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Channel: 天晴れ! HK伝説 ~氷川きよしさんに出会えた奇跡に感謝!~
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”皆さんここだけの話です。人気や地位や名声は幻。いちばん大切なのは心です” きよしさんの言葉のひとうひとつに胸熱くなった新潟テルサでのコンサートでした。

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「新潟、行くぜぇ~!」
昼の部で「限界突破×サバイバー」を歌唱されるたべに登場されたきよしさんは開口一番、そうおっしゃって、ノリノリでした。

皆様、こんばんは。
新潟テルサでのコンサートのその後のご報告です。

今日は父の日でしたので、仕事をオフにして、プレゼントやお花のお買い物をしたり、母につきあって美容室にいったりして、そのまま夕食に。
父のお気に入りの中華レストランにいったら、わたしが子どもの頃から家族で折々にいっていた欧風レストラン一家の皆さんと再会。
40年つづいたそのレストランは、惜しまれて今年閉店したのですが、新たな事業をはじめるために長野に移住されたのです。
たまたま税務関係の手続きを税理士さんとされるということで1泊でこちらに来ていたそうで、中華レストランに入店したときに、奥様が気づいて、わたしたちの席までおいかけてきてくださったのでした。
家族ぐるみで30年以上親しくしていたので、落ち着いたら長野にと話してはいたのですが、まさかの再会で、双方大喜びでした。

何かがどこかで少しずれていたら気づくことさえできなかったと思うと、”不思議だね~”と。
そう、やっぱりすべては偶然や当たり前ではないのだなあと確信した出来事でした。


では、以下は6月14日に新潟テルサで開催されたコンサートのことを書きますね。
ポストを探しているうちに遭遇した会館の裏手にある川沿いの砂利道を歩きながら、今ではなかなかお目にかかれないような砂利道をザクっと踏んだその感覚が自分のなかにあることに気づいて...。
父が佐渡ヶ島出身で、新潟はわたしのルーツでもあることを感じてすごした1日でした。

「本日は、氷川きよしさんのコンサートで大好評につき、臨時便もでますから、こちらにお並びください!」
新潟駅に到着して、南口のバス停に向かうとすでに長蛇の列ができていました。
会場まで車で20分以上かかるとのことでしたので、バスに乗れなかったらタクシーにという心づもりでいましたが、係の方が列の整理をしながら、そんなふうに声をかけてくださったので安心したのです。
会場には順調に到着して、開演を待つ展開になりました(嬉)。


イメージ 1
※新潟テルサの館内に、きよしさんのポスターがズラリ! 壮観ですね。

「新潟、最高~!
3年ぶりの新潟公演です。
以前、”氷川きよし追っかけ殺人事件”というドラマがあって、デビューして4年目くらいのとき? 佐渡にいったんですよ。砂金とったりね~。
なんだ3年も(新潟に)来なかったんだろう...」
と、自問自答するようにおっしゃると、
「待っていてくださったかた?」
と客席にお声をかえると、たくさんの手があがりました。
「冬のペガサス」にはじまって、「ヨイトマケの唄」までを歌唱されたところでのオープニングトークでした。
※きよしさんが話題にされたドラマは、 「女三人乱れ咲き! 氷川きよし追っかけツアー殺人事件」(2003年8月18 日・TBS)

「このホールは初めてなんですけど、こういうフラットなホールが好きなんですよね~」
と自問自答するかのようにおっしゃると、
「きよしくんこと、きーちゃんですっ!」
とご挨拶を(喜)。
そして、20周年を迎えたことへの感謝の思いを言葉にされると、
「20年いろいろな歌を歌ってきました。
これからは、おこがましいですけど、色は七色ありますから、その七色のすべてを使って、メロディーにのせて自分の思いを全部はきだしていきたいなって思います」
と、そこで新潟の思い出が急に浮かんだ様子で、
朱鷺ホールで、あっ、朱鷺メッセですね。
以前、事務所の皆と演歌まつりをしたことがありました。
”くそ寒い”ときで(と、”くそ”を強調されて、皆の反応にちょっぴり笑われると)、寒さでからだがしばれて。
雪のなか、皆さんに来ていただいたので、申し訳なくて。もっとあたたかいときにやればいいのになあって、思っていました」
と。

つづいてオリジナル曲を5曲歌唱されるのですが、そこで、
「つづいては、昭和・平成の名曲を歌います。あっ!、自分の曲でした(汗)」
きよしさんは、昭和に生まれた自分が平成に歌った自分のオリジナル曲を歌うことを前置きされようとして、そんなふうにいってしまったようですが、いいじゃないですか、名曲なんですから、ねっ。
でも、まだ納得がいっていなかったようで、
「自分の曲なのに”名曲”っていちゃった」
と、1曲目の「さすらい慕情」のイントロがながれる直前にも”てへっ!”という感じでおっしゃっていたのです(笑)。

イメージ 2
※ツアートラック、素敵ですね!
 
オープニングトークのあと5曲を歌唱され、めくるめく13曲を歌唱されたところで司会の西寄ひがしさんが登場。
きよしさんがデビューのときからお世話になったBSN新潟放送のラジオパーソナリティの故・大倉修吾さんの思い出をお話しされました。
「デビューからずっとお世話になって。コンサートのときも来てくださいました。
急に亡くなられて...。
お世話になった方が亡くなると、ほんとうにさびしいです。こころに穴があきます」
としんみりとおshさったきよしさんでした。

新潟の思い出はさらによみがってきたようで、
「十日町も好きなんです! 出ニューしてすぐに雪祭りにださせていただきました。事務所の先輩の水森かおりさんと一緒だったんですけど、かおりさんに、”きよしくん”って呼びかけた人がいて(笑)、遠目でどっちがどっちかわからなかったんでしょうね。
そうしたら、かおりさんが、”私はきよしくんじゃないです!”っていって(笑)」
と愉快そうに笑われたのですが、この日は十日町からもお客様がお越しくださっていました。

西寄さんが「限界突破×サバイバー」の話題をされると、
「それはもうすでに過去のことですから。
でも話題にしていただけるのは嬉しいです」
とお答えになり、大きな拍手が場内におこると、
「世界に翔きたいですね。
新潟から世界へ!」
頼もしいきよしさんでした(嬉)。

「でも、演歌もだいじにしていきたいんですよ。
ただ五行詩の世界っていうのかな。そういうものが今の時代にあわなくなっている現実もあると思います。
”歌は世につれ、世は歌につれ”っていいますでしょ。
やっぱり(今の)時代を歌いたいって思うんです」
きよしさんは、だからこそジャンルにこだわって歌の世界を狭めるようなことをしたくないのだという思いをお話しされました。
語弊があるかもしれませんが、コンビニをながめると、おにぎりもあればパンもパスタもあって。デザートもケーキもあれば水羊羹や大福もあって、わたしたちは和・洋・中なんてことにこだわらずに、そのとき食べたいものを手にとりますでしょう。
それがある意味、今の時代なのではないかと考えて、きよしさんが”ジャンルにとらわれずに歌いたい”と常日頃おっしゃっている意味が、皮膚感覚でわかったように感じたのです。

いよいよ来月となった7月11日&12日の日本武道館での20周年記念コンサートのインフォメーションを西寄さんがされると、
「先日、五木ひろしさんにお会いしたときに、3公演するので3万人のお客様にお越しいただくことになるので、
”だったらドームでやれよ。3万人、1回ですむぞ”っていわれましたけど(笑)」
そんなふうに期待してくださってありがたいですね。
でも、やっぱりこれまでの周年コンサートを日本武道館で開催してきましたから、20周年はやはりここでという思いも強かったのでしょう。
東京ドームでの単独コンサートはきよしさんも夢のひとつと以前からおっしゃっていますから、日本武道館と大阪城ホールでのコンサートを大成功させ、20周年を見事にしめくくって、次は東京ドームという夢に向かって皆で歩いていかれたらと思うのです。

イメージ 3
※ツアートラックの後面です。

6月6日からキャンペーンキャラキャラクターをつとめられているDHCの話題になり、
西寄さんが、
「きれいなお顔ですね~。
なんでそんなに美しいんでしょう?」
ときよしさんにおっしゃると、
「それはDHCを使っているから!」
とすっかりTVCMモード(笑)。
ぜひTVCMにもでていただいて、フリーダイヤルの番号を美輪明宏さんから引き継いで、”氷川節”で歌ってくださらないかしら? と、わたし、期待しているのです(喜)。

ここで、”きよしくん!”という声援にお答えになると、
「演歌のときはきよしくん、ポップスのときはきーちゃん。トータルで氷川きよし!」
とおっしゃいました。
この感じ、いいんじゃないでしょうか。

そこで、新潟の話題になって、
「草団子、えっ、笹団子。
笹団子、こしあんのをいただきました。
あの”ガワ”がもったいないなって」
きよしさんがお団子をくるんでいる笹の葉がもったいないとおっしゃったことに、”かといって使い道もないのでは”というようなことを西寄さんがおっしゃると、
「ティッシュがわりとか」
と。
そんなことをしたら、きれいなお鼻にスリキズがついてしまいそうで危険ですよね。

そして、
「佐渡にまたいきたいですね~。
ロケ(「旅サラダ」)でいったときに、農家の方におにぎりをいただいたのですが、おいしかったんですよ。お礼もできていなくて...。
今日、佐渡から来て下さった方は?」
とおやずねになると、3か所ほどで手が挙がって、それぞれグループでお越しくださっているようでした。
「ジェットホイルやフェリーでお帰りになるんですよね。お気をつけて」
とおっしゃったきよしさん、そのまま一緒に佐渡に行きたそうな様子でした(喜)。

ここで、”オリジナル股旅演歌”を歌唱されるので、西寄さんが紹介されようとして、それより早く、きよしさんが、
「つづいて、股旅演歌を歌っていただきます。どうぞ~」
と、まるで司会者のようにおっしゃったので、さすがの西寄さんも、その目が点になって、一瞬沈黙がはしって(笑)。
きよしさんと目でなにやら確認をされると、ようやく
「えっ、オレが歌うのかなって思ったぁ~(汗)」
と、本音がぽろん(笑)。
きよしさんの思いもかけない司会者ぶりに、西寄さんはほんとうに驚かれたようで、ご自身のことを”オレ”と思わずおっしゃって、そのことにも西寄さんも、きよしさんも気づかれていないご様子でした。
もう~、きよしさん、西寄さんをそんなにあわてさせるなんて(汗)。
それにしてもそのときのきよしさんの”してやったり”の愉快そうなお顔ったらなかったのです(笑)。

イメージ 4
※座席表の前が大混雑。皆さん、しっかりと確認されてから入場されるのですね。
ご覧になる方が途切れず、やっと写メしたのです。
そのため、右端がきちんと写っていませんが、定員は1510名です。


ラストトークは、アンコールの1曲目の「勝負の花道」を歌唱されたあとでした。
「大好き新潟でコンサートをさせていただいて、皆さんでにお会いできて、大好きな歌を歌えることが幸せです。
これからもいろんな色をつかって、自分の思いを、表現者として詩にのせて、メロディーにのせて歌っていきたいです。
ニューアルバムでは、今の氷川きよしを楽しんでほしいと思います。
最後は、これは過去の曲ですが(笑)、『きよしのズンドコ節』を歌います。
皆さん、どうぞこころもからだも元気でいてください。
どうぞお元気で、またお逢いしましょう!」

昼の部は大歓声に包まれて幕がおりました。


イメージ 5
※ブルーバージョンのツアートラックです。


昼の部のあとは、いちばん近くのコンビニまでも1キロとうかがっていましたが、ホールの2階にレストランがあり、そちらでひとやすみできたのです。

夜の部のオープニングトークでは、
「これからジャンルを問わずに歌っていきたいですね。
ジャンルにこだわらずに歌うことで、才能の芽をのばしたいというか。可能性を追求したいんです。
まあもうすぐ42歳ですから、もう高齢者ですけどね(笑)。
デビューしたときは22歳でしたから、”こういう歌を歌ってほしい”っていわれたら、”はい”っていって。
自分でのいうのもなんですけど、素直なので」
と、ここでパラパラと拍手がおこったので、
「あっ、まばらな拍手、ありがとうございます!」
と(笑)。

そうしたら、皆があわてて拍手をされたものですから、
「あっ、うそうそうそうそ! すいませ~ん、気をつかわせて」
とフォローされたのです(喜)。
新潟とは縁が深く、ヘアメイクさんが代々、新潟出身の方。
なかでも、きよしさんのヘアメイクを10年ほど担当されていた渡辺健太さんは現在独立されて新潟市内で、tree(ツリー)というお店をひらいて人気店だそうで、この日も来場されていたので、きよしさんはそのことを紹介されました。
新潟にいったら寄ってみたいですね~。

お店の詳細はこちら!

渡辺さんがこの日のことを書かれたブログはこちらです。


また、最前列センターにおすわりの方にお声をかけられ、その方が92歳とうかがうと、
「元気の秘訣を教えてけろ!」
と思わず東北訛りに(笑)。
そして、
「素晴らしいです。国宝です」
と称賛され、お名前をうかがうと、”中村〇〇〇さん。高いところからすみません”としばしトークを楽しまれていました。


イメージ 6
※ブルーバージョンのツアートラックの後面(扉)です。


きよしさんはホールについてから、裏手の川沿いの道を歩かれたことをお話しされたので、もうびっくり!
わたしもその道を昼の部のあと、歩いたのです。
「思い出のメロディー」の応募はがきをポストに投函したくて、ポストを探していたのですがみつからなくて、Oさんともはぐれてしまって。
もどろうとしたときに、ホールの裏手にきれいな川があったので、こころひかれて川沿いを歩いてみたのですが、砂利道の砂利が大きくてゴロゴロしていてハンパありません。
サンダルでは、気をつけていないと転倒しそうな道でしたので、またゆっくりと引き返したのです。
車が通るだけで、ふだんから人は通らないのかもしれないと思ったのですが、まさかきよしさんも歩かれたとは!
なんだか嬉しくなったのです。

あらためて、笹団子の話題を西寄さんがされ、
「笹団子、もう召しあがりましたか?」
とおたずねになると、
「はい、食いましたっ!」
と。
西寄さんと一緒だと、すぐに、”いたずらモード”になってしまのですね。
”きれいなお顔でなんてこというんですか”と、西寄さんがいさめられると、
「こしあんのほうを」
と涼しいお顔(笑)。
きよしさんはひとつ、西寄さんは3つ召しあがったそうで、ヤスダヨーグルトもいただいたと大満足のご様子。

そして、「限界突破×サバイバー」がある日のTwitterの世界トレンド4位(日本では第1位)になられたことをあらためておっしゃると、
「一時(いっとき)のことですよ」
とひとこと。
”そんなに謙遜しなくても”というような西寄さんはじめ皆の空気に、
「皆さん、ここだけの話。
人気や地位や名声は幻です。
いちばん大切なのはこころです」
としみじみおっしゃったのです。

夜の部でもDHCのキャンペーンキャラクターをきよしさんがつとめられていることを西寄さんが紹介されると、
「どうして、そんなにきれいなの? それはDHCをつかっているから」
と、小林幸子さんモードで。
きっと新潟つながりで連想されたのでしょう。
「思い出酒」まで幸子さんのマネで披露してくださったの大喝采(笑)。

携帯電話の話題になって、
「ほとんどの方がスマホなんですね~。
うちなんか糸電話でしたからね」
ときよしさんが笑いをとられると、負けじと西寄さんが、
「うちなんて伝書バトでした」
とおっしゃったものですから(笑)、
「負けん気強い~」
ときよしさん。
どっちもどっちでしょう? ね(笑)。

イメージ 7
※昼の部のあと、ホールから見やすいように並べてくださったようでした。
昼の部の前はバラバラに停車していたのです。


「20周年を迎えて、あらためて、これまで、スタッフが支えてくれて、ファンの皆さんが氷川きよしをつくってくださったんだなあと思います。
こうしてコンサートをやらせていただけることも、当たり前なことじゃないんだという思いで、今日は1曲、1曲噛みしめるように歌わせていただきました。
デビュー当時は、コンサートなんてとてもできないと思いました。
プレッシャーでいつも泣いていました。
あるとき、息子にしたい芸能人に選ばれて、嬉しいなって思う反面、その期待を裏切らないためにどうしたらいいんだろうって思いました。
”なんでもいうことをきくきよしくん”というイメージなのかな? あんまり自分をだしたらいけないのかなって、悩んだこともあって...」
きよしさんはそんなこころのうちうをひとことひとことそれこそ噛みしめるように話してくださいました。

そんなきよしさんに胸がいっぱいになったのです。
誰だって公の場にたったら、その立場にふさわしい振る舞いや言動をしてしかりですし、またそうあらなければならない面もありますでしょう。
それなのに、きよしさんは、”氷川きよし”として振る舞いながらも、どこかに割りきれなさを感じて。もっとその奥の自分の思いを伝えたいとずっと葛藤してくださってきたのですね。
わたしは、そういうところこそが、きよしさんの魅力なのだと思うのです。
いつも、そんなきよしさんの葛藤も含めて、きよしさんが自分自身とたたかって、めざす”氷川きよし像”にむかって、ひたむきにがんばっているのだとうけとめてきて...。
そんなきよしさんの生き方に励まされ、そんなきよしさんが歌ってくださる歌唱に感動し、その葛藤しながらもがむしゃらにがんばる姿に見惚れ、その眩しさ、美しさに魅せられてきたのでした。

20周年を迎えて、折々にお話しくださるさまざまなエピソードや思いもまた、20周年の勲章のように思えます。
そして、そんなに声高におっしゃらずとも、皆、わかっていて、だからこそずっとファンでいるのにと。
でも、ここまで書いてみて。
きよしさんのその言葉のむこうに、
゛わかってくれていると思うからこそ、話せるようになった今、、自分の言葉できいてほしいんだよ゛
という思いがあることを感じて。
いっそう幸せな思いになったのです。

「来年は東京でオリンピック、パラリンピックが開催されますね。
自分も歌手としてもりあげていきたいという思いでいます」
と結ばれました。


イメージ 8
※新潟駅の売店でヤスダヨーグルト購入しました。


終演後、ホールの外に出ると、タクシーがたくさん待っていて、バスの臨時便もだしてくださっていたので、順調に新潟駅に着いたのです。
予定より早めに着いたおかげでおみやげを買う時間ができたので、お弁当を買ったり、おみやげをあれこれ(喜)。

ご一緒したOさんとは、乗車する新幹線の車内で待ち合わせていたのですが、お買い物の途中であうと、わたしたちの乗る便にきよしさんも乗車されるかも? と。
きよしさんはもっと早い便に乗らるかと思っていたので、おみやげとお弁当の袋を手に急にドキドキしてきました。

発車10分前くらいにホームにあがって、車両に乗り込んで、車窓をながめていたのです。
やっぱり、きよしさんは次の便にされたのではないかしら?
と思いながら座席にすわってホームをみていたら、スタッフのNさんがみえてきて、その半歩うしろをきよしさんが歩いて来られて(嬉)。
ロゴ柄の茶系のポンチョをはおっておられて、その足取りは軽やかでした。
見惚れていると、間もなくの発車!

車両はちがえど、同じ便に乗っておられると思うと、とても幸せな思いになって...。
そして、お弁当をいただくと、睡魔がおそってきて、しばし眠ったのです。
わたしは、きよしさんが降車されるより手前の駅で降りるので、新幹線から降りてそのままホームの柱によりかかって、お見送りさせていただくことに。
そうしたら、新幹線がゆっくり走りだして、西寄さんの笑顔が(喜)。
きよしさんの車両近くでお見送りされていた方たちがとおりがかって、なぜ西寄さんの笑顔だけがみえたのかそのわけをおしえてくださったのです。

きよしさんはホームのと反対側の座席の窓ぎわにすわっておられたそうですが、シートをリクライニングされ眠っておられたそうで、そのことを西寄さんがジェスチャーされながら、手を振り会釈されていたということでした。
昼夜、熱唱につぐ熱唱dしたから、わたしは、そのことをうかがって、なんだかほっこりした思いになったことはいうまでもありません。


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