皆様、こんばんは。
東京は雪が降りだしています。
雨が雪にかわって、今はみぞれまじりなので、降り積もることはなさそうです。
さあ、明日からいよいよ2月。
そして明日はきよしさんのデビュー記念日イブ!
ということは、今夜はイブイブなのね~と、ひとりわくわくしています。
この1週間余り、ひたすらに仕事していました。
30日いっぱい締切の舞台の原稿が、難しくて、難しくて、そのくせ、あれも書きたいこれも書きたいと欲ばって、結局、今朝、駆け込みで原稿を送って、午後は脱力モードで別件の仕事先へとむかいました。
ウェスタ川越でコンサートについて、今年初のお客様の前での歌唱だったので、やっぱり歌が大好きで、”コンサートが氷川lきよしの居場所だと大実感”されたことを、1月28日の”きよし日和”に書いておられますね。
そして、昨年の東京国際フォーラムでの「きよしこの夜Vol.18」をベースにした、前半はポップス、ロック、シャンソン、後半が演歌という構成について、
”コンサートの頭から、ポップス、ロックと激しさを増すので、フォーラムにお越しになっていない方や初めて氷川きよしのコンサートにお越しになった方はびっくりされたと思います(笑)”
ともお書きになられていて、皆の反応までもを楽しまれていたことを感じて、嬉しくなりました。
”氷川きよし”は、歌を愛し、そして歌に愛されていて...。
ヤキモチやきたくなるくらい、きよしさんは歌と相思相愛なのですね(嬉)。
中野サンプラザでのデビュー記念日コンサートには、明日の夜、そして2日当日はチケットが夜のみの当選だったのですが、急きょ、お誘いくださる方がいらして、昼の部も参加させていただけることになりました。
またご報告させてくださいね。
そして、2月3日は「歌謡ポップスチャンネル」さんで、”氷川きよし 祝20周年記念特集! !”ということで、CS初放送番組を含めたきよしさんの出演番組を11時間にわたって放送してくださいます。
番組案内には、
2000年2月2日にデビューし、歌謡界に大きな衝撃を与えた氷川きよし。今月はデビュー20周年を祝したスペシャルプログラムをお届け!CS初放送番組を含めた氷川きよし出演番組を11時間にわたってお送りします。各番組の合間では氷川きよしの独占インタビューを放送!5月に大阪・新歌舞伎座で行う長期公演や7月に控える日本武道館公演への意気込みなど20周年の歌手活動に懸ける想いを語ります。
とあります。
日曜なので、できれば1日家にいてみていたい思いになりますが、仕事なので、録画をたくさんセットしました。
番組HP
さあ、では、文末に内緒話をさせてくださいませ。
まずはこのチケットをご覧ください。
2008年2月6日の深夜、わたしは品川駅にいました。
仕事を終えて、その足で品川に移動しましたが、雪が降りだしていて、手袋をしているのに、それでも寒さで手がかじかんでいたのです。
翌日、長良川国際会議場で「BS日本のうた」の公開収録があり、参加することにしたのですが、少しでも早く並びたいと考えて、そのときは夜行バスで岐阜にいくことにしていたのでした。
今から11年ほど前、きよしさんが「玄海船歌」をリリースしたころです。
まだお友だちもそれほどいず、でも、きよしさんに逢いたくて、ひとりでいくことにしたのでした。
バスを待っていたとき、
わたし、なにしてるんだろう?
とふとネガティブな思いがわいてきて、寒さや仕事疲れもあったのかもしれませんが、そこに至るまでの葛藤を思い返していました。
ひとりで勝手のわからない場所(当時は未知の場所だったのです)にいくなんて大変そうだなあ。
でも、そうやって思いきり大変な思いをしたら、わたし、きよしさんのこと、嫌いになれるかしら?
と、そんなことを考えたりして...。
きよしさんのことが大好きで、大好きで、逢えなくなるとさびしくて、せつなくて、そんな自分の気持ちを持て余して苦しくなることもあったのです。
少しさかのぼって2003年のクリスマスの夜、新歌舞伎座(当時はなんばにありました)でのきよしさんのコンサートに参加した帰り道でのこと。
右も左もわからない大阪で、通りかかった方に道をおしえていただいて、難波から心斎橋へと歩く道々、感動と幸せに包まれながら、ふと、今のこの思いは、家族もどんなに親しい友人にもきっとわかってもらえないのだろうなあと思ったら、さびしさを感じたことも思い出されます。
大雪の日に「NHK紅白歌合戦」の観覧のために傘をさしてNHKホール横に並んだときに、わたし、こんな大雪のなかでよく苦にならないなあともうひとりの自分が思ったり、とある地方の公開放送に参加させていただいて、ずいぶん遠くまで来てしまったなあなんて思ったこともありました。
それにしても、2008年の品川駅で抱いた思いは、ほんとうにせつないものでしたが、きよしさんに魅せられつづけている思いは、恋よりももっともっと深くて熱いもの。
それは、これまでの自分の人生で味わったことのない思いなので、それをうまく説明することができなかったのです。
それは、これまでの自分の人生で味わったことのない思いなので、それをうまく説明することができなかったのです。
でもだからこそ、このブログを書こうという原動力になったのだと今になって思います。
もちろん、今だってそんなせつない思いになることもあります。
でも、まる10年、きよしさんへの思いと、きよしさんがくださった感動を書きとめさせていただいてきた今、その答えはよくわかるというか即答できるようになりました。
そう、それほどまでに、きよしさんが魅力的なのですよね。
その歌声に、その生き様に魅せられつづけて、ファン20周年。
こんな畑の中にホールがあるのかしら? とあぜ道を歩いた向こうには立派なホールがあって。
ずいぶん遠くにと(自分のものさしでですが)、おそるおそるうかがった地にも、たくさんの”氷川きよし”を愛する皆さんがいらして、どこにいっても、”よく来たね”と親切にしていただいてきました。
そして、いつもどんなときも、いく先々できよしさんが素晴らしい歌声を聴かせてくださり、皆で感動と幸せを共有させていただくのです。
もう、きよしさんには、感謝の思いしかありません。
でも、昨年来、自分で驚くほど多くの方がブログを読んでくださるようになり、正直、プレッシャーを感じていました。
少し前にも書かせていただきましたが、1日の来訪者が1000人を超えるようになったら、個人が趣味でつづけているブログの域を超えてしまうと、ずっとそのときを恐れていたのです。
今では記事を更新しなくてもたくさんの方が来訪してくださり、いろんなことを書きづらくなってきて...。
でも、初めてコメントをくださる方もふえてきて、やっぱり思いは一緒なのだなあと感じて。
そうであれば、つづけられるところまで書いてみようという思いを強くした新年でした。
わたしの”転生”という自分自身の人生の”メインテーマ”に重ねて好き勝手に記事を書いたところで、なにかスッキリしたのでした。
このブログをはじめて数か月のころ、ある男性がコメントをくださったのです。
もう11年前のことになるのですね。
もう11年前のことになるのですね。
奥様が闘病されていて、外出もかなわず、痛みに苦しまれることもあり、ご主人はかける励ましの言葉もなくしつつあったことが書かれていました。
奥様はきよしさんの大ファンということで、ご主人がたまたまわたしの始めたばかりのブログをみつけてくださり、記事をプリントアウトして奥様に渡したら、奥様が目を輝かせて読んでくださり、笑顔で、”いつか一緒にきよしくんのコンサートにいきたいね”と、会話もはずむようになられたということでした。
わたしは今もそのご主人の書かれた言葉を忘れることができません。
”妻は、あなたのブログを読んでコンサートにいった気になっているようです”
と。
それがわたしのこのブログを今日まで書いている原点なのです。
最初はきよしさんの思い出を振り返るブログにするつもりでしたが、きよしさんのことが大好きで大好きで、逢いたくて逢いたくて。でも逢うことがかなわない方がたくさんおられるのだということを折々にしって。
それで、自分自身が目にしたこと、聴いたもの、感動した思いをおつたえできたらと思うようになり、自分だったら、しりたいはずと思う内容はなんとしても書くという姿勢でつづけてきました。
以後はブログをとおしてたくさんの皆さんに出逢い、励ましていただいて、またいろいろなことをおしえていただいてつづけてくることができました。
自分自身のそんな思いも重ねて、ファンとしての20周年をうけとめて、明日からの2日間をすごさせていただこうと思います。