Quantcast
Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

ツアー初日は大成功! めくるめく氷川節に酔いしれて、わたしの居場所はここなのだと思わせていただいたのです in ウェスタ川越

$
0
0
2018年1月24日 ウェスタ川越から「氷川きよしコンサートツアー2018 ~日本全国 歌の渡り鳥3~」がスタートしました!

昼夜とも大成功!
きよしさんの熱い熱い歌声に、2018年が始まったんだなあという実感とパワーがわいてきたのです。
コンサートのステージは”氷川きよしの男の居場所”と、きよしさんが時折おっしゃいますが、あらためて、”氷川きよしコンサート”は、ファンであるわたしの居場所でもあるのだと、おこがましくも思わせていただいておりました。

きよしさんは夜の部のラストトークでこんなことをお話しされたのです。
「今日は一生懸命唄わせていただきました。
氷川きよしってどっかぬけてるけど、がんばってるから。
氷川きよしだってがんばっているんだから、わたしもがんばろうって思ってくださる方がおひとりでもいたらという思いで唄わせていただきました。
お正月を両親とすごしていて、子どものときのことを思い出したんですよ。
子どもの頃は引っ込み思案で、自信がなくて、学校でも教室の片隅でじっとしているような子どもだったから。
そんな僕が皆さんのおかげでステージにたって、唄って、お話しして、踊って(笑)。
そういうことをしているなんて、今でも信じられません。
僕、やっぱりそれは皆さんに育てていただいたおかげなんだなって思うんですよ。
だからこれからも皆さんにお喜びいただけるように、氷川きよしは進化しつづけていきたいです」
と。
すでに昼夜の熱唱と素晴らしいパフォーマンスに感動して胸がいっぱいだったわたしですが、さらにさらに感動がこみあげてきたのです。
なんて、なんて、なんて誠実で謙虚な人なのでしょう。
だって誰よりも努力してきたのはあなた自身なのに。
でもそんなあなただからこそ今日のこの日があるのですね、きっと。
そして、そんなあなただからこそ、これまでも、これからも”限界”というものがないのだと思うのです。
これからも”氷川きよし”はひとりの人間として、歌手として進化&深化していくことでしょう。
その未来がすきよしさんの姿に重なってすうっとうかびあがってきた瞬間でもありました。



イメージ 1
※昨日、昼の部開演前のウェスタ川越です。

ツアー初日ということで、前日の23日、きよしさんがこちらのホールで入念なリハーサルを何度もおこなったことを司会の西寄ひがしさんがコンサートのなかでお話しくださっていましたが、当日もまだ雪がずいぶん残っていたのです。

昼夜とも大雪の影響がのこるなか、ほぼ満席状態でスタートしましたが、それでも開演後に入場される方が多々おられました。
というのも鉄道の運行状況は良好だったのですが、都内と近県の幹線道路が大渋滞となっていたのです。

以下は少し昨日のわたしにおこったできごとを書かせていただき、コンサートの様子は、きよしさんのボードの画像のあとから書きますね。
その旨よろしくお願いします。

わたしはKさんと開演の1時間前に川越駅で待ち合わせて軽くランチをしてから会場に向かう予定だったのですが、午前中、朝イチ、川口方面で用事をすませてそこから埼京線に乗れる赤羽駅へのバスに乗ったのですが、幹線道路からつながる橋への道が大渋滞で、30分経っても100メートルも動きません。
運転手さんもこのままだと橋の手前までも何時間かかるかわからないとアナウンスされていました。
土地勘のある場所でしたので、1時間あれば歩けるのではと考えて、Kさんに開演ギリギリの到着になる旨をメールしてから意を決してバスを降りたのです。
昨年大けがをして腰と足を痛めたこともすっかり忘れていました。
部分道路は凍結していますし、橋までも歩いてみると10分以上かかり、また橋の両脇の歩道へのあがり方もよくわからず、橋の前でうろうろ...。
そのとき、すべってスッテン! おもいっきり前のめりで転んでしまい、急に弱気に...。
そうなると、昨年大けがをして腰と足を痛めたことを思い出して、こんなに長距離を歩いて途中で痛くなったらどうしよう?
なんて(汗)。

でも、きよしさんが川越で待ってくださっているのですもの!
そう思ったら、ちょっぴり手をすりむいて、足をうっただけのことじゃないの!と気持ちが切り替わりました。
時計をみると、コンサートに間に合う電車の時間まであと38分もあるぞ! いう気持ちになれたのです。
このペースなら、予定の電車に間に合わなくてもその1本あとのあとには絶対間に合うんだから、少し遅れて入場できるし、夜の部もみられるんだからと。
そして、このあとは車道スレスレのところを歩くのだから、あわてず自分のペースで、そしてくれぐれもすべらないように足元に気をつけないと危険なのだと自覚して、1歩1歩確認して歩くことにしたのです。
橋の上を歩く人はそれほどいず、自転車に乗った人が時折追い越していくだけでしたので、それならと、「きよしのソーラン節」と、「勝負の花道」を唄っておりました(喜)。

橋を渡りきったところでふたたび時計をみるとバスを降りて約30分経過。
橋まで歩くに駅へと向かうバスを20台くらい追い越したのですが、そのバスが橋の上でわたしを追い抜くことはありませんでしたので、あのままバスに乗っていたら橋を渡りきるのに大げさでなく2時間近くかかったことでしょう。
赤羽駅には開演に十分間に合う電車時刻の8分前に到着できました。
約45分間歩き詰めでしたが、思いきって歩くことにしてよかったです。
そして、足も腰も痛むことなく歩ききれたことも、半年かかってここまで復調したのだなあと大きな自信になりました。

それにしてもきよしさんに会うためでなければ、このような状況でがんばってなんとかしようという思いにさえなれなかったと思います。
”そんな無理するなんて危ないでしょう”と、きよしさんに怒られそうですが、ただただきよしさんに会いたい一心だったのです。
会場にはわたしよりもっと大変な思いをされて到着された方や、もしかしたら残念なことにお越しになれなかった方もおられるかもしれません。
そう考えたら、これまでのすべてが報われ、あとはすべてがありがたくて嬉しくてなりませんでした。

そして、おかげさまで帰宅してからも腰も足も痛むことなくすごさせていただいて、このブログを書いています。


イメージ 2
※きよしさんのメッセージにみなぎるパワーを感じますね。


では以下は昨日のコンサートのことを昼夜おりまぜで書いていきますね。

さあ、いよいよ「氷川きよしコンサートツアー2018 ~日本全国 歌の渡り鳥3~」の開幕です。
ステージの幕があがると、吹雪の音が聴こえてきて、今年HKピュアリバ―に新たに加わってくださった小山(セイエイさんときこえましたが表記不明でごめんなさい)さんが奏でる津軽三味線の音色が一気に津軽の雪の中へと誘(いざな)います。
その音色に拍手がおこると、きよしさんの歌声が吹雪の向こうから聴こえてきて、きよしさんの登場を待ちました。
2018年のスタートの曲は、
「じょんがら挽歌」
でした。
白地の着物に紫色の袴姿のきよしさんがステージ中央ステップ上段に登場され1コーラスめを唄いだされると、雪のように真っ白な紙吹雪がはらはらと降りだしてきてステップ中段におりて2コーラス目を唄いだされ次第に激しさをますきよしさんの歌唱に呼応するかのように吹雪へと転じていったのです。
さびの部分をうなりをきかせてダイナミックに歌いあげるとすでーじは暗転...。
きよしさんのシルエットがうかびあがるなか、三味線が、主人公のこころの余韻に応えるように奏でられたのです。
まるで、三味線の音に耳を傾けるかのように、きよしさんのシルエットは少し横向きになっておりました。

センターステップをおりて、
「一剣」
「箱根八里の半次郎」
を唄われるとオープニントークとなりました。

「今日はこころをこめて最後の最後まで唄わせていただきます。どうぞ最後までおつきあいください」
と颯爽と挨拶され、
「白雲の城」
をステップ上段にあがられ、朗々と鮮やかに唄われると、奈落へとその身をしずめられたのです。
このながれは昨年の「きよしこの夜Vol.17」を思わせるものですが、オープニングに、きよしさん自身が主人公深くに共感されている「じょんがら挽歌」を歌唱されると、つづいて日本レコード大賞において、それぞれレコード大賞、最優秀新人賞、最優秀歌唱賞を受賞された3曲をもってきた構成に、20周年を眼前にして、あらためて歌手”氷川きよし”の歩みを再確認し、新たな1本を踏み出そうという決意と気概をこの日もまた感じたのです。

夜の部では昼の部が大成功に終わってリラックスされていたのでしょう。
オープニングのご挨拶をされると、
「あっ、なんか言い忘れたことないかな?」
とご自身に問いかけられ、しばし逡巡(笑)。
そして、
「昨年はほんとうにありがとうございました。
お手紙やまごころのお品を皆様からちょうだいして...励まされました。感謝しています」
とあらためてお礼をおっしゃったのでした。

セットは、「きよしこの夜Vol.17」で初披露されたものを、コンサートのステージ用にアレンジされたもので、基調色は氷の宮殿を想起させる白で、まるでお城のポーチ(中庭)の踊り場のような雰囲気。
中央に階段(ステップ)があり、上部にはHKのロゴを配した氷をモチーフにしたステンドグラス調の大きな王冠、ステージ左右には同様のテイストの大きなスタンド仕様の飾りが立てられていました。
後方にはブルーローズの入った高さのあるケース(温室あるいは氷室といったほうがよいでしょうか)が左右それぞれにあり、細部にまでこだわりを感じさせるセットは、まだまだ発見がありそうです。

つづいて、勇壮な太鼓の音が聴こえてきました。
みると、センターステップ中段に、グリーンのオーガンジーをあしらったマイクスタンドが設定されていたのです。
そう、
「男花」
のイントロでした。
きよしさんは、マタドール(闘牛士)を想起させる鮮やかなグリーンのスーツで登場されました。
まとっていたマント調のローブにはゴールドの肩飾りがつき、ラインストーンがきらきらと輝いていたのです.
セッティングされていたスタンドマイクの前にきよしさんが立たれると、その部分の床がぐんぐんと上昇して、きよしさんはかなりの高さで唄われたのです。
バックのグルーんの幕が横に広がって、”氷川きよし号”が帆を広げて、大海原へ漕ぎ出しているような気持ちにさせていただきながら、”エンヤコラ!”とかけ声をかけさせていただきました。

アップしていた床がもとにもどると、きよしさんはマント調のローブをさっと脱がれ、ステップをおりてセンターで、
「愛しのテキーロ」
そして、
「酔わせてオルホ」
を唄われたのです。

グリーンの衣裳には、ゴールドの鋲飾りがあしらわれ、パンツのサイドにも鋲が施され、ゴールドのロングブーツをはいておられ、クラシカルな中にもラテンの香りがする素敵なものでした。
「サルート!」
ときよしさんの声がこだまして、ステージは暗転したのです。

昼の部での歌唱もため息がでるほどに素晴らしかったのですが、終演に向かってその歌声はますます深まっていき、そのながれで夜の部は、”こぶし”ってこんなにもさまざまな音色があるものなのかしら?と、驚きにみちた感動を味わわせていただき、聴き惚れるばかりでした。
とりわけ夜の部の「愛しのテキーロ」では、その歌詩のひとことひとことがきよしさんに命を吹きこまれ、鮮やかな煌めきを放ちながら、ハートにつきささってきたのです。
なんて、甘くてロマンチックなんでしょう。
恋焦がれる狂おしほどに思いがせつなく広がって、甘い余韻にうっとりとしたのです。


ステージが暗転しているに白いソファが舞台上手寄りに運び込まれておりました。
きよしさんは全身ブルーローズが描かれたスーツで登場され、
「新宿ブルームーン」
を唄われたのです。
このスーツは、シャツもベストも蝶タイもすべてとも布、エリはブルーのサテンで、左胸に大きなブルーローズのコサージュをつけておられました。
思いを吐露するような歌声、そして台詞もきまっていて、唄うほどにきよしさんのなかで歌手をめざして上京したころの様々な思い出がうかんでいるのを感じて、じんとくるのです。

つづいて、上手寄りに置かれた白いソファにすわらると、
「わたしのふるさと」
を唄われ、語りかけるよう唄いだされ、次第に熱い思いをほとばしらせながら唄うきよしさんのふるさとへの思いがつたわってきて、胸が熱くなりました。
ふるさとの皆の、そして聴く人の幸せを祈っているかのような最後のロングトーンに胸揺さぶられ、しめくくりに両手を大きく広げられた仕草に、”ふるさと博多までこの思いが届きますように”というきよしさんの思いを感じて涙がにじんできたのです。

きよしさんは、ステージセンターに移動されると、
「櫻」
を歌われました。

ステージは暗転。
次のコーナーで、きよしさんは赤のロングジャケットのスーツにお召し替えされていて、ラウンド状のエリとポケットの飾り、蝶タイはラメが散りばめられた黒で、肩と袖口にボタニカル調の模様が施されているロマンチックなものでした。

ここで、1月30日にリリースされる新曲「勝負の花道」
を唄ってくださったのです。
きよしさんは、唄いおえると、
「ハーッ、スカッとした。
自分で唄ってスッキリしました。
これから皆さんに”私の人生の応援歌なのよ”っていっていただけたら嬉しいですね~」
と。
そして、西寄さんをまじえてのトークコーナーとなりました。
「昨年は、皆さんが応援してくださったおかげで第50回の有線大賞をいただくことができました。
ありがとうございます。
名前が呼ばれたとき、嬉しかったですね~。
(事務所の先輩の)水森さんが、僕のことを、しってわかってくださっているので、泣いてくださっていました。
僕は、あのあと唄わなければならないので、くずれたらいけないっていう思いで、泣かずに最後まで唄わせていただきましたけど。
番組が終わってから、泣きました。
嬉しかったです」
と。
そしておおみそかの「NHK紅白歌合戦」の話題になると、
「衣裳はワンポーズでなくて、途中で変えたかったんですね。でも早変わりは仰々しいと思って。
それで上着を脱ぐのがいいかなって」
きよしさんがそこまでおっしゃると、西寄さんが、
「衣裳の制作まで2週間もなかったんですよね。ディナーショーのときはまだ考えているところでしたよね」
とおっしゃったので、その言葉をうけて、
「そうなんです、”チンザン(椿山)”のときはまだ衣裳の打ち合わせをしているところだったんです」
とおっしゃったものですから、大爆笑。
「”チンザン(椿山)”って、またずいぶん縮めますね(笑)」
と西寄さんが皆の思いを代弁してくださったのです。

きよしさんは紅白本番のときのことを思いおこされ、
「リハーサルのときは緊張していなかったんですけど、本番になったら、うわーって緊張しちゃって、上着を脱ごうとして、あれ、どうやって脱げばよかったんだっけ?”ってなっちゃって。
それで、一瞬足がふらっとしたんですよね(笑)。
それで上着を脱いだら、”歩くお仏壇”みたいになっちゃって」
とおっしゃったものですから場内大爆笑になりましたが、でも皆、素敵なきよしさんの歌唱とあの衣裳と演出に感動したのです。
そんな裏話をうかがうと、ますますあの日の歌唱への感動が深まりますね。

ここで、
「僕、皆さんが健康で幸せでいてくださるように、パワーをおくります」
とおっしゃると、
「ハッ!」
と、右手を前に掲げる「勝負の花道」のポーズをしてくださったのです。

ここで「勝負の花道」のカップリング曲の紹介をしてくださり、この日初披露してくださることをおしらせくださり、”ふれあいコーナー”となりました。
昼夜ともきよしさんへの質問やメッセージを書かれた方のうちおふたりが当選されたのです。
その内容はまた次の記事で書かせていただきますね。

楽しい”ふれあいコーナー”のあと、
昼の部では「俺ら江戸っ子 浅太郎」、
夜の部では「恋次郎旅姿」
を唄ってくださったのですが、「俺ら江戸っ子 浅太郎」は歌詩がとても面白くて、効果音も思わず笑ってしまいそうなものでした。
そして「恋次郎旅姿」は仁井谷俊也 先生が詩を書いてくださっていることから、先生の思い出をお話しされ、
「仁井谷先生はすごくいい方なんですよ。声が高くて。島根のコンサートに先生の96歳のお母さんが来てくださって、僕、お地蔵さんのような素敵なお顔だなって思ったんです。
その時はわかっていなかったんですけど、この『恋次郎旅姿』のなかに、”石の地蔵は母の顔”という歌詩(正確に書きとれていなかったらごめんなさい)があって。
ああ、これはお母さんのことなんだなあって。あのときは気づかなかったけど。
涙がでそうになりました」
とおっしゃったのです。

つづいて、ニューアルバム「新・演歌名曲コレクション6-碧し-」から昭和の名曲ということで、
「炭坑節」
「冬の蛍」
「おまえに惚れた」
「人形の家」
の4曲を唄われました。
この日、唄うほどに深みをまし、冴えわたるきよしさんの歌唱に、すべてを忘れて聴き入っておりました。
そして、こぶしやビブラートをこれほど強弱や濃淡を鮮やかに利(き)かせることができるものなのかしら? と、きよしさんの歌唱に惹きこまれるばかりだったのです。
先に「愛しのテキーロ」の夜の部での歌唱について書かせていただきましたが、夜の部の「冬の蛍」では自分が今どこにいるのかを忘れそうになるほどにのめり込み、その歌声をひたるようにして聴いていたのです。
また「人形の家」では、主人公の仕草や息遣いまでうかんできて、彼女のこころの痛み、悲しさがわたしをつつんで、涙があふれてきたのでした。

舞台は暗転。
ここで西寄さんによるHKピュアリバ―の皆さんの紹介がありました。
昨年からの息のあったメンバーに、三味線奏者の小山さんが新たに加わって、頼もしい限りです。

ここで、きよしさんは、黄みがかったクリーム色に、格子柄が織り込まれた着物に若草色の袴にお召しかえされ、
新曲「勝負の花道」のカップリング曲である
「柔道(やわらみち)」
そして、
「大井追っかけ音次郎」
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
を唄われました。
きよしさんはあらためて来場のお礼をおっしゃると、
「今年も皆さんのおかげでコンサートをひらけて、大好きな歌を唄えて...。
とっても幸せです。
今年は演歌ひとすじ。『勝負の花道』のカップリング曲も3曲とも演歌です。
ポップスを聴きたいという方もいて。
演歌を聴きたいという方もいて...。
それってとてもありがたいことじゃないですか~。
ポップスばっかり唄っていると演歌が唄いたくなって、演歌ばっかり唄っているとポップスが唄いたくなって。
それってハンバーグばっかり食べているとサバの味噌煮が食べたくなるような、和食も洋食も好きってことと同じだと思うんです。
と、きよしさんは夜の部ではコンソメとみそ汁にたとえておられました(笑)。
最後の曲は昨年1年間、魂をこめて唄われてきた
「男の絶唱」
でした。
きよしさんはあらためて「第50回日本有線大賞」と昨年の応援へのお礼をおっしゃると、声高らかに唄われたのです。


いよいよアンコール。
ながれてきたのは、
「きよしの日本全国 歌の渡り鳥」
のイントロでした。
オープニングのときに、この曲は今年は唄われないのかな? とさびしさを感じていたので、嬉しくなりました。
衣裳は、虹色のたてストライプ柄の燕尾服スーツです、シルクハット風の帽子もタイも靴もオール レインボーでした。

昼夜ともきよしさんはここで、
「ほんとうはこのあと”ソーラン節”と”ズンドコ節”を唄って終わりなんですけど、今日は皆さんが素晴らしかったので、僕からプレゼントしたいものがあります。新曲の『勝負の花道』をもう1階唄わせていただきたいと思うんですけど、よろしいでしょうか?」
もう、きよしさんたらなんて遠慮深いんでしょ!
大声援がおこったことはいうまでもありません。

「勝負の花道」
「きよしのソーラン節」
そしてアンコールのラストは、
「きよしのズンドコ節」
を唄ってくださったのです。

さあ、コンサートツアー初日は昼夜とも大成功!
この勢いにのって、日本全国を駆けめぐってくださいますね。
わたしも、”渡り鳥”のきよしさんに日々エールをおくらせていただき、時には渡り鳥になってきよしさんのもとへ飛んでいかせていただきたいです。


きよしさんは夜の部のトークで、西寄さんが”昼の部ではお話しされなかった話題をなにか”という言葉をうけて、
昨年28日に師匠の水森英夫先生のお宅で、弟子が集まっての忘年会に参加されたことをお話しくださったのです。
昼の部でも少しふれられ、集まった弟子のなかで僕がいちばんの”高齢者”といって皆を笑わせてくださった゛弟子のなかで年長者の゛きよしさんでしたが、
「森山愛子さん、山内惠介さん、みんな兄弟弟子なんですよ。
年に1回ですので、僕もドロ酔いさせていただいて(笑)。
楽しかったですね。
修業時代のこともいろいろ思い出されて...。
いろんなことがあったなあって思い出をたどっていたら、涙が出ました。
そうしたら、先生が、”おまえのそういうところがいいんだよなあ”っておっしゃって」
と、ここで水森先生の声音を真似て、さらに森山さんや山内さんの真似までされるごきげんぶり(笑)。
同じ福岡出身で日本コロムビアの後輩になる出光仁美さんには、きよしさんにはめずらしくハッパをかけられたことまでお話しされたのです。
とてもとても楽しい時間だったのでしょうね。
そして、その3日後の「NHK紅白歌合戦」でトリ前の大詰めで先生がつくってくださった「きよしのズンドコ節」を唄わせていただけたことも、先生への恩返しのように思えて、きよしさんにはその点でもとてもとても嬉しいことだったようです。

※以上、駆け足での更新で失礼します。次の記事で、昼夜の゛ふれあいコーナー゛や、お正月のエピソードも書きますね。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 770

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>