こんばんは。
弥生三月のはじまりの日に記事を書きたくて、駆け込みアップで失礼します。
今日の東京はあたたかくて、コートも薄手のものにして出かけました。
今かかりきりになっている原稿は3月いっぱい時間をかけてまとめていくことになりそうですが、確定申告も6日にすませることができそうですし、原稿にも”メハナ”がついてきました。
そんなわけで、ブログ再開は4月からになりそうですが、もちろん、1か月もきよしさんへの思いを書かずにはいられるはずもありません(笑)。
今日から”おやすみモード”としてのコンパクトな記事になりますが、折々に記事を書いていきますね。
さて、今月は公開放送が目白押しのきよしさん。
まずは明日のNHKふれあいホールでの「ごごウタ」に出演されますね。
わたしは抽選では落選してしまったのですが、お誘いいただいて参加できることになりました(喜)。
国会中継で収録して後日放送になるそうですので、観覧のご報告させていただけたらと思います。
11日の「NHKのど自慢」、15日の「新・BS日本のうた」にも、どちらも当選できて、お友達と参加させていただけることになりました。
「男の絶唱」をお聴きになられた近田春夫さんが”そろそろお気楽な曲をお願い”と「考えるヒット」の991回でお書きになっておられましたが、今回(1037回)の”氷川きよし評”にはここまで”氷川きよし”というシンガーの稀有さを論理的かつ感覚的に分析できる方がいることに感激せずにはいられません。
以下は印象にのこった部分ですが、
俗にいう”銀のある”ノドには一層の磨きがかかって、その華やかなことといったらない。声の強さ、逞しさが増しているのだ。なによりこの、心地よいビートを持つ晴々とした歌いっぷりこそ、ライバル達には絶対にない氷川きよしならではの魅力なのだという、そのことを、今回のトラックであらためて実感させられた格好である。
最新作の吹きこみが過去のシングルと異なる第一は、述べた文脈に於ける、”少年性”の片鱗もうかがわせぬことだ。逞しさを感じさせるといったのも同義だ。この歌唱には脆弱なところが一切ない。別の観点で申せば、この曲でこのひとはアイドルから”大人の歌うたい”に立場を変えることに成功した。
”氷川きよし”の魅力、そして「勝負の花道」で聴かせてくださっている歌唱の大いなる意味をここまで明瞭に書いて下さるなんて!
そしていつにないと思える近田さんのこの熱弁(熱筆?)に、感動しきりのわたしです。
批評は評される人あってのもの。
近田さんが素晴らしいことはもちろんですが、近田さんにこんな素晴らしい批評を書かせてしまう”氷川きよし”はやっぱり素晴らしすぎますね。
そして、この記事の文末に、「君たちはどう生きるか」のことを。
この本は、わたしが小学5年生のころに読んで、その後の人生に大きく影響したたいせつな本。
主人公が友人を裏切るようなことをしてしまい、葛藤の末、勇気をもって友人に謝るのですが、友人は”なんのこと?”と、これ以上ない優しさで主人公を許すシーンがあって、わたしは号泣したのです。
わたしはこんなふうに本気で自分の非を認めて謝ることができるだろうか?
そして、ひどいことをされて傷ついても、”ごめんなさい”と誠意をもって謝る人を許すことができるだろうか?
子どもなりにそんなことを考え、そして、それは多分一生かかっての課題になるのだろうなと思ったのです。
思えばあの日から”許す”ということはわたしの人生のメインテーマになっていましたから。
その本のタイトルを最近耳にすることがあって、なんで? と思っていたら、昨年、マガジンハウスから漫画化されて、大反響となっていたのです。
企画されたのは林真理子さんのエッセイにもよく登場されていたマガジンハウスの鉄尾周一さんで、作画は羽賀翔一さん。
思いをつたえる手段が手紙からメールが主流になった今の時代に、漫画でつたえることがフィットするのではと考えたのだそうです。
わたしには嬉しい驚きでした。
遅ればせながら購入して、これから読むところです。
企画者の鉄尾さんと作画の羽賀さんの対談が下記アドレスで読むことができます。
林さんはこの本について、”こういうまじめな本が売れるなんて、世の中捨てたもんじゃないとつくづく思う。”と、コメントを寄せられていますが、そんな林さんが発起人になっておられる「全音楽界による音楽会」が3月10日にサントリーホールで開催されますね。
同じく発起人の湯川れい子さんのご縁で一昨年、初めて出演されて今回が2回目。
前回は「きよしのズンドコ節」を唄ってくださいましたが、今回はどの曲を?
10代の頃からの思い出いっぱいのサントリーホールで、今現在の”氷川きよし”の歌声を聴かせていただける幸せを思うと、わくわくドキドキしてくるのです。