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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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沖縄で出会ったすべての人、ものに、”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ!” 新時代の令和(ビューティフルハーモニー)をゆったり旅するように生きてみたいです。

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こんばんは。
数日、ブログをお休みしていましたが、元気に令和を迎えて、のんびりモードですごしています。
5月1日には、「氷川きよし節」(文化放送)で、「きよしの令和音頭」を聴いて、晴れやかな気持ちにさせていただきました。
ゴールデンウィーク中の「氷川きよし節」(文化放送)は、”氷川きよし節 GWスペシャル・男歌と女歌~わたしのなかの男と女~”というテーマで、毎回、きよしさんの男歌と女歌を1曲ずつながしてくださいますが、きよしさんのコメントも必聴ですね。楽しませていただいています。

連休前にあまりにコンを詰めて仕事をしていたので、諸々の原稿が無事にできあがったら、ほとほと脱力。
こころが解き放たれてホッとしたら、からだの疲れがいい感じででてきて、なにをするにものんびりモードでスローモー(汗)。
でも、そうはいっても先送りしていた予定が満載で、フリーマーケットに出店したり、仙台への小旅行に出かけたり、お友達とお茶して、食事して、日長1日ゆっくりすごしたり、甥っ子たちも合流して家族みんなで夕食に出かけたり...。
仕事もそれなりにあって、かえって忙しくなっているような、そんな毎日をすごしていました(笑)。

日々、ブログを書きたいと思いながらも、仕事も含めてなかなかパソコンに向かって書く気持ちになれずにいて...。
そして、書きなぐりのメモを解読(おおげさ?でもそんな感じなのです)が、ひどくおっくうに思えて...。
そんな自分を静かに見つめることにしたのです。

連休前に書いていたふたつの原稿は、久々に自分と格闘しながら書いていました。
没頭し、自分を追いこんで追いこんで、ためてきたものをすべて絞り出すようにして書いていたので、できあがったときにはほんとうにそのときのすべてをだしきれたようで。
自分で思っているよりずっと疲れていたことを自覚したのでした。

もちろん、こうして今、このブログを書いているということは、復調した証ですので、ご安心くださいね。


イメージ 2
※コンサートが終わってホテルに戻ってから、
夜の国際通りを歩いて、近くのスターバックスに。
場所柄、24時まで営業していたので、すっかり長居してしまいました。


以下、今夜は、沖縄コンベンションセンター 劇場棟で4月20日に開催された「長良グループ 演歌まつり in 沖縄」の夜の部で、こころにのこったこと、書いてみたいと思います。
わたし自身は初めてうかがうしったエピソードを山川さんがお話しくださたので、そのことも書いてみたかったのです。
この日の様子は、氷川きよしモバイルでも動画がアップされていましたので、わたしもその動画をみて、またまたあの日、あのひとときの空気をぐーんと呼び覚まされたのです(喜)。

夜の部で、どんちょうがあがると、うしろ髪を整えていらっしゃったきよしさん。
あわてて、居住まいを正されたのです。
もう~、お茶目なんだからっ!
でも、それはもしかして、もしかして、さりげなく舞台裏をみせてくださろうとしての大サービスだったでしょうか?

幕開けしたその瞬間からすっかりリラックスしたきよしさんだったのです。
「ハイサイおじさん」を出演者全員で歌っての幕開けでした。
ツアーで参加された皆様で観光コースを選ばれた方たちは夜の部のみ参加なので、この夜の部には、ツアーに参加された皆様も勢ぞろいされ、すっかりうちとけたムードになっていたのです。

ここで周年を迎えたおふたりの方のお祝いコーナーとなり、55周年の藤野さん、20周年のきよしさんが紹介されました。
藤野さんには田川さんが南国ムードあふれるカラフルな花束を、きよしさんには山川さんが、白のカラーを主にして優しい黄色の小花とグリーンが配された花束をプレゼント贈られたのです。どちらも片手で抱えるのは大変なほどの大きなものでした。
感激しきりのきよしさんに、
「20年、ようがんばったなあ。
(20代の)まだ遊びたいさかりに、仕事して、家に帰ったら寝るだけで、また仕事。ファンの皆さんのためにがんばって...。
これからもがんばってほしいけど、、少し休んでほしいという気持ちもあります」
と山川さんはおっしゃいました。
きよしさんは、山川さんの言葉にうなずくようにしてじっとおききになっていたのです。

「皆さんにお喜びいただきたいという思いで20年歌ってきました。
ファンの皆さんが”氷川きよし”をつくってくださったとあらためて思っています。
これからもいい歌を歌って皆さんに喜んでいただきたいです。
なんて、思ったりなんかしちゃったりして(笑)」
と、笑顔でお答えになったのです。

「それでは歌っていただきましょう!」
西寄さんがそうおっしゃって、次に歌われるきよしさんに、目で合図されると、
「あたし?」
と、きよしさん(笑)。
西寄さんが
「あたス!」
と返されると(笑)、
「花束振って歌います」
と意気揚々とおっしゃり、ステージセンターのすすまれて、
「きよしのズンドコ節」
を歌われたのです。

イメージ 1
※雨の沖縄も素敵! だってきよしさんと一緒ですから~。


コンサートのセットリストや構成は4月22日にアップした記事に書いていますので、よろしければこちらをご覧くださいませ。

☆4月22日のこのブログの記事です。

コンサートの大詰め、”新曲披露コーナー”のしめということで登場されたのは、、山川豊さん、田川寿美さん、水森かおりさん、きよしさんでした。
きよしさんは、「大丈夫」のコスチュームの縞模様のお着物にお召し替えされていたのですが、ほんとうにみればみるほど、”きよしのズンドコ節”のコスチュームをモチーフにされていることを勝手に確信(笑)。
お着物だけでなく、帯と半襟のチェッカー柄も、「きよしのズンドコ節」のジャケットで、きよしさんが着用されているネクタイがブルー系のチェッカー柄でしたから~。

ねっ?

イメージ 3


と、横道にそれてしまってごめんなさい。
きよしさんは、
「24歳でこの沖縄でコンサートツアーをスタートしました。
自分のためにお客様がチケットを買って、コンサートにきてくださることを思ったら、ほんとうにプレッシャーでした。
コンサートツアーはその年限りになるのかもしれないと思っていました。
でもコンサートに皆さんがお越しくださるおかげで、ずっとコンサートをつづけさせていただいて、ありがたいですね」
と、お話しされました。

そしてデビュー前の話題になると、
「デビュー前に、山川さんのお宅にお邪魔させていただきました。21歳のときでした。
芸能界に、こんなに優しい方がいるんだなって思いました」
ときよしさんはおっしゃったのです。
そういえば昼の部で、山川さんが、きよしさんのことを仕事を超えて、弟のように思っているとお話しされたときに、”山川さんは日本の芸能界いちばん優しい先輩”とおっしゃっていました。

夜の部では、きよしさんの言葉をうけて、こんなことをお話しくださったのです。
「きよしくんは、食事のあと、うちの女房とお皿を一緒に洗って、後片付けをしていったんですよ。
それで、(あのあと、きよしくんが)デビューして、その年の大晦日に紅白に出て。
それを女房とテレビでみていて、”もう(彼は)うちに来ないだろう”って話したんです。
そうしたら、(その後)また来て、食事して、また女房と皿洗ってました(笑)」
と。

と、ここで昼の部のラウンドコーナーでの写メをアップしますね。

イメージ 4
※近すぎて、どうしたらよいのかパニックしながら写メ(汗)。
背景に☆加工させていただいていて、ごめんなさい。


きよしさんは、
「ふとんのなかでいろいろなことを考えるんです。
眠れぬ夜をすごすこともあって...」
と。
すると、客席からたくさんの”大丈夫”の声がきこえてきて、そして”OKサイン”がゆらめいたのです。
「だ、だ、だ、だ、大丈夫?」
きよしさんはそうおっしゃると、
「こんなに優しい先輩がいるんだなって思って。ありがたいです」
と、ご自身のトークを結ばれました。

そして、田川さん、水森さんがお話しされ、
山川さんが、
「昭和、平成、令和と時代がかわります。
新しい時代の令和にもボーン!とヒット曲をだしたいですな~」
とおっしゃると、田川さん、水森さん、きよしさんはおおきくうなずかれました。

そこで西寄さんが、山川さんに沖縄への思いをうかがうと、
「これは初めていうんですが、新婚旅行は宮古島だったんです。
忙しくて、やっと時間をとって3泊したんですけど、ずっと雨が降っていて。
ホテルで女房とずっと卓球していました(笑)」
と。
すると、西寄さんが、
「初めてききました。
でも卓球をされてすごされたこともまた素敵な思い出ですね」
と。
そんな宝物のような素敵なエピソードを山川さんがお話しくださったことにじんときたのですが、きよしさんたちも初めておききになった様子で...。
なんだか家族になったような親密であたたかな空気に包まれたのです。

きよしさんが、「大丈夫」
水森さんが「高遠さくら路」
田川さんが「恋はひといろ」
山川さんが「今日という日に感謝して」
を歌唱されました。

山川さんが歌い終えると、出演者の皆さんが勢ぞろいされ、最後は「好きになった人」を全員で歌唱してお別れとなったのです。
水森さんが、”必ずまた来ます!”と何度もおっしゃっては手を大きくふってジャンピングされ、きよしさんも3階、2階、1階と、両手を思いきり振ってくださっていました。

ああ~、このまま終わりたくないっ!
と、思いながら、そんなふうな気持ちにさせていただける時間をすごせたことに、幸せとありがたがこみあげてきたのです。

わたしもまたいきたい!
こころのそこからそう思います。

そして、いつか、沖縄の地で、きよしさんにコンサートを開催していただきたいですし、いずれは、”氷川きよし 沖縄を歌う”というようなテーマだてたコンサートもしていただけたらなあ...。

なんて、またまた夢がふくらんで、きよしさんを忙しくさせてしまいそうですね。
きよしさん、ごめんなさい。


こちらは「島唄」のなかでも歌われている、デイゴの花です。
前回、沖縄にはじめていったときに目にして、これがそうなのかと感動しました。
今回は目にするチャンスがなかったので、前回の画像を!

イメージ 5
※一昨年、美ら海水族館近くで写メした画像です。

「安里屋ユンタ」の歌詩に、
「♪サー 沖縄よいとこ一度はおいで 春夏秋冬 花見て暮らす  マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」
という一節がありますね。

”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ”は、八重山方言の古語で、”また逢いましょう、美しき人よ”という意味だそうですが、
ほんとうに、きよしさんはじめ今回の沖縄で行く先々で出会った方たち、訪れた豊かな自然にあふれた地...。
すべてに、”マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ”と言わせていただきたい思いです。

そして、迎えた令和(ビューティフルハーモニー)という新時代を、ゆったり旅するように、味わって、ときには道に迷いながらも、ゆったりと生きてみたいです。


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