こんばんは。
13日、20日と2週にわたって放送された、「木曜8時のコンサート ~夏祭りにっぽんの歌~」、ご覧になりましたか?
パート1、パート2も、ともにテーマは”戦後70年”ですが、パート1は”和”、パート2は”洋”と趣向を変えての構成になっていましたね。
7月1、2日に開催された中野サンプラザので公開収録に両日参加させていただいて、そのときの記事にも書かせていただきましたが、
パート1では、日本人のカントリーソングともいえる”演歌・歌謡曲”を主に、70年の歴史をたどるものでしたが、パート2では、戦後日本に流れ込むようにして入ってきた”洋楽”を、良い意味で日本ナイズし、日本の”歌謡”というものに時をかけて溶け込ませてきた、その歴史を体感させていただきました。
2週にわたって放送されたこの番組のラストを締めくくったのは、”平成に生まれたヒット曲”のコーナー。
司会の宮本隆治さんの素敵なナレーションを受けて、純白のスーツ姿できよしさんが登場されましたね。
スーツもシャツも、蝶タイも靴もすべて白...。
全身に白をまとったきよしさんのなんてまぶしかったことでしょう。
歌ってくださったのはデビュー曲の「箱根八里の半次郎」でしたが、和と洋の両面から見た日本の”歌謡史”において、平成という時代に”氷川きよし”という稀代のスター歌手が誕生した意味をわたしなりに了解し、加えて、”氷川きよし”のデビュー以後の15年間の歩みが滔々と流れる”日本歌謡史”の新たなページをめくり、現在進行形でその歴史を刻んでいることをあらためて感じたのです。
そういった視点で今回の放送を見ていたら、パート2の前半、”ムード歌謡”のコーナーの前に、「ときめきのルンバ」を歌唱されるきよしさんに、この曲は、歌にはジャンルなどなく、もしそれでもジャンルがあるというのなら、きよしさんの属するジャンルは、”氷川きよし”というジャンルなのだと確信させていただいた大切な曲だったと思い返しておりました。
キラキラとラメが光る黒のジャケットにシャツは細かくピンタックの入った白、パンツとカマーバンドは黒のサテン、靴は黒のエナメル。
左胸には真紅のバラが一輪飾られていて、ロマンチックな出で立ちでしたね。
そして、皆さま、雪村いづみさんのコーナー、いかがでしたか?
パート2の公開収録の午後、おともだちのOさんにお誘いいただいて、用事をすませて夕方から、ペンライトももたず、”からだひとつ”で参加させていただきましたが、この内容を知っていたら、江利チエミさんが大好きな母にこそ見せてあげたかったなあと思うほどに感動したのです。
今回、放送を両親と一緒に見ることができましたが、やはり母は、「トゥ・ヤング」を、江利さん、美空ひばりさんの音源を聞きながら声を重ねて語りかけるようにしてデュエットする雪村さんの歌唱に聴き入っておりました。
きよしさんのファンになって以来、”夏祭りにっぽんの歌”という番組には、わたしもいろいろな思い出がありますが、やはりいちばんに思い出すのは2002年のこと。
文末に、そのことを書いた記事の部分を引用してアップしますね。
今日、きよしさんはアイプラザ豊橋でコンサート、そして明日は名古屋で”ファンクラブふれあい会”(第8回)ですね。ご参加される皆さま、きよしさんと素敵な時間をおすごしくださいませ。
わたしは次にきよしさんにお会いできるのは29日に浅草公会堂で開催される「ティーンズカラオケ大会」。
それまでの1週間、”来たる9月”(かなり個人的にですが・笑)に備えて、仕事&etc.にがんばります!
”来たる9月”といえば、9月1日の「NHK歌謡コンサート」への、きよしさんの出演が決定したことを、昨日入場整理券が届いて知りました。
事務所の水森かおりさんも一緒。
嬉しいですね。
帰宅したとき、落選のハガキが上になっていたので(5枚ほど応募していました)、ああ~、はずれちゃったのかな? とドキドキしながらハガキをチェックしていったのです(笑)。
この1週間、書こうとして書けないままになっていることもいくつかあって...。
今日、明日とがんばれば仕事が一段落しそうですので、3月からずっと書いてみたかったこと、何とかお読みいただけるところまでまとめられたらと思っています。
では文末に、2002年の「夏祭りにっぽんの歌」の公開生中継のことを書いた記事を部分引用してアップしますね。
きよしさんご自身が「氷川きよし節」(文化放送)でおっしゃっていた”一心不乱”という言葉には、一つの事に集中して、他の事に気をとられないこと。また、そのさま。そしていのちがけ(命懸け)という意味もあるそうでが、今日は、この”一心不乱”という言葉が私の心に深く深く残りました。私が”一心不乱”という言葉の意味をこうして辞書で確認して、あらためて思い起こしたのは2002年の「夏祭りにっぽんの歌」の公開放送のこと。その日のことは当時ご多忙だったきよしさんご自身は、もしかしたら覚えていらっしゃらないかもしれません。でも私には今でも忘れることができない思い出のひとつです。2002年7月5日、きよしさんは渋谷公会堂で昼夜2回のコンサートを開催されたのですが、その日は「夏祭りにっぽんの歌」(テレビ東京)にも出演することになっていました。きよしさんの北海道ツアーのドキュメンタリーを放送した番組の中で、「夏祭りにっぽんの歌 氷川きよしコーナー」の観覧希望者を募集したので、応募はしたものの、その日はコンサートのはずでは? 氷川きよしコーナーって? と半信半疑でした。当選通知が封書で届いたのですが、案内を見ると、何とコンサートの夜の部を終えたら、そのまま会場近くのライブハウスにきよしさんが移動して生中継するということでした。「夏祭りにっぽんの歌」は五反田のゆうぽうとホールで開催されていましたので、コンサート終了後に渋谷から五反田では放送時間に間に合わなかったのでしょう。さてその当日、観覧に当選したのは約80名。場所はSHIBUYA BOXXというライブハウスでした。このSHIBUYA BOXXはNHKホールの斜め向かいに今もありますが、この時は完成したばかりで翌日7月6日からオープンということでした。ですので、きよしさんはオープンの前日にそのライブハウスの舞台に立ったのです。こちらのライブハウスの方でもそのことをご存知の方は少ないかもしれませんね。案内状には「夏祭りにっぽんの歌 氷川きよしコーナー観覧当選のお知らせ」と書かれ、19:00集合(解散予定22:00)とありました。この案内状に整理番号が書かれていて、その番号順に入場となりましたが、会場はオールスタンディングでしたので、立つ位置を決め、スタッフの方の説明がありました。そして、ここからが大変でした。生中継ですから、絶対に失敗があってはいけません。恐るべき綿密なリハーサルが始まりました。きよしさんは渋谷CC.Lemonホールでコンサート中ですから、スタッフの方が、きよしさんの代わりにまったくの本番通りに「箱根八里の半次郎」を歌います。きよしさんが実際に使用するマイクで照明も本番通りです。そして私たちは配布されたペンライトを左右に振りますが、テレビカメラの画像にきれいに納まるように、広がったり、固まったり、いくつかのバージョンを試すのです。スタッフの方は声が裏返ってしまって、本当に歌が苦手のようでした。でも本当に真剣で必死で、”皆さん、僕の下手な歌をお聞かせすることになって申し訳ありません。ただ生中継の放送の時にトラブルがないように、氷川さんが実際にされるように本番どおり歌いますので、どうかご協力お願いします”と、そんなご挨拶をされたように記憶しています。ご本人がおっしゃるように、本当に歌は苦手な様子でしたが(ごめんなさい。キーの問題もあったかと今では思います)、後できよしさんが同じマイクで同じように歌われた時、同じ人間の声といってもこんなにも違うものなんだと思ってしまいました。私たちはかれこれ1時間近くリハーサルをし、30分くらい休憩をし、またもとの立ち位置に戻って、きよしさんの登場を待ちました。休憩中はモニターで番組の放送が流れているのを見ました。この時は見られなかったのですが、あとで録画を見たら、時折、コンサートのきよしさんの様子が番組中で放映されていましたね。私たちは立ちっ放しで、固まっていましたので、さすがに疲労を感じていたのですが、21時すぎでしたでしょうか。”今、氷川さん到着されて、お支度中です”とスタッフの方が声をかけてくれました。すると、いつでもそうなのですが、疲れは一瞬にして吹き飛び、胸がドキドキしてきます。カメラさん、音声さんも一斉にスタンバイされました。そしてその時に曲目などについての最終的な説明があり、”氷川さんは今日の放送では「箱根八里の半次郎」を歌います。放送されるのはその1曲ですので、それ以外に歌ってくださるかは氷川さん次第です。放送される1曲だけになるかもしれませんのでご了承下さい”スタッフの方はそんなふうにおっしゃったと思います。きよしさんは昼夜2回のコンサートを終えて、そのまま移動されてきたのです。私はその時、スタッフの方があえてそうおっしゃるのですから、放送される「箱根八里の半次郎」1曲だけになるのだろうなとごく自然に思っていました。それでもごく間近できよしさんの歌を聴けるのですから大満足だったのです。スタッフの方もきよしさんがどれほど疲労しているのかをわかっていたからこそ、”放送終了後にもう1曲歌って下さい”とは強く言えなかったのではないでしょうか。そしてきよしさんの登場です。会場にはスモークがたかれました。司会の方ときよしさんが挨拶をかわし、少しお話しされてから、「箱根八里の半次郎」を歌ってくださいました。私はすっかり夢見心地でした。そして、「ありがとうございましたー」ときよしさんと司会者の方とのやりとりがあり、生中継は無事終わったのです。私はもう胸がいっぱいでした。そして、きよしさんはといえば、昼夜2回のコンサートを終え、そして、さらに生中継の大仕事(やはりかなり緊張すると思います)を終えたのですから、疲れていないはずはありませんよね。ところが、中継放送が終わると、さらにニコニコと笑顔で私たちにお礼をおっしゃり、「今日お越しくださった皆さんのために歌います」そうおっしゃって、「きよしのズンドコ節」を歌ってくださったのでした。何てファン思いの優しい方なのだろう、そして何て誠実な方なのだろう。そんなふうに思いました。こんな言い方はよくないかもしれませんが80名ほどの観客でしたし、大舞台を終えて披露されていないはずがないきよしさんなのですから、”これ以上歌えません”とおっしゃっても当然の状況だったと思います。それなのに「きよしのズンドコ節」を熱唱してくださって...。今でもその時のきよしさんの真心を忘れることはできません。そして「きよしのズンドコ節」を歌い終わると、「皆さん、今日はありがとうございましたー」と深々とお辞儀をして舞台袖に戻られました。その後ろ姿はさすがに疲れている様子に見えたのですが、”会場のスモークとあいまって、夢を見ていたみたいね!”そんなことをわたしたちは口々にいい、無事解散になりました。きよしさんは、これまでずっとそんなふうにいつも、どんな時も”一心不乱”に歌い続けてくださってきて。今もその時と少しも変わらないと、わたしは思っています。NHKホールに行くとそのライブハウスが目に入るのですが、その度、あの日のきよしさんの姿が思い出されるのです。