あれ? どこかで会ったことがあるような...。
舞台後方の壁に映し出された青年の顔をみてまずそう思ったのです。
スラリとしてまっすぐなまなざし...。
迫るテレビカメラにどこかしら伏し目がちな様子はデビュー当時のきよしさんを思わせるものでした。
それは「日曜ビッグスペシャル」(テレビ東京)という番組(「日曜ビッグバラエティ」の前身)の新人マネージャー(付き人)を特集したもので、その映像をみているうちに、その青年こそが22歳の西寄ひがしさんであることがわかりました。
7月26日に浅草・木馬亭でおこなわれた「西寄ひがしトークライブ Vol.5」で、立ちっぱなしのノンストップトークを繰り広げたあと、あらためて来場のお礼をおっしゃると、出会ったすべての人への感謝の思いを述べ、とりわけ司会者への道をきりひらき、見守り、育ててくださったふたりの恩人、森進一さん、所属事務所の長良じゅん会長へ、深い感謝を捧げたのです。
VOL..1のときは1本だった深紅のバラが5本になっていました。
いずれはこのテーブルにおけないほどのバラを飾ることになるのでしょうね。
高校を卒業して大分から上京し音響会社に就職した西寄さんは、縁あって森進一さんの付き人になったのですが、年末の忘年会をいちばん新人の西寄さんがセッティングすることになり、そこで進行役もつとめるのですが、そこで森さんに、”面白い”とほめていただいたこと、これまでのトークライブでうかがっていました。
森さんは、それまで森さんのコンサートの司会をつとめていた綾小路きみまろさんに似た何かを西寄さんに感じるとまでいってくださり、”司会をしてみないか”と”いってくださったのです。
自分に司会という大役ができるだろうかと迷っていた西寄さんに、森さんは、
「将来マネージャーとしてやっていくにしても、歌手の気持ちがより理解できるようになるから」
と背中をおしてくださったということでした。
付き人を3年、司会者の仕事もさせていただいた時期が3年半。
森さんには6年半お世話になり、次第に森さんのコンサートと重ならないときに、他の司会を頼まれるようになり、そのなかで、きよしさんの”チャレンジステージ”の司会のお仕事をさせていただいたということでした。
きよしさんが全国コンサートツアーをおこなうにあたって、長良会長は、ベテランの司会者でなく、きよしさんと一緒に学んで成長していける年の近い司会者を求めていたことと、西寄さん自身も何か”氷川きよし”に運命ていきなものを感じたのでしょう。
すべてを長良会長がまとめてくださり、西寄さんは、”氷川きよし”のファーストコンサートツアーの専属司会者となったのだそうです。
西寄さんがいつもこころに思っているのは、
森さんの、
「間違えることは誰にだってある。
僕だっていまだにあるよ。
間違えたときには謝ることがだいじだ。すぐに謝ること。
それと、この世界では自分で決められることはなにひとつない。
すべてはお客様が決めてくださる。
自分でなにかをしようとした人はたいてい失敗してる」
という言葉。
そして、
長良会長の、
「見てるやつは見てる。小さいことは気にするな」
という言葉。
西寄さんはそのことをお話しされると、あらためて、
「すべてがつながって。
絹糸のように紡がれて、年齢を重ねていったときに、予想どおりの1枚の布になってきたなと思えるようにがんばっていきたいです。
すべては感謝!
出逢った皆さんに感謝です」
とトークライブを結ばれたのです。
※このバッジ、かわいいでしょ!
「日曜ビッグスペシャル」の貴重な映像は、これまで西寄さんが保管されていたVHSテープをディスクにおとしての上映でしたが、司会と付き人を兼任される西寄さんの仕事ぶりを、”コマネズミのように”と評していて。
ほんとうに目のまわるような忙しさだったのですが、その仕事ぶりはみごとなものでした。
たとえば、森さんが真っ白なタキシードにお着換えされてから靴をはかれるとき、西寄さんが靴ベラを持って森さんは立ったまま靴をはいていたのですが、それには理由があって、かがんでパンツに皴ができてはいけないからなのだそうで、お客様には皴ひとつない美しい衣装をご覧いただくという心遣いだということでした。
そして、ある年、森さんが新宿コマ劇場で1か月公演をされるという時に、西寄さんは森さんに宿題をだされたそうです。
それは歌謡ショーの中盤で歌唱する「襟裳岬」の曲紹介を46公演すべて変えてほしいというもの。
それは大阪の梅田コマ劇場にも引き継がれて、毎夜、ホテルのメモ用紙に書いては、それを覚えて眠ったそうですが、中日(なかび)には困ってしまって、
”名曲中の名曲です。なにもいうことはございません”
とおっしゃったら、森さんに、それが”いちばんよかった”といわれた笑い話にされていましたが、ものすごい試練だったのだと思います。
※チラシがこんなふうに五つ並ぶとカワイイですね!
森さんにお世話になった6年半、ご家族の皆さまとの思い出も少しお話しされていました。
奥様だった昌子さんにもとてもよくしていただいたそうで、
運転手担当の方と西寄さんに、””いつもパパのためにありがとう”とおっしゃって、春夏秋冬、シーズンごとにお洋服を一式プレゼントしてくださったのだそうです。
そして、いつでも出勤(出動)できるように、森さんのお宅の近くのアパートの住んでいたので、お子さんの幼稚園のお迎えをすることもあって、今やONE OK ROCK(ワン オクロック)のボーカルとして活躍しているタカこと森内貴寛さんは一番上の息子さんなのですが、その方ををよくお迎えにいって、帰る道々、悪いことばかりおしえてしまったそうで(笑)、
”誰からそんなことおそわったの?”
と昌子さんにいわれると、
”西のお兄ちゃん!”
なんてやりとりがよくあったということでした。
また森さんの座長公演に杉田かおるさんが出演された折、稽古のときから、
”西君てわたしの凄いタイプなの”
とおっしゃっていて、ある時、
”今夜ふたりだけで食事しない?”
と誘われたのだそうです。
そこは真面目な西寄さん、森さんに、”どうしたらいいでしょう?”と報告&相談すると、
”面白いよ、いってきなさい”とおっしゃり、さらに、
”俺たち、陰で見てるから”と(笑)。
それでお食事をご一緒して、鍋を楽しくいただいたのだそうですが、
後日、杉田さんがトーク番組に出演された折、西寄さんは大阪のホテルでご覧になっていて。
”どんなタイプが好きなんですか?””
と問われた杉田さんが、
「わたし、すっごい不細工な人が好きなんです。野生のゴリラのみたいな毛むくじゃらで...」
とおっしゃるのをきいて、西寄さんは大げさでなく、ショックのあまりベッドからころげおちてしまったそうです(笑)。
※木馬亭の正面に飾られたポスターには直筆メッセージが。
メニューをもとに繰り広げられたトークは、西寄さんの語り口も大きな魅力なので、とても文字に表現しきれませんが、こころに残ったエピソードをここまで書きとめてみました。
昼夜ともオープニングで、笑福亭鶴瓶師匠の話題をされていました。
ファンになって、鶴瓶さんの落語やトークを聴きにいくようになって26年とおっしゃっていたので、上京して間もなくということになるでしょうか。
「思っていれば、願っていれば叶うんですね。
そのことを口に出していうことも大切ですね」
と前置きされ、先日、世田谷パブリックシアターでの鶴瓶さんのライブにうかがった際、おわって1階にあるプロントでアイスコーヒー(Lサイズと申告・笑)を飲んで、余韻にひたっていたら、鶴瓶さんのマネージャーさんが西寄さんに気づかれて、
”まだ鶴瓶いますから、会っていってください”
と声をかけてくださったのだそうです。
なぜマネージャーさんが西寄さんをご存じだったかのかは、皆さま、ピンときたのではないかと思うのですが、きよしさんが鶴瓶さんのラジオ番組に招かれた際、西寄さんを誘ってくださり、一緒に出演されたので、覚えていてくださったのです。
それでホールにもどると、ファンの方の列ができていて、サインをしたりご挨拶をされていたのですが、鶴瓶さんが、西寄さんに気づかれると、
”西寄か、待っとれよ”
と声をかけてくださり、みると、西寄さんが2日前に来場された折、鶴瓶さんにお手紙と共に贈ったスカーフをしてくださっていたのだそうです。
数日間公演があるので、西寄さんはできる限り通われていたのですね。
西寄さんは、マネージャーさんとお顔見知りになっても、”鶴瓶さんの一ファンでありたい”、そのことをだいじにしたいという思いから、小さなイスを持って当日券の列に並ぶ、そんな自分がまた好きなのだとお話しされていました。
※先の記事にもアップしていますが、今回のメニュー表です。
鶴瓶さんはそのスカーフをとても気に入ってくださったそうで、手紙のこともふくめてあらためてお礼をおっしゃると、お食事にお誘いくださったそうです
銀座アスターにお連れ下さり、西寄さんはあがってしまってビールを6本(夜の部では10本と・笑)飲まれたということでした。
そして、”電話番号交換しよう!”と鶴瓶さんがおっしゃってくださり、交換されたそうです。
「だからといって私から電話をかけるなんてことありませんけれでも、嬉しかったです」
とおっしゃり、そこで、トークネタに転じたのです。
あるCMでお世話になっている方を、食事に誘われて、
”電話番号をおしえてあるでしょう。(今使っている番号とあっているかどうか)見せて”
というようなことを鶴瓶さんがおっしゃると、その方は携帯をみせることを固辞されたのでそうです。
それで、無理やり見ると、登録されてはいたのですが、"団子(ダンゴ)”と(笑)。
わけを聞くと、携帯をなくした時に、実名で登録していると迷惑がかかるといけないと教えられてそのようにしているということがわかるのですが、
”それにしてもなんで、”団子”なんだ”
と怒ったのだそうです(笑)。
でもそのことをお話しされると、鶴瓶さんは西寄さんに、
”ちゃんと”団子”って登録しておけよ”
といわれて、鶴瓶さんがじっと見ているので、その場では言われたとおり”団子”と入力し、あとで”師匠”と変えたということでした。
※次回のトークライブが決定!
文末はきよしさんの話題を。
以前、鶴瓶さんが「笑っていいとも!」に出演されていたとき、アルタの近くにある角座で落語の勉強会のようなライブをされていたのですが、いきたかったのにチケットがどうしてもとれなくて、あきらめきれずにアルタ近くにいて、”今日は残念だったけど”という思いで角座に移動するためにアルタから出てきた鶴瓶さんをお見送りしていたのだそうです。
と、そのとき、きよしさんから着信。
”西さん、今なにしてますか?”
といわれて、
”(ある方の)成功をお祈りしています”
と答えると(笑)、
きよしさんは、お友達からそのイベントのチケットがとれたからと誘われて、西寄さんが大ファンだということをご存じなので、もう1枚なんとかならないかきいてもらったところ何とかとれたので、そのチケットを受けとるためにあと5分くらいで角座につくところだということをおっしゃったのだそうです。
一度はあきらめていたライブをみられることはもちろん、そのあまりに絶妙なイミングに、夢のようだと思ったそうです。
きよしさんの話題はごく自然にとびだしてきますが、
99歳のおばあちゃんが亡くなった日、西寄さんはきよしさんのツアーで秋田にいたそうです。
きよしさんはお堀の睡蓮を見るのがお好きだそうで、朝、一緒にお散歩されていたのですが、そのときに、
「西さんの99歳のおばあちゃんは元気ですか?」
ときよしさんがおたずねになったので、
「はい」
と西寄さんは答え、おばあちゃんのことを思いうかべたのですが、その日、亡くなられ、連絡がきた時に、きよしさんを通して、知らせてくれたと思われたということでした。
そして、その朝の散歩でのエピソードもこころにのこるものでした。
きよしさんのツアートラックをながめていた地元のおばあちゃまが、きよしさんに、
”氷川きよしが来ているんだね”
とおっしゃったそうです。
それで、きよしさんが、
「そうですね」
と答えて、さらに、
「僕、似てるでしょ?」
とおっしゃると、そのおばあちゃま、
”全然似てないっ!”
とおっしゃったのだそうです(笑)。
いつでもどこでもチャーミングで西寄さん思いのきよしさんですね。
今回、22歳の西寄さんの仕事ぶりや、森さんとのエピソードをうかがって、あらためて、西寄さんが、”氷川きよし”の司会者として、それまで構築したスタイルをリセットして”ゼロ”からオリジナルのスタイルを築かれてきたことを思い、胸が熱くなりました。
皆さま、それぞれの場でできること、がんばっていきたいですね。
西寄さんのおっしゃるとおり、
”思っていれば、願っていれば必ず叶う”と信じて。
わたしが思いだすのは、かつてお世話になった方が、
”思い続けること、願い続けることも才能だよ、結果はあとからついてくる”
といってくださったこと。
それではまたお逢いできますように!
明日はオフなので、新宿の沖縄フェスティバルにいってまいります。