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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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「今日はきよしさんに言いたいこと全部言っていただきましょう(笑)」越谷サンシティホールでの情熱歌唱とまごころトークはノンストップ(喜)

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いやん、もう、どうしましょ。
「碧し」を唄い終えるとステージは暗転。
きよしさんの熱唱に感動の拍手が嵐のように鳴り響いて、きよしさんがその場で深くお辞儀をされるのが、シルエットでみえました。
照明さんまでもが、きよしさんの歌唱のの余韻を味わっているかのように、ふたたび、照明が点くまでに間があるように感じられたのです。
万華鏡のように鮮やかにくるくると色調や輝きを変化させるきよしさんの歌唱にときめいて、そしてこころとろけておりました。


イメージ 1

きよしさんが、ステージ上手側で「みれん心」を歌唱されたときのこと。
2コーラス目(3番)を、、
”♪みんなあげたの”
と唄われると、”捧げたの”のフレーズを、主人公が心情を吐露するかのようにこぼれるようにささやかれたので、もうドッキーン!
そのひと節にあふれる主人公の思いを感じて、なんだか泣きそうになったのです。
明るくふるまっていても、憎いほど愛しい人を思っている主人公の恋心がわたしのこころにと飛び込んできたのでした。
それは「みれん心」のアコースティックバージョンで感じた主人公の切なさとはまたちがっていて...。
のんきそうにみえたり、悩みごとなんてないようにみえる人だって、それぞれがさまざまな思いを抱えて乗り越えようとして生きているんだよなあと、当たり前といわれてしまうかもしれませんが、でも、わたしはあらためてそう思って、励まされて、そして、この「みれん心」を聴かせていただく前のわたしより、少し優しい思いになれたのでした。

こんばんは。
昨夜、越谷サンシティホールでおこなわれたコンサートにいってまいりました。

「河内おとこ節」もますます進化!
”♪かわぁ~ち~~~ぶぅうーし~”
としめのところの歌唱がの、”ち~~”で音量をしぼってもりあげますが、きよしさんは当初は歌唱のボリュームとともにマイクを次第に口もとから離しながら音量を加減されていたかと思います。
それが今回は歌唱一本勝負に。
マイクとの距離はそのままに、その歌唱で音量を加減され、小さく、小さく、そしてうわっと大音量!
今までの歌唱も素敵でしたけど、わたしは今回の歌い方がきよしさんといっそう一体感が感じられてさらに好き!
気分爽快になったのです。

”ふれあいコーナー”にはいる前の司会の西寄ひがしさんとのトークで、12日の「うたコン」での「碧し」の歌唱を西寄さんが絶賛されると、客席から大きな拍手と歓声がおこりました。
そう、みな、感動したのですものね(喜)。
西寄さんがそのきのことをおたずねになると、
「楽しかったです。
ポップス唄うのって楽しいんですよ。
演歌も楽しいんですけど、こぶしをまわさなければならないので」
と、きよしさんは、演歌を歌唱される際は、ここでこぶしをまわすといような、いくつかの決め事があり、そのことを意識して歌唱されるので、ポップスにはない緊張感があることを説明してくださり、
「演歌は芸術的というか、粘土でつくりあげるというか...。造形的なんですよ。
(それとくらべると)ポップスは水彩画を描くような感じで。
そういうイメージが僕のなかで繰りひろげられているんですよ」
とまとめてくださったのです。

随分前に、ラジオ番組で、きよしさんがポップスは水彩画だとすると、演歌は版画とたとえてくださり、なるほどなあと思ったことがありました。
さらに、
「唄うのもセンス。
ファッションもセンス。
音楽ってセンスだと思うから、やっぱりセンスを磨いていかないとって思います」

きよしさんは、ご自身は16歳のときに演歌に出会ったので、演歌のことも、こぶしもなにもわからず、ひたすら勉強したことをお話しされると、
「子どもの頃から演歌(や民謡)に親しんできた人のように英才教育じゃなかったから。
母は松田聖子さんが大好きで」
と、突然、
”♪夏の扉を開け~て~”
と聖子さんの振り付きで唄ってくださったのです(喜)。
「母が唄ってて。”かあちゃん、何唄ってると?”って(笑)。
僕、すごく熱弁してますけどね、それだけ歌のことに真剣なんですよ。
でも、演歌に出会ってなければ、皆さんとも知り合わなかったですよね」
もう~、熱弁がとまらないきよしさんに、
「今日はいいたいこと、全部いっていただきましょう」
と西寄さん(笑)。
ふたたび、どんな歌も゛氷川きよし゛にしか唄えないみごとな゛氷川節゛で聴かせてくださることをほめられると、
「まだまだです」
と、静かにお答えになりお辞儀をされたきよしさんでした。

また、この日の「日刊スポーツ」に、インタビュー(笹森文彦さんの゛歌いーな゛の100回記念回)が掲載された話題になると、
「見てよ~」
「僕がいったこと、聞いてよ~」
と(笑)
もう、きよしさん、甘えん坊なんだから。
40歳になってもそんなところは少しも変わりませんね。

さらに、゛きよ友゛さんの話題になると、
「皆さんが僕を通じて知り合われて仲良くされているのを見ると、僕、幸せな気持ちになって。
口のなかが甘くなるんです」
とおっしゃっていました。

いよいよ終盤。
「風の男」を歌唱されるきよしさんを待っているとき、西寄さんのトークにわたしは惹き込まれたのです。
記憶とメモをたよりに書きますので言葉どおりではないことをおゆるしいただきたいのですが。
「2000年の2月2日に『箱根八里の半次郎』でデビューして、またたく間に大ヒットし、160万枚のミリオンヒット。デビューしてわずか10か月で紅白歌合戦に出場。
恵まれたスタートをきりましたが、それに追い付くというのもまた大変なものがありました。
そんな中でまだ20代の若者がたくさんの大人のスタッフに囲まれて。
ああしなさい、こうしなさいといろいろなことを言われながら、とにかく懸命にがんばったのです。
悩んで苦しんだ20代でしたが、30代になってようやく見えてきたものがありました。
40歳になって、20代、30代に撒いてきた種が花咲いていくことでしょう。
これからの氷川きよしが楽しみです」
と。
その言葉に拍手しながら涙がこぼれました。

きよしさんは、そのまこごころのメッセージをうけ、
「風の男」、「箱根八里の半次郎」、「ちょいときまぐれ渡り鳥」を唄われラストトークに。
上京してお世話になった方の思い出をお話しされ、
「亡くなって4年とか5年になりますかね。
そのおばちゃんが亡くなった時はガクンときました。
大切な人が亡くなると居場所がなくなるというか」
そんなふうにしみじみとおっしゃると居ずまいをただされ、
「今日は僕の歌を皆さんが真剣に聴いてくださって、嬉しかったです。
それが僕の励みになります」
と一礼され、「男の絶唱」を2コーラス唄われました。
「白雲の城」で圧巻の歌唱でしめくくり、アンコールの「イヨマンテの夜」、「きよしのソーラン節」、「きよしのズンドコ節」と情熱の歌声はますます熱く響いてわたしたちをつつみこんでくださったのです。



※ここまででいったんアップしますね。゛ふれあいコーナー゛や、大切なおばちゃんとの思い出、西さんとの゛ラブラブトーク゛は、また、今夜(明日の夜?)書かせていただきますね。
「氷川きよし節」のラストで7月頃から時折ながれている゛♪ここがわたしのふるさと゛と唄われる話題の曲のこと、口笛披露のことも書けないままでしたので、あらためて。





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