昨夜、放送された「新・BS日本のうた」、ご覧になりましたか?
きよしさんが歌唱された五木ひろしさんの「細雪」の歌唱にうっとりと聴き惚れておりました。
あのような歌のことを、”艶歌(つやうた)”というのだと、五木ひろしさんがおしえてくださって、わたしは、”艶歌(つやうた)”ということばの響きにもうっとりとしたのです。
五木さんの隣で1コーラスめをきよしさんが歌唱され、2コーラスめは五木さんが歌われたのですが、五木さんをみつめ、マイクをつかわずに、その歌唱にあわせてくちずさんでいるきよしさんに、わたしはさらにみとれてしまいました。
1コーラスを歌いおえて、「細雪」に描かれている主人公を表出させたきよしさんは、歌っていずともそのまま「細雪」の世界にとどまってその身をおいていたのでしょうか?
艶めいていて...。
ああ、なんてきれいなんだろう。
ほおっと、ためいきがこぼれました。
山形県新庄市の新庄市民文化会館で4月28日に公開収録され、きよしさんはソロではオープニングから2曲めに、「黒百合の歌」をドラマティックに熱唱され、後半(ラストの1曲前でしたね)には「みれん心」を明るくエネルギッシュに歌ってくださり、オープニングでは得意の(ですよねっ!)山形のお国ことばで、新庄市を絶賛されていました。
そして、スペシャルステージを、五木さんを中心に、福田こうへいさん、三山ひろしさんと4人でつとめられ、全員で「大江戸出世小唄」と「おさななじみ」を、ソロでは「かえり船」、「お月さん今晩は」、「男の土俵」の3曲を歌われました。
「かえり船」では田端義夫さんの”オース!”を真似てくださり、せつなさをまじえた熱い思いがつたわってきましたし、「お月さん今晩は」では美しい高音を聴かせてくださったと思ったら、「男の土俵」では男気いっぱいに迫力ある歌唱。
進化する”氷川節”に、惹きこまれ、帰宅して録画でみていたのですが、毎週楽しみにみている「真田丸」も「沈まぬ太陽」の録画も、後日みることにして、きよしさんの歌唱シーンを気のすむまでリピートさせていただいたのです。
※JR奈良駅のコンコースでみかけた観光ポスターです。
”ヤバいほど、好きよ。”のコピーにドキッとしませんか?
そんなわけで、14日の奈良県文化会館でのコンサートのご報告が今になってしまいました。
ごめんなさい。
さて、さきに画像をアップさせていただきましたが、
”ヤバいほど、好きよ。”
奈良の町で目にしたこの言葉に、きよしさんへの自分の思いがかなさって、くらくらしたのです。
それは2014年の春のことでしたが、今回、JR奈良駅のコンコースでふたたびそのことばが書かれたポスターをみかけてに、2年まえは記事に書くチャンスがなかったのですが、このタイミングで書かせていただきたいと思って、写メしたのです。
”ヤバいほど、好きよ。”と、おっしゃったのは、いにしへの歌人大伴坂上郎女(おおとものさかのうえいらつめ)さん。
万葉集に、彼女が詠んだこんな恋の歌がおさめられているのです。
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛わしき(うるはしき)言尽くしてよ(ことつくしてよ)長くと思はば(万葉集 巻四の六六一)
この歌を思いっきり現代語に意訳すると、
”ヤバいほど、好きよ。”
ということになるのだそうですが(笑)、
もう少し歌にそって訳せば、
”恋し恋して、ずっと待ち焦がれていたのだから、やっと逢えた時には、たくさん愛のことばを言ってほしいの。
わたしを、ますますあなたに夢中にさせたいなら、ね?”
となるでしょうか?
あっ、またまた脱線してしまってごめんなさい。
でもそんな思いを胸に、奈良県文化会館でのコンサート・夜の部に参加したのでした。
コンサートでのきよしさんの様子や、セットリストについては先の記事に書かせていただきましたが、力みなぎる歌唱に、客席はヒートアップし、きよしさんが歌うほどに、われるような拍手、歓声、、感動のため息でホールは満ち満ちていったのです。
わたしは、きよしさんが八代亜紀さんの「もう一度逢いたい」をアルバムでカバーされ、コンサートではじめて聴かせていただいたとき、いつのときだったのかはっきりとは思いだせないのですが、大みそかの「NHK紅白歌合戦」を家族とテレビでみていたときの空気がよみがえってきたのです。
両祖父母も元気だったあの日。
うまくいえないのですが、その時間が永遠につづくのだと思っていたというか...。
聴くたびに、そんな、子どもならではの”幸せな時”が思いだされ、懐かしさと愛しさでいっぱいになるのですが、それは歌のもっている力と、きよしさんの歌の力が相まっての”業”なのでしょうね。
さて、”ふれあいコーナー”で、、メッセージがよまれたおひとりめは2階席の方。愛知県からお越しで、ご一緒されているお友だちは三重県から。
きよしさんの福岡でのコンサートで、入り待ちをしているときに知り合われ、ずっと親しくされているのだそうです。
今月から息子さん一家と同居され、そのため”断捨離”をされましたが、13年前にきよしさんのファンになって以来、集めたグッズはすべてもっていらしたそうです。
”わたしたち(夫婦も同居には)勇気がいりましたよ~”
とその方はおっしゃり、さらに、
”でも、息子が(CS放送の)歌謡ポップスチャンネルをいれてくれて、今はルンルンです。
きよし君も、ご両親と一日も早く同居できるように祈っております”
と結んでくださったので、きよしさんは恐縮されている様子でした(喜)。
そんなきよしさんの様子に、
きよしさんが望む良い時期に、良いタイミングで実現してほしいと、その場にいた多くの方がそう思ったのではないでしょうか。
そしてメッセージが読まれたおふたりめは京都府からお越しの方でした。
”きよし君の大ファンの息子は障害をもっています。きよし君から、しょうちゃんがんばってと言っていただけないでしょうか”
というような内容でした。
息子さんは今年23歳になるそうで、きよしさんの呼びかけに、一生懸命答えてくださったのです。
「お隣にいる方はご主人ですか?」
と、きよしさんが問いかけると、
”一応!”
とお答えになるお茶目な奥さまでした。
ご主人もきよしさんに話しかけられて嬉しそうにお話ししてくださいましたが、とても優しそうな方でした。
きよしさんは、”しょうちゃん”のお名前をどのような字を書くのかお母さまにおたずねになり、”翔く”に”悟る”と書いて、”翔悟”と確認されると、あらためて、
「翔ちゃん、今日はどうもありがとう。
僕の歌も歌ってくれてるの?
(翔ちゃんはうなずいてくれたのでしょう)
なにか歌ってくれないかな?
難しい?」
きよしさんが”翔ちゃん”にそう話しかけると、
”♪ああ~、うう~、んんん~”と歌いだし、”ヘイ!”と翔ちゃんがかけ声でキメてくださったので、歌ってくださったのが「きよしのズンドコ節」であることがわかり、客席からは大きな大きな拍手がおこりました。
翔ちゃんの真心いっぱいの歌声に、きよしさんはどんなにか嬉しかったでしょうね。
きよしさんはお母さまがお話の最初に、介護の仕事をされているとおっしゃっていたことを心にとめられていたようで、
「介護のお仕事をされていらっしゃるんですよね。
介護のお仕事は腰を痛めやすいと聞きますが、大丈夫ですか?」
と、おたずねになりました。
すると、”はい痛めております”とのお答えがかってきたので、
「腰をだいじにしてお仕事がんばってくださいね。
そして、ご家族みなさま、健康でいてください」
と励まされ、あらためてお礼をおっしゃっていたのです。
※奈良県文化会館に置かれていた”せんとくん”のパネルです。
アンコールの最後の「きよしのズンドコ節」まで、熱唱がつづきました。
どんなときも、そのとき持てる力のすべてを出し尽くして、さらにどこからそれ以上のエネルギーがわいてくるのだろう? と、そのとどまることをしらない熱くエネルギッシュなステージに魅せられつづけているわたしですが、この日は、自分にとってとても大切な方、人生のお師匠様である蜷川幸雄さんが他界され、気持ちが萎えていただけに、きよしさんの1曲、1曲、ひと節、ひと節にこめられた力を感じて、励まされていくのを感じていました。
コンサートの前に、10代の頃から勝手ながら親しみを感じさせていただいてきた東大寺の月光菩薩さまをお参りさせていただいたのですが、
天平時代から1200年余りの歳月を生きてこられた月光菩薩さまをじっとみつめていたら、
”悲しんだりさみしがってばかりではいけないよ。
彼(蜷川さんのことですね)は命のすべてを演劇に賭け、生涯現役で、その人生を全うしたのだから、祝してあげなさい。感謝の思いを胸に抱いて、「おめでとう」と”
と、いってくださっているような気がしたのです。
そのあとで参加させていただいたコンサートでしたから、きよしさんの歌ってくださった「人生峠」に蜷川さんの妥協を許さず、ノンストップの人生を、「夫婦春秋」に蜷川さんがまだ売れなかった時代に、蜷川さんが主夫をし奥様が女優業をして生活を支えたご夫妻のエピソードが思いうかべ、「白雲の城」に無常を感じさせていただきました。
そして、千年の古都・奈良で、今現在を大切に生きていくことの尊さをあらためて感じたのです。
きよしさん、素晴らしい歌唱をありがとうございました。
わたし、あなたに出逢えて、ファンになることができてほんとうに幸せです。
※とりとめなく思いのままに、そして駆け足で書かせていただき、失礼しました。