「もう、早く出雲に来たかった!
大変恐縮ですが、私、氷川きよしの生誕40周年コンサートをさせていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。
1972年、昭和52年9月6日、母親に産み落としてもらって、ひとり息子としてすくすくと育ちました。
生れた時の体重は3750グラム。母はとても大変だったそうです。
18歳まで九州。博多で父と母の愛情をうけて成長した本名、山田清志でした」
2017年9月6日、出雲市民会館で開催されたコンサート昼の部で、この日40歳となった思いをオープニングトークで話されたのです。
島根でのコンサートは2年ぶり、出雲市民会館でコンサートは、コンサートツアー17年目にして初めてですが、きよしさんがこの日40歳のバースデーを迎えるということで、全国各地(台湾からも!)からファンが集結。
雨が降っていましがが、こころは晴れ晴れ、そこここに笑顔の花が咲いておりました。
※あらためて全身バージョンもこの記事の中でアップしますね。
こんばんは。
出雲から帰ってひとやすみしたところで、この記事を書きだしています。
昨日は昼夜、参加させていただいたのですが、きよしさんの歌唱に、40歳のこの日を迎えたことへの喜び、そ
して抱いている覚悟と夢を感じて...。
”きよしさん、おめでとう。ほんとうにおめでとう”という思いを、拍手の一拍一拍にこめさせていただいておりました。
神話の地、そしてご縁の地、出雲ですごさせていただいた2017年9月6日の一日すべてが輝かしく、そして愛しく思えてなりません。
きよしさんは、今日は東海ラジオさんの「FINE DAYS! 流れ星の笑わさ~すDAY!」の14時台に生出演されたので、ラジコのエリア&タイムフリーで聴きながら、ブログに載せる画像を整理しておりました。
明日はアスナル金山で「男の絶唱」ニューバージョン、発売記念イベントが開催されますね。ご参加される皆さま、応援よろしくお願いいたします。
オリコンデイリーランキング総合で9月4日、6日は第2位と絶好調!
これから名古屋、大阪へとバトンをつなげて、この勢いで年末まできよしさんと一緒にがんばりましょう!
では以下は昨日のコンサートのことを昼夜、ながれに沿って書いてみようと思います。
そして、終演後の出待ちから今日の出来事まで、こころのままに”フリースタイル”で書かせてくださいませ。
※昼の部開場前の出雲市民会館には長蛇の列!
このときは雨が一時的にやんでいたのです。
出雲大社にお詣りしたかったので、6日は早朝便で出雲入りしましたが、出雲空港についたら雨が降っていたのです。
これは、もしかしたら嬉し涙なんじゃないかしら?
わたしは、雨のなか、出雲大社に行くことになることを苦に思うより先にそんなふうにまず思ったのです。
だって、今日は、愛しい人のお誕生日。それも節目の40歳なんですもの。
そして、雨が降っているからといって、お詣りするのに困ることがないほどに、自分の体調が回復したことにもありがたさを感じておりました。
この記事の冒頭に、昼の部でのトークをメモをたよりに一部書かせていただきましたが、きよしさんは作曲家の水森英夫先生にスカウトしていただいて上京し、3年半、アルバイトをしながら週1回レッスンをうけていた修業時代のことをお話しされると、
「浮き沈みの激しい芸能界。
今年はよくても来年はどうなるのかわからない世界で、唄わせていただいてデビュー18年めになります。
(歌手としては)やっと18歳という感じです」
と。
そして、「きよしのスイスイマドロスさん」を唄いおえたところで、バースデーケーキがステージにワゴンで運ばれてきて、どの途端、HKピュアリバ―の皆さんが、「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」のイントロが奏でられ、皆で唄ったのです。
”♪ハッピーバースデー・ディア・”きよしくん!” ハッピーバースデー・トゥー・ユー~~~”
と大合唱となりました(嬉)。
そして、運ばれてきたケーじゃ大きな長方形で「碧し」を想起させる美しいブルーが基調になっていました。その左側には赤い花束? わたしの席からははっきりみえなかったのですが、西寄さんによりますと、”男の絶唱”という文字や、マイクも描かれているそうです。
右上方に40本のロングスリムなローソクには炎が揺らめいていて...。
「さあ、それではドラムロールをお願いします」
と司会の西寄ひがしさんがおっしゃると、ステージの照明が暗くなり、ドラムの音が緊張感を高めます。
きよしさんは、ケーキの向かって左側(上手側)から、2メートルほど離れて、ウォーミングアップ!
”フー”
とひと吹きされますが、炎は一瞬小さくなり、また揺らめいていました。
そう、いくらなんでも距離がありすぎですよね(笑)。
2度ほど繰り返されて、そのたび、”わーっ!”という歓声があがって、いよいよ、それでも1メートルほど離れた距離から40本のローソクの火を一気に吹き消されたのです。
客席からの”おめでとう!!!”の大合唱に、
「ありがとうございます」
と深くお辞儀をされてから、
「おかげさまで40歳になりました。
でも生涯青春でありたいですね~」
とひとことおっしゃると、大先輩である布施明さんが、共演者する、年下の皆さんにも布施さんのほうから気さくに挨拶される姿に感銘をうけたことをお話しされて、
「なかなかできないですよね。プライドがあって。でも僕もそうありたいなって思わせていただきました」
とおっしゃったのです。
そして、
”40歳の展望は?”との西寄さんからの質問をうけて、
「自然体がいいですね。
自分がどう生きるかが大切。
努力して、感謝の気持ちを忘れずに、誠実で謙虚でありたいです」
とその思いを言葉にされると、
「2000年2月2日に『箱根八里の半次郎』でデビューさせていただきました。
なんかしらいないですけど、ヒットして、
なんかしらないですけど、応援していただいて...」
きよしさんは、デビューしてただただがむしゃらに一生懸命唄っていただけなのに、自分が夢にも思っていなかった大ヒットという状況、そして、たくさんのファンができたことへの驚きと感動を、照れくさそうに”なんかしらないですけど”という言葉であらあされたのです。
なぜヒットしたのだろう?
自分のどこがいいと思ってくださっているのだろう?
きよしさんは、”氷川きよし”の爆発的な人気に慢心するどころか、そんな思いを抱かれていたのですね。
今、ふりかえって、きよしさんのお気持ちを勝手ながら想像して...。
そんなきよしさんだから、今の”氷川きよし”があるんだなあと、あらためて感じて胸ががいっぱいになったのです。
「ファンの皆さんと一緒に”氷川きよし”をつくってきました。
だから僕は、”氷川きよし”という城を守っていかないとなりません。
そして、”氷川きよし”という船を皆さんと一緒に漕げたら嬉しいです」
なんて素敵!
きよしさんの言葉に、空飛ぶお城のような”氷川きよし号”を思い描いて幸せな思いになったのです。
「感謝の気持ちが大事ですね。感謝をしていたら、全部うまくいく。
あとは、”キライです~、好きです~”って(笑)、はっきり言える大人になりたいです」
とさらにお話ししてくださいました。
※チケットは早々にソールドアウト!地元の方はこのポスターを
ご覧になってチケットを入手しようとがんばられたそうです。
「そんな氷川きよしさんですが、40歳になって最初にいったのは100円ショップでございました」
と西寄さんがおっしゃると、
「ダ○ソーにいって1800円くらい買わせていただきました。
あの、毛穴のうんちをとるやつ。
えっ、違う(笑)。
そうか、毛穴のカスをとるんですよ。すごいの。でもそれは300円だったんですよ(笑)」
と大爆笑。
前日からこちらにいらしていて、朝は1時間ほど走られたこともお話しくださったのです。
そして、前日のオリコンシングルCD総合のデイリーランキングが第2位であることを西寄さんがおしらせくださると、
「ありがたいですね。奇跡ですね!」
とおっしゃると、客席の声援と拍手に、なんどもお辞儀されるきよしさんでした。
「最初の頃は衣裳のこともいろいろいわれました。
演歌の世界で細身のスーツとか着ている人っていなかったから。
意地悪いわれたり...。
でも、”ありがとうございます”って僕、いって、こころのなかでは、”ヘーン”って(笑)。
そういう強さはもっていないとやっていかれない世界でしたからね」
その言葉に皆が大きくうなずくと、
「皆さん、愛しています」
と、きよしさんはひとことおっしゃったのです。
きよしさん、やっぱりやっぱりいろいろなことがあったのですね。
どんな世界でもかならずいろいろな人がいることを思うと、ましてや競争の激しい芸能界で、きよしさんにだっていろいろなことがあったのかなと思はなくはなかったのです。
でもきよしさんは、いつだってそんなこととは無縁と思わせていただいてきたのですもの。
ここで4日におこなわれた「ミュージックフェア」の収録のことをお話しくださいました。
「坂本冬美さんとさだまさしさんと3人で一緒にさださんの歌を唄わせていただいて。あとは『男の絶唱』を唄っています。そうしたら工藤静香さんにお会いできたんですよ。
工藤さんは僕の青春時代のアイドルなんです。以前NHKホールで(歌謡コンサート)で一度会ったことがあるので2回めだったんですけど、新しいアルバムをくださって、サインをして、”がんばってね”って書いてくださって。
僕、”もう死んでもいいです”って工藤さんにいったら、”氷川くんが死んじゃったら、ファンの方が悲しむでしょ”って(笑)。
でもそれくらい嬉しかったんです」
中学1年生のときにファンになってCDは全部もっていらっしゃると、サンシャインでのイベントでおっしゃっていました。
いつか工藤さんの歌もカバーしてほしいですし、デュエットする機会があったら素敵ですね。
きよしさん、ドキドキされて、唄えます?
なんて(笑)。
皆さま、「ミュージックフェア」は9月16日放送です。
※雨が一時やんでいたので、昼の部へは歩いていきました。
ここはあと800メートル地点!
わたし、このくらいの距離なら歩けるほどに回復しているのです。
昼の部の”ふれあいコーナー”で当選されたおひとりめは出雲市からお越しの方。93歳のおばあちゃんが少し体調をくずされたそうで、娘さんを代役にともなって来場されたということでした。
”お誕生日おめでとう。出雲に来てくれてありがとう”
とメッセージを書かれ、”お休みはどのようにすごされますか?”と書き添えられた質問に、
「ひとりで海に行ったり、ブラブラしています。
ひとりがいいですね~。四六時中スタッフやマネージャーさんがいるから(笑)。
電車に乗ってあちこち行って。タクシーにも乗ったり。
それで知らない人と交流して...。
楽しいんですよね」
とのお答えでした。
あっ、わたし、今、思いだしたことが。
それは、ひとりでいる時間が楽しめるようになったとき、大人になったなって実感したことがありました。
皆さまは、いかがですか?
つづいておふたりめは、鳥取県倉吉市からお越しの94歳の方。
健康の秘訣をきよしさんがうかがうと、
”百姓しとります”
とのお答え。今の時期はナスやキュウリをつくっておられるそうで、質問用紙には、
”人生長く生きてますが、きよしくんのファンになって毎日幸せです。40歳の目標はなんですか?”
と書いてくださっていました。
「僕は歌がほんとうに好きなので、これからいろんな歌を唄ってみたいです。
形式に縛られずこころある歌を届けたい。
否定しない歌がいいですね。自分自身も相手もね。
今、みんな批判ばっかりしてるでしょう。
世の中、おかしいよ。
みんなで認めあって批判しないで生きていきたいですね」
とそんなふうに歌への熱い思いをお話しくださいました。
ここで、西寄さんが、「限界突破×サバイバー」と「碧し」が大好評であることを話題にされ、きよしさんが、演歌を聴きたいとお越しになっている皆さんに、その2曲を聴いていただいてよいものか心配されていることを説明されるとステージから退散。
のこされたきよしさんは、まだ決心がつかないようで...。
「やっぱりやめときましょうか?」とおたすねになりました。すると、”唄って~!”、”聴きたい~!”の声、声、声(嬉)。
きよしさんもすっかり気をよくされたようで。
「じゃあ、ひとり5円ずついただきます」
と(笑)。
そして、すぐさま
「冗談です(笑)」
とおっしゃってから、
「『限界突破×サバイバー』は、僕のからだの一部、魂の一部です。生涯、大事な曲になると思います。
演歌の匂いの一切しない曲です。
それに『碧し』を唄わせていただきます。
『碧し」をつくってくださったグリーンさんのことを僕存じあげていなかったんですけど、DVDとかたくさんみさせていただきました。グリーンさんの作品には思想があるんですね。
若い人たちが生きていきていたくなったときに、でも生きていることって素晴らしんだよ。生きていこうよって。
僕もこういうものを届けていかないと、”歌”はだめになるって思いました」
きよしさんはそうおっしゃると、”大変に失礼ですが”と、前置きされてから
「おまら、サイコー!!!」
と。
その声に”イェーイ!”と天地を揺るがすような大きな声がホールにひびきわたったのです。
その歌声はアンコールのラストの曲「きよしのズンドコ節」まで熱く熱く響いて、その歌後にきよしさんの40歳になった嬉しさと決意を感じて、なんども熱いものがこみあげてきたわたしでした。
いよいよお別れのその時、緞帳に姿が消えるギリギリで、きよしさんは、全方向に投げキッスをしてくださったのです。
嬉しい、なんて、嬉しい!
最高の歌とまごころのトーク、そして投げキッスと、きよしさんがくださった贈り物をだきしめながら緞帳がおりてもまだ拍手をしていました。
※全身ボードです。
素敵、素敵、素敵!!!
迎えた夜の部は開演前から熱くて、熱くて...。
もちろん空調のせいではありませんよ、念のため(笑)。
昼の部終演後にはまた雨がふりだしていたのですが、晴天の日でもこんなに気持ちがさわやかになれるかしら?というほどにこころ晴れ晴れとしていて。
わたしのこころは一点の曇もない青空だったのです。
そしていよいよ開演!
「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」のイントロがなり、緞帳がスルスルとあがって、あがって? あがって???
緞帳は少しあがってはまた降り、またあがったと思ったら降りて...。
イントロもやみましたが、そこで、
「申し訳ございません。ただ今、調整中でございます」
と西寄さんの落ち着いた声がきこえてきました。
そして、さらに、
「ご来場の皆さま、安心してください。皆さまにはきよしくんがついています」
とおっしゃったものですから、わっと嬉しい声がひろがり、拍手さえおこったのです。
きよしさんは以前からよく偶然はないとおっしゃいますが、ほんとうに、この緞帳の出来事が、人生を物語っているように思えたわたしです。
いつも緞帳は当たり前のようにあがって、気にもとめていませんが、それさえも当たり前ではなく、多くのスタッフさんが支えてくださってのことなのですよね。
そして、人間のすることですから、なにかが少しちがうこともあって...。
このときの緞帳の、行きつ戻りつしながらあがっていく様子に、おおげさでなく、”人生”を感じておりました。
「大変に恐縮ですが、今日9月6日は、私、”氷川きよし”の誕生日でございます」
とオープニングトークでおっしゃったきよしさんに、
”おめでとう!!!”の大合唱がおこると、
「自分でいうのもなんですけど、”生誕記念コンサート”をさせていただけて感謝の気持ちでいっぱいです。
以前、歌のお仕事(2013年9月24日『コロッケぱらだいす ごきげん歌謡笑劇団』の公開収録)でここには来させていただいたことがありますが、すぐ帰らないとならなかったので、また来たいと思っていたんです。
今日、40歳になりましたけど...。
ずっと子どものままでいたいですね~。
でもいつまでも同じ場所にはいられないし、大人にならないといけないという思いもあります。
今日のこの時間は二度と戻らないから。
皆さんとその二度と戻らない時間を一緒にすごさせていただいて、僕のこの40年の”出汁(だし)”を歌にこめて唄わせていただきます。
平和のために唄うことが僕の使命です」
きよしさんはそうおっしゃると、3年後のオリンピックにむけて、「東京五輪音頭」を声高らかに唄われたのです。
つづいてのコーナーで、「みれん心」、「あの娘と野菊と渡し舟」、「さすらい慕情」とオリジナルのヒット曲を歌唱されると、
「唄っていると、いろいろ思い出がよみがえります。歌ってすごいなあと思います。
皆さんはいかがですか?」
とおっしゃって、その言葉がこころにしみました。
夜の部でも「きよしのスイスイマドロスさん」を歌われたところで、バースデーケーキの登場です。
きよしさんは、
「あれ~、どこかでみたことがあるような(笑)」
と笑わせてくださると、昼はこっちからだったから、夜はこっちから」
とおっしゃって、反対側の下手側(あるいは正面だったでしょうか? 記憶が曖昧です・汗)からローソクの火を吹き消してくださいました。
なぜ記憶が曖昧かと申しますと、きよしさんがその直後に、わたしたちを抱きしめて(キャッ!)くださったからです。
客席に向かいあって、大きくハグする仕草をしてくださったきよしさんに、さらなる大きな拍手がおこったのです。
「20代のときは40歳になるなんて想像していなかったですね~。
20代、30代はつらかったです。
まわりには恵まれているねっていっていただいていましたが、僕自身はどういう振る舞いをすればいいのかさ探って...。
探しながら、求めながら、応援してくださる皆さんが支えてくださって。
僕は皆さんが喜んでくださることをやっていきたいって思うようになりました。
自分らしくやらせていただきたいですね」
と、そこまできよしさんがお話しされると、西寄さんが、
「そんな思いは『思い出のメロディー』の出だしのナレーションにもこめられていましたね」
といい添えてくださったのです。
きよしさんはそのフォローをうけて、
「好きな、自分の好きな歌を唄わせていただきたいですね。
勝手に歌う歌が選ばれて、つくられてということも正直ありました。
30代最後の年に、ドラゴンボール(『限界突破×サバイバー』)と、『碧し』に出会えたことはありがたいことでした」
と。
※出雲市民会館まであと600メートル地点です。
夜の部の”ふれあいコーナー”のおひとりめは鳥取からお越しの37歳の男性で質問は、
”どうしたら、そんなにいい声が出るんですか?”というものでした。
「ここだけの話ですが、デビューしてすぐに忙しくさせていただいて。僕、毎日唄ってたんです。
365日。
コンサートを80か所160公演させていただいて、コンサートに加えて1カ月座長公演を1年に2回させていただいたこともありました。
それで、のどつぶしちゃって。
でも、1回こわれて鍛えられたから。
野球選手の方が手にタコができるように、僕にはのどにポリープができたけど、それも手術して切除したから。
だからとにかく唄うことですね。
空気をいっぱい吸って。腹式呼吸で」
と、質問をうけて、この日だからこのようなこころの内をお話ししたいと思ってくださったのでしょうか。
笑顔でお話しされるきよしさんがわたしにはまぶしくてなりませんでした。
おふたりめの当選者は松江からお越しの90歳の方。
今日はお孫さんふたりに、どこに行くのか知らされないまま、きよしさんのコンサートにお越しになられたそうです。
きよしさんの大ファンであるおばあちゃんを喜ばせようとして、お孫さんふたりが計画されたサプライズプレゼントということでした。
”わたし、本当に氷川きよしさんの大ファンです。今日は氷川さんとお会いできて、一生の幸福者です”と大感激されていて、お孫さんの優しさにもじんときてしまいました。
一緒に「きよしのズンドコ節」を唄いましょうということになったのですが、なぜかきよしさんが迷走されて(笑)、あきれた西寄さんが、
「ズン ズン ズン ズン、”ドコへ行くになってしまいました~」と声をかけられたのでした(笑)。
※お預かりしたッセージを箱に詰めて贈らせていただきました。
ご参加くださった皆さまこの場を借りて取り急ぎのお礼です。
”ふれあいコーナー”が終わると、「限界×突破サバイバー」と「碧し」について、
「自分の体を通して、自分の魂を通して、この2曲を唄わせていただいています。
勢いをつけるために、”おまえらサイコ-!”っていわせていただきます」
と、きよしさんは前置きされると、思いきり力をこめた大きな声で、
「おまえらサイコー!!!」
と天と地を揺るがすほどのパワーをこめておっしゃったのです。
きよしさんの歌唱にヒートアップした客席に負けじと、いっそう熱く熱く歌唱されたきよしさんでしたので、
唄いおえると、湯気がたちそうなほどでした。
きよしさんは、
「すいません。水、飲ませていただいてよろしいですか。
ええと2秒で。
1,2! あれもう2秒だ。
じゃあ10秒」
そうおっしゃって上手袖にはいられると、
「今、エビアンを飲んでいます」
とセルフ実況中継(笑)。
そして、ふたたびもどられると、
「さあ、演歌モードに戻りましょう」
と、おっしゃり、
5日にリリースされた「男の絶唱」のニューバージョン(3タイプ)のカップリング曲を
Fタイプの「片恋のサルサ」
Eタイプの「芝浜恋女房」
Dタイプの「酒場のひとりごと」
の順番で唄ってくださいました。
そしていよいよラストトーク。
「あらためまして、皆さん、今日はありがとうございました。
皆さんが今日、お越しくださったこと、僕、忘れません。
いやあ~。
ね~...。
40歳っ!」
きよしさんはひとことひとこと感慨深くおっしゃると、静かに微笑んで、
「年齢を重ねることは幸せを重ねることだと思っています。
そういう価値観をもっていきていきたいんです。
これから、今日、お越しくださった皆さんに歌が届くように唄っていきたいです」
きよしさんはそこまでお話しされると、「男の絶唱」について、
「日本人でよかったなあと思わせていただける『男の絶唱』のような曲を30代最後の年にいただきました。
年末までがんばってまいります。
どうか、これからの”氷川きよし”をよろしくお願いします」
とおっしゃると、こちらがのけぞるほどに大きな声で”「男の絶唱」!”とタイトルコールをされ、フルコーラス唄ってくださいました。
”氷川きよし”の40代の第一歩となったこの日の「男の絶唱の鮮やかな歌唱に、きよしさんの40歳を迎えた喜ぶ、そしてこれからの決意を感じて、胸熱くなり、その雄姿と歌声を魂に刻み込みようにして見つめ、聴きいりました。
終演後は出待ちをしました。
雨が強まり、傘をささないとならない状況でしたが、たくさんの方の列ができていたのです。
きよしさんを乗せた大き目な黒っぽいバンが出てくると、皆、示し合わせたように傘をとじました。
もう3重にも4重にも列ができていたのです。
そこへゆっくりと近づいてきた車の窓から、きよしさんは大きくのりだされていて、迷彩柄のキャップをかぶっていらしたでしょうか。
でも、それにしても、あんなふうにしていやtらどうしたってぬれちゃうのに...。
笑顔で手をふるきよしさんの姿に、あたたかなまごころを感じて、わたしは胸がいっぱいでした。
※こちらは彩雲堂さんの”露堂々”というお干菓子です。
蛍光灯が写り込んでいてごめんなさい。
でもなぜ、この画像をアップしたかと申しますと(嬉)...。
今日はお昼すぎに出雲空港から東京へともどってきました。
空港の売店で、コンサートのなかできよしさんがおっしゃっていた”緑のお菓子”について、わたしは多分、”若草”のことかなと思っていたので、お友達のUさん達をショーケースにご案内したのです。
そうしたらそのあとはUさんが売店の方から、きよしさんが、午前中に、こちらの売店に立ち寄られたことをおしえていただき、さらに、きよしさんにお菓子の説明をされた方に、こちらのお菓子を気に入られてまとめて買い求められたことまでおしえていただけて...。
もちろん”若草”もお求めになったことまでUさんがきいてくださったのです(嬉)。
もう、これは”きよし愛あふれる”Uさんのお人柄ゆえ。
わたしはその嬉しい情報に、そのお菓子をみつめてから、売店の方にお許しいただいて写メさせていただいたのです。
”露堂々”はもともとそれほど数をおいていなかったことと、たまたま居合わせたきよしさんのファンの方も購入されたようで、いち早く完売になっていましたが、きよしさんらしい素敵なお菓子だなあと、見つめて満足しておりました。
彩雲堂の方におつたえしたいですね。
それではまたお逢いできますように。
そして、明日の名古屋は晴れになれ!
イベント、大成功しますように。
※メッセージにご協力くださった皆さま、ありがとうございました。
週末にご報告させてくださいね。