皆様、こんばんは。
明日は成人式ですね。
そして、毎年恒例となってきた長良グループの皆さんと文化放送さんとのコラボ企画”文化放送×長良グループ ジョイントRADIO!”が開催されますね(嬉)。
今年は、なんときよしさんが13時からの「大竹まことゴールデンラジオ!」の
スペシャルパーソナリティを大竹さんにかわり務められるそうですね。
スペシャルパーソナリティを大竹さんにかわり務められるそうですね。
そして、”未来につなげたい平成の名曲!”を大募集。
リクエストの電話受付時間は朝9時から午後4時。
電話番号は、03-5403-1134 です!
オペレーターの方が受け付けてくださいますが、きよしさんも参加してくださるそうですので、もしかしたらっ!
きよしさんは、記者会見で、
「生(放送)ですから発言に気をつけないと。
上品に、控えめに、たまに毒を吐きながら(笑)」と。
楽しみです」
とコメントされていましたね。
どんな展開になるのか、すごく楽しみです。
9時からの「くにまるジャパン極」は、西寄ひがしさんがパーソナリティを務められるということで、グループの皆さんもゲスト出演されるとのこと。
ゲストにきよしさんのお名前はありませんでしたが、生放送ですから、サプライズ参入も期待しちゃいますね(喜)。
次の記事で感想も書いていきたいと思います。
なかなかおしらせしていた記事が書けなくてごめんなさい。
そちらの方はお時間いただいても、必ず書いてみたいと思っていますので、よろしくお願いします。
さて、この記事の文末で、このブログで書いている、きよしさんの成人式の思い出についての記事をふたつピックアップしてみますね。
まずは2009年5月の神奈川県民ホールでのコンサートでのこと。
高校を卒業して福岡から上京したきよしさんは、成人の日を東京で迎えました。きよしさんのアルバイト先のファミリーレストランで一緒に働いていた同年齢の方たちは大学生や専門学校生で、彼らは成人の日にはお休みしたそうですが、きよしさんは出勤し、お店には成人式帰りでスーツや袴を着た新成人の方もやってきたのだそうです。
きよしさんは夕方6時までの勤務を終えて自転車に乗って家に帰る道々夕暮れ時の空を眺めながら、いつか自分もスーツや袴を着てみたいなあとペダルを漕ぎながら思ってはみたものの、そんなことが自分にあるとはとても想像できなかったのだそうです。
そんなエピソードを懐かしそうに話してくださった後に、
「でも、今は皆さんのおかげでこうして袴も、スーツも着ることができます。ありがとうございます」
そうおっしゃったのでした。
そうですね。きっと昨日の成人の日、きよしさんのように働いて過ごされた方も、たくさんおられたのでしょうね。
たとえ今がどんな状況であっても、夢を抱いて真直ぐに歩いていってほしいと思いますし、私もそんな成人の日の気持ちを思い出してまた歩いていけたらと思うのです。
このエピソードを語ってくださったのは2009年5月の神奈川県民ホールでのことでした。
きよしさんはその成人の日の思い出を語ると、さらにデビューがなかなか決まらなかった時の思いを話してくださいました。
「すぐにデビューできると思っていたので、あちこちに”演歌歌手になります”って言って歩いていたので、ほら吹きみたいになっていました(笑)。
3年経っても事務所が決まらなくて、水森先生に、
”どこも男性演歌歌手は難しいなあ。今度、長良プロの社長さんが歌を聞いてくれることになった。それでダメだったら、おまえはまだ若くてやり直しもきくから田舎に帰りなさい”
と言われたんですよ。
そう言われて、何のための3年間だったんだろうって思いました。
それで長良会長(当時社長)の前で一生懸命歌わせていただいたのですが、
”よしデビューさせよう”って僕の歌を聞いて長良会長が言ってくれたんですね。
今でも本当に感謝しています。長良会長にも水森先生も僕の恩人です。
そういう出会いがなかったら、僕は皆さんとこうして会うこともできなかったんですね。
こんなことを話していると何だかジンときます...(絶句)」
そこまでお話しされると、後はもう言葉にならず、きよしさんの目から涙があふれてきたのでした。
”皆さんにお会いできてよかったです”
その日、きよしさんはそうおっしゃっておられたかと思います。
そして、2014年の堺市民会館でのコンサートでのこと。
迎えた夜の部。「10月以来、堺市に帰って来られて、うれしいなあー」きよしさんはオープニングトークでそうおっしゃったのです。「大利根ながれ月」についての思いを夜の部でもあらためて言葉にされ、「何とか皆さんに支えていただいて、今日まで唄ってこられました。15周年を迎えることができ、歌手人生のスタートラインに立てたという気持ちです。今回、13年ぶりのメジャー調の股旅演歌です。平手造酒をモデルに、義理人情に生きる男の道が描かれています。股旅の世界には感謝、ご恩返し、そして勧善懲悪が生きているんですよね」そうおっしゃって唄ってくださった新曲「大利根ながれ月」、主人公のお顔がうかんでくるようでした。続いてのバラの画像を転写した赤と黒のジャケットにお着換えされて昭和の名曲を唄ってくださるコーナーでのこと。「青い山脈」を唄われたあとでしたでしょうか?ごめんなさい。今書こうとして記憶が曖昧です。なんだか、そわそわしている様子のきよしさん、「あのう、あのですね...」えっ? 何、何?「すみません、お手洗いに行ってきていいですか?」きよしさんは申し訳なさそうに客席に向かっておっしゃったのです。そんな、だめだなんて言うはずないでしょう(笑)?きよしさんは、「えっ、だめです、か?」なんて舞台の上でとまどいの様子。もう、きよしさんたらそう言っている間に早く行ってきてください~!「僕、がまんしていたんです。でもこのまま(このコーナーの)最後まで唄えるかなって思ってたんですけど、あの」”早く行ってきて~!”の大合唱となりました(笑)。「スミマセン、ちょっと失礼します」きよしさんはぺこりと頭を下げて舞台袖へと小走りに戻って行かれたのでした。あわてて出てこられたものの、突然ステージにひとり取り残された西寄さん、「私、2002年より司会を務めさせていただいていますが、このようなことは初めてでございます」と空かさずおっしゃって、場内大爆笑となったのです。お手洗いも忘れるほどに、歌に集中されていたのでしょうね。きよしさんが戻ってこられ、ふたたびコーナーがスタートして、唄ってくださった「王将」では、感動して涙がとまらなくなっていたのです。大阪や堺の街への個人的な思い、感動も、きよしさんの歌の力をいただいて噴き出すようにわいてきていたのです。つづいて、”教えて!!きよし君”のコーナーでした。お一人目はこの堺市民会館で数十年前(?)に成人式をされたという方で、”懐かしい”と思うことがありますか?という質問でした。きよしさんは、「子どもの頃、平凡に暮らしていた生活が懐かしいですね。今も平々凡々な生活ではありますが、子どものころは素朴で、贅沢をすることはできませんでしたが家族3人で暮らしていた生活が懐かしい。だって、おいしいものを食べたって、もし、それだけだったらそのときだけのことでしょう。やっぱり仲間がいて一緒に笑い合って食べることがいいんですよね。僕は、こうして今皆さんと一緒に笑い合って過ごせて、幸せです」そうおっしゃって、さらに成人式の話題になり、西寄さんに、成人式はどうしていたかお聞きになったのです。西寄さんは当時、音響の仕事をしていて、成人式当日は岩手にいらしたということでしたが、きよしさんはそれをお聞きになって、「僕はバイトしていました。自分探しの東京の生活をしていました。日々、苦しみは尽きませんが、今は自分と戦っていかれることが幸せです」とおっしゃったのです。お二人目の方の質問は、”どんな子どもでしたか?”というものでした。「僕はひとりっこで恥ずかしがりやでした。両親が共働きだったので、保育園に行くことになったのですが、初めて連れられていったときのことは鮮明に覚えています。僕、イヤでイヤで母のスカートをグッと引っぱって泣きわめいていたんです。でも結局預けられて無理やりお昼寝させられて。早く卒園したいなって思ってましたね。高校までずっとそんな感じで、わんぱくで自由奔放な子ども時代を生きさせていただきました。今も自由奔放ですけれども(笑)」と。そしてここで夜の部ではきよしさんから質問。「浅草人情」について、いくつか問いを投げかけては、きよしさんがご自身がその場で答えることを繰り返して、「”張り子”が出てきますが、何の張り子でしょう?」と、問われました。皆さまおわかりでしょうか?前方の男性が”意地”と即答されていました。きよしさんはア・カペラで「浅草人情」を数フレーズ唄ってくださったのです。ここできよしさんのモノローグが入って「ふるさとの風」そして「七つ星」とカップリング曲を2曲唄ってくださいました。きよしさんは夜の部のラストトークで、「いよいよ15周年です。いつもいつも励ましの言葉をありがとうございます。皆さまに歌でこの感謝の気持ちをお返しできたらという思いで唄っています。責任感も重々承知しています。でも自然体で自分らしく唄っていきたいです。若い時は人のことも気になりますし、競うような気持ちもありましたが、今は戦う相手は自分だと思うようになりました。これからも自分と戦っていきたいと思います」とおっしゃいました。きっぱりとした覚悟と、頼もしい言葉に、幸せな気持ちにさせていただいたのでした。終演後、難波へと向かったのですが、難波駅で乗り換えの際、少し地上に出たときに、チラチラと小雪が舞っていたのです。ああ、どうりで寒いはずです。でもわたしの心はきよしさんの歌声と、堺の街でお会いした方たちの真心をしっかりと抱えていたので、いっそう心の温かさを感じたのでした。以下は余談です。今回は前の日も仕事でかなり帰宅が遅くなりそうだったので、堺に行かれることになってからも、朝早く起きる自信のないわたしは、いっそのこと前夜のうちに高速バスで出かけようか迷っていたのです。でも、その数日前からかなり疲れ気味だったので、やはり新幹線で行くことに決め、自由席にするとダラダラ出かける時間が遅くなっていきそうなので(恥!)、ようやく出かける前々日の24日に駅の自動券売機で指定席をとったのでした。当日、新幹線のホームで、列車のドアが開くのを待っていたときのことでした。ドアが開いたらすぐにすわって、コーヒーとパンを食べて、少しPC仕事をしてそのあとは眠る。と、もう段取りで頭がいっぱいで車内が清掃されるのをぼうっと眺めていたのです。と、そのときでした。近くを通り過ぎた男性とふと目が合ったのです。あれ、ええとどこかで...。ああ、そうだ、ええ? 西寄さん! スッポリとニット帽をかぶっておられ、トレードマーク(?)のあの髪型がまったく見えなかったのと、横を通りがかった一瞬のことだったので西寄さんとわかるまで数秒かかったのです。西寄さんの歩いていらしたほうを見ると、ホームで何人かの方たちと談笑されていて、わたしの乗る列車に乗り込まれる様子でした。えっ、ということはきよしさんもご一緒なのでしょうか?そう思ったら突然ドキドキしてきたのです。座席にすわってからの段取りで頭がいっぱいだったのに、突然、何かの(なんでしょね?)スイッチが入って、シャキーンとしたのでした(笑)。思えば駅の自動券売機で、窓際席という希望だけを選んで自動で指定された座席でしたが、わたしの車両は西寄さんが乗り込まれた車両の隣の隣だったのです。なので新大阪で降りた際、わたしにとって進行方向前方になったそちらの車両の方を見ると、きゃあっ!そうなのです。きよしさんの姿がすぐに目に飛び込んできたのでした。キャメルカラー(あるいはベージュ?)のダウンジャケットで、エリはふかふかしていてマフラーをしなくてものどを守ってくださる大きなもの。ぴったりフィットしたパンツをお召しになっていて、たくさんの人のなかにいてもひときわ素敵でした。わたし、きよしさんだったら100メートル先からでもわかるなあなんて思いながら、下りエスカレーターの方に歩いていったのです。やっぱり、ご一緒だったのですねー。なんて心で唱えながら、下り専用エスカレーターまでくると、わたしの眼下をエスカレーターに乗ったきよしさんが降りていく格好になって、その長いまつ毛と、少し眠たそうなつぶらな瞳(わたしだけ見ちゃってごめんなさい。でもそのまなざしが最高に魅力的だったのです)を至近距離で見させていただくことになったのでした。す、素敵すぎます!!エスカレーターの列の後尾が長くなっていたので、階段から降りると、きよしさんが改札をスタッフの皆さんと通っていらっしゃるところまでその一部始終を見させていただいたのでした。東京駅の新幹線のホームはたしか4つありますから、ご一緒の便になれるなんてまったく期待していませんでした。なので周囲もまったく見えていず、もし西寄さんと目が合わなかったら、まったく気づかなかったことでしょう。そんなわけで西寄さんはこの日、わたしの”福の神さま”となってくださったのでした。皆さま、15周年記コンサートの日程と会場が発表になりましたね。そしてバースデーコンサートは島根とのこと。ドキドキしてきますね。それではまたお会いしましょう!
サプライズのエピソードの部分まで転載しました。
それでは、明日はラジオを1日楽しみましょう~!