、やってんだよ!」
ときよしさんを厳しい目でみつめておっしゃいました(笑)。

きよしさんは、しゅんとして、
「うわっ、お姉ちゃんに怒られた~」
と(笑)。
そこで山川さんが自戒もこめて、
「どうなちゃってるの、この4人は」
とおっしゃったので、大爆笑となりました。

ここで、いよいよ皆さんの歌唱へということで、
「まずは氷川きよしさんです」
と、西寄さんが紹介されると、
「あたす?」
とご自身を指さされたのでした。

きよしさんが、「大丈夫」
水森さんが、「高遠さくら路」
田川さんが、「恋はひといろ」
山川さんが、「今日という日に感謝して」
を歌唱されると、ゲストのおふたりも一緒にこの日の出演者の皆さんが勢ぞろいされ、
「夜桜」
を熱唱されました。

”来年もまた桜の季節にお会いしましょう!”
平成最後の素晴らしい歌の宴は、笑顔満開で幕をおろしたのです。


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この機会に、これまでの開催区をふりかえってみましょう。
第1回 赤羽会館(北区)
第 2回 浅草公会堂(台東区)
第 3回 日本青年館(新宿区)
第 4回 日比谷公会堂(千代田区)
第 5回 ティアラ江東(江東区)
第 6回 渋谷公会堂(渋谷区)
第 7回 中野サンプラザ(中野区)
第 8回 メルパルクホール(港区)
第 9回 文京シビック(文京区)
第10回 五反田ゆうぽうと(品川区)
第11回 江戸川区総合文化センター(江戸川区)
第12回 練馬文化センター(練馬区)
第13回 大田区民ホール アプリコ(大田区)
第14回 すみだトリフォニーホール(墨田区)
第15回 明治座(中央区)
第16回 めぐろパーシモンホール(目黒区)
第17回 かつしかシンフォニーヒルズ(葛飾区) 
第18回  サンパール荒川(荒川区)
第19回  板橋文化会館(板橋区)
第20回  杉並公会堂(杉並区)

※第4回までは夜のみの開催で座席も自由席でしたが、第5回から昼夜2回公演で座席指定という現在のスタイルになりました。

残すところ、50音順で、足立区、世田谷区、豊島区の3区。
来年はどの区で開催されるのでしょう?

10連休の影響がこんなところに...。

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おはようございます。
沖縄行きが近づいてきて、この機会に春・夏物の入れ替えをしながらゆっくり旅支度をと心づもりしていたら、ここにきて、仕事がたてこんできて...。
でも、お仕事の打診をいただいたときには、どの編集の方もとくに急ぎともおっしゃらなかったので、文字数も締切もうかがわずに、二つ返事でありがたくお仕事をお受けしていたのです。
でも、取材やうちあわせが終わって、”ところで締切は?” とうかがったら、どなたも、”10連休があるので、できれば前倒しで〇日にはいただきたいのですが”と...。
そうなのです。
10連休=10日! ということはすべての締切が10日も早まることになるのでした(汗)。
これほもう誰もが未経験ということもありますが、”GW進行”や”年末進行”の比ではありませんね~。
こうなったら、がんばるのみです!

わたし、昨日は午後からずっと六本木で仕事をしていました。
お昼すぎから、とある番組の収録を見学させていただいて、その内容もふくめての記事を書かせていただくというもの。
5時間くらいの長丁場でしたが、映画畑出身のわたしは、撮影現場が大好きなので、わくわくしながら見学させていただいたのです。

すべてが終了してカメラマンさんの撮影の片付けをお手伝いしながら、担当の編集さんに締切をうかがうと、週明けくらいにと(汗)。
そして、その足で、近くの喫茶店で待っていてくださった別の雑誌の編集さんとうちあわせをしたのですが、その原稿も同様でした(汗・汗!)。
もう、ひたすらがんばります!


だって、わたし、沖縄にも水戸にも大宮にもうかがう予定なんですもの!
今回の「沖縄演歌まつり」には、予定があわずツアーには参加できないのですが、沖縄コンベンションホールでのコンサートを昼夜観覧させていただきます。

思えば、前回の「沖縄演歌まつり」にはお友だちのOさんとツアーに参加させていただいて(コンサートは夜の部に参加)、とてもとても楽しかったのです。
今回はOさんはお仕事の予定が重なって、わたしもスケジュールの都合であきらめようとしたのです。
でも、コンサートが開催された沖縄コンベンションホールの空間がとても素晴らしくて、客席で踊りだされた沖縄の皆さんとのあの時間をもう一度味わいたくて...。
なんとかコンサートだけでも行かれないかしら? と考えていたら、Sさん、Hさんが、”わたしたちもその予定なら参加できる”と加わってくださり、国際通り近くのホテルに泊まって、コンサートは昼夜さんかさせていただいて。
翌日は前回いかれなかったところを観光してまいります(喜)。


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※昨年の明治座さんでの公演のDVDとフォトブック


数日前に、昨年の明治座さんでの座長公演のDVDとフォトブックがとどきました。
DVDをみるのは10連休のときになりそうですが、フォトブックやDVDのパッケージ、付属のミニフォトブックをながめているだけで、あのときの感動がよみがえってきます。

先日のコンサートで、きよしさんが、初めて座長公演をすることになったとき、”なにか自分が考えている路線とちがうような気がして、葛藤があった”とおっしゃっていましたが、その言葉からわたしにも思いだされたことがありました。
そう、中日劇場での座長公演決定のことをFCのおしらせを目にして初めてしったとき、わたしはファンの側からではありますが、”なんできよしさんが座長公演をやらなくちゃならないのの?”と思ったのです。
母に、”今度、座長公演やるんだって。演歌歌手ってそういうのやらないとだめなものなの? それも時代劇なんて”といった覚えがあります(笑)。
申し込みも気が進まなくて、それでもどんなものになるのか気になって、当選する可能性が少ない千秋楽に申し込んで、当選したら行こうというような後ろ向きなわたしでした。
なので、時を経て、当のきよしさんと、ファンであるわたしが、それぞれの立場で同じことを考えていたんだなあと感慨深い思いになったのです。

そんな後ろ向きなわたしでしたが、信じられないことに千秋楽に当選でき、恐る恐る、どんなものなのか、中日劇場に足をはこんだのでした。
そこで、わたしは”氷川きよし”の命を燃やすような真剣勝負の舞台を観て、すっかり魅了されてしまい、こんなことなら、もう何回か観たかったと、こころの底から思ったのです。
それほどの感動がありました。
そのことを思うと、先日、きよしさんが、「第40回 松尾芸能賞」を受賞されましたが、その選考理由に幅広い世代の観客を劇場に動員された功績もあったとうかがい、なるほどと感嘆しました。
ほんとうに、わたしもきよしさんと出逢わせていただかなければ、お芝居と歌謡ショーの2本立ての座長公演には一生ご縁がなかっただろうと、今でも思うのです。


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※オープニングの「愛の翼」の感動が扇子を開くとたちのぼるように思いだされます。


来月は大阪・新歌舞伎座さんでの公演がありますね。
歌謡ショーは装い新たに、セットリストも衣裳も新歌舞伎座さんならではのものにしてくださることを想像して、わくわくドキドキ!
そちらの公演には、ラスト4公演から参加させていただけそうです。


ここで、こっそり、フォトブックでわたしがこころ躍ったページをアップしちゃいます(喜)。

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伏し目がちのきよしさん。
最高に素敵ですね。

わたし、今日もますますきよしさんのことが大好きです。

今日もこれから六本木へ。
香取慎吾さんが主演の新作を観させていただいてきます。
最近、お世話になっている映画会社が六本木に移転されたりして。
六本木に行く機会が増えたのですが、その度に、2年前に六本木駅で動けなくなって休ませていただいて、救急車を呼んでいただいたあのときのことを思いだします。
今も完全には復調していませんが、それでも痛みを味わうことなく、日常の生活を支障なく送ることができることに、ありがたさがこみあげてきます。

帰宅したら、まずは沖縄めざして、旅支度とお仕事、がんばります!

ブログでのコンサートのご報告も、お仕事がんばりつつ、できる限りホットなものをアップできたらと思っています。


めんそ~れ! 沖縄に来ています(喜)

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めんそ~れ!
沖縄にやってきました~。

今、沖縄コンベンションホール前で開場を待っています(喜)。

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今日の沖縄は雨ですが、沖縄国際映画祭も開催中で、熱く盛りあがっています。

こちらは国際通りのCDショップです。
きよしさんの新曲「大丈夫/最上の船頭」のポスターが!

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楽しんできます!

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こちらはコンベンションセンターの建物です。
ホールの画像は、またあらためてアップしますね。

゛♪こころの中に 花を咲かそうよ゛ハイビスカスの花のように、きよしさんは沖縄で歌ってくださいました。 長良グループ・演歌まつりin 沖縄では、笑顔の花が満開です!

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沖縄コンベンションセンター 劇場棟で開催された、「長良グループ・演歌まつりin 沖縄」に昼夜、参加させていただきました。

オープニングでは、「ハイサイおじさん」を出演者全員で歌唱!
きよしさんは、昨年の「年忘れにっぽんの歌」で初お目見えとなった鮮やかなピンク色のスーツをお召しになっていて、司会の西寄ひがしさんに、゛お花のようですね゛と、おほめいただくと、嬉しそうに、
「ハイビスカスですかね~」
とおっしゃって。
その笑顔は、今日、目にしたどんなハイビスカスよりも美しかったのです。
シャツは黒で、スーツのからだの中心に黒色をサーッと刷いたようなあの素敵なスーツと申しあげればおわかりいただけるでしょうか?
この日は、゛新曲披露コーナー゛で、「大丈夫」を、この曲のコスチュームのストライプの着流し姿で歌ってくださいましたが、わたし、今になって思ったことがありました。
あの着流しは、「きよしのズンドコ節」の衣裳をモチーフにされているのですね(喜)。
すでにそう思われた方もいらっしゃるかと思いますが、わたしは今日、ステージで歌唱されているきよしさんを見つめていて、ああ、きっとそうなんだと合点して...。
そう思ってみれば、きよしさんご自身が、゛ズンドコ節の再来゛、゛第2のズンドコ節゛と、新曲発売前後のコンサートでお話しされていましたものね。
この日は、夜の部で゛大丈夫゛は゛やだねったら やだね゛の反対語と説明してくださっていましたが、デビュー曲の「箱根八里の半次郎」とも、呼応するものをみいだされていらっしゃることもしりました。
きよしさんは「大丈夫」で、未来へつながるメッセージを歌唱されながら、そこに20年の集大成となる様々な思いを細部にまで、織りこまれているのでしょう。
そして、沖縄はきよしさんがファーストコンサートツアーの初日を開催された地(2002年2月28日・会場は那覇市民会館大ホール。きよしさんは24歳でした)。
この日は、何度も゛沖縄は自分の原点です゛とおっしゃっていました。
そんなこんなを思いながら、「大丈夫」を聴かせていただくと、感慨が押し寄せてきて。
ああ、20周年なのだと、胸がいっぱいになったのです。


コンサートが終わってホテルに一度戻って、お友だちのHさんと夜の国際通りを1時間ほど歩いて、お茶して。今、ホテルに帰ってきてひと休みしています。

旅先でスマホからなので、素晴らしかったコンサートのことは帰宅してからまたあらためて書きますね。
仕事が山積みなのですが、この感動を書かずには、そして、皆様にお伝えせずには、仕事も手につきませんので~(笑)。

山川豊さんに、20周年のお祝いの花束をいただいて、感無量のきよしさん。
山川さんのまごころのお言葉を、わたし、書きとめました(嬉)。
仕事の上での後輩というより、じつの弟のように思ってきてくださったそうです。
山川さんは、
「20周年、おめでとう。ほんとうによくがんばった! 20代のまだまだ遊びたいさかりに、仕事して、家に帰ったら寝るだけでまたすぐ仕事。ファンの皆さんに喜んでもらいたいといえ思いで、がんばったと思います」
とおっしゃいました。

皆様にもう少し待ってて詳しくお伝えできたらと思っています。

そして、山川さんはこの日、司会の西寄ひがしさんさえ、初めておききになったというエピソードをお話しくださっていました。

この日、゛沖縄の名曲メドレー゛のコーナーで、全員で「花~すべての人のこころに花を~」を歌唱されたのですが、きよしさんは、゛♪それが自然の歌なのさ こころのなかに こころのなかに 花を咲かそうよ゛をソロで歌われ、そのフレーズがとりわけわたしのこころにしみいったのです。

また、昼の部では、きよしさんが突然ステージから降りてこられた夢のようなサプライズもあって!
今もそのときのことを思いかえすと、感動で手がふるえる、わたしです(喜)。

と、書き出すと感動があれだしてきて、とまりませんね...。

文末に珍しいツーショット(?)を!

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きよしさんのツアートラックと水森かおりさんのツアートラックが並んでいました~(喜)。

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こちらはきよしさんのツアートラック!
この日は゛ラウンドコーナー゛で、写メOKでしたので、熱く熱く盛りあがりました。
そして、わたしはかなりがんばってシャッターもきりました(喜)。

そういえば、昼の部で、きよしさんは前夜、国際通りを歩かれていて、国際通りのCDショップが、きよしさんの新曲「大丈夫」と「最上の船頭」のポスターを貼ってくださっているのをご覧になられたことをお話しされていました~(嬉)。

それってこれですかね?

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それでは、今夜はこのへんで。
おやすみなさい。

2年ぶりの「長良グループ演歌まつり in 沖縄」は地元のお客様も多数来場されて、もう激熱(ゲキアツ)でした~。

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皆様、こんばんは。
沖縄から昨夜10時半頃に帰宅しました。
濃密な時間をすごさせていただいたおかげで、この数日間が1週間にも感じられて...。
帰宅して、荷物を片付けながらぼうっとしていたら、コンサートのなかでも歌唱された、「安里屋ユンタ」が耳奥によみがえってきたのです。
「♪サー 沖縄よいとこ一度はおいで 春夏秋冬 花見て暮らす  マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」
”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ”は八重山方言の古語で、”また逢いましょう、美しき人よ”という意味だそうですが、ほんとうに、第一にはきよしさんですが、出演者の皆さん、一緒に旅したお友達、行く先々で出逢った方たち、訪れた地...。
すべてに、”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ”と言わせていただきたい思いになるのです。


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沖縄コンベンションホールで4月20日に開催された「長良グループ 演歌まつり in 沖縄」に昼夜参加させていただいて、国際通り近くのホテルに泊まって、いってみたかった琉球王国最高の聖地である斎場御嶽(せいふぁうたき)に。
今回はコンサートのみに参加して、フリー旅でしたので、那覇空港を夕方発つゆっくりめの便をとっていたので、首里城、平和記念公園、ひめゆりの塔にもいくことができたのです。
帰りの保安検査場では、はやぶさのひかるさんとヤマトさんが少し前に並んでおられて、目が合うと、会釈してくださいました。
おふたりはファンの方とのツアー企画があったのでそのくらいのお帰りだったのだと思いますが、きよしさんはもっと早くにお発ちになったのでしょうね。


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では、以下は、コンサートのことを。
オープニングは「ハイサイおじさん」を全員で、客席からゆび笛が鳴って、沖縄の方たちは、カチャーシーというのでしょうか、独特の手振りでその場で踊っておられたので、わたしも見よう見まねで手をうごかして、かけ声をいれさせていただいて、楽しいオープニングでした。
上手から、
岩佐美咲さん、椎名佐千子さん、水森かおりさん、田川寿美さん、藤野とし恵さん、山川豊さん、きよしさん、はやぶさのおふたり(ヒカルさん、ヤマトさん)、辰巳ゆうとさん。
いちばん下手にたっておられた司会の西寄ひがしさんが一緒に歌いながらタイトルコールをされました。
沖縄での演歌まつりは2年ぶりです。

きよしさんは、昨年の「年忘れにっぽんの歌」で初お目見えとなった鮮やかなピンク色のスーツをお召しになっていて、西寄ひがしさんに、゛お花のようですね゛と、おほめいただくと、嬉しそうに、
「ハイビスカスですかね~」
とおっしゃっていて、その笑顔は、その日、目にしたどんなハイビスカスよりもまぶしくて美しかったのです。
シャツは黒で、スーツのからだの中心に黒色をサーッと刷いたようなあの素敵なスーツでした。

きよしさんは、
「18年前、はじめてのコンサートツアーの初日が沖縄でしたから...。自分の原点。あのときは24歳でした」
と感慨深げにおっしゃっていました。
そう、2002年2月28日、那覇市民会館 大ホールで、ファーストコンサートツアーの初日がスタートしたのでしたね。

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※コンベンションセンター 劇場棟のロビーはお花でいっぱいでした。


ここで、この日出演される歌手の皆さんのなかで、今年、周年の方がおられることを西寄さんがおっしゃり、55周年の藤野さん、20周年のきよしさんが紹介されました。
藤野さんには田川さんが鮮やかで花束を、きよしさんには山川さんが、白のカラーを主にして優しい黄色の小花とグリーンが配された花束をプレゼント贈られたのです。どちらも片手で抱えるのは大変なほどの大きなもでした。
山川さんは花束をきよしさんに贈られると、
「20年いろいろあったと思います。よくがんばりました。
彼のことは、仕事のうえでの後輩とかそういうことをこえて、弟のように思っています」
とおっしゃると、
「もう、泣いちゃう...、泣いちゃう...」
ときよしさんが小声でご自身にいいきかせるように繰り返されたので、
山川さんは
「僕も泣けてきます」
と、きよしさんを抱きしめたのです。
抱き合うおふたりに姿に大きな拍手がおこりました。

笑顔のきよしさんの
「花束、自分の好きな色なんです」
との言葉に、
「スタッフに好みをきいて用意しました」
と山川さんがお答えになると、
「あまりいろんな色がはいっているものより、シンプルなものが好きなんですよ~」
ときよしさん。

山川さんが、
「そうですか、白に草がはいっていて」
とおっしゃると、
「緑?」
と、きよしさんはにこやかにフォローされていました。

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※水森さんのツアートラックときよしさんのツアートラックのツーショットです。


ここで、”代表曲コーナー”となり、きよしさんからの歌唱だったので、
「花束、お預かりしましょうか?」
と西寄さんがおたずねになると、
きよしさんは、
「えっ?」
とききかえされて、
「これからお歌いになるから」
と補足されら西寄さんに、
「いえ、このまま歌います!」
と、花束を抱きしめるようにしておっしゃったきよしさん。
あまりに大きな花束なので、
「大丈夫ですか?」
と再度西寄さんがおたずねになると、
「はい」
と、真剣なまなざしでお答えになったきよしさんでした。
そんなきよしさんの思いをうけとめた西寄さんは、
「いいですね~、レコード大賞みたいで」
とおっしゃると、曲紹介をされました。

花束を右手で抱えて歌唱されたその曲は?
「きよしのズンドコ節」
でした。
水森さんが「鳥取砂丘」
田川さんが「花になれ」
山川さんが「アメリカ橋」
を歌われると、再び全員がステージに並ばれました。


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※ラウンドコーナーのときに撮った客席の様子です。


今回のスペシャル企画である”沖縄ソングメドレー”のコーナーとなりました。
トップバッターは藤野さんで、「十九の春」、
はやぶさのおふたりが「安里屋ユンタ」
岩佐さんが「島んちゅぬ宝」
辰巳さんが「海の声」
椎名さんが「童神(わらびがみ)」
をソロ歌唱されました。
それそれの個性が光って、こころにしみいる素敵な歌唱でした。
”琉球音階”というのでしょうか、癒されていくメロディーに、ああ沖縄にいるんだなあと感じて、感激が押し寄せてきたのです。

ここで男性全員で「島唄」を、
女性全員で「涙そうそう」
を歌唱されると、ラストは、「花~すべての人の心に花を~」
きよしさんは、2コーラス目(歌詩は3番)で、水森さんがソロ歌唱されたあと、
゛♪それが自然の歌なのさ こころのなかに こころのなかに 花を咲かそうよ゛
とソロで歌われ、そのフレーズがじわっとこころに広がって...。
以前、「安里屋ユンタ」は以前、農業賞の記念コンサートで歌ってくださったことがありましたが、それもふくめていつか、きよしさんに、この日の沖縄ソングはもちろん、たくさんの沖縄の名曲を歌っていただきたいなと思ったのです。

岩佐さん、はやぶさのおふたり、辰巳さんがステージにのこって新曲についてのトークをされると、
辰巳さんが「おとこの純情」、
はやぶさのおふたりが、「ジョーデッキ―!!!」、
岩佐さんが、「恋の終わり三軒茶屋」
を歌唱されました。

と、ここでステージに山川さんと藤野さんが登場。
そう、こころの準備がないままに(わたしがですが・汗)、”ラウンドコーナー”となったのです。
きよしさんは2階席から登場されたようでした。
事前に、”写メOK”と告知がされていなかったのですが、その場で、すべての歌手の方がステージにもどられるまでが撮影タイムであることがおしらせされると、場内大コーフンです。
地元・沖縄の方も多数来場されていたのですが、もう~、その熱気がハンパなかったのです。

その熱気に包まれて、わたしも舞いあがってしまって、なんだかあまり記憶がありません。
もう、ず~っと、きよしさんの姿はどちらかしら? と、正直、そのこと以外考えられませんでした(汗)。

結局、わたしのエリア側はきよしさんが通られるルートではなかったので、ステージに比較的早くもどられたきよしさんが西寄さんと並んでおられるところを写メさせていただいていたのです。
ところが!
ところがです~。
まだ、他の歌手の皆さんが後方におられるのをご覧になられたようで、まわっていないエリアであるこちら側でポーズをとってくださっていらっしゃったのですが、そのまま、きよしさんがステージからおりてきてくださったのです(嬉)。
いったんステージにもどられたので、スタッフも離れていて、だれもガードする方がいらっしゃらなくて...。
あっという間に皆に囲まれてしまったきよしさんでした。

わたし、そのとき、きゃあ、タイヘン、どうしよう?と思ってあたふたしたのですが、あわてて駆け寄ってきたスタッフの誘導でステージにもどられました(汗)。
でもステージにもどられたきよしさんのお顔は満面の笑顔でしたから、大好きな沖縄の皆さんともっとふれあいたいという思いもあって、そんなサプライズを楽しまれていたのかもしれませんね(喜)。

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※そのときの1枚です。

”ラウンドコーナー”のあとは、藤野さん、椎名さんがステージにのこられて。
椎名さんが、「漁火街道」
藤野さんが「水無し川」
を歌われました。

つづいてのコーナーでは、山川さん、田川さん、水森さん、きよしさんがステージに。
きよしさんは、たて縞模様のお着物姿にお召し替えされていました。
わたしは、このとき、このお着物の柄が、「きよしのズンドコ節」の衣装のあのレトロチックな縦ストライプ柄のスーツと相つうじるものがあることを遅ればせながら気づいたのです。

きよしさんが18年前、24歳のときに沖縄からツアーをスタートさせたことをあらためておっしゃると、山川さんが、
「オレも年とったよ」
と。今年60歳になられたということは、18年前は今のきよしさんの年齢だったということですね~。
このときに、これから歌唱される「大丈夫「」の話題になると、
「昨日、国際通りを歩いていたら、『大丈夫』のポスターが貼ってあったんですよ~」
とお話しされていたのです。
ご当地ソングの女王の水森さんには、「満天のてぃんがーら」という沖縄を舞台にしたオリジナル曲があるという話題になると、゛ぜひ、ひと節!゛という展開に。
前回はその曲を歌唱されたのですが、今回は予定されていなかったようで、
゛どんな曲だったかしら?゛
という水森さんに代わって、田川さんが出だしを(笑)。
水森さんが、゛ああ、そうでした゛とうなずかれで歌唱されると、大きな拍手が。

と、そのとき、きよしさんの瞳が゛僕にもきいてください゛と言わんばかりに爛々としたのです(笑)。
わかっています、わかっていますけど、準備は大丈夫なんでしょうか?
西寄さんは、すぐにきよしさんのアピールに気づかれて、
「きよしさんにもありますね」
と。
たしか、゛ご存じですか?゛と、きよしさんがおたずねになったので、皆で「美ら旅」と。
嬉しそうなきよしさん。
でも、いざ出だしをその場で歌いだされると、すぐにおぼろになられたようで(笑)゛ニャニャニャ~゛と歌われて、
「なんで猫になるんですかっ!」
と西寄さんにいわれてしまいました。
でも、このあと、皆さんに゛猫゛が伝染ってしまったのでした(笑)。
先輩がた、最高ですね!

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※なんだか、嬉しくって、また3度目のアップです~。

きよしさんが、「大丈夫」、
水森さんが「高遠さくら路」
田川さんが「恋はひといろ」
山川さんが「今日という日に感謝して」
を歌唱されると、
出演者の皆さんが勢ぞろいされ、
「好きになった人」を客席の皆も一緒に歌ったのです。
きよしさんの、”好きになった人~”での指差しに勝手にクラクラしちゃったりなんかして(笑)。
幸せなエンディングとなりました。 


※昼の部の様子を中心に書かせていただきました。
ここからしばし仕事、がんばってきます。
少しお時間いただきますが、次の記事で夜の部のことや、写メの別バージョンもアップさせていただけたらと思っています。




「この会館はホッとします。゛人間・きよしちゃん゛が丸ごと伝わるような気がするんです」 ザ・ヒロサワ・シティ会館でのコンサート昼の部に駆け込みで間に合いました。

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こんにちは。
昨日はザ・ヒロサワ・シティ会館でのコンサートの昼夜いってまいりました~。
って、どこのこと?
と、思われた方もおられるでしょうか?

まずはこちらをご覧くださいませ~。


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※4月1日から、茨城県立県民文化センターが、
ザ・ヒロサワ・シティ会館に名称変更されました。


今年、4月1日から、ネーミングライツが導入され、茨城県立県民文化センターが、”ザ・ヒロサワ・シティ会館”となったそうです。
ちなみに、施設命名権者(ネーミングライツ・パートナー)は(株)廣澤精機製作所さんだそうです。


さて、ここのところ、ほんとうに仕事しています。
もちろん”きよしさんごと”はどうにかこうにか予定通り参加させていただいているとをご存じの皆様には、”仕事も”でしょ、なんていわれそうですが(笑)。
今朝も600字ほどの原稿なのですが、昨日の夕方に詳細がきまって今日のお昼締切の急ぎ原稿が1本あって...。
短いからカンタンということは少しもなくて。
でも、少し余裕をもって、無事、出来上がりました~。

昨日は締切が”午前10時デッド”だったにもかかわらず、書いていくうちにどんどん取材させていただいた方がお話しされていたことを、あれもこれも入れたくなってきて、前日からは文字数と格闘していました(汗)。
昼の部の開演には間に合わないかもと思っていたのです。
雨がかなり降っていて...。
ところが母が有楽町まで出かけるためにちょうどタクシーを呼んでいたので、便乗して上野駅に出たら、特急にのればなんとか間に合う時間でした(喜)。

明日は大宮ソニックシティでのコンサートの夜の部に参加させていただきますので、沖縄の夜の部のご報告は今晩以降に書くことにして、今日は昨日のこと書いていきますね。
また、セットリストも、わたしが参加させていただいた4月9日の習志野文化ホールでのものと、かわってはいませんが、大宮ソニックシティでのコンサートのご報告のときに、平成最後のコンサートということであらためてセットリストも書きたいと思っています。


イメージ 2
※ネーミングは変わってもわたしにはおなじみの外観で、懐かしさを感じます。

「この会館に来るとホッとしますね。1階席だけで2階席がなくてフラットでしょう。
まるごと、”人間・きよしちゃん”が伝わる気がするんです」
きよしさんは、ザ・ヒロサワ・シティ会館でのコンサートの昼の部のオープニングトークでそうおっしゃいました。
大歓迎の客席に、”大好きなものは納豆”と連呼され、これまでに訪れた47都道府県のなかで最高だとおっしゃったので、ますますのもりあがりとなったのです。

熱唱がつづきました。
1曲1曲ていねいにていねいに歌われて。
こんなときに、いっそうきよしさんの誠実さがこころにしみ、同時にプロの力業を実感します。

オリジナル曲を披露される際、
「オリジナル曲って、ヒットにかかわらず、全部は自分の宝なんですよね。
様々な歌を歌ってきましたが、これからはますますジャンルの区別なくいろいろな歌を歌っていきたいですね~」
きよしさんはしみじみとおっしゃると、
「皆さん、自分のどこがよくて来てくださっているのかなって思うんです。
自分の何がいいんだろう? それが自分では今でもわからなくて...。
だからただただ真っ直ぐな気持ちでがむしゃらに歌ってきました。
計算できるタイプじゃないし...。
数字そうですけど、分析したりとかそういうことできないから。
とにかく真っ直ぐな思いで感謝をこめて歌ってきたんです。
だから、ここまで歌ってこられて、ありがたいです」

そこまでお話しされると、
「そんでもってね!」
と話題転換され(笑)、
「これから歌う歌の主人公は、うわさたずねて愛しい人を探すんですよね。
そんなに探しても、交通費ばっかりかかって、ね、おらんよ!」
と博多弁が飛び出しだので場内大爆笑となり、きよしさんは、
「さすらい慕情」
を歌ってくださいました。

そして、”新曲コーナー”で、「最上の船頭」を歌われると、
「平成もあと1週間ですね~。時代がどんどん変わっていきますが、時代にあわせた歌を歌っていきたいですね」
と。
そして、歌への思いをお話しされていて、きっときよしさんの言い方の響きが楽しかったのだと思いますが、声をたてて笑われた方がおられると、
「笑いごとじゃないんだよ~!」
とオカンムリモード。
そんなきよしさんに、
「キャラ、変わったんですか?」
と司会の西寄ひがしさんがおっしゃると、
「41歳になったから、自然体でやらせていただこうかなって。
それでね、それでもいいって思ってくださる方がついてきてくださればいいかなって」
と本音をぽろん。
もちろんここぞとばかりに客席からは、たくさんの”大丈夫”コールとサインが(嬉)。

もう~、そんな些細なことでキャラ変わったなんていわれたらかわいそうですよね。
だって真剣にお話ししていたんですから、きよしさんは、笑わないできいてほしかったのでしょう?
誰だって人前ではかしこまっていて当然です。
でもきよしさんは、こんな自分もしってほしい。それでも嫌いにならないよねという思いで、時折、ファンに”素”のご自身をみせてくださっているんでしょ?
もちろん、大丈夫!
だってあなたのその歌声にすべてがあるとずっと思ってきましたから。
歌を通して、きよしさんがどんな方なのか、わたしたちわかっているつもり。
それは、きっと、きよしさんが思っているよりずっとずっと。

ダブルA面のもう1曲の新曲「大丈夫」についての話題になると、
「日本の良さってなんだろうって、いろいろと考えまして。
新曲では着物を着たいと思ったんです。
あとは振りをいれてね。
お尻をふるのをを子供たちがマネしてくれて、”ダメよ、氷川きよしのマネしちゃ!”ってお母さんが叱るようになったらヒットするのかなって思ってるんです」
と。

そして、7月の日本武道館、9月の大阪城ホールでのコンサートのインフォメーションを西寄さんがされると、
「セットもその会場ならではの豪華なものをつくって、衣裳も大きなものにして、大きな会場で小さく見えないようにしたいと思ってます。
20年間の感謝やいろいろな思いを全部ぶつけたいですね。
曲選びも大変ですが、大阪城歩ホールでは42歳になるので42曲歌いたいなって考えています」
と、今、あれこれアイディアを練っている様子のきよしさんでした。

「男の絶唱」を歌い終えたあとのラストトークで、
「これまで、どんな時も、皆さんの真心と愛が嬉しくて、氷川きよしとして歌ってくることができました。
歌があったから、皆さんと縁ができて、つながれたんですよね。
来年でまる20年です。
これまでの人生を歌っていきたいと思っています。きれいなことばかりを伝えるんじゃなくて、自分自身が苦悩したこと、葛藤したことも包み隠さず伝えられる人になりたいです。
子供時代は人前でしゃべるのが苦手で、教室の片隅でポツンとしていました。いろいろなことを考えて、自分なんていなくなってしまったほうがいいんじゃないかって思ったこともありました。
でも死ぬぐらいなら、苦手だけど人前に出て歌ってみようかと思ええるものが自分のなかにあったんですね。
今、自殺する子供が多いでしょう。
なんでだろうって思いながらも、気持ちもわかるんです。
今、当時の自分に会ったとしたら、どんなことを彼にいってあげられるだろうかって考えます。
自分の言葉でちゃんと命の大切さを伝えることができたらと。
命はほんとうに大切なものでしょう。
だからこうしてコンサートをさせていただくときに、、皆さんの大切な命をお預かりしてやらせていただいているんだという思いで、歌っています」

いよいよのラストトークで、お別れの時間が近づいてきたことをきよしさんがおっしゃり、”え~!”の大合唱がおこると、
「またでてくるってしっているのに。気をつかってくださって。
嬉しいですね~」
とおっしゃったあと、

「幸せを感じます」
とつぶやくようにきよしさんは、おっしゃったのです。

※と、ここでいったんアップします。
これからうちあわせのために出かけるので、夜の部は次の記事で書きますね。
締切をクリアできたので解放感いっぱいです。
ところで、「ヨイトマケの唄」を歌唱されたあと、最新アルバムタイトルにふれますが、゛9でしたっけ? ああ8でしたね゛とおっしゃっていましたから。
きよしさんの中ではニューアルバムといえば゛9゛ということで、目下制作中なのでしょうね(喜)。

”茨城はいいとこだっぺ!”とノリノリのきよしさん。ザ・ヒロサワ・シティ会館でのコンサート夜の部でのこと。

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こんばんは。
なんだかんだの諸々が終わって脱力しています~。
机の横のラックには資料が山積みですが、片付ける以前に、今はさわる気持ちにもなりません(笑)。
ホッとしました~。

さて、4月24日、ザ・ヒロサワ・シティ会館(茨城県立県民文化センター)で開催されたきよしさんのコンサートの昼の部でのことを先の記事で書かせていただいていました。

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昼の部に参加してお帰りになるおともだちのSさんと待ち合わせてと昼の部のあと、一緒に食事をして楽しくお話しして、Sさんは駅へ、わたしはホールへと向かいました。
すでにあたりは暗くなっていて、雨足も強まっていましたが、またきよしさんにお逢いできると思うと、足どりも軽く、雨も少しも苦にならなかったのです~(嬉)。

「茨城は、ほんとにいいとこだっぺ!」
きよしさんは「ヨイトマケの唄」まで一気に7曲を歌唱されると、すっかりリラックスした様子でご挨拶されると、そうおっしゃいました。
旅番組(「旅の香り」)のロケなどで訪れて、そのときにはじめて”ほしいも”を召しあがったそうです。
「ほしいもっておいしいなあって感動しました。ヘルシーですし。丸いものもありますでしょう。
茨城でほしいも、初めて食べたんです。
じつは、今、(生産者の方とのご縁で実現したので)茨城県産ではないのですは、”きよしのほしいも”をグッズコーナーでも販売させていただいています。そのくらい、ほしいもが好きなんですよね」
とおっしゃると、雨のなか、来場してくださったお礼をあらためて言葉にされました。

きよしさん、歌はもちろんのこと、トークもノリノリです。
昼の部では、先日、「氷川きよし節」(文化放送)で、”花粉症の氷川きよしです”とご挨拶していらっしゃったことを思い出して、今年からほんとうに花粉症に? なんて少し思って...。
でも、先の記事にも書かせていただきましたが、ひと節、ひと節をたいせつにたいせつに歌唱され、高音部やロングトーンを、そのときならではの歌い方で響かせてくださっていたのです。
生身の人間ですから、いろいろな状況があると思いますが、ほんとうにどんなときも誠実な方と思わされた昼の部のきよしさんだったのです。


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※川沿いに歩いてホールに向かいました。


新曲を披露するコーナーで両A面の1曲「最上の船頭」を歌われると、司会の西寄ひがしさんも登場されてのトークとなりました。
「雨のなか、お越しくださってありがとうございます。
雨降って服が濡れたら、クリーニング代がかかって申し訳ないですね。
クリーニング代、西寄さんがだしてくださるそうですから」
ときよしさんが突然さらっとおっしゃったので、西寄さんはおおあわて(笑)。
ね、皆様、きよしさん、ノリノリでしょ(喜)。

あらためて20周年を迎えることができたお礼を言葉にされると、
「20年。
上をみたら、50年以上歌いつづけている先輩方もいらっしゃって。
自分はまだまだですけど。
でも、たかが20周年、されど20周年なんですよね。
デビューした当時は、”氷川きよし”がひとり歩きして、ついていくのが大変でした。
デビューして半年くらい経ったときだったかな。
俳優の友だちと原宿にいって、タクシーに乗ろうとして探していたんです。
名前はちょっといえませんけど、それまでは、友だちのほうは名前がしられているから、一緒にいると、友だちが”誰々さんよ”っていわれることもあったんですけど、そのときは、うしろをみたら”氷川きよしだ”って、100人くらいの人がついてきていて。
うわっ、すごい有名人になったんだって思って、とまったタクシーに逃げるように乗りました。

おかげさまで恵まれたスタートをきらせていただきましたが、それを保っていくのが大変でした。
でも、”氷川きよしは1年で消える”みたいなことをいわれたり、そういう番組もあったので、大変だけど、やっぱり、消えたくないって思いました。
苦しいときは、”がんばれ、がんばれ”っていわれることが、正直ストレスになることもありますが、歌を楽しみにしていただけることがなにより嬉しくて、今日まで歌ってくることができたと思っています」

きよしさんはこの20周年の感慨をそのようにお話しされると、
「一生懸命やらなくっちゃって思って、西さんと話していたら、話が長くなったんですよね。そうしたら、”話が長すい!って、前の席のかたにいわれて、ふたりともビビりましたね~」
と、折々に話されるエピソードを。
よっぽど衝撃的だったのでしょうね。
「あのあと、どんどん進行が早くなってね(笑)」
と西寄さんがおっしゃると、
「今なら、そういわれたら、”やめしょうか?”っていいます」
と、恋之介演じるお公家様の清麻呂さまふうの”やめましょうか?”のクールな響きに、”えーっ”と反響があると、
「いや、いわない、いわない~」
とあわてて訂正されたきよしさんでした(笑)。
もう、きよしさんたら、すねたり、甘えたり、忙しい方ですねっ!

でもきよしさんも、客席との飾らないやりとりを楽しまれていたようで、
「今、楽しんでいます。
ステージにたって歌っていて楽しいんですよ。
皆さんだって、人が苦しんでいるステージなんてみたくないでしょう」
とおっしゃって...。
その言葉にじんときたわたしです。


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※昼の部の開演前の画像です。
夜の部ではかなり雨が降っていましたが帰りはほぼやんでいたのです。


最前列の真ん中におすわりになっていたお客様と目があわれて、
「奥様、失礼ですけど、おいくつですか?」
とおたずねに。
80歳とのおこたえに、
「自分とあんまりかわりませんね」
ときよしさんがお答えになり、
「そうですね。40歳しかちがわない」
と西寄さんがおっしゃったので、もう~大爆笑(笑)。
その方は、テレビはきよしさんしかご覧にならないとのことで、そのことをおききになったきよしさんは、
「そうなんですか? でも他の方もみていただいて」
と。
すると、それでもきよしさんしかみないのだとその方がおっしゃったようで、
「がんこですね~」
嬉しそうにきよしさんがそうおっしゃると、
「いい方あるでしょ! 一途なんですよっ」
と西寄さんがフォローされたのです。
そんなきよしさんと西寄さんのやりとりをご覧になっているその方の様子に、
「かわいい~。つれて帰りたいっ!」
ときよしさんはおっしゃたのです。

下手に移動されると、白髪の女性に目をとめられて、
「奥様、白髪がおきれいですね~。自然がいちばんですね」
とそのかたのおぐしをおほめになりました。

と、夜の部なので小学生のお子さんも来場されていることに気づかれて、お声をかけたのです。
6歳、小学1年生ということでしたが、お近くにすわっておられる方に、”お父さんですか?”、”お母さんですか?”とおたずねになっていたら、およそお父様と思われる男性がその小学生の方のおじい様と判明。
お歳をうかがったら、45歳だったものですから、
「えっ、ちょっと、なんだべー」
ときよしさんは驚かれ(笑)、
西寄さんは、
「私と同じ年齢でお孫さんがいるんですね。なんだかショックです」
とおっしゃっていたかと思います。
おふたりのお気持ちわかる気がします。

ここで、チームHKの皆さんとーとダンサーのおふたりを紹介されたのですが、きよしさん自らが司会の西寄さんまで紹介されたのですが、きよしさんがダンサーのおふたりと、西寄さんを、ちゃん付けで紹介されたので、それをうけて、
西寄さんが、
「そしてきよしちゃん!」
とおっしゃったのです。
すると、きよしさんは、”
「はいっ! 歌のきよしちゃんです!」
とおこたえになると、
右手を挙げられて、
「歌いますっ!」
と勢いよくひとこと。
そして、
「このコンサートの主役はお客様です。
皆さんに幸せが訪れますように~」
と。
きよしさんのまごころあふれる言葉に大きな拍手がおこりました。

すっかりうちとけたところで、
「大丈夫」を歌ってくださいました。
場内はヒートアップして、ホールの気温も一気に上昇したようで、もう、熱くって、熱くって!!
汗がでてきたのです(嬉)。

きよしさんは、歌い終えると、
「最後は(大丈夫マークを)乳首からしました!」
と意気揚々とおっしゃったので、西寄さんまで
「水戸公園は乳首バージョンでした!」
ですって(笑)。

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※きよしさんが、あんまり”納豆、納豆”っておっしゃるから、
水戸駅での売店で急いで購入しました~。

熱唱がつづきました。
こんなときのきよしさんは、疲れるどころか歌うほどに声が伸びやかになり、いっそう鮮やかな響きを聴かせてくださるように感じられます。

迎えたラストトークでのこと。
「今日は、平日のお忙しいなか、雨でお足元の悪いなか、お越しくださったありがとうございました。
皆さん、チケットをわざわざあれしてくださったんでしょう?
ありがとうございます。
えっ? 暇だった?
そんなことないでしょう。
ほんとうは皆さんのお宅を1軒1軒うかがって歌わせていただけたらいいんですけど...。
すみません」

そして、
「22歳から目まぐるしく環境や状況がかわりましたけど、全国各地をまわらせていただいて、皆さんが楽しみに待っていてくださるから、今日までがんばってくることができました。
先ほど88歳の方がおられましたが、その方は20年前は68歳だったんですよね。
CDがこんなにあるっていってくださって...ずっと応援していただいて嬉しいですね。
ありがとうございます」
とおっしゃいました。

そこで、
「いよいよお別れの曲となります」
とのきよしさんの一声に、
”え~っ!”
という声が客席からどよめきのようにおこえると、
「ほんとに?
でも、おなかすいたでしょ? えっ、大丈夫ですか」
きよしさんは皆が、大丈夫マークを掲げるのをご覧になると、
「大丈夫をありがとうございます。
皆さん、お身体に気をつけてくださいね。
あとは車に気をつけてください。
自分は自転車によく乗るんですよ、スーパーに買い物にいったりしますから。
そのときも歩いているのとかわらないくらいゆっくり走ります。
前をみて、左右をみて、うしろをみて、上をみて、下をみて(笑)。
注意しているんですよ、倒れられないから。
両親を養わないといけないですからね~(笑)」
と。
プライベートでも、”氷川きよし”としての責任を全うするためにさまざまな配慮と努力をされているのですね。

「白雲の城」
を朗々と歌唱されると、きよしさんは奈落へと...。

”きよしコールがこだまするなか、アンコールの1曲目は「勝負の花道」です。
引き抜きの早変わりでは大歓声がおこって、最高の雰囲気になっていました。
きよしさんも名残惜しく思われたのでしょうか。
ここで、ふだんは「大丈夫」をプレゼトがわりにもう一度歌唱されることをサラッと説明されるだけですが、この日は、
「ここで本来は『きよしのズンドコ節』を歌ってお別れなのですが、今日はもう一度『大丈夫』を歌います。
いよいよ、ほんとうにお別れの時間が迫ってきました」
とおっしゃったので、名残惜しさがあふれてきて、
”えーっ!”、”いやだ~”の大ブーイングがおこりました。
そのときのきよしさんを、わたしはどう表現したらよいでしょう?
困ったような、照れくさいような、でも幸せそうな...。
そんないろんな思いがないまぜになったお顔で、
「また、夢で逢いましょう...。よかったら」
と。

きよしさんのあたたかな言葉と、いろんな思いがあふれたような笑顔に、わたしは胸がいっぱいになったのです。

きよしさん、今日、”幸せが訪れますように!”っていってくださったでしょう?
わたし、今、きよしさんのおかげで幸せに包まれていますよ~。
と、そんなあふれる思いを胸に、「大丈夫」、そして「きよしのズンドコ節」を、気づいたら、きよしさんに歌声にあわせて口ずさませていただいていました。


※駆け足での更新で失礼します。
仕事で書きどおして、水戸に行く日のお昼には、もう、一文字も書けない~と思うくらい疲れきってぬけがらのようになっていたのですが、書きだすと、こんなに書きたいことがわいてきて...。
書くことが好きなのかといわれたら、嫌いではないけど、好きだともいえません。

でも、わたしもまたきよしさんのように、自分の気持ちを言葉で言いあらわせなくて、いつも涙ぐんでいるような子どもでしたから。
書くことが生きるエネルギーになっているのかもしれません。

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※先の箱の中にミニわら納豆が入っていました。
かわいいでしょ!


明日は、日中仕事をして夕方から大宮ソニックシティにいってまいりますので、そのご報告をさせていただけたらと思っています。

そして、まだアップできていない沖縄の夜の部のご報告は、週末に(平成のうちに!)あらためて昼夜、ふりかえりながら記事を書きますね。


「きよしの令和音頭」が5/1の「氷川きよし節」でオンエアされます! 大宮ソニックシティで2500人がめくるめく歌声に酔いしれました。

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皆様、こんばんは。
日付がかわってしまいましたが、昨夜、大宮ソニックシティでおこなわれたコンサートの夜の部に参加させていただきました~(嬉)。
2500人を収容する大ホールですが、昼の部は早々に完売したそうで、夜の部も2階席までほぼ満席になっていました。

さて、先に嬉しいおしらせを2つ。
ひとつは、「きよしの令和音頭」ができあがり、5月1日の「氷川きよし節」(文化放送ほか)でながしてくださるそうです。
きよしさんご自身が、昨日のコンサートのなかで、おしらせくださいました(喜)。
できあがったばかりなので、発売の予定などはきまっていないそうですが、”歌って~”という皆の声に応えて、ほぼ1コーラス歌ってくださったのです。
”♪シャンシャン シャシャシャン シャシャシャンシャン! 令和音頭で 幸せ 呼ぼう~”
というような歌詩だったでしょうか。
きよしさんと一緒に手拍子をして、こころうきうき、”令和”という新しい時代の息吹が感じられます。
オンエアが楽しみですね。

そして、もうひとつはニューアルバム発売のおしらせです。
6月4日に、「新・演歌名曲コレクション9~大丈夫/最上の船頭~」の発売が決定しました。

きよしさんが、先日の水戸コンで、「ヨイトマケの唄」を歌唱された際、”最新アルバムのなかから”と説明される際に、”9? 8でしたっけ?”なんておっしゃっていたので、そろそろなんだなあって期待していたのです~(喜)。
昨日とどいたFC会報でそのおしらせがありましたが、収録曲をながめて、もう、嬉しくって、嬉しくって!

今回の収録曲はオリジナル7曲、カバー6曲の全13曲
「大丈夫」
「大阪とんぼ」
「雨がやんだら」(オリジナル:朝丘雪路)
「雨とルージュ」
「うそ」(オリジナル:中条きよし)
「おんなの情(おも)い」
「最上の船頭」
「命くれない」(オリジナル:瀬川瑛子)
「兄弟仁義」(オリジナル:北島三郎)
「海の匂いのお母さん」(オリジナル:鳥羽一郎)
「百万本のバラ」(オリジナル:久米小百合)
「メトロノーム」
「ありがとうの歌」

待望の”大阪の歌”のタイトルは、「大阪とんぼ」なんですね~。
そして、わたしがもう、ヤッタ~!と思ったのは、「百万本のバラ」です。
昨年の椿山荘のディナーショーで感動して、こんなに感動できるのは生きているからなのだと、自分の命を実感することができたのでした。
それから、それからっ!
ついに、ついに「命くれない」なんですね(嬉しくって、なんどもリピートしないと気がすみません・笑)
デビューしたキャンペーン時代によく歌唱されていた曲ですが、これまで、コンサートのなかで、キャンペーン時代の思い出をお話しされたときにアカペラで数フレーズ聴かせてくださったこと何度かあり、フルコーラス、きよしさんはどんなふうに歌唱されるのだろう? と、もう何年も待っていたのでした。

※「大阪とんぼ」と「雨のリュージュ」のPVが収録されたDVD付きのAタイプ(初回限定スペシャル盤)と、CDのみのBタイプ(通常盤)の2タイプが発売されるそうです。


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※大宮ソニックシティで!

オープニングから大歓声と拍手が起こって、揺れるペンライトの動きも勢いをましていきました。

きよしさんは「ヨイトマケの唄」で、あふれでる思いを、そのフレーズにこめて語るように、そしてつぶやくように歌唱されて...。
歌ときよしさんの魂が一体になって、こころのうちを吐露するような歌唱に、わたしは、1フレーズ、1フレーズ、しらずとうなずいて聴いていたのです。
そして、そして、涙もしらずとながれていて。
そう、歌のなかにこめられた”愛”が、きよしさんの歌声をつうじてホール全体に広がったのだと思います。

平成12年(2000年)2月2日にデビューしたきよしさん。
いよいよ、平成最後のコンサートでした。
オープニングトークで来場のお礼を言葉にされると、
「わざわざ僕のためにありがとうございます。
明日から10連休、いいですね~。
えっ? 毎日連休。
でも、主婦の方って家事はお休みがないから大変ですね。
いやあ、もう、うちの両親は、おたがいがおたがいの文句をいって。
子供にそんなこときかせないでよ。
もう、勝手にやってよって」
きよしさんはやっぱり10連休というわけにはいかないのですね。
まあ、わたしもですけどね(汗)。

司会の西寄ひがしさんが、
「おひとりだから、みんなきよしさんに」
とおっしゃると、
「そうなのよ!」
と、思わず大好きな美川憲一さんふうにおっしゃったのです。

「皆さんのおかげで、白いごはんとみそ汁をたべさせていただけるようになりました」
とのきよしさんの言葉に、
「デビュー当時はアワやヒエ」
と西寄さんがおっしゃると、
「食パンも食べてましたっ!」
ときよしさんがおしゃったので、大爆笑。
でも、いまどきはアワやヒエも高級品なのでは(笑)。

「昨日は、寝る前に、いけないんですけど...。
どうしても食べたくなって、チキンラーメンを食べました。
卵おとして、ネギをちょっといれて。
おいしかった~。
ほんとうは早く両親を東京に呼んで一緒に暮らしたいんですけど、なかなかそうもいかなくて」
きよしさんがそこまでおっしゃると、
「私は、きよしさんの身近にいますから、きよしさんがご両親に”東京に来たら”って、ご両親におっしゃっているの
を何度もきいています」
と、西寄さんが、きよしさんとは一緒にいたい思いがあっても、なかなか福岡から離れる決断ができない様子をお話しされたのです。

「半年くらい前だったかな、父が歯の治療で一緒に暮らしていた時期があったんですけど、”歯。悪いから、ごはんつくって”っていわれて、うどんつくってあげたり、朝はごはんとみそ汁つくってあげて、”あんたのお母さんじゃないんだからね!”て、そのときは父にいいました(笑)。
って、なんか両親の悪口ばっかりいってます?
子供の頃からかわらないんですよ。
母は身体が弱かったから、自分が料理をつくることもあったんです。
父は九州男児だから、男は台所にたつもんじゃないっていう人で、なにもできませんから(笑)」
きよしさんはそこまでおっしゃると、思いだされたことがあったようで、おかしさに思わず吹きだされると、
「自分が台所にたっていたら、”おまえ、男か!”って父がいうから、アタマにきて、”女よ!”っていいましたよ(笑)」
きよしさんの剣幕に、
「うわっ、負けん気強いですね~」
と、西寄さんがひとこと。

きよしさんは、大爆笑の客席にむかって、
「それでね、皆様」
と、今度はひばりさん風に呼びかけられると、
「昨日はパンをつくったんですよ。
なんのパンをつくったと思います? 
当たった方には、100万円さしあげます~!」
と、突然の大盤振る舞い(笑)。
西寄さんの”せえの”の音頭で、皆、100万円を狙って、答えたのですが、けっきょく何をいっているのかばらけてしまって(笑)。
誰も100万円をゲットできませんでした(笑)。

さて、答えは?
「クリームパンです!」
ときよしさん。
カスタードクリームも手作りしたそうで、”食べたい~!”の大合唱に、
「皆さんにもつくってさしあげたいですね~」
とおっしゃると、レシピをレクシャーされました。
西寄さんには写メだけ送られたそうで、差し入れに持参されたのかもしれませんが、さしあげる前になくなってしまったのでしょう。

また、「週刊朝日」の、ミッツマングローブさんが、きよしさんのことを、ご自身の連載エッセイに書いてくださったそうで、
「昨夜、ミッっちゃんって、ミッツマングローブのことを呼ばせていただいているんですけど、ミッちゃんに電話しました。”闇とか好きに書いちゃってごめんね”っていってましたけど、そんなことないし、誰だって、闇ありますからね。自分のことみてくださっていたんだなって、嬉しかったです」
と。

すっかりもりあがったたところで、
「大丈夫」
を大熱唱したのです。
”大丈夫”の振りも、合いの手も、お手拍子もペンライトの振りも、一糸乱れず、皆様、最高でした。
そして、なんと、西寄さんもステージにのこって、一緒に踊ってくださって、楽しくって!
間奏できよしさんが吹きだす一幕もあったのです(嬉)。
「大丈夫」、最高っ!!!

ラストトークでは、
「20年間、氷川きよしとして歌わせていただけたのは、今日、お越しくださった皆さんが背中をおしてくださったからです。
今までで2000回以上、コンサートをやらせていただいていますが、今日がいちばんいい!」
きよしさんは、そうお話しされると、
「やだねったら?」
とおっしゃったので、”やだねっ!”
と客席から声がかえりました。
「うわっ、すごい。じゃあ、”やっぱりね、そうだろね”」
とまた。
”そう!”
と即座に大きな声がかえってきたので、
「”大丈夫”」
と。
もちろん、”大丈夫””と、大丈夫のサインとともに大きな声がかえってきて...。
きよしさんはその場で何度も会釈されました。

「ありがとうございます。
今、目標とするのは7月の日本武道館です。
どんな”氷川きよし”をおみせできるか、自己プロデュースして、この20年間のいろいろな思いをこめて歌いたいです」
と、力強くおっしゃったのです。

きよしさん、魂の歌声をありがとうございました。
平成の最後のコンサートでの歌い納め、わたしも魂に刻ませていただきました。



※駆け足での更新で失礼しました。
連休初日はお仕事で出かけなければならないのです。
でも、お仕事いぢけることはありがたいんです。
がんばります!
そして、今月中に沖縄のこと、書きますね。もう、沖縄旅行から1週間が経っていることに、驚きます。
だからこそ、こうして書きとめる意味が、自分にはあるのかなと思ったりなんかしちゃったりしてます~(笑)。

「総決算!平成紅白歌合戦」で、氷川きよしのヒストリーをたどらせていただきました。

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明日は、いよいよ平成最後の日ですね。
10連休、3日めの今日は、午後からお仕事で、編集部の資料室で、とある雑誌のバックナンバーから資料になる記事のピックアップをしていたら、あっという間に時間が経ってしまいました(汗)。
帰宅したら、「総決算! 平成紅白歌合戦」の第1部の後半になっていたので、先にライブ放送をみて、それからじっくりと録画をみて、さらに10時からの第2部をみたのです。
きよしさんは、1部2部のなかで、大トリ、初出場と2回目の出場、そして、熊本城の前で歌唱されたシーンがながれましたね。

折々の思い出がよみがえって、「NHK紅白歌合戦」という日本最大の歌の祭典に、”氷川きよし”が大きな足跡を残してきていることを感じて、胸がいっぱいになりました。

そして、わたしはといえば、きよしさんが大トリをつとめられた2008年12月31日にNHKホールでの観覧が叶い、きよしさんの勇姿を魂に焼きつけたあの思い出が鮮やかによみがえってきたのです。

沖縄の記事の更新がなかなかできなくて、心苦しいのですが、今夜は観覧の記事をプレイバック掲載したいと思います。
わたし自身が読みかえしてそのときの感動が蘇ってきて...。
ああ、そうだった、きよしさんは終演後に投げキッスをしてくださったなあと、ブログに書きとめていたからこそ、そのときの眩しすぎる光景やとろけるような感動がわきあがるように思い出されて。
ブログを始めて2か月めのことでしたが、それからブログを書きつづけてきて、よかったなあとなんだかしみじみ...。

10連休中は、フリーマーケットに出店したり、仙台の叔父といとこに会いにいくなど、楽しい予定もあります(嬉)。
そして、仕事も少しずつ、進めていかないとならないものがありますが、締切で追いつめられていた日々から解放されて、今、こころおだやかです(嬉)。

♪紅白歌合戦 観覧してきました (2009年1月1日)
皆さん、あけましておめでとうございます。
昨年10月8日からブログを書き始めましたが、たくさんの方にご覧いただけて心から感謝しています。
氷川きよしさんのこれまでの軌跡を振り返る「天晴れ!HK伝説」なるものを書くつもりで準備したのですが、日々、きよしさんが与えて下さる感動を書きとめておきたくなって、自分が観たこと、感じたことを、心のままに書かせていただくようになりました。
本来の目的はデビュー10周年のその日までに果たせるようにと思っています(あと1ヶ月ですね)。
2009年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2008年12月31日、私はこの日を忘れることはないでしょう。
大好きな大好きな歌手、氷川きよしさんの紅白歌合戦での初の大トリ。
その勇姿、間近で見ることができ、魂に焼き付けてきました。
私は観覧後、午前1時半前には帰宅したのですが、まだ夢の中にいるようで、ぼうっとしながら、父が見ていたさだまさしさんの番組を一緒に見つつ、軽くお酒を飲みながら夜食を食べ、お風呂に入って眠りました。
前の日、何だか緊張してよく眠れなかったのです。
今朝は7時頃にすっきり目覚め、先ほど昨夜の紅白歌合戦の録画を見てきよしさんのどのシーンがテレビ放送されたのかチェックしたところです。
きよしさんの熱唱、素晴らしかったですね。
輝くばかりで堂々としていて立派でした。
最後は号泣されましたが、昨年末に、ご自身でおっしゃっていた「来年はいい涙をたくさん流したい」の言葉どおりの美しい涙でした。
新聞の見出しにあった「母に捧ぐ悲願の大トリ」ですでに泣かされてしまった私ですが、本番は気がはっていたのか涙は出ず、帰宅して、一人になってからしみじみ泣いてしまいました。
今回の紅白歌合戦は、歌中心の構成で、きよしさんはオープニングで登場してからは、ラストまで一切舞台に現れませんでしたね。

さて、ではそのラストどのあたりできよしさんが舞台に登場していたかといいますと、和田アキ子さんが歌い始めて間もなくでした。
放送で和田さんと紅組歌手の方々を映していたその時には上手側にすでに白組歌手の方々が勢ぞろいしていたのです。
私はあんなにまで緊張したきよしさんを初めてみました。
緊張でどうにかなってしまいそうな様子で...。
目をつむったり、少し上を向いたり、逆に少し下を向いて口を動かしたり、胸元をさわったり、肩を動かしたりされて...。
もちろんひとつひとつはそんなに大きな動作ではありませんが、私には普段の落ち着いたきよしさんとはまったく別人に見えたのです。
その様子を見ていたら、もうドキドキしてしまって、心の中で叫ばすにはいられませんでした。
「きよしさん、きよしさん、大丈夫だよ。会場のみんなもテレビの向こうのみんなもそれこそ何万人、何百万人の人が、次はきよしさんだって、心をひとつにして応援しているんだから」と...。
私の座っていた席がレフト席で正面に向かって斜めになっている席だったので、熱唱する和田さんを見ながらも、そうやってきよしさんの様子をつぶさに見ることができたのです(そうでなければ和田さんを見ずに横を向いてきよしさんを見るなんて、いくら何でも失礼でできなかったと思います)。
そんな時、五木ひろしさんが一言二言きよしさんに声をかけ、衣裳を汚してはいけないと配慮されたのでしょう。きよしさんの右肩に控えめに右手をふれて、後は言葉でなく満面の笑みで頷きながら、きよしさんの顔を見つめました。
きよしさん泣きそうになりながら頷いていました。
そして北島さんもきよしさんと視線を合わせ、きよしさん頷いて、その激励を受け止めていました。
あの瞬間、あの場では、もう言葉ではなく、目と目でかわす激励が展開していたのです。
さらにオープニングでもSMAPの草なぎ()さんが激励してくださっている様子でしたが、ここでも草なぎ()さんがまた声をかけ、さらに司会の中居さんが何かきよしさんに言って励ましていました。
そんなふうにして皆さんからの激励を一身に浴び、「よしっ!」と思ったところで和田さんの歌が終わり、きよしさんがテレビに映し出されたわけです。
中居さんの素晴らしい紹介があり、すでにきよしさんは泣き出さんばかりでしたが、歌い終わるまで涙をこらえ、感動の熱唱となりましたね。
衣裳も眩いばかりで素晴らしくて...。
もう私も夢の中状態でした。
演歌界をここまで底上げしてきた”氷川きよし”への最大のご褒美。
そして、あらためて゛氷川きよし゛はこんな暗い世の中を明るくしてくれるスターとして、そういう役目を担わされた方なんだなあとつくづく思ったのです。

放送終了後もまだエンディングはしばらく続いていました。
きよしさんは、「ありがとう、ありがとう」と何度も言い、手を大きく振り、その後、会場中に届くような大きな投げキッスをしてくださって...。
そして、舞台袖に出演者が戻り始めると、きよしさんは会場に散り散りにすわっているファンの姿をところどころ認めては(ファンの皆はオリジナルペンライトを持っているので、それを目印にわかるのだと思います)軽い会釈や目配せをしてくださり、また大きく大きく、何度も何度も手を振って「ありがとう、ありがとう」と言って、最後はジェロさんと腕をとりあって笑顔で戻られました。

2004年以来、今回は2度目の紅白観覧でしたが、私にはすでに座席引き換えで奇跡と呼ぶにふさわしいことが起こりました。
前回が1階C2列だったのですが、今回は1階L3列だったのです。
ちなみにCのセンターブロックもLのレフトブロックも1列目は取り外しているので2列が実質1列になります。審査員席はC2列分がテーブルになりC3列に座られているのです。
ですので前回は1列目、今回は2列目ということになるのですが、今回の私の席はレフトブロックのセンター寄り通路側でしたので、ちょうど前に椅子がない席!
ですので結局は1列目と同じで、何ものにも遮られず舞台を観ることができたのでした(嬉)。
入場時の座席引き換えの時には、前回があり得ない良い席だったから、そんな幸運はさすがに二度は続かないはずと思っていました。
”たかだか自分一人が良い席で観たいというのはしょせんは我欲。
そんな我欲より、きよしさんが立派に歌い上げることが私にとって一番大事なはず”と、自分に言い聞かせて。
たとえ3階席のいちばん後ろの席になっても、きよしさんが初の大トリをつとめるそのときに同じ空間にいられるそのことが最高に幸せでラッキーなことですから。
先に引き換えた方がどんどん階段を昇っていくのが見えてきて(1階席は実際半地下なのでエントランスを入ったら正面階段を降り、2階席前方席にはそのまま前進。上に昇っていく場合は2階席後方か3階席なのです)。
ですので私もその流れから2階か3階席なんだろうなという気持ちでいたのです。
ですから、座席券を受け取っても怖くてなかなか券面を見られなかった前回と違って、わりとあっさりと引き換えた座席券の券面を見たのでした。
ですので、逆に券面の1階という文字にまず「えっ?」と驚いて。
そして列と席番を見てさらに「ええっ!」と信じられない気持ちになったのです。
さっそく、出かけるときに心配してくれていた母に座席報告の電話をしてたのですが、これで、きよしさんの姿を間近で観られるんだと思ったら、もう涙があふれてきてしまい(結局、えらそうなことを言って我欲の話になってごめんなさい)、あわてて人目をはばかって壁際に移動しました。
電話口で母に「何でこんな幸運が起こったのかな、信じられない。引き換えの時、神様、きよしさんてお願いはしたけど、私ね、今電話してて泣いているんだよ」というと、
母が笑いながら「いつも本当に損得抜きできよし君の応援しているし、最近ブログを始めて、たくさんの人が読んでくれてるって言ってたでしょ、きっとその両方への、ご褒美なんじゃないの」と言ってくれました。
昨日、会場には12時50分頃に着きました。前回より30分ほど早めでしたが、昨日は天候が良かったこともあり、すでに400人以上の方が並んでいました。
それから入場時間の6時まで5時間。さすがに屋外なので、寒かったですが、前回の大雪を思えば苦にはなりませんでした。私の近くにはきよしさんファンがいなかったので、「どなたの応援に?」と言う会話の中で、「氷川きよしさん」と言うと、SMAPファンの方、石川さゆりさんファンの方、平井堅さんファンの方など、皆さんにきよしさんのことを褒めていただき、「今日は大トリで、すばらしい活躍ですね」なんて言われて、その度に「ありがとうございます」と答える私。
これって、まるで身内だよねと思いながら、きよしさんのおかげで誇らしい気分でした。
この年から1枚の入場整理券で2名入場できるようになったのですが、私はケータイ審査員の枠での当選分だったのでひとり参加だったのです。

少し昨日の場内の説明をしますと、今回はRブロックをすべてつぶし、そこにクレーンカメラを設置し、さらに後方席7列分くらいは音響装置などでつぶしてありました。
そして、木山裕策さんのご家族やジェロさんのお母様のすわられていた席近くのレフトブロックの4~5列分は関係者席でIDカードを着けたスーツ姿の方が固まってすわっていました。
今回、舞台は左右対称に作られてはいますが、ほとんどのやりとりは下手側でしたので、綺羅星のようなステキな出演者の皆さんを間近で観、熱唱を聴いて、感動する度に、きよしさんが大トリだから観覧できた紅白ですから、これはきよしさんからの贈り物だなって思っていました。
そして番組が盛り上がれば上がるほど、この素晴らしい番組を締めくくるのはわれらが氷川きよしなんだと、ドキドキしつつもいっそう誇らしい気持ちになっていました。

NHKホールを出たところで年明けになり、NHKホールの壁面に”A HAPPY NEW YEAR”のグリーンの電飾がきらめきました。
その場にいる人どうし口々に「あけましておめでとう」と挨拶し合いました。
2009年、きっと平和でいい年になるに違いありません。
だってこんなに皆で幸せを、平和を願ったのですから。紅白歌合戦での皆さんの魂のこもった歌声を聴きながら、そう確信しました。



@第59回紅白歌合戦観覧記(氷川きよしさん以外のことも書きます) 2009年1月2日
先に、このブログで氷川きよしさん中心の観覧記を書きましたが、全体的な印象、感想もぜひ書きとめておきたいと思って、別途書くことにしました。
氷川きよしさんの記事同様、放送をご覧になったことを前提として書かせていただいているので、ご覧になっていないと細かな説明がなくわかりにくい部分もあるかもしれませんがお許し下さい。

さて、全52組の熱唱。素晴らしい限りでしたが、私としては、久石譲氏によるフルオーケストラでの宮崎駿作品のテーマ曲のメドレーに感動しました。
吉岡聖恵さん、平原綾香さん、青山テルマさんの「君をのせて」が素晴らしかったですね。
1階席、2階席の通路に所狭しと楽隊の方が並んでの演奏のサプライズにも感動しました。
私のすぐ横に楽隊の指揮者(女性です)がいらしたのですが、その凛々しかったこと。そしてあの迫力、高揚感は、かつて故ジュゼッペ・シノーポリによるマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」を初めて聴いた時に似ているなあと、かつての記憶までよみがえってきました。
私は氷川きよしさんのファンでブログのタイトルも氷川さんを掲げていますし、何しろ氷川さんは精力的な活動をされているので、氷川さんの記事を書くことだけで精一杯になり、氷川さんの話題で終始してしまい、それ以外の話題を書く時間がなかなかないのですが、クラシックファンでもあるのです。
ジュゼッペ・シノーポリはとても好きな指揮者の一人でした。

  話が少しわき道に逸れましたが、そんな素晴らしい演奏が続いてフィナーレで一気に「崖の上のポニョ」。大橋のぞみさんが愛らしくて堂々としていて、最高でした。
9歳にして日本中の人を幸福にしてしまうなんて、まるで妖精のようですね。そして木村拓哉さんのナレーションも素晴らしく、そのたたずまいの美しさに、ほうっとため息が出たほどでした。
かつて映画「武士の一分」の時に合同取材があって、お話をうかがったことはあるのですが、その時も、その美貌よりもその聡明さに清々しさを感じたことを記憶しています。
今回は舞台間近の席で観ていたので、カメラに映っていない時はもちろんスポットライトもあたっていない時の様子も逐次見えていたのですが、何気ない立ち居振る舞いの美しさ、そしてスタッフとやりとりしている時の真剣さ、飾らなさ、温かさ、タイミングを待つ時の集中力などなど、その人間的な魅力に感動してしまいました。そう、木村さんの関連でもうひとつ。北島三郎さんの「北の漁場」も素晴らしかったですね。
私は父と一緒に新宿コマ劇場での公演を観たことがありますが、まさかあの船にSMAPのメンバーが乗船するとは! 本当にスペシャルバージョンだったと思います。
北島さん、本当に嬉しそうでした。木村さん、何か感動していたようで、目が潤んでいませんでしたでしょうか? 私の想像ですが北島さんの熱唱を間近で聴き、さらに船上からNHKホールを見渡して感動されていたのではないでしょうか。
そんな筋書きのない木村さんの様子に、観ていて感動がさらに増しました。
 歌唱では天童よしみさんが圧倒的だと思いましたが、森進一さんの魂の叫びのような熱唱も心揺さぶられました。
この人はちょっと、なんていう人はまったくいず、熱唱につぐ熱唱でしたが、個人的な主観でいえば、宮沢和史さんの音楽は大好きなので、今回の宮沢和史inガンガ・ズンバ&ザ・ブームの「島歌 紅白スペシャルバージョン」はまさにスペシャル。宮沢さんの歌声、音楽に熱く酔わされました! 
ちなみに大トリの氷川きよしさんの「きよしのズンドコ節」の間奏、ラテンバージョンの編曲入っていましたよね。

それにアンジェラ・アキさん、平井堅さん、秋川雅史さん、秋元順子さん、いきものがかりが秀逸だと思いました。そして実際にナマで聴いてみたら、かなりイイと思ったのはキマグレンでした。
ファンの方にはいうまでもないことなんでしょうけど、あの迫力には引き込まれました。
そして魅せるということではあゆ(浜崎あゆみさん)と倖田來未さんがサイコーでした。
あゆのあの両手を広げた時の美しさ、ゾクゾクッと鳥肌たちました。ケガをされていたのにあれほどの舞台ができるなんて信じられませんね。
の素晴らしさは言うまでもないですけど。そして倖田來未さんのダンス、ウットリしました。
あの足さばき、なんてかっこいいんでしょうね。
ドレスも倖田さんのスタイルの美しさを際立たせ、かつダンスに花を添える素晴らしいものでした。
どんな方がデザインされたのでしょう。お見事でした。

五木ひろしさんの「凍て鶴」、三木たかしさんからの手紙が胸に響きました。「凍て鶴」という名曲が生まれた背景にはそんなことがあったのですね。
歌を聴く人だけでなく、作る側にも希望やパワーを与える五木ひろしさん、そしてその熱唱ぶり、本当に立派だと思いました。
ベテランの迫力ということでもう一人挙げれば石川さゆりさん。
「天城越え」のあの迫力に、誰にも真似のできない、あの曲への執念、そして歌手としての底力を感じました。
そして、水谷豊さんのあのアガリぶり、「何で出演引き受けちゃったのかなあ」って思っているだろうなって想像してほほえましく思えました。そんな水谷さんの「カリフォルニア・コネクション」、心に響きました。
水谷さんが歌う直前の本木雅弘さんのコメントも素晴らしかった。
それと声を聴いていて、歌手になるべくして生まれた方なんだなってあらためて思わされた方は平井堅さん、平原綾香さん、徳永英明さん。
どうしてこの世にこんな声の方がいるんだろう、やっぱり皆のために歌う使命をおびた方なんだなってつくづく感動しました。
ジェロさんの歌唱も素晴らしかった。お母様が客席にいらして、カメラに映る前から涙されていて、その涙の美しさ、そしてからだを震わせて泣かれていらしたその様子にまたまた感動してしまいました。
そしてそのお母様を間近に見ながら、涙をこらえて歌った歌唱とその姿に場内は愛一色に包まれたように感じられました。

私があえて言うまでもないかもしれませんが、司会もよかったですね。
私は中居さんてとても好きなんです。テレビで中居さんの姿を見ると、それだけでほっとするのです。
中居さんの人を安心させる力って天賦の才能だと思いますし、普段どんなふうに生きているのか、その人間性がそのまま現れているのだと感じました。
 俳優さんとしても「模倣犯」や「私は貝になりたい」など、良い作品を生み出されていますし、これからもますますその活動の範囲を広げていらっしゃることでしょう。
そして仲間由紀恵さんのナレーションの確かさ、その存在の潔い美しさにうっとりさせられました。そんな二人のキメるところは決め、リラックスさせるところはさせるという緩急自在のコンビネーション、本当にいい感じだったと思います。そしてNHKのスタッフの働きぶりにも心打たれました。
始まる前に松本和也アナウンサーが、「どうぞ歌手の皆さんの熱唱と舞台裏のスタッフの奮闘ぶりをお楽しみ下さい」とおっしゃっていましたが、本当に素晴らしかったです。
本番直前にスタッフの方から「1列目、2列目の皆さん、途中、撮影や進行の都合上、カメラが目の前に来たり、私たちが前に立ったり、舞台が見えにくくなることもあるかと思いますが、どうか撮影のためとご理解下さい」と口頭で挨拶がありました。
平井堅さんと中島美嘉さんの時に配布されたLEDライトを点灯するように言われ、リハーサルもしていたのですが、本番でもちゃんとLEDを点灯させて左右に振り、その様子は瞬く星のように見えました。
その時(二度ともです)、担当ディレクターさんが客席を振り返っては眺め、それはそれは嬉しそうに、うんうんと頷いている姿が目に入り、見ていた私もその様子に胸が熱くなりました。
以前、劇作家の三谷幸喜さんが、審査員として観覧した後、エッセイで「もう一度見てみたいと」書かれていました。神技のようなスタッフの奮闘ぶりと、その年を代表する歌手の方々の熱唱に真底感動されたのだそうです。
本当にそう思います。
審査員の一人、松本幸四郎さんは、人を感動させることの難しさとそしてその素晴らしさについて今回も語られていましたが、心からそう思います。
今回は出演者の皆さんが、番組のテーマになっていた「歌の力、ひとの絆」を意識されて、心をこめて歌って下さったと感じます。
幸福を平和を願って歌ったのです。
2009年はそんな思いが世の中を明るく変えていってくれるはず。
そんな気がしました。
紅白歌合戦は5千人以上のスタッフが結集して作られているとうかがいました。本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。



@紅白歌合戦 瞬間視聴率(きよしさん2位) そしてブラックライト導入 2009年1月6日
年明けてあっという間に6日です。
紅白歌合戦の記事を書いた後、たくさんの方にお越しいただいて、嬉しく楽しい新年を迎えさせていただきました。この場をかりてお礼を申し上げます、ありがとうございました。
ところで、皆さんはブラックライトをご存知ですか? 
私は恥ずかしながら今まで知りませんでした。
昨日、友人と食事をしていて、友人に紅白歌合戦に行った感想などを聞かれている時に、そういえば入場整理券を座席券に引き換える時に、入場整理券に係の方がライトを当てたら、NHKの文字がうかびあがったことを思い出して、その友人に「それって何なのかしら?」と聞くと、
「ブラックライトじゃない?」とのこと。
ディズニーランドやUSJなどで再入場する際に特殊インクのスタンプを手の甲に押してくれ、目には見えないのですが、ブラックライトを当てるとスタンプがうかびあがるのだそうです。
今やパスポートや有価証券などの偽造防止にも採用されているそうです。
昨年の「思い出のメロディ」の時は入場整理券に”NHK”とエンボスが押されていたのですが、紅白歌合戦の整理券にはそういったエンボスもなく、「紅白歌合戦なのにこれでいいのかしら?」と意外に思ったのです。

でも私が知らなかっただけで、その入場整理券には特殊インクでNHKと印刷がされていたというわけです(まったく肉眼では見えないものです)。
ここまでするということは、やはり例年入場整理券の偽造なんていうことがあるのですかね? 
そして開場の2時間前くらいには係の方15名くらいが高感度金属探知機を持って、NHKホール周囲の植え込みをくまなくチェックしていたことも思い出しました。ブラックライトに高感度金属探知機、かなりなハイテク導入ですね。
こういった面を見ても、費用も労力も破格の紅白歌合戦なのですね。
でも視聴率が40%を越えたと発表になってからは、そういったすべてが報われたと、関係者の皆さんは喜ばれていることと思います。

さて、今日、紅白歌合戦の瞬間視聴率が発表されていましたが、瞬間最高視聴率はは午後11時40分で50.0%(関東地区、以下同)。
紅白初の試みで投票直前に全歌手の出演シーンをダイジェストで振り返る場面だったそうですが、その直前の大トリを務めたきよしさんの歌唱シーンが46.5%。歌手別の最高は、午後10時29分の羞恥心で47.8%、きよしさんは2位だったそうです(ヤッタ!)午後7時20分から始まった紅白歌合戦の視聴率は尻上がりに上昇し、同37分、美川憲一さんの場面で35.1%。55分、藤岡藤巻さんと大橋のぞみさんが「崖の上のポニョ」を歌った場面で38.5%に達したそうです。
後半、ジェロさんが登場した午後9時35分に41.0%と40%を超え、同52分、水谷豊さんが「カリフォルニア・コネクション」を歌った場面で43.1%。午後11時28分、森進一さんが「おふくろさん」を歌った場面で42.3%ということでした。
紅白歌合戦後半の平均視聴率は42.1%、北京オリンピック開会式の37.3%を抜いて2008年の年間視聴率1位になったそうです。
数字がすべてではないかもしれませんが、50%に迫るきよしさんの熱唱シーン、本当に本当に多くの方に届いたのだと嬉しくなります。
そして大トリの期待に十二分に応え、こうして目に見える結果(数字)も出されたのですから、素晴らしいです。
きよしさんに、”天晴れ!”と惜しみなく賞賛を贈りたいと思います。


まだ文体がきまりきらないときの記事、自分では新鮮に感じます。

次回は、令和になってから、お逢いしましょう!


沖縄で出会ったすべての人、ものに、”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ!” 新時代の令和(ビューティフルハーモニー)をゆったり旅するように生きてみたいです。

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こんばんは。
数日、ブログをお休みしていましたが、元気に令和を迎えて、のんびりモードですごしています。
5月1日には、「氷川きよし節」(文化放送)で、「きよしの令和音頭」を聴いて、晴れやかな気持ちにさせていただきました。
ゴールデンウィーク中の「氷川きよし節」(文化放送)は、”氷川きよし節 GWスペシャル・男歌と女歌~わたしのなかの男と女~”というテーマで、毎回、きよしさんの男歌と女歌を1曲ずつながしてくださいますが、きよしさんのコメントも必聴ですね。楽しませていただいています。

連休前にあまりにコンを詰めて仕事をしていたので、諸々の原稿が無事にできあがったら、ほとほと脱力。
こころが解き放たれてホッとしたら、からだの疲れがいい感じででてきて、なにをするにものんびりモードでスローモー(汗)。
でも、そうはいっても先送りしていた予定が満載で、フリーマーケットに出店したり、仙台への小旅行に出かけたり、お友達とお茶して、食事して、日長1日ゆっくりすごしたり、甥っ子たちも合流して家族みんなで夕食に出かけたり...。
仕事もそれなりにあって、かえって忙しくなっているような、そんな毎日をすごしていました(笑)。

日々、ブログを書きたいと思いながらも、仕事も含めてなかなかパソコンに向かって書く気持ちになれずにいて...。
そして、書きなぐりのメモを解読(おおげさ?でもそんな感じなのです)が、ひどくおっくうに思えて...。
そんな自分を静かに見つめることにしたのです。

連休前に書いていたふたつの原稿は、久々に自分と格闘しながら書いていました。
没頭し、自分を追いこんで追いこんで、ためてきたものをすべて絞り出すようにして書いていたので、できあがったときにはほんとうにそのときのすべてをだしきれたようで。
自分で思っているよりずっと疲れていたことを自覚したのでした。

もちろん、こうして今、このブログを書いているということは、復調した証ですので、ご安心くださいね。


イメージ 2
※コンサートが終わってホテルに戻ってから、
夜の国際通りを歩いて、近くのスターバックスに。
場所柄、24時まで営業していたので、すっかり長居してしまいました。


以下、今夜は、沖縄コンベンションセンター 劇場棟で4月20日に開催された「長良グループ 演歌まつり in 沖縄」の夜の部で、こころにのこったこと、書いてみたいと思います。
わたし自身は初めてうかがうしったエピソードを山川さんがお話しくださたので、そのことも書いてみたかったのです。
この日の様子は、氷川きよしモバイルでも動画がアップされていましたので、わたしもその動画をみて、またまたあの日、あのひとときの空気をぐーんと呼び覚まされたのです(喜)。

夜の部で、どんちょうがあがると、うしろ髪を整えていらっしゃったきよしさん。
あわてて、居住まいを正されたのです。
もう~、お茶目なんだからっ!
でも、それはもしかして、もしかして、さりげなく舞台裏をみせてくださろうとしての大サービスだったでしょうか?

幕開けしたその瞬間からすっかりリラックスしたきよしさんだったのです。
「ハイサイおじさん」を出演者全員で歌っての幕開けでした。
ツアーで参加された皆様で観光コースを選ばれた方たちは夜の部のみ参加なので、この夜の部には、ツアーに参加された皆様も勢ぞろいされ、すっかりうちとけたムードになっていたのです。

ここで周年を迎えたおふたりの方のお祝いコーナーとなり、55周年の藤野さん、20周年のきよしさんが紹介されました。
藤野さんには田川さんが南国ムードあふれるカラフルな花束を、きよしさんには山川さんが、白のカラーを主にして優しい黄色の小花とグリーンが配された花束をプレゼント贈られたのです。どちらも片手で抱えるのは大変なほどの大きなものでした。
感激しきりのきよしさんに、
「20年、ようがんばったなあ。
(20代の)まだ遊びたいさかりに、仕事して、家に帰ったら寝るだけで、また仕事。ファンの皆さんのためにがんばって...。
これからもがんばってほしいけど、、少し休んでほしいという気持ちもあります」
と山川さんはおっしゃいました。
きよしさんは、山川さんの言葉にうなずくようにしてじっとおききになっていたのです。

「皆さんにお喜びいただきたいという思いで20年歌ってきました。
ファンの皆さんが”氷川きよし”をつくってくださったとあらためて思っています。
これからもいい歌を歌って皆さんに喜んでいただきたいです。
なんて、思ったりなんかしちゃったりして(笑)」
と、笑顔でお答えになったのです。

「それでは歌っていただきましょう!」
西寄さんがそうおっしゃって、次に歌われるきよしさんに、目で合図されると、
「あたし?」
と、きよしさん(笑)。
西寄さんが
「あたス!」
と返されると(笑)、
「花束振って歌います」
と意気揚々とおっしゃり、ステージセンターのすすまれて、
「きよしのズンドコ節」
を歌われたのです。

イメージ 1
※雨の沖縄も素敵! だってきよしさんと一緒ですから~。


コンサートのセットリストや構成は4月22日にアップした記事に書いていますので、よろしければこちらをご覧くださいませ。

☆4月22日のこのブログの記事です。

コンサートの大詰め、”新曲披露コーナー”のしめということで登場されたのは、、山川豊さん、田川寿美さん、水森かおりさん、きよしさんでした。
きよしさんは、「大丈夫」のコスチュームの縞模様のお着物にお召し替えされていたのですが、ほんとうにみればみるほど、”きよしのズンドコ節”のコスチュームをモチーフにされていることを勝手に確信(笑)。
お着物だけでなく、帯と半襟のチェッカー柄も、「きよしのズンドコ節」のジャケットで、きよしさんが着用されているネクタイがブルー系のチェッカー柄でしたから~。

ねっ?

イメージ 3


と、横道にそれてしまってごめんなさい。
きよしさんは、
「24歳でこの沖縄でコンサートツアーをスタートしました。
自分のためにお客様がチケットを買って、コンサートにきてくださることを思ったら、ほんとうにプレッシャーでした。
コンサートツアーはその年限りになるのかもしれないと思っていました。
でもコンサートに皆さんがお越しくださるおかげで、ずっとコンサートをつづけさせていただいて、ありがたいですね」
と、お話しされました。

そしてデビュー前の話題になると、
「デビュー前に、山川さんのお宅にお邪魔させていただきました。21歳のときでした。
芸能界に、こんなに優しい方がいるんだなって思いました」
ときよしさんはおっしゃったのです。
そういえば昼の部で、山川さんが、きよしさんのことを仕事を超えて、弟のように思っているとお話しされたときに、”山川さんは日本の芸能界いちばん優しい先輩”とおっしゃっていました。

夜の部では、きよしさんの言葉をうけて、こんなことをお話しくださったのです。
「きよしくんは、食事のあと、うちの女房とお皿を一緒に洗って、後片付けをしていったんですよ。
それで、(あのあと、きよしくんが)デビューして、その年の大晦日に紅白に出て。
それを女房とテレビでみていて、”もう(彼は)うちに来ないだろう”って話したんです。
そうしたら、(その後)また来て、食事して、また女房と皿洗ってました(笑)」
と。

と、ここで昼の部のラウンドコーナーでの写メをアップしますね。

イメージ 4
※近すぎて、どうしたらよいのかパニックしながら写メ(汗)。
背景に☆加工させていただいていて、ごめんなさい。


きよしさんは、
「ふとんのなかでいろいろなことを考えるんです。
眠れぬ夜をすごすこともあって...」
と。
すると、客席からたくさんの”大丈夫”の声がきこえてきて、そして”OKサイン”がゆらめいたのです。
「だ、だ、だ、だ、大丈夫?」
きよしさんはそうおっしゃると、
「こんなに優しい先輩がいるんだなって思って。ありがたいです」
と、ご自身のトークを結ばれました。

そして、田川さん、水森さんがお話しされ、
山川さんが、
「昭和、平成、令和と時代がかわります。
新しい時代の令和にもボーン!とヒット曲をだしたいですな~」
とおっしゃると、田川さん、水森さん、きよしさんはおおきくうなずかれました。

そこで西寄さんが、山川さんに沖縄への思いをうかがうと、
「これは初めていうんですが、新婚旅行は宮古島だったんです。
忙しくて、やっと時間をとって3泊したんですけど、ずっと雨が降っていて。
ホテルで女房とずっと卓球していました(笑)」
と。
すると、西寄さんが、
「初めてききました。
でも卓球をされてすごされたこともまた素敵な思い出ですね」
と。
そんな宝物のような素敵なエピソードを山川さんがお話しくださったことにじんときたのですが、きよしさんたちも初めておききになった様子で...。
なんだか家族になったような親密であたたかな空気に包まれたのです。

きよしさんが、「大丈夫」
水森さんが「高遠さくら路」
田川さんが「恋はひといろ」
山川さんが「今日という日に感謝して」
を歌唱されました。

山川さんが歌い終えると、出演者の皆さんが勢ぞろいされ、最後は「好きになった人」を全員で歌唱してお別れとなったのです。
水森さんが、”必ずまた来ます!”と何度もおっしゃっては手を大きくふってジャンピングされ、きよしさんも3階、2階、1階と、両手を思いきり振ってくださっていました。

ああ~、このまま終わりたくないっ!
と、思いながら、そんなふうな気持ちにさせていただける時間をすごせたことに、幸せとありがたがこみあげてきたのです。

わたしもまたいきたい!
こころのそこからそう思います。

そして、いつか、沖縄の地で、きよしさんにコンサートを開催していただきたいですし、いずれは、”氷川きよし 沖縄を歌う”というようなテーマだてたコンサートもしていただけたらなあ...。

なんて、またまた夢がふくらんで、きよしさんを忙しくさせてしまいそうですね。
きよしさん、ごめんなさい。


こちらは「島唄」のなかでも歌われている、デイゴの花です。
前回、沖縄にはじめていったときに目にして、これがそうなのかと感動しました。
今回は目にするチャンスがなかったので、前回の画像を!

イメージ 5
※一昨年、美ら海水族館近くで写メした画像です。

「安里屋ユンタ」の歌詩に、
「♪サー 沖縄よいとこ一度はおいで 春夏秋冬 花見て暮らす  マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」
という一節がありますね。

”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ”は、八重山方言の古語で、”また逢いましょう、美しき人よ”という意味だそうですが、
ほんとうに、きよしさんはじめ今回の沖縄で行く先々で出会った方たち、訪れた豊かな自然にあふれた地...。
すべてに、”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ”と言わせていただきたい思いです。

そして、迎えた令和(ビューティフルハーモニー)という新時代を、ゆったり旅するように、味わって、ときには道に迷いながらも、ゆったりと生きてみたいです。

きよしさんの幸せいっぱいの「大丈夫」で、”大丈夫ボール”に大熱狂。デーモン閣下をセンターにきよしさんも参加されたSMAPの「ありがとう」が大反響! 令和初の「うたコン」はサプライズ満載でしたね。

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こんばんは。
今夜の「うたコン」、ご覧になりましたか?
ウェイビーヘアーのきよしさん、超素敵ですよね~。
登場された瞬間、NHKホール中に、甘いため息がもれたのです(嬉)。
わたしはといえば、「虹色のバイヨン」のときのきよしさんを彷彿させられて、とろとろ、とろ~んと、とろけておりました。

番組のテーマは、
”令和だョ! 名曲リフレッシュ祭”
ということで、事前のおしらせで、”氷川きよし 大丈夫?客席を跳び回る2mの○○!”とありましたが、まさかの”大丈夫ボール”の登場でしたね(喜)。

じつは前説で、ディレクターさんから、”大玉”がステージから客席におくられ、それを頭上で転がす旨の説明がありました。
そして、振りと三本締め、かけ声の練習をすることになったのですが、きよしさんの歌唱されている「大丈夫」の音源がながれて、1番での振り、三本締め、かけ声をほぼ完璧にクリアしたのですが、なぜかそのまま3番(放送どおりに1番と3番がはいった2コーラス分の音源だったのです)がながれて...。
ディレクターさんが、後半の声をかけるタイミングを逸してしまわれたということで、もう1曲の練習を駆け足で、すすめたところで、もう放送開始1分前になってしまっていたのです(汗)。

下手側の待機席に出演者皆さんが着席され、ステージ中央にきらめく赤一色の衣装をまとったきよしさんがデーモン閣下とともにスタンバイされると、すぐに放送開始となりました。
オープニングにデーモン閣下と歌唱された「時代」、素晴らしかったですね。
きよしさんのデーモン閣下へのリスペクトの思いが、その歌唱と振る舞いから感じられて、響きあうハーモニーに聴き惚れて...。
”ビューティフルハーモニー”という意味合いの”令和”初の「うたコン」の、これ以上ないオープニングだなあと感じていたのです。

そして、「大丈夫」では、まさかの”大丈夫ボール”が飛びだして、大熱狂。
”2メートルの〇〇”、”大玉”とはこのことだったのですね。
そして、楽団の皆さんまで踊りだされて、びっくり仰天!
なんと、ダンサーさんのダミーだったそうで、指揮者のフラッシュ金子さんまでダミー!
終演後、その話題になっていたので、帰宅して、録画でチェックして、なるほどと(笑)。
今回は3階席での観覧でしたので、ふれたら幸せになれるという”大丈夫ボール”に手をふれることはかないませんでしたが、こころでしっかりふれさせていただいて、楽しくて、おめでたくて、最高の演出に大満足でした。

この日、ネット上でSMAPの「ありがとう」のコラボ歌唱が、”異色のメンバーのよる歌唱”ということで、大反響だったことを、帰りの地下鉄のなかでしりました~(嬉)。

5月12日に令和最初の“母の日”を迎えるということで、SMAPの「ありがとう」も選曲されて、司会の谷原章介さんが、
「母の日に送る言葉はありがとうに尽きるのではないでしょうか」
と前振りされてスタート。
歌い出しはきよしさんのソロで、山内惠介さん、石丸幹二さん、福田こうへいさんと一緒にステージセンターにたたれて、順番に歌唱されていきましたね。
そして、そこにデーモン閣下が後方から登場されてセンターに。
コーラスやバックダンサーにサラ・オレインさん、chayさん、BEYOOOOONDSの皆さんが加わって、もりあがりました~。
歌手の皆さんもとても楽しまれていることが伝わってきて、さらに幸せな思いになりました。

放送中に待機席で、サラ・オレインさんをはさんできよしさんが下手寄り、山内さんが上手寄りにすわっておられたのですが、きよしさんがお声をかけると、山内さんがなにかを答えて、またきよしさんがと、会話がはずみにはずんで、とまらなくなって(笑)、おふたりがサラさんに、”すいませ~ん”とおわびし、サラさんが、”そんなことない、つづけて”というようなやりとりをされている様子がみてとれたのです。
オープニングで歌唱される直前にも、山内さんと目で檄を飛ばしあっていらして...。
もう、仲良すぎですねっ!

終演後のことを書く前に、書きたいことがひとつあります。
新歌舞伎座のポスター画像のあと、終演後のことを書きますね。

それは、5月5日に放送された倉富顕子さんの「艶歌にっぽん」(KBS九州朝日放送)のことです~。
大好きな倉富さんが聴き手で、すっかりゴキゲンのきよしさんが、いつも素敵なトークをきかせてくださいますが、今回はもう最高っ!
エリア外の皆さまも、月額350円が必要になりますが、ラジコのエリアフリー&タイムフリーで11日まで聴けるので、まだの方はぜひ!と思いまして。

きよしさんが、「越後の雪次郎」をアカペラで歌唱されたり、倉富さんの曲紹介のデモのために、きよしさんが「最上の船頭」と「大丈夫」のイントロを口三味線で歌われたり、くしゃみをされたり、大もりあがりだったのです。
博多弁がどどんと飛びだして、ほぼ本音しかお話しされていなそうなトーク(笑)。
9月6日の大阪城ホールでの公演について、”演歌歌手では、初の単独公演”と倉富さんが紹介されると、”自分、演歌歌手でしたっけ?”とおとぼけのきよしさんに、喝をいれてくださって、”えへへ”というリアクションのなんだかスッキリ!

先日、出演された地元局の番組で、時間があると倉富さんをお誘いしてお食事されたりすることをお話しされていましたから、番組はその延長なのでしょうね(喜)。

ラジコについて、詳しくはこちらで!

イメージ 1
※来週末から大阪新歌舞伎座での公演がスタートします!
また恋之介さまに逢えるのですね。


では以下は終演後のことを。
4月から「うたコン」の放送時間が遅くなったので、終演後の歌のプレゼントはおふたりになりました。
開演前のディレクターさんによる出演者紹介の際、すでにおひとりは、番組には出演されない新人の方が歌唱されるということで、その方のお名前も紹介されました。

その方は二見颯一さん。
3月6日にデビューされましたが、2017年に開催された日本クラウンのオーディションで優勝され、その後水森英夫先生の指導をうけてデビューされたそうですので、きよしさんの弟弟子ということになるのでしょうか。
水森先生が作曲された「望郷峠」(作詩はたきのえいじ先生)を歌われました。
着流し姿で大人っぽくみえましたが大学3年生なのだそうです。
声量豊かで気持ちのよい歌声でした。


二見さんをお見送りすると、あとおひとりはどなたでしょう?
もしきよしさんではなかったら、暴動がおこりそうな雰囲気だなあと、いつもこの瞬間にわたしはそう思って、わくわくしながらも愉快な気持ちになるのです(笑)。
そんな空気をよまれた谷原さんと司会の小郷知子アナウンサーが、
「最後のひとりになりました」
とおっしゃると、
ペンライトがまぶしいほどにまたたきました。

「ということで、皆さん、どなたかおわかりですね」
とおっしゃったのは小郷さんでしたでしょうか。
「では皆さんでお呼びしてください」
との声に、ほとんどの方が、”きよしく~ん!”と(喜)。
その声に、きよしさんは、お辞儀をしながら登場され、
「あっ!」
と、ひとこえ発せられました(喜)。
衣裳は放送でお召しになっていた赤のスーツのままでした。
このスーツ、初お目見えでしたでしょうか。
とっても素敵でしたから、お着換えされていなくて嬉しかったのです。

この日の番組について、
「初めて閣下とご一緒させていただきました。
子供のころ、テレビでみていた方でしたから。その方と一緒に歌うことがあるなんて」
と、まだ興奮気味のきよしさん(嬉)。
「『時代』は名曲ですね~」
としみじみ。

令和最初の『うたコン』という話題に、
「令和になってどうですか、時代がかわっった気がしますか?」
ときよしさんが、おふたりに問われると、
谷原さんが、
「します!」
と即答。
皆が、おおっ!と思ったら、
「氷川さんの髪型がかわりましたね」
と谷原さんは補足されました。

きよしさんは、うなずかれると、
「自分に飽きちゃって。
髪を長くしたらいろいろアレンジできていいかなって思ったんですよね」
とお答えになりました。

そして、
「20歳になりましたから」
とのきよしさんの言葉に、司会のおふたりが”えっ?”というリアクションをされると、
「年齢は41歳なんですけど、”氷川きよし”としては二十歳(はたち)なんですよ」
と。

そんなきよしさんに、
「どんな20周年にしたいですか?」
と谷原さんが質問されると、
「楽しみながら、なんかぁ...歌えたらいいなって思います。20年歌ってきて、やっと二十歳(はたち)になったので、これからは自分の思いも表現していきたいですよね。
でも、自分でいうのもなんですけど、まじめなので...」
ときよしさんがお答えにななると、谷原さんは、
「まじめでもくだけることもできますよ」
とおっしゃってくださいました。

きよしさんは、その言葉に、
「そうですね。くだけて、殻を破りたいですね」
と、そんなふうにおっしゃっていたでしょうか。

ご自身から、
「情報があるのですが」
ときりだされ、7月11日・12日の日本武道館での2日間3公演、そして9月6日の大阪城ホールでのコンサートのおしらせをされると、
「20年間のいろんな思いをだしたいですね」
とおっしゃいました。
谷原さんが、
「目玉になることをなにかおしえてくださいませんか?」
と質問してくださると、
「ちょっと...ないですね」
と。
そこで、さらに、
「ちょっとだけでも、おしえていただけることないですか?」
とききこんでくださったのですが、まだ思案中のこともあるのでしょう。
「とくにないです」
とひとことおっしゃると、谷原さんにちょっぴり申し訳なさそうな視線をおくられて、
「秘密です」
とおっしゃいました。

来週から大阪の新歌舞伎座で座長公演をされることもおしらせされたのですが、思わず、”1か月公演”とおっしゃってから、”10日間”と訂正。
きよしさんは、1か月公演の勢いで公演に臨まれようとしているのでしょうね。

きよしさんは10連休中も仕事の日々だったそうで、
「移動する新幹線のなかで、旅行をされている楽しそうな人達をみて、いいなあってうらやましかったです」
とおっしゃると、
「でも、ファンの皆さんに喜んでいただけるんですから」
と谷原さんが、きよしさんの目をみつめてたたみかけるようにおっしゃったので、きよしさんは、
「大丈夫!」
と、おこたえになりました(喜)。

歌ってくださったのは、「最上の船頭」でした。
伸びやかに、情感豊かに歌ってくださり、ああ、20周年なんだなあとその歌唱にしみじみと聴き入っていたのです。

終演後は、緞帳がおりるまでお辞儀をされ、手を振ってくださっていました。
またNHK構内が工事中のため、出待ちができないことbについて小郷さんが説明されると、今回は谷原さんに先駆けて、
「申し訳ございません」
と、きよしさんがおっしゃっていました。


きよしさん、まごころ、つたわっています。
素敵な歌唱と、ステージパフォーマンスをありがとうございました。
これからもいろいろな髪型にもチャレンジして、ますます素敵なきよしさんをみせてくださいね。

大阪から新歌舞伎座公演のチケットと一緒にハートマークの郵便物がとどきました(嬉)。

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こんばんは。
新歌舞伎座さんでの座長公演が近づいてきましたね。
今日は”きよメール”もとどいて、どんなステージになるのかいっそうわくわくしてきました。
お芝居では、恋之介さまと昨年の10月以来、7カ月ぶりの再会ということになるのでしょうか。
”シリーズ化”のお声もちらほらときこえてはきますが、きよしさんのことだからまた新たなキャラクターをうみだされるかもしれず...。
そうしたら、今回で恋之介さまは見納めになるかもしれないという思いも抱いて、25日の夜の部の公演から観させていただく予定です。

「きよしの令和音頭」も歌ってくださるそうですし、6月4日に発売されるニューアルバム「新・演歌名曲コレクション9-大丈夫/最上の船頭-」からも歌ってくださるとのこと。
そして、衣裳もバリバリ気合はいっておられる様子が”きよメール”の文面からつたわってきて...。
もう~、楽しみですっ!



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さて、11日に、新歌舞伎座さんから25日と26日のチケットがとどいたのですが、一緒にハートマークの郵便物もちとどいていました。
ハートマークの郵便物の送り主は堺のおともだちのUさんです。
5月9日の毎日新聞(関西版)の夕刊を送ってくださったのですが、東京にいながらにして9日の夕刊が11日には手元にある幸せに、じーんときて、封をあけました。
掲載当日の夜、”おともだちにも差し上げてください”と、3部送ってくださる旨のメールが、わたしが早く記事を読みたいと思われて、記事の写メ付きで送られて、ほんとうに感激したのです。
いただいて1部をとりだして読み入り、あとは汚さないようにファイルにいれたままにしていたのですが、この記事を書くのに、写メしようとして、クリアファイルから送ってくださったものをいったんすべてとりだしてみたら、5部もはいっていて...。
ありがたいですね。
Uさんに3部でお礼のメールを送ってしまったわたしですが、この記事を書いたら、お礼&おわびのメールするつもりです。

さて、この記事にはきよしさんの思いがたくさんつまっていて...。
何度も読みかえしたのです。
タイトルの”伝えるべきこと伝えたい”という、今のきよしさんの思いそのものとうけとめて...。
じんときたのです。
大阪での座長公演となると13年ぶりで前回は2006年。
「きよしの森の石松」を上演したのでしたね。

きよしさんはインタビューで、当時は難波にあった新歌舞伎座での1か月公演で、慣れない大阪暮らしにさみしさを感じて、たまたま訪れたペットショップで運命の出会いがあったことをお話しされています。
そう、ココアちゃんと出会ったのでした。
犬を飼いたいというきよしさんに、スタイリストのIさんは、”命なんだよ”と生半可な気持ちで犬を飼うことをいさめたとのちにうかがったことがありますが、それでもきよしさんの決心はかたかったのですね。

きよしさんは、ココアちゃんのことを
「千秋楽まで一緒に過ごし、その後も命のように大事にしてきました。僕のことを何でも知っていて、本当にいとしい存在です」
と語っておられて、涙がでそうになりました。

でも、文末では、
「(前略)最近は自分が何を伝えていくべきかを考えるようになりました。娯楽的な歌だけれなく、41年間生きてきて体験したいろいろな思いや、人を励ますメッセージも発信していきたいと思っています」
と、デビュー20周年の思いをお話しされ、さらに、
「(コンサートなどで全国を回っても、以前は仕事を終えると外出することはほとんどなかったが)30代後半くらいから”楽しまないともったいない”と土地ものを食べ歩くようになりました。大阪はおいしいものばかりですから、太って帰ることにかるかも」
とお話しされていて、なんだかほっこりとしたのです。

文末に記事の写メアップしますね。
次回はCD曲目リストをアップしたいと思っています。
わたし、今、正直なところ、思いっきり仕事しているのですが、6月はきよしさんと一緒に(正確には追いかけて?)、全国を駆け巡る予定でございます。
と、なぜか、ていねい語に(笑)。

そのことも、大阪に行くまでに書きますね。
そして、そろそろニューアルバムのジャケ写も公開されそうですね。

Yahoo!ブログの終了まで3カ月になりましたので、できる限り、感動や、いろいろな思いを発信していきたいと思っています。


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5月9日の毎日新聞 夕刊の関西版からです。

Uさん、いつもありがとうございます~。

6/4発売のニューアルバムのジャケ写が公開。そして発売記念イベントが4都市で開催決定ですね。 嬉し思いでCD曲目リスト更新します。

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こんばんは。
6月4日にリリースされるニューアルバム「新・演歌名曲コレクション9-大丈夫/最上の船頭」のジャケット写真が昨日、公開されましたね。
そして、4都市での発売記念イベントの詳細も発表されました(嬉)。
この嬉しい思いをこめて、CD曲目リストを更新しようと思います。

まずは待望のジャケット写真!
今回は紫が基調になっていて、背景に番傘があしらわれていて、6月の季節感にもぴったりではありませんか。
こんなに紫色が似合う男性って、きよしさんのほかにいらっしゃるかしら?

と、すでに、皆様、ご覧になっておられるかと思いますが、ここでもアップしますね。
こちらがAタイプ(初回完全限定スペシャル盤)です。
「大阪とんぼ」と.「雨とルージュ」のDVD ミュージック・ビデオの特典付きです。

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Aタイプ・初回生産限定盤



そして、こちらがBタイプ。


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※Bタイプ

発売記念イベントは、
6月3日 東京・池袋サンシャインシティ 噴水広場
6月4日  名古屋・アスナル金山
6月6日 福岡・イオンモール香椎浜 1Fセントラルコート
6月8日 大阪・ツイン21アトリウム
と4都市で開催されることが決定しました~。

詳細はこちらの日本コロムビアさんのHPで確認してくださいね。

わたしは、当初、奈良県文化会館 国際ホールで開催されるきよしさんのコンサートに、日帰り可能なのでFCで申し込んでいたのですが、ホールの耐震性についての懸念があるとのことで、会場が橿原文化会館に変更になり、会場変更にともなって開催時間も変更になったのです。
申込後に発表された耐震状況を考慮しての変更なので、当選しても、参加が無理な場合はその分のチケット代&送料を差し引いて振り込んでかまわないということでした。
そこで、しばし迷ったのですが、週末なので、1泊して久々に明日香村をまわってみてもよいかしら? と考えて、そのまま参加することにしたのです。
でもニューアルバムの発売日が6月4日と発表されたとき、やっぱり発売記念イベントのフィナーレは大阪? それもやっぱりツイン21アトリウム? 
9日は守山市民ホールでコンサートを開催されるので、大阪は8日かしら?
もしそうだったら参加できるんだけどなあ...と、とてもとても期待していたのでした。

ですので8日に開催決定となった今、迷うことなく明日香村よりきよしさんのわたしですから(喜)。
それに移動も30分ほどなので、以前の桑名からの移動よりは楽々です。

そして、「うたコン」も18日は川口リリアホールでコンサートを開催されるので、きよしさんが出演されるとしたら4日か11日の可能性大(嬉)。
じつは6月11日はわたしのバースデーなので、応募する際、勝手ながら、11日にきよしさんが出演してくださらないかしら? 念じていたのです。
今回、4日にアスナル金山で発売記念イベントを開催されるということは、11日への出演をかなり期待させていただいてもよいでしょうか?
と、あれこれとりとめなくてごめんなさい。


では以下は2019年3月4日現在の、きよしさんのCD曲目リストです。
あくまでわたしのカウント方法によるものですが、KIYOSHIの楽曲もふくめてオリジナル&カバー曲をあわせると、543曲。
そのうちわけはオリジナル曲が292曲、カバー曲が252曲という計算です。
カウント方法はリストの最後に付記しますね。

川きよし&KIYOSHI CD曲目リスト
アルバムのタイトルは紫色にしました。
シングルは第何弾という見出しを太字に、KIYOSHIの楽曲の見出しは緑色にしています。
タイトルの前の数字は曲目の通し番号、
タイトルの後ろの数字は
( )がオリジナル曲、
〈  〉がカバー曲の通し番号です。

バージョン違いの楽曲は赤字で表記してカウントしています。
また、先にシングルとして発売された後、アルバムに収録された曲はカウントせずにピンク色で表記しました。
2014年5月21日に発売された「氷川きよし昭和の演歌名曲集」に収録されたカバー曲がすべて新録音によるものだったことを受け、カバー曲の新録音したものについては通し番号のあとに2度目は※、3度めは※※※と
今のところは表記させていただくことにしました。
また、「Kiyoshi  Special concert 2015 ~Kiyoshi's Summer~」の収録曲もカウントし、ライブ版ということで、数字のあとに、”Live Ver.”と付記しています。

◆2000年
2/2 シングル第1弾
 1 「箱根八里の半次郎」(1)
 2 「浅草人情」(2)

6/21 「股旅演歌名曲選/氷川きよし 箱根八里の半次郎~風雲編~」
 3 「箱根八里の半次郎~風雲編~」(3)
 4 「潮来笠」<1>
 5 「伊豆の佐太郎」<2>
 6 「旅笠道中」<3>
 7 「名月赤城山」<4>
 8 「旅鴉」<5>

10/21 「股旅演歌名曲選Ⅱ/氷川きよし 箱根八里の半次郎」
「箱根八里の半次郎」
 9 「赤城の子守唄」<6>
10 「勘太郎月夜唄」<7>
11 「妻恋道中」<8>
12 「一本刀土俵入り」<9>
13 「旅姿三人男」<10>


◆2001年
2/21 シングル第2弾
14 「大井追っかけ音次郎」(4)
15 「花の渡り鳥」(5)

6/21 「演歌名曲コレクション・大井追っかけ音次郎~青春編」
16 「大井追っかけ音次郎~青春編」(6)
17 「純子の港町」(7)
18 「北荒野」(8)
「花の渡り鳥」
「浅草人情」
「箱根八里の半次郎」
19 「雪の渡り鳥」<11>
20 「僕は泣いちっち」<12>
21 「雨に咲く花」<13>
22 「さすらい」<14>
23  「あの娘たずねて」<15>
24 「無法松の一生~度胸千両入り~」<16>

11/21 「大井追っかけ音次郎」
25 「月太郎笠」(9)
26 「近江の鯉太郎」(10)
27 「東京恋始発」(11)
28 「あのままあの娘とあれっきり」(12)
29 「霧笛の波止場」(13)

11/21 KIYOSHI シングル・1
30 「きよしこの夜」(14)
31 「キヨシこの夜~Angel of mine~」(15)
32 「Silent Night~きよしこの夜~」<17>


◆2002年
2/6 シングル第3弾
33 「きよしのズンドコ節」(16)
34 「送恋譜」(17)

5/22 「演歌名曲コレクション2 きよしのズンドコ節」
「きよしのズンドコ節」
「送恋譜」
35 「雪子の城下町」(18)
「大井追っかけ音次郎」
36 「風に散る花」(19)
「箱根八里の半次郎」
37 「花と竜」<18>
38 「別れの一本杉」<19>
39 「哀愁列車」<20>
40 「船方さんよ」<21>
41 「いっぽんどっこの唄」<22>
42 「ダイナマイトが百五十屯」<23>

8/21 シングル第4弾
43 「星空の秋子」(20)
44 「でんでん虫」(21)

11/20 「銀河」
「星空の秋子」
45 「ふるさと一番星」(22)
46 「流れ星」(23)
47 「北斗星」(24)
48 「星空のロマンス」(25)
49 「夢銀河」(26)
50 「星影のワルツ」<24>
51 「星のフラメンコ」<25>
52 「見上げてごらん夜の星を」<26>
53 「星屑の街」<27>
54 「夜空の星」<28>
55 「昴~すばる~」<29>


◆2003年
2/19 シングル第5弾
56 「白雲の城」(27)
57 「あの娘は行っちゃった」(28)

5/21 「演歌名曲コレクション3~白雲の城~」
「白雲の城」
58 「夕焼け波止場」(29)
59 「赤いシャツ着て」(30)
「あの娘は行っちゃった」
60 「さいはての陽子」(31)
「きよしのズンドコ節」
61 「あん時ゃどしゃぶり」<30>
62 「リンゴ村から」<31>
63 「チャンチキおけさ」<32>
64 「流転」<33>
65 「おんなの宿」<34>
66 「男の純情」<35>

10/1 KIYOSHI シングル・2
67 「ラブリィ(TAMAO&KIYOSHI)」(32)
68 「ラブリィ~KIYOSHI ONLY Ver.~」(33)
69 「誓い」(34)

11/19 「男気」
70 「詩吟・春望~白雲の城」(35)
71 「時代(とき)を駆ける男」(36)
72 「おやすみ夕子」(37)
73 「夢勝負」(38)
74 「北極光(オーロラ)」(39)
75 「玄海竜虎伝」(40)
76 「ああ上野駅」<36>
77 「東京の灯よいつまでも」<37>
78 「人生劇場」<38>
79 「赤い夕陽の故郷」<39>
80 「大利根月夜」<40>
81 「人生一路」<41>


◆2004年
1/21 シングル第6弾
82 「きよしのドドンパ」(41)
83 「ハマナス旅情」(42)

5/1 KIYOSHI シングル・3 福岡とびうめ国文祭 限定販売
84 「人生号 Jinsei-GO」(43)

6/9 KIYOSHI シングル・4
85 「evergreen(いのちの唄声)」(44)
86 「evergreen(いのちの唄声)feat.KIYOSHI」(45)

7/7 シングル第7弾
87 「番場の忠太郎」(46)
88 「人情取手宿」(47)

9/1 「演歌名曲コレクション4~番場の忠太郎~」
「番場の忠太郎」
89 「霧の中の愛子」(48)
90 「青龍」(49)
「ハマナス旅情」
「人情取手宿」
91 「東京夢の街」(50)
92 「赤い傘」(51)
「きよしのドドンパ」
93 「赤いランプの終列車」〈42〉
94 「東京花売娘」<43>
95 「おんな船頭唄」<44>
96 「銀座九丁目水の上」<45>
97 「小島通いの郵便船」<46>
98 「骨まで愛して」<47>
99 「高原列車は行く」<48>
100 「無情の夢」<49>
101 「湯島の白梅」<50>
102 「誰か故郷を想わざる」<51>


◆2005年
2/9 シングル第8弾
103 「初恋列車」(52)
104 「口笛の港」(53)

5/18 「演歌名曲コレクション5~初恋列車~」
「初恋列車」
105 「北行き最終便」(54)
106 「東京霧笛」(55)
「口笛の港」
107 「夏子の海峡」(56)
108 「いつもみんなで手をつなごう」(57)
109 「黒い花びら」<52>
110 「長崎の女(ひと)」<53>
111 「達者でナ」<54>
112 「街のサンドイッチマン」<55>
113 「東京ラプソディ<56>
114 「浅草パラダイス」<57>

7/6 シングル第9弾
115 「面影の都」(58)
116 「故郷はわが胸に」(59)

11/23 5/21 「演歌十二番勝負!~面影の都~」
「面影の都」
117 「波止場のマリー」(60)
118 「白虎(とら)」(61)
119 「キャラバン」(62)
120 「愛しき街角」(63)
「故郷はわが胸に」
121 「古城」<58>
122 「別れの波止場」<59>
123 「青い背広で」<60>
124 「落ち葉しぐれ」〈61>
125 「おーい中村君」<62>
126 「会津の小鉄」<63>
127 「面影の都~アルバムバージョン~」(64)


◆2006年
2/9 シングル第10弾
128 「一剣」(65)
129 「きよしの森の石松」(66)

6/28 「演歌名曲コレクション6~一剣~」
「一剣」
130 「玄海月夜」(67)
131 「朱雀」(68)
「きよしの森の石松」
132 「おもかげ峠」(69)
133 「君去りて今は」(70)
134 「柿の木坂の家」<64>
135 「お富さん」<65>
136 「人生の並木路」<66>
137 「丘を越えて」<67>
138 「裏町人生」<68>
139 「刃傷松の廊下」<69>

9/6 DVDシングル KIYOSHI
140 「未来」(71)
141 「belive~あきらめないで~」(72)


◆2007年
5/9 シングル第11弾&12弾 同時発売
142 「あばよ」(73)
143 「朝顔日記」(74)
144 「きよしのソーラン節」(75)
145 「希望という名の最終列車」(76)

6/28 「演歌名曲コレクション7~あばよ・きよしのソーラン節~」
「あばよ」
146 「扇」(77)
147 「きよしの一心太助」(78)
「希望という名の最終列車」
148 「玄武」(79)
「朝顔日記」
149 「陽春」(80)
「きよしのソーラン節」
150 「あばよ・アルバムバージョン」(81)
151 「憧れのハワイ航路」<70>
152 「若いお巡りさん」<71>
153 「皆の衆」<72>
154 「長崎の鐘」<73>
155 「かえり船」<74>
156 「東京の屋根の下」<75>
157 「旅の夜風」<76>
158 「黄昏のビギン」<77>
159 「夜霧のブルース」<78>
160 「大利根無情」<79>


◆2008年
5/9 シングル第13弾
161 「玄海船歌」(82)
162 「北愁」(83)

6/28 「演歌名曲コレクション8~玄海船歌~」
「玄海船歌」
163 「天竜しぐれ」(84)
164 「夜汽車」(85)
165 「杏の花咲く里」(86)
「北愁」
166 「祭り囃子」(87)
167 「涙を抱いた渡り鳥」<80>
168 「未練の波止場」<81>
169 「東京だョ おっ母さん」<82>
170 「アカシアの雨がやむとき」<83>
171 「石狩挽歌」<84>
172 「恋は神代の昔から」<85>

10/1 シングル第14弾

173 「哀愁の湖」(88)
174 「夕顔の女」(89)

12/10 「演歌名曲コレクション9~哀愁の湖」
「哀愁の湖」
175 「霧笛」(90)
「夕顔の女」
176 「上海エトランゼ」(91)
177 「風来抄」(92)
178「玄海船歌・大漁バージョン」(93)
179 「夕焼けとんび」<86>
180 「涙の酒」<87>
181 「月がとっても青いから」<88>
182 「ここに幸あり」<89>
183 「青春サイクリング」<90>
184 「おさらば故郷さん」<91>


◆2009年
2/4 シングル第15弾
185 「浪曲一代」(94)
186 「望郷の月」(95)

5/20 「演歌名曲コレクション10~浪曲一代~」
「浪曲一代」
187 「流氷の町」(96)
「望郷の月」
188 「砂山」(97)
189 「影ぼうし」(98)
190 「オロロン港」(99)
191 「湯の町エレジー」<92>
192 「蘇州夜曲」<93>
193 「国境の町」<94>
194 「東京ブギウギ」<95>
195 「北上夜曲」<96>
196 「小樽のひとよ」<97>

8/19 シングル第16弾
197 「ときめきのルンバ」(100)
198 「川千鳥」(101)
199 「ときめきのルンバ~情熱バージョン~」(102)

11/11 デビュー10周年記念特別限定盤
「浪曲一代」
200 「浪曲一代~セリフなしバージョン~」(103)
201 「浪曲一代~琴アレンジバージョン~」(104)


11/11 「演歌名曲コレクション11~ときめきのルンバ~」
「ときめきのルンバ」
202 「ふるさと夜汽車」(105)
「川千鳥」
203 「露草」(106)
204 「夜明け前」(107)
205 「かあさん日和」(108)
206 「影を慕いて」<98>
207 「どうせひろった恋だもの」<99>
208 「山の吊橋」<100>
209 「宗右衛門町ブルース」<101>
210 「あの娘が泣いてる波止場」<102>
211 「足手まとい」<103>


◆2010年
3/24 シングル第17弾
212 「三味線旅がらす」(109)
213 「心ころころ」(110)
214 「酒月夜」(111)

6/23 「演歌名曲コレクション12~三味線旅がらす~」
「三味線旅がらす」
215 「ガス燈(ライト)」(112)
216 「妹へ」(113)
217 「さすらい港町」(114)
218 「夢太鼓」(115)
219 「早春譜」(116)
220 「サーカスの唄」<104>
221 「踊子」<105>
222 「玄海ブルース」<106>
223 「東京流れ者」<107>
224 「ふるさとのはなしをしよう」<108>

225 「喜びも悲しみも幾歳月」<109>

8/25 シングル第18弾
226 「虹色のバイヨン」(119)
227 「きらめきのサンバ」(118)
228 「最終フェリーで着いた町」(119)

11/10 「演歌名曲コレクション13~虹色のバイヨン~」
「虹色のバイヨン」
229 「離郷しぐれ」(120)
230 「ゆびきり橋」(121)
231 「寒立馬」(122)
232 「港の花」(123)
233 「風の口笛」(124)
234 「夜がわらっている」<110>
235 「コーヒー・ルンバ」<111>
236 「上海帰りのリル」<112>
237 「白鷺三味線」<113>
238 「カスバの女」<114>
239 「北国の春」<115>


◆2011年
2/2 シングル第19弾
240 「あの娘と野菊と渡し舟」(125)
241 「ベイサイド・ブギ」(126)
242 「夜明けの十字路」(127) 

/1 「演歌名曲コレクション14~あの娘と野菊と渡し舟~」
「あの娘と野菊と渡し舟」
243 「きよしの銭形平次」(128)
244 「海沿いのふるさと」(129)
245 「今夜も片思い」(130)
246 「望郷しぶき」(131)
247 「なごりの波止場」(132)
248 「お月さん今晩は」<116>
249 「黒百合の歌」<117>
250 「東京五輪音頭」<118>
251 「九段の母」<119>
252 「青春の城下町」<120>
253 「ラブユー東京」<121>

/21 シングル第20弾
254 「情熱のマリアッチ」(133)
255 「浮雲道中」(134)
256 「冬の月」(135)

11/23「演歌名曲コレクション15~情熱のマリアッチ~」
「情熱のマリアッチ」
257 「冬ものがたり」(136)
258 「寒紅梅」(137)
259 「りんごの里から」(138)
260 「かずら橋旅唄」(139)
261 「獅子」(140)
262 「人生峠」<122>
263 「夜のプラットホーム」<123>
264 「有楽町で逢いましょう」<124>
265 「若いふたり」<125>
266 「港が見える丘」<126>
267 「越後獅子の唄」<127>


◆2012年
2/8 シングル第21弾
268 「櫻」(141)
269 「出発」(142)
270 「峠春秋」(143)

3/末 「KIYOSHI/カバーコレクション」
271 「なごり雪」<128>
272 「バラ色の雲」<129>
273 「もうひとつの土曜日」<130>
274 「異邦人」<131>
275 「最後の雨」<132>
276 「白いブランコ」<133>
277 「卒業写真」<134>
278 「涙をふいて」<135>
279 「恋の季節」<136>
280 「学生がの喫茶店」<137>
281 「悲しい色やね」<138>
282 「時代」<139>

6/13 「演歌名曲コレクション16~櫻~」
「櫻」
283 「一番星よ こんばんは」(144)
284 「回転木馬」(145)
285 「紅い落ち葉」(146)
286 「振り子」(147)
287 「残雪の町」(148)
288 「君は心の妻だから」<140>
289 「一杯のコーヒーから」<141>
290 「奥飛騨慕情」<142>
291 「錆びたナイフ」<143>
292 「ミヨちゃん」<144>
293 「王将」<145>

9/19シングル第22弾
294 「最後と決めた女だから」(149)
295 「夜霧のエアポート」(150)
296 「哀傷歌」(151)

11/21「演歌名曲コレクション17~最後と決めた女だから~」
「最後と決めた女だから」
297 「My love~もう一度だけ~」(152)
298 「ハロウィン音頭」(153)
299 「湯ヶ島慕情」(154)
300 「きよしの Merry X'nas」(155)
301 「雪月花」(156)
302 「あなたのブルース」<146>
303 「おやじの海」<147>
304 「花はおそかった」<148>
305 「出世街道」<149>
306 「バス・ストップ」<150>
307 「関東春雨傘」<151>


◆2013年
2/13 シングル第23弾
308 「しぐれの港」(157)
309 「きよしのニッポン音頭」(158)
310 「逢いたくてオホーツク」(159)

5/29「演歌名曲コレクション18~しぐれの港~」
「しぐれの港」
311 「浜町傾げ傘」(160)
312 「春嵐」(161)
313 「ほおずき」(162)
314 「惚れて一生」(163)
315 「幾千もの祈り」(164)
316 「ソーラン渡り鳥」<152>
317 「また逢う日まで」<153>
318 「母恋吹雪」<154>
319 「ふりむかないで」<155>
320 「白虎隊」<156>
321 「柔」<157>

8/28 シングル第24弾
322 「満天の瞳」(165)
323 「一陣の風」(166)
324 「雨降り坂道」(167)

11/20「演歌名曲コレクション19~満天の瞳~」
「満天の瞳」
325 「カラスの口紅」(168)
326 「月が笑ってる」(169)
327 「雨の湯の町」(170)
328 「粋な下町 恋の街」(171)
329 「さすらい北岬」(172)
330 「君こそわが命」<158>
331 「ふるさと忘れな草」<159>
332 「青い山脈」<160>
333 「今日でお別れ」<161>
334 「武田節」<162>
335 「港町十三番地」<163>


◆2014年
1/29 シングル第25弾
336 「大利根ながれ月」(173)
337 「七つ星」(174)
338 「ふるさとの風」(175)

5/21 「氷川きよしの昭和の演歌名曲集」
339 「無法松の一生~度胸千両入り~」<164>※
340 「船方さんよ」<165>※
341 「赤いランプの終列車」<166>※
342 「リンゴ村から」<167>※
343 「誰か故郷を想わざる」<168>※
344 「かえり船」<169>※
345 「涙を抱いた渡り鳥」<170>※
346 「若いお巡りさん」<171>※
347 「落ち葉しぐれ」<172>※
348 「東京ラプソディ」<173>※
349 「ふるさとのはなしをしよう」<174>※
350 「人生一路」<175>※

9/17 シングル第26弾
351 「ちょいときまぐれ渡り鳥」(176)
352 「明日への道」(177)
353 「男の航路」(178)
354 「伝言~メッセージ~」(179)

11/19 「演歌名曲コレクション20~ちょいときまぐれ渡り鳥~」
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
355 「原っぱパラダイス」(180)
356 「旅の酒」(181)
357 「湾岸列車」(182)
358 「一緒節」(183)
「大利根ながれ月」
359「 男の土俵」<176>
360 「東京ブルース<177>
361 「女のみち」<178>
362 「今は倖せかい」<179>
363 「月の法善寺横町」<180>
364 「愛燦燦」<181>


◆2015年
3/4 シングル第27弾
365 「さすらい慕情」(184)
366 「貝がら子守唄」(185)
367 「迷い子」(186)

7/8 「新・演歌名曲コレクション―さすらい慕情-」
368 「九州恋慕情」(187)
369 「石割り桜」(188)
370 「きよしの大江戸千両纏」(189)
371 「男花 (アルバムバージョン)」(190)
372 「ナツユキソウ」(191)
「さすらい慕情」
373 「兄弟船」<182>
374 「さざんかの宿」<183>
375 「沓掛時次郎」<184>
376 「リンゴ追分」<185>
377 「嫁に来ないか」<186>
378 「愛の讃歌」<187>
379 「遠めがね」(192)

9/29 シングル第28・29弾
380 「愛しのテキーロ」(193)
381 「男花」(194)
382 「あの娘の船はいつ帰る」(195)
383 「波止場のおんな」(196)
384 「北国夜行」(197)

12/1 「新・演歌名曲コレクション2―愛しのテキーロ/男花-」
「男花」
385 「御免」(198)
386 「昭和ノスタルジー」(199)
387 「戻り雨」(200)
388 「貴男がすべて・・・」(201)
「愛しのテキーロ」
389 「函館の女」<188>
390 「夢追い酒」<189>
391 「もう一度逢いたい・・・」<190>
392 「弁天小僧」<191>
393 「ひばりの佐渡情話」<192>
394 「素敵なバースディ」(202)


◆2016年
1/末 「Kiyoshi  Special concert 2015 ~Kiyoshi's Summer~」
395 「少年時代」<193>Live Ver.
396 「HOT LIMIT」」<194>Live Ver.
397 「シーズン・イン・ザ・サン」<195>Live Ver.
398 「あー夏休み」<196>Live Ver.
399 「イミテーション・ゴールド」<197>Live Ver.
400 「酒と泪と男と女」<198>Live Ver.
401 「あずさ2号」<199>Live Ver.
402 「渚のシンドバッド」<200>Live Ver.
403 「勝手にしやがれ」<201>Live Ver.
404 「情熱の嵐」<202>Live Ver.
405 「僕のジュリアーノ」<203>Live Ver.
406 「君がいるだけで」<204>Live Ver.
407 「LA・LA・LA LOVE SONG」<205>Live Ver.
408 「SWEET MEMORIES」<206>Live Ver.
409 「My Revolution」<207>Live Ver.
410 「星空のディスタンス」<208>Live Ver.
411 「I LOVE YOU」<209>Live Ver.
412 「WITHOUT YOU」<210>Live Ver.
413 「believe~あきらめないで~」(203)※Live Ver.
414 「hug」(204)Live Ver.
415 「人生号 Jinsei-GO!」(205)※Live Ver.
416 「誓い」(206)※Live Ver.
417 「さすらい慕情」(207)※Live Ver.
418 「男花」(208)※Live Ver.

2/2 シングル第30弾
419 「みれん心」(209)
420 「瀬戸内ブルース」(210)
421 「きよしの数え唄」(211)
422 「東京音頭」<211>

6/14 「新・演歌名曲コレクション3―みれん心-」
423 「黒潮海流」(212)
424 「奥入瀬旅情」(213)
425 「おとこの街道」(214)
426 「きよしのへっちゃらマンボ」(215)
427 「二度泣き橋」(216)
 「みれん心」
428 「酒は涙か溜息か」<212>
429 「新妻鏡」<213> 
430 「次男坊鴉」<214> 
431 「スーダラ節」<215> 
432 「望郷酒場」<216> 
433 「流氷子守歌」<217> 

9/27 シングル30弾(ニューバージョン)
「みれん心」
434 「木曽路 着流し 気まま旅」(217)
435 「Jewel(ジュエル)」(218)
436 「おじいちゃんちへいこう」(219)

12/14 「新・演歌名曲コレクション4―きよしの日本全国 歌の渡り鳥-」
437 「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」(220)
438 「デカンショ港」(221)
439 「逢えてよかった」(222)
440 「おんなのとまり木」(223)
441 「おとこの詩(うた)」(224)
442 「みれん心」(アコースティック・バージョン feat.齋藤功)(225)
443 「三百六十五歩のマーチ」<218>
444 「アンコ椿は恋の花」<219>
445 「てなもんや三度笠」<220>
446 「ハイそれまでヨ」<221>
447 「大江戸出世小唄」<222>
448 「イヨマンテの夜」<223>
449 「君がいないクリスマス」(226)
450 「クリスマスがめぐるたび」(227)


◆2017年
3/7 シングル第31弾
451 「男の絶唱」(228)
452 「片惚れとんび」(229)
453 「そこまで春が・・・」(230)
454 「美(ちゅ)ら旅」(231)

5/30 「新・演歌名曲コレクション5―男の絶唱-」
455 「博多祇園山笠」(232)
456 「きよしのねずみ小僧」(233)
457 「初恋のポルカ」(234)
458 「きよしのスイスイマドロスさん」(235)
459 「恋の瀬戸内」(236)
460 「女の合鍵」(237)
461 「風の男(ひと)」(238)
「男の絶唱」
462 「なみだ船」<224>
463 「釜山港へ帰れ」<225>
464 「河内おとこ節」<226>
465 「祝い船」<227>
466 「白雲の城」 (再唄入れ Ver.) (239)

467 「ふるさと」(240)

9/5 シングル第31弾(ニューバージョン)
「男の絶唱」
468 「酒場のひとりごと」(241)
469 「芝浜恋女房」(242)
470 「片恋のサルサ」(243)

10/25 シングル(ドラゴンボール超×氷川きよし)
471 「限界×突破サバイバー」(244)

11/21 「新・演歌名曲コレクション6―碧し-」
472 「じょんがら挽歌」(245)
473 「新宿ブルームーン」(246)
474 「酔わせてオルホ」(247)
475 「川中島回想」(248)
476 「真昼の最終列車」(249)
477 「碧し」(250)
478 「北の螢」<228>
479 「おまえに惚れた」<229>
480 「時の流れに身をまかせ」<230>
481 「花笠道中」<231>
482 「炭鉱節」<232>
483 「人形の家」<233>
484 「男の絶唱」《新アレンジバージョン》(251)
485 「わたしのふるさと」(252)


◆2018年
1/30 シングル第32弾
486 「勝負の花道」(253)
487 「柔道」(254)
488 「恋次郎旅姿」(255)
489 「俺ら江戸っ子 浅太郎」(256)

5/29 「新・演歌名曲コレクション7―演歌の花道-」
490 「きよしの人生太鼓」(257)
491 「郷愁月夜」(258)
492 「君に逢いたい」(259)
493 「のんき節」(260)
494 「咲いてロマンティカ」(261)
「勝負の花道」
495 「みちづれ」<234>
496 「酒よ」<235>
497 「なみだの操」<236>
498 「歩」<237>
499 「霧の摩周湖」<238>
500 「真赤な太陽」<239>
501 「勝負の花道~音頭」(262)

8/21 シングル第32弾 (ニューバージョン)
「勝負の花道」
502 「男の峠」(263)
503 「幻(まぼろし)」(264)
504 「栄光のゴール」(265)
505 「勝負の花道~ビクトリー」(266)

10/2 「新・演歌名曲コレクション8―冬のペガサス-~勝負の花道オーケストラ」
506 「愛の翼」(267)
507 「お江戸のさのさ」(268)
508 「恋之介旅日記」(269)
509 「若松みなとのあばれん坊」(270)
510 「千秋万歳」(271)
511 「冬のペガサス」(272)
512 「勝負の花道〜オーケストラ」(273)
513 「おてもやん」<240>
514 「襟裳岬」<241>
515 「風雪ながれ旅」<242>
516 「ラヴ・イズ・オーヴァー」<243>
517 「.恋人よ」<244>
518 「ヨイトマケの唄」<245>
519 「銀座ロマンス」(274)

10/23 シングル(ゲゲゲの鬼太郎×氷川きよし)
520 「ゲゲゲの鬼太郎」(275)
521 「見えんけれども おるんだよ」(276)

11/27 シングル第32弾 (ニューバージョン)
「勝負の花道」
522 「君に逢いたいXmas 」(277)
523 「聖夜の奇跡」(278)
「勝負の花道~オーケストラ」
524 「SILENT NIGHT」(279)
525 「聖夜の奇跡(Jazz Ver.) 」(280)
「勝負の花道~オーケストラ」
526 「オモイデノカケラ」(281)
527 「聖夜の奇跡(クリスタル Ver.)」(282)
「勝負の花道~オーケストラ」

◆2019年
3/12 シングル第33・34弾
528 「大丈夫」(283)
529 「最上の船頭」(284)
530 「越後の雪次郎」(285)
531 「惚れたがり」(286)
532 「きよしのよさこい鴎」(287)

6/4 「新・演歌名曲コレクション9 —大丈夫/最上の船頭-」
    「大丈夫」
533 「大阪とんぼ」(288)
534 「雨がやんだら」<246>
535 「雨とルージュ」(289)
536 「うそ」<247>
537 「おんなの情(おも)い」(290)
    「最上の船頭」
538 「命くれない」<248>
539 「兄弟仁義」<249>
540 「海の匂いのお母さん」<250>
541 「百万本のバラ」<251>
542 「.メトロノーム」(291)
543 「ありがとうの歌」(292)


※2019年3月4日現在のリストです。
・2012年にファンクラブ通販限定発売された「KIYOSHI/カバーコレクション」のリリース日が不明です。3月末に受け取りましたので仮に”3/末”としてあります。
・同様に2016年に限定販売された「Kiyoshi  Special concert 2015 ~Kiyoshi's Summer~」についても”1/末”としています。
・※2017年5月29日にリリースされた「美空ひばりを歌い継ぐ 氷川きよし映像集」に収録されている「お祭りマンボ」を加えるか迷ったのですが、これまでにDVDシングルは加えていますが、”CD曲目リスト”ということで、DVDは今のところ加えておりません。
※「ゲゲゲの鬼太郎」のオープニング曲は”氷川きよしバージョン”とらえ、オリジナル曲としてカウントしました。
※「ゲゲゲの鬼太郎」とエンディング曲の「見えんけれども おるんだよ」のTVSIZEの計2曲はバージョン違いに入れるか迷いましたが、サイズ違いとうけとめてカウントしていません。

大阪から新歌舞伎座公演のチケットと一緒にハートマークの郵便物がとどきました(嬉)

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こんばんは。
新歌舞伎座さんでの座長公演が近づいてきましたね。
今日は”きよメール”もとどいて、どんなステージになるのかいっそうわくわくしてきました。
お芝居では、恋之介さまと昨年の10月以来、7カ月ぶりの再会ということになるのでしょうか。
”シリーズ化”のお声もちらほらときこえてはきますが、きよしさんのことだからまた新たなキャラクターをうみだされるかもしれず...。
そうしたら、今回で恋之介さまは見納めになるかもしれないという思いも抱いて、25日の夜の部の公演から観させていただく予定です。

「きよしの令和音頭」も歌ってくださるそうですし、6月4日に発売されるニューアルバム「新・演歌名曲コレクション9-大丈夫/最上の船頭-」からも歌ってくださるとのこと。
そして、衣裳もバリバリ気合はいっておられる様子が”きよメール”の文面からつたわってきて...。
もう~、楽しみですっ!



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さて、11日に、新歌舞伎座さんから25日と26日のチケットがとどいたのですが、一緒にハートマークの郵便物もとどいていました。
ハートマークの郵便物の送り主は堺のおともだちのUさんです。
5月9日の毎日新聞(関西版)の夕刊を送ってくださったのですが、東京にいながらにして9日の夕刊が11日には手元にある幸せに、じーんときて、封をあけました。
掲載当日の夜、”おともだちにも差し上げてください”と、3部送ってくださる旨のメールが、わたしが早く記事を読みたいと思われて、記事の写メ付きで送られて、ほんとうに感激したのです。
いただいて1部をとりだして読み入り、あとは汚さないようにファイルにいれたままにしていたのですが、この記事を書くのに、写メしようとして、クリアファイルから送ってくださったものをいったんすべてとりだしてみたら、5部もはいっていて...。
ありがたいですね。
Uさんに3部でお礼のメールを送ってしまったわたしですが、この記事を書いたら、お礼&おわびのメールするつもりです。

さて、この記事にはきよしさんの思いがたくさんつまっていて...。
何度も読みかえしたのです。
タイトルの”伝えるべきこと伝えたい”という、今のきよしさんの思いそのものとうけとめて...。
じんときたのです。
大阪での座長公演となると13年ぶりで前回は2006年。
「きよしの森の石松」を上演したのでしたね。

きよしさんはインタビューで、当時は難波にあった新歌舞伎座での1か月公演で、慣れない大阪暮らしにさみしさを感じて、たまたま訪れたペットショップで運命の出会いがあったことをお話しされています。
そう、ココアちゃんと出会ったのでした。
犬を飼いたいというきよしさんに、スタイリストのIさんは、”命なんだよ”と生半可な気持ちで犬を飼うことをいさめたとのちにうかがったことがありますが、それでもきよしさんの決心はかたかったのですね。

きよしさんは、ココアちゃんのことを
「千秋楽まで一緒に過ごし、その後も命のように大事にしてきました。僕のことを何でも知っていて、本当にいとしい存在です」
と語っておられて、涙がでそうになりました。

でも、文末では、
「(前略)最近は自分が何を伝えていくべきかを考えるようになりました。娯楽的な歌だけれなく、41年間生きてきて体験したいろいろな思いや、人を励ますメッセージも発信していきたいと思っています」
と、デビュー20周年の思いをお話しされ、さらに、
「(コンサートなどで全国を回っても、以前は仕事を終えると外出することはほとんどなかったが)30代後半くらいから”楽しまないともったいない”と土地ものを食べ歩くようになりました。大阪はおいしいものばかりですから、太って帰ることにかるかも」
とお話しされていて、なんだかほっこりとしたのです。

文末にここまでお読みくださった方に、こそっと記事の写メアップしますね。
次回はCD曲目リストをアップしたいと思っています。
わたし、今、正直なところ、思いっきり仕事しているのですが、6月はきよしさんと一緒に(正確には追いかけて?)、全国を駆け巡る予定でございます。
と、なぜか、ていねい語に(笑)。

そのことも、大阪に行くまでに書きますね。
そして、そろそろニューアルバムのジャケ写も公開されそうですね。

Yahoo!ブログの終了まで3カ月になりましたので、それまでの間、できる限り、感動や、いろいろな思いを発信していきたいと思っています。


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5月9日の毎日新聞 夕刊の関西版からです。

Uさん、いつもありがとうございます~。

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