客席から、今このときにと、大きな声でメッセージを発するかたが続出!
”きよし君の歌が生きがい!”
”レコード大賞間違いなし!”
などなど...。
どなたもひとこときよしさんに思いをつたえたい一心だったのでしょう。
大宮ソニックシテイでのコンサート、夜の部でのこと。
熱い熱い会場でしたが、きよしさんは、そのお声のひとつひとつを受けとめて、聞きとれないと、
「もう一度お願いします。まごころのことばを僕のこころにいれておきたいから」
とおっしゃって、耳を傾ける仕草をされたのです。
そして、”レコード大賞を”というお声には、ていねいにお礼をおっしゃると、
「それを目標にして年末までがんばって、そこでそれはいったんおしまい。
結果がどうであってもそこにむかってがんばることが大切だと思っているから」
とそんなふうにおっしゃったでしょうか。
ある目標にむかって一心不乱にがんばって、最高の結果がでたらそれは素晴らしいことですが、どんなに素晴らしい結果であっても、そのために自分がどうがんばれたか、なにができたかということのほうがさらに大切なことなのだと、きよしさんはおっしゃりたかったのかなあと、勝手ながら感じて、わたしも常に”チャレンジ”するこころを忘れずに日々生きていきたいと思わせていただいたのです。
皆さま、先に5月2日に開催される博多どんたくの前夜祭に今年も出演されるのだそうですね。
昨年はお友だちにその模様を放送した番組の録画を貸していただいて、楽しそうだなあ、いつかいってみたいなあと思ったのです。
”入場券をいただいたのでいかがですか?”とお誘いくださったお友だちがいるのですが、その日は変更できない仕事があるので、今年も参加はかないませんが、その日はこころは博多の地に馳せて...。
きよしさんの雄姿を思い描いて仕事にがんばることにします。
仕事といえば、昨日は午後から天王洲アイルのスタジオにおりました。
緊張する取材のお仕事でしたが、夕方にはきよしさんにお逢いできると思うと、こころが落ち着いたのです。
テレビ東京系のスタジオなので、いろいろな番組収録がおこなわれていて、ホワイトボードに水森かおりさんのお名前があり、お会いできるわけではないのですが、それでもなんだかドキドキ(喜)。
そこでこころがほっこりしたのと準備をがんばったこともあり、とても濃密なお話をうかがうことができ、ホッとしました。
それまで背負っていた荷物をおろして身軽になったような気持ちになれ、編集さんたちと別れて大宮へむかおうとして、その前に遅めのランチをいただくことにしたのです。
お店がたくさんあったので、どのお店にしようかしら?と、あれこれ迷ってからよういやくはいったお店に、その取材でお世話になった宣伝スタッフの方たちがいらして、”よかったら一緒にいかがですか”と。
おかげで思いがけず楽しいランチとなったのですが、あよになってビルもたくさんあり、そのなかにさらにたくさん飲食店があるなかでのめぐりあわせに、これもご縁だなあとしみじみ感じる出来事でした。
と、また脱線してごめんなさい。
コンサートの話題にもどりますね。
オープニングから胸のすくような晴れやかでエネルギッシュな情熱歌唱がつづきました。
「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」を唄いおえてのオープニングコールではひとことひとこと、こちらがドキッとするほど大きな声で力をこめて声をかけてくださったので、”ありがとうございますっ!!!”とおっしゃたときには、ドキーッとしてしまったのです(笑)。
1曲1曲にまごころを感じて、”おひとりおひとりと歌で対話を”というきよしさんの思いがつたわってきて...。
惹きこまれていきました。
とりわけ「美ら旅」はこころにしみいり、はじめて訪れた沖縄での楽しかったできごとを思いだし、また数日間ではありましたが、肌で感じた沖縄の光と影がわたしのなかでふくらんでいくような思いにさせられたのです。
ちなみにセットリスト、衣裳、構成はわたしが前回参加させていただいた福井フェニックス・プラザから変わっているものはありませんでした。
”ふれあいコーナー”の前のトークでは司会の西寄ひがしさんをまじえて近況をお話しくださり、前夜の「うたコン」での素晴らしい歌唱を西寄さんが絶賛されると、大きな拍手と歓声がおこったのです。
「昨日は、季節が”春”ということで、1番のあと(3番ではなく)2番を唄わせていただきました。
その前の日は沖縄に”演歌まつり”でいっていて、沖縄にいく前に群馬で『新BS日本のうた』で、”氷川一座”の収録があったんですよ。とても楽しかったのでぜひみてくださいね」
と放送日までおしゃったのですが、どうも”博多どんたく前夜祭”の日程と重なってご記憶されていたようで、西寄さんが即フォロー。
きよしさんがご自身で放送日までおしらせされるなんて、そんなにないことですから、きっと早く皆に見ていただきたいと思われてのことですよね(喜)。
番組は5月7日(日)午後7時30分からNHK BSプレミアムで放送予定です。
※ちなみに4月13日におこなわれた公開収録の様子は下記アドレスからご覧いただけますので、よろしければお読みくださいませ。
そして、ふたたび「うたコン」の話題になって、きよしさんを中心に展開されたメドレ歌唱で「YOUNG MAN」を唄われたときの話題になると、
「あのときは、こんななっちゃって...。僕唄いながら”振り”をするのって苦手なんですよ~」と、きよしさん。
すると、客席後方から、
”歌が上手いんだから大丈夫!”
との男性のお声。
”そのとおり!”とばかりに大きな拍手がおこりました。
そこですかさず西寄さんが、「花は遅かった」も素晴らしかったとおっしゃると、さらに大きな拍手がおこったので、優しいきよしさん、「花は遅かったの」の台詞を数フレーズ再現してくださったのです。
迫真の演技に、われるような拍手と、”ヒューッ!”という歓声がおこったので照れてしまわれたのでしょうか?
「すみません、ツバとんじゃって」
とおっしゃって、前列のかたたちを気遣われたのでした(笑)。
”ふれあいコーナー”のおひとりめの当選者は1階席の女性。
新橋のSL広場で開催された「男の絶唱」の新曲イベントに参加されたそうですが、開始3時間前からならばれていたそうで、待っている間、「男の絶唱」を周囲の皆さまが合唱され、それをきいて、”絶対この曲売れる!”と思われたということでした。
わたしはあの日は駆け込み参加でしたので、皆さんが合唱されるところに居合わせて参加したかったなあなんて思っていたのです。
そのかたは長良会長がお元気だったときに、長良会長ときよしさんそれぞれに、”ひばりさんが、ご自身のかわりにきよしくんを寄こしてくれたと思っている”とファンレターを書いたことがあり、先日の東京ドームで開催されたチャリティーコンサートで、「人生一路」ひばりさんとのコラボに感動して涙がでたとメッセージを書かれていました。
”きよし君が活躍されるのは嬉しいですが、忙しい様子に健康が心配になります”と、そのかたがおっしゃると、
「僕も年齢を重ねておりますので、睡眠をとって、食生活に気をつけて。お酒はほどほどにして。長く唄っていかれるようにと思っています」
とおっしゃり、皆を安心させてくださったのです。
そして、ひばりさんについて、
「僕、ひばりさんのことをしりたくて、お宅にうかがってご子息の和也さんに根堀り葉掘りおききしたんです。ひばりさんてとても気さくなかただったそうですね」
ときよしさんがおっしゃると、
「あの(チャリティーコンサートの)ときに、もし今ひばりさんが生きていたら、いちばんきよし君をかわいがったでしょうって、司会の徳光(和夫)さんもおっしゃっていましたからね」
と西寄さんが言い添えてくださいました。
徳光さんはもちろんご子息の和也さんやひばりさんを愛するファンの皆さまのなかにもそうおっしゃってくださるかたが多数おられるのですもの。
きっとそうですよね。
おふたりめの当選者は2階席のかた。
このコンサートの翌日4月20日が90歳のバースデーということで、いつもは市原でのコンサートにいらっしゃるのですが、今年はこの日に娘さんがつれてきてくださったということでした。
きよしさんが健康の秘訣をうかがうと、”よく笑うこと”とおしえてくださり、好きな食べ物をうかがうと、”うなぎ”と即答されたのです。
きよしさんは「僕もうなぎ好きですよ」とお答えになっていましたが、そのかたのお姿はわたしの席からはよくみえなかったのですが、お声はとてもお若いのです。
うーん、やっぱり、うなぎって滋養があって、長寿食なのですね。
娘さんにサポートしていただいて「きよしの愛の劇場」で女優さんにチャレンジされることになり、この日のタイトルは”愛しのテキーロ”でした(喜)。
「ちょっぴり大人で、エッチな?」といいかけて、”色っぽい”と言いかえたきよしさん。
台詞が「愛しのテキーロ」の歌詩になっていたのです。
西寄さんのト書き風ナレーションをうけていったん舞台後方に姿を消されたきよしさんがサーッと登場され、歌詩を情感こめて語りだされたのでした。
正直、そのことをきいたときには、なあんだ歌詩を読むだけなのねなんて思っていたわたしだったのですが(ごめんなさい)、よくかんがえたら(かんがえてみなくても?)あの歌詩ですものね。
それを情感こめておっしゃるんですもの、もうドキドキして熱がでてしまいそうなわたしでした。
おばあちゃまは台本をお読みになるのはむずかしかったようで、娘さんが代役をつとめてくださいましたが、ラストの名前を呼びあうシーンは、西寄さんが、今一度、おばあちゃまにといってくださり、おばちゃまがチャレンジされたのですが、なかなかタイミングがあわなくて場内大爆笑。
でもようやくキマッて、素敵なエンディングとなりました。
素晴らしいバースデープレゼントになったことでしょうね。
きよしさんの情熱歌唱はつづいて、その心地よさにとろけるような思いで聴きいっていたのです。
永遠にこの時間がつづいいてほしいなあ...。
そんな思いをいだかずにはいられませんでしたが、いよいよ「おとこの詩」を歌いおえたところでラストトークとなりました。
「今日は皆さまのまごころを感じながら唄わせていただきました。
一瞬、一瞬が”歌手・氷川きよし”にとって勝負です。
今日お越しくださった皆さんにとって、なにかおみやげになるようなものがありましたら、氷川jきよしが生まれてきた意味があると思うことができます。
今、20周年にむかってがんばっていますが、さらに30周年、40周年、50周年にむけてがんばっていきたいと思っています。
NHKの歌番組に出演して作曲家の水森英夫先生に声をかけていただいて18歳で上京しました。
3年半アルバイトをしながらレッスンをうけて、22歳のときに『箱根八里の半次郎』でデビューしましたが、たくさんの大人の偉いかたが応援してくださいました。
北野武監督が芸名をつけてくださって志村けんさんがビラ配りをしてくださって、会長も応援してくださって、コロムビアの”90周年記念アーティスト”にもしていただいて。
でも正直、それもプレッシャーでもあったんです。
だけど、今になって思うと、当時の氷川きよし青年は好青年だったと思います。
大人のいうことは、”はい”といって、ちゃんときいていました。
だから精神的にまいりましたけど(笑)。
ああしなさい、こうしなさいっていろんなこと(相反することも)をいわれましたから...。
それに怒られたこともありました。
”おまえ、ちゃんとやれっ!”って」
きよしさんは頭をご自身のこぶしでこっつん!とたたきながらそうおっしゃってから、
「それはみんな愛情だったですよね。
僕ももうすぐ40代に突入するわけですけれども」
と。
そして、最後は、
「がんばります!」と声高らかにおっしゃると、
「イェイッ!」
と右手をかかげておっしったきよしさんに、2500人がこころをひとつにした”イェイッ!”がかえってきたのでした。
アンコールのラストの「きよしのズンドコ節」まで、きよしさんの情熱に巻きこまれて忘我の時間となりました。
※駆け足での更新で失礼します。
週末は沖縄での「演歌まつり」のことを沖縄の画像をおりまぜて書きますね。
バックミュージックは「美ら旅」で!