おはようございます。
昨日の「氷川きよし節」(文化放送)をお聴きになりましたか?
わたしは深夜、帰宅してから録音で聴きました。
「わたしのふるさと」、優しくて素敵な曲ですね。
録音してあるので歌詩もあらためてじっくり味わいたいです。
そして、今、長野に向かっています。
今日、ホクト文化ホールで開催されるきよしさんのコンサートに参加するためでございます。
リクエストコンサートで、大きな大きな感動をいただいた今、生まれかわった思いで、きよしさんの歌を聴かせていただけたらと思っています。
ところで、きよしさんの「碧し」について東京スポーツさんのWebサイトにこんな記事が載っていてこころに残りました。
以下、部分ですが。
゛この曲の制作に携わった関係者は「碧し」の制作意図として「森進一の『襟裳岬』のような曲を作ってみたかったんだ」というのだ。
なるほどと思わされた。
「襟裳岬」は作詞が岡本おさみ氏、作曲は吉田拓郎。フォークの全盛期を支えてきたコンビだ。「襟裳岬」は全体的に見ると演歌調には仕上がってはいるが、フォークの香りが残っている。
1974年当時、100万枚を超える大ヒットとなった。当時のヒットぶりこそ知らないが、いま聞いても色あせた感じを抱かせない。間違いなく名曲だ。
前出の関係者は「演歌歌手の氷川というだけではないものを氷川は持っているし、違った氷川の一面を見せたい。
そのためにGReeeenという演歌とは違ったジャンルの人に作ってもらいたいと思った」という。
シングルとしてリリースされておらず、配信限定となっているため、大ヒットと呼べるまでには至っていないが、そういう思いが込められて作られた「碧し」。決して「襟裳岬」に引けを取らないだけの力があるように感じる。
デビュー曲「箱根八里の半次郎」からヒットを生み出している氷川。「碧し」はコンサートでも歌う機会が徐々に減っていくかもしれないが、なんとか歌い続けてほしい一作でもある。゛
皆さま、
゛決して「襟裳岬」に引けを取らないだけの力があるように感じる。゛
と書いてくださって、嬉しいですね。
ラジオでの放送は終了しましたが、きよしさんとともに、「碧し」を愛して、これからますます多くの方のお耳に、指し手ハートに届けていきたいと想わせていただきました。
それではいってまいります。
昨日の「氷川きよし節」(文化放送)をお聴きになりましたか?
わたしは深夜、帰宅してから録音で聴きました。
「わたしのふるさと」、優しくて素敵な曲ですね。
録音してあるので歌詩もあらためてじっくり味わいたいです。
そして、今、長野に向かっています。
今日、ホクト文化ホールで開催されるきよしさんのコンサートに参加するためでございます。
リクエストコンサートで、大きな大きな感動をいただいた今、生まれかわった思いで、きよしさんの歌を聴かせていただけたらと思っています。
ところで、きよしさんの「碧し」について東京スポーツさんのWebサイトにこんな記事が載っていてこころに残りました。
以下、部分ですが。
゛この曲の制作に携わった関係者は「碧し」の制作意図として「森進一の『襟裳岬』のような曲を作ってみたかったんだ」というのだ。
なるほどと思わされた。
「襟裳岬」は作詞が岡本おさみ氏、作曲は吉田拓郎。フォークの全盛期を支えてきたコンビだ。「襟裳岬」は全体的に見ると演歌調には仕上がってはいるが、フォークの香りが残っている。
1974年当時、100万枚を超える大ヒットとなった。当時のヒットぶりこそ知らないが、いま聞いても色あせた感じを抱かせない。間違いなく名曲だ。
前出の関係者は「演歌歌手の氷川というだけではないものを氷川は持っているし、違った氷川の一面を見せたい。
そのためにGReeeenという演歌とは違ったジャンルの人に作ってもらいたいと思った」という。
シングルとしてリリースされておらず、配信限定となっているため、大ヒットと呼べるまでには至っていないが、そういう思いが込められて作られた「碧し」。決して「襟裳岬」に引けを取らないだけの力があるように感じる。
デビュー曲「箱根八里の半次郎」からヒットを生み出している氷川。「碧し」はコンサートでも歌う機会が徐々に減っていくかもしれないが、なんとか歌い続けてほしい一作でもある。゛
皆さま、
゛決して「襟裳岬」に引けを取らないだけの力があるように感じる。゛
と書いてくださって、嬉しいですね。
ラジオでの放送は終了しましたが、きよしさんとともに、「碧し」を愛して、これからますます多くの方のお耳に、指し手ハートに届けていきたいと想わせていただきました。
それではいってまいります。