おはようございます。
昨夜は帰宅してひと休みしていたら地震の警告音が鳴りだして、わたしの家はそれほど強くは揺れませんでしたが、父の実家の佐渡に津波警報がでたので、すでに眠っていた父を起こして母と3人でテレビをみていました。
佐渡の叔父から、”大丈夫”との連絡があり、地震の被害が最小であることを祈りながら、日付が変わってから眠りました。
一夜明けて、被害の状況が報じられていますね。
被災された皆様にお見舞いもうしあげます。
そして、1週間ほどは油断できない旨のおしらせもあって、どこにいても、どんなときも細心の注意を払っていかなければという思いを強くしました。
きよしさんのコンサートで14日には新潟にうかがいましたし、来月は山形にうかがう予定で、すでに現地の方とやりとりをさせていただいていることもあって、出逢った方のお顔や、お声がうかんできて、ほんとうに近しく感じるのです。
では、以下は昨夜参加させていただいた川口総合文化センター・リリアでのコンサートの夜の部のことを書きますね(喜)。
先に、昨夜はギリギリ入場になってしまい、終演後はご一緒したお友だちのKさんと話に夢中になって...。
そのため、写メをすることを忘れていました(汗)。
もし、全身ボードにメッセージを書いてくださっていたとしたら、みてなくてごめんなさい。
夜の部で、オープニングに「冬のペガサス」を歌唱されると、
「碧し」
「メトロノーム」
と、大天使キヨエルさまのごとく神々しい光を放って歌唱されました。
昨年の東京国際フォーラムで開催された「きよしこの夜vol.18」で、このコンサートツアーの原型となっているオープニングを目にしたとき、”大天使キヨエルさま”のごとく歌唱されるきよしさんの周りのダンサーさんたちの背中の翼が片羽であることに気づいて一瞬ドキッとしたのです。
キューピーの生えかけの羽のようでもあり、まだ飛べない雛のようでもあり、なんだか痛みさえ感じたのですが、FC限定の「きよしこの夜vol.18」の特典映像で、ダンサーさんたちの翼を片羽にした方が思いがつたわると、きよしさんが着想されたことをしって、きよしさんてすごい方だなあと感じ入ったのでした。
このブログでそのことを書けないままでおりましたが、そのことをしってからはオープニングでダンサーさん達の片羽を目にするたびに、もしこれが小さくても両羽だったら、これほどの崇高感はでなかったのではないかしら? と思うのです。
紫のスパンコールに黒のシースルーをあしらった衣裳で
「限界突破×サバイバー」
「見えんけれどもおるんだよ」
を歌唱され、
菫色の貴婦人といった出で立ちで、
「百万本のバラ」
「愛の讃歌」
黒と白のスッキリとした遊び心がありながらもフォーマル感のあるスーツで
「ヨイトマケの唄」
と、8曲を歌唱されたところでのオープニングトークでした。
「最高ぉ~!
イェーイ!
イェイ、イェイッ!
ヨーッ!」
と、もう、きよしさんの勢いがとまりません(笑)。
来場のお礼、20周年を迎えることができたお礼をおっしゃると、深く深くお辞儀をされたので、お顔にかかってしまった髪をかきあげ整えられました。
そして、
「5歳の頃から朝シャンして41年かけて育ててきた髪です(笑)。
大人になったら長い髪にしてみたいって思っていたんですよ~。
もっと長くなったら、筆にして習字をしてみたいと思っています」
とおっしゃると、ご自身で、
”あはははは”
と醒めた笑いでフォロー(笑)。
笑顔満開の客席を幸せそうに見わたされると、
「皆さんがうわって来てくれるから、こっちもこうねっ!」
とのりだすようにされおっしゃったのです。
「ね、皆さんがこうだと(ひくジェスチャーをされ)、こっちもこうなっちゃうから」
そんなふうにおっしゃると、きよしさんはうしろにのけぞるような仕草をされたので、大きな歓声がおこると、
”うわっ、嬉しい”という様子で、センター、上手、下手と、エアハグしてくださいました。
もう~、そんなことしていただいたら、こっちだって、もっともっと嬉しくなって熱くなっちゃう!
「そんでもって!」
と前置きされると、
「演歌歌手としてデビューしましたから、これまで演歌を歌うことが多かったですよね。
そのなかでも、”あの娘を”追って、何とかかんとか”っていうものが多くて(笑)。
作家の先生もそういうのがお好きなんでしょうか(笑)。
もう、”あの娘はどこに?”って、どこにいったんでしょうね~」
きよしさんは、これから歌うオリジナル曲の「さすらい慕情」、「しぐれの港」についてお話しされたのですが、そのあたりで、
「なんだか、もう、うまくしゃべれないので(笑)、歌うことにします」
とおっしゃると、歌唱モードに(笑)。
「さすらい慕情」
「しぐれの港」
「最後と決めた女だから」
「みれん心」
「星空の秋子」
を歌ってくださいました。
紫のお着物で、
「最上の船頭」
を歌われたところで、司会の西寄ひがしさんも登場。
おふたりのでトークがもりあがりました(喜)。
西寄さんは7月11日、12日に日本武道館でおこなわれる20周年記念コンサートのおしらせをされると、
「今日も休憩の間もずっとコンサートのうちあわせをされていました」
と楽屋の様子までおしえてくださいました。
きよしさんは、”そうなんですよ~”というようにうなずかれると、
「41曲歌いますからね~。
3公演、もうクタクタになるかもしれないけど、この仕事をやめてもいいぐらい(悔いがのこらないというくらい)のつもりで歌います。
もう、”自分(氷川きよし)炸裂”ですから。
衣裳もすごいことになっています(嬉)。
もう、うーわああ~って。
”目から血を出す”ところではほんとうにそうして...」
きよしさんは、いいかけて、ぐっとそのあとの言葉をのみこまれるようにされると、
「初めてみる景色かもしれません。
思いきりやります。
41年生きてきて、人間ですからいろいろありますんですよ(語尾をちょっぴりあげられて)。
そういう思いを全部歌でつたえたいんです」
と、わくわくするような抱負をお話しくださいました。
西寄さんが、先日(6月11日)の「うたコン」での「限界突破×サバイバー」の歌唱が大反響であることを話題にされると、
「ロケで15日から3日間、福岡にいたんですけど、母に(「うたコン」)どうだったってきいたら、
”もっと目のまわりを真っ黒に塗らんね”っていわれて(笑)。
”髪もバンバン伸ばして、ネイルももっとやったほうがよか”って」
と。
うわあ、なんて素敵なお母さま!
きよしさんのさまざまな変化を楽しんで、期待してくださっているのですね(嬉)。
きよしさんも、”驚いたけど、嬉しかった~”という様子で、お母さまの口マネをされながらお話しされたのです。
そして、昨年の「きよしこの夜 vol.18」での「限界突破×サバイバー」のライブ映像がTwitterのある日の世界トレンド4位(日本ではもちろん第1位)になられたことを、さらに西寄さんが紹介されると、
「そうですね。
昨年の『勝負の花道』で、”♪海路(みち)は亜細亜へ世界へと”で、決意を表明していたことでもありましたから。
海外は日本に比べて個性を尊重する印象があるんです。
皆さんのおかげで海外にも何度か行かせていただいて、いろいろなことを肌で感じて世界観がひろがりました。
ひとりひとり個性があって、『世界に一つだけの花』じゃないですけど、それぞれがそれぞれの花を咲かせているんですよね。
特に日本では、出る杭は打たれたり、ひとと違うことをすると受け入れらないこともありましょうでしょう。
でも、これからは、ひとりひとりの個性を尊重して、誰もが幸せに生きることのできる世の中であってほしいですよね。
自分は、そういうことを歌でつたえていく人生なのかなって、思っているんです」
きよしさんがそこまでお話しされると大きな大きな拍手がおこりました。
きよしさんはその拍手に大きくうなずかれ、”ありがとうございます”というように、お辞儀をされると、
「アーティスト氷川きよしとして、もうひと花も、ふた花も咲かせられたらと思います。
命には限りがありますから。
今、やらないと...。
休んでいる暇ないよって思って」
はにかんでおっしゃったきよしさんをみつめて...。
これまで走り続けてこられたきよしさんに、がんばりすぎて命を削るようなことをしないでほしいと思いながら、でも、どうしてもたくさんの夢や未来を託して、果てしない期待を抱いてしまう自分がいて...。
20周年を迎えた今年、そのはざまで葛藤し、こころが痛むこともありましたが、この言葉で、きよしさんには次の頂がみえてきたことを感じて...。
とてもシンプルなことですが、きよしさんが”休んでいる暇はない”と思われたのなら、わたしもまた、このまま、きよしさんに着いていきたいと思ったのです。
チオビタドリンクにはじまって、これまでのCMの話題をされると、アルバムの話題に。
「2001年に”演歌名曲コレクション”をだすときに、演歌の名曲がたくさんリストにあって。それを力の限り歌ってきましたけど、もうそのリストにあがっていた曲も歌い尽くして。
たとえば西城秀樹さんの曲を歌いたいと思っても、”演歌”のアルバムにはおさまらないでしょう?
だから”新・演歌名曲コレクション”は今出ている9のあと、次の10でピリオドになるかもしれません。
また次はどうするか考えています。
昨日まである番組のロケで福岡にいったんですけど、両親も年とったなあって思いましたね~。
懐かしい場所をまわったので、もう泣いてばかりでした。
アパートのあった近所もまわったんです。
大楠っていうところなんですけど、引っ越しされたお宅も多かったですし、家はそのままでも、自分が知っている人はほとんどの方が亡くなっていたんです。
唯一、タバコ屋さんのおばあちゃんは元気で、お年をきいたら92歳で。
タバコやさんといってもパンも売っていたので、自分が6歳くらいのころからそのお店にいって、パンを買ったり、父に頼まれてタバコを買いにいったりしていたんです。
”テレビでみてるよ”っていってくださって、嬉しかったですね。
自分が知っている人が亡くなるのってせつないですよね。
あんまりせつなくて、こんな思いをするくらいなら自分が先に逝きたいと思うこともあります。
でも、人間にとって生老病死は避けられないことですから...」
きよしさんはそこまでお話しされると、
「そういう思いも歌にこめて歌っていきたいです」
ときっぱりとおっしゃいました。
実は月末に福岡にいくことにしていて、20周年記念コンサートの前に、きよしさんゆかりの地を歩かせていただこうと考えていたのです。
そのことはまたあらためて書かせていただきますが、今回、きよしさんご自身が20周年の記念コンサートの前にロケでそのような体験をされたことに、勝手ながら偶然とはいえないものを感じ、そして、どんな番組なのかが楽しみになりました。
「大丈夫」
を歌唱されると、
「ちょいときまぐれ渡り鳥」
「大井追っかけ音次郎」
「箱根八里の半次郎」
を熱唱。
そして黒地の着物に、金糸がおりこまれた袴姿で、
「男の絶唱」
「白雲の城」
を歌われ、
アンコールでは、昨年の紅白歌合戦でお召しになった衣裳(間奏で引き抜きの早変わり)で、
「勝負の花道」
を歌唱されるとラストトークでした。
来場のお礼を言葉にされ、
「これからも様々な歌をおとどけしたいと思います。
そのために、ひとりの人間として、たくさん、いろいろな経験や思いをして...。
それをまた歌っっていきます。
氷川きよしを引き続きよろしくお願いします」
そこで、次の曲が最後の曲であることをおっしゃると、”えええ~っ!”の大合唱。
きよしさんは、にっこりと微笑まれると、
「次は武道館でお逢いしましょう!」
とひとこと。
そして、
「きよしのズンドコ節」
でフィナーレとなりました。
命をこめた魂の歌声とまごころトークをありがとうございました。
大きな励ましをいただきました。
”生老病死”という言葉を最近よく思い出しては、かみしめていました。
きよしさんも一緒なのですね。
ということは、そう、きっとどなたも等しく避けられないこと。
わたし、今、自分になにができるのかというともすればおこがましかったりひとりよがりになりそうなことを考えるより、今、何をしたいのかを考えてみようという思いにさせていただきました。
これもまたシンプルなことではありますが、でもこことのところそんなことを考えていなかったかもしれません。
そこからみえてきたものがあったら、またブログで書いてみたいと思います。
※しばし仕事に集中して、明日は午後から那須塩原市黒磯文化会館でおこなわれる「新・BS日本のうた」の公開収録の観覧に参加します。