「愛しているっていって...」
ことばをさがすように一瞬伏しめがちになったあと、客席にむきなおって、つぶやくようにひとこと。
急にその瞬間だけシリアスな面持ちになったように感じられて、なんで突然? と、とまどったのですが、
「なんていったりして(笑)」
と、きよしさんは、すぐにひとこと言い添えてくださいました。
相模女子大学グリーンホールで開催されたコンサート・夜の部でのこと。
客席とアイコンタクトやコールをひとしきりかわしたあと、”愛してる~”、”大好き~”という声が後方から聞こえてくると、そのことばを軽くのけそるようにしてうけとめ、”僕も愛してます”とおっしゃったそのあとに、ふとこぼれた心の声のように、わたしには感じられてなりませんでした。
もう、さみしがりやにもほどがあります。
皆の気持ち、わかっているでしょう?
きよしさんを愛しているから、今日、この場にいるのに、そんなこというなんて...。
ちょっぴりせつなくもなったのです。
歌唱は昼の部から絶好調。
1曲、1曲、まさに入魂の歌唱に、身も心もほころんで、笑顔になるのはもちろん、感動のため息がホッとでて、ときにほろほろと涙がこぼれたのです。
司会の西寄さんがこの日のトークで、”氷川きよしの歌声を聴くと生きていてよかった~という気持ちになりますでしょう?”とおっしゃっていましたが、ほんとうにそのとおり。
昼の部では最前列に、いつもご夫妻でお越しくださっているご主人に気づかれ、きよしさんが来場のお礼をおっしゃると、
”若さと元気とパワーをいただいて、帰ります”
とのお声がかえってきて。
きよしさんはとても喜ばれていたのです。
※「みれん心」のボード。
きよしさんのメッセージとサインがこの日の日付入りで!
わたしは、昼の部で「番場の忠太郎」を聴いていたら、もうだいぶ前のことですが、会社を辞めてこれからどうしようかと思いながら、アルバイトをしていたことがあるのですが、その会社でよくしていただいた方のことがうかんできたのです。
わたしより7つほど年下のその人は当時20代前半でとても仕事ができ、その会社のアルバイトの人をまとめるリーダーでした。明るく前向きな方でしたが、親しくなってふたりでお酒を飲みにいったとき、わたしがワンマンンな自分の父に対する愚痴をいうと、その人は楽しそうに笑って、
”タイヘンだと思うけど、でも”お父さん”ていう感じで、いいなあ”といい、
早くにご両親が離婚してひとりっこの彼女はお母さまと暮らし、おとうさまは新しい家庭をもっていて、そこにはお子さんがいることを話してくれたのです。
”ずっと”父娘”だからいつでも会いにおいでっていってくれてるけど、やっぱりもうよその人に思えて...”
と。
とても想像がおよばないながらも、彼女の心の痛みやさびしさをそのときのわたしなりに感じたということがあったのです。
その思いが、きよしさんの歌唱を惹きこまれるように聴いていたら、急によみがえってきたのでした。
きよしさんの「番場の忠太郎」を聴かせていただきながら、彼女のことや、そのときの出来事があふれるように思いだされてきて...。
あらためて多くの方に優しくしてもらったこと、意地悪されたこともなかったわけではないけれど、それさえもありがたいものに思えてきたのです。
わたしは昼の部が終わったあと夜の部までのあいだ、Kさんと遅めのランチをしながら、あたまの奥で、なぜ、「番場の忠太郎」を聴いていたとき急にお世話になった方のことやそのときの思い出がうかんできたのかなあ? と、まだ考えていたのですが、夜の部でのきよしさんのトークを聞いていて、その理由がわかったような気がしました。
それは、きよしさんの歌唱に、心の奥底にきざまれた感情をゆりおこす力があったからであり、それはきよしさんが、忠太郎になりきるちおうよりももっとふかいところで忠太郎に宿っている魂に共鳴していたから。
そんなふうにわたしは感じたのです。
昼の部のトークでは、最近の趣味である”野草研究”(というネーミングがよさそうです・笑)についての話題でもりあがりました。
「桜が咲いて、菜の花も。
春ですね~。
僕、野草が好きで。アスファルトのすきまからでていたりしますでしょう。
野草の図鑑を2冊買ったんですけど、雑草でもオオバコとか食べられるんですよ。
僕のおじいちゃんが植木職人をしていたので」
とおっしゃり、年齢をかさねてきて、おじいちゃんのDNAが影響してきているのかもしれないとも(笑)。
「仕事で全国をまわらせていただいているので、どこにいても手軽に楽しめることないかなーって」
とのきよしさんのことばに、西寄さんが、
「実際にとってめしあがったんですか?」
と聞いてくださると、
「いえ、そこまでは勇気がなくて。(食べて)しびれたらどうしようって思って(笑)。
ね、キノコはもっと気をつけないと。やっぱり専門家にみていただかないと」
そこまでおっしゃると、からだがしびれる仕草をされ、
「皆さんのこんな姿、僕、みたくないですから」
と。
皆からの、それにしても”野草研究”のことを心配だという多数の声が耳にはいると、
「やめようかな~」
とシュンとした様子のきよしさんでしたが、”野草研究”として、食することを控えれば安全なのではないでしょうか。
前日はゆっくり睡眠がとれたそうで、
「やっぱり睡眠がだいじですよね。昨日は、久しぶりに8時間から9時間くらい眠ったんです。
やっぱり寝不足していると、よくないですよね。悪たれついたり」
と、きよしさんがそこまでおっしゃると、西寄さんが、
「うわあ、”悪たれ”ってことば、久しぶりに聞きましたね~。うちのじいちゃんが、よく”悪たれついたらいかんよ~”っていっていたんですよ」
とおっしゃいました。
そして、18歳で上京してすでに東京での生活のほうが長くなったという話題になると、
「もう、どちらかというと、東京の生活のほうが長いんでぇ~」
ときどった口調できよしさんがおっしゃると、
「なんで急に話し方がかわるんですか~」と西寄さんから即座にツッコミが(笑)。
ご両親を東京に呼んで一緒に暮らしたいけれども、ご両親がなかなか福岡を離れることに踏み切れずにおられるそうで、
「だんだん慣らしていくしかないと思って」と。
話がどんどん展開して(喜)、きよしさんが仕事での移動中や入り待ちや出待ちのときにもサングラスをかけず、ほとんど素のままでいらっしゃることを西寄さんがおっしゃると、
「僕、”誰もあんたのこと、みてりゃせん”って思っているから。
だから、”もう少し気にしたほうがいい”って(周囲の人たちに)いわれるけど」
と、やっぱり見てくれには興味がなさそうでした。
でも、それはきよしさんが自分自身に誠実だから。
そして、見てくれではないところにしっかりとプライドをもっておられるから。
そして、ナチュラルでフランクなきよしさんもまた素敵なんですものね。
さあ、そして、”ふれあいコーナー”に。
おひとりめは2階席から。
逗子から”きよ友さん”と3人でお越しになったそうです。
きよしさんのシングルやアルバムがリリースされる折、日本コロムビアさんが発行してくださる”きよ新聞”の題字が年度ごとに、きよしさんがあらたに書きかえておられることに、「みれん心」がリリースされた際の”きよ新聞”をみて気づかれたのだそうです。
西寄さんが、「きよし君のどこか好きですか?」と、おたずねになると、
”いえません”というお答え(笑)。
「(そういわれると)逆に知りたくなりますね~」とおっしゃる西寄さんに、
”誠実なところと、優しいところがいちばん好きです”と答えてくださいました。
いえないというのは、ありすぎてそんなに簡単にはいえないということですよね。
よくわかります。だって、わたしもそうだから...。
これまでブログできよしさんのことを書いてきましたが、まだまだ書き尽くせていないんですもの。
3人で、”きよし君”と呼んだら、”はーい、きよしです”と答えてくださいというリクエストに、快くこたえてくださったきよしさんでした。
ふたりめは1階席にいらした12歳の男の子。
4月から中学生になるそうで、おばあちゃんにつれてきてもらって、きよしさんのコンサートは4年ぶりということでした。
背が伸びないことが悩みだそうで、”僕は背が低いです。きよし君は何歳頃から背が伸びましたか?”という質問を書かれていたのです。
きよしさんは小学校6年生のときは前から5番目、中3のときに背が伸びたこと、中1のときには体重が70キロあって、おかあさまに寒天をつくるなど協力してもらってダイエットされたことまでお話しくださり、
「これから伸びるから大丈夫」と励ますと、
「ごはん、食べてる? なにかこさえようか? 4年ぶりなんだからなんでもいってよ」
と”お母さんモード”で話しかけられたのです。
その男の子が、将来は電車の運転士になりたいと夢を話してくれると、
「絶対になれるよ。
(○○くんが運転する電車に)乗りたいねー。
運転士さんになったら、また連絡くれる?」
と、きよしさんのほうがその気になっておられようでした(喜)。
「一剣」まで歌いおえてのラストトークで、
「氷川きよしって、どこか抜けてるとこがあるけど、氷川きよしだってがんばっているんだから、わたしもがんばろうって思ってくださるかたがおひとりでもいてくださったらという思いで、いつもステージに立たせていただいています。
これからも”氷川きよし”らしく、歌っていきたいと思います」
きよしさんはそうおっしゃり、深々と一礼されると、大きな”きよしコール”がおこったのです。
コンサートの最後に、聴いていてからだにビリビリと電流がはしるようなみごとな「白雲の城」を聴かせてくださり、アンコールのラストの「きよしのズンドコ節」までパワー全開の歌唱がつづき、笑顔いっぱいのエンディングとなりました。
※メッセージ部分をクローズアップしてみました。
きよしさんのお顔に光が映り込んでしまってごめんなさい。
でも、まぶしくって、神々しいでしょう?
夜の部でのオープニングトークについては、この記事の冒頭で書かせていただきました。
西寄さんをまじえてのトークで、先日の三連休の話題になると、
「仕事で移動する車のなかから、楽しそうな人たちを横目でみて、いいなあ~なんて。
健康で、ごはんを食べることができて。
それでもうじゅうぶんにありがたいんですけどね」
ふと心をよぎった思いをことばにされたのですが、
「あらためてね、皆さんがチケットを入手してくださって、会場にお越しくださるおかげで、僕はこんな大きな会場でコンサートをさせていただけるんだなって思ったんですよ。
いつも思っているんです。
でもあらためてそう思って。
ほんとうにありがたいです。
(いろいろ迷うことがあったとしても)感謝の思いを忘れないで、(みなさんを信じていれば)大丈夫なのかなって」
※( )内はわたしがきっとこういう思いなのでは? と勝手につけ加えている部分です。
そんなきよしさんに、
「きよし君はときどきストイックな思いをいだかれるんですよね」
と西寄さんがおっしゃると、
「いや、僕、こういう仕事に向いてないから...。
歌は大好きなんですよ。
人に喜んでいただけることが嬉しいんです。
でも、人前に出ること(めだつこと)は、やっぱり苦手なんですよね。
歌が好きで、演歌に出会って、演歌歌手を志して、演歌歌手になって、今日までこさせていただいて...」
きよしさんはこのときの会話のなかで、”たまたま”ということばをなんどかもちいられ、演歌歌手になって以降、演歌の世界やその深淵をしればしるほど、ご自身が演歌歌手を志していたときにはほとんどなにもしらなかったことに、きよしさんなりの感慨をいだいておられるようでした。
でも、そんなきよしさんだから、今、このときの”氷川きよし”が存在しているのだと、わたしは心の底から思っていました。
きよしさんが”たまたま”とおっしゃる、奇跡のような、”めぐりあわせ”のかずかずと、まだ”氷川きよし”になることを知らなかった、演歌にも出逢っていなかった”山田清志”というひとりの少年を思い描いて、胸が痛くなったのです。
いつでもまっすぐで正直で一生懸命。
その生き方こそがあなたの歌声や魂をいっそう輝くものへと磨きつづけているのでしょう。
少し前に、4月にはいったらゆっくりと徳光さんのラジオ番組のことを書かせていただきたいとお伝えさせていただきましたが、そのときに、今回、わたしの心にわいたこの感動もあわせてまとめて書いてみようと思っています。
さて”ふれあいコーナー”のおひとりめは2階席の方。
アメリカのアイオワ州から年に一度の日本への里帰りで5週間の滞在。
日本にいる”きよ友さん”と連絡をとって、きよしさんのコンサートにあわせて毎回帰国されているそうですが、今年90歳。
アメリカ人の方と結婚してアメリカにわって60年ですが、3つ年下でパイロットだったご主人は32歳のときに飛行機事故でなくなったのだそうです。
ご主人のお墓のある地を離れがたく、アメリカでご主人のご両親と一緒に暮らす人生を選ばれということでした。
きよしさんは、とてもとても感激され、”来年も元気だったらきたいですが”とおっしゃるその方に、
「○○さんの人生は映画になりそうですね。
またきてください。そして○○さんの人生をきかせてください」
と、力をこめておっしゃったのです。
わたしも、お話をうかがって、ご主人と離れがたく、故国を離れてアメリカの地で生きてこられたその方の思いに胸がつまって、そのあとで、きよしさんが歌ってくださるのを聴いていたら、しらずと涙腺がゆるんできたのでした。
おふたりめは1階席。お母さまと一緒に小学6年生の頃からきよしさんを応援されている方でした。
27歳のお誕生日と近かったので、「みれん心」の購入者イベントに当たりたいと、有給までとっていたのに落選してしまったそうですが、ご一緒にお越しになっていたお母さまが、娘さんにかわって、
「きよし君、お嫁さんにしてください」
とおっしゃると、大反響。
きよしさんは、
「歌謡コンサートで、出待ちしてくださっているでしょう? うちわに”日本一”と書いてくださっていて。僕、それをみて、”日本一”なんかじゃないのにっていつみ思っているんです」
とおっしゃると、
”そんなことないです。きよし君は”世界一”、ううん、”宇宙一”です!”
と即座にかえしてくださいました。
いつもいつも思って、心で反芻されているからこそ、あれだけ即座にことばがでてきたのだなあと、わたしは感じて、じんときてしまいました。
さらに、
「僕、目が100個くらいついてますから。いつも皆さんのこと見させていただいているんです」
とおっしゃって。
いつも応援してくださっている方たちに、”伝える機会がないだけで、僕、ちゃんとわかっているんですから”といいたげなきよしさんでした。
「一緒に乗りこえていきましょう」
と激励され、そのかたの名前をいれて、「素敵なバースディ」を歌ってさしあげたのです。
熱唱はアンコールの最後の1曲までつづいて。
わたしはかかえきれないほどの心のおみやげを胸に、駅へとあるいたのでした。
※駆け足での更新で失礼します。
そういえば“ふれあいコーナー”で、ヨーグルトのプロビオR‐1がからだによいとおしえてくれた方がいて、さっそく飲むことにされたそうです。
きよしさんがCMされたら売り上げさらにアップしそうですね。